(かんそう contemplation)
実践の反対語で、世界や宇宙を観察し、哲学的思索に耽ること。観照とも。 ギリシア語ではテオリアtheoria。
ピタゴラス派によれば、宇宙を数学的に解明する作業をやっていれば、 輪廻の輪から解き放たれて昇天することができる。
プラトンも似たようなことを考えており、 イデアを見ることができるようになることにより、 昇天することができる。
アリストテレスも、 観想の人生がもっとも優れた生き方だと考えていた。
マルクスは、 「哲学者は世界を解釈するだけで、変えようとしてこなかった」 と非難するので、観想がすばらしいなどと聞いたら本を投げつけたであろう。
16/Jan/2002