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厚生労働科学研究費補助金(厚生労働科学特別研究事業)
医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究

第7回班会議 会議録


日時:平成21年1月28日(水)17:00−19:10
場所:国際会議場(国立がんセンター築地キャンパス内 国際研究交流会館3階)
出席:土屋(進行)、海野、江口、岡井、葛西、阪井、山田、渡辺
    東京大学医学部学生
    慶應義塾大学医学部学生

発言者 発言内容 進行・要旨
○土屋
開催挨拶
今回の進め方
海外調査研究の進捗
皆さん、こんばんは。時間になりましたので、厚生労働科学研究費補助金による「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究」班の第7回の班会議を行います。

今日は、事前にご連絡しましたように、「医学生の視点から見た医師臨床研修制度のあり方について」ということで、2つのグループからご報告をいただきます。我々と比べるとかなり年代が若い方たちですので、若い熱気の中でいろいろお聞きしたいと思っております。

開催挨拶
各報告を約15分で行っていただいて、続けてお聞きをして、その上で班員の皆さん、あるいは会場のほうからご質問を受けたいと思います。

不慣れでもの足りないところはあるかもしれませんが、若い方ということでお許しをいただければと思います。ただ、教育研修の班ですので、一応ストップウオッチを持ってきましたので、10分で予鈴を鳴らして、15分でおさめるようにと、時間厳守も教育のうちですので、厳格にいきたいと思います。

今回の進め方
今回までにいくつか動きがありました。班員の先生方にはその都度ご連絡していると思いますが、特に海外の事情について、その支援のシステム、後期研修についてどういう機関がコントロールをし、また、そのファンディング、予算的な裏付けはどうなっているか、あるいはそういう組織の陣容はどうなっているかということを詳しく調べたいということで、マッキンゼー・アンド・カンパニーに委託をしまして、1回は多くの班員の方にご参加願って、ヨーロッパ側の方にはロンドンのオフィスに集まっていただいて、資料を見ながらご説明を受けました。

また、昨日、私と渡邊でまたマッキンゼーに出向いて、ロンドンとつないでいただいて、さらにいろいろご助言をいただいたということがありましたので、その経緯を渡邊から簡単にご報告いたします。それから、昨日の資料は班員の皆様にはテンタティブ(暫定的)なものをお渡ししてありますが、いずれもう少しまとまった上で公開ができるようにと思っております。

では渡邊先生、お願いします。

海外調査研究の進捗
○渡邊(事務局)
海外調査研究の進捗報告
事務局の渡邊でございます。昨日、マッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパンで、特にヨーロッパにおける総合医・家庭医、専門医研修の制度の仕組みについて、各国の例を学ぶとともに、我が国でそれを適用するとしたらどういったモデルが可能かということについて、ディスカッションをしてまいりました。

アメリカについてはACGMEとACCMEから情報を得られますが、特にヨーロッパのイギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、そしてカナダなど、いろいろな国の実情に応じた専門医なり総合医・家庭医師の研修システムが動いているということで、特に具体的に制度として動かしていくためにはどのくらいの位置づけが必要なのかと。つまり、ファンドがどこから、お金がどこから出ているか、権限はどういった形で移譲されているのか、その具体的な仕組みを機能させるにはどうすればいいのか、そういうことについて実際の保健・医療政策を動かしていらっしゃる方のご意見も含めて、かなり幅広い議論を行ってまいりました。

それを踏まえて、我が国でどういう形で総合医・家庭医・専門医ということを制度として動かしていけばよいのか、いかに国民の方にわかりやすい形で専門医の資質というものを示していき、それを運営し、ある程度定期的にそれを見直していくか、といった議論をしてまいりました。議論の中身については本日の資料に含めておりますが、具体的なところについてはまた班員の先生方のご意見をいただきながら進めていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。以上です。

海外調査研究の進捗報告
○土屋
我が国の実情に応じた提言の必要性
本日の議題
どうもありがとうございました。各国、事情が違いますので、そのまま導入というのはもちろん無理ですので、その辺を踏まえて、我が国特有なものをどのように提言していったらよろしいか、また、既存の我が国の仕組みがありますので、それとの移行をスムーズにやるにはどうしたらいいかといったところまで、かなり踏み込んだ報告書ができればと思っておりますので、今のような作業を続けております。

昨日の討論内容そのほかも含めてあらためて整理をしたところで、班員の先生方にはお配りをしたいと思っております。

我が国の実情に応じた提言の必要性
それでは、早速、本日の議題に入りたいと思います。

1つ目は、「日本の専門医制度の調査から」です。では、よろしくお願いいたします。

本日の議題
○森田(東京大学)
挨拶
理想の医師像とは
医師へのインタビュー
医学生の時代背景
知的な刺激を受ける「場」としての大学
現場で得られる教育
自主性に応じたカリキュラムの提案
卒後研修、専門医制度における臨床経験と研究のジレンマ
1人の医師を育てる観点での卒後教育のとらえ方
こんにちは。医師のキャリアパスを考える医学生の会の事務局をさせていただいております、東京大学医学部3年の森田知宏と申します。今回、専門医制度についてということですが、医師の教育という考え方で、卒前から卒後まで、一人前のお医者さんになるまでという考えで、卒前の教育も含めて考えてまいりました。

挨拶
まず、私たちが考える「いいお医者さん」という定義を考えたところ、理想のお医者さんは、「うまい」「えらい」「つよい」、単純にこの3つに絞って考えてみました。

理想の医師像とは
「うまい」というのは、臨床の腕がいいだとか、患者さんへの思いやりがあるだとかで、「えらい」というのは、日本の医療を代表する先生方、自らの意見を発信する大きな影響力がある、「つよい」というのは、自分が正しいと思うことをリスクをとって訴えていく、そのようなことを考えております。そして、このような先生方の例として、土屋先生、嘉山(孝正)先生(山形大学医学部長)、小松秀樹先生(虎の門病院泌尿器科部長)などを考えてみました。そして、私たちはこの3名の先生方に最近インタビューを行いました。

医師へのインタビュー
この先生方の学生時代の時代背景ですが、東京オリンピックがあったりとか、土屋先生が在学中は高度経済成長の真っただ中ということで、右肩上がりの時代でありました。そのうち、医学部から始まった東大紛争が広がりまして、小松秀樹先生は東大紛争より世代が少し下になるようでして、嘉山先生は東大紛争のおかげで東大入試がなくなってしまって、東大に行けなくなったと、今でもご自分でおっしゃっております。

土屋先生の場合ですが、在学中に学生紛争真っただ中になってしまって、2年間、授業がなくなってしまったと。その間、学生の中でクラス討論を行って、グループ勉強会などでご自分の能力を培っていったと。その後、慶應医学部を卒業後、慶應大学の医局には入局したものの、1日も行かずに外病院で働くと。その後、指導者に恵まれ、ご自分でも研さんを積み、今のがんセンター院長にまで上りつめられたということです。
嘉山先生ですが、在学中はひたすら医学書をあさるという、今でいうと「まじめ」になると思いますけれど、論文を執筆したりとか、すばらしいまじめな大学時代を送られておられました。
小松秀樹先生も、在学中は講義にはほとんど出席せず、読書、登山に明け暮れる日々で、山からいろいろな能力を得て、本からもさまざまな知識を得る機会があったということです。

このように3名の方々を見てみますと、講義とは離れた場所での活動、土屋先生の場合ですと友だちとのグループディスカッションですとか、嘉山先生ですとご自分で医学書を読みあさる、小松秀樹先生ですと読書や登山。そのようにやりたいと思ったことは三者三様ですけれど、結局、重要なのは、講義とは離れた場所での活動なのではないかと私たちは考えました。

医学生の時代背景
私たちの場合、大学で何をしたいかを考えてみます。

大学というのを、人から刺激を受ける場所ととらえました。そうすると、身近な人という例をざっと挙げてみると、こうなります。先生や上司など、それぞれの人の場を考えてみますと、例えば、大学生の場合は上司ですとバイトということになると思います。そして、親・兄弟だと家庭、歴史上の人物となりますと読書から経験を積みます。そして、OB、後輩、友だちとなりますと、部活、勉強会など。そして、これは大学の特徴だと思いますけれど、講義や先生の研究室などに行って、先生と接することで刺激を受けるものだと思いました。

しかし、このように知的な刺激を受ける場というのは多いものですけれど、実情は1日の大半を講義に割かれてしまう。これは医学の細分化によって講義がどんどん増えてきたということも多分あるのですが、実際、今の講義というものをとらえてみた場合、講義で得られるものを、医学知識、そして先生の体験ととらえました。

知的な刺激を受ける「場」としての大学
そうすると、知識というのは、これまでは外国語の教科書しかなかったりで、文献がなかった時代だったのですが、今では割と日本語の教科書も出回っておりますし、最新の論文もウェブ検索で手に入ります。土屋先生もいつもおっしゃっていますように、テキストベースのものは家でも勉強できると。
それから、先生との体験ですが、これは先生と接することでしか手に入らないものですね。でも、実体験であれば、講義よりも現場に行ったほうがいいと僕は考えます。

そこで、例えば僕がこれまでやってきたことですけれど、放射線医学見学ツアーというのは、土屋先生のご協力のもとに稲毛(いなげ)の放射線医学研究所を見学したり、医学生の会の勉強会ではさまざまな先生をお呼びして勉強会を開いたりしました。この右下は昨日の様子ですが、徹夜でこのような発表の場に向けて準備を行いました。後で研究室で論文を書かせていただくなど、このようなことも教育だととらえていいのではないかと思います。

現場で得られる教育
しかし、現在のカリキュラムは、このように必修がずっと続いておりまして、なかなかそのように時間を割く機会がないんですね。

そこで、ここで新カリキュラムというのを考えてみます。ここで考えるのは、必修はテストのみとしまして、今までの講義に参加しなければならないという概念を少し取っ払ってしまって、講義というのは先生による知的刺激を受ける場と考えますと、知的刺激を受ける場であれば、自分からそのような場所に出向くことで手に入るものだと僕は思いますので、講義に参加する、しないというのは、学生の自主性にゆだねてもいいのではないか、と思います。そうすると、医学生はこれまで1・2年生は基礎医学をやって、3・4年生は臨床のテストをやると、このように決まっていたわけですが、自分の問題意識によって、このようなプログラムをつくることも可能になります。

例えば、グループ学習を重視するのであれば、このようにプログラムを組みますと、講義でポイントをつかんだ後は、自分で自分をナビゲートして、後は友だちとのグループ学習で勉強していくだとか、自習をずっとしたいというのであれば、徹底的に医学書を読みあさる。例えば、この場合は医療現場に行くということで、学生だけでクリニックを立ち上げるという、コラボクリニックという例もございます。これはさまざまな先生方が学生のために動いてくださるという大変貴重な経験だと思いますので、このようなことも大学教育としてとらえてもいいのではないかと思います。

そして、部活をやるという場では、部活でさまざまなことも身につきますし、読書をすることでいろいろな知識の幅も広がる。

なぜこのようなことを申し上げるかといいますと、結局、いいお医者さんになるためにはいろいろな体験をすることが必要だと思います。それは大学卒業前でも卒業後でも多分そんなに変わりはないのではないかと思います。そして、そのためにはさまざまな先生方の協力が不可欠です。

そして、このような活動をすることによって、いろいろ講義では得られないものが手に入るんですね。これはおそらくお医者さんになった上でも役に立たないことは絶対ないと思います。

そして、提言ですけれど、講義を今までは教育としてとらえていたのですが、学生が自主的にやる勉強会とか研究室に出向くとか、部活もそうですけれど、そのようなことを教育としてとらえてもいいのではないかと考えます。

自主性に応じたカリキュラムの提案
そこで、卒後について少し述べさせていただきたいと思います。

実際、医学生にとって卒業後といいますと、なかなか実感を伴わない。理解が不十分なんですね。ネットとかで情報は手に入るのですけれど、なかなか実感が伴わない。したがって、専門医制度について何か言うとなりますと、実感を伴ったことは言いにくいものがあります。

しかし、ここで若手のお医者さんにヒアリングを行ったところ、後期研修なんていうものはないのだと、ただ働くだけなのだと。その先生がおっしゃるには、お医者さんの人生において、ある程度自分で手が動いたり、一人前に近づいていくとジレンマを抱えるようになると。そのジレンマとは何かといいますと、例えば論文を書くとかのアカデミックな道とか、そのまま臨床経験を積むとか、こういう2つのバランスでお医者さんは生きているのだと、その先生はおっしゃっておりました。

このような現場の意見から、結局、その先生はジレンマを抱えて生きているということでしたが、そのジレンマの中で専門医制度をどうとらえていくかということが非常に重要だと考えております。

卒後研修、専門医制度における臨床経験と研究のジレンマ
今回は卒前をメインにした感じもありますが、お医者さんというのは、入学前からお医者さんとして育つ教育を受けていると考えるのは、少し言い過ぎになりますでしょうか。

そして、この僕たちにとってあいまいな卒後というものを、人生を一つの流れとした上で、学部教育、卒前・卒後教育というような分け方はあえてせずに、1人のお医者さんを育てるという観点で卒後教育を考え、そのシステムを構築していく必要があると我々は考えます。

ご清聴、ありがとうございました。

1人の医師を育てる観点での卒後教育のとらえ方
○土屋 時間内で、ご苦労さまでした。

それでは、質問は後でまとめてということで、次の発表をお願いします。

 
○大西(慶應義塾大学)
挨拶と米国の家庭医の要点
予防を含めた包括的な視点とグループ診療
米国におけるプライマリケア医の役割とプライマリケアの定義
プライマリケアを担う専門家
家庭医と総合内科医の違い
家庭医の現状
健康診断と医療の連続性
家庭医による診療の利点
家庭医によるグループ診療の利点
米国家庭医療学会の研修ガイドラインと日本の家庭医への提言
それでは、これから慶應の発表を始めさせていただきます。慶應は、3班に分けて発表させていただきます。

