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厚生労働科学研究費補助金(厚生労働科学特別研究事業)
医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究

第4回班会議 会議録


日時:平成20年11月18日(木)17:00−19:00
場所:国立がんセンター研究所 セミナールーム
出席:土屋(進行)、有賀、海野、江口、岡井、川越、阪井、外山、山田、渡辺
   小川 彰先生(全国医学部長病院長会議会長、岩手医科大学学長)
   嘉山孝正先生(全国医学部長病院長会議専門委員会委員長会委員長、山形大学医学部長)

発言者 発言内容 進行・要旨
○土屋
開催挨拶
それでは、時間になりましたので、第4回の班会議を始めたいと思います。本日は、今までの復習と今日お招きしたお客さまのご紹介をしていきたいと思います。始める前に、今回はテレビ局の方が取材でカメラを回しています。ご了解ください。

今日は、全国医学部長病院長会議から会長の小川先生と、嘉山先生にお越しいただきました。自己紹介をお願いしたいと思います。

開催挨拶
○小川
自己紹介
本日は、厚生労働科研費の「医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医のあり方に関する研究班」にお招きをいただきまして、ありがとうございました。私は、岩手医科大学の学長をやっております小川でございます。全国医学部長病院長会議で会長をこの春にご指名をいただきました。

今年になりまして、国が大きく方針を転換しましたので、従来はこんなにバタバタすることはなかったのですが、医師養成増の政策に転換をいたしましたし、臨床研修制度につきましても見直しをするのだということで、今までと全く手のひらを返した政策になったものですから、今、大変な思いでおります。

先ほどまで、文部科学省と厚生労働省が合同でやっております研修制度の見直しに関する委員会に嘉山先生と2人で出てまいりました。今日が3回目で、4回目あたりには結論を出そうという方向ではいるのですが、なかなか難しいのではないかなと思っております。今日はよろしくお願いいたします。

自己紹介
○土屋 どうもありがとうございました。

では、嘉山先生、お願いします。班員の方はもう皆さんご存じだと思いますが。

 
○嘉山
自己紹介と抱負
私は山形大学の医学部長ですが、今、全国医学部長病院長会議の専門委員会委員長会委員長ということで、小川先生のアシスタントとして働いております。この土屋班は、私の考えでは、国民に医療の質をどのように担保するかという一つの最初の検証の班会議ではないかと思っていますので、非常に大事な会議だと思っています。今の医療の不信がいつ出てきて、いつこうなったのか、それは誰がどのようにしたかというのはわからないのですが、ただ、我々自身も自浄作用を発揮しなければいけないときであることは間違いないので、土屋班に少しでも貢献できればと思って今日は参加させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

自己紹介と抱負
○土屋
研究班の趣旨
第1回班会議
第2回班会議
第3回班会議
今回の趣旨説明
どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

それでは、今日初めての方もいらっしゃるかと思いますので、もう一度復習を簡単にしておきますが、今、嘉山先生からご紹介があったように、この班会議は、安心と希望の医療確保ビジョンの具体化に関する検討会において、国民に質の高い医療を提供するために必要な、我が国の土壌に合った医師の後期研修のあり方について検討すべきだということを受けて、班を組んでいただきました。

したがって、専門医・家庭医を含んだあり方について、地域医療を担う家庭医・総合医を含めた専門医の指導・教育研修のプログラム等について、総合病院、大学病院、専門病院、診療所など、さまざまな立場の医療者の協力を得て、幅広く調査、検討を行うということで始めさせていただきました。

研究班の趣旨
第1回は、各班員とともに、この班の進め方と、どの範囲をカバーするかといったことをお話しいただいて、それに沿って2回目からヒアリングを始めたわけであります。

第1回班会議
2回目には、日本専門医制評価・認定機構の池田理事長にお越しいただいて、その機構の活動状況、そして目指すところ等をお話しいただきました。同じ日に、日本医師会から、「地域医療、保健、福祉を担う幅広い能力を有する医師について」という題で、日本医師会常任理事の飯沼先生よりご講演をいただき、意見交換をしたわけであります。
その中で、いわゆる家庭医あるいは総合診療医と呼ばれるものについて医師会はかなり意欲的ですが、4つのコースを考えていて、その第1のコースというのが、私どもが考えている専門医としての家庭医というコースでありましたが、医師会としてはむしろコース1は自分たちでタッチすることはあまり考えていないということで、コース2、コース3、コース4の経験7年以上あるいは15年以上という方を対象に、総合診療医ということを今検討しているということを伺ったわけであります。

第2回班会議
そして、前回の第3回では、日本学術会議から桐野先生にお越しいただいて、学術会議の医師後期臨床研修制度のあり方についての考えと、また、桐野先生ご自身の考えも個人的意見としてお披露目いただいたわけであります。日本学術会議の要望というのは、あくまで要望であって、いきなりこれが行政府で実現するわけではないけれども、政府の機関であるので、ある程度の影響力はあるだろうといったお話を伺ったわけであります。

第3回班会議
本日は、先ほど自己紹介をいただいたお二方をお招きして、全国医学部長病院長会議としては、専門医教育についてどのようにお考えであるかということをお聞きして、意見を交換したいということでございます。

それでは、前置きはこのくらいにしまして、小川先生、早速、お願いいたします。

今回の趣旨説明
○小川
今日の日本の医療
日本の医療水準
医師数の現状
岩手県の医療体制
医師不足の背景
臨床研修制度のプライマリケアと国民の期待する医師像
地域医療で求められる医師像
これまでの卒前・卒後教育の一貫性の欠如
現在の臨床研修制度の影響と医師不足
大学への帰学状況調査からみた地域医療体制の崩壊
外科医の減少
医師充足の地域格差の拡大
若手医師の指向
基礎医学者の減少
日本の低医療費政策
医師の労働時間調査と労働環境
英国の医療政策の変遷
臨床研修制度の見直しを求める声明と生涯教育の重要性
海外との専門医・家庭医の状況の違い
日本の教育費の公的支出
まとめ
ただいま土屋先生から今までの経緯をご説明いただいたわけですが、この辺のことを私は十分に認識していたわけではございませんので、多少、的外れな内容になっているかもしれませんけれど、ただ基本的には、国民に対して安心・希望の確保のための医療を提供するにあたりましては、今の日本の医療がどうなっているかということが一番基本になると思いますので、その辺からお話をさせていただきたいと思っております。

それから、嘉山先生とはいろいろなところでご一緒させていただいておりますので、スライド等々も多少オーバーラップしているものもございましょうし、後から追加で嘉山先生の方からお話をいただければと思っております。私の舌足らずの部分に関しましては、よろしくお願いいたします。

今日の日本の医療
これは嘉山先生がよく言われていることですが、日本の医療レベルはどうなっているかというので、WHOで出しているワールド・ヘルス・レポートですけれど、ヘルスレベルが1番である、オーバーオール(総合点)も1番だということであります。これが何ページにもわたってあるわけですが、世界百何十か国のWHO参加国すべてをデータとしてまとめておりまして、その中で1番ということであります。

日本の医療水準
それで、日本の医師は充足しているかということでございますが、これは人口1,000人単位で、2004年のOECD30か国の医師数ですけれど、OECDの平均が3.0、10万人単位にしますと300人ということでありまして、日本は今200人、2.0ということで、平均の3分の2程度です。この1つ上に英国がありますが、英国が医師養成増の政策に転換をしまして、日本とほとんど同じだったのですけれど、今は240人という状況になっております。

これは日本の各都道府県のデータですけれど、東京は一番飛び抜けて多いのですが、それでも250という数でありまして、OECDの平均の300からいたしますと、東京ですら少ないという状況でありまして、東京近郊の千葉、埼玉、この辺が最も少なくて、千葉に関しましては、皆さま良くご存じのように、つい先だって銚子市立病院が閉院に追い込まれたということがございます。

医師数の現状
私のいる岩手もこういうことでございまして、北東北3県は非常に厳しい状況にあるということでございます。岩手県のことを少し触れさせていただきますと、北海道に次いで広い県土でありまして、四国4県に匹敵する広さを持っております。そこに9つの医療圏を持っているわけです。高度救命救急センターが盛岡にございまして、岩手医大に併設されております。それから、久慈と大船渡に高次救命救急センターがございまして、3つの救急センター体制の中で運用しているという状況でございます。こういう広い県土ですが、病院数からいきますと、103病院しかございません。四国とほぼ匹敵する広さですけれど、四国には509病院あります。東京都を見ますと658病院ございまして、東京23区の病院数からしますと436病院でございます。つい先だって、たらい回しもございましたけれど、なぜたらい回しがされるのかというと、救急をやめている病院がどんどん増えていると。東京のように病院密集地では、お隣の病院で診てもらうのではないかというのであまり罪悪感がないと。また、病病連携・病診連携の問題もあるでしょうと。

