学会通信 2024年12月
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今年度の学会通信は、A4版カラー8枚で編集しました。
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事務局より
理事、評議員、名誉会員、事務局の学会に対するメッセージや日頃の活動に関する小エッセイなどの寄稿をまとめて学会通信として毎年1回発行しています。学会通信を通して、東海公衆衛生学会の活動を身近に感じていただけたら幸いです。
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2024年度 理事・評議員・名誉会員からのメッセージ
理事長:名古屋大学大学院医学系研究科国際医療保健学・公衆衛生学 教授 八谷寛
2024年度より尾島俊之前理事長の後任として理事長職を拝命しました。多くの学会が林立する中で、東海公衆衛生学会は、行政と大学が協力して運営するという他にはない特徴を有し、今年で第70回を数えた学術大会では、各回の開催地域の特徴が活かされた魅力的なシンポジウムが企画され、また多くの一般演題発表があり、会員にとって重要な発表と交流の場になっています。2013年から発行となった東海公衆衛生雑誌には査読を経た累計104編の論文が掲載され、うち15編は行政所属の第一著者の執筆となっています。今後は、2020年度から開始された東海公衆衛生雑誌の論文作成/修正支援者制度の運用方法の見直し、会員のスキルアップや研究支援のための企画、若手を含む会員数増、ホームページを通した情報発信の継続を当面の目標に掲げ、学会運営に臨んでいきたいと考えています。会員の皆様の学会活動への積極的な参画、ご支援をどうかよろしくお願いいたします。
副理事長:至学館大学健康科学部栄養科学科 教授 今枝奈保美
食いしん坊栄養士の仕事と研究・・・
会員の皆様ならご存知の「国民健康・栄養調査」。昭和20年代から続いている、日本の公衆衛生における歴史ある調査です。最近はコロナ禍の影響で令和2年・3年に中止されましたが、令和4年から再開され、その概要版が厚生労働省のホームページで公開されています。ただし、例年発表されていた200ページを超える詳細版データはまだ刊行されておらず、待ち遠しいと感じている方も多いのではないでしょうか。
行政統計では、継続性が極めて重要です。しかし、年次変化を観察する際には、調査方法の吟味が欠かせません。特に高齢者の割合が増加している現状を考えると、データが年齢調整されているのか、あるいは粗データのままなのか、図表の脚注に注目したくなります。また、栄養計算に使う食品成分表のバージョンも見逃せません。最新版は八訂(2020年版)ですが、令和6年の調査では旧の七訂が用いられたと聞いています。ちなみに「日本人の食事摂取基準 2025年版」も七訂食品成分表を基に基準値が設定されています。
調査結果を適切に解釈するためには、数字そのものだけでなく、調査プロセスを深く理解することが不可欠です。そして、その先にあるのは、「どうすれば、もっと美味しく、健康的に、心豊かな食事が楽しめるか」という究極の問いかけ。以上、食いしん坊栄養士の仕事は、まだまだ続くのでした。
名誉会員 青木國雄
Public Health Medicine
私が国際疫学会(IEA)の理事に選ばれたのは1983年である。理事会に出席し始めたのは1986年であるが、ロンドンでの会議に出席すると、不思議なことに、英国王室医師協会と主要大学の医学部公衆衛生部門の名称はFaculty of Public Health Medicine(PHM)であり、Public Health ではなかった。そしてOxford Univ.PressからJournal of Public Health Medicineという定期刊行物も出ていた。