まず、アメリカ班として私が代表で研究したことについて発表させていただきます。私は、慶應大学医学部4年の大西です。よろしくお願いします。

Take Home Messageです。これは今回たくさん情報がある中で、しっかり家に持って帰ってほしいという情報を1枚のスライドにまとめてみました。

家庭医は専門家であるということですが、ここはアメリカの家庭医ですけれど、家庭医はしっかりと、男女を問わず、年齢を問わず、臓器を問わず診るという教育を受けた専門家であるということ、これをしっかり覚えて帰ってください。

挨拶と米国の家庭医の要点
また、1つのポイントとして、アメリカの家庭医療から学べること、私が調査した上で大きく2つ学べることがあると思いました。

1つ目は、健康診断から、予防・治療という流れを家庭医がすべて診ているという、この流れを切り離されない。家庭医が包括的に診ているということ、これが1つのキーポイントです。2つ目は、グループ診療を行っているということです。グループ診療を行うことで効率的に医療が行われている。この2つの点を皆さんにしっかり覚えていただきたく思って、1枚のスライドにしました。

予防を含めた包括的な視点とグループ診療
それでは、話を始めていきます。

まず、アメリカにはたくさんの医療保険があるのですが、最初にかかりつけのプライマリケア医にかかります。それはなぜかというと、そちらのほうが患者の健康増進につながるからです。そして、結果的にそれは費用対効果にすぐれているとも言えます。

それでは、プライマリケアとは何か。プライマリケアの定義は、原文では長文だったのですが、私が重要なところだけピックアップさせていただきました。簡単に説明しますと、男女を問わず、年齢を問わず、臓器を問わず、さまざまな環境で、健康増進から予防、そして治療まで、医療のニーズの大部分を担う、それがプライマリケアですという定義です。そして、それはかかりつけ医によって行われます。ただ、ときにかかりつけ医が自分の医療の範囲を超えるとき、そのときはほかの専門家と協力して、相談して行っていきます。これがプライマリケアです。

米国におけるプライマリケア医の役割とプライマリケアの定義
さて、アメリカでは、プライマリケアと呼ばれる3つの専門家があります。家庭医、総合内科医、総合小児科医です。割合はこちらのようになっています。ただ、この中で、家庭医療が最も理想のプライマリケアに近いとされています。なぜならば、年齢、性、臓器、疾患、症状を問わずに診れるところ、そしてもう1つ、患者の生物医学的背景だけではなく、社会心理学的背景も組み入れて診ることができるからです。

プライマリケアを担う専門家
具体的に、総合内科医と家庭医は何が違うのかをピックアップしてみました。例えば診療対象ですが、内科は成人患者しか診れませんが、家庭医は成人患者だけでなく、小児も診ることができます。また、産婦人科領域において家庭医は出産を扱うことができます、内科ではもちろん扱いません。

それでは、家庭医の仕事を、抽象的になってしまいますけれど挙げてみました。予防、治療、そして老若男女に対してと、何でもありなんですね。例えば、看取り医療もやれば、小児の健康と発達のケアもやる、マタニティケアもやる、何でもありなんです。これをちゃんと専門の教育として、3年間を用いてしっかり勉強します。

家庭医と総合内科医の違い
では、具体的なデータを交えて家庭医の現状について説明していきます。

アメリカでは、現在医師数は約72万人いますが、その中で、アクティブに家庭医として働いているのは6万810人います。男女の内訳はこちらの表のとおりになっております。収入ですが、家庭医の収入は年平均16万ドルとなっています。

家庭医の現状
患者が家庭医にかかる理由のトップ10です。一般健診と小児健診をあわせて、健康診断が大きなウエート(比重)を占めているというのがおわかりになると思います。それはなぜか。健康診断と医療行為が家庭医によってしっかり連続して行われているからです。

わかりやすい例として、私の兄の例を挙げさせていただきます。私の兄は会社員ですけれど、会社で1年に1回健康診断を受けるんです。そして、早期診断結果が1枚の紙で家に送られてきます。そうすると、兄の健康診断ではペプシノーゲンの値がちょっと悪くて、「胃の萎縮(いしゅく)が見られる可能性があります。だから、1年以内にどこかの機関で精密な検査を受けてくださいね」ということが書いてあるだけなんです。これがまず1つ目の問題点だと思うのですが、もう投げっぱなしなんですね。健診を受けて、何か悪いところがある。1年以内にどこかで診てくださいねと。どこで診るかもわからないですし、1年間、いつ診るのかもわからないまま、結局、兄は忙しかったりしたら、来年の健康診断まで何も受けないということもあるわけです。

それで、うちの兄はどうしたかといいますと、じゃあ、弟が慶應大学で勉強しているから、慶應病院に行こうと。ただ胃の萎縮が見られるかもしれないだけなのに、慶應大学医学部の消化器内科で胃カメラをしたんです。これも現在、日本の医療の問題になっていると思うのですが、大学病院の専門家がただの胃の萎縮をチェックするために時間を使って診ると。これはもちろん日本のフリーアクセスのいいところなんですけれど、では、アメリカではどうなるか。

アメリカでは、そういうちょっとした健診からフィードバックまで家庭医が行うので、「あなたは胃の萎縮が見られる可能性がありますね。じゃあ、胃カメラをしましょうか」というのを全部家庭医が言います。そして、もしその家庭医が胃カメラをできない、そういうちょっと小さなクリニックだったとしても、「じゃあ、そういうオーダーを入れておきます」ということで、しっかりそのオーダーを入れるのも全部家庭医がやってくれます。

健康診断と医療の連続性
また、ずっと家庭医にかかる利点というのは、1年健診を受けて、その後、次の1年まで、自分はちょこちょこ風邪をひいても家庭医にかかりますし、何でも家庭医にかかるので、データが蓄積していくんです。そして、次に健診を受けるときまでには、この健診項目は必要だ、この健診項目は必要ではないと、そのように健診項目をカスタマイズ(最適化)してもらえるんです。これは自分なりにカスタマイズされます。それが行われると、受診者のほうも、自分なりにカスタマイズされると、「これは自分のためにある健康診断なのだ」ということで、健康診断を受けようという気になるんですね。

また、健康診断の受診率を上げるために、アメリカではリマインダーというのをやっています。このリマインダーというのは、健康診断を受ける月が近づいてきたりすると、「あなたは何月何日に予約が入っていますよ」と手紙やメールやらで連絡が来ます。そして、その前日などにも連絡が来て、もしその日に受けなかったとしたら、「あなたは受けていないので、受けてください」というリマインダーが来るんです。これをリマインドさせてくれる。そういうふうにしっかり健診をする仕組みができ上がっています。

家庭医による診療の利点
次に、家庭医の診療についての話をします。

個人診療は16.8%しかいません。ほとんどが2人組以上のグループを組んで診療を行っています。それはなぜかといいますと、グループで診療をすることに利点があるから、そちらのほうがより効果的な医療行為が行われるからなんですね。では、グループ診療の利点とは何なのか。1人の医師にかかる負担を軽減することができます。日本では1人で開業するのが基本なので、これでもし夜間の電話相談や、あるいは休日の自分の診ていた高齢者の方が突然悪化したときに対応するとしたら、1人で全部やるのは体がもちません。しかし、グループにすれば、夜間の電話相談をグループでローテーションを組んでする。休日の医療もローテーションを組んでする。そうすることによって、医療の質の向上が図れるのではないか。また、グループで医療を行えば、お互いの知識を高め合うこともできるのではないか。それも1つの利点なのではないかということが言えます。

家庭医によるグループ診療の利点
さて、Take Home Messageにあることも言ったので、まとめに入っていきますが、こちらはアメリカの家庭医療学会の研修ガイドラインですけれど、健康診断によってどのようにフィードバックをするか、そういうこともちゃんと教育に含まれています。例えば、18番のヘルスプロモーションと疾病予防、32番の診療所での検査──患者の健康診断を受けてどのようにフィードバックするかという教育ですね。または、29番の診療所の業務管理──どのようにグループ診療を行うか。こういうこともちゃんと教育で学びます。

最後のスライドです。もう一度同じTake Home Messageのスライドですけれど、家庭医は専門家として、先ほどこちらに出したような、男女を問わず、性別を問わず、臓器を問わず、そのような疾患をしっかり診れるような教育と、それだけではなく、連携もとれるように、健康管理もしっかりフィードバックできるような専門家としての教育を受けています。

そして、アメリカの家庭医療からぜひとも日本の家庭医に取り入れてほしいことは、健康診断から予防・治療のほうへ連続して、そして効率的なグループ診療まで。ここをぜひ取り入れてほしいと私は思いました。

以上です。

米国家庭医療学会の研修ガイドラインと日本の家庭医への提言
○川ア(慶應義塾大学)
挨拶とイギリスの医療制度の概観
NHSによる皆保険制度
プライマリケア重視
医療システムへの第三者機関の参画
GP(英国における家庭医)による医療の実際
イギリスの医療制度の問題点
イギリス医療から学ぶこと
皆さん、こんにちは。慶應大学医学部4年生の川ア健太と申します。アメリカ班に続いて、欧州班の発表をさせていただきます。

欧州とアメリカですけれど、完全に制度が異なっていて、頭の中がぐちゃぐちゃになってくると思うのですが、イギリスに関して知っている方は少ないのではないかと思います。アメリカのほうがよりメジャーだと思うのですが、アメリカのほうは保険会社等が絡んでいて、イギリスのほうがむしろ日本とスタイルが似ていて、皆保険制度をとっております。今日の10分間のお話の中でのオーバービュー(概観)ですけれど、まずイギリス独自の医療制度に関してお話しして、その後にGP、そしてそれらの問題点と、イギリスから学べることは何か、ということを順に説明いたします。

挨拶とイギリスの医療制度の概観
まず、イギリス独自の医療制度に関してですが、イギリスはNHS(National Health Service)という皆保険制度を持っております。これは1948年、第二次世界大戦後に設立されまして、世界初と言われておりました。そして、初めのところはうまくいっておりまして、イギリスに住むすべての人々が平等に医療サービスを受ける権利があるということで提供する形となりました。

病院にかかる人たちは、診察時には無料で受けることができまして、それはすべて税金で賄われていました。

NHSのサービスは2つからなっておりまして、1つはプライマリケア、もう1つはセカンダリケアで、これにはアクセス制限がありまして、まず、患者さんは何かおかしいと思った場合には、自分のかかりつけ医、家庭医(GP)にアクセスをして、その後にGPが必要と判断すれば、専門医のほうに、市中病院や大学病院に送られるという形になっております。

NHSについて今日初めてお聞きになった方は、どういうところに位置づけられているのかということがあまりご理解いただけないかもしれませんが、これは日本の厚労省の下にあるようなものでして、いわゆるサービスをする機関ですけれど、その財政状況に関してはすべて税金で賄われておりまして、現在の予算は、日本円に換算するとおよそ12兆円、11兆1,600億円の予算を抱えております。

そのNHSの予算というものを国民1人当たりで割るとおよそ1,500ポンド、1人当たり1年間に約20万円支払えば、自分が医療サービスを受けるごとにお金を支払う必要はないということになっております。20万円払うことによって、1年分の医療サービスがすべて賄われているのだと考えたときに、それが果たして安いのか、それとも高いのかということになりますけれど。

NHSによる皆保険制度
もう1つ特徴として、イギリスは現場を重視しておりまして、プライマリケア、つまり一番初めに患者さんたちに接触する現場に対して非常に重きを置いておりまして、そこに対して予算の80%を費やしております。

NHSの組織図に関してですが、形としては、Department of Health(保健省)という最初にあるところが日本の厚労省に当たるところでして、その下に直属でNHSがあってすべて医療サービスを管理しております。

プライマリケア重視
もう1つ特徴的なものとして、イギリスは第三者機関(The Healthcare Commission:保健医療委員会)というものがありまして、そちらがこの医療のシステムを監視する形になっています。これは完全に独立した機関でありまして、イギリスにおける継続的なヘルスケアサービスの向上を目指すもので、これは完全に政府とも切り離されたものであります。

組織の成り立ちとして、Executive teamとCommissionというものがあって、そのCommissionのメンバーは全部で15名います。その15名のうちの半数は必ず民間人であることで、その人たちは医療関係者やNHSの関係者ではならないとなっています。つまり、完全に外部の第三者という立場から評価ができるようになっています。そして、その会合は定期的に行われておりまして、そこには民間の方も傍聴人として参加することができます。

これが2009年4月1日から変わりまして、3つの関係している団体が、ヘルスケアとソーシャルケアを統括して1カ所で行うことになります。従業員はおよそ2,500人でして、このThe Healthcare Commissionが誕生したのが2004年で、2004年に外部機関から自分たちの医療制度をしっかり監視しようというシステムが立ち上がりまして、実際に医療事故などもここが監査をしているようです。

医療システムへの第三者機関の参画
次に、GP(General Practitioner)に関してのお話をさせていただきます。

GPは、患者さんとNHSの間で医療提供する側の第一線の現場で働く人間でして、まず患者さんが自分のかかりつけのGPにかかるということになっています。

GPの人数は、Royal College of GPというものがございまして、そちらで登録管理しております。GPへの登録に関しては、まず、住民自身が自分の住んでいるところにおいてGPは誰がいるのか、ということを自分で調べて、それで登録をする形になっています。基本的には、終生にわたって同じGPがその人を診るということになっておりますが、もし変更がある場合に、例えば自分が引っ越しをするという場合には、それを次のGPに対して、自分はどこから来てどのGPに診てもらっていたということを教えて、継続性を保つようになっています。GPによるサービスは、このように多岐にわたっております。