岩手県は、先ほどのように病院の数としては非常に少ないわけでございますが、たらい回しはございません。なぜたらい回しがないかというと、たらい回しするほど病院がない。そういう状況の中で、例えば、ここに宮古医療圏というのがありますが、これは同じスケールで東京都であります。岩手県には9つの2次医療圏がございますけれど、宮古医療圏はそのうちの1つの医療圏ですが、宮古医療圏の面積だけで東京都区部の4.3倍、島も含めた東京都全域の1.2倍の広さがございます。この中に病院が4つしかございません。

3つの病院はどういう病院かといいますと、内科と外科しかないような、診療所に毛の生えたような病院が3つでございますから、岩泉という龍泉洞のあるところに1つと、宮古市に私立病院が1つ、そして田老町に1つということで、あとは県立宮古病院しか総合病院がないという状況でございます。要するに、県立宮古病院で患者さんを断ってしまいますと、もう死ぬしかないということでありますから、必ず1回は収容する。そして、ここから2〜3時間ぐらいかかりますけれど、盛岡医療圏の方に搬送するというシステムになっています。

東京の病院数が658あって、区部のみで436ですが、この区部の4.3倍の面積があるところに総合病院が1つしかないという状況でございます。

しかしながら、なぜたらい回しがないかといいますと、例えば、脳卒中の救急診療を見てみますと、開業医あるいは地域の病院から地域の基幹病院に行きまして、そこで手に負えないということになりますと高度救命救急センターに回ってくるという、そういうシステムができておりまして、2次医療圏に1つずつは手術ができる脳外科病院がございますので、そこで治療ができるものは治療が完了しますし、そこで手に負えないようなものはすべて盛岡まで来るということになっておりますので、そういう意味では、たらい回しはないということになるわけです。

これは実際の県保健福祉部でつくっております患者の受療動向ですが、今お話ししたことと同じような形に患者さんは動いているということで、先ほどの体制がある程度、病病連携・病診の中で回っているということになろうかと思います。あまりにも医者が少なくて、病院が少ないものですから、こういう体制をとらざるを得ないという状況の中でやっているということです。

119番通報から医療機関までの到達については、岩手県は非常に悪くて、ワースト3にありますが、東京都、埼玉県というところが悪いわけで、そんなに近くて病院がたくさんあるのになぜこんなに時間がかかるのだというと、結局、これは距離ではないファクターがございます。岩手県の状況から言えば、これはもう単純に距離でありまして、沿岸地区から盛岡医療圏まで患者さんを搬送するためには、救急車で2〜3時間かかるということでありますから、いたし方ないところもあるのかなということであります。

岩手県の医療体制
この救急体制の問題に関しましては、医師不足が最大の問題と言われております。これは朝日新聞のデータでございます。そういう中で、昭和57年に閣議決定がございまして、「行政改革の具体化方策について」で、医師については、全体として過剰を招かないように検討を進める、と。また、平成9年の閣議決定で、「財政構造改革の推進について」ということで、合格者数を抑制する等の措置により合理化を図るということであります。財政抑制・医療費抑制のための医師養成削減政策を日本はとってきたということでございます。

そういう中で、OECDの平均の10万対の医師数の推移と日本の推移でございます。「最小限必要な医師数は人口10万対150人」であるという目標をとりあえず設定したわけです。その後、医療費亡国論が出てまいりまして、このときに1県1医科大学が出て、そして医師数が増えてきたと。先ほどの閣議決定が1982年に行われまして、そして86年には医学部の入学定員の10%削減が行われました。さらに97年にも同じ閣議決定が行われまして、臨床研修制度がここで始まったということで、結局、医師不足が社会問題になってきた。ですから、少なくとも医師数そのものは、少しずつではありますが、OECDほどではないのだけれど、増えてはきたのですが、臨床研修制度のおかげで、それが医師不足を顕在化させて社会問題を引き起こしたということが言えるのではないかなと思っております。少しずつは医者は増えてきたのですが、医師養成削減政策に加えて、臨床研修制度が医師不足にとどめを刺したということであります。

医師不足の背景
さて、臨床研修制度発足の趣旨は非常によろしいと思うのです。すべての医者にプライマリケアに対応できる幅広い臨床能力を習得させるというのはすばらしい理念だったのかもしれませんけれど、では一方で、皆さん、赤ひげ先生のことは黒澤明の映画でご存じだと思いますが、地域の信頼されるお医者さんで、内科医ではありながら、盲腸ぐらいの外科手術はできて、お産も診れると、こういうことがプライマリケアの原点だと思いますし、そういう意味ではプライマリケア医というのは理想のように思えるわけですが、今の世の中で、自分の奥さんが妊娠をされたときに、いくら有能な内科の先生であっても、あるいはいくら有能な外科の先生であっても、その方に自分の奥さんのお産を任せる方がいらっしゃるでしょうか。私はいないと思います。

ですから、国民の求める医師像が間違っているのではないか。私は、そういう意味では、赤ひげ先生の時代ではないと思っています。いかに過疎地に住んでいようとも、お産の経験はあるとはいっても、内科や外科の先生に自分の奥さんのお産を任せるわけにはいかない、というのが基本的な考えだと思います。やはり産科の専門の先生に診てもらいたいと。そういう意味では、専門性への期待があるわけでありまして、国民の期待している医師像と臨床研修制度で今やっているプライマリケアの医師像とは、大分乖離があるのではないかと思っております。

臨床研修制度のプライマリケアと国民の期待する医師像
やはり専門医に診てもらいたいということがあるわけですが、先ほどの岩手県の状況をごらんいただいてもよくわかりますように、各2次医療圏にすべての専門医を用意することは不可能です。マンパワーから不可能である、社会資源の浪費にもなる。それだけではなく、お医者さんの側から見ますと、手術がわずかしかないという中で、もし専門医が地方に散らばっていれば、それは当然、専門医の診療能力の低下につながるわけでありますから、したがって、各地域にすべての専門医を用意することはできない。

ということからしますと、これは私見でございますが、「理想の地域の医師像」というのはどういうものかといいますと、一般診療ができて、緊急時の救急処置ができて、専門医の診断治療が必要か否かを判断でき、適切に紹介ができる、臨床判断ができるということと、救急処置ができるということと、自身も専門性を持っているということ。インセンティブのためにはこういうことも必要でしょうということであります。

例えば、岩手県の田舎から救急車で盛岡まで運びますと、約3時間、下手をすると4時間ぐらいかかる場所もございます。そういう中で、例えば、85歳のおじいちゃんが顔のここをちょっと切ったと。だったら、内科の先生でもちょっと縫ってくださいよねと。4時間もかけて岩手医大附属病院の形成外科の先生に縫ってもらう必要はないと。内科の先生でも、ちょっと上品に縫ってくださいよと。そういうことだと思うのです。

けれど、18歳の女の子が顔のここを切ってきたら、内科の先生は手をつけるなよと。それはすぐに救急処置をして、そして大学に運んで、専門医の形成の先生にきっちりきれいにやってもらって、将来、お嫁に行けるように傷がほとんど見えないように縫ってもらいなさいということで、こういうところが臨床判断というところだと思います。

先ほど嘉山先生ともお話をしていたのですが、問題は内科だと。耳鼻科の先生や眼科の先生が他のことを無理やりやる必要はないわけで、どうせ忙しいわけですし、内科の先生が少なくとも自分自身が循環器内科の専門であっても、高齢者の肺炎ぐらいは診てほしいし、急性腹症は診てほしいし、糖尿病ぐらいは診てほしい。ただ、そのときに大事なのは、私の専門は循環器だから、循環器のことに関しては何でもわかりますよと。けれど、今日来た患者さんは急性腹症の患者さんなので、抗生物質でいいかもしれないけれど、ちょっと危ないなというときに、例えば、岩手医大附属病院の救急センターまで運んで、1回専門医の目を通して、そして方針を決めてもらって、戻してもらってやっていただければいいわけで、そういう意味では、その辺の臨床判断ができるかできないか、要するに、この患者さんを専門医のところへ運ぶ必要があるのかどうかという臨床判断ができるかどうかということが極めて重要だと思っております。

地域医療で求められる医師像
さて、話は変わりますが、平成3年7月に、旧文部省が大学設置基準の大綱化をしました。これは医学進学課程2年間と医学専門課程4年間を廃止しまして、今、ここにいらっしゃる先生方はみんなこのスキームで教育をされたと思いますが、6年一貫教育にしたわけです。この結果、各大学は大変な苦労をしたわけです。6年間の大学教育の中で、カリキュラムを変更するということは、完成まで最低6年かかります。そして、大抵の大学は8年かかって6年一貫教育のカリキュラムを変更しました。

一方、旧厚生省は、医師法等一部改正を平成12年にやりまして、平成16年から臨床研修を必修化するということをやったわけです。この2つは、6年一貫医学教育というのは、6年間で一人前の医師に教育しましょう、もっとレベルの高い教育をしましょうということが理念としてあったと思います。一方で、卒後臨床研修必修化は、6年間の医学教育では不十分だから、さらなる追加教育が必要だということでありまして、この文部科学省と厚生労働省の方針そのものは決して相容れない政策だと私は思っております。卒前の医学教育が文部科学省にあって、卒後の医学教育が厚生労働省にありまして、医学生涯教育としての一貫性の欠如というのがあって、臨床研修制度につきましても、6年一貫教育につきましても、卒前卒後教育がどうあるべきかというものから決まってきたものではないということだと思います。