その後いろいろ刊行物に当たってみると、1970年代に英国では、primary care、健康の不平等性、介護、薬害、公害、様々な社会医学問題が急増しており、公衆衛生は医学だけではなく政治的、経済的にも問題となり、医師だけではなく多領域の専門家が関与するようになった。公衆衛生関係者だけでは十分に対応できないのを問題として、王室協会とロンドンの主要大学にPHM講座が設けられ、積極的に公衆衛生問題を研究し、その科学的な根拠に基づいて公衆衛生活動を革新しようとしたのである。それには義務と責任をわきまえた良い公衆衛生専門家が必要であり、公衆衛専門医はさらに高度の教育、訓練をされ、技術を磨くことになった。同時に、社会や民衆にはもっと丁寧に、もっと思慮深く接する必要があり、民衆の声を聞き、その尊厳を守りながら活動をする。それにはわかりやすい情報を伝え、共同してリスクから守ることになる。専門家は正直でなければならないということまで書かれてある。個人的な行動を慎み、チームとして合理的、弾力的に事にあたるなどは基礎的な考えである。また、公衆衛生専門家は何よりも自身の健康維持に努めなければならないとしている。
英国は公衆衛生先進国であったが、公衆衛生という幅の広い多様な領域では、医学的にも社会的にもより高度の知識と技術が必要と分かり、教育、訓練、組織などを変化させたのであろう。Journal of Public Health Medicineは1980年代から発刊されており、その内容は多様で、レベルも高く、国際的であり、昔の研究でも今日学ぶところが多い。
しかし英国のPHMは2010年代に廃止されPublic Healthに戻ったという。残念ながらその理由は知らない。知っておられる方があればご教示を御願いしたい。日本でも早くから学ぶべきであったように思われるが、筆者の世代はその機会を逸したように思われる。
愛知学院大学歯学部口腔衛生学講座 准教授 加藤一夫
特定健康診査と国民皆歯科検診
経済財政運営と改革の基本方針「骨太の方針」に国民皆歯科検診が明記されてから2年が経過した。それに合わせて改訂された歯科口腔保健の推進に関する基本的事項の下で、今年度から、「歯・口腔の健康づくりプラン」が展開されている。その中で、地方公共団体による歯科検診の機会の充実状況を評価するために、「独自に歯科検診を実施している市町村の割合」が指標として設定されている。一方、健康日本21(第三次)で「実施率の向上」が目標に加えられている特定健康診査・特定保健指導には、2018年度から標準的な質問票の中で、咀嚼(食事を噛んで食べるときの状態)に関する設問が「質問項目13」として追加されている。特定健康診査が、地方公共団体が独自に対象者を設定し実施する歯科検診の受け皿になることを期待している。
名古屋市立大学大学院医学研究科環境労働衛生学 教授 上島通浩
公衆衛生領域におけるコミュニケーションのための作文スキルの重要性
公衆衛生の最前線で活躍される方々にとっては「何を今さら」の話題かもしれませんが、専門家ではない一般の人が理解できる文章を作れるスキルの獲得にはトレーニングが必要であるとしばしば感じます。一般向けに書く文章において、研究者が使う漢字や専門用語は多すぎて、表現内容が正確であってもふつうの人には難しいのです。これでは読んでもらえない、伝えるという目的を達成しないと指摘しても、書いた本人にはピンとこない(ように見える)ということをしばしば経験します。私の中学生時代、国語の授業で先生に当てられて教科書の音読をさせられた時を思い出すと、すらすら読めるのはクラスの一部で、1/3くらいの同級生は中学で学ぶ漢字が文中に出てくると立ち往生し、近くに座る友達や先生が読み方を助けていました。立ち往生する人の存在を意識でき、そういう人が読んで理解できる文を書けるスキルの教育が、公衆衛生領域のカリキュラムに必要と思う昨今です。
名古屋市健康福祉局 医務担当局長 小嶋雅代
第70回東海公衆衛生学会を終えて