診療費用に関しては、基本的にはかかる費用というのはゼロですが、処方箋(せん)の費用が2008年では7ポンド、およそ880円かかるようになっております。税金に関しては17.5%となっております。

GP(英国における家庭医)による医療の実際
最後に、イギリスの医療制度の問題点と、そこから学べることに関して述べたいと思います。

イギリス医療の問題点は、主に3点が挙げられると思います。

1つは、アクセス制限で、自分が何か不調を訴えたときに、必ず自分の登録している家庭医に行かなければいけないということです。

2つ目は、二度払いといいまして、プライベート(私費負担)とパブリック(公的負担)の2つの制度がございまして、プライベートでは私費で診てもらう形になりますので、その場合は税金も払いながらそのプライベートで診てもらう病院にもお金を支払わなければいけないので、2回払ったことになるということです。

3つ目は、ウェイティングリスト(診療待ちリスト)の存在がございます。

受診までの流れですが、かかりつけのGPから専門医までつなぐところの間にウェイティングリストというものが存在します。もちろん医療資源は限られておりまして、その資源の分配には優先順位が必要です。例えば、アメリカなどですと、資金をどれだけ持っているか、その経済力によって差がつくられますが、イギリスにおいては無料ということで一律しておりますので、その場合には優先順位として緊急性を置く必要があり、緊急性の低い人は長く待たなければいけないということが1つの欠点のようです。

イギリスの医療制度の問題点
そして、これらのイギリス医療から3つ申し上げたいと思います。

1つ目は、第三者機関を設立して、医療がうまくいっているかどうかをしっかり監視する。医療問題などの対策にそれで取り組むということです。

2つ目は、患者さんの情報に継続性を持つこと。例えば、いわゆるドクターショッピングと言われる、いろいろな病院に行ってそれぞれでレントゲンを撮ったりCTを撮ったりというのは、コストもかかりますし、時間も無駄になってしまいますので、そういうところでしっかりと引き継いでいけたら、そういうものも節約できるのではないか。

また、アメリカ班も言ったGPの育成というところを3つ目に挙げさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。

イギリス医療から学ぶこと
○吉野(慶應義塾大学)
日本版総合医の考察
総合医が求められる背景
日本における総合医の役割
高齢者の疾病構造
総合医の専門医制度の必要性
総合医の研修プログラム
海外から学ぶ総合医の活用
予防医学の重視
診療情報の一元管理の必要性
グループ医療の推進
第三者機関の必要性
総合医の専門性の確立
全人医療を超える医療を担う総合医
よろしくお願いいします。慶應義塾大学医学部4年の吉野雄大と申します。

最後になりましたけれど、我々からは、日本版総合医ということで、今まで述べましたように、アメリカやイギリスのことを踏まえて、どのような制度を日本版として導入していったらいいのか、ということについて考察したいと思います。

日本版総合医の考察
突然、総合医という話になりましたけれど、なぜ今、総合医が必要なのかということでございます。まず、日本というのは、皆さんご存じのように、ものすごい高齢化社会を迎えております。世界でナンバーワンでございます。これはほかの国々ではどこも経験していないことなんですね。そこでまず1つ挙げられるのが超高齢化社会を迎えているということです。

2つ目は、これもご存じだと思いますけれど、今、神経内科ですとか呼吸器内科、循環器内科といったように、それぞれ内科といっても臓器別の専門医がいるという時代になっております。そのような中、幅広く診れるお医者さんがあまりいないというか、それは大学の話だと思いますけれど、そういうことに関して行き過ぎた臓器別の専門医療があるのではないでしょうか。

最後にもう1つ、地域医療が崩壊しつつあるという現状があります。これに関しましては、医師不足ですとか、地域間の医師の数の格差ですとか、診療科の偏在ということが、ちまたではよく叫ばれております。

総合医が求められる背景
ここで日本版総合医というのは何かということを考えてみます。

1つは、Common disease(一般的な疾患)を診るということで、一般的には風邪ですとか、お年寄りがよくなるような腰痛ですとかひざが痛いですとか、そういう症状を診ることができるようにしたいということです。このような一般的な病気というのは約8割に上ると言われております。本当に専門家が診なければいけない専門的な病気というのは約2割だと言われております。

何よりも前提になりますのは、内科全般を診ることができる総合内科的な役割も求められるのですが、その内科以外の分野、例えば小児科ですとか産婦人科というのは、本当にお医者さんの数も足りなくて困っている科です。あるいは整形外科ですとか、救急なども診れるといいかなと思っております。
さらには、地域"密着型"医療への貢献ということで、地域医療に積極的に貢献できる、それも幅広い分野を診れる総合医だからこその役割だと思います。

日本における総合医の役割
こちらに示しましたデータですけれど、こちらは宮城県のある町のデータです。疾患別にどのくらいあるのかをランキングをしてみたところ、1つは、高血圧の疾患が多い。これは高齢者のデータですから、高血圧になる方が非常に多いということです。

ただし、第2位のところを見てみますと、「症状、兆候及び異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないもの」──要は何かよくわからない、という病気ですが、これが非常に多い。ということは、高齢者にとって大変つらい現状ではないかなと思います。

このように、高齢者というのは、なかなか治りにくい疾患ですとか、1人の方が複数の疾患を抱えるような状態というのがよくあります。さらに、このようにわからない病態があるということで、このような場合には漢方薬などもかなり有効なのではないかなと考えております。

今の医療システムというのは、かなり昔、高度経済成長期という時代にできたようなものですが、そのころは臓器別専門医が最も活躍できた時代だと考えられます。つまりは、感染症中心で、治りやすい病気が中心であった。しかし、今、超高齢化社会を迎えるに当たって、治りにくい病気ですとか複数の疾患を持つ高齢者の病気が多いということで、キュア(身体の治療)よりもケア(介護や看護)が求められる時代になってきているということです。そこで、今の社会のニーズとしては、お医者さんには長く継続的に診てほしいということです。

高齢者の疾病構造
それでは、総合医の専門医制度がなぜ必要なのかを考えてみたいと思います。実際には、今、系統だったトレーニングの機会がないというのが実情です。実際に現場で総合医的な役割を担っているのは、町中の開業医さんですとか、一部の病院のジェネラリストと呼ばれる方々です。ただし、そのような方々もある一定のプログラムにのっとってトレーニングを受けたわけではありません。

あるいは、内科学会が認める総合内科というお医者さんがいますけれど、その場合は内科だけに限られてしまいます。学会ごとに偏らないプログラムをぜひ小児科や産科、救急、整形外科で、そして漢方もぜひ取り入れていただきたいと思います。さらには、透明性の確保を重視すべきであり、国民の皆さんに広く知られなければいけないということだと思います。そういう意味では、信用性もありますし、そのために総合医という領域を確保しなければいけない。さらには、どこにそういう広く診てくれるような総合医というお医者さんがいるのかということを明確に提示しなければいけません。

この後お話ししますけれど、健診とか予防医学の充実のためにも、総合医というのは必要になってきます。

総合医の専門医制度の必要性
さて、総合医の研修プログラムですが、前提となるのは内科的領域で、これは内科を全般的にやることが前提だと思います。さらには、小児科や産科や婦人科、整形外科、心療内科、漢方といった、内科以外の領域も同時に学んでいただきたい。研修をする場所ですけれど、これはいろいろな勤務形態が考えられます。1つは家庭医的なクリニックでの研修、もう1つは今言われているジェネラリストとしての病院での勤務ということが考えられますので、クリニックと病院の両方で研修を積んでいただいて、どちらの役割も学ぶということが必要です。

さらに、これは1つ問題ですけれど、疫学的研究手法とここに書きましたが、今、ジェネラリストの先生方が非常に心配されているのはアカデミックな実績です。今、アカデミックな実績はなかなか出せないということで苦労されているジェネラリストのお医者さんたちはいっぱいいます。今、このような疫学的な研究をするためには、公衆衛生の大学へ行って研究をしなければいけません。その場合に、自分のキャリアというものが途切れてしまいますので、それは好ましくないと思われます。そこで総合医の後期研修のプログラムにはぜひ取り入れていただきたいと思います。

総合医の研修プログラム
さて、先ほどありましたように、イギリスですとかアメリカからのメッセージをとらえてみました。

イギリスからは、データの共有化、第三者機関を設立する、ジェネラルプラクティショナーを養成する。アメリカからは、予防医学を重視せよ、患者さんの継続性を重視せよ、医療のグループ化を推進せよということが挙げられると思います。

どちらかといいますと、イギリスから上がってきましたメッセージとしては、割とマクロな視点、大きな視点から、制度やシステムの問題を指摘している。アメリカの場合ですと、割と患者さん個人個人に対するミクロな視点なのかなと感じております。

海外から学ぶ総合医の活用
海外から学ぶ目指すべき総合医活用法です。

1つ目は、予防医学の重視です。予防医学を行う総合医ということで書きましたけれど、総合医が今後とも予防ということを重視していただきたいと思っております。まさに、「予防にまさる医療なし」ということで、今、医療費がどんどん上がって大変だという時代になっていますが、もちろんここで予防して病気にならなければ医療費も莫大(ばくだい)な量には上がらないわけで、非常に大事だと思います。

さらに、先ほどアメリカ班からの報告もありましたけれど、国民の関心を一番高めるためには、やはり予防というものが大事です。まさに自分の健康に直結してくる予防というものは非常に大事で、ぜひそこを考えていきたいなと思います。

予防医学の重視
さらに、その予防という観点では、患者さんとの継続性が非常に重要になってきます。今は情報というものが非常に不連続で、医療機関同士ですとか、病院内でもなかなか共有されないという状況です。それに関しましては、情報システムを大きな枠で全国的に一元化するですとか、電子カルテを病院間で連携していつでも見られるようにするといったことが重要になってきます。

1つ目の大きなメッセージとしては、日本を医療情報大国にするということがありまして、今の情報システムの一元化ですとか、電子カルテの整合性といったことが当てはまるのですが、生まれてから亡くなるまで、母子手帳に始まり、学童健診、会社での健診などを通じて、その情報を一貫して一元化してデータベース化しておくということで、これは何につながるかといいますと、地域医療のニーズを把握することができます。例えば、心筋梗塞(こうそく)がどこで何人脳梗塞がどこで何人といったように、どういうお医者さんがどこでどのくらい必要なのかということがこれでわかるようになってきます。ということで、これによって医療計画を立てやすくなるということです。さらには、先ほども申しましたけれど、地域で患者さんと何年も関わっていったり、いざ他の病院を紹介するときにデータを共有することでも継続性を担保することができるということが非常に大事になってきます。

診療情報の一元管理の必要性
次に、医療のグループ化です。医療のグループ化におきましては、医療者間でネットワークを形成することが非常に重要と考えています。地域で孤立しないためには、労働環境のネットワークも必要ですけれど、医学知識としてもつながっておく必要があります。最新の情報をメーリングリストなどでやり取りしたり、自分が今まさに受け持っている患者さんの状態でわからないことを1人で抱え込んでしまうのではなく、仲間内で助け合うということが医師の疲弊の解消にもつながると考えています。

また、基幹病院と地域診療所の往復と書きましたが、自分の希望しない勤務地に行ってしまう可能性もあります。ただ、そこで必ず希望する勤務地に戻ってこれるようなシステムづくりも考えています。

それから、先ほどの地域に行く総合医になるメリットとして、地域医療博士の創設ということも考えています。こちらはアカデミックな内容です。

グループ診療の推進
最後に、第三者機関です。第三者機関というのは、先ほどイギリス班から報告がありましたように、医療の質を担保するですとか、実際にちゃんとお金が使われているのか予算を監査する、あるいは、今、医療事故が非常に注目を浴びていますので、そういうものをしっかり調査して事後処理を行う。そういう機関が第三者機関です。ここには医療関係者以外から半数以上が選出されたほうがよいと私も考えます。これはまさに医療版の裁判員制度であると考えていただければわかりやすいかと思います。

第三者機関の必要性
Take Home Messageです。2つあります。

1つは、日本版総合医は専門家として確立すべきである。アメリカ班からの報告にありましたけれど、総合医といったように専門家を確立すべきです。今は、内科ですとか、外科ですとか、小児科、産科といった領域が基本的に独立していると思いますが、それと同じように、総合医として1つの領域として確立すべきです。

予防ですとか治療ですとか、いろいろなシステムづくりという話をしましたけれど、最終的には患者になっていない健康な市民とともに地域に合った医療文化を創造することが大事です。何か1つシステムをつくって、どの地域にも当てはめようとするのは無理な話です。ですから、地域、地域にはそれぞれ特性や個性がありますから、その地域ごとにやっていかなければいけない。そこに医療者と市民が協力して町をつくっていくという考え方です。

総合医の専門性の確立
最後に、全人医療というものが各地で行われていると思いますが、この総合医が担うのは超全人医療だと思うのです。今行われている全人医療を超える医療だと考えてください。この超全人医療というのは、揺りかごから墓場まで診れるというのもありますが、先ほども申しましたように、予防を重視する、健診を重視する、疫学的なデータを出してどのようにすればいいとか、そういったもろもろをやっていって、今の全人医療のさらに上を行くような超全人医療を担えるような総合医というものをぜひつくっていただきたいと考えております。