ただ、今日ありました臨床研修の見直し委員会は、文部科学省と厚生労働省が合同でやったという初めての会議でありますから、そういう意味では大分変わってきたのかなという気はいたしております。

これまでの卒前・卒後教育の一貫性の欠如
臨床研修制度の負の影響を見ますと、医師不足を加速して地方の医療を崩壊させて、一部の科の極端な医師不足を加速させたということはあげられると思います。ですから、地域偏在、診療科間偏在、この2つが非常に大きくなったということであります。

確かに臨床研修制度が始まる前から、OECDに比べて医師不足の状況ではあったのです。けれど、少しずつは医者は増えてきた。この2年間に1万5310人の新医師が誕生したわけですが、これは臨床研修制度の初期の2年間です。研修医は研修医に専念することとなっていますから、各診療科のマンパワーにはなりません。

全国の医師数が25万6600名。これは厚生労働省の調査です。したがって、この1万5310名が確かに医籍登録はされたけれども、地域医療のお手伝いはできていないわけです。そこにはちゃんと指導医がいる病院で、そして研修病院に入るけれど地域医療のお手伝いにはなっていない。また、各診療科の中で、この人たちがいろいろなローテーションをするわけですから、当然のことながら、各診療科のマンパワーにはなっていない。ということになりますと、25万名に対して1万5000名というのは6%でありますから、6%の医者が忽然と日本から姿を消したというのと同じ意味を持っているわけです。

もう一つ興味深いことは、例えば、うちの大学の理事長さんもお医者さんで、88歳ですから、そういう方々も実は26万名のお医者さんの中にカウントされているわけです。65歳を超える医師が4万名いらっしゃいますから、そうしますと、アクティブに働いているのが65歳以下の医師だとして、22万名ということになります。26名から4万名を引いて、さらに臨床研修医を引けば20万名しかいないわけで、そうしますと、実質10万対150という数が出てまいります。そうすると、22万名分の1万5,000名は8%ですから、約1割の医者が忽然と姿を消したというのと同じ意味を持っているわけです。

先ほどOECDの平均が3.0というお話をいたしましたが、200人ということなのですけれど、今お話しいたしましたように、実質150ということになりますと、OECDの中で最下位ということになります。アクティブに働いている医師数からすれば最下位であるということです。そして、1万5310名を引いたもので見ると臨床研修の影響は7%となります。

現在の臨床研修制度の影響と医師不足
全国医学部長病院長会議では、毎年、地域医療に関する専門委員会で、全国80大学の帰学状況調査をやっております。そうしますと、平成14年、これは臨床研修制度が始まる前ですが、大学に卒業してすぐ所属した医師が71%いたと。2年間の臨床研修を終わって、そして大学に所属をしているのが50、52、55と、多少回復したのかもしれませんが、有意差があるのかどうかという段階です。

地域別に見ますとちょっとヤバくて、地方では、大学所属医師が、過疎地、地域医療を担ってきたわけです。この中大都市圏域というのは、50万以上の都市がある都道府県、小都市圏域というのは50万未満のところでございます。そうしますと、ピンクであらわしているところが50万以上の都市のある都道府県で、北海道は3大学ありまして、札幌地区とその他がございますので、ここだけ2つに分けました。

そうしますと、50万未満の都市しかない都道府県が3分の2でございます。各県1大学で特に過疎地・地域医療は地方大学が担ってきたのですが、新卒者が地域医療の担い手にはなりませんけれど、昔は、大学の各診療科に新卒の医師が入りますと、その人たちが手足になって、5年目、6年目、あるいは10年目の中堅医師が過疎地や地域医療の手伝いができていたわけであります。これは結局、医師数が少ないながら、ギリギリの状態でこういう状態を保っていたわけです。それが地方における医師不足によって、過疎地医療のサポート体制が完全に崩壊をしたと。

これを見ていただければわかるわけですが、この白の場所が人口50万未満の都道府県でございますから、そこでは30%ぐらいしか戻ってこない。ひどい県になりますと、大学に戻ってくるのがたった12人。20科あって、12人の医者が大学に戻っていて、どうやって地域医療をサポートできますか、ということになるわけです。

大学への帰学状況調査からみた地域医療体制の崩壊
地方医療の崩壊をもたらしたということと、もう一つは、内科医が減っているのではないかと思って心配していたのですが、去年戻しました。ただ、外科医の減少には歯止めがかかっておりません。外科医は約35%の大幅な減少で、実に3分の2になっております。ということはどういうことが起こるかといいますと、病院外科医が減っているわけですから、近い将来、急性腹症で簡単な盲腸などで手術ができない。3分の2になっているわけですから、お医者さんがいないので手術ができないといって、急性腹症の簡単なお腹の病気で命を落とすということが、近々に起こり得る状況になりつつあるということであります。
これは外科医の年齢構成で、厚生労働省の3師調査からとったものですが、ここをごらんになっていただければわかりますが、28歳以下の外科医は半分以下になっています。12年、14年、16年、18年と半分以下です。30〜39歳でもこのように減っているのに、20代の外科医がこれだけ減ってくれば、当然、お腹の簡単な手術すらできないという時代が近々に来ると思います。

外科医の減少
これは平成16年、臨床研修制度が始まったばかりのときに、全国医学部長病院長会議の総会で、医師充足の地域格差の拡大が危惧されると。地方における医療の荒廃の危機、大学病院の研究体制の弱体化、国際競争力の低下、この結果、国民の福祉の低下をもたらすのではないかということを明言したわけです。これは実は臨床研修制度が始まった年ですから、スタートしたばかりなので何も影響が出ていない段階だったのですが、こういうことを全国医学部長病院長会議としては提言をしたわけです。

医師充足の地域格差の拡大
これはJAMA(米国医師会雑誌)からとったものですが、若手の医者が科を選ぶときにどういうインセンティブで選ぶかということを調べたものでして、インカム(報酬)が多い方がいいというのが少しずつ増えています。労働時間に関してはあまり変わらない。ただ、問題なのはここです。「コントローラブル・ライフスタイル」、つまり自分が自由になる時間が欲しい、そういう科を選ぶ傾向になっているということでありまして、日本でも厚生労働省で今回アンケートもやりましたけれど、やはりこういう傾向が出ております。ですから、外科とか内科とか、時間に制限されるような科は選ばない。時間の制約が少ない科を選ぶという方向で、これはアメリカも日本も同じようでございます。

若手医師の志向
それから、基礎医学者の減少も危惧をしたわけでございますが、つい先だって新聞に出たものですけれど、世界の論文数と伸び率を1997〜2007年までの10年間で見たものです。97年に日本はトータルの学術論文で2番目だったのですが、中国、英国、ドイツに抜かれまして、現在5位。この10年間の伸び率が、中国が505%、日本は5%でありますから、もうほとんど伸びていない。これはエルゼビアのデータからとったもので、スペインかの調査会社がやったもので、朝日新聞に載ったデータでございます。この5%というのは、医学の分野においては多分マイナスに振れていると思います。一般の自然科学の方ではもう少し増えていて、10%か15%ぐらい増えているかもしれませんが、医学の分野では、今回の影響でマイナスになっているのではないかなと。これは調べておりませんので、まだわかりません。

基礎医学者の減少
もう一つ、医療費と労働力について見てみますと、これは横が高齢化率で、縦が1人あたりの医療費の多さです。アメリカは、高齢化が進んでいないにもかかわらず医療費は増えている。日本は、こんなに高齢化が進んでいるのに医療費は増加していないということが明確です。

それから、診療報酬改定の推移を見ますと、1998年を100といたしますと、2006年で実質GDPは112%増になっているにもかかわらず、診療報酬は93%まで落ち込んでいるということからいたしますと、まさしく低医療費政策を日本は実施しているということであります。
これはOECD加盟30か国の医療費ですが、対GDP比で平均が8.9%ですが、日本は21位ということで、約8%程度ということであります。イギリスは、医療費増の政策に転換をいたしましたので大分変わってまいりました。そういう意味では、安い医療費で世界一の医療を提供しているというのが日本の医療だと思います。

日本の低医療費政策
これは長谷川先生からいただいたデータで、脳外科のこのあいだの総会で脳外科のものも調べてみたのですが、日本の全国あるいは脳外科の若手の医者はほとんど労働基準法違反です。30時間以下はこういうことですが、実は大学病院が一番労働しています。これは若いからだと思ってこの後調べたのですけれど、全年齢にわたって大学病院の方がはるかに労働時間が長いということがわかりました。

その労働内容としては、書類作成や患者説明などに非常に多大な時間が費やされているということでありまして、研究はわずかであるということであります。したがって、今は研究などしている時間なんかないよと。ですから、国は医療費抑制政策の中で、在院日数も短縮しました。在院日数を半分に短縮したということは、主治医は入院カルテと外来カルテを2倍つくらなければならないわけですから、当然、労働力はものすごく増えるわけです。

