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厚生労働科学研究費補助金(厚生労働科学特別研究事業)
医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究

第5回班会議 会議録


日時:平成20年12月5日(金)15:00−17:20
場所:慶應義塾大学 新教育研究棟 講堂1
出席:土屋(進行)、有賀、海野、江口、岡井、葛西、川越、阪井、外山、渡辺
    前沢政次先生(日本プライマリ・ケア学会会長)
    山田隆司先生(日本家庭医療学会代表理事)
    小泉俊三先生(日本総合診療医学会運営委員長)

発言者 発言内容 進行・要旨
○土屋
開催挨拶
今回の趣旨説明
本日の議事進行の流れ
それでは、時間になりましたので、厚生労働科学研究費補助金「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究」班の第5回班会議を始めさせていただきます。

本日は、慶應義塾大学の渡辺准教授にいろいろお世話いただいて、教室の方に机の並べかえまでやっていただきまして、本当にありがとうございます。

また、この班会議は、予算規模も非常に小さくやっておりますが、私を助けてくれる仲間が増えまして、とくに学生さんが、自分の将来を考えて興味を示していろいろなお手伝いをしてくれまして、助かっております。あらためて御礼申し上げたいと思います。また、逆にそれだけ期待をされているかと思うと身の引き締まる思いで、立派な報告書をまとめて、この後期研修を軌道に乗せるような提言ができればと、あらためて強く思う次第であります。

開催挨拶
本日は、第5回ということで、お手元の議事次第に書きましたように、日本総合診療医学会の小泉運営委員長、日本家庭医療学会の山田代表理事、日本プライマリ・ケア学会の前沢会長にお越しいただいて、特に家庭医、総合医という観点からお三方にお話を伺うことにしております。

また、その後、川越委員から所感を述べたいということで、川越委員からもお話を伺うということで、2時間では盛りだくさんなものですから、討論の時間が少し限られるかもしれませんが、よくお三方のご意見を聞いて、以前の会でも、専門医というものを考えるときに、対する家庭医、総合医を含めて専門性という観点から検討していった方がよろしいという方向にあると思いますので、そういう意味で、家庭医あるいは総合医、総合診療医というものをどのように考えていったらよろしいかというのを、今日の三人の先生方のお話で皆さんの頭の中がクリアになればと思います。そして、それをもとに、各専門分野はどうやっていったらいいのか、というところにお話が還元できればと思っております。

今回の趣旨説明
それでは、時間が限られておりますので、早速始めたいと思います。今日は順番が、最初に日本プライマリ・ケア学会の前沢先生、2番目に日本家庭医療学会の山田先生、最後に日本総合診療医学会の小泉先生という順番でお話しいただきます。まず、お三方のお話を全部聞いた後で、ご質問、討論に入りたいと思います。

また、いつもの班会議どおり、全部公開とさせていただきますし、審議の内容は逐語訳で議事録としてまたホームページに掲載させていただくことをご了解ください。

今日はテレビ局は特に入っておりませんので、お化粧はしないで結構ですが、声はそのまま録音をとらせていただくことをいつもどおりご了解を願いたいと思います。

また、報道の方には、そのまま自由にお伝えいただいて構いませんので、よろしくお願いいたします。できるだけ多くの方に生の声で正確にご理解をしていただきたいというのが私どもの班の趣旨ですので、その班の趣旨をご理解いただいて、どうぞご協力いただければありがたいと思います。それでは、早速、前沢先生、よろしくお願いいたします。

本日の議事進行の流れ
○前沢
自己紹介
学会の特色の変遷
学会の構成
専門医・認定医制度とプライマリケア医の診療の要素
目指す総合医と学会の取り組み
三学会連携による認証制度と合併の予定
生涯教育プログラム
学会が考える総合医の役割
専門医としての総合医のあり方と研修の必要性
地域に即したプライマリケア
今後の研修プログラムと横断型の専門性

日本プライマリ・ケア学会の会長を務めております前沢と申します。会の性格は、ご存じの方とそうでない方といらっしゃるかと思いますが、31年前にスタートした学会でございまして、私の前まで7名ぐらいの先生方が会長を務められましたけれど、皆、大都会の開業医の先生方が会長を務めておられまして、大学の教員が会長になったというのは、私は昨年の5月末からですが、初めてでございます。
今日は学会を代表してということになっておりますが、かなりの部分が個人的な意見ということでお受けとめいただければありがたいと思います。

自己紹介
我々の学会の特色ですが、30年前に発足したときは、何科の専門医でもないということで、開業の先生方が多かったわけでございますが、内科、小児科の先生方はもちろん、眼科であったり、脳外科であったり、いろいろな先生方がご参加をしてくださったということでございます。といいますのは、この学会の前身といいますか、今でも存続しておりますが、「実地医科のための会」というのがございまして、実地医科というのは、当然、何科の医師であっても開業とか住民の方に身近な医療を提供しているということでありまして、何科でもありということでありました。

ただ、30年たちますとだんだんと様相が変わってきて、途中からプライマリケアに特化した医師のあり方ということで、家庭医と呼ばれるような医師のこともいろいろ議論をしてまいりましたし、この学会をやりながら、私は家庭医療学会をつくる最初の準備段階のことをやらせていただいたりということで、多少複雑な問題もございます。

ただ、最近の学術大会の様子を見てみますと、内科の先生方が主になってきて、特に言葉として適切かどうかわかりませんが、地域ケアということで、特に福祉とかなり結びついた在宅がメインになることもありますし、高齢者ケアということもあるかと思いますけれど、そういうことを多職種協働でやっていこうという人たちの集まりという印象を受けます。

学会の特色の変遷
私どもの会はほかの2学会とやや異なるところは、医師の集まりと書いてはおりますが、現在、4,600名の会員がおりまして、3,500〜3,600名が医師でございまして、後は歯科医師、薬剤師が主にほかにおりますし、そのほかには、看護職とか、地域で頑張っておられる介護支援専門員の方とか、地域ケアに携わっている多職種の方で形成されている学会ということでご理解をいただきたいと思っております。

学会の構成
今回の後期研修につながるようなテーマであります専門医・認定医制度でございますが、1978年6月に我々の学会が設立されまして、1993年ですので、15年ぐらいたって、認定制度というものをつくるべきだということでございまして、これはこれまでどんな専門科をやってきた人でも、プライマリケアのコアの部分をきちんとやる方であれば受験ができるということでやってまいりました。

そのころから、議論としては、先ほど申し上げたプライマリケアに特化した専門医的な要素を持った、特に若い世代の医師を育てなければいけないということで、2001年4月からは専門医試験をやっておりまして、現在、認定医は1,000名、専門医は50〜60名でございます。そういう数でやってまいりました。
これは歴史でございますが、最初にこういう制度をつくろうといったのは、「地域を基盤として、継続的に展開される包括的、ならびに全人的なプライマリケアについて、その知識、技能および態度を習得し、かつこれを実践している医師を学会として認定し、もって会員の資質の向上と我が国のプライマリケアの発展に寄与する」という考え方でスタートしたわけでございます。

どんな範囲の診療をするかというのは、グレーゾーンがたくさんございまして、アメリカの国立科学アカデミーの定義に倣って、下に書いてございます5つの要素をきちっとあわせ持つプラクティショナーと考えております。「近接性、包括性、継続性、協調性、責任性」でございます。最近は、「責任性」という言葉にかえて、「文脈性」とか「コンテクスチュアル・ケア」などとも言われておりますが、大体こうした要素を中心に考えてまいりました。

先ほども申し上げましたように、専門医と認定医がどう違うかということでありますが、プライマリケアに特化した研修を5年以上された方ということで、研修プログラムというのはどういう行動目標を持つかということが書いてございまして、これはあってもなくてもいいのですが最低会員歴が3年ということで、事例を20例出して、後はOSCE(客観的臨床能力試験)的なアセスメント(評価)をしまして、筆記試験をしていくということで、専門医をやってまいりました。

専門医・認定医制度とプライマリケア医の診療の要素
学会としてどういう総合医を目指しているのかということでありますが、我々の学会は何でもあり──というと非常にあいまいになってしまいますけれど、目指しているところは、現在、私も会長になりましてこれまでの歴代の会長の考え方を少し刷新しながら、かつ伝統は引き継ぐという形でございまして、国民の健康つくりへの支援、それから、会員が非常に多くなってまいりましたので、全国の都道府県の支部、ブロックごとの地方会というものをきちんと整備しなければいけないという課題を今やっているところでございます。

それから、多職種協働ということでございますので、医師以外の人たちを排斥するということではなく、包含して学会を進めなければいけないということがありまして、プライマリケアチームというものを少し考えて、多職種協働で、それを確認した地域ネットワークつくというものを大きなテーマとして、委員会もつくり、病診連携の問題や診診連携、福祉と医療の連携というあたりを今いろいろと構築しているところでございます。そして、モデル的な活動を全国に発信しているという仕事をしております。

目指す総合医と学会の取り組み
それから、専門医というのが独自でやってきてはいたわけですが、家庭医療学会、総合診療医学会とかなり共通点がございますので、これを機に、日本医師会とも連携をとって、共通したカリキュラムで共通した認証制度をきちっとつくるべきではないかということでやっております。

そうこうしているうちに、三学会は合併すべきではないかと、国民のためにも、医学界に対しても、きちんと共通点を見いだして、大同小異で連携をしていこうという時期になっておりまして、現在のところ、2010年の4月を目指して合併の予定になっております。

三学会連携による認証制度と合併の予定
それから、教育ということに大変力を入れてまいりまして、指導医の育成強化ということで、ここ10年ぐらい、ワークショップ形式の体験型学習というものをやってまいりましたし、生涯教育プログラムというのは、家庭医療学会などに共通するところがありますが、学会の学術体系の中で、また、秋期セミナーと称して、2日間、今年は3日間、生涯教育の充実に努めて、会員の診療の質の向上ということを目指してやってまいりました。

生涯教育プログラム
我々の考える総合医の役割でございます。

まず、日常病の診療ということで、生活習慣病、慢性疾患に代表される仕事をしているわけでございます。

それから、最近の課題としては、うつ病ですとか、メンタルヘルス的なこともかなりこの日常病の中に入ってきているという印象を強く受けますし、我々の母体となっております国際的な学会でWONCA(世界家庭医学会機構)というのがありますが、そこでもメンタルヘルスやへき地医療ということが今年の学会の大きなテーマでありましたので、我々もその辺のことを含みながら、日常病をきちんとできるようにしていこうということでございます。

それから、範囲としては、一般には大人を診ておりますが、小児を診ている方もいらっしゃるし、地域によっては整形外科疾患、皮膚科疾患、そのほかのところも、付近に専門医が少なくてやらざるを得ない医療というものもあるわけでございます。

それから、相談機能、紹介、連携ということで、つながりのある医療を展開していこうということで、より患者さんにとっては効率よく専門医につながっていく、そして専門医が不必要な状況に対してはきちっと我々が答えを患者さんと一緒に見いだしていく、そういう仕事でございます。

それから、専門医療の補完ということを考えておりまして、小児科の救急の軽症の部分をある程度担わなければいけないとか、産科に関しても議論の最中ではございますが、ある程度の妊婦の管理などもお手伝いしなければいけないのではないか。そういったことをその時々に応じて柔軟に専門医療をカバーしていくような総合医でなければいけないだろうということを考えております。

それから、プライマリケア・チームということで、在宅重視の高齢者の地域ケアということがかなり大きな我々の仕事になってまいりましたし、予防活動ということも含めて、行動科学等を勉強しながら、特にメンタルヘルスということを考えますと、自殺予防のプログラムなども含めたメンタルヘルス・プロモーションということも視野に入れております。

学会が考える総合医の役割
今後の医療に対する提言でありますが、こうした医師を目指すには、これからの医師たちには後期研修ということを義務化していかなければいけないのではないかと思っております。もちろん、専門科をやってから受けるということであってもいいと思いますが、専門医療の細切れ的な寄せ集めの知識や技術で総合医をやろうということは、ちょっとおかしいのではないかと私は思っております。

そういう意味では、患者さんと医師の1対1の医療だけではなく、プライマリ・ヘルスケアの理念というものをきちっと踏まえて、研修をして、実力を身につけていただきたい。特にそれは地域へのアプローチ方法を身につけることだということであります。

専門医としての総合医のあり方と研修の必要性
これはオーストラリアのGP(総合医)の協会などがつくっているものでありますが、ジェネラルプラクティスとプライマリ・ヘルスケアとポピュレーションヘルスということで、横が疾患から予防まで、縦が個人から地域全体に対する医療で、これらをひっくるめてある程度やっていくということでありまして、多職種協働の福祉と連携した医療もありますし、予防的な医療、そして地域の対象人口のニーズというものをきちっと把握して、政策的な医療をやっていく。そして、地域づくりも一緒にやっていく。この辺のところが大きな問題かなと思っております。

そういう意味では、これまでの開業の先生は、病院での専門医療の研修をして、そのまま専門医化した開業という形でありますが、専門をやっていた方が総合医をやろうとするためには、総合医の研修というものをやっていただいて、地域の総合医として開業していただくような道筋をきちっとつくっていかないといけないのではないかなと思っております。

これは地域のアプローチ方法で、ニーズのアセスメント、そして量的・質的なデータを集めてニーズを定義づけて、それの解決法を図っていくということで、これをコミュニティ・オリエンテッド・プライマリ・ケア(COPC)と呼ばれておりますが、この哲学をきちっと身につけるべきではないかと思っております。