以上で、慶應義塾大学から、日本版総合医について学生の意見を述べさせていただきました。どうもありがとうございました。

全人医療を超える医療を担う総合医
○土屋
医学生の発表の第一印象
どうもありがとうございました。最初にご紹介を一切しなかったのは、学生さんの内容を言うと先入観を持ってお聞きになるといけないと思ったのですが、彼らは医師のキャリアパスを考える医学生の会というのをつくられて、去年の10月でしたか、私も女子医大のこういう講堂に呼ばれて、80人ぐらいのメンバーの前で2時間ほど質問の矢面に立たされましたが、今日の方たちが医学生の標準ではないということでありますから、標準曲線の真ん中からかなりどちらかへずれたと思ってもよろしい集団ではないかと。したがって、森田君が最初に示した3人の医師の像も、この標準値からかなり外れたほうで、できればもう3人、厚生労働省推薦の「よきお医者さん」というのを対比に置いていただくと、ちょうどバランスがとれるのではないかというのが、私は今日聞いた印象であります。

したがって、ふだんからこういうことに関心を持って、よく考えてくださっている学生さんであるということは、今、おちょくりましたので、あらためて弁護をしたいと思います。ただ、私の個人的な印象を最初に言わせていただければ、今日示された自信というか、怖いもの知らずというのは、私どもが卒後の後期研修を考えていくときに大胆な提言をするのに大変必要な要素だというのが、私の今日の第一印象であります。

前置きはこのくらいにしまして、この発表に当たっては、前半の東大グループの、私ども国立がんセンターに今いらっしゃる、前に東大の消化器内科にいらした渡邊先生が少しお目通しをいただいて、慶應のほうについては、慶應の渡辺先生にお目通しをいただきましたので、最初にお二方から何か追加なりコメントがありましたらお聞きしたいと思います。

医学生の発表の第一印象
○渡邊(事務局) 私のほうからは特にございません。学生さんらしい視点で、多少現実離れしているかもしれませんけれど、やはり自由な発想で、これからどういうキャリアパスを歩みたいか、どのようにつくっていくかという視点で行きたいと。もう1つは、いろいろな診療をさせてほしいとか、免許を早く取りたいとか、いろいろな患者さんを診たいとか、そういう要望は確かに送ってくださるのですが、ただ、それが国民の方、患者さんのためになる、そして医療者のためになるという視点でまとめていただくのがいいのではないかということで、お話をさせていただきました。

 
○土屋 どうもありがとうございました。慶應の渡辺先生、いかがですか。

 
○渡辺 学生さんたちが考えてくれたので、特に追加することはございませんけれど、言い訳だけしておくと、最後の漢方というのは、私が言わせたわけではなくて、吉野君は東洋医学研究会の部長なので、そういうこともあって、必要だということで入れていただいた次第でございます。

 
○土屋 ありがとうございます。それでは、フリーな討論に移りたいと思います。

 
○大西(慶應) ちょっといいですか。土屋先生の話のまま受け取ると、東大と慶應を一緒にやったみたいな感じになってしまうのですが、私たちは別の団体として、残念ですけれど、僕は東大側の意見にはちょっと反対なので、このまま一緒に考えられてしまうとちょっと不利なので、別の質問としていただければと思います。学生全体に質問ということですといいのですけれど、とりあえず僕は東大側に反対なので(笑)、よろしくお願いします。

 
○土屋 わかりました。葛西先生、お願いします。

 
○葛西
医学生の熱意
家庭医としての後期研修プログラム
家庭医療学の研究キャリア
質問というよりは、コメントですけれど、2つのグループの人たちが非常に一生懸命やってくれて、一言で言うと、非常に勇気づけられます。私自身は、総合医あるいは家庭医というものが専門医として育ってもらうシステムをつくるという仕事をやっているので、みんなのような世代の人たちが本当に真剣にいろいろ情報を集めてみんなの意見を入れた結果として、「専門医としての家庭医が必要である」という結論を出してくれたことは非常に勇気づけられます。

ですから、みんながこれから医師として、そしてトレーニングを積んで家庭医にちゃんとなれるようにしたいし、みんながその熱意で家庭医になってくれれば、私がリタイアした後も日本は非常にいい状態になるのではないかなと思っております。

医学生の熱意
まず、慶應の人たちの最後のまとめで、トレーニングへの不安ということがありますけれど、これは前に3学会の代表が来てお話をしましたが、その中で、日本家庭医療学会がいろいろな科をローテーションしながら、病理学的な診断・治療だけでなく、心理社会的な、そして家族も含めた視点からのケアができる家庭医としてのトレーニングを標準的な後期研修プログラムとして認定しています。今、その後期研修プログラムをやるところが全国に80ぐらいできてきています。それらが指導医の質も整って本格的に稼働するにはまだ時間がかかりますが、3学会が合同した後も、この日本家庭医療学会の後期研修プログラムがベースになっていいプログラムに発展していってもらえれば、みんなのトレーニングへの不安ということは解消されていくのではないかと思います。

家庭医としての後期研修プログラム
それから、アカデミックな面の不安ですけれど、これは家庭医療の専門研修、日本でいえば後期研修をしながら、医学博士、Ph.Dを目指す大学院生として研究もしていく、そういうプログラムが世界にはいくつかあって、その代表的なものはオランダの大学(Radboud大学Nijmegen Medical Centre)のプログラムで、Ph.D家庭医療専門医プログラムです。主任教授のChris van Weel教授はよく知っているので、そのプログラムを修了した人たちを今年私のほうで招いて、いろいろなフォーラムを開催して学んでいきたいと思います。

幸い、福島医大では、家庭医療後期研修医と大学院の家庭医療学の博士課程を兼ねることができますので、そういった意味で、発表の中に「地域医療博士」というのがありましたけれど、地域の現場でいろいろな研究をしてほしい。もちろん公衆衛生的な、あるいは疫学統計、そういったことも加味した研究でもいいですし、あるいは疾患に特化した研究でもいいですし、いろいろないままでにない新しい切り口で研究をしてほしい。オランダの大学教授などは、例えばランセットやBMJ(British Medical Journal、英国医学雑誌)の編集委員ですから、彼らから学ぶ大学院生というのは、そういうランセットやBMJに地域医療、家庭医療の研究を出して博士になっていきます。そういうことを目標に日本でも頑張っていきたいと思います。

ですから、決して研究と家庭医をやることが両立しないわけではなくて、まさに地域で家庭医療をやりながら研究ができるような、そういう環境を構築していきたいと思っています。

そのほか、みんなが調べてくれたキーワードで、予防とか、情報のシステムとか、継続性とか、いろいろいいことを言ってくれました。これもぜひ今後の研修プログラムに加味していきたいと思います。

それから、特に英国のことに関しては、次回の班会議で英国の家庭医学会の前会長のロジャー・ネイバー先生をお呼びしていますので、またいろいろな面で親しくみんなも個人的にも話してもらえるような機会をつくっていきたいと思います。

今日はどうもありがとうございました。

家庭医療学の研究キャリア
○土屋 どうもありがとうございました。

それでは、ほかの先生方からご質問を受けたいと思いますが、最初に、森田君が代表で話してくれた東大グループの内容について、ご質問なりコメントがありましたら。

 
○岡井
医学部における臨床実習の意義
基礎医学と臨床医学の連携
東大のグループの話は、端的に言ってしまえば医師養成における課外活動の重要性に尽きると思うのですが、本当に聞きたかったのは、ちょっと出ましたね、何年のときにどういうことを学んで、その後、実習にいつから入ってと、あそこの今の組み合わせに関してどう考えているかということですね。

特に学部のうちの臨床実習の意義とか有用性に関して、今の学生はどれぐらいそれを感じているか。というのは、私たちが学生のころは、あまり勉強にもならないし、のぞいただけで、なくてもいいなという感じは持っていたんです。ですから、今来ている学生にはできるだけ実体験をさせたりとかしていますが、それでも、その後に卒後の初期研修というのがある、それを考えたときに、今の学部の臨床実習はどれくらい意義を感じているかということ。

医学部における臨床実習の意義
もう1つは、そこで基礎医学の後、臨床医学というのがあるでしょう。基礎医学をある程度までいって、済ませてから臨床医学に入るのですが、そのときに、基礎医学というのは、最初からものすごく好きな人もいますけれど、多くの学生はあまりおもしろくない、ただ勉強しなくちゃというので覚えたりするわけです。臨床のほうの知識とか問題が先に出てきて、その臨床の解決のために、それをよく理解するために、基礎としてこういうことが必要だよという形で組み合わさって入ってくると、勉強のモチベーションも上がるし、よりよく基礎の医学の知識を吸収することができると。

そんなことも考えていたことがあるので、その2つのことについて、学生さんのほうから答えていただきたいと思います。今、どう考えているか。

基礎医学と臨床医学の連携
○森田(東大)
医師を育てるまでの過程、自分なりの選択の可能性
卒前の臨床実習と卒後の初期研修ということですけれど、僕自身は、初期研修が終わった段階で1人の学生を一人前のお医者さんに育てるまでというのを一くくりにしてとらえているので、卒前の臨床実習と卒後の初期研修というのはあまり区別しては考えていないんです。だから、制度というよりも、1人のお医者さんに育てるまでという観点なので。

また、先生がおっしゃっていたように、臨床と基礎を同時並行でやっていくということについてですが、このカリキュラムはあくまで極端にチェンジした場合の例であって、実際にはこれを選択性にしていくという例なので、例えば、臓器別みたいな感じで自分なりにプログラムを組んでいくということも可能にはなるんですね。そのように、学生が自分で学びたいときに学びたいものを学べるという、そのような環境が一番いいのではないかと僕は考えています。

医師を育てるまでの過程、自分なりの選択の可能性
○土屋
カリキュラムの工夫
私の40年近く前の記憶なので定かではないんですけれど、確かに私が受けたころは、学部へ行って基礎の科目をやって、それから臨床の科目をやってと、その臨床の中に、臨床解剖学とか、臨床生態学なんていうのを、当時の教師連中が工夫したのだと思いますけれど、臨床科と基礎の科目をペアで講義をやってくれたのを覚えていますけれど、今、そういう工夫はあるのですか。

カリキュラムの工夫
○森田(東大) 5年生の方から少し説明してもらいます。

 
○尾崎(東大)
臨床の視点からの実習
東京大学の5年の尾崎章彦といいます。よろしくお願いします。今の臨床の話ですけれど、今の臨床実習では、先ほど先生は昔は意味がないと自分で思われていたというお話があったのですが、今の臨床実習でも、どちらかというと見学であったりとか、見ることが主体の実習になっていて、僕らとしては、臨床の思考をどのように考えればいいのか、患者さんと向き合ったときに、例えば1人の患者さんがいらしたときに、どういうふうに患者さんを診ていくのか、そういうところをどちらかというと知りたい、学びたいということを思っています。いってみれば、魚をもらうのではなくて、どうやって釣るかということを知りたいと思っています。

臨床の視点からの実習
○土屋 今でも、ここでいう臨床実習というのは、4〜5人のグループで1人の先生から教わるというのが臨床実習なのですか。

 
○尾崎(東大) そうですね。ローテートしていって、僕らが。

 
○土屋
アメリカにおける学生の臨床実習
村重先生、先生はアメリカの臨床の経験があるでしょうけれど、私が垣間見たのでは、アメリカでは4年制のうちの3年目、4年目で病棟へ出されると、1人患者を与えられて、それを朝、回診に報告するのをレジデントがチェックしてというように、かなり任されますよね。そういう認識でアメリカの場合の学生の臨床実習というのはいいですか。

アメリカにおける学生の臨床実習
○村重(厚生労働省) 個人的な意見にはなりますけれど、私の時代の日本の大学の教育というのは、やはり見学ですとか、今、先生がおっしゃったような5〜6人で訪ねていって、少しは病棟にも行きますけれど、ほとんどは5〜6人で行ったけれどもやはり講義というタイプのものが、今は大分変わっていると思いますけれど、当時はそういうことが多かったのですが、アメリカは、医学生の立場で、ローテートしてきた人に1人患者さんをもたせると。

もちろん学生さんは常にずっと一緒に病棟にいられるわけではなくて、ほかの講義だったり試験だったりという、ほかのものもいっぱいあるので、そちらはそちらとして、「試験を受けに行ってきます」とかという形で、一緒に病棟にいない時間も多いのですけれど、それでも、一緒に当直をすると、当直の間に何十人という入院をとるわけですけど、その間に1人入院をとってもらうと。そして、その分を全部ヒストリーテイキング(病歴の聴取)から、鑑別診断から、入院のサマリー、カルテを書くというところまで、もちろんそれは人によって能力のレベルに応じて、1年目研修医、2年目研修医がすべて責任を持って診ていますので、そこが日本と大きく違って、何でもかんでもオーベン(指導医)、中ベンの上の先生に聞いてではなくて、1年目、2年目の研修医チームがすべてを持っていますので、その段階、そのレベルで学生さんがヒストリーテイキングしたような内容をすべて1年目、2年目の研修医にプレゼンテーション(発表)してもらって、入院オーダーもすべて書く。私の経験ではそういうものがありました。

 
○土屋 突然指名して、ありがとうございました。となると、私のほうからまたもう一つ確かめたいのは、新臨床研修経験の方で、そこでのローテーションのときに、今、村重先生が言われたような、1人の患者を任されて、かなりやっているような研修が多いのか、あるいは、サブで、むしろ上がメインでやっているのを見学とまではいかないけれど、そういうことに近いのか。今、新臨床研修を受けられて経験された方は、この中にいますか。