僭越ながら、今夏7 月最初の土曜日に開催された第 70 回東海公衆衛生学会学術大会の大会長を務めさせていただきました。本市職員と名古屋市立大学の先生方とで準備を進め、猛暑の中、総勢170名の方にご参加いただきありがとうございました。
「平時からの健康危機管理−喉元過ぎていませんか−」をテーマとし、午前中は一般演題、午後は国立感染症研究所 感染症危機管理研究センター長の齋藤智也先生にご講演いただき、続くシンポジウムでは浜松医科大学の尾島先生に座長をお願いして、静岡県、三重県、愛知県、名古屋市からご発表いただきました。
大盛況のため、予定していた講義室Aに加え、名市大の大谷先生が急遽講義室Bにサテライト会場をご準備くださり大変に助かりました。
5年ぶりの完全対面開催となり、各会場で活発な討議がなされ、大変充実した良い大会となりました。改めて、実行委員の皆様に感謝いたします。
一宮市保健所 所長 子安春樹
来し方行く末2
令和3年4月1日から一宮市保健所長をしている子安春樹です。2012年愛知県精神保健福祉センター年報のまえがきに「来し方行く末」という1文を書きました。日本経済新聞朝刊裏表紙のコラム「私の履歴書」を参考に、センター所長になった年までの出来事を経年的にまとめたものです。今回、原稿の依頼をいただいたので、もう少し丁寧に書くことにしました。
私の生まれは昭和26年2月5日、日本がサンフランシスコ平和条約に調印した年です。2月3日は立春、4日が節分、5日は暦の上では春、1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞されていたので、「樹」の字をいただいて、春樹と名付けられたそうです。岐阜県大垣市船町に生まれました。船町には江戸時代の俳聖、松尾芭蕉の「奥の細道結びの地」の句碑や彫像があります。当時を再現した船町港の灯台や川船もあります。芭蕉は江戸を出立して東北各地で名句を残し、日本海側を通って中山道経由で大垣に至り、川船で桑名まで南下し、そこから大型船に乗り換えて帰京したそうです。街の中心部には再建された大垣城があります。1600年の関ヶ原の戦いのとき、最初関西から進出した西軍が入場し、その後西軍が関ヶ原までひいてから、東軍が入場して兵糧を整えたそうです。関ケ原は時に冬の積雪で東海道新幹線の徐行運転でダイヤが乱れるもとになります。最近は地球温暖化なのかあまり太平洋側では積雪がありません。以前は伊吹山の頂上に日本海側の雪雲がかかると、関ケ原50cm、大垣30cm、一宮10cm、名古屋5cm、知多郡武豊町で粉雪が舞うという伊吹おろし沿いの現象がよく見られました。私の母親は一宮市宮町(現 栄)で生まれて一宮女学校(現 愛知県立一宮高校)を卒業したそうです。昭和の初年ごろには、今の一宮駅付近から保健所の横あたりを通って通学していたのかもしれません。今回、一宮市に就職できたのも、母親の縁と、中野市長、福井副市長のご厚意と感謝しています。
私の通ったのは、大垣市立西保育園、西小学校、西中学校、岐阜県立大垣北高校、信州大学医学部医学科です。小学校時代はまだテレビの普及前で、毎朝登校時になると自宅の前に出て遠くに見える伊吹山の頂上を見て、雲が懸かっていれば早晩雨か雪が降るので傘を持ち、くっきり見えれば快晴で傘不要という調子でした。中学校時代の同級生に竹中裕紀君がいました。穏やかで沈着冷静、クラス中の人から頼りにされる存在でした。彼は地元の揖斐川電気工業に入り、社長として会社を世界に雄飛するイビデン(東証一部上場)に育て上げたと、日経新聞に紹介されていました。中学生くらいの時の印象は「当たらずとも遠からず」だとその記事を読んで感じました。北高1年のクラスメートに、令和3年3月まで大垣市長をしていた小川敏君がいます。入学当初から東大志望で、「凄い人がいるものだ」と感心しました。私たちの大学受験は安田講堂事件の影響で、第2次大戦中を除いて唯一東大入試が中止となった時でした。彼は京大に入学し、翌年に東大に入学したと風の便りに聞きました。「初志貫徹」とはこういうことを言うのだと改めて感心しました。信州大学医学部は、奇しくも令和3年4月に一宮市と一緒に中核市になった長野県松本市にあります。信州大学の前身旧制松本高校の卒業生に、精神科医で小説家の北杜夫(本名齋藤宗吉、父茂吉、兄茂太)がいます。昆虫学と日本アルプスに関心が強く松本に進学されたそうです。私の場合は医学部入試の配点が私向きだったという単純な理由です。