地域に即したプライマリケア
最後に、新しい認定制度で、現段階では、三学会共同の後期研修のプログラムを家庭医療学会のプログラムを基礎にしてつくっていこうという段階でございますが、これから日本医師会がどう出てくるかわかりませんけれど、今、私が個人的に考えている私案でございますが、総合医研修を3年やる。これは新卒の方は3〜5年目はもちろんでありますが、専門医からの転向をしておられる方もできるだけこういう研修を、あるいはこれに準じた研修をしていただいて、総合医の認定ということで、専門を持ちながら総合をやるということもある程度許容していかなければいけないのではないかと思っております。

それから、我々に特化したいろいろな働く場所、地域がどうであるかということと、それぞれの専門性──と言っていいのかどうかわかりませんが、縦割りの専門性ではなく、横断型の専門というものを幾つか身につけていただいて、それから地域の総合医と病院総合医というものが水平型の専門医として認定されるような形に持っていければと思います。特に若い方々にはこういうことを目指していただいて、日本のプライマリケアの質を高めていきたいと願っているところでございます。

ご静聴をどうもありがとうございました。

今後の研修プログラムと横断型の専門性
○土屋 どうもありがとうございました。多分たくさん質問があると思いますが、共通点もあると思いますので、メモをしておいていただいて、お三方が終わったところでまとめてお聞きしたいと思います。

それでは、続きまして、日本家庭医療学会の山田理事にお願いいたします。

 
○山田
一次医療を担う医師の医療の資質と研修
患者の個別性の理解の必要性
診療所における高齢者の慢性疾患管理
分化型の専門医と一次医療を担う総合医が求められる資質の違い
一次医療で求められる医師の資質
一次医療における職場に適合した研修の必要性
救急における一次医療、地域の病院の役割
家庭医養成における地域病院と開業医の活用
地域のニーズと機能に応じた研修の重要性
家庭医の研修プログラムの概要
家庭医研修プログラムの運用と偏在是正の可能性br> ・継続的なケアの重要性

家庭医療学会から参りました山田と申します。今日は、このような機会を与えていただきまして、班の皆さん、会場の皆さん、ありがとうございます。

僕は、ご案内のとおり、家庭医療学会の代表ということで来ましたが、前沢先生と同じように、僕自身も多分に私案ということがございますので、私見を中心にして、特に今日は一次医療を担う医師の医療の質を中心にお話をさせていただきたいと思います。この前の会議の議事録を少し読ませていただきましたが、できるだけ私ども一次医療に携わっている者の立場から、どういうことが後期研修として必要かということを中心にお話をしていければと思います。

一次医療を担う医師の医療の資質と研修
これは僕自身がよく大学の講義のときに使うスライドですが、腰の曲がったおばあさんが毎週、僕の診療所に「腰が痛い」と言ってやってきて、レントゲンを撮って、骨粗鬆症で圧迫骨折があって、それに焦点を当てて、一般的に行うようなカルシウム剤や鎮痛剤や湿布剤などで治療をしていたのですけれど、あるとき、往診に呼ばれて行ったら、介護のことを大変やっておられて、なかなかそういうことをおっしゃらなくて、行ってみて初めてわかったと。

この方の腰痛を治すために、できるだけズームインして腰だけを診ていると腰の治療になってしまったのですが、ズームアウトしてこのおばあさんの生活を見ると、実はこのおばあさんの処方せんは、介護ヘルパーさんの導入というのがこのおばあさんの生活の質を上げてあげるための最も重要な手段だったと、自分の自戒の症例としていつも出すところです。

もちろん、急性期の病気や非常に重症な病気はしっかり診断をして適切な介入が必要で、そのためには、こういった疾患モデルをしっかり理解することが重要なのですが、一方で、同じ感染患者さん、あるいは同じターミナル(終末期)の患者さんといっても、今のおばあさんではないですけれど、個別性──どういったところで生活をされて、どういう役割をされていて、どういう思いで生活をしているのか、そういうことを理解する必要があるということを強調したかったところです。

ということで、身近に患者さんと接する時間が長い、何回もおつき合いをする、あるいは年余にわたっておつき合いをするという医師にとって非常に重要なのは、こちらも重要ですけれど、むしろ患者さんの生活を支える視点で、そのためには病人を理解しなければいけない。そのためには、個別性ですとか、家族ですとか、その方の全人的な、あるいは幅の広いことを理解する必要があるということです。

患者の個別性の理解の必要性
細かい字で申しわけありませんが、私は自治医大の卒業生で、へき地勤務が20年弱ありますけれど、10年ぐらい前に同僚と5カ所の診療所で、人口1万人ぐらいの人たちをカバーして、1年間データをとったときの資料です。新しい健康問題、コモン(一般的)な問題として何があるかということですが、トップは風邪です。これは全世界どこでやっても、GP(総合医)あるいは家庭医のところにはそういう人たちが来るわけですけれど、トップの20位で50%を大体カバーできるのですが、その中にも上位に、湿疹(しっしん)ですとか腰痛ですとか切り傷ですとか、診療科をかなりまたがるものが出てくるということを理解していただきたいと思います。

それから、診療のうちの6割以上は継続的な慢性疾患管理が多いということが実情です。その中では高血圧がトップですが、それ以外にも糖尿病もそうですけれど、ただ、その上位20位までやると6割ぐらいがカバーできるのですが、その中には、骨粗鬆症ですとか、白内障、睡眠障害、ぜんそく、脳卒中後遺症等々、かなり幅の広い疾患をカバーする必要が出てくるということです。

これは1人の70歳を過ぎた症例の方を10数年追いかけた模式図です。高血圧を持った患者さんで早期がんが発見されて、その後、慢性の気管支炎を持ったり、変形性の関節症や白内障や耳鳴りがあるといった方が、年余にわたって、平均すると5個以上、ご高齢の方々はそういう疾患をずっと管理せざるを得ない。これを総合病院で行うと7〜8人の医者が管理をしなければいけないということですが、安定期の慢性疾患の管理というのはそんなに特殊な技能を要さないものですから、1人の医師がマネジメントすることが非常に適切ではないかということで、これは高齢者のことに少しシフトしてお話ししました。

診療所における高齢者の慢性疾患管理
我々が大学時代に学んできた医学というのは、どちらかというと分化志向で、高度な知識を求めるためにそういうことに分化していたと。一方では、現場では患者さんに対応しなければいけないとなると、今お話ししたとおり、非常に幅広くやらなければいけない。

そこで、何が重要かというと、患者さんと非常に長くおつき合いすることが重要になってきます。ですから、分化医と書きましたけれど、私は総合医も一つの専門医だと思っていますのでこういう表現を一部使いましたが、分化型の臓器専門医にとっては、質を保つためには、同じ病気をずっと1,000例、2,000例診た人の方が価値が高い。一方で、総合医として、町医者として地域でやっていこうと思うと、1人の人に、あるいは1つの家族に、あるいは1つの地域に長くいて、広い分野を対応して、いつでも相談に乗ってあげるということが実は一次医療の質の根幹にかかわるところだと。

ですから、こういった志向を持っていく医療と、患者さんに身近に提供する医療とをあわせ持って両方をこなしていく、1人の医者がずっと担っていくというのは、不可能だということを認識した方がいいのではないかなと思います。

これは言うまでもありませんが、三次医療で必要とされる医療の質というのは、一般的に、特殊な病気に詳しいとか、1つの分野に最先端のものを持ち込んでくるとか、そういった医療機器を使って、プロセスよりも結果──手術成績とか生存率とか合併症の発症率とか、そういうアウトカムで評価するのが三次医療の質だと思います。

ただ、そういう視点で一次医療に来られますと、基本的には、一次医療の現場でも同じようなことをする習性はどうしても身につきますから、自分の一般的な診療所へ来た外来ですら、自分の専門の疾患をできるだけ見落とさないようにするという習性が働きますし、そのためには、専門的な検査を網羅的に行いがちですし、一次医療の段階でCTを撮るとか、普通の患者さんに多く使いがちになるということがあります。

分化型の専門医と一次医療を担う総合医が求められる資質の違い
それで、先ほどお話ししたように、比較的安定した一次的なケアで十分済む慢性疾患の管理にも、複数の医師の手が必要になってしまうということで、一次医療に高度のキャリアを持った人たちがそのまま入り込んでくると一次医療で何が求められているかというと、我々は日常病と呼んでいますが、風邪ですとか高血圧ですとか、そういった日常的な健康問題に詳しいことが非常に重要だと。それから、包括的な、全身がある程度診られること。「全身が診れる医者なんているのか」と言われるかもしれませんが、一次のことに限って言えば、十分研修が可能ではないか。それから、特に病初期の診断がまだはっきりつかないときに、診療所レベルで診断がつくというと限られていますが、そういうときに適切な介入ができる、あるいは、その中でも重大な疾患を見落とさない、そういう能力が非常に重要だと思います。

それプラス、非常に大事なのは、三次の現場よりも一次で最も大事なのは、コミュニケーションであるとか、この人は何のために目の前で診療所に来ているのかということをよく理解して、適切な介入に努めることが非常に重要だということです。

ということで、専門医療がうまく機能するためには、こういった一次医療もうまくプロがやった方がいい。そのプロはどういうものかというと、日常病に詳しくて、今お話ししたとおりの要素があり、主に外来対応が主体ですが、できるだけ長く、家族全員をいつでも、だれでも、どこでもという格好の診療が非常にふさわしいのではないかと思います。

ということで、一次医療で必要とされる総合医の持つべき資質というのは、先ほど前沢先生のスライドにもありましたけれど、身近で、長く、全身を、それでもってほかの職種とも協調して、コンテクスチュアル・ケアと書きましたが、患者さんの思いだとか、患者さんの個別性を尊重するようなケアが非常に重要だろう。これを重要視しようと思えば思うほど、その方と長くつき合う必要があると。

一次医療で求められる医師の資質
今までの医療というのは、どちらかというと一つの専門性があることが医療の質を担保すると言われがちで、これさえあれば、病院へ行こうが、診療所を開こうが、一つの医療の質が保たれていると思われがちだったのですが、実際の現場でおおむね人がコモンに起こる問題に対応していると、それよりは今後の総合医や家庭医はコモンな問題をよく研修をして、これが本当にできるかと言われるかもしれませんが、うつや鼓膜を診ること、あるいはひざの関節を穿刺(せんし)すること、あるいは皮膚の白癬(はくせん)菌の真菌を検査することぐらいは、外来設定であれば、対応することはそんなに不可能なことではないと思います。

私自身は、医師の研修というのは、どちらかというと機能別に、生涯にわたってやる職場にフィット(適合)するような格好でトレーニングをするべきではないかなと。ですから、一次医療の現場では、先ほどからの繰り返しになりますが、こういった形でやろうと。

とかくこちらが質が高いと重要視されがちですが、一般に地域病院の非常にジェネラル(総合的)な部分の基本的な診療科の先生たちの診療も実は非常に重要で、整形外科であれば、一般的な骨接合術や、産婦人科の分野であれば通常の分娩(ぶんべん)や、そういうことを支えるような地域病院の役割、あるいは研修というのは非常に重要ではないかなと考えています。

一次医療における職場に適合した研修の必要性
特に救急の問題は非常に重要で、救急に対しても機能別にしっかり応えていくシステムだと。そのためには、今、三次救急が破たんをしている現状がいつも報道をにぎわせますが、まずは一次医療で対応することをしっかりやることの方が実は重要で、そこをまず食いとめないことには、二次、三次の混乱が起こっているというのは否めない事実だと思います。

では、何を一次医療が受け持つべきかというと、少なくともかかりつけ患者さんとか日中診察した患者さんとか、クライアントだと思っている人たちの時間外の対応は、一次医療の人たちがすべきではないか。これをあまり言うと、「そんなことはできるわけがない」とおっしゃられるかもしれませんが、少なくとも、電話を受けるとか、相談だけ乗るとか、あるいはグループで対応するとかということをやって、比較的安定した、あるいはいつも診ている患者さんのいつもの病気──いつも診ているといっても、アクシデントが起こって交通事故に遭ったようなときは別ですから、いつも診ている人がいつも診ている病気で重篤になった場合には、それこそがかかりつけ医の最も重要な役割だと思いますので、ここを保証してあげることをまずしないと、救急の問題はなかなか解決しないのではないか。

それがあってこそ、二次救急といいますか、地域の病院は基本的には救急車を全部受け入れるべきだと思います。そして、それを担保してあげるためには、手に負えないものは全例、三次病院へ送る。そして、三次病院側は、二次救急から来たものは全例断らない。そういうことを整理していくためには、どうしてもまず一次医療を最初にしっかり対応するということが、非常に重要な鍵ではないかなと思っています。

ということで、一次医療の専門家というのだったら、いつでも、だれでも、何でも、一応は対応するということをまず習得してもらうことが非常に重要ではないか。それでもって適切に紹介できる、あるいはずっとその患者さんを継続して診る、あるいはコミュニケーションと言いましたけれど、こういうことをわきまえていることを育てることが一次医療の医者には非常に重要ではないかなと思います。

救急における一次医療、地域の病院の役割
では、日本では家庭医をどのように育成するかというのは非常に問題かもしれませんが、単に外国でのトレーニングをそのまま輸入してよくないことはよくわかることですけれど、今は困った分野に少しでも貢献できることを戦略としては考えるべきだろうと。

それから、今お話ししたように、質の高い医療というのは、家庭医療の場合は、単に一つの分野に秀でることではなくて、幅広くいつでも何でも対応してあげる、という患者さんの信頼を得ることが実は非常に質の高いことであると、そういう価値観を国民にもわかっていただくことが大切であると。