それから、今、嘉山先生が第三次事故調試案の問題に取り組んでおられますが、今の世の中は在院日数が極端に少なくなっていますので、医者と患者の信頼関係ができる前に検査が終わって、治療が終わって、患者さんは退院するわけです。したがって、結果が悪ければそれは訴えられるのは当たり前で、医者と患者関係がちゃんと醸成される前に結果がもう出てしまっている。ですから、悪いとそういうことになってしまうということです。

医師の労働時間調査と労働環境
これは英国ですが、サッチャー政権下で低医療費政策と医師養成削減政策をやって、そしてとんでもないことになったと。実はサッチャーの時代は、40万人が6か月以上待ち。ついこの間、私もイギリスに行ってきて、現地のおばさんとちょっとお話をしてきたのですが、専門医に診てもらうのにやはり6か月待ちだそうです。「そのうちに患者さんは死んじゃうのよね」と。今は大分良くなったみたいですが、6か月待ち、12か月待ちがこうなってきて、ブレア政権になって大分良くなってきたと。ですから、英国が医師養成増の政策に転換をしたということと、医療費増の政策に転換をしたということが、この結果を生んでいるわけです。

英国の医療政策の変遷
このことにつきましては、平成17年に全国医学部長病院長会議から、こういう危惧があるということを国に出しております。18年には緊急声明を出しまして、臨床研修制度の迅速な見直しを求めるということをやりました。

医学は生涯教育ですから、先生方もそうだと思いますが、先生方は学生時代に習ったことで、今、診療されている方はこの中にどなたもいらっしゃらないと思います。10年たったら、今の常識が非常識になる。10年前までは、胃潰瘍といったら手術をするのが当たり前だった。それがそうではなくなったわけで、教えることができるのは今の知識や技術でありますから、いかに今のすぐれた技術・知識でも陳腐化するわけで、いかに完璧な教育システムでも、10年後、20年後の知識と技術を教えることは不可能ですから、そういう意味では、教育の目的が勘違いされていないかということを私は危惧するわけです。医学教育の本当の目的は、「自らが最新の知識・技術を生涯学習として学び続けられる手法を授ける」ということの方が重要でありまして、実は学位の重要性というのは意外と若いお医者さんにはわからないのですが、この辺がそういうことだと思います。研究する心、研究できる技術を習得させる。

そういう意味では、卒前の臨床実習、卒後の生涯医学研修を含む一貫性ある医学生涯教育システム、生涯学習のシステムを構築する必要があるでしょうし、臨床研修制度はモラルハザードを起こしてしまったということで、これは本日、全国医学部長病院長会議から、この論点でやったらいいんじゃないかと。臨床実習前の共用試験を資格試験制度として確立をして、医行為実施の法的整備による診療参加型臨床実習を充実し、国家試験を見直してもらいたい、研修制度の理念を見直してほしい、マッチングも見直してほしい、大学院教育に医学生涯教育を組み込んでほしい、ということです。

せっかく臨床研修病院が随分レベルも上がりましたから、大学だけでなく、頻度の高い疾患は研修病院で実習して、大学病院と連携をすれば、医師不足の速効的解消になるのではないかということです。

臨床研修制度の見直しを求める声明と生涯教育の重要性
ただ、臨床研修制度のみに原因があるわけではございませんで、日本の医療制度全体に問題があるからこういうことが起こっているわけです。この辺は今日先生方と関係するところかもしれませんが、専門医・家庭医を議論するときに、外国と日本とでは社会状況が違うのだということを前提にしてご議論をしていただきたい。と申しますのは、これはJAMAのデータから持ってきましたけれど、心臓外科医と脳外科医が入っていませんのでここは抜けてしまいますが、Family Practiceがこんなものです。ですから、家庭医はこういうところです。Radiology(放射線科医)、Urology(泌尿器科医)、Otolaryngology(耳鼻咽喉科医)というのがこういうところにありまして、これだけインカムが違う。

アメリカで、例えば脳外科医をバースコントロールしています。これは学会でしています。なぜバースコントロールしているかというと、自分たちのインカムを下げないためにやっているんです。ですから、医療が必要か必要でないかというディスカッションの上に必要数が決められているわけではなくて、インカムを確保するためにバースコントロールしているわけです。ですから、今のアメリカの、これは心臓外科医も脳外科医もそうですが、フルタイム・ファカリティ──常勤医師が退職しない限り、そこに入れないんです。ですから、それまではどういう生活をするかというと、レジデントをやって、レジデントが終わりますと、今度はフェローをやるわけです。それで自分の経歴を上げて、そういうところに入る。そして、フェローで途中を過ごして、最終的には心臓外科医の専門医になるという形ですから、日本のように、医師がどういう医師でも、難しいことをやっている医師も、簡単というわけにはいきませんが、病院医師の給与はほぼイコールです。これは「悪平等の平等」の中に立っているわけで、そういう中で家庭医の問題も出ておりますが、家庭医につきましてもこういう社会的な基盤が違うのだということを前提にしてご議論いただきたいと思っております。

そういう意味では、これは私の個人的な見解ですけれど、冒頭でお話しいたしましたように、国民が求める医師像からすると、家庭医というのは本当に国民が求めているのだろうかと。そういう意味では、安易な導入には反対ですし、日本と欧米では社会的な基盤が違います。社会基盤の基本のディスカッションを抜きにした専門医・家庭医論議は無意味ですから、最終的には日本の医療制度の問題だと思っています。

海外との専門医・家庭医の状況の違い
これは少し話が違うかもしれませんけれど、教育機関への公的財政支出ですが、これがOECDでビリです。高等教育もビリです。OECDの対GDP比5%に対して、日本は3.4%。初等・中等教育は比較的良くて、下から3番目。高等教育になりますと、OECD平均が1.1%、日本は0.5%ですから、ほとんど半分です。もう一つ恐ろしいのは、一番下の青いのは公的財政負担で、ピンクのところが家計負担ですが、初等・中等教育は、OECDの平均では91%が公的財源から出ている。日本は90%で、これはそんなに変わらないのですが、高等教育になりますと、OECDの平均が73%に対して、日本はたった33%しか出してもらっていないと。こういうことで、OECDの平均が1.1%、日本が0.5%ということで、非常にお寒い状況でございます。

日本の教育費の公的支出
今後の医療医育制度の改革の視点として、1つは、医師養成削減政策を見直す。これは見直されていますけれど。それから、臨床研修制度も今見直されていますが、もっと大事なのは、医療費削減政策の見直しです。この3点セットが一緒にならないと、医療というのは絶対良くならない。そういう意味では、これはどうにかしたし、これは今進んでいるし、医療費削減政策に関しては全く何もない。

医療と教育が壊れれば国は滅びると言われています。医療は平時の安全保障でありますし、そういう意味で、当班会議は極めて重要な使命を担っていると私は考えています。班員の皆さまの考えが今後の日本の医療を決定することになりますし、そういう意味では、後世の方々から支持され、かつ、国を動かすご議論をぜひお願いしたいということを申し上げまして、お話とさせていただきます。どうもありがとうざいました。

まとめ
○土屋
我が国における家庭医のイメージ
小川先生、どうもありがとうございました。夏の「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化検討会の熱気を思い出す気がいたします。この班に対する期待も多大なものをいただいて、身が引き締まる思いでありますが、皆さまからご質問を受ける前に、誤解を生まないようにしたいと思いますが、今、家庭医というのが大上段に安易な導入は、ということなのですけれど、前にもここでも出たと思いますが、家庭医といった場合に、皆さんが描くのがかなりバラバラではないかという気がするんです。

アメリカでは、ファミリープラクティスというボード(専門医資格)がありますので、これは定義ははっきりしていると。ただ、我が国で話しているときに、果たして何を基準にやっているかというと、かなりぐらついているのではないかなと思いますので、確認したいのは、先ほど先生は、「赤ひげ」の後に、「理想の地域の医師像」と呼ばれましたけれど、これは一般診療ができる、緊急時の救急処置ができる、専門医の診断治療が必要か否か臨床判断ができ、適切に紹介ができると。最後に、自身も専門性を持っているということで、地域の医師像ということですが、これは日本の今の土壌を考えると、家庭医というか地域医というか、呼び方はいろいろだと思いますが、それはよろしいのでしょうか。

我が国における家庭医のイメージ
○小川 ええ。

 
○土屋 アメリカでいう専門性のところが欠けたというか、その上の方も全部備わっているかどうかはわかりませんけれど、そういう狭い意味というか、日本の土壌を考慮しないものは家庭医として導入は反対だと解釈をしたいと思います。

班員の方から、小川先生の今の講演に対して、ご質問や確認などはございますでしょうか。

 
○阪井
臨床研修制度必修化前後の状況
国立成育医療センターの阪井と申します。大変わかりやすいお話をどうもありがとうございました。私は小児医療に携わっておる者ですが、東京にずっといるものですから地方のことがわからないので、失礼はお許しいただきたいのですが、2点お聞きしたいことがあります。