いないですか。そこがぽっかり抜けているんですかね。

 
○松村
日本の研修の実情
指導医の経験になりますけれど、今、2カ月ごとに6人ぐらい入ってきますので、病棟の仕組みを教えるだけでも1カ月終わってしまうんです。なので、自分でさせるというのはかなり難しいと。手技に関しても、1回目はついて指導しますよね。そして、その人ができると判断してから少しずつやらせていく。その過程が2カ月の期間では組めませんので、ほとんど見学、あるいはお客さんということになってしまっているのが実情だと思っております。

日本の研修の実情
○土屋 私ばかりしゃべって申しわけないんですけれど、アメリカは、メディカルスクールはたった4年間しかなくて、しかも、後半のところで実習といっても、午後からはグランドがあるので教室へ行ってしまうとか。そして、午前中と夜中の時間だけ使ってでも、しかも教えるほうのレジデントも3カ月ごとに場所がかわってしまう。そういう中で、どうして短期間で任せられるようになるのでしょうね。その辺、コツというか、何が日本と違うかというのがおわかりだったら、教えてほしいのですけれど。

 
○竹内(東大) それに関しては、私たちのほうでは、卒前と卒後はあまり分けないで考えておりまして、卒前の時点で、臨床の考え方を身につけるということが非常に大事なんじゃないかなと考えています。

臨床の考え方というのは、患者さんを診て最初に診断をつけるときに問診をして、鑑別診断を上げて、最初に判断をして、こういう検査をしようとか、こういう薬を出そうとか、そういうことを決めるという頭の考え方、それを卒業前に身につけてしまえば、卒後に臨床研修でまた見学とかすることなく、スムーズに医者として育っていけるのではないかなと考えております。

 
○土屋
学生の臨床実習
ありがとうございます。ですから、日本でも、教えるほうの体制が、学生の数が少なくて、マンツーマンで面倒を見られればできるわけですよね。そうすると、大学病院の1,000ベッド足らずでは、学生が多過ぎるのですかね。100人がその病棟の中、あるいは外来に散らばっていると。その辺は卒前教育ですので、また別の場でディスカッションしたほうがいいかもしれませんが。

岡井先生に私は逆らうようで申しわけないのですが、私も大半は、私の時代の臨床実習というのは見学で、あまり役に立たなかったという印象があるのですけれど、ごく一部、いわゆるポリクリと称して内科の先生で、慶應で長谷川"野人"というみんなから嫌われ者の血液内科の大先生がいたのですが、その人のポリクリを私が気に入ったのは、外来に初診で来る患者を1人に1人ずつ割り当てて、1時間以上じっくり話を聞いて、アナムネ(問診)をとる。その後、みんなまとまったところで1人ずつ発表させて、その"野人"さんが教えてくれる。これは後で医者になってから大変役に立った実習でした。

ですから、やりようによってはできるんじゃないかなというのが私は印象で残ったんです。ですから、当時は全部が全部悪かったわけではないと、弁護をしておきたいと思います。

学生の臨床実習
○岡井
卒前教育と卒後教育制度の課題
今、学生さんのほうからも話が出ましたが、卒前教育と卒後教育──初期臨床研修ですが、そこのつながりが悪いというのは、現在、日本の医師養成教育の抱えている1つの大きな問題だと思います。法律が悪いんですよね。ですから、一緒に考えているというのはいいことだと思うのですが、そういう意味で、先生が受けられた総合教育はものすごくいいかもしれませんけれど、今、実際に一般になされている卒前の学生の実習というのは、その後、1回、卒業試験、国家試験とやりますけれど、そのためにせっかくいろいろ習ったことを、インプレッシブ(印象的)なことだけは少し残っているかもしれませんが、真っ白にしてしまって、知識を詰め込むのをやって、そしてもう1回、医師になってから研修に入りますね。そこに無駄があるんじゃないかと思うのです。実際にあるレベルまで到達した診療能力を持った医師を養成するのに、この6年間プラス、初期のいろいろな研修を考えたときに、今の日本の制度は無駄があるような気がしています。

卒前教育と卒後教育制度の課題
○土屋 卒前教育が主になりましたけれど、卒後のところで、森田君のグループの発表で、質問なりコメントはありますか。よろしいですか。

それでは、慶應のほうへ移りましょうか。3部作でしたけれど、これはまとめての質問でいいでしょうかね。慶應のグループがやってくれた米国版、英国版、日本版という中で、ご質問なりコメントはありますでしょうか。

 
○阪井
医師同士の協力関係の重要性
アメリカの家庭医の診療
成育医療センターの阪井と申します。コメントを1つと、質問を2つさせてください。コメントは、3人ともものすごくよくまとまって、わかりやすい発表で感心しました。特に最後のスライドはいずれもすごく説得力があって、まさにそのとおりだと思いましたけれど、その中の3つ目に書いてあった医師同士でのコミュニケーション、協力関係の教育が大事だと、それは現場にいてすごくそれを感じます。こういうことまで学生さんがわかっているのはすごいなと思ったのですが、私は特にここのところが1つのキーポイントだなと思いました。多くの人がおっしゃらないので特に強調しておきたいと思いますが、これが大事なことだと思いました。

医師同士の協力関係の重要性
それから、質問は全く各論的なことですけれど、アメリカのほうに1つと、イギリスのほうに1つお聞きしたいと思います。

最初の大西さんの話はすごくわかりやすくて、自分のお兄さまを出されたところなんかはさすがだなと思いましたけれど、ただ、最後のところがちょっとひっかかったんです。つまり、胃カメラをするときに、もしその家庭医の先生ができるのだったらやるし、できないのだったら専門医に回すというようなことをおっしゃったと思いますが、ということは、アメリカの家庭医は内視鏡をやっても、胃カメラができる人とできない人がいるということだと理解しましたが、そういうことですね。

アメリカの家庭医の診療
○大西(慶應) いえ、ちゃんと教育は受けると思うのですけれど、そのクリニックの規模によりますね。

 
○阪井 ああ、なるほど。そうすると、本来やれるのだけれど、その規模によってやれない環境にいる家庭医もいるということですね。

 
○大西(慶應) はい。

 
○阪井
イギリスのGPとアメリカの家庭医の違い
わかりました。

それから、イギリスのほうの川アさんにお聞きしたいのは、イギリスのGPというのをおっしゃっていたのが、アメリカの家庭医とどう違うのか、あるいは同じなのか。違うところがもしあるなら、教えていただきたいと思います。

イギリスのGPとアメリカの家庭医の違い
○川ア(慶應) ゲートキーパーとしての役割を持っていて、まず、そのGPに登録するんです。自分がある住所に住んでいたら、その近くで自分に近いGPは誰ということを探して、その人に登録をして、必ずその人に診てもらう形になっているんです。ですから、その人にしか診てもらえないということで、そのGPを変更するときには届けを出して、必ず1対1の対応をするということが1つ大きな特徴なんです。

 
○阪井 そういうことよりも、むしろアメリカの家庭医は内視鏡をやると。

 
○川ア(慶應) その手技などの内容に関してですか。

 
○阪井
イギリスのGPの診療内容
そう、やれる仕事の範囲です。アメリカは内視鏡をやるという話でしたね。規模によってはできないかもしれないけれど。イギリスはいかがですか。診療内容の違いに関しては。

イギリスのGPの診療内容
○川ア(慶應) イギリスのサービスの内容に関しては、配布資料の5ページに書いてあります、GPのサービス内容ということで。こちらを参照いただければ。

 
○土屋 5ページの「GPによるサービス内容」というところですね。

 
○川ア(慶應) はい。右上のGPの登録の隣のところに。

 
○土屋 大西君、これを見て、アメリカの家庭医との違いというのは何かわかりますか。

 
○大西(慶應) 手技についてはきっとほぼ同じだと思います。

 
○阪井 よくわかりました。ありがとうございました。

 
○土屋 会場でどなたか、米国、英国の事情に明るい方で、その辺のことをおわかりの方はいますか。

 
○葛西
社会の医療制度に応じた家庭医のあり方
ちょっと補足しますと、家庭医の場合には、扱う対象にしている疾患とか、あるいは行う手技とか、そういうもので定義するというのがなかなか難しいんですよね。それは家庭医がそれぞれの社会の医療制度の中で役割を持っていくので、その社会の医療制度が違えば、そこでの適用は変わってくると思います。ですから、私の答えは、アメリカの家庭医も、イギリスのGP(家庭医)も、基本的な医療の考え方とおおよそのアプローチに関しては同じものを共有している。けれど、アメリカの社会の医療システムに適応するために、今のアメリカの家庭医療はああいう表現形になっている。そして、イギリスの家庭医療はイギリスの医療制度にあわせてこういう表現形になっている。

ですから、その2つを比べたときに、内視鏡をできるのが家庭医であるとかないとか、あるいはお産をするのが家庭医であるとかないとかという、個々の診療対象や診療技術のアイテムで区別するということは不適当というのが私の考えですし、インターナショナルな認識だと思います。

社会の医療制度に応じた家庭医のあり方
○土屋 社会に応じた家庭医ということで、日本でも北海道の東部のほうと東京の家庭医では多分違ってくるでしょうから、そういう要素が大きいのでしょうかね。村重先生、何か追加でございますか。

 
○村重
日米の専門分化の考え方の違い
葛西先生のほうがご専門ですから、追加というか、あくまで私の経験からですけれど、私が見たアメリカのファミリープラクティスのトレーニングというのは、そういった内視鏡などの手技は一切やりません。そこは家庭医に限らず、すべての診療科が非常に専門分化が進んでいて、訴訟リスクを常に考えながらプラクティス(診療)するのがアメリカ医療ですから、訴訟リスクがあるのに違う分野の手技に手を出して訴えられたらどうするんだということで、絶対に自分の分野以外のところには手を出しませんし、トレーニングの段階でも手を出させてはもらえません。

ということは、消化器の内視鏡というのは、内科の中でも消化器内科医の専門トレーニングのみにおいて行うものであって、そのほかの、例えば呼吸器内科医が消化器の内視鏡をするということはないわけです。ですから、もちろん家庭医がすることもないですし。

そこが日本と違うと私が思っているのは、例えば、日本であれば、血液内科医であったり循環器内科医であったりという専門の診療をしながらでも、必要に応じて消化器の内視鏡もできる、気管支の内視鏡もできるということを日本の血液内科医ができるという場合もたくさんありまして、その辺は日本のほうがよほど、専門医と称しつつ、実はジェネラルにすべて何でもできるお医者さんは非常に多いと私は思っています。ありがとうございます。

日米の専門分化の考え方の違い
○土屋 ありがとうございます。大西君、どうぞ。

 
○大西(慶應)
アメリカの家庭医養成プログラム
実際はどうかは、私は行っていないのでわからないのですけれど、私がアメリカの家庭医学会のホームページを調べた限りでは、生検とか、外科的手技も行える医師を養成するのが家庭医の目標であると書いてありました。ただ、アメリカの大学によってはプログラムが違うのは確かなことなので、実際がどうなっているかは本当に異なってくるとは思います。

ただ、アメリカのものをどう導入するか、実際を導入するかではなくて、日本に導入する上で考えるのは理想であってもいいと思いますので、それはアメリカ家庭医学会に書いてあったとおり考えておいてもいいと思います。

アメリカの家庭医養成プログラム
○土屋
地域による医師の役割の違い
確かにグリーンブックのカリキュラムの中には入っていますね。

それから、所が違えばやはり様子が違うのは、私はサンパウロに行ったときに、内視鏡医という方に会ったら、ボックスカーに気管支鏡も胃カメラも大腸ファイバーも全部積み込んで、1週間、7〜8カ所の病院や診療所を渡り歩くんですね。内視鏡はその方がサンパウロのある地区は全部引き受けていると。それで成り立つという世界がありましたので、場所によって随分違うなという気がいたします。

私は慶應のほうに入る前に忘れてしまったのですが、大西君は東大の発表に賛成できないと言っていたところの議論を東大のときに忘れてしまったので、前に戻って、どうぞ。

地域による医師の役割の違い
○大西(慶應)
医学部における講義のおもしろさ
あらを探すようで悪いのですけれど、講義がとても無駄なような感じの表現をしているような気がしたのですが、森田君たちはどのように講義を受けているか私は知らないのですけれど、東大の講義も受けたことがないので。ただ、慶應の講義を受けていて、1時間半の授業、1日平均4コマあるのですが、1コマずつ先生が違うので4人先生がいて、その先生たちが自分の経験談などを交えて話してくれると、1時間半、一人一人違った、この先生はこれをやっているときにこういうふうに思ったんだとか、そういうちょっとした先生の一言一言が、私は教科書で学ぶより、それを聞くのが大好きで講義に出るようにしているのですけれど。

例えば、医学生の会でそれをやるのはとてもいいことだと思うのですが、そのときに、すばらしい先生方が集まってきて、その人たちの話を聞くだけではなくて、現在やっている普通の先生方──若い先生もいれば、ベテランの先生もいる、その人たちがどのように思って治療をやっているかを聞けるというのは、私は講義を受けていて、1時間半で勉強もしながらそういう話を少しずつ聞ける。同じ場所を共有して、私は講義は大好きなので、そう思っている次第であります。そこが反対だと言ったまでです。