それから、既存のシステムをうまく使って、地域病院で、ジェネラリスト(総合医)を育てるには、高度な医療機関よりも地域病院の方がずっといいんです。二次医療機関のようなところが実は総合医にとっての最良の研修場所だと思っていますので、ちょうど医療崩壊を来しているような地域の100床、200床、あるいは300床ぐらいの病院が僕としては研修場所として適切だろうと思います。

それから、地域の開業医の先生たちをぜひ指導医として、それこそまさに日本の家庭医を生み出すための最大の資源だと思っています。

家庭医養成における地域病院と開業医の活用
ということで、家庭医療を実現させたいのですけれど、単に家庭医療という用語を普及したいためにやっているわけではなくて、むしろ、よりよい医療を実現するために、家庭医療というのは一つのキーワードになるのかなと。

今、初期臨床研修の必修化は幅広い専門医の育成ということで始まったと思いますが、僕としては、それ以上に、分化型の臓器別の専門医プラス総合医の育成という二段構えになる必要があるのではないか。そうすることによって、地域病院の今のさまざまな問題が多少でも解決の方に向かっていくのではないかなと思います。今までは大学を中心にして高次医療を提供して、そこの人たちが地域の病院、あるいは診療所医療まで担っていたのですが、ここからのフィードバックがあまりかかっていなかったんです。今後は、地域のニーズに合わせて、それぞれの機能に合わせたトレーニングが非常に重要ではないかなと思います。

地域のニーズと機能に応じた研修の重要性
我々家庭医療学会では、今、3年間の後期研修を推奨していますが、これだけで日本の人口1億3,000万の人たちを支えることは到底不可能ですから、各科の専門医の人たちは、既に実際に開業されていらっしゃる方が指導医として参加することで、その質を向上してもらう。単にここで何時間の研修を受けて認定をもらうというよりも、こういった若い人たちの研修にぜひ全員が参加してほしいと思います。

これは家庭医療学会でつくったもので、今はバージョン1になっていますが、どういう医師を養成するのだということが、こんな能力を持った人たちを地域の診療所や中小病院で担うということを目標に育てているところです。今、最低限のところは、診療所研修を6ヵ月、あるいは内科──といっても大きな病院の内科ではなくて、分かれていないような地域の病院でぜひ6ヵ月やってくださいと。というのは、この研修を選んだ人たちが、今、医師不足で悩んでいるような、そういう地域の病院でできるだけ研修をしてくれることを期待してこういう文言を入れました。

それから、小児科の3ヵ月のブロック研修も、初期臨床研修プラス3ヵ月を入れたのも、今、小児科医の人たちが非常に苦労しているという現状を踏まえて、後期研修の人たちが研修医として参加することで、少しでも地域の小児科の先生たちを応援できないかという視点が入っています。
後は、こういった診療科の研修を入れました。

今までは、幅広い分化型の研修をして、こういう人たちが診療所医療を担っていましたけれど、今後は、これは意見が分かれるところかもしれませんが、総合医にはスーパーローテートは必須ですが、そうでない人たちには必ずしもスーパーローテートは有効に働かない部分もあるので、それぞれ特徴ある育て方をすればいいのではないかと思っています。総合的な臨床能力は、卒前研修のところで十分入れ込むことが可能ではないかなと思っています。

家庭医の研修プログラムの概要
ということで、今後、質の高い家庭医を確保するためには、我々家庭医療学会は、バージョン1というこういう研修プログラムをつくりましたけれど、今、日本医師会とこういう形でカリキュラムの整合性を持たせるようにやっていますが、新卒者の3年間の認定プログラムというところでは、これを取り入れてもらうように、それに関してはあまり異論がなさそうですけれど、今、既に診療しておられる方々は、十何時間とか何十時間とか研修すれば入っていいような経過処置をつくろうとされていますが、それ以上に、僕としては、医師会の方々が診療所研修の部分を少しでもバックアップしていただければ、日本で日本の先達が自分たちの手で一次医療の自分たちの後輩を養成していくということがないと、今、せっかく開業医で非常に質の高い医療をされている先生方の資源がもったいないと思っているところです。特に地域研修としては、先ほどの繰り返しになりますが、三次ではなく、二次医療機関でぜひ研修をしてほしいと思います。

ということで、何人養成するかという議論よりも、どういう医師を養成するか、そしていつも日本の社会ニーズに応えられるような医師の育成を意識するべきだろうと思っています。そうあっても、やりにくいところで、へき地や地域偏在とか、救急、産婦人科、診療科偏在ということが出てきますが、それを解消するためには、例えば、今、地域保健などが広まっていますけれど、これも僕としては総合医を養成していく一つのボリュームになるのではないかなと思います。

そして、専門分野でできないところは、例えば先ほどお話ししたように、後期研修医が、例えば家庭医をやるためには小児科を必ずやってくださいよ、あるいは分娩の手伝いをしてくださいよということを入れていけば、専門医にはなれないかもしれませんが、卒業後、3年目、4年目、5年目の医者がそういう診療を支えることができる。ほかにも、外科系の人たちは、例えば麻酔科を必修にするとか、救急は家庭医研修の中に入れてもいいと思いますが、そういうことを入れていくとか、後期研修の枠が地域偏在や診療科偏在を解決する大きなボリュームになり得ると。ですから、これを活用しない手はないのではないかなと思っています。

家庭医研修プログラムの運用と偏在是正の可能性
これは認知症の患者さんですけれど、介護施設にいて、普通のスタッフは何をやるのかよくわからないのですが、僕はこの患者さんと20年つき合っているものですから、この方が以前に胃がんの手術をされて、その後、議員さんで隣村の議長さんだったのですが、そういうことで苦労されたり、あるいは娘さんが乳がんの手術をされて、実は5年ぐらい前に他界されたのですが、その娘さんを亡くしたときの相談相手として、病院に入院している間も何回も相談の話をしたのですが、そういう背景が僕としてはよくわかっているものですから、単なる認知症の患者ではなく、ケアをしていくときに、その人をよく知っている、長くつき合うということが、いかにケアの質を高めるかということを少し理解していただきたいなということで、たまたまこのスライドを出させていただきました。

以上です。

継続的なケアの重要性
○土屋 どうもありがとうございました。

それでは、続きまして、小泉先生にお願いしたいと思います。小泉先生は、日本総合診療医学会の運営委員長ということでお話をいただきます。

 
○小泉
病院の中での総合医という視点
総合診療の概念のなりたちとポイント
総合医のとらえ方
医師の役割の要素と総合医の位置づけ
病院における家庭医という存在
米国における病院総合医の位置づけ
家庭医と総合診療医の研修の制度設計
これからの専門学会の公益としてのあり方
総合医が集う統合後の学会

日本総合診療医学会の運営委員長をしております小泉です。

先ほどのお二方と同じように、学会の公式見解というより、かなりの部分は私の個人的な思いも入っていることをご了承ください。それから、私がお話しさせていただく3番目ということですが、今のお二方の先生のお話をしっかり理解していただかないと私の話が混乱を招くかもしれませんし、もししっかり理解していただくと、私の話はあまり要らないかもしれないと思っております。

というのは、今、皆さん方がご関心があるのは、地域医療の現場の医療の崩壊とか危機的な状況ということで、地域の医療をどうするかということについて非常に熱い関心を持っておられると思います。私は、ここでどういう話をするかというときに、病院の中での総合医ということに少し的を絞ったお話をしてきましたので、先ほどのプライマリケアと家庭医療のお二方のお話のようには地域の話を各論的にはできないと思っております。

病院の中での総合医という視点
ただ、総合診療というキーワードはかなり人口に膾炙(かいしゃ)されています。ただ、総合診療の「総合」という言葉は、総合商社もそうですけれど、内容がよくわからないという問題があります。ただ、歴史を少したどりますと、30年以上前になりますが、言葉としては、奈良県の天理よろづ相談所病院でこういう言葉が使われました。そのときの問題意識は、この天理よろづ相談所病院というのは、伝統校のすぐれた専門家をたくさん集めて高度診療をしたのですが、その診療科のはざまで置き去りにされる患者さんが多いということで、何とかしなければならないということで始まったと聞いています。

その後、総合診療の概念が広がって、川崎医科大学、そして国立大学では佐賀医科大学(当時)に導入されました。そして、現在では、全国の大学病院の約3分の2に総合診療ないしは類似の部門が創設されております。いろいろな表現はありますが、佐賀大学の場合で言いますと、「医療テクノロジーに偏重し、病気を見て病人を診ない専門診療の行き過ぎた細分化に対する反省をもとに、臓器や疾患を選ばず、患者の健康上の問題に広い視野から対処する」とされています。これは私が佐賀に行きます前、土屋班長もよくご存じの、今の聖路加国際病院の福井次矢先生が佐賀におられたときにつくられたものであります。

端的にキーワードで言いますと、下に書きました4つです。患者中心、チーム医療、EBM(科学的根拠に基づく医療)プラスNBM(経験や語りに基づく医療)、そして質・安全の向上ということがポイントになるかと思っております。

総合診療医学会としてはそれなりに学会の活動をしておりまして、こういう形で学会誌もつくってきて、学会のメンバーとしても、自分たちのコアバリューというものを確認しながらやっていくという姿勢でやっております。

総合診療の概念のなりたちとポイント
プライマリケアは危機にあるということですが、米国でもここ数年、プライマリケアが随分危機的状況にあるということで、プライマリケアを選ぶ、特にファミリーメディスン(家庭医療)を選ぶ人が減ってきている。これは後のディスカッションにも出てくると思いますが、ファミリーメディスンは非常に幅広い問題に対応しなければいけないということとか、いろいろな患者さんのいろいろな問題に対応するのでオン/オフがはっきりしないとか、明らかに医療費の支払いで専門医に比べて不利な状況にあるとか、さまざまな要素があるようです。

先ほど、分化医と総合医というお話がありましたが、全く同じことを言っておりますけれど、今まで言っていたスペシャリスト(専門医)と、それに対応する概念としてジェネラリスト(総合医)と、二分法で考えるとわかりやすいのではないかと思います。

総合医のとらえ方
それで、医者とは何ぞやということですが、昔、阪大におられた中川米造先生が、有史以来の「医師とは何者か」ということで、呪術師、侍従、カリスマであるといったことも含めて、歴史的にいろいろ説いておられたのを思い出しますが、そういう要素は今でも明らかにあります。

それから、科学者としての顔があります。これは1911年、米国で、フレクスナー・レポートというものが出て医学教育の大改革が行われましたが、そのときに、医学教育はサイエンティフィックベーシス(科学的な基盤)が非常に重要であるということが強調されて、その当時、わけのわからない医学校が200近くあったのを半分以下にしたという、ほとんど事件といっていいような出来事が約100年前にありました。それ以来、米国の医療は、医学教育も含めて、一つの模範となってきたと思います。

もう一つは、医者とは何者か──クラフツマン(craftsman)であるというのがかなり強いと思います。わかりやすく言えば職人です。技を持っている、腕を持っている。多分、外科系の先生方はこのイメージがかなりあると思います。医学界の腕と言われるものがあります。

もう一つは、カウンセラー、相談相手、アドボケート、代弁者である──患者さんとじっくりおつき合いして話を聞く。狭い意味の医療にかかわるだけでなく、幅広く患者さんの日常生活の問題にも対応して、そういうところからも健康問題に対する解決策を見いだしていく。

こういう4つの要素があるとしますと、非常に大ざっぱで申しわけありませんが、これまで言われた臓器別の専門診療医というのは、どちらかというと、さっきの3番目のスキル(経験)、技が決め手になると。すべての面がないと医者とは言えないのですが、特に強調するとすればその面だろうと。

それに対して、ジェネラリストと言われる人たちは、4番目のカウンセラー、アドボケートというファンクション(機能)ではないかと思います。

スキルに基づいたスペシャリストは、患者さんにある診療行為を行い、その診療行為を通じて病気を治そうと、例えば手術をしてがんを治そうと、そういう構え方だと思いますが、ジェネラリストは、医療の不確実性に直面して、将来いろいろな可能性がある、ある意味では疾病に直面した人というのは何らかの宙づり状態にも耐えなければいけないわけですね。自分の生命的なこととか健康について未来がはっきりしないこと、患者さんがそういう健康問題について耐えていくのをサポートする。そういう2つの役割があると思います。こういう二分法で整理すると、今言われている広い意味での総合医というものがどういうものかということがわかりやすいのではないかと思います。

医師の役割の要素と総合医の位置づけ
これからのディスカッションのための論点提供ですが、先ほども出てきましたけれど、地域の病院、あるいはここでは「中小都市の中小病院」という書き方もしていますが、このあたりがドクターの中でも、小松(秀樹)先生の書かれた本にある「立ち去り型サボタージュ」の現場ではないかと思いますけれど、こういう病院の形態というのは、世界各国の医療システムを見ても、どこでも病院とクリニックという二分法なのに、日本は地域に小さな病院がたくさんある。それがいい面も悪い面も含めて日本の医療をつくってきたと思います。そこにもう少し焦点を当ててはどうかなと思います。

そういう意味では、二分法にすれば、地域が家庭医ということであれば、中小病院で働いている先生は病院の医師ですから家庭医ではないように思いますが、実際に見ていますと、地域の継続的なケアにかかわっておられるので、病院勤務医であっても、家庭医か病院医かといえば、私は家庭医という面が強いのではないかと考えています。

ということで、無理やりわかりやすい二分法にしてしまっていますが、家庭医と病院総合医とに分けてしまいますと、こういうことになります。地域の現場で働いておられる勤務医の方も心は家庭医ではないかと思っております。