1点目は、先生は臨床研修制度必修化の罪の面を強調されたと思いますが、そのうちの1つのことで気になったのは、過疎の地域の医療を崩壊させる大きな原因になったと理解しましたが、私は考えますに、この臨床研修制度必修化の前の状況は、これは私の周りの者から見聞きした限りで、自分自身はあまり地方に行ったことがないので違うかもしれませんが、先生は、最初から大学の専門科に、例えば消化器内科とか眼科とか小児科などに卒後すぐ入って、そこで巣立っていって、そして地方の医療も担って、地方の大学がそういう役割を果たしてきたというのはそのとおりなのだろうと思いますが、私はその制度は、医者にとっても地方の患者さんにとっても、必ずしも良かったのかなという気がしております。

どういうことかといいますと、消化器内科に入局された方が消化器内科の勉強をされて、けれど、過疎の地域へ出れば、呼吸器の患者さんも来れば、外科的な患者さんも来る。場合によっては子供も診させられてしまう。それは医師にとってはあまりハッピーな状況ではないのではないかと思いますし、また、患者さんにとってもあまりハッピーな状況ではないと。それで、ある一定の医局の関連病院で、ローテーションが終わったらまた大学に帰ってきて、自分の専門領域の研鑽をさらに積む。そういう制度だったのではないかと思っています。

そういうことであれば、この臨床研修制度の必修化が問題点を明らかにさせてくれたということであって、決して過疎の地域の医療を担う制度として良かったわけではないのではないかという気がしていますが、いかがでしょうか。

臨床研修制度必修化前後の状況
○小川
大学医局によるコントロール
まず、少なくとも医師数からしますと、全国医学部長病院長会議のデータからすれば、臨床研修制度が始まる前は、例えば卒業生が100名いたとすれば、70〜80名ぐらいの医者が大学に残っていた。その人たちがすぐに地域医療のお手伝いをできるわけではありませんが、専門医を取ったぐらいの連中が、「あなた、行ってきなさいね」ということで、グルグル回しで行っていたわけですね。

話は少しずれるかもしれませんが、医局というのは、ドクターバンクとかというお笑いみたいなことを言う方々もいらっしゃるのですけれど、うちの大学でも地域医療支援委員会というのがありまして、それの委員長を私自身がやっているんです。あそこの地域に内科の先生、あるいは産婦人科の先生を出してくださいと言ったときに、誰を出せばいいかは私はわからないわけです。医局は、そのクオリティコントロールをやっているわけです、診療技能評価をやっています。ですから、あの地域を一人で任せて大丈夫な人間なのかどうか、A君ではだめだけれど、B君ぐらいのレベルであれば大丈夫だということもあるし、例えば、人間の世の中ですから、A君とB君とを一緒にしたら取っ組み合いのけんかが始まると。だから、B君とは一緒にできないから、C君と一緒にするのだとか。あるいは、今は専門医を取ったばかりだから、大学のために行ってきなさいということで行ってもらうと。ただ、あと3年したらあなたの子供は高校に入るから、じゃあ、都会の方に戻してあげるねと。そういうことも含めて、コントロールされていたわけです。

今はそれが全くなくなってしまったわけです。したがって、地方において医師数の絶対的な不足はもう目に見えているわけです。ですから、先ほど申し上げましたように、臨床研修制度2年間で医者はこうやって増えてきたけれど、2年間で1万5,000名がガクッと下がって、また増えてきているわけです。特に1万5,000名が今効いているわけです。

それから、地域偏在ですね。地域偏在がもっともっとひどくなってきた。前はその地域の大学に残ってくれていたのが、みんな都会へ行ってしまうということで、地域偏在の問題が出て、地方医療が崩壊の危機にあるということだと思います。

大学医局によるコントロール
○阪井
地域医療の担い手
クオリティコントロールはもちろん誰かがしなければいけないと思いますし、数のことは私は誤解があるかもしれないので置いておくとしましても、消化器内科だけをずっとやってきた人が、あるとき、医局のおきてとして、「おまえがいいだろう」となったら地方へ行って、呼吸器の患者さんも診れば、消化器の患者さんも診れば、子供も診なければいけないと。そうではないのでしょうか。

地域医療の担い手
○小川 それはそれでいいんじゃないでしょうか。ですから、先ほど申し上げましたように、自分自身は消化器内科の専門性を持っているけれども、糖尿病も診れますよ、高齢者の呼吸器病も診れますよと。それが内科医であると基本的には思いますから、「理想の地域の医師像」ということで、救急処置ができて、臨床判断ができて、自分自身は消化器の専門性を持っていると。ですから、全員が全員、例えば大学に残って消化器の教授になれるわけではありませんから、そうすると、将来、例えば開業するのであれば、おじいちゃん、おばあちゃんも診なければならない。そうすると、そのときのトレーニングが効いてきて、呼吸器も診れるし、いろいろなものが診れますよと。そういうことになれば、これは一番理想になると思うのですけれど。

 
○阪井 先生のおっしゃるとおりだろうと思うのですが、実際上は、トレーニングとおっしゃったのは、地方へ行って、自分の専門ではない患者さんを診るということがトレーニングになっていたのではないでしょうか。あるいは、バイトに行くとかですね。つまり、きちんとしたトレーニングを受けずに、消化器内科のトレーニングだけを受けて地域に行って子供を診たりもすると。

 
○小川
大学・医局の教育体制の変化
その辺は、先ほどお話しした6年一貫教育も含めて、この10年ぐらいの医学教育そのものはものすごくドラスティックに大学が変わっています。ですから、例えば、昔はうちの大学も消化器内科としての第一内科とか、第二内科とか、第三内科とか、臓器ベースでなっていましたけれど、もう内科講座1本にしました。それはどういうことかというと、内科医である限り、将来、消化器を専門にするにしても、呼吸器も糖尿病も血液も、大体のことは全部診れるように学生のうちから教育しましょうねということでそうしてあるわけで、これは地方の病院に出たから、そこだけで教育をしているわけではなくて、大学の方もその辺の意識は大分変わってきたと。

大学・医局の教育体制の変化
○阪井
医療機関の集約化
つまり、総合医を育てようとしているということですね。

もう一つ疑問に思ったのは外科医のことですが、外科医がどんどん減っているというのはそうだろうと思うのですけれど、先生がおっしゃったのは、簡単なお腹の手術でも盛岡まで行かなければいけなくなる、都会の方まで行かなければいけなくなるということですが、私が思うに、外科医というのはメスで体に傷をつけて、麻酔も必要ですし、非常に命にかかわるという意味で、心臓外科医とか脳外科医とかでなくても、外科医というだけで大変な専門家だと思うのです。そういう人の体に傷をつけるような方は、少数でたくさんの症例を経験していただいて、集約してそこに治療を受けに行くというのが安全なやり方ではないかという気がしますが、いかがですか。

医療機関の集約化
○小川
病院の集約化と地域の実情
それも当然あると思います。小さな病院をいっぱいつくるのではなくて、今はもちろん交通の便も非常に良くなっているわけですし、1時間以内で例えば救急車で搬送もできる状態になっていますから、それは先生のおっしゃるように、集約化をしてセンター化をするというのは最低限の手立てと思いますし、外科にしても、小さな外科の病院でお腹の手術まで全部やるのだということではなくて、手術をやるような病院はセンター化をして、複数の医者がいるような状態にしなければいけないのですが、地方ではそれすらできないんですよ。

病院の集約化と地域の実情
○阪井 それはわかりますけれど、少なくとも外科医が多過ぎるという現状があったような気がしますけれど。

 
○小川 いえ、外科医が多過ぎるということはないと思います。

 
○阪井 そうですか。外科医は少ない方が腕が上がって、集約されていいということはないですか。

 
○小川
フラグメンテーション医療とテーラーメード医療
それはないと思います。今日はスライドを出しませんでしたけれど、米国、ヨーロッパで、フラグメンテーション医療(細分化医療)と言いまして、例えば脳外科で言えば、診断は救急医がやる、ニューロロジカル(神経学的)な診断はニューロロジスト(神経科医、神経内科医)がやる、放射線学的な診断はニューロラジオロジスト(神経放射線科医)がやる、脳外科医は手術だけやって、術後3日しか診ないと。術後管理はどこがやるかというと、そのニューロロジストがやる。そして、リハビリテーションはリハビリストがやると。こういう医療をフラグメンテーション医療と言うんです。

ところが、1人の患者さんをトータルに初めから最後まで責任を持って診ている人が誰もいないんです。そして、手術をいっぱいやれば上手になるかというと、決してそうではない。データはあるのですが、アメリカとヨーロッパの動脈瘤の手術の成績は日本よりもはるかにアウトカムが悪いです。なぜ悪いかというと、フラグメンテーション医療の中で、手術をやったときに、ここにクロット(血栓)があって、術後にこういうことが起こる可能性がありますよ、ということが外科医はわかるわけです。ところが、術後管理は誰がやっているかというと、マニュアル化した神経内科医がやっているわけですから、半身不随が出たといったらマニュアル医療だけやっているわけです。そして、脳外科医はこういうことが起こり得るぞといっているのに、結局、マニュアル医療でしかないし、マニュアル医療をやれば法的にも問題はないし何も問題はないので、そのままやっているわけですね。そうすると、アウトカムははるかに悪くなる。