医学部における講義のおもしろさ
○土屋 森田君、講義の価値を軽視しているのではという意見には、どうですか。

 
○森田(東大)
経験に触れることの意義
決して講義を否定しているわけではなくて、ほかの講義以外のことでも重要なことはあるのではないかということです。例えば、慶應大学にはすばらしい先生がそろっているとのことなので、講義で先生方のすばらしい体験談を聞けると。でも、人によって、先生の経験談によって受ける刺激の度合いというのは違うと思うのです。例えば、この先生の体験談は自分にとってあまりおもしろくないなと思った場合に、別の道といいますか、そうするとそこで自主的に、例えばどこかに見学に行くだとか、そのようなことをやるというのも、例えば東大のある教授はあまりおもしろくないと、慶應の別の教授はすばらしいとなった場合は、例えば慶應大学に潜り込んで授業を受けてテストを受けたら、それで単位が認められるというような柔軟なシステムがあったらいいのではないかと思ってはいます。

だから、講義を決して軽視はしていません。まさに講義で大事なのは、先生の体験談とか、他者の体験に触れることだと思うのです。ただ、触れることであれば、講義だけでなくてもできるだろうというのが僕の考えではあります。

経験に触れることの意義
○川崎(慶應)
講義の重要性
慶應大学の川アと申します。今の大西君のコメントに賛成する側に立つのですけれど。というのは、僕たちは4年生で、4年生の前期まで2人そろって一番前の席でずっと授業を休まずに聞いていたのですけれど、それだけの積み重ねがあることによって、大西君の言ってくれたような感覚というものがついてきていて、医療を学ぶ上で、言葉にできない部分もありまして、先生が伝えてくださるところであるとか、参加する前から、この授業、この先生の講義はおもしろくない、おもしろいというのは、聞いてみないとわからないので、今までにいろいろな講義を4年間受けてきたので、結果的にこの先生の授業はあまりおもしろくなかったとか、こっちの先生のほうがわかりやすかったというのはわかるのですが、それはやはり当日出てみないとわからないものでして、講義に出る価値というのは高いなということを感じましたので、それをつけ加えたいと思いました。

講義の重要性
○吉野(慶應) 慶應大学4年の吉野と申します。まず、講義というものの重要性というのは何かと考えてみますと、医学を学ぶ医学生というのは、医学を学ぶ上では小学生と一緒なんです。初めて医学を学ぶわけですから、まず何を勉強したらいいかわからないというのがあると思います。ですから、最低限の医学的な情報、受けるべき情報というのは提供される必要があると思います。ただ、それを延々とダラダラ、1コマ90分やられていては、学生としてはおもしろくないわけです。なので、そういうのは手短にしていただいて、もっと魅力ある話を、先生方はいろいろ持っていらっしゃるわけですから、そういう話を学生にしていただくというように、もっと建設的な、医学教育を変わるようなことをやっていったほうがいいのかなと思います。全国的な流れになると、それはそれでおもしろいなと考えております。

 
○土屋 森田君、何か追加はありますか。

 
○森田(東大)
体験で得られることの重要性
今、吉野さんがおっしゃった最低限の知識を入れる必要があるというのは、僕自身は、それはテキストベースのデータなので、授業で学ぶものではないと思っているんです。むしろ授業で、先生方というのは個々人で体験を持っていらっしゃる、そしておもしろいストーリーを持っていらっしゃる先生方なので、そのストーリーを話す、まさにおっしゃっていたように先生方の体験談を話すことに授業の意味があると思っているので、テキストベースの情報をそこで教えるというのは、ちょっともったいない気がするんです。

講義に出ないとおもしろみがわからないというのはまさにそのとおりですけれど、講義に出てもしおもしろくないとわかったら、具体例を言うのはあまりよくないのかもしれないですが、例えば放射線医学見学ツアーに行ったんですけれど、1泊2日のツアーだったのですが、あれは何学とは申し上げないですけれど、何とか学の授業よりも数倍勉強になりましたし、1回見学に行くだけでも全然違いますし、現場の先生方での実地も見られますし、講義以外のもので勉強になるというのは、僕はそのように考えております。

体験で得られることの重要性
○玉井(慶應)
考えた過程を伝えることの必要性
慶應大学医学部の3年の玉井です。東大と慶應がまず医学校の学生を代表しているとは思わないのですけれど、僕が個人的に学校に求めるものは、何を目標にしていて、それを教えるためにどういう努力をしていて、というのをもっと学生にアピールしてほしいというか、学生のために何を教えるのかというのは一生懸命考えていらっしゃる先生は多いと思いますが、その考えた過程をどう伝えるかということまで踏み込んで学生に伝えていただければなと思います。

考えた過程を伝えることの必要性
○尾崎(東大) 先ほど慶應の方がおっしゃったように、最低限の医学的な情報というのは大変貴重だと思うのですけれど、授業で学べないことの1つとしては、医者になったときに自分で考える力というのはあまり学べないのではないかと思います。そういうものは、森田君が先ほどからおっしゃっているように、実習だとかさまざまな活動を通してのほうが、学べる可能性が高いのではないかと僕らは考えました。

 
○川井(東京女子医大)
チュートリアルによる少人数教育の紹介
東京女子医大4年の川井未知子と申します。今、東大の方と慶應の方がずっと発言されたので、ちょっと違う視点から話したいなと思ったので。女子医大は慶應と東大とはちょっと違うカリキュラムを入れていまして、1年次からチュートリアルというのを週に2回やっております。そして、講義ももちろんあるのですが、そのチュートリアルというのがすごく大きな時間を占めていて、そのおかげでかなり講義の時間が少なくなっているというのが現状です。

週に2回あるというのは、そのチュートリアルの時間自体は2時間なのですが、チュートリアルがある日の午後というのは基本的に自習なんです。なので、今、森田君が提案してくれたような、例えば自分で勝手に読書がしたいとか、ほかのところへ行って勉強がしたいということができたりするところがいいなと思っているのと、チュートリアルというのは少人数で5〜6人で班になって、臨床や臨床検討のようなものをして勉強するというものなのですが、そこと授業と並行した内容をやることが多くて、先にチュートリアルの課題をやると、全く知らない状態でどういうところを勉強していけばいいのかということにもなりますし、また、授業でやった後にチュートリアルをやるということもあるので、講義でやった内容を自分で考えるということもできますし、講義でやっていないことを自分で考えて、その後、講義で復習するということもできるので、これは自分が受けていて楽しいなと思っております。

それはもう取り入れられているところもあると思いますけれど、チュートリアルというのもかなり勉強になるし、そして楽しいと思いますので、体験談を述べさせていただきました。

チュートリアルによる少人数教育の紹介
○土屋 チュートリアルの時間が多くなると、教えるほうは教育に割く時間が多くなるということですね。

 
○川井(東京女子医大) 講義の時間自体は少なくなりますね。

 
○土屋 1人で大勢を相手にしてしまうので、1時間で何十人分済んでしまいますけれど、5人を相手だと10回やらないとならないんですね。

 
○川井(東京女子医大) いえ、チューターというのがたくさんうちの大学にはいまして、同じ時間に一気にやってしまうということです。

 
○土屋 だから、たくさんの教える人がいて、たくさんの時間を使わないとなかなか小まめにできないと。

 
○川井(東京女子医大) そうですね。

 
○吉野(慶應) 川井さんの話の後で申しわけないんですけれど、さっきの話に少し戻ってしまいますが、最低限の知識というんですけれど、確かに森田君の話もすごい理解できるんですね。そして、非常にいい案だと思うのです。ただ、その最低限の知識をどのようにテキストベースで入れるのか。例えばハリソンの内科学などを見てみますと、ものすごく分厚い量で、あれを全部読めるのかとか。よく医学部の先生は英語で読めとか言うんですけれど、とても英語では読み切れないというのが医学生の本音だと思うのです。

なので、本当にわかりやすい定着するような、覚えやすいような、本当に最低限これだけは絶対知っていないとまずいというような教科書というのをつくれればいいなと。もしそういうのを学校サイドで選定していただいて、それを使うでもいいですし、学校サイドで協力してつくるのでもいいと思います。

 
○土屋 講義の内容、あるいはそのよしあしについてはまだまだ聞きたいのですが、時間がなくなってしまいますので、この辺にしまして。

では、渡辺先生、最後に。

 
○ 渡辺
医学教育の主役は学生であるという意識のもと、「医学教育を考える学生の会」が医学部長まで物が言える仕組み
1つだけ。慶應で医学教育をやっています渡辺です。森田君のさっきのメーセージを聞いて、この班のミッションは卒前ではないので手短に言いますけれど、お金を払っているご両親に申しわけないと思わないかなと(笑)。要するに、医学教育というのは学生が主役なんですよね。教員が主役ではなくて、お金を払っているペイヤーがもっともっと声を大にすべきだということで、慶應などでは、「医学教育を考える学生の会」というのをつくって、それを私の委員会(FD委員会:Faculty Development)から医学教育統轄センター、医学部運営会議を介して医学部長につなげています。今日もそのメンバーが何人かいるのですが、カリキュラム委員会などでも教員相手に学生の意見を堂々と述べています。東大の場合も学生が、提案があるのだったら北村(聖)先生(東京大学医学教育国際協力研究センター教授)に言って、学部長につなぐような仕組みをつくるべきではないかなというのが私の印象です。

医学教育の主役は学生であるという意識のもと、「医学教育を考える学生の会」が医学部長まで物が言える仕組み
○土屋
米国での教科書を用いた教育
東大の学部教育の改革にぜひ頑張ってください。

ちょっとだけ印象を言いますと、先ほど、一番前で講義を聞いていると。私の学部にも慶應に5人ほど、全講義を一番前で聞いて、その人たちはハリソンかセシルを通読しておられましたね。私はECFMG(米国の医師資格試験:当時)は受けなかったけれど、あれには問題の各所にハリソンの何ページに書いてあるとか、みんな書いてありますね。

もう1つの印象は、メイヨークリニックへ行って、メイヨーが小さい医学校をつくった直後に行ったのですが、図書館に行ったら、内科のハリソンとセシル、そして外科のクリストファーと、生徒の人数分、ずらっと同じ本が並んでいて、日本のような系統講義があまりなくて、オリエンテーションだけつけて、「第何章から何章まで読んでこい」というような形で、そのために学生用に人数分用意してあるというような話を、30年前に聞いたのを思い出しましたので、コメントとして言わせていただきます。
それでは、もとに戻って、慶應の先生方から、学生さんの発表について質問をさらに受けたいと思います。

江口先生、海野先生、何かありますか。

米国での教科書を用いた教育
○江口
さまざまな医学生教育のモデルと指導医の体制
卒前教育、初期研修と後期研修の位置づけの議論
学生さんの大変すばらしい活発なお話を聞きましたけれど、今のディスカッションにいくつか出ていたように、東大と慶應だけが医科大学ではないので、実際にはいろいろな大学のアベレージ(平均的)のところも考えなければいけないと思います。それでいきますと、1つは、国試対策が学生にとっては大きな壁になっているということは確かだろうと思います。

最近ではいくつかの、女子医大の方が言われていたように、チュートリアルとか、そういうものがかなり早い段階から入れられていますし、実際に内容的にも、1人の患者さんを初診から持たせて、それの考え方のアプローチ、診断のアプローチなどを指導していくというような、あるいは学生が調べて筋書きをつくって、それをコメンテーターがいろいろ評価する、そういうこともやられています。

そういう意味では、教育のモデルはかなり変わってきていると思うのですが、その場合に、指導医のほうのマンパワー、あるいは時間的な余裕が全く欠けていることが多いので、いくら5人を相手にチューターが面倒見るといっても、診療のことで手いっぱいのところにそういうものが入ってくるということで、指導医の先生方の立場から見ると、教えたいことはあるのだけれど決して十分ではない状況になっていて、その辺を変えていかないと、卒前の教育というのはなかなか先へ進まないだろうということがあります。

さまざまな医学生教育のモデルと指導医の体制
それから、さっき言われていた初期研修の制度と医学生の卒前の教育とのつながりというのは、確かに境目がよくわからないようなプログラムになっているところが結構多くて、逆に言うと、初期研修がまだ学生さんの続きのようになっているところもありますので、そういう意味での初期研修のあり方、あるいは後期研修のプログラムというのは、ますます重要になってくるのではないかなと思います。コメントです。

卒前教育、初期研修と後期研修の位置づけの議論
○土屋
研修過程における教育実習体制
帝京大学もあるぞということかと思いますが、先生、今言われた卒前と卒後の連続性がない、あるいは教育者の数が大変だと。そうすると、私どものところはかなり専門病院ですけれど、がんしかなくても、学生さんを預けていただいて、うちのレジデントに預けさせて、午前中だけつき合わさせる。そのレジデントはチーフレジデントから開始すると。そういう形でいくと、階層別になると、学生の教育、レジデントの教育、チーフレジデントの教育というのは、小さなグループだけれど、階層が逆にはっきりするんじゃないでしょうか。それをスタッフがチェックして回るというような形であれば、同じ実習でもかなり内容は違ってくるのではないかなという気がしますが、その点はいかがでしょうか。大学病院以外の病院ももうちょっと使ったらどうかと。

研修過程における教育実習体制
○江口
教育病院の質評価の必要性
現実にはそういうところはありますよね。つまり、学生を一定期間そういう病院にカリキュラムの中で派遣したりとかということはありますが、その際も、指導する人たちの診療時間以外の時間を十分教育に割けるかどうかということと、そういう人たちが教育のメソドロジー(方法論)をカバーして熟練したところで教えられるかどうかと、そこが気になるところですね。ですから、教育病院のほうの質というものもある程度評価しなければいけないと思います。

教育病院の質評価の必要性
○海野
現状の医療現場を踏まえた教育体制の議論の必要性
それに追加しますけれど、今の現場の若い医師たちがどういう状態にあるかということを考えられたら、今の土屋先生の発言は不可能です。ですから、そういう状況にある医療現場に彼らは入っていかないわけですけれど、それをも含めて医療教育体制を考えないといけないということになると思います。