このことはこういう研究班でディスカッションしていただきたいと思いますが、病院というと、ハイテクで、てきぱきと患者さんを治療するというイメージですが、地域に密着した小さな病院は、いろいろな意味で患者さんのニーズに対応して頑張っていると思います。この間の行政政策を見ていても、そこにスポットライトが当たっていないような気がしてなりません。

病院における家庭医という存在
少しだけ米国の状況をお話ししますと、病院総合医──ホスピタリストという不思議な名前が流通していますが、この表で、米国の総合内科、ジェネラル・インターナルメディスン(総合内科)の人たちが徐々に減っているのと軌を一にして、ホスピタリストという人が増えてきているということですが、ジェネラル・インターナルメディスンという形で仕事をしていた人たちが、徐々に自分たちのアイデンティティをホスピタルベースト・フィジシャン(病院勤務医)ということで、自分たちをホスピタリストと名づけて自己主張をし始めたということであります。

これが有名な1996年のニューイングランド医学雑誌のRobert WachterとLee Goldmanの論文で、どちらも総合診療の人たちですが、ホスピタリストという言葉を初めて使いました。ほんの12年前のことです。しかし、今は米国でも2万人近いホスピタリストが、ある一つのスペシャリストとして活躍しています。これがそのRobert Wachter氏です。彼は、今、医療安全のことですごく話題になっていますけれど、『新たな疫病「医療過誤」』という本が今年の春ごろに出版されて、かなりの方が読まれたと思いますけれど、この本の著者でもあります。最近は医療安全のことで大変頑張っておられる方です。

ホームページはこんなふうに非常に整備されています。ミッションなどが書かれております。入院患者さんの診療に特化するのだということを書いています。歴史は、先ほど言いましたように、1996年に初めてできまして、この学会が2003年にできまして、右肩上がりの状況になっているということです。医療安全などにも非常に力を注いでおられます。

皆さんに配付資料でお配りしたものがありますが、これは説明し出すと長くなりますけれど、先ほどお二方の先生が、家庭医、プライマリケア、総合医の理念ということをお話しされましたけれど、そのこととほとんど重なっていると思っていただいていいと思います。

米国における病院総合医の位置づけ
最後に、教育のことで、先ほども山田先生がお示しになりましたが、一つは、いろいろなスタイルの診療があると思いますけれど、比較的その会に参加している人が多いものとして、左端に日本医師会、右端に日本内科学会と書きましたが、この2つは医療界の中では非常に大きな存在だと思います。その間に、私はいつも三学会と略称していますが、日本プライマリ・ケア学会、日本家庭医療学会、日本総合診療医学会があります。

先ほどの山田先生のスライドにあったとおりですが、結局、家庭医の習練コースとして、将来的に病院で仕事をする人も結構いるという現実を踏まえて、病院総合医のコースも構想しております。その一つのやり方は、家庭医療のコースを修了した人がさらに進むという考え、それから、家庭医療のコースと平行して、家庭医を目指す人ほど地域の勉強を必修科目にはしないけれど、若干違った形のいわゆる後期研修を経て、さらに病院総合医へ特化していくといった考えです。このあたりをどのように制度設計するかということが、私たち総合診療医学会、ないしは三学会、さらには日本医師会を含めて、オープンに議論していく必要のあることではないかと思っています。

同じことを先ほど山田先生も記されましたけれど、病院総合医に関しても、そういう領域をやりたいという人はいろいろな領域から参入してくると思います。ありそうなのは、母体が大きいので、日本内科学会で内科専門医──去年から突然名前が総合内科専門医に変わりましたが、総合内科専門医の資格を持った方が、もう少し経験なり研鑽を積んでいただいて、病院総合医としてのお仕事をしていただくということがあってもいいのかなと考えています。それから、この領域以外の先生方も、このピンクのコースに入っていただく場合もあるでしょうし、その上の紫のコースに入っていただくということもあろうかと思います。

家庭医と総合診療医の研修の制度設計
それから、こういう専門医の議論をするときに、学会が認めていくものなのか、認証機関というものが認めていくものなのかということは、時々、議論の軸として押さえておいていただきたいと思います。というのは、公益法人制度も今どんどん変わっていると思いますが、医学系の学会も含めて、学会というのは、学会のための学会というところが多かったと思います。ある一つの専門性を持った人が自分たちの専門性を社会にアピールするために、自分たちのあり方を世の中により知ってもらおうとか、自分たちの影響力を伸ばしたいということで、それは共益というのでしょうか、それも仲間の益。しかし、これからは医学系の学会も、社団とかという形で公益法人の制度の中で何とかやっていかなければいけないと言われていますが、新しい法人制度は、どちらかというと共益ではなく、公益だという考えに立っていると思います。ですから、これからの専門学会のあり方は、共益的な部分をできるだけ少なくして、公益的な部分にすべきではないかと。そういうことも考えながら議論していく必要があると思います。

これからの専門学会の公益としてのあり方
それから、ジェネラリストは、先ほど言いましたように、この三学会が中心になって大同団結をしようとしています。日本医師会とも生涯研修のプログラムをつくって同じテーブルに座ってディスカッションを進めております。

そういう意味で、幅広くジェネラリストがともに集うような新しい学会をつくるという面もありましょうし、ただ、一方では、それぞれの診療の場に応じて、例えばルーラルメディスン(地域医療)、へき地の医療をしている人にはへき地の医療の問題を語り合う場も必要でしょうし、家庭医という問題をディスカッションすることも必要でしょうし、あるいは、病院で働いている総合医は病院で働くということに伴う特殊性について議論したいということもあるでしょうし、そういう個別の議論も必要であるけれど、ジェネラリストがあまり細かく分化しているとジェネラリストらしくないと思いますので、ジェネラリストが幅広く集まってディスカッションする場として、三学会で現在統合ということを議論しておりますが、そういうふうになれば、と私は個人的に思っております。

以上です。

総合医が集う統合後の学会
○土屋
病院総合医の特徴
どうもありがとうございました。小泉先生、最後のスライドを出しておいていただけますか。皆さんの理解ができると思いますので。

お三方には時間を守っていただいて、討論の時間をたくさんとっていただきましたので、早速、質問に入りたいと思います。

最初に確認の意味で、先生が言われる病院総合医とほかの学科の家庭医療専門医、プライマリケア専門医、端的にその一番の違いは何ですか。入院ベースのバックがあるというのは一番大きな違いだと思いますが、それ以外に、一般の方から見て、何が違いと考えておられますか。

病院総合医の特徴
○小泉
病院総合医と地域の家庭医の違い
病院であるということで、急性期の入院患者さんの診療にもある程度責任を持って対応するということです。例えば不明熱で入院されるとか、プレショックで入院されるとか、患者さんがある程度重篤で、外来診療ではどうも無理だというぐらいの重症度のある人のケアもするというのが一つです。

もう一つは、大病院の病院の管理などにかかわっている先生方はよくわかられると思いますが、専門科がたくさん並んでいるだけではファンクション(機能)しない。そこを院内的にもコーディネート(調整)する仕事を持つ人がどうしても要るわけです。そういう役割を果たしていく人たちが、病院総合医、あるいは病院総合医の統合処理をして病院の中央診療部門的なものを支えていく。その2つが、地域の家庭医、へき地のお医者さんと違うファンクションではないかと思います。

病院総合医と地域の家庭医の違い
○土屋
総合内科専門医との違い
もう1点ですが、アメリカの場合には、ファミリーメディスンが落ちてきて、ホスピタリストが増えているということがありましたが、日本の場合は、先生が示された総合内科専門医──今までは内科専門医だったと、これが全部ローテーションしているということだと思いますけれど、それと、今、先生がされている病院での総合医、この違いはどこに置いたらいいのでしょうか。

総合内科専門医との違い
○小泉
総合内科専門医と病院総合医の違い
ここには内科専門医の先生が多いかと思いますが、はっきりわかりやすく言ってしまうと、私の持っている印象ですけれど、総合内科専門医という名称ですが、ついこの間までは内科専門医でした。実際に専門医の試験の内容などを見ても、どういう知識が問われるかというと、各臓器の領域の知識をそれぞれある程度持っていてくださいと、試験範囲が全部あるわけです、循環器から消化器から。けれど、いろいろな専門の足し算を統合していくような視点に関する問題というのはあまり出ていないようなので、そこに少し違いがあるのかなと。

それから、実際に内科専門医の資格を持っておられる方も、現実には自分の知識ベースを確認するつもりで受けられた場合が多いのでしょうか、そういう資格は持っているけれども、現実には臓器専門医としてお仕事をしておられる方が大部分のように聞いております。

総合内科専門医と病院総合医の違い
○土屋 そうしますと、総合的な研修というのはどこでやることになりますか。先生の科でされるわけですか。

 
○小泉
病院総合医の研修の場
私たちが実際にやっていることの一つは、いろいろな専門診療の実態を知るということで、大病院の各専門家はローテートする。それから、地域で小規模にそういうものをインテグレート(統合)してやっているような地域に密着した病院に1年とか2年とか勤務して、そういうところでの経験を積む。それから、例えば大学病院などですと、感染対策とか、中央部門的なところに何ヵ月かローテートしてそういうことも学ぶ。それから、余力のある人は、うちはなぜか北海道などにサイトがあるのですが、本当のルーラルメディスンの現場に行って、そこでいろいろな体験をする。そういうことが特徴だと思います。

病院総合医の研修の場
○土屋 ありがとうございました。

それでは、山田先生と前沢先生、前へお座りいただけますか。時間が少しありますので、私の方からもう何点か、定義づけのところだけ確認をしておきたいと思います。

前沢先生、先生の学会はプライマリ・ケア学会で、先生の学会での幾つかご説明は受けたのですが、プライマリケアの定義というのは先生の学会ではどのようにされていますか。

 
○前沢
プライマリケアの定義、研修プログラム
ホームページを見ていただくとわかりますけれど、先ほどの5点をあわせ持った医師ということで考えております。
プライマリケアの定義、研修プログラム
○土屋 具体的なカリキュラム的な意味合いでの定義、プログラムといいましょうか、何かございますか。

 
○前沢 プログラムについては、ボリュームがありますので一言で説明するのは難しいと思いますが。

 
○土屋 私も目の前でホームページを開けてパッという認識がなかなか難しいものですから。わかりました。
同じ質問ですが、山田先生の方は家庭医療ということですが、この定義はどのように解釈すればよろしいでしょうか。

 
○山田
家庭医療の定義
家庭医療学会の後期研修プログラムの中でも実はそれを議論しているところなのですが、基本的にはまだしっかりした定義をつくったわけではありません。ただ、グローバルスタンダードでいうファミリーフィジシャンですとか、旧来のヨーロッパでいうジェネラルプラクティショナーというのが比較的わかりやすいお手本で、診療所ベースで、地域、家庭、家族を中心にして診る医者というのが比較的わかりやすいモデルかなと思います。

家庭医療の定義
○土屋 定義などとしつこく申し上げたのは、今までも、家庭医というと、人によってイメージが違うような気がこの班会議を通じてしたものですから、その辺の明確な定義があればお聞きしたいと思って伺いました。
それでは、班員の先生方からお三方にご質問がございましたら、お願いします。

 
○川越
具体的に目標とする医師像
特性を生かした働く地域
専門外の領域を診療するときの懸念

川越と申します。ありがとうございました。すごく勉強させていただいたというのが正直な感想ですけれど、この種の議論が起きたときにいつも問題になるのは、先ほど土屋先生が質問されていたどういう医師なのかということですが、そのことに関して具体的に目標とする医師像というのがありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

最初のお二方のお話を聞いておりましたら、多分、自治医大で育てている地域医療を担う医者という、あの方たちが相当するのかなと思いながら伺っておりました。しかも、山田先生は自治医大ご出身ということで本当によくわかったのですが、もしそういう具体的なイメージをする医師があったらということを教えていただきたいと思います。

具体的に目標とする医師像
もう一つは、例えば、もしそういう自治医大の先生のイメージだとしますと、働く場所というのが非常に限られてくるのではないかなということを心配しております。つまり、その特性を生かした本当に必要な働き場所というのはどこなのだろうかということをお聞かせいただきたいと思います。

特性を生かした働く地域
それから、今、スペシャリティということが高まっておりますので、ジェネラリストが診るとどうしても見落としということのおそれがございますね。こういうことをこういう会で言っていいのかどうかわかりませんが、医療訴訟との兼ね合いということをどうしても考えておかなければいけないので、内科の専門医が自分の専門以外のことを診たがらないという一つの大きな理由の中に、自分が専門外のことを診て見落としたら、それが原因で後で問題になるのではないかということを非常に危惧(きぐ)しているということがございますので、その辺のことに対する学会としての見解、あるいは対策などがありましたら、教えていただきたいと思います。

専門外の領域を診療するときの懸念
○山田
家庭医の具体像と働く地域
診療におけるトラブルの背景と相互理解の必要性

僕のプレゼンテーションが、へき地とかそういうことに若干偏っていたのかもしれません。確かに家庭医的なフィールドとしては、日本でわかりやすいのはやはりへき地なり離島なり、とにかくそのエリアの人たちを全部扱うと。そうすると、イギリスやオランダでやられているように、ジェネラルプラクティショナーと言われる人たちが伝統的にその人口1,000 人とか千数百人をケアしてきたのとよく似ていますよね。

ただ、理念ということではそういうことを全然意識していなくて、都会であってもどこであっても、その人たちをずっと診続ける。1人の人、1つの家庭、1つの地域をずっと診続けるような医師をイメージしたいなと。それは医療システムがある程度変わってこないと、フリーアクセスの問題にもつながるのでこれ以上は発言しにくいのですけれど、むしろそういうことで守られないと、都市部ではそういう形の家庭医というのは存在しにくいのかなという印象があります。ですから、働き場所ということにもつながるのですが、地域に限定しない、むしろ日本津々浦々どこでも、必要な一次医療を担保する人たちだと理解をしたいと僕は思っています。