日本の医療の中で非常にいいのは、そこのところをトータルで患者さんを診ていますから、自分が手術した患者さんは最後までどうにか面倒を診て、退院させるまで頑張るのだというところで、テーラーメード医療になっているわけです。要するに、マニュアル医療かテーラーメード医療かということなんです。

フラグメンテーション医療とテーラーメード医療
○阪井 自分で全部やった方がいいということですね、先生がおっしゃったのは。

 
○小川 いや、全部が全部ではないと思いますが。ですから、それはある程度その中庸というものが当然あるのだろうと思いますけれど。

 
○土屋
あるべき地域の医師を育てる教育
ちょっと整理させていただきたいと思います。阪井先生は2つ問題点を指摘されたと思います。「理想の地域の医師」というものがどういうもので、どういうトレーニングのもとで育つかということで、先ほどの小川先生のご返事からいくと、医学教育、卒前教育が良くなったので、卒業と同時にそれは備わっているのではないかと聞き取れたんです。したがって、その後、旧来の医局、それも内科、外科は幅広くなったので、そこである程度専門性を持てば、地域に行って良いのではないか、と。

ただ、阪井先生側の意見としては、これは医学部の卒業だけでは不十分で、卒業後に救急処置あるいは臨床判断がある幅を持ってできるようなトレーニングが、オンザジョッブトレーニングとして必要なのではないかというご意見と伺ったのですが、そのような整理でよろしいでしょうか。

ですから、その1点目のところが、家庭医をどうとらえるかというところに多分つながると思います。卒業したら家庭医の最低限はもうあって、あとは何かインセンティブで専門性を持っていればいいのだということでよろしいのかどうか。その辺、小川先生、いかがでしょうか。

あるべき地域の医師を育てる教育
○小川 その方がやっている医者に対してもインセンティブがありますし、日本のように、何かをやれば少しインカムが良くなるとかというのは全くなくて、「悪平等の不平等」ということで、医者の給料は何科をやっても同じであるということであれば、何らかのインセンティブがなければ人は動かないと思いますけれど。

 
○土屋 そうしますと、もう一度確認したいのですが、先生は、専門性以外の救急処置とか臨床判断は医学部卒業時でもう十分備わっていると、今の時点で。

 
○小川 いえ、現在、すべてそこまでパーフェクトにできているかというと、それはまだ十分ではないと思います。

 
○土屋 そうしますと、一人診療所あるいは二人診療所ぐらいのところに送り出す前に、それはどこでどのようなトレーニングをしたらよろしいでしょうか。

 
○小川 大学の中で連携して。問題は内科だと思います。

 
○土屋 内科でそのトレーニングは、先生の大学病院の場合にはできていらっしゃるんですか。

 
○小川 今、させています。

 
○土屋 それは卒業後ですね。

 
○小川 いえ、卒業前からです。

 
○土屋 学部のときに、もう患者が扱えるようにしているということですか。

 
○小川
卒前教育における臨床実習の導入の現状
いえ、患者はなかなか扱えるようにはならないわけです。それはなぜならないかというと、医学教育に関しましては、昔から、クリニカルクラークシップで臨床実習をやりましょうということが一生懸命言われているわけですが、これはどんどん後退をしている。ですから、今日も申し上げてきたのですが、先ほどの全国医学部長病院長会議の提言の中にもございますけれど、4年生から5年生、臨床実習に行くときにやっているCBTを国家試験化して、ちゃんと資格を与えてほしい、と。

先生方は学生時代にはかなりのいろいろな医療行為をやったと思いますが、今は国民がなかなかそれを許さないという時代でございますから、学生なのだけれど、もう普通の学生ではなくて資格を持った学生だ、スチューデントドクターだ、ということがないと、クリニカルクラークシップ、患者さんのそばに行ってやるような臨床研修はできないと思います。

卒前教育における臨床実習の導入の現状
○土屋 言葉尻をとらえて申しわけありませんが、それが現状では学生のうちにはできていないということになりませんか。

 
○小川 やろうとはしていますけれど。

 
○土屋 できていないということですね。

 
○小川 そうですね。ある程度のところまでしか。

 
○土屋
地域医療を担う医師の養成プログラム
これがいきなり一人診療所へ送られたときに、やっていない状況で、頭でっかちのまま行ってしまうということを、阪井先生は先ほどの質問で心配されたのではないかと思います。ですから、その体系的なトレーニングをつくるというところが、これが卒前なのか卒後なのかは別として、その「場」をつくらないと、国民が安心して一人診療所に身を任せる、ということにはならないのではないかと。これは卒前に全部組み込むかどうかは、認められないと組み込めませんから、現在の状況では卒後でないとそのプログラムを組めないと。

地域医療を担う医師の養成プログラム
○嘉山
旧来の医師教育と専門の細分化の問題
日本の土壌に合った制度設計の必要性
日本の専門医の育成
小川先生が発表されたことは、我々、医学部長病院長会議では、私は8年前から病院長をやっていましたので、かなり前からこのことは訴えてきたのですが、今は時代がかなり変わってきています。
それで、今、小川先生がおっしゃったことは、今どうするか、という問題を取り上げたのだと思います。今後、医師の数が増えて、きちっとした医療の質を国民が求めているときに、例えば専門医制とか家庭医の制度設計をどうするかというのは、この班の話ではないかと思うので、小川先生は必死になって地方を支えているという感覚でお話しになったので、議論を集約したいと思うのですけれど、例えば外科と内科の話がありましたけれど、我々は卒後研修制度をすべて否定しているわけではないのです。

ただ、岡井先生とか海野先生とか土屋先生も外科ですから、昔、外科に直接入局したら、今のプライマリケアなんていうのは簡単に教わったんですよ。気管挿管から、気管切開から、心電図の見方から、肺炎の見方から。だから内科は問題だと小川先生はおっしゃったんですけれど、つまり、内科は、今、肝臓内科とか、大学院大学で科別の講座制になってしまったんですね。東大が大学院大学になったのが今から20年ぐらい前で、私がまだ仙台にいたころですから、そのころに、内科がパーツ屋さんになっちゃったんですよ。そのために、昔、大学から病院に出ていったときに、昔は大学で大体研修しましたから、内科の医局に入っても、昔は内科全体が診れたんですけれど、今は肝臓内科という講座に入ってしまうと、もう肝臓しか教わらないで出ていくので、ですから、医療安全の面からもいろいろな問題が起こってきてしまうと、小川先生はそれを言いたかったのだと思います。

ですから、内科であれば、今書いてあるプライマリケアは我々にとっては要りません。例えば有賀先生も堤先生も脳外科で、我々は脳外科なんですけれど、脳外科ですと昔は術後は全身の意識はなかったですから、全部やったんです。糖尿病のコントロールまできちっとトレーニングを受けました。けれど、今はそういう時代ではないので専門家、というのもいいんですが、ただここで土屋先生にお願いですけれど、現在の医師が足りないところでの専門医をどうするかという問題と、将来、例えばOECDにかなり追いついた時点での、先ほど小川先生が出された働く側のコントローラブル・ライフスタイルができるような時代になったときの、きちんとした教育制度を持った仕組み。小川先生のやり方ですと、昔の「できるやつはついてこい」という感じなんですけれど、そうではなくて、できない人も何とかボトムアップで質を保証していくという教育システムを土屋先生は多分おつくりになろうと思っているので。

旧来の医師教育と専門の細分化の問題
私は何を言いたいかというと、今の現場をこの班会議から専門医制度、教育制度をボンと出した場合に、いろいろな影響がありますから、それがさらなる医療崩壊につながるような制度設計を急に出すということは非常に危険ですよ、ということで、そういう意味では小川先生のご意見は非常に意義があると思います。土屋先生がお考えになっているのは、非常にドラスティックに教育制度を変えて、と。

ただ、その場合にはソフトがいっぱいなければだめで、つまり医者がいっぱいいなければだめだし、インセンティブが、先ほど小川先生かお出しになったように、ニューロサージョン(脳外科医)がアメリカではナンバーワンです。それから、反対にファミリープラクティスは大体1,000万です。そういう社会的な基盤が違うところで、先生がおっしゃったように、手術症例をいっぱいやったらいいかというと、例えば、ハーバードでは脳外科に300人も応募するんです、マッチングで。アメリカのマッチングはそういう専門医制ですから。そして、300人の中から2人選ぶんです。そうすると、こんなことを言うと日本脳外科医から...僕は今理事なので、今度の選挙で負けるかしれませんけれど、日本の脳外科医はそういう制限をしていないんです。なぜかというと、インセンティブがないので。その中から、手術ができる少数のトップランナーを選ばざるを得ないんです。