今の市中病院は、医者があまりに大変でどんどんやめてしまっているのが現実ですので、そこに学生たちが行ったって、学生を指導してくれる人はいないんです。それが今の医療の現場だと。がんセンターのレジデントたちだって、労働基準法に準拠したような働き方は全くしていないわけですよね。それを前提として、じゃあ、新しい制度はそれでいいのかということになってしまいますので、さらにそれは労働を付加することになるということをお考えいただきたいと思います。

現状の医療現場を踏まえた教育体制の議論の必要性
○土屋 うちのチーフレジデントの経験者の村重先生、どうですか。

 
○村重
医療提供体制と教育体制の議論の課題
労働環境については海野先生に賛成いたしますが、理想論としては、先生おっしゃるような屋根瓦にして、1年目、2年目がすべて現場を仕切って学生を教えると。そして、たまに上の先生の回診なりチェックなりプレゼンテーションを聞いてもらうという程度で十分できればいいなというのは理想論です。

現実問題は、海野先生がおっしゃるように、今の若手の先生たちはもうかなり疲弊しておられますし、人数はどんどん足りないというところで、屋根瓦が組めない人数のところでさらに減っていくという状態が多分あるのだと思いますので、そこを今の医療提供そのものを維持しつつ──つまり、患者さんに迷惑をかけずに教育体制を組むということが、そこの制度の転換をもしするとすれば、そこをどのようにつないでいくのかというのは非常に大きな課題だと思っています。

医療提供体制と教育体制の議論の課題
○土屋 ほかにいかがでしょうか。

 
○松村(事務局、東大医科学研究所)
制度や援助の仕組みを整え、自発的に学ぶ方法
私は虎の門病院に2年ぐらいおりまして、東大医科研の松村と申しますが、確かに学生の面倒を見るというのは非常に手間がかかるんですけれど、ただ、医学部の学生はやる気もあって優秀なんですね。東大の学生たちはちょっと遊んでいるようなプレゼンテーションかもしれませんが、彼らは真剣に1週間、どういう医者になりたいか非常に自問自答して、人から言われた医師像ではなく、自分が考えることを一生懸命考えました。ということで、ついて1週間もするとかなりできるようになるんです。ですから、ずっと1年間手がかかり続けるということではなくて、1週間もすれば、彼らは自分でできることをどんどん手伝ってくれる。なので、制度を整える、あるいは援助していただけるような環境であれば、屋根瓦式というのは一番いい方法ではないかと思います。

制度や援助の仕組みを整え、自発的に学ぶ方法
○土屋 今の話題でなくても結構ですが、ほかによろしいですか。

よろしければ、今日は海野先生が、総合診療医には2種類あるのではないかということでお話を用意してくださっていますので。では、先生、お願いできますか。

 
○海野
報告書の前提についての考え
医療現場の医療従事者による意見を集約した現場重視の提言の必要性
医療提供体制の再構築
アクセスと経済性の確保の必要性
質と量の確保の意味合い
専門医と総合医のバランス
現場の医療者のキャリアパスの改善と提示
病院と診療所の格差の問題
プライマリケアの現状と課題
現実のトレンドを踏まえた制度設計の必要性
病院での総合診療の仕組みづくり
各診療専門科から家庭医へのキャリアパス
専門医としての家庭医と、横断的な範囲の専門医の並立あるいは移行という考え
横断型総合診療医制度の必要性
学生さんたちがとても練りに練ったプレゼンをしてくれましたので、恥ずかしいのですが、私は今朝15分ほどでつくったプレゼンですので。それから外来を5時間ほどやってまいりましたので。

今日、お話の機会を与えていただければと思ったのは、今までの議論はいろいろブロード(広く)になっていて、今後、報告書をまとめていく中で、いくつか前提を考えていったほうがいいんじゃないかというふうなことです。

報告書の前提についての考え
まず、安心と希望の医療確保ビジョンが昨年の6月に出たときの1ページ目に何が書いてあったかというのを思い出していただきたいのですが、厚生労働省の文書にこういうことが書いてあるというのは、一体どういうことなのかよくわからないのですけれど、政府、厚生労働省の権限を拡大せず、現場・地域のイニシアティブを大事にしよう。それで、医療現場の医師・看護師等の医療従事者からおのずから上がってきた多様な意見を集約して政策とするという現場重視の方針を貫くということと、改革努力を怠らないということが書いてあります。

ここに書いてあるからではないのですが、私はこれはいい考えだと思っております。ですから、今後、制度を考える上でも、厚労省に何とかしてもらおうという発想はやめたほうがいいと。要するに、現場で何が必要なのか、それを自分たちがつくっていけばいいわけですから。現場の専門家以外には本当に何が必要なのか、国民に提示することはできないわけですから、そういう観点をまず確認したいということです。

医療現場の医療従事者による意見を集約した現場重視の提言の必要性
こういう前提で考えれば、我々は何をツールとして使えるかといえば、規制緩和とインセンティブということに多分なるのだろうと。これも大臣がおっしゃっていたことですけれど。この最終的なエンドポイントを考えますと、現在、医療提供体制は持続可能性がない状態になっているものを、ちょっと何とかするということが1点です。

医療提供体制の再構築
そのために、医療の質とアクセス──アクセスを確保するためには量的な問題と制度的な問題があると思いますが、さらにその経済性を確保しなければいけないということになるかと思います。

アクセスと経済性の確保の必要性
それで、すごく大ざっぱな話で、学生さんたちの深い話に比べると申しわけないのですが、質の確保という点では、専門領域の医療がどれだけのクオリティーを出せるかということだと思いますし、量的な確保に関しては、医師数増ということは方向性として出ているわけですが、また、現場からのすごい勢いの離脱というものをどのように下げていくことができて、現場を改善することができるかということにかかるだろうと。

質と量の確保の意味合い
私の理解では、経済性を前提としたアクセスを確保する上で、専門医と総合診療医とのバランスという問題もとらえることができるのではないか。

これは私の意見ですが、産婦人科はもうめちゃくちゃになっていますから、それはいろいろ改革をやっておりますが、その中で考えてきていることは、とにかく現場は多様ですから、その多様性を一律に何かしましょうというのは大体うまくいかない。

専門医と総合医のバランス
それから、今、現実に現場で起きている医師あるいは医療従事者のキャリアパスというものを改善する、そういう方向は現場では受け入れられるだろう。ただ、逆に、現場の状況やトレンドに逆行するような、あるいはその流れを止めようといったことは、現実問題としてはできはしないということです。

また、全く新たなキャリアパスを提示するというのはできますよね。ですから、それを選択する人がいれば、それはできるだろう。

こういうトレンドは明らかにあるわけです。そのトレンドをどのように国民の現在と将来のニーズに沿うように誘導できるか。そのニーズが確認できなければならないでしょうけれど、そういうことで考えられるのではないか。

医療現場のトレンドを考えますと、専門医療と総合診療の間の相克があります。これはどちらに流れているのかというのは、私はわかりません。先生方もいろいろご意見があると思いますが、その必要性はどっちもあって、それで専門医療の分野も決して人が足りている、余っているわけではない、ということがありますので、なかなかわからない。

けれど、どちらかというと、専門医療を選びやすいのは、前からありますので、そのポスト、キャリアパス、処遇などがある程度わかっているという部分はあるだろう。総合診療の部分はこれから育てなければならない。

現場の医療者のキャリアパスの改善と提示
病院と診療所に関しては、これは明らかなトレンドがありまして、病院はつぶれて、開業医が増えているということですから、これは背景となっているのはおそらくは勤務条件、リスク、身分、雇用形態、処遇等の問題で明らかな格差が起きているということだと思います。

病院と診療所の格差の問題
これはよく出るスライドですが、診療所で働いている医師は全体の36%です。これは私は一番最初からひっかかっているのは、総合診療医、家庭医はどのくらいのパーセンテージ必要なのだろうかという議論のときに私は質問したことがあったと思いますが、そのときに、40〜50%必要でしょうというお話が確かあったと思います。今、そうなんですね。

要するに、現場でプライマリケアをなさっている先生方は少なくとも36%は多分いるはずだということになりますから、それはそうなのですが、ただ、問題は、システム化されていない、トレーニングはない。そういう中でクオリティーコントロールはないという状況で、あるいは配置とかさまざまな問題に関して何も行われないままになっているという現状であると。

でも、考えてみると、そんなものは提示されていない、今までそういうトレーニングのシステムは全くないというのが現実ですから、こういう状況に今なっているのは、そういうものだということになるかと思います。

プライマリケアの現状と課題
それで、今後やるべきことですが、こういう病院や大学病院からどんどん今までよりも若い先生たちがやめているんですね。そして、こっち側に回っている。そういう明らかなトレンドがあるというのが現実ですから、その中で、プライマリケアの部分をどのように確保しながら、あるいは同時に専門医療の部分をどう確保するのかということが必要な状況になっていると。

これも医療確保ビジョンのスライドですが、病院の医師は、今、小児科はちょっと増えていますけれど、内科も外科も、もちろん産婦人科もですけれど、減っているというのが現実です。ですから、これはもう専門医療にせよ総合診療にせよ、どっちもどっちだという現実になっているのだというのが現場だと思います。

ただ、これからどう育てるかということに関して言えば、このトレンドを無視しては、つくっても意味はないだろうと。

現実のトレンドを踏まえた制度設計の必要性
これは学生さんのスライドに比べて稚拙で申しわけないですが、今の病院ってどうなっているのかなということを考えると、これは専門医療のそれぞれの分野があって、さっき村重先生のお話もありましたけれど、それぞれの分野の先生が少し余分に仕事をして、それで重なり合ってやっていて、ですから、高密度に重複した診療体制を展開していて、それで何とかやっているわけですね。それで幅の広い診療ができる人は、いるのだか、いないのだか、よくわからないと。これは効率も悪いですし、多分アクセスも悪くなる。

私の理解の病院での総合診療ということでいいますと、それは結局、総合診療の先生方がこの無駄を省く、この重複している部分を開いていっても、それでもちゃんと成り立つような仕組みをつくっていただくということに病院ではなるのかもしれません。

病院での総合診療の仕組みづくり
それで、この2事例があるという絵ですけれど、要は、これは現実に起きていることと別に何ら変わらないんです。専門家としての家庭医というのは、今、全体でいうと数%だと思いますが、そういう形で養成されてくる先生たちがおられる。現実には、後期研修で、各診療科専門医になって、でも、医者をやめるまで高度専門医療をやり続ける先生はごく限られた先生方で、途中から一般的な総合診療に近いようなプライマリケアのほうに移っていくことになります。

ここをどうするかということですが、もし40〜50%必要だとすれば、黄緑と緑の部分が40〜50%あればいいわけですね。もし質が担保されれば。ですから、そういうことかなと思いまして。ただ、初期研修から後期研修に行って、専門医としての家庭医の先生方がどのくらい必要なのか。これからそれを育てるカリキュラムやコースがつくられていく。

日本医師会との関係でいろいろあると思いますが、これからやらなければならないのは、実際に各科専門医がどんどんプライマリケア側に行くわけです。その先生たちのきちんとした質が確保されれば、それで必要な数は確保できると思います。ですから、そこのキャリアパスをきちんとできるかどうか。

各診療専門科から家庭医へのキャリアパス
私が申し上げたのは言葉を間違っていますが、基本領域の専門医としての家庭医というものと、多領域の横断的な範囲の専門医制度がありますね。そういう専門医としての総合診療や家庭医というものの、ちょっと違う2種類のものが多分現実に必要で、そこで質の担保をどうやってできるかということを議論されればいいという気がしております。

そのある段階で、どうしても専門医から総合診療のほうへ移行していく先生方をどういう形でその後の診療の質を担保できるか。もともと専門医をやっていた先生方は深い経験を持っていますので、その経験を生かしていただくということは決して無意味ではなかろうということです。

いずれにしても、この分野は全身を診なければいけない部分ですから、そして数の問題からいっても、我々マイナーな分野で開業してもずっと専門的にやっていく分野と、またちょっと違うその分野の内科・外科の先生が中心になる分野かもしれません。

専門医としての家庭医と、横断的な範囲の専門医の並立あるいは移行という考え
そして、ほかの診療科の専門医からも、この取得可能な多領域横断型の総合診療医の制度も必要だろうと。ただ、ほかの診療科から行くのだと、必要なステップが多いでしょうから、2段階ぐらいの感じでつくったらどうでしょうかと。

私はとても保守的な人間なので、これは現実に今議論していることとそんなに変わらないと思います。ただ、問題は、これを誰につくってもらうかという問題で、はっきり言って、これから開業しようという先生たちがこの専門医をぜひとも取っておかないといけないと現場で思ってもらう制度をぜひとも先生方につくっていただければ、それはつくられるということになるのではないか。それがないところで議論していても、それは今の現実のトレンドとの整合性がないのではないかということになります。

以上でございます。

横断型総合診療医制度の必要性
○土屋 どうもありがとうございました。海野先生のプレゼンテーションについて、ご質問やご意見はいかがでしょうか。

 
○渡辺
医療体制の現状を把握する情報の必要性があるのでは
海野先生にというわけではないのですが、先ほどの学生さんの発表も含めて質問させていただきます。こういうことを決める場合の根拠というのが、日本という国は非常に希薄かなと思いました。というのは、マッキンゼーでやったときには、ロンドンなどでは、将来シミュレーションというものが立っているのですけれど、日本の場合は、NHKの「医療再建」という番組を見る限りにおいても、奈良県という県単位の地域においてすら、どういう疾患がどこに多いかとかということが全くデータがないと。