家庭医の具体像と働く地域
それから、ジェネラリストの見落としという問題ですが、当然、だれがやっても、何をやっても、専門医であっても、専門領域以外の人たちが診療所へ来てしまったら、それは見落としの危険性は似たようなものだと思います。見落としの際に、医療訴訟のお話をされましたけれど、見ず知らずの人が来て、何か小さな問題で大きな後遺症が残ったということは非常にあると思うのですが、得てして、医療訴訟が起こったときの説明ですとか対応ですとか、その時間に二次医療に送ったのか送らなかったのか、そのことを了解したのかどうなのか、そういうことに関するお互いの理解、あるいはコミュニケーションが必要で、「あのとき説明しなかったじゃないか」とかと言われるようなことが、したつもりでも、相手は理解をしていなかったということがままあることが、医療訴訟につながる。医療事故が起こったとしても、アクシデント、インシデントが訴訟になること自体は、そういうすれ違いが非常にあるのではないか。そこを埋めるのはやはり医師の誠意だったり、コミュニケーションだと思います。

ですから、かかりつけの患者さんや家族であったら、それをあいまいにするということではなく、この人はいつもこういう言い方をするとか、こういうことでわかっているとか、そういうバックグラウンド(背景)がわかると、「こういう結果になったけれど、あのとき先生は夜中まで一生懸命やってくれたのだ」と、患者さんとしては、医師がとった態度や行動をしっかり見ていると思います。ですから、それが全部許される、担保されるわけではないと思いますが、今は非常に不信の中で起こっている部分で、あがなえる部分は、やはり信頼回復をすることでだいぶん違うのではないかなという感じは持っています。

診療におけるトラブルの背景と相互理解の必要性
○土屋 前沢先生、医師像について、いかがでしょうか。

 
○前沢
家庭医の医師像
総合医としての診療経験からみた必要な努力
私も、自治医大に14年勤めまして、へき地志向の医師像を描いてまいりましたことは偽りない事実です。ただ、この学会は、最初にお話ししましたように、長く支えてきた先生方がかなり都会の開業の先生方でしたので、勉強熱心な内科医という像がありまして、我々は都会もへき地も包含してどこでもやれるということになっていくかと思います。ただ、都会の場合は、責任の診療の範囲というのはちょっと狭く、内科とかお年寄りとかに特化されてやっておりますが、ただ、地域を一緒に見ていこうという視点が最近は強いと申し上げましたけれど、地域ケアをやろうという点で、皆さんは共通のモデル像みたいなものを持っていらっしゃるのかなと思います。

それで、働く場所も、都会にはたくさんの専門医の方もおられますので、上手にコーディネートして、自分の役割は何かということで、そこには継続的な医療ということで、かかりつけにしてくださる患者さんたちをしっかり診ていこうという視点ではないかなと思います。

家庭医の医師像
それから、アメリカなどもそうですけれど、我々の分野というのは比較的訴訟が少ないと言われておりまして、それはやはりコミュニケーションのたまものかなと、病気の説明をきちっとしていくということかなと思います。ただ私自身は、もともと専門をやっていて、プライマリケアをやるようになって、また、宮城県の田舎で100ベッドの病院でプライマリケアという、ちょっと偏った医者をやったのですけれど、自治医大での地域医療の教育と田舎での仕事ということを比べてみますと、田舎での仕事をやるときには相当気を遣いまして、どうしても新患のわからない患者さんを軽く診がちなんです。軽い病気できっと済むだろうということで診がちでしたので、そこは事故を意識して気をつけて診たことと、ふだんから診ている方は、ちょっといつもと違うぞというところをきちっと見分けるということで、見落としのないように相当意識的な努力をしないと、大変なことになるなということは、厳しい経験もいくつかさせられました。

総合医としての診療経験からみた必要な努力
○小泉
プライマリケア医の教育への関わり
私は自治医大とは全く無関係で、それまで外科医をしていました。私は都会の下町の開業医の息子でもあって、いろいろな現状を見る機会がありました。一つのモデルということで、理想像がまずあって、その理想を目指すというのが物事の基本かもしれませんが、あまりにもすばらしい理想を掲げ過ぎると、そんなものはありっこないと。日本のどこへ行ってもそんなものはないという話になると、そんなものは無理だという、ペシミズム(悲観的)に行ってしまうと思います。

先ほど前沢先生が言われたように、現実に医師会で、「私は開業医です」といって非常にソフトに話される先生方で、すごく熱心な先生がかなりおられると思います。それは何割とは言いませんけれど。そういう方のされている医療というのは、はっきり言ってモデルだと思います。ただ、問題は、そういう先生方がビジブル(目に見える形)でないということです。メディアの方もおられるかもしれませんが、例えば医師会とかというと、ベンツを乗り回して、週末はゴルフをしているような、威張っているお医者さんの会みたいな、そういうイメージが流布していると思いますけれど、本当に一生懸命されている方もかなり多いと思います。そういう人たちが、例えば学生の教育などにもかかわっていただいたらいいし、そういう中で、先生方もしっかりした診療を継続するモチベーション(動機づけ)を高めていただく。そういうことは今かなりできつつあると思います。

ですから、外国にはあるけれど、日本では到底できそうにもない、こんなモデルでないと総合医とか家庭医というのは実現しないと言ってしまうと、逆にネガティブな結果になるのではないかと思います。いろいろなメーリングリストなどで自分の患者さんのことを語り合ったり、本当に真摯(しんし)にされている各地区のプライマリケアの先生方のネットワークなども結構あります。ですから、そういう方はこれからの日本の地域医療を支えられるモデルだろうと思いますし、私も大学でもそういう先生をできるだけ地域で発掘して、そういう先生のところへ学生を送り込んだり、そういう先生の話を聞けるように症例検討会をしたり、そういうことを努力してやっております。

プライマイケア医の教育への関わり
○土屋
医療の現場を支える医師
中規模病院の医療における位置づけ
ありがとうございます。

座長の特権で、コメントと質問です。コメントは、今先生が言われた医師会の実態ですけれど、これは夏の検討会でも言ったことですが、地区医師会と都道府県と日本医師会とがあると。それぞれ全くインディペンデント(独立)であることと、地区医師会にも中身は2種類あって、理事会に熱心な政治的な医師と、夜の勉強会に熱心で非常に診療に熱心な医師会と、私は2種類あると固く信じています。

医師会では、東京ですと、夜8時から10時、ほとんど毎日のように何かしらの勉強会をやっていますね、学術担当理事のもとで。私は、肺がんの診療をやっていたので、毎月5つの医師会の勉強会に行っていますが、非常に熱心で、その人たちが胸部の診断だけではなく、心電図の勉強会とか、胃の透視の勉強会などをしていて、確かに総合力はすごいんです。また、よくお話をなさって、まさに先生が言われた通い合う心が鍵だという、そういう先生はたくさんいるのですが、表に出ないんですね。声の大きな昼間の活動熱心な方が大概マスコミにさらされている。私も全くそのとおりだと思います。日本の医療の現場を支えているのは、その夜型の先生だと思います。

医療の現場を支える医師
そこで質問は、先ほどの先生の10番目のスライドの「Generalist活躍の"場"」というところで、先ほど、二極分化ではないと。診療所と病院とにすぐ分けてしまうけれど、こういう言い方は悪いですけれど、実は中途半端な病院が日本はたくさんあって、そこが今まで支えてきたと。それがまさに今つぶれようとしていると。

厚生労働省もそこに焦点を絞らずに、二極分化の政策ばかり打っていますね。スペシャリストがたくさんそろっていると。ところが、150ベッド、200ベッドの病院というのは、外科医を専門分化できないんですね、そんなに人数もいないし。内科ですら、いわゆるジェネラルな内科医でないと役に立たないと。そうすると、先生がおっしゃったように、どちらかというとこれは家庭医とか総合医に近いようなお医者さんが、実は有床診療所的にやっていると。今まで19ベッドまでの有床診療所が実は100ベッドになっているというのが、最近の動きではないかというとらえ方ですが、そのような考えでよろしいでしょうか。

中規模病院の医療における位置づけ
○小泉
医療政策、行政における中小病院の評価の必要性
ここに行政の方もおられるかもしれませんが、最初からそういう小規模病院というのは、例えば効率性が悪いとか、医療のクオリティ(質)に問題があるから、そういうものはできるだけエリミネート(削減)して、しっかりした大病院とクリニックという、そういう医療システムを普及させようという目的意識があって、そういうブループリント(青写真)が出されて、行政施策があったのだったら、それはそれで一つの考えだと思います。

ところが、この間、知り合いでも行政の中にいた人もいますが、そういうことではなくて、外国のモデルを当てはめたらこうなるかなというレベルで、日本の現状がどうかというところのアセスメント(評価)がなかなか難しい。その一番の問題は、日本で医療政策や研究をされる方にとって、データになるものがしっかりないんですね。統計局の慣例調査などはありますけれど、なかなかうまく利用し切れない。日本の医療の本当の構造がどうかという基礎データは研究者にはなかなか手に入らない。そうすると、どうしても概念的なお話だけに終始する。

僕は見ていると、中小病院というのはいろいろな面でマイナス面もあると思います。しかし、その地域に密着しているとか、そこで本当の医療と言われる現場があるというのは事実ですので、そのことはきちんと焦点を当てて、どう評価するにせよ、少なくともそこにもう少しスポットライトを当てて医療政策を決めてほしいなといつも思っています。

医療政策、行政における中小病院の評価の必要性
○土屋
医療の構造に関する基礎的統計データの必要性
ちょっと横道にずれついでですが、銚子の問題にしても、夕張の問題にしても、病院とはいうけれど、機能としてはクリニックの部分の方が大きかったんですね、外来診療部門。ところが、ああいうところを考えるときに、ベッド数とか入院患者数でみんな物事を考えているのではないか。ただ、今日お話を伺っている家庭医とか総合医というのは、どちらかというとクリニックベース、診療所ベースですね。ですから、その辺が、名前や看板が病院というばかりに病院側に入れられてしまうけれど、実はクリニック側で、家庭医あるいは総合医的な考えで解釈しないといけないのではないかという気がします。

そういうことでの数が確かに出ていないと思います。夏の検討会のときにも、出してくれと言ってもなかなか出ない。今、統計法が改正されて、パブリックコメントは終わってしまいましたけれど、私は社会保障制度の統計分科会に入っているので、お願いしたのは、今度、基幹統計になるところに、医療の一番基幹になる統計があって、そこから導き出したデータベースをもとに話をしないと、いつまでたってもかみ合わない。

先ほど山田先生が数はともかくとおっしゃいましたが、こうなってくると、家庭医の日本じゅうで求められる数はどう数えたらいいのか。例えば、今話題にした中小病院の人たちも家庭医だとすると、それまで含めて、一体、日本全体でどのくらいの数が必要で、毎年どのくらい新しい方を補充していかなければいけないのかというのは考えなければいけないのかなと思って伺いました。

川越先生、その辺についていかがですか。

医療の構造に関する基礎的統計データの必要性
○川越
学部教育と前期研修の関連づけの必要性
すごく大事な点じゃないかなと思いながら先生のご意見を伺っていました。

ほかの先生にちょっとよろしいですか。これは山田先生の話の中で、後ろから4枚目のパワーポイントですが、あそこで先生が述べていらっしゃいました今までの前期研修、後期研修がこうなるべきではないかという一つのシェーマを書いていらっしゃいますね。これは前期研修も学部教育とくっつけた形で検討されておりますので、僕の個人的な意見ですけれど、この考え方はすごく大事にしなければいけないんじゃないか、みんながみんなスーパーローテとして仲よく専門をやるというのは、ちょっと見直すべきではないかなという意見を持っておりますので、土屋先生、もしそういう機会がございましたら、こちらからの意見としてもぜひ伝えていただければと思います。ただ、反対意見もあるかと思いますけれど、僕は山田先生のこの考え方を非常によく理解できますし、これからはムラのないようにするということは非常に大事なことだと思っています。

学部教育と前期研修の関連づけの必要性
○土屋
スーパーローテートの必要性の議論
文科省と厚労省の合同の委員会で、2年を1年にしてしまうという話ばかり先行して、先生が言われる、全員に本当にスーパーローテートが必要なのかというのは大変大事な点だと思います。そこの議論をなしに、いきなり大学で産科を中心のコースをつくるとか、ちょっと乱暴な議論がされていると思います。

スーパーローテートの必要性の議論
○岡井
研修コースの方向性
今、そこに図が出ていますので、これについての質問ですが、左側の日医認定総合診療医というのは、今まで各科の専門をやっていて開業をしている先生方が、どれぐらいの研修なのかよく覚えていませんが、少し研修してこういう資格を与えていこうと。一番右の方は、内科学会の方の総合内科専門医から、ここで言われている総合医、家庭医──表現はともかくとして、そういう一次医療を専門に担う医師の方にシフトしてもらおうと。この右側の部分と左側の部分は、現在の状況が、真ん中のそれを専門とするような教育ができていない、今、そういう体制がないから、暫定的にそういう人も一緒にやっていこうよという話なのか、それぞれのコースがみんなあって、将来もこういういろいろなコースがあっていいのだよという考えなのか、その辺をそれぞれの先生方にお聞きしたいと思います。