日本の土壌に合った制度設計の必要性
ですから、日本の脳外科医の手術結果は世界でダントツです。日本の医療で負けているのは がん だけです。がんも、消化器系のがんはアメリカに勝っています。その他の医療アウトカムは全部勝っているんです。それは手術ケースが少なくても勝っています。なぜかというと、非常にセレクトされた人間が、例えば日本の脳外科医だと8,000人いるけれど、8,000人のうちで本当のトップランナーの手術をしているのは、山形だったら僕1人だとか、それは淘汰されたんです。

けれど、アメリカの場合はインセンティブで最初から選ばれて淘汰されているんです。ですから、それは質の保証ができるんですけれど、日本のようにインセンティブが、さっき小川先生が「悪平等の平等」とおっしゃいましたけれど、その中で優秀なトップランナーをつくっていくには、人数的に無駄があるように見えても、富士山型に専門医の制度をしておかないと、トップランナーの育成ができないですよね。それが現場だと思います。

先生は外科医ではないので感覚がないでしょう。だって、先生は使う道具が薬ですから、薬というのは規格品ですから。ところが、外科医はアートでやっていますから、その中で絵がうまいとか絵が下手だというアートの部分をセレクトするのは非常に難しいです。インセンティブがないところでは。

日本の専門医の育成
○土屋
地域の医師の養成システム
座長の権限で言わせていただくと、学術会議と学部長病院長会議のこちらから見ての一番の欠点は、脳外科が強過ぎる嫌いがあって、例え話がすぐ脳外科になるので。これは冗談ですけれど。

私は嘉山先生と小川先生のお話でちょっと引っかかるのは、外科医は大丈夫だって、本当かしらというところなんです。というのは、一人診療所で一般診療ができるかどうか。先ほどの救急車で何時間ということは、逆に救急車でなければ10時間以上かかるところで、糖尿病のコントロールとか高血圧のコントロールを本当に大学病院と同じようにできないと、一人診療所の価値がないと思うのです。そうしますと、我々が学生のときと比べると、これも私どもはもちろん専門家のいない病院ですから、逆に言うと、「一流のを必ず呼んでこい」と若い連中に言うんですけれど、そうすると、もう雲泥の差ですね。とても怖くてできない、と。そうすると、外科医も地域の診療所に送り出す場合には、的確なトレーニングをしてやらないとならない。いわゆる頭だけの、クラスルームでのトレーニングではなくて、オンザジョブトレーニングをやって送り出さないと、大きな間違いを起こすのではないかと思います。

地域の医師の養成システム
○嘉山 いえ、私が言ったのは卒後研修制度のことで、卒後研修制度の中身には、糖尿病のプロを育てるなんていうことは1行も書いていないので、プライマリケアのところは外科医はできますよと言っただけで、糖尿病のことを我々ができるとは一言も言っていませんので。

 
○土屋 ですから、一般診療ができる地域の医師という定義で話した場合に、そういう方を大学から送り出すときに、そこは教育をして送り出すべきではないかと。これをどの段階でどういう形でやるかというのはこれから考えていくことで。ですから、嘉山先生は、私がかなりドラスティックとおっしゃるのですけれど、制度設計と、それをどうやってソフトランディングさせていくかということがこの研究班の一番のテーマですので、前回、私は冗談で51番目の州にというようなことを言いましたけれど、明日できるとは思っておりませんので、これ以上かき回す気はありませんので、ご安心いただきたいと思います。

 
○小川
集約化の議論と治療成績
ちょっとよろしいですか。さっきのホスピタルボリュームの話で、このスライドをごらんいただきたいのですが、これは国際脳動脈瘤臨床試験という、ヨーロッパの研究ですが、947例の直達手術をやった患者さんの予後がこういう状態だったんです。グレード1、2というのは意識がある患者さんで、この辺は意識がない患者さんですが、これがランセットに出まして、実は日本でびっくりして、こんなはずはないということで、7,578例のオールジャパンのデータを集めたわけです。そうすると、重症例が42%あったのですが、アウトカムはこういうことで。ですから、ホスピタルボリュームと治療成績とは基本的には関係ないと。

もう一つ、これは未破裂動脈瘤の年間手術の米国と日本の比較ですが、これは年間20例以上手術をしている施設です。日本では116施設、アメリカでは17施設。8から19で235施設で、62施設ですから、アメリカの方がホスピタルボリュームが多いとは全然言えないわけです。

これとこれでニューロサージャリー(脳外科学会誌)が出たので調べたのですが、手術の比較としては、1年間に1病院、米国は1.5、日本は10.7です。米国では、未破裂動脈瘤のハイボリュームセンターはほとんどないということと、日本の脳神経学会でこの調査をしたときに、ホスピタルボリュームと予後に関連性はないということが明らかになっておりまして、これは既に論文になっております。ですから、1人の手術が多いからアウトカムがいいということは全然言えないということだと思います。

集約化の議論と治療成績
○土屋 また脳外科の話になりましたけれど。ハイボリュームかどうかというのは、また別の機会にしたいと思います。どういう場所でトレーニングするかという話になったときにしたいと思います。

今までの「理想の地域の医師像」のところで、外山先生、どうぞ。

 
○外山
今日の米国の専門医制度の動向
教育制度の変革の必要性
内科医の課題
心臓外科医の現状
総合的な視点と専門医としての技術
今、嘉山先生と小川先生のお2人のご意見を伺いまして、基本的に非常に賛成できる部分と、そうではない部分があります。私は米国に12年ほどおりまして、心臓外科をやっておりました。それで、向こうの専門医制度については一応アップトゥデート(最新)で知っているつもりなんですけれど、1つの例を申し上げますと、2007年の向こうの卒後研修教育の、グリーンブックというのがございますけれど、それで、心臓外科を含む胸部外科で、ジェネラルソラシック(一般胸部外科)とカーディオバスキュラー(心臓血管外科)というところでの326のプログラムのポジションに対して、100%フィル(充足)したのは240です。

これは先ほど小川先生がおっしゃったことと、私も古いところでトレーニングを受けてきましたので、この10年では非常に変わっているという事実があると思います。それは、自分たちの専門性を維持し、インカムを維持するために窓口を小さくしているのではないんです。教育サイドは今何を検討しているかといいますと、どうしてこんなにフィルされないのだと。その辺の今の医学生のモチベーションというものは日本にも影響してきていると思いますが、先ほど小川先生がおっしゃったところがポイントなんです。いわゆるライフスタイルとか、そういうことはもうはっきり言っていました。

では、それをどうやって変えていくか。インカムに関しては、ニューロサージャリーとカーディオバスキュラーというのはもうトップなんです。これはもう皆さんご存じだと思いますが、そのインカムがどうのこうのということと別の要因が入ってきているのではないかという議論がされております。それはどういうことかというと、今の人たちが何を求めているか、ということなんですね。

今日の米国の専門医制度の動向
しかし、今、心臓外科医が足りなくて、現場が非常に困っています。それでは国民のために困るのだから、教育制度を変えようじゃないかという議論がされております。その教育制度をどのように変えていくかということでいろいろな試みがされていて、それに対して国が非常にお金を使っているんです。国家に対してプロポーザル(提案)を出しているんです。ですから、日本の医療の最大の欠点は国が金を使っていないということ、これだけは皆さんも間違いなくそう思われると思いますので、これを強力に政府に言っていく必要があるし、どうしてもこれは政治にやらせなければいけない事実だと思います。

その次は、今我々が、土屋先生がリーダーシップでやられていて、私も喜んで参加させていただいている理由は、日本の専門医制度というのが今まであまりにも整備されていなかった。特にこれは技術というものを中心とした外科系の分野と、そうではない、知識とか、今、薬とかおっしゃいましたけれど、そういった直接技術を使用しない部分の多い内科系、これは必ず分けて考えなければいけないと思います。

教育制度の変革の必要性
その中で、内科医が問題とおっしゃったのは私も同意せざるを得ない。つまり、内科医の広さが絶対に必要だという事実です。これは私の現在勤めている病院でも、院内で私はしょっちゅう発言していることで、心臓外科医に糖尿病の治療を、その程度だったら心臓外科医もできなければおかしいだろうという発言をする内科医がいるんです。そうではないと私は思います。ですけれど、先ほどのような循環器内科医にも肺炎を診るだけの能力は必要だというのは、正しいと思います。ですから、そういうところで、今までの内科医の専門医制度はちょっと別に置きまして、我々は外科医の専門医制度という部分は分けて考えるという点においては、先ほど阪井先生が内科系の立場としておっしゃられたことは、私は本当に真実だと思っています。

内科医の課題
今、心臓外科医は多過ぎます。ですから、外科医の他の分野に関しては私はとやかく言うつもりはないのですが、私の専門分野で心臓外科医は圧倒的に多いんです。約1,900人が最初に専門医になって、今、2,500人ぐらいいます。これは日本の5万例という心臓手術で割り算をすればすぐ数字が出ます。アメリカは現在で45万例の年間の手術をやっている中で、たかだか3,000人弱です。こういうところから見ても、手術の症例数と経験数と技術におけるスーペリオリティ(優位性)というのは必ずあると思っています。