松本は2月の最低気温がマイナス15度になる冷え込みの厳しい盆地です。国宝松本城や常念岳を仰ぎ見ながら、何とか6年間勉強しました。医学部時代の今でも記憶に残っていることを3点書きます。精神医学講座の助教授は神経症が専門で「物言わぬは腹膨るる技なり」が教えでした。言いたいことも言わず我慢していると、いずれストレスからくる心身症、適応障害、神経症、うつ病になるという意味です。この教えは現在も座右の銘にしています。第3内科(神経内科)の特別講義で新潟大学椿教授のスモンSMON SubacuteMyeroOpticoNeuropathyの講演を聞きました。当時スモンは原因不明の奇病として様々な原因病因が言われていました。椿先生のグループは、スモン患者の地勢学的発生率と、キノホルムの出荷量が比例すること、又、経年的にも患者発生数と出荷量が比例することを疫学的手法で解明されました。その時のスライドは今でもよく覚えています。スモンは日本の薬害第1号として、特定疾患医療給付の端緒になりました。小児科の病棟には、長野県全域から白血病悪性腫瘍の子供たちが入院していました。当時の化学療法は寛解率が低く子供たちは短命で、子供好きで入職した看護師さんたちが辛くて早期離職してしまうと聞きました。最近の池江璃花子さんの活躍とは隔世の感があります。
愛知県瀬戸保健所 所長 澁谷いづみ
日本公衆衛生学会総会の自由集会に参画して
2024年晩秋、札幌の第83回日本公衆衛生学会総会初日の自由集会にファシリテーターとして参画しました。名古屋は10月に入っても暑さがなかなかやわらがず、時折新幹線から見る富士山も初冠雪が遅いようでしたが、札幌は既に紅葉が見られました。
「災害時における公衆衛生関係職種が連携した栄養・食支援を考える」シンポジウム形式の自由集会でしたが、全国保健所長会のDHEAT活動、全国保健師長会の統括保健師から管理栄養士への期待、大学院歯学研究科の歯科口腔保健活動の連携、能登半島地震の栄養士実践活動報告など「充実した自由集会だったな」と思い返しながら、まだまだ我々やるべきことがあると思える交流でした。
全国学会は普段お目に係れない大学等の著名な先生方に直接お会いできディスカッションできる機会です。特に自由集会は期待できます。願わくば来年度以降は資格単位取得のプログラムと時間が重ならない組み立てを希望します。
10月30日、札幌からの帰路、めったに見られない上空からの富士山も夏山の様子でした。(全国保健所栄養士会会長の弁、自由集会の資料はホームページに資料掲載を検討するとのことでした。)久しぶりの再会や多くの意見交換ができたこと、そして富士山が見られたことに感謝しました。
外宮の杜クリニック 副院長 鈴木まき
皆さま、こんにちは。現在は夫の開業に伴いクリニックでワクチンや健診業務、発熱外来などをして毎日過ごしています。(診療より運営の下支えの雑務のほうが多い感じです)公衆衛生活動は、三重大学、日本大学の非常勤講師として医学部学生への講義、地元の看護学校の講義もしています。
この原稿を書いているのは12月1日です。昨日、市の特定健康診査、がん検診等が無事終了しました。11月末は当日駆け込みの健診希望者が多く忙しく診療業務をしていましたが、ホッとしました。
今回、特定健康診査を当院で実施するにあたり、これまで健診業務の経験のない事務職員からは、仕事の忙しさの中で「なぜ健診をするのですか」と質問がありました。