研修コースの方向性
○小泉
日本と外国の総合内科医の違い
最初に申し上げたように、これは私がかなり個人的につくった表ですが、はっきり言いまして、ピンクで表しましたようなところは、米国のレベルと内科学講座の中のディビジョン(部門)としてある総合内科というような勉強のスタイルになっていっていると思います。ただ、先ほども説明しましたけれど、米国の総合内科のこれまで積み上げてきたものと、日本で今、専門医制度として一万数千人とっておられる内科専門医で言われているリクワイアメント(要件)といいますか、コンピテンシー(能力)といいますか、そういうものとかなり違うんですね。ですから、これはもう少しいい形ができれば、将来は米国式のジェネラル・インターナル・メディスンとファミリーメディスンがそれぞれ役割分担していくという形かもしれませんし。

そういう意味では、カナダのシステムが割にわかりやすいと思います。葛西先生がよくご存じだと思いますけれど、オフィスベースのことはファミリーフィジシャンが大体やって、病院のジェネラリストは、そういう人たちからの相談を受けて、入院診療にかなり力を入れている。ところが、米国はその辺が相互乗り入れのような格好になって、制度がちょっとわかりにくいところがあります。

それから、日医の話は、3コースぐらいありますでしょうか。

日本と外国の総合内科医の違い
○土屋
日本医師会の研修コース
4コースです。ここの図にあるのはコース1で、飯沼先生に伺ったところでは、医師会はほとんど関心がないんですね。むしろ2から上の、何年かもう既に開業してやっている、その人たちを乗りかえるための暫定的なコースに日医は興味があると伺いました。

日本医師会の研修コース
○小泉 三学会としては、未来志向で、これからの人はここの黄色のところを基本にすると。そうでないと開業はできないという仕組みにしていくということですね。それは医師会の先生もノーとは言われないのですが、それはあまり関心がおありにならないからノーと言われないのかどうか、よくわかりませんけれど。

 
○土屋 この間の聞き取りではそう伺いました。

前沢先生、山田先生、何か追加でございますか。よろしいですか。

では、葛西先生、どうぞ。

 
○葛西
家庭医の定義づけと研修カリキュラムで目指す医師像
合同した学会が考える、国民の求める医師像と資質

先ほどディスカッションに出ました家庭医あるいは家庭医療の定義ということですが、先ほどの話ですと多分誤解が出てくると思います。それは、家庭医療があいまいな分野ではないかとか、あるいは定義すらない分野ではないかなということですが、これについて少し説明を補足させていただきたいと思います。

それは日本に家庭医療が発達していないということの一つの証左でありまして、皆さんがそれぞれ、いってみれば自分の都合のいい形で定義をしてきました。ですから、同じ一つの学会の中でも、集まって定義を考えようとなると、どうしても意見がまとまらないのです。

家庭医療とは何かということは、諸外国の家庭医学会のホームページに書いてありますし、それらは大体共通する内容で、そのコアとなる部分は、私は、8月に、この前の検討会で発表したスライド(注:第3回「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会資料)の中で示したものです。私なりの日本語に直しましたけれど、あれは諸外国の定義を参考にしています。決して家庭医療に定義がないのではないんですね。

ただ、あの定義を見てもわかりますように、それをその国の医療システムの中でどう応用していくか、適用していくかは、それぞれの国によって制度が違いますので、例えば、病院の医療をどの程度家庭医が担うのかというのは、国によってかなり違います。ただ、それは家庭医療の定義がないということではなく、各国の実情に合わせた結果の相違なのであります。
ですから、私が日本で家庭医療とはこういうものだということをお話しすると、「葛西の家庭医療はどうも違う家庭医療だ」みたいな形で言われることがあるのですが、世界のことを知っていただくと、私の言っている家庭医療が世界標準であることがわかります。

私は、今は日本家庭医療学会の副代表理事もやっております。その学会を代表してここに班員としているわけではなく、広くディスカッションするためにいるわけですけれど、一部、家庭医療学会のことについて補足して説明します。我々は定義については、そういうことでペンディング(留保)をさせてもらっていますが、具体的に大事なのは、国民がどんなサービスをしてくれる医師を求めているのかということで、その表現形(何をどのようにできるか)をまず大事にしようということで、山田先生がお出しになった後期研修医が到達するべき研修目標とアウトカムを定めて、これができる医師がとりあえず日本の家庭医と言おうと考えたのです。そして、これができる医師を養成するためのカリキュラムをつくってきたということです。

国民が本当に何を求めているか、あるいは社会の中で高度な病院医療、各科専門医の医療と連携するにはどのようなことができる医師が必要なのかということはこれから調査を続けて、それらに対応できるように、この到達目標とアウトカムをさらにしっかりとしたものにしていこうと思います。

家庭医の定義づけと研修カリキュラムで目指す医師像
そういう説明をさせていただいた上で、三学会の代表の方に私からご質問したいのですが、三学会が合同するということが今進んでいますけれど、それが学会の都合で合同するというのではなくて、国民の利益のために合同するのだと、私はそうしてほしい、そうなりたいと思っています。そのためには、三学会が合同した新しい学会がどのような医師を養成するのか、その質をどう担保するのかということが国民にとって非常に大事になってきます。

今、小泉先生がお出しになったあの図でも、複雑なことになっています。三学会が今それぞれ準備はしていると思いますが、例えばプライマリ・ケア学会であれば、プライマリ・ケア学会の今まで言っていた認定医というのは、国民の求めるレベルのところにはまず行っていないでしょうけれど、今後これがどうなっていくのでしょうか。それぞれの学会で国民の求める医師の質について、現在、会員がどのようなところを目指しているのか、その学会の中での少数意見とかいろいろなまとまらないこともあるかと思いますが、そういうことも少しご紹介いただきながら、ご説明いただけますか。学会として本当に国民の求める質の医師を養成する、地域で働く、あるいは中小病院で働く家庭医、総合医を養成していくことにちゃんとフォーカスが合っているか、ブレていないか、その辺をご説明いただけたらと思います。

合同した学会が考える、国民の求める医師像と資質
○前沢
診療所を中心とした家庭医像と学会のプログラムの方向性
難しい話ですが、次世代型というか、若いプライマリケアを目指す先生方のかなり理想に近い、葛西先生が言われてきたような家庭医的な像というのが一つあって、ただ、我々専門をやってきた人間は、それには現実として追いつけないのですけれど、ただマインドとして、また、自分は本当に幅広く全部をある一定の深さでできない弱みはありますが、それを多職種協働で補うような形で、少しでも追いつきたいということで、認定医としてやっているわけで、その中で、よく勉強している人は専門医に移行もできるという形をとっておりますので、本来目指すところは、地域の中でクリニックを中心に、外来と在宅をやるような医師像というのを目指して、国民にわかっていただきたいし、それは若い方々はこれからのプログラムでできますけれど、別な育てられ方をした我々というのは、それに近づくようにいろいろ工夫をして努力をしているということで、国民に理解をいただきたいと願っております。

診療所を中心とした家庭医像と学会のプログラムの方向性
○小泉
プライマリケア領域の位置づけ
認定制度の必要性
専門医認定機構の役割
例えば、特殊な外科のスペシャリティをどう定義していくかということになれば、その外科手技を体験しておられる専門家の方が集まられればそれでかなりのものができると思いますけれど、プライマリケアの領域というのは、社会制度としての医療提供の仕組みという側面がかなりありますので、医療の専門職だけではなく、医療の決定の方も含めて、望ましい医療のシステムというところから構想するということが一つ必要かと思います。

プライマリケア領域の位置づけ
もう一つは、これは外国でもそうかもしれませんが、開業の先生というのは、はっきり言って、ワンランク下みたいなイメージが結構行き渡ってしまっているんですよね。ですから、それをきちんとするためには、日医の認定制度もそうかもしれませんけれど、何らかの形で一定程度の習練を積んで、一定程度のハードルを越えた、そういうことの証しがある人でないとそういう領域での臨床はできないという仕組みにならないといけないと思っています。

認定制度の必要性
その意味で、どうなるかですが、専門医の方は専門医制認定・評価機構で、最初は学会同士のエゴのぶつかり合いのところもあったようですが、最近はかなりいい議論をされているようで、その中に、あるいは、今のところスペシャリストの領域の話がほとんどだと思いますが、ジェネラリストもそういう中できちんと議論をして、臨床医はジェネラリストであろうとスペシャリストであろうと、一定のコンピテンシーを持っているということの保証をしていくということをやる必要があるのではないかと思います。

この三学会プラス日医の協議とか、三学会の合同、そういうことを基本的なところに置いてディスカッションをしているつもりではあります。

専門医認定機構の役割
○山田
日本における家庭医の育成の議論
身内で答えるのも何かとは思いますけれど、先生が言われるように、家庭医の定義というか、グローバルスタンダードにのっとった標準みたいなものは確かに非常にわかりやすくて、多分それを目指すべきでしょうし、日本がそういう家庭医を育成するのにやや時間が遅れたかなというところは否めない事実だと思います。ただ、家庭医の現状は、ほかの国を見ても、医療システムとかなり密接につながるところなので、これはいたし方ないことだと思います。先ほどの僕のスライドでは「日本型家庭医」と書きましたけれど、日本の文化の中で、現状をうまく活用して日本型の新しい家庭医をつくり出して、その上で成果を出すというのは、日本は遅れているとは僕は全然思わなくて、むしろ非常に利点は出せるのではないかなと思います。

そのためには、あるリソース、特に今、医師会と三学会というのはひざを詰めていますが、その人たちも歩み寄って、自分たちの認定がどうなるかとか利益がどうかという話になりますと、もう全然おもしろくも何ともないのですが、将来の日本の国民のためにどういう育成をしていくのだということをぜひ優先していきたいなと思います。

そういう中で、今日またこのセッションの後に漢方の話もあるようですけれど、日本の中でリソースとしてはいろいろあるものですから、日本にとっていい家庭医の育成の仕方というのは、もっとみんなが知恵を出し合えばいいと思いますけれど、残念ながら、家庭医の現場で仕事をしている人たちが、教育とか育成については非常におろそかだったかなと。大学教育や大学にいる先生たちがもっぱらの専決事項になって、そういうことに対して、実地医科の人たちがもっと関係すべきだったのかなという印象を持っています。

日本における家庭医の育成の議論
○土屋
国民のニーズに合わせた家庭医あるいは専門医
お聞きしたいことはまだまだたくさんあると思いますが、今、葛西先生の、我々医療者側の都合ではなくて、国民のニーズに合わせた家庭医あるいは専門医というところで考えていくということで、今日は川越先生のお話を用意していますので、そのお話を伺って、また時間がありましたら、ディスカッションに戻りたいと思います。

それでは、川越先生、お願いします。スライドを用意してありますので。資料7をごらんください。

国民のニーズに合わせた家庭医あるいは専門医
○川越
自己紹介
末期がんにおける在宅医療
末期がん患者ケアにおける地域医療の必要性
専門性の高い分野としての在宅緩和ケア
在宅緩和ケアにおける専門性
専門医師育成コースの設計
在宅ホスピス緩和ケア拠点の位置づけ
地域の医療機関とがん診療連携拠点病院の連携による在宅終末期医療教育システムにおける懸念
地域緩和ケアの実践・教育を行う拠点クリニックと連携体制の提案
在宅医療を推進するための拠点の必要性

ご紹介にあずかりました墨田医師会第5ブロック長をやっております夜行型の川越です。実は僕はこういう医師会の仕事なんていうのは一番苦手なんですけれど、それをやらなければいけないということでやっております。

自己紹介
先ほど土屋先生がおっしゃいましたように、私がこれからお話ししたいことは、在宅医療の中でも非常に専門性が、ちょっとマニアックな感じの領域になるかと思いますが、がんの末期の方の在宅医療の専門医をどのように育てていくかとか、そういうことを中心にお話をしたいと思います。

ご承知のように、今、がん治療病院が、がん治療ということに特化していくということを打ち出しておりますので、在院日数が短くなりまして、もう治癒の見込みのない方は早くそのことを患者さんと家族の方に伝えて、しかるべきところへ行っていただくということを行っております。その受け皿となっておりますところが、従来は先ほど出ました中小病院だったのですけれど、その中小病院が実は病床削減のあおりを受けて今どんどん減ってきております。それで、現実的には、がん患者さんが、特に末期の方が地域をさまよっているということが残念ながら起きているわけです。

末期がんにおける在宅医療
それをどうするかということは、一つは、病院をまた復活させればいいということはできるのですが、その話はさておきまして、がん患者さんを地域の専門家が受けとめるべきではないかと、これがそもそも私の問題意識でございます。

ここに書きましたように、私がやっております家庭における末期がん患者のケアというのは、大きくいきますと地域医療というのがございまして、その地域医療というのは非常にたくさんの概念があって、もちろん診療所だけではございませんし、診療行為以外にいろいろなことを含めております、これは説明する必要はないと思いますが。ただ、病院の先生方があまりご存じないのは、診療所が行う診療行為というのは、外来診療だけではないんですね。患者さんの家で行う診療、これを訪問診療と言っておりますが、それが保険診療の中に認められたのは1992年のことですが、つまり、第三の場所というのが患者さんの家という時代が実は来て、それが今どんどん進められておるわけでございます。

開業医の先生方は、外来診療だけをやる先生もいますし、訪問診療だけをやる先生もいます。けれど、多くの方は、外来診療をやりながら訪問診療をやるという先生が多いのではないかなと思っております。私もどちらかというと外来診療をやりながらやっておりますが、最近、がんを専門にやる方は、こちらだけをやる方が圧倒的に多いと思います。そして、これは言葉が非常に混乱していますが、本当はイコールではないのですけれど、在宅医療というのは、訪問診療、患者さんの家で行う医療という具合に理解してください。