適正配置ということを考えた場合に、そういうデータがないと、結局、声の大きい知事さんやお金のある県が優遇されるといったことになると思うので、まず、今の医療の現状がどうかという正確な把握が必要だと思います。学生さんのスライドの中に、情報大国とかということがあったのですが、日本はいろいろな情報があるので、そういうことをつなげて、ある程度計画性を持つためにも、情報収集ということがまず大事かなと思います。

でないと、結局、声の大きい人の意見にひっぱられるという従来の姿と変わらなくなってしまうと思うのです。村重先生がいらっしゃるので、もしその辺で国の意見があればお願いします。

医療体制の現状を把握する情報の必要性があるのでは
○海野
専門家自身による試算の必要性
国の意見はないと思いますよ。この問題に関する私の意見ですけれど、それを言っていると永遠に始められません。私の主張は、専門家が自分たちは何人必要なのかということを言わなければ、物事は絶対に始まらないと。それで失望したのですけれど、脳神経外科の先生方が見えたときに、何名かといったときに、「それは答えがたい」とおっしゃっていました。

ただ、それは誰にもわからないんです。私は産婦人科は毎年500人と言っているんですけれど、今、380人ぐらいですが、けれど、そういう数字がないと議論も何も始められないですし、大ぶろしきでも何でもいいから、それをとりあえず言っていただかないと、と思います。

専門医制度で実際に300人とか、400人とか、50人とか、それぞれの専門医ができていますが、それが足りているのか足りていないのか、一向にわからない。それはどう考えても、はなからわからないです。ほかの病気のことは我々医者は全然わかっちゃいないので、それを出してもらった上で議論を始めないと仕方ないと。

それで、土屋先生にぜひお願いしたいのですけれど、各学会に出せと。厚労省や文科省から出るような話ではないような気もしますけれど、それが出ないと、話がいつまでたっても同じことを繰り返していることになると思います。

しかも、その専門家としての責任を全然とっていないことになると思うのです。そして、結果的に何かできたときに、また文句だけ言っているということになるのではないでしょうか。

専門家自身による試算の必要性
○土屋
日本専門医制評価・認定機構の試算
各学会の主張については、今、日本専門医制評価・認定機構の池田先生のほうから、どういう根拠で数を出すのかということを含めて、アンケートが行っていると思います。それが出たら、また情報をいただきたいと思いますが。

さっきの年代別の診療所と病院勤務のスライドをお願いします。

数は9万、12万で合うのですけれど、問題は、水色の病院側の仕事量が人数に比べて多いと。黄色のほうの仕事量は比較的少ないと。そうすると、今、日本では、病院側で持っている仕事量のうちのかなりの部分は診療所でできるんじゃないかと。しかしながら、自分たちは今受けとめないと。

ですから、私どもの病院も専門病院ですから、3年前から入り口で、紹介状がないと診ないと掲示しています。それと、できれば術後のフォローアップなどは診療所へ任せたいと。そういうときに、それを受け皿となってくれるような診療所がないと。「肺がんの手術をやったのなんか診れないよ」と突っぱねるような状況では困ると。その辺の改善も必要だろうと思います。

日本専門医制評価・認定機構の試算
○海野 でも、先生、それは全部が足りないんですから、全部が足りない状況での議論なので、もう現場ではそういうことは起こりますとしか言いようがないんです。現状では。

 
○土屋
地域の特性に応じた家庭医への移行
現状では、なぜ勤務医側が忙しいかといえば、仕事量が大きな差があるわけですよね。

それから、最後から2枚目のスライドですが、専門医としての家庭医へ途中から移行すると。おそらく東京は、途中から移行して、専門性の高い診療所というのはかなり成り立つと思うのですが、先ほどいった北海道の真ん中とか、アメリカの中西部だと、最初から家庭医として幅広い教育が必要になると。

地域の特性に応じた家庭医への移行
○海野 ですから、この緑色の部分をどれだけ太らせられるかということになると思うのです。

 
○土屋
根拠に基づく家庭医・専門医の現況把握の必要性
渡辺先生が言われた、データに基づいてその辺の数を考えていくと。ですから、学会からの数を集めても、その根拠というのは今はほとんどなくてやっていますから、我々としてもそのデータを集めなければいけないかなと思います。

時間がなくなってしまいましたが、最後に、葛西先生、どうぞ。

根拠に基づく家庭医・専門医の現況把握の必要性
○葛西
家庭医の後期研修プログラム整備の重要性と質の高いプログラム整備の必要性
専門医としての家庭医研修とほかの科の研修の位置づけ
海野先生の現実的なところを見ながら制度設計をしていこうというお考え、そしてその基本になっているものは共有できると思いますが、ここは後期研修についての検討をするところですので、黄色から黄緑へ移行するところの教育がかなり強調されていますけれど、私はほかの各科の後期研修と同じように、専門医としての家庭医の後期研修プログラムを日本にちゃんとつくってスタートさせる必要性をやはり強調したいと思います。それは学生の人たちのニーズでもあるわけですね。

1985〜87年の家庭医に関する懇談会、あのときから家庭医療専門医の研修ができていれば、今、その研修を修了した人たちが増えていったはずですが、あの時にいた医師たちのすみ分けをしようということになってしまったので、日本は世界でもまれな、トレーニングなしに自然発生的に誰でもなれるプライマリケア医というものができてしまっているわけですね。

もちろん、その過渡期にあっては、今、病院から開業する際に、質の高いプライマリケアを担いたいという人も結構あるので、その教育をどうつくっていくかは大事です。この研究班の役割からは少し外れるかもしれませんが、それを医師会、各学会、大学等で十分協議する場をつくらなければいけないと思っています。

家庭医の後期研修プログラム整備の重要性と質の高いプログラム整備の必要性
ですから、私も両方の重要性というのは非常に大事だと思いますけれど、専門医としての家庭医が生まれる後期研修がしっかりしていって、ほかの科もしっかり後期研修ができていけば、わざわざ後期研修を2回やって、ダブル専門医をやるなんていうのはすごくつらいことですし大変ですので、みんな黄色は黄色、緑は緑で人生を全うするんじゃないかなと思います。

専門医としての家庭医研修とほかの科の研修の位置づけ
○海野 いえ、それは違うと思います。それは全く違います。だって、病院の現場にずっと年とってまで働き続けると年齢構成がうまくいかないですから、実際には病院の現場から仕事場をかえていくという状況が今のトレンドですから。

 
○葛西
専門医のキャリアパスとプライマリケアへの移行の課題
先生が言われたようにそれが今のトレンドですけれど、これからのシステムで後期研修が各科でできていくと、それぞれの科で、例えば血液内科のスペシャリストの人は、若い時はもちろん病院でバリバリやる、いろいろな先進的な治療開発をしていく。そして、少し年齢が上になってくると、今度はコンサルタントとなって下の人たちの相談役になる、あるいは教育に力を入れていく。そういうことになっていくので、そうなってからわざわざ第一線のプライマリケアをやるほうに行くのは無理があるんじゃないかなと思います。

専門医のキャリアパスとプライマリケアへの移行の課題
○海野 でも、先生、二階建ての専門医としてのプライマリケア医ということは成り立ちませんか。先生が成り立たないというのであれば、この絵はできないんですけれど。

 
○葛西 この2つのキャリアパスが今はあってもいいと思います。そして、それを二階建てというのであれば、そういう言い方もできるかもしれませんけれど、それはあくまでも、今、諸外国で家庭医療のシステムが整った国々の、20年前の状態かなと思います。

 
○土屋 この問題は、途中のトランジション(移行)をどうするかという問題と、将来をどうするかと。トランジションの段階ではこの図は皆さんが認めると思うのです。ただ、将来像として、この斜めのところをどこまで補足していくか、あるいはなくしてしまうかというのは、また理想論として議論をしたいと思います。

今日はもう時間が来ていますので、この話題についてはここまでにしたいと思います。

全体を通じて、班員で山田先生はご発言の機会がなかったのですが、何かありましたらお願いします。

 
○山田
日本の医療システムの現状の認識と改善策の検討
学生としての当事者としての視点と医療施策への関与
私は、会議の時間運営のために、なるべく発言しないように努めているんですけれど、ただ、非常に分散的に見える討論要素は、一方向に集約していっているかなという感じは受けます。

今、海野先生のご意見に私のポジションは非常に賛成なのですけれど、現実の日本の医療システムを見て、そこからどういう具合の改善ができるのかということを現実論でやらなければ、医療は毎日求められているものですので、いつかできるというような視点はある程度制限すべきだろうと考えています。

それで、この議論は、マッキンゼーに調査していただいたのですけれど、どういう基盤の医療システムというものを基盤計画としておいて、それに対して実態配置をどのようにやっていくのが一番いいのかというのが判断するときの重要な要素になってくると思いますので、簡単に言うと、イギリスのシステムが総合的に日本にとっていいのか、あるいは日本をベースにした少し改変型みたいなものがいいのか、そういうところを考えつつ、総合医、家庭医の後期研修においても考えるべきなのではないかなと思います。そして、それは多分次々回につながっていくのだろうと思います。

日本の医療システムの現状の認識と改善策の検討
それから、学生さんと討論したいなと思っていたのですが、学生の立場からは、当事者として2つあると思います。

1つは、若い者として、個人としての将来に向けて自分がどういう取り組みをしていくかということと、どういう希望を持ってそれに向かっていくかという観点。

それから、医療体制に対する提言なので、体制、仕組みをどのようにしてやっていくか。そうすると、一番大きな問題は、診療科にしても地域にしても、配置の最適化、あるいは最適になるような方向に向かって施策を打つということが非常に強く求められているわけだけれど、それに対して、当事者である学生の立場からどういう具合にコミット(関与)できるのか。

私は、先ほど規制緩和とインセンティブがツールになるのだということでしたが、ある面では、適正な規制──適正な方向に向かうような形での規制をどういう具合に入れていくのかということも、考える視点になるかなと思います。

学生としての当事者としての視点と医療施策への関与
○土屋
よりよい規制(緩和)とインセンティブによる制度の運営
ありがとうございます。最後にご発言いただいて、大変助かりました。私もさっきメモをしていて、「規制緩和とインセンティブ」というのを、「緩和」の部分をと括弧して閉じて、「よりよい規制(緩和)とインセンティブ」というところがキーワードじゃないかというつもりで聞いておりました。

昨日、マッキンゼーで、この後、どうまとめていこうかという話もしたときに、まさに短期的なもの、トランジションのものと将来的なものということで考えていくときに、科ごともありますし、地域性もありますし、その辺を「的確な規制とインセンティブ」で誘導していかなければ、なかなかその形には行かないのだろうというのを議論しまして、それは今、渡邊君とマッキンゼーのほうで討論内容をまとめていますので、その思考過程を次回までに開陳をして、次々回のときにはそのディスカッションができるようにと思いますので、ぜひまたご検討いただければと思います。

それから、今日問題になったイギリスのGPについては、次回にもうちょっと掘り下げて考えて、次々回には、今言いましたように、これを取りまとめていく過程についてご相談をしたいと思います。
それでは、渡邊先生、事務局から連絡をお願いします。

よりよい規制(緩和)とインセンティブによる制度の運営
○渡邊(事務局)
次回の班会議
次回は、2月9日の15時から17時まで、この同じ会場で、英国家庭医学会の前会長でいらっしゃいますロジャー・ネイバー先生にご講演いただいて、家庭医の、あるいは総合医の仕組みについてご意見をいただき、ご討議をいただきたいと思います。

葛西先生、ご紹介をいただければと思います。

次回の班会議
○葛西 ロジャー・ネイバー先生は、2006年まで英国家庭医学会の会長をされていた先生で、私とは2005年からおつき合いがあって、2005年から日本に3回来られて、日本の事情も非常によくわかっておられます。英国家庭医学会前会長というと非常に権威ですが、もちろん実績のある方ですけれど、イギリスのブレア前首相などと同じように、若くしてみんないいポジションで仕事をしてリタイアしますので、まだ年齢は60歳ぐらいで、非常に若々しくて、そして皆さんにいろいろな質問に丁寧に答えていただけると思います。今日来た学生の方も次回もぜひ参加されたらいいと思いますし、メディアの方も含めて、家庭医療というものが何か、コアの部分でどういうことが家庭医療の価値観であるのか、そしてそれをイギリスの社会でどのように適用させて、どういう問題点があるのか、どこがうまくいっているのか、いいところも悪いところも全部聞いて、理解を深められるいい機会だと思いますので、どうぞご期待ください。

なお、プレゼンテーションは、通訳をつけていただくようお願いしていますし、スライドのほうも既に入手しまして、今、私が翻訳をして、日本語のスライドと英語のスライドと両方を見られるような形で、事前資料にも含めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 
○土屋
閉会挨拶
ありがとうございます。

それでは、次回のイギリスの分とその後の取りまとめですが、取りまとめ前に、マッキンゼーのほうのまたご厚意で、もう1回ロンドンと会議を行い、さらにまとめをきっちりやっていきたいと。まとめのところも彼らはサービスで手伝ってくれるということですので、説得力のある報告書にして、多くの方面で受け入れられるような形のご提言をしたいと思いますので、年度末の忙しいときで申しわけありませんが、また何度もお声をかけるかと思いますけれど、よろしくお願いいたします。

今日は、時間厳守と言いながら、10分超過しまして、120分の10で、10分の1以内ということで、ご勘弁を願いたいと思います。

それでは、今日の班会議を終わります。どうもありがとうございました。

閉会挨拶


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