たしかに「持病があり通院中のかかりつけの患者さん」が、市のクーポン券をもって健診を受診することは、2次予防の早期発見、早期治療とは少し違うのかもしれません。しかしながら通常の保険診療では、治療中の病気に関わる検査しかできません。定期的に健診を受けることは、治療中の病気以外の検査も実施することができ(実際に持病以外の病気が健診で発見されることもあり)患者さんのためになることだ、と話しました。
衛生行政の世界では当たり前に思っていたことも、とらえ方の違いがあるものだと日々感じています。今後も変わらぬご指導、ご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
浜松医科大学医学部地域医療支援学講座 特任教授 竹内浩視
「静かな退職(Quiet Quitting)」から思うこと
最近、「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉をよく聞くようになりました。「仕事と生活を切り分けて、(怠惰や逃避ではなく)淡々と業務をこなす」働き方を指しますが、今の中学生から30歳頃までの「Z世代」を中心に共感を呼んでいるようです。「Z世代」は「デジタルネイティブ世代」で、「コスパ・タイパ優先」で日常生活をスマホで完結させている世代でもあります。
今から15年後の2040年頃、我が国の高齢者人口はピークを迎えますが、静岡県の90歳以上人口は約15万人と推計(社人研)され、現在の磐田市の総人口に匹敵します。その一方、90歳以上の認知症有病率64%(AMEDコホート研究)、要介護認定率68%(介護保険事業状況報告)というデータには、一瞬言葉を失います。
人生で最も活力のある20代後半から40代半ばにこのような状況に対峙することになるZ世代を思うと、覚悟を持って全世代で支え合う社会保障制度にしておくことが、今の中高年に求められていることではないかと考える日々です。
静岡社会健康医学大学院大学 教授 田原康玄
静岡社会健康医学大学院大学の田原康玄です。今年度から理事に就任いたしました。私が所属する静岡社会健康医学大学院大学は、公衆衛生を専門に学ぶ公衆衛生大学院(School of Public Health)です。正しいエビデンスを導くための疫学や統計学、エビデンスを社会に実装するためのヘルスコミュニケーション学や政策学等を学ぶことで、社会に潜む健康課題の解決に貢献する人材を育成しています。東海公衆衛生学会は、日頃の研究や健康づくり活動の成果の発表・討論の場を提供することで、公衆衛生学の深化と人材の育成に努められてきました。理事就任をきっかけに、同じベクトルを向く学会と歩みを共にして東海地区の公衆衛生の向上と人材育成に努めていく所存ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
名古屋市保健所 名東保健センター 所長 細野晃弘
名古屋市で地方公務員をしております、評議員1年生の細野晃弘です。
地域の未来に向けて色々とレールを引かねばならぬなぁと思っていましたら、気づけば学部卒業が四半世紀も前になり、自分の終活レールを引くことを本格化せねばならぬ年嵩です。
の「ナントカ活」、いつ頃発生したのか調べてみました。
おそらく最古参の就活が朝日新聞に初めて登場したのが1999年でした。婚活は2007年に週刊誌特集で使用されたのが始まりだそうです。当時の平均初婚年齢は夫30.1妻28.3歳で、2023年はそれぞれ31.1歳と29.7歳となり、婚活期間は後方に伸びたようです。
これからコトバはさらに生み出されたり意味が変わったりするでしょう。そうなるとコトバをもとにした調査票調査が難しくなり、または心血を注いだ研究をもとに作った調査票の寿命が短くなりそうな気がします。
公衆衛生は実態調査を抜きには語れない学問なので、このへん重大な問題だと思います。次の四半世紀がどういう調査メソッドと共にあるか、自身の終活を進めつつ、皆様と楽しんで仕事をしたいと思います。
愛知学院大学健康科学部健康栄養学科 教授 渡邉智之