末期がん患者ケアにおける地域医療の必要性
そして、僕がこれからお話しします在宅緩和医療というのは、在宅医療の集合ですね。その交わるところ、つまり患者さんの家でホスピスケア、緩和医療をやるという具合にご理解いただきたいと思います。
在宅医療と申しましても、分類しないと混乱するというところがありまして、これは僕の勝手な分類です。この主な意味は、非がんとがんということに分けました。これは特殊なものなので省略をいたしますが、この非がんというのは、私がお話ししたい末期がん患者というのは、症状が非常に不安定、高い医療依存度がある、短期ケア──これは僕らは1,000人近く家で最期までがん患者さんを診ましたけれど、その方たちの平均は大体40日ちょっとです。そういう非常に短い期間の中で、しかも死で終わるということですので、もしこれを在宅でやるとしたら、非常に専門性の高い分野ということになると思います。そういうことで、この赤丸で書いたのが、地域における在宅医療の中のさらに専門性を必要とする専門分野ではないかなと思っております。

専門性の高い分野としての在宅緩和ケア
それで、僕がやっている専門性というのを思いつくままにざっと書きましたが、いろいろな知識あるいは技術が必要です。オンコロジー(腫瘍学)に関すること、緩和医療に関すること、在宅医療に関すること、そしてチームアプローチに関すること。特に在宅というのは医師と看護師がいつもそばにいない中で医療を行いますので、そういう連携は非常に大事になってきます。

それから、ホスピスケアの知識もないといけないわけですね。スピリチュアルペインということ。それから、このことと関連した家族の位置づけ──グリーフケアということも関係する。それから、病院にお任せの医療と違いまして、患者さんたち、家族の方が自分たちで受けとめる生であり、死ということですので、この死を教えるということが非常に大事になってまいりますが、そういうこともやらなければいけないということ。それが専門性ということになるかと思います。

在宅緩和ケアにおける専門性
そういう医療に携わる医者をどのように育てたらいいのかなと。これは勝手にイメージをつくってみました。僕は、この医療に携わるには、自分の専門性、スペシャリティというのをやはり持つべきではないかと思います。そして、育成コースみたいなものがあって、在宅の緩和医療医という格好になればいいのではないかなと考えております。

ただ、この辺はまだ整理されていない部分なので、例えば、緩和医療育成コースと簡単に言いましたけれど、関連する専門学会は何なのかとか、どこで教育するのかとか、それよりもこういう在宅医療というのは、先ほどどなたかもおっしゃっていましたけれど、現場を踏んで教育をするということが非常に大事ですので、その実習をする場所はどこがいいのかという問題がどうしても出てまいります。そして、育った方々がどういうところで本当に働いていくのかという問題があります。

専門医師育成コースの設計
ここで問題となることは、地域における在宅ホスピス緩和ケアの拠点となるような診療所が、制度的にも明確でないという点がございます。在宅療養支援診療所というのが少しそれに近くなったのですが、それとて、そのものではないわけですね。 在宅ホスピス緩和ケア拠点の位置づけ
それから、今のことに関連して、拠点がないという話をちょっとしたいのですが、これは皆さんご承知のように、7年前に厚労省が打ち出しました拠点病院制度の概略を書いたものですが、私が問題にしたいのはここの部分です。地域がん診療連携拠点病院があって、その地域の医療機関と連携を組んでやっていくと。これはその一つの絵です。こういうところには、院内のPCU(Palliative Care Unit、緩和ケアユニット)とか緩和ケアチームというものを設けたら、もっとサポートできるのではないかということでかかれた絵でございます。

昨年、日本ホスピス緩和ケア協会というのが、緩和ケア病棟を中心に、ここと連携をとりながら地域の開業の先生方と連携してこういう在宅の終末期医療のサービスをやればいいのではないかということで、教育研修をここでやるべきではないかということが出たわけです。これが私は非常に大きな問題だと思います。地域の医療機関というのが結局いってみれば開業医の先生方ということになるのですが、この教育システムというのは、病院から在宅を教えてあげますよという体制になっているんです。もしそういう形だけで専門医の育成ということが行われますと、十分ではないということが危惧(きぐ)されるわけです。

地域の医療機関とがん診療連携拠点病院の連携による在宅終末期医療教育システムにおける懸念
このことと関連しまして、先ほど申しましたように、地域の中に終末期医療を専門にするような医療機関、特に診療所がないということが一つの大きな問題であると。では、どうしたらいいかということを書きました。これは今回の専門医制度をどうするかということと間接的に関係すると思いますので。それから、土屋先生がいらっしゃいますので、私の考え方を申し上げさせていただきたいのですが、これが絵に描いた図で、先ほどはPCUが入ったのですが、今後は、地域緩和ケア供給体制の理想像として、地域緩和ケア供給のトライアングルというものを私は考えているんです。

従来は、地域がん診療連携拠点病院のPCUが地域の開業の先生が行うということになっていましたが、このPCC(Palliative Care Clinic、緩和ケアクリニック)というのは僕が勝手につくってしまった名前ですが、緩和ケアクリニックというものを制度的に検討して、そういうところで緩和ケアの実践を行う、そして教育などを行う。もちろんここだけでやるわけではなくて、大学病院とか、緩和ケア病棟とか、特に地域のがん診療連携拠点病院というものを含んでやっていくということを考えるべきではないかなと考えております。

地域緩和ケアの実践・教育を行う拠点クリニックと連携体制の提案
1992年に医療法の改正で、在宅が第三の医療の場になったということを申し上げました。そして、その後、ご承知のように、在宅末期医療総合診療料という形で、がんの末期の方を家で診るということ、そして一昨年、在宅療養支援診療所ということで、厚労省としてはいろいろな整備を行ってきております。けれど実際は、地域の緩和医療というのが進まない。これは具体的には、在宅死の頻度を見ればわかりますが、大体6%でずっと推移しています。それをどうしたらいいか、いろいろ考え方はあると思いますが、一番大きいのは、そういう診療拠点となるところの制度をつくっていかなければいけないということを考えております。

一昨日、墨田医師会の方で、地域医療福祉部会というところで、私は委員で入っていますが、在宅における終末期医療を医師会としてどう取り組むかということをディスカッションしたんです。その委員の方々はみんな在宅医療で一生懸命やっていらっしゃる先生なのですが、がんというのやはりだめだと皆さんおっしゃいます、これは僕も意外だったのですけれど。ですから、むしろそういうところができて、そこできっちりやってくれるということをしてほしい、とおっしゃっておりました。それは全員と言ってもいいと思います。

ただ、「近くのところで1人、2人というのがあるのだったら、できるかもしれないがな」ということをおっしゃっていて、興味がないわけではないのですが、実際に大変だということを知っていらっしゃいますので。しかも、今までは病院の方に行けばいいという格好をとっておりましたが、そういうことができなくなったということで、専門の診療所というものを展開する必要があるのではないかということで、私の意見も聞いていただけたと思います。

長くなりまして、失礼いたしました。

在宅医療を推進するための拠点の必要性
○土屋
国立がんセンター中央病院における地域連携
緩和医療プログラムにおける病院と診療所の連携の必要性

どうもありがとうございました。

私どもは3年近く前に「がん難民製造工場」とやゆされたのですが、最近はあまりそういう報道がなくなったのは、川越先生のクリニックを初め、今は3ヵ月に1回、私どものお世話になっている施設が100ヵ所ぐらいこういう場に集まって、医療連携の会をやっております。登録されているメーリングリスト800施設が我々を支えてくれているということで、そういう名称はだんだんカビが生えてきたということで、大変ありがとうございます。

国立がんセンター中央病院における地域連携
今の川越先生の考え方は、私どもの緩和医療のチームもよく理解しておりまして、的場(国立がんセンター中央病院)緩和医療科医長が今プログラムを組んでくれていて、緩和医療のレジデントは緩和の診療所にもローテーションするということで、役所の方も、途中の事故があったりということまで含めて保障してコースを既につくってくれたのと、来年の4月から来るレジデントは、外科・内科を問わず、最低1ヵ月は緩和医療科を回すと。4週間やって、その4週間のうちの第3週目は診療所へ行くということで、的場先生が全部組んでくれていますので、ぜひ今の川越先生の考え方を、家庭医だ、専門医だということではっきり分けるのではなくて、相互乗り入れでお互いの理解を深めて、患者さんがシームレスに円滑に移動できるようなことでやっていきたいと思います。家庭医の中でも大変専門性の高い領域のお話をありがとうございました。

それでは、先ほどどうしてもということでしたので、海野先生と江口先生お二人、どうぞ。

緩和医療プログラムにおける病院と診療所の連携の必要性
○海野
総合医と専門医の数のバランス
後期研修での家庭医コースの定員

先ほどぜひお伺いしたいと思ったことがございまして、それはやはり数の問題です。もとはといえば、医師数を何人にするのだというところから始まっているところがございまして、私は今お話を伺った理解では、総合医がある程度いてアクティブに動いてくださると、それによって全体の専門医の数は少なくて済むのかもしれないなと感じていたのですが、お聞きしたいことは、全体として、最終的にどのくらいのバランスになったらいいのだろうかということが1点です。

総合医と専門医の数のバランス
それから、今、八千数百人の医学生をということになっていますが、仮に1万人の医者を毎年つくるとしたら、その中で、スーパーローテーションして、後期研修をする家庭医のコースはどのくらいの定員が望ましいのか、どのくらいが一番バランスよくいくとお考えなのかを教えていただきたいと思います。

後期研修での家庭医コースの定員
○土屋 それでは、まだ計算はしていないかもしれませんが、大ざっぱで結構ですので、どなたからでも、お願いいたします。

 
○山田
家庭医育成の全体に占める割合
その家庭医がやる範囲にもよると思いますけれど、イギリスやオランダやアメリカ型の家庭医ぐらいができるとすれば、かなりの人を育成する必要があって、大ざっぱに言うと、全体のバランスとしては50:50だと言う人がいますが、そこまでは行かないとしても、30%〜40%ぐらいのバランスとしては十分必要ではないか、多く見積もれば50%ではないかなと。ですから、仮に1万人とすれば、新しい世代の人たちも3〜4割ぐらいの人たちが家庭医を。

家庭医育成の全体に占める割合
○海野
育成コースに応じた家庭医育成の割合
でも先ほどのお話では、家庭医は、分化医から総合医へというルートも同時に検討されていますよね、日医などと一緒に。そうすると、そこの数と、本物のコースとのバランスもお伺いしたいと思います。

育成コースに応じた家庭医育成の割合
○山田
家庭医育成数の目安とその理由付け
小泉先生が後で答えられると思いますが、病院的な総合医も含めて、あるいは途中から入ってくるような人たちも含めると、その数は、純粋な家庭医を目指す人は、例えば2〜3割でいいのかもしれません。後は、全体の総数で医師数から見ても、ジェネラリストとして、僕自身は離島などのへき地医療を経験したものですから、そういうバランスからすると、自分が例えば2,000人以上を持つのは、オンコール(待機医)も含めて、非常に厳しいでしょうね。ですから、ほかの国の例を見ても、1,000人とか千数百人とかというのだったら、かなり拘束されてもそれほど重大なイベントは起こらない、あるいはずっとその地域でケアをしていくには、比較的バランスのいい数ではないかなと。これが500人になると、暇と言っては何ですけれど、むしろ不適切かなと。それから類推すれば、例えば1億3,000万人分の例えば1,000人に1人なりの先生というと、例えば十数万人とかという数かなと、漠然と思っているだけです。
家庭医育成数の目安とその理由付け
○前沢
家庭医育成の割合の目標
将来は、新卒の方の5割は目指してほしいという理想を描いています。いろいろな医療システムの中で、どこでジェネラリストとスペシャリストを分けるのかというのは議論があるところですけれど、世界でそれなりのお金で質のいい医療をやっている方は1対1と私は受けとめています。ただ、そこへ行くまでには時間がかかりますので、まずは新卒の人を2割でも3割でもということと、これまで専門医をやっていたけれど、もう少し地域の中で心の通い合う医療をやりたいという方は、やはり2〜3割で、両方足して5割というのを当面は目指していきたいと思ってやっています。

家庭医育成の割合の目標
○小泉
海外における総合医の割合
医師需給に関する厚労科研の研究班が何年か前にあって、そのときに外国の事例をいくつかを集めての研究があったと記憶していますが、結果的には同じで、大体45%でしたか、大体4〜5割はジェネラリスト系だと。ただ、例えば米国などですと、ファミリーフィジシャンもそうですし、GIMとか、最近はMed-Pedsという、内科と小児科を同時に研修するような研修を修了した人とか、いろいろなカテゴリーがあるようですけれど、ジェネラリストがやはり5割近くというのが、それこそグローバルスタンダードではないでしょうか。

海外における総合医の割合
○江口
緩和医療における専門性の確立の動き
大学病院での総合内科の役割・教育の仕組み
コメントが一つですけれど、先ほど来、家庭医のコミュニケーションということを非常に強調されていまして、あれ自体は、家庭医だけではなくて、ほかの医者も全部備えていなければいけないことだと思います。ですから、特に家庭医で習得するようなものは全部のお医者さんに習得してもらいたいということがあります。

がんの緩和医療などを考えてみますと、特に先ほど川越先生も言われた地域の在宅での緩和医療というのは非常に重要なことで、これは今、緩和医療学会などでも、こういうものに対する積極的な取り組みとして、スペシャリストをつくる、あるいは一般の医者の底上げをするといったことについては、今、計画が次々に実行に移されています。

緩和医療における専門性の確立の動き
それで、小泉先生に質問ですけれど、今日の会の最後にこんなことを言って申しわけないのですが、病院での総合診療医、総合内科医の役割とか定義とかカリキュラムは、どこまで教えればいいか、教わればいいかということに関して、中小の病院のスタッフであれば今日のお話として大体理解できるのですが、大学病院で多くの内科の中でのいろいろな診療分野の指導者は、自分たちは専門家だが、総合内科とか総合診療科という科をつくらなくても、自分たちは総合的に診療できるし,教育できるという意見を持っています。いろいろなところでそういう意見を聞きます。

その場合に、大学病院での総合内科の役割とか存在意義に関しては、スペシャリストをつくるための教育の一部門であると考えますが、そういう考え方で良いのでしょうか。その場合に、日本では、例えば総合内科スペシャリストとして、体系的な教育を受けた専門家というのはほとんどいませんね。各診療分野の専門家が、総合内科のスタッフとして集まり、後進の教育にあたるということになっていると思うのですが、こういう状態でよいのでしょうか。

大学病院での総合内科の役割・教育の仕組み
○小泉
総合診療と専門診療で役割分担の形
日本は伝統的なナンバー内科というシステムがあって、ナンバー内科というのは、教授の名前があって、例えば土屋内科とか、その意味は、その内科教室で内科全般を全部カバーしていて、その上で、この領域とこの領域はしっかり研究してその領域は強いのだという考えがナンバー内科であったと思います。そういうことで育った人が現役の方で今すごく多いので、そのイメージと重ね合わせての質問が多いんです。ですから、ナンバー内科では内科全般をやった上でやっているのだと。

それは確かにいいことなのですが、現実には、特化した方への比重がどんどん増えてくるので、例えば循環器内科の先生は朝から晩までカテーテルとか、そうなってくると、現場の仕事としては役割分担は現実にあって、それは重宝されて、私たちの方でも総合診療部がいると、このあたりまでは総合診療部の仕事、ここからは専門の仕事というように、今おのずとある程度形ができつつあります。

例えば、高齢者の市中肺炎の入院の場合などは、呼吸器(内科)かもしれませんけれど、普通の市中肺炎であれば総合診療で入院のこともあるし、ストロークに関してもそうですね。その辺は現場で役割分担をうまくやると、専門診療の先生も仕事がやりやすいし、私たちも専門の先生をサポートする意味で、あるいは身体的な部分以外のサイコソーシャル(心理社会的)の部分についての配慮という点では、総合診療部の医者は自負がありますから、それをしっかりやっていく、そういうことでいい形ができています。

大病院では、研修病院も含めて、入院患者さんのケアを、高齢ですから亡くなる方も多いですけれど、亡くなる場合も含めてきちんとケアできるということがあれば、専門診療科の先生方も、こういうタイプの患者さんなら総合診療科に任せようというのが現場では意外と定着しつつあるので、そういうものをベースに、これからの形ができていくのかなと思います。

総合診療と専門診療で役割分担の形
○土屋 ちょっと時間は過ぎていますが、今日この場所を提供してくださった渡辺先生に質問させないと怒られますので、よろしくお願いします。

 
○渡辺
高齢者を支える総合医
100床〜200床の地域総合病院では臓器別医師だけでなく総合医が必要
国民に分かりやすい総合医に対するネーミングとプログラムの要望

特権で済みません、ありがとうございます。日本版の総合医を考える場合に、2つのキーワードがあると私は思っております。

一つは、高齢者をどうやって支えるか。この間(第4回班会議)、小川先生のスライドにありましたが、アメリカはこの10年ぐらいほとんど高齢化は進んでいないと。それに比べて、日本はものすごい勢いで高齢化が進んでいるので、高齢者をどうやって支えるかということが一つのキーワードだと思います。

高齢者を支える総合医
もう一つのキーワードは、先ほど来、川越先生や土屋先生がおっしゃっている中小病院──100床、200床の病院というのは、実は日本の地域を支えてきた病院です。こういうところで臓器別の専門医を大学から派遣してもらっているというところが、どんどんつぶれていっています。それで、いつまでも大学に頼っているところがそのままつぶれてしまうのですが、本日おいでの山田先生などが手を貸して、総合医を派遣するようなシステムの病院がよみがえっていると。そういう現状を見ますと、総合医の適正な数はどうかというのは、クリニックベースのドクターの数プラス中小病院のドクターの数を計算しなくてはいけないと思います。

この間の4回目のときは内科がかなり攻撃されました。私は総合内科専門ですけれど、確かに内科医も、100床、200床の病院では、専門別の内科というよりは、総合的なものが要求されております。なおかつ、そういうところでは、小児科の先生だけ当直のときに忙しくて、私は手伝ったりするのですが、「おれは小児科は診ないよ」というところは、もう小児科の先生だけが負担が大きくなって、バーンアウト(燃え尽き)してしまうと。私のいた病院では内科は患者さんが来た時は重症なのですが、時間がある時もあります。小児科はのべつまくなしに患者さんが来る。そうすると、100 床、200床の病院で内科と小児科をちゃんと診れる医師を育成することが大事なのではないか。

100床〜200床の地域総合病院では臓器別医師だけでなく総合医が必要
それが私のコメントなのですが、最後に三学会の先生方にお願いしたいのは、病院総合医と地域総合医とか、病院総合医と家庭医とか、いろいろ言葉があって、この土屋班を今後進めていく上で、ネーミングというのはすごく大事なのだと思います。みんなイメージがいろいろで混乱してしまうところもあるのですが、要は、クリニックベースと中小病院を支えるような臓器別専門医に相対する言葉として、国民がイメージしやすい、三学会が合併したときのプログラムの名前というのをぜひともお考えいただいて、国民にアピールしていただければとお願い申し上げて、私のコメントを終わります。

国民に分かりやすい総合医に対するネーミングとプログラムの要望
○土屋
医師の資質として、「通い合う心」の必要性
総合医の診断能力と専門医の役割
どうもありがとうございました。

今日は大変盛りだくさんで欲張り過ぎまして、時間が十分質問に使えないで申しわけありませんでした。

小泉先生の8枚目のスライドに、スペシャリストとジェネラリストということで、スペシャリストは「"技"が決め手」で、ジェネラリストは「通い合う心が鍵」と。

大変象徴的ですけれど、私どもは専門病院にいますと「技」があって当たり前で、「通い合う心」が足りないのが多くてしょうがない、というのが院長としていつも嘆いておるところでありまして、これはバランスよく両者とも必要である。

医師の資質として、「通い合う心」の必要性
ただ、ジェネラリストの今日のお話を聞いておりますと、我々が学生のときに習った内科診断学、ここのところが最も総合臨床医に求められて、これが自分の守備範囲でなければ、患者離れのいい医者といいますか、専門病院にすぐ送り込むというところが随分求められているのかなというのが私の一番の印象でありました。

したがって、受け入れ側のスペシャリストは、ある程度診断がきちんとついてくれば、高度医療機器で確認をしてすぐ治療に入るというところに分化がきちんとできるのではないか。その辺を見据えた上で、この班のまとめをしていかなければいけないかなと思っております。

有賀先生がどうしてもということですので、どうぞ。

総合医の診断能力と専門医の役割
○有賀
三学会の関係
三つの学会の先生方が一緒に集まっているということは多分ないと思いますので、ぜひお聞きしたいことがあります。三つの学会に重複している方たちというのが、結構たくさんいるような、またはいないような。実は日本救急医学会というのはどんな学会かといいますと、多くの人が、集中治療医学会と重複しているんですね。ですから、ああそうか、救急医学会というのは三次救急の人が多いのだと、これでわかりますよね。

つまり、この三つの学会はほとんどみんな重複しているんですか。1つの学会に入っている人はみんな三つに入っているのですか。だから合併できるとか。その辺の様子を、どなたでも結構ですので、教えていただきたいと思います。

三学会の関係
○小泉 プライマリ・ケア学会が一番の新規生です。特に医師以外の職種の人が入って、チーム的な考えがしっかりある。地域のことで、葛西先生もおっしゃったように、特にグローバルには今はファミリーメディスンというコンセプトですので、そういうことを念頭に置いて、日本に家庭医療を根づかせたいということです。

 
○有賀 それはA、B、Cとあったときに、BとCか、またはAとBかということですね。

 
○小泉 私たち総合診療医学会に入っている人同士でも、大病院とか大学に勤めている人が多いのは事実です。ですから、病院を自分の診療の場にしている人が多いという若干の違いはあります。しかし、コアメンバーはかなり重なっています。

 
○有賀 そうすると、先生のところでもプライマリ・ケア学会の方にも所属する先生方がいて、家庭医の学会の先生方はプライマリ・ケア学会の方にも入っていると、こういう形なのですね。

 
○小泉 はい。

 
○有賀
将来の総合医、家庭医の位置づけ
わかりました。

それで、もう一つですが、日本の救急学会が結構発展してきたそのプロセスの一つは、救命救急センターという三次救急のシステムが日本国において制度として支えられてきたと。ですから、どちらかというと私立大学のほうが元気がいいというのが実態で、最近は国立大学にも救命救急センターができるようになってきましたが。

質問させていただきたいのは、今、ジェネラルな体制、内科診断学でもいいのですが、そういうことをもっぱらにするような方たちが、家庭医でもいいですし、病院にもおられると。そもそも、多くの健康に関する相談は、まずはその方たちが受けて、その後に次の卒業生の4割でも3割でもが行くような専門医の人につないでいくと。

そういう制度そのものについて、三つの学会が合体した後に、この国の形はそれで行くべきだと強く思っておられるのか、または、そんなことはあまり考えていないのか。その辺を教えていただきたいと思います。どなたでも結構です。

将来の総合医、家庭医の位置づけ
○前沢
役割の明確化の必要性
国民の方がわかりやすく利用しやすいということを考えますと、私は、緩やかな制度というとおかしいですけれど、ある程度フリーアクセスを制限して、きちっとガイドを図るべきだろうと思っています。

役割の明確化の必要性
○有賀 山田先生も同じですか。

 
○山田 同じです。

 
○有賀
終末期を含めた総合医の診療の範囲
せっかくマイクを持ったので、手短に。先生も、その中には、コンテクスチュアル・ケアということで、私は漠然と、高齢者の亡くなり方だとか、がんの患者さんの亡くなり方だとか、そんなことを含めておやりになることになるのだろうなと思って、先生のスライドを見ていたんです。信仰とか死生観とかと出てきますね。ところが、最後に、墨田区のお話でいきますと、そういう難しいのは勘弁してほしいと、そういう話も出てきていますよね。

先生方、三学会の方たちの目指す専門医は、当然のことながら、死に際まできちっと診て、そして今ではお坊さまがあまり活躍していませんので、そういう意味では、そういう形での看取りの部分でのお坊さまの代わりのような、そういうこともできなければいけないと私は思うのですが、その辺はいかがですか。

終末期を含めた総合医の診療の範囲
○山田
終末期医療における家庭医の重要性
全くおっしゃるとおりで、僕は、看取りこそ、長くつき合った医師が一番その苦しみをわかりながらというか、患者さんにとっては安心しながら、緩和ケアも含めて、在宅医療も含めて、一番実力を発揮できる部分は、10年、20年、30年、家族と一緒に生きてきた医者だと思います。

ですから、その人たちが、今のところそんなに緩和ケアなどの技能がないばかりにそういう意見があるかもしれませんが、僕としては、家庭医が当然緩和ケアとか在宅医のことに関して非常に能力が高いと。
現に、オランダの家庭医は、これはいい悪いは別にして、最期の看取るというか、安楽死みたいなことについて法制化されていて、それをとるのはジェネラルプラクティショナーです。

終末期医療における家庭医の重要性
○有賀 そういう意味では、終末期医療についても充分にお考えになっているという話ですね。ありがとうございます。

次回以降の予定
○土屋
次回以降の予定
海外における臨床研修制度の調査

マイクを離さない俳優がいまして(笑)、班長がいけないのであります。

いろいろな分野の聞き取りがほぼ一巡しましたので、前回の全国医学部長病院長会議にはもう一度議論したい気もありますが、これはまた別にして、班員の中で意見をたたかわせて、合議に持っていきたいと思います。

年末にできるか、新年に入るか、次回は身内だけのディスカッションを、今度はマイクを離さないでも大丈夫な十分な時間をつくりますので、よろしくお願いします。

 
その上で、お約束していた外国の状況を学会に来る医者をつかまえてというのですが、個別には何人かつかえまたのですけれど、こういう場ではできませんでしたので、今、渡邊君が、研究委託で各国の状況をとらえられないかということで交渉してくれていますが、おおむね、それぞれの専門家から国情を知らせてもらえる状況になりつつあります。何しろ班のお金が限られておりますのであまりぜいたくはできないのですが、社会的な意義は高いだろうということで、協力してもいいという返事はとりあえずはいただいております。

渡邊先生、次回の予定についてお願いします。

海外における臨床研修制度の調査
○渡邊(事務局)
次回以降の予定
次回の予定はまだ未定です、あらためて班員の先生方にはご案内を申し上げます。海外の専門医・家庭医臨床研修制度についての調査をするということで、これまでの議論を踏まえて、1月中旬までには一度クローズドのミーティングを行いたいと思います。またよろしくお願いいたします。

傍聴の皆さま、ホームページは引き続き更新してまいりますので、またメールニュースなどでご連絡をさせていただきます。

次回以降の予定
○土屋 今日は、盛りだくさんにやって大幅に時間を超過したことを最後におわびいたします。遅くまで聴講していただいたマスコミの方、あるいは一般の方も、ありがとうございました。これで終わります。(拍手)

 


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