昨年度より東海公衆衛生雑誌の編集委員長を務めさせていただいておりますが、この間、新体制への移行ということで雑誌の発行時期の変更等、東海公衆衛生雑誌として一つの「変化」を遂げました。一方で、「投稿論文支援者制度」についても、実際にはまだ実例がなく、制度として十分機能していない等といった課題も残されておりますので、皆様と一緒に知恵を出し合って良い制度にしていきたいと思っております。
また、最近では「査読が厳しくなった」という声を聞くことがあります。しかし、初学者の登竜門というスタンスで、委員をはじめとする査読者の先生方に丁寧に査読をしていただいているおかげで、初稿とは見違えるほど良い論文に生まれ変わっています。単に厳しいだけでなく、良い論文を世に出したいという「愛のある厳しさ」だと思って是非、チャレンジしていただければと思います。
今年度で編集委員長の任期は終了しますが、これまでと変わらず東海公衆衛生学会の発展に少しでも寄与できればと思っております。
東海公衆衛生学会 2024 評議員意見交換会
2024年7月6日(土)の第70回学術大会にて、34名の評議員、理事の皆様にご出席を賜り、「評議員意見交換会」を開催いたしました。意見交換会では、八谷理事長、小嶋理事(第70回大会長)、尾島評議員(前理事長)よりご挨拶をいただき、その後、八谷理事長より学会運営、事業計画についての説明の後、出席役員全員から順番に自己紹介&一言を述べていただきました。また、ご出席の皆様に付箋を配布して、学会、意見交換会へのメッセージや感想を書いていただくようお願いし、26名の方々より付箋にコメントをいただきました。
付箋コメント
事務局通信
事務局スタッフ 渡邉優子
2024年7月6日の第70回学術大会は、名古屋市立大学にて久しぶりに対面のみで開催され、とても沢山の皆様にご参加いただきました。大会事務局の皆様、参加された皆様、本当にありがとうございました。ご尽力とご協力に心より感謝申し上げます。
さて、先日、友人と10年ぶりに伊勢神宮に行きました。平日だったせいか、観光客も少なくお天気にも恵まれ、澄んだ空気と静寂の中、清々しい気持ちでゆっくりと参拝することが出来ました。コロナが少し治ったとはいえ、今年は元旦から大きな地震があり、巷では粗暴な犯罪が多発し、世界では戦争が続き、心を痛めた出来事の多い一年でした。何気ない日常がいかに大切か、笑顔で元気に暮らせることに本当に感謝です。
来年が心穏やかで平和な1年となりますように!今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
事務局からのお知らせ
第71回東海公衆衛生学会学術大会
開催日:2025年7月5日(土)9時30分〜16時30分
会場:じゅうろくプラザ(〒500-8856岐阜県岐阜市橋本町1丁目10-11)
大会長:丹藤昌治(岐阜県健康福祉部長)
メインテーマ:「官学連携による公衆衛生の実践」
演題募集:2025年4月頃開始予定
東海公衆衛生雑誌
2025年度の投稿募集開始は、2025年4月中旬頃を予定しております。(詳細はホームページ、メールでお知らせいたします)
投稿規定2025は4月初旬に学会ホームページに掲載いたしますので、投稿規定をご覧いただき、ふるってご投稿くださいますようお願い申し上げます。
さて、学会通信お楽しみいただけましたでしょうか。
学会通信に関するご意見、ご感想等がございましたら、是非事務局までお寄せ下さい。
各理事、評議員へのご質問・ご相談も承ります。
また、東海公衆衛生学会の活動全般、学術大会のあり方等への要望などもお待ちしております。
東海公衆衛生学会事務局:名古屋大学大学院医学系研究科予防医学内
〒466-8550 名古屋市昭和区鶴舞町65
Tel: 052-744-2132 Fax: 052-744-2971
E-mail: tokai-ph@med.nagoya-u.ac.jp
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