心臓外科医の現状
今、小川先生がおっしゃったトータル的な、それはまた違った観点を入れていかないといけないと思います。1人の外科医が最後まで診るという考え方は私は必要だと思います。我々が現在どうしてもやらなければいけないことは、技術を磨くことと、患者さんのトータル的なアウトカムをしっかり診る。その両方を加味した制度づくりが必要だと思います。その中において専門医制度というのが必ず成り立っていかなければいけないというので、専門医制度を厳しくするという点においては、私は揺るぎないものをつくる必要があると考えておりまして、今の初期研修医制度も私は大賛成なんです。医師不足との結びつきをどう説明していくかということは、今後の大事な課題ではないかと思っています。

総合的な視点と専門医としての技術
○嘉山
各診療科ごとの個別の教育風土
心臓外科医と我々脳外科医とは違うんです。なぜかというと、我々はニューロサイエンスという、脳も臓器だと思われているのですが、一般の方は脳外科と言ってしまうので。ただ、脳外科の場合には扱っている範囲が、心臓外科医は我々で言えば脳卒中だけなんです。ところが、我々脳神経外科医というのは子供の奇形から、このがんセンターのような脳腫瘍から、外傷から──つまり、脳の内科医みたいなもので全部の範囲をやっているので、ちょっと違うところはあると思いますけれど、その中で特に技術を磨くときに、日本の成績がいいのは、みんなで診ているからです。つまり、ある若い医者がオペレーターだとしても、その後ろにニューロサージョンがついていて、あるいは大学であれば講師がやっている場合には助教授がついていたり教授がついているので、多分トップランナーのデータなんです。アメリカの場合には、相手がコンプリーショナーなので、誰も診てくれないので成績が悪いんじゃないか、そういう教育風土ということもあるんじゃないかと思います。

ですから、心臓外科医の先生方は心臓外科の手術しかしないのであれば、それは多いと思います。ただし、脳外科医の場合はいろいろな分野をやっていて、今のようなチームで医療のレベルを上げているので、多いか少ないか、手術件数とはパラレルではないと。ですから、科によって違うのではないか。アートが入ってくるし、サイエンスが入ってくるので、同じようなコンセプトでは専門医制度は決められないのではないか。その辺も加味しないと、現場と乖離したことになるので、日本の脳卒中医療は一気に崩壊するといったことが起きかねませんので、その辺はご理解願いたいと思います。

各診療科ごとの個別の教育風土
○外山
集約化の必要性
それもよく理解しているつもりです。日本の脳神経外科というのはすごく幅広く診ている。私はアメリカにいたときに、アメリカの脳外科医というのは手術のときに、さっきのフラグメンテーションのお話はまさにそうなんです。それはよく理解していまして、私は心臓外科と脳外科を一緒にやれとか、そういうふうに思っているわけではないのですが、ここで卒後研修の専門医制度の共通項を見出さなければいけないという部分があるわけですね。

そうしますと、今、先生がおっしゃったことは、それはそれで正しいと思うのですけれど、チームでやっているから脳外科医が手術症例が少なくてもあまり関係ないというのではなくて、手術症例をたくさんやっている脳外科医をつくっていけばさらに良くなるのではないかと私は思っていて、手術症例ということだけを取り上げますと、手術症例と総論的な部分での結論というのは、やはり似たようなものが引き出されるのではないでしょうか。

集約化の必要性
○嘉山
これまでの専門医教育
私も手術を日本でも2,000例以上やっていますけれど、そこまで来るまでには淘汰されたんです。つまり、親分の教授がいて、私も医者になって10年目までは手術を1例もしたことはなくて、10年目でやっと許可をされて、そこからは一気呵成に症例が増えたのですけれど、そこまではかなりセレクトされて。脳の手術は死んでしまいますから。小川先生も10年目ぐらいから一気にやったと思うのですが。私のときは8人入って、その中で私のように2,000もやっている人間はいないわけです。そういうのは淘汰をどこでやっていくか。

日本人はその辺がすごく下手なんですよ。あいまいなうちにだんだんセレクトされていくんです。アメリカですと、「おまえ、いいよ」とか平気で言えるんですけれど、その辺の文化の違いもあるので。そうでないと、今度は術後管理をやってくれる人が全くいなくなってしまうということになりますので、手術もやって、術後管理もやるということになると、これは崩壊してしまうことになるので。

先生は脳外科の風土ということをおっしゃいましたけれど、脳外科の風土ではなくて、患者さんの風土、病院の風土なんですね。あとは医療制度の風土と言ってもいいんですけれど。ですから、それを無視して一気にやってしまうと壊れてしまう可能性があるよということをご理解願いたいということです。

これまでの専門医教育
○土屋 議長権限で聞きたいのですが、先生が淘汰されて残った話はわかったのですけれど、淘汰された残りの方はその後どうなっているんですか。

 
○嘉山
脳外科医の範疇
易しい脳外科の手術はやっていますし、神経リハビリの方に回った人もいます。今、リハビリは、先生ご存じのように、心臓リハビリと神経リハビリと整形リハビリの3つに分かれますけれど、脳外科の専門医の獲得目標の中には神経生理学が入っていますので、それをわからない人がやっても。それから、脳卒中という病気もわかっていますから、非常に優秀なリハビリ医になっています。それから、神経麻酔科医になっている人もいますし、その専門医まで取っています。

そういう意味では、脳外科医の範疇は内科医と同じレベルではないかなと思っているので、手術だけやっている人間が脳外科医ではないということです。あとは、普通の易しいのをやっていますよ。外傷とか、急性期の2次医療とか──脳外科の場合は3次医療になるのかもしれませんが、そのくらいのことはやっていますけれど、とんでもない難しいものは、やはりかなりセレクトされた人がやっているというのが現状だと思います。

脳外科医の範疇
○海野
地域を担う家庭医の必要性
脳外科も心臓外科も人数割りがアメリカに比べて日本が多いという点では一緒なので、脳外科の方が成績がいいとおっしゃられて、心臓外科も決して悪くはないような気もするので。ですから、これはやり方の違いのような気もちょっとするんです。

この研究班としては、専門医の話で一つ今問題になりましたのは小川先生がおっしゃられた地方の問題で、その地方の問題の一つのアイデアとして家庭医であるとか総合診療ということがあるのだと思いますし、もう一つの側面として、地域の基幹となっている病院からの医師派遣システムみたいな、それを本来担っていた大学病院の力がそがれている今の状況の中で、それをどういう形で地域で再現していくかという問題があるだろうと。

ですから、それは両立し得ない問題ではないのだと思います。もちろん、大学病院でなければならないということはないと思いますが、地域にそういう病院が絶対必要だというのは、いざというときに運ばなければいけないときもあるわけですから、それは絶対要るというのは、それは動かないことのような気がします。

それで、私は先生方にお伺いしたいのは、医学部長病院長会議のお考えとして、先ほど、外科医が減っている問題等ご指摘がありましたが、診療科間の偏在に関しては、どのような問題意識なりその解決の方向性をご検討されておられるのかを教えていただければと思います。

地域を担う家庭医の必要性
○小川
病院医療の現状
地域住民の運動
これは難しいんですよね。解決する特効薬は基本的にはないと思いますけれど、インセンティブを与えるのであれば、一つはインカムの問題がありましょうし。ただ、今はインカムだけでは全然だめで、今の病院医療をやっていくのだったら、正常な生活が営めるというところが非常に大きなファクターなんです。

というのは、例えば田舎の公的病院で小児科を標榜していますと、例えば小児科医が3人いて、夜中の10時に子供が熱を出したというので来て、3時に来て、5時に来て、そして朝の8時半に外来に行ったら250人の外来患者が待っていたと。それで、昼飯も食わないでやっと外来が終わって、入院患者を診て、夕方5時になったらまた同じことが始まってと、こんなことではもうやってられないわと。それが3人でやっていれば3日に1回まわってくるわけです。

そして、1人やめるわけです。もうこんなのじゃ、やってられないと。今、病院医師をやめるやめ方は、開業すればお金がもうかるからやめるというのではなくて、どちらかというと自分はこのまま病院で働かされたら死んじゃうよと。それと、自分が家庭を省みれなくなってしまうと。ですから、昔の開業というのは住宅と医院が同じところだったのですが、今の開業はビル診だし、あるいは開業したとしても必ず自分の家とは離して、9時〜5時にしか診ませんよと。そうすると責任が来ないわけですね。自宅には連絡来ないようにしておくと。そういうことですから、岩手とか北東北3県とか、その他の地方医療においては、病院からあと1人医者がいなくなったら、その病院の機能は廃絶するぐらいのギリギリの状態になっています。

病院医療の現状
その中で少しうれしい話があったのが、たしか兵庫の郊外だったと思いますけれど、県立病院から、おらが町から小児科の先生がいなくなるというので、住民運動が起こって、お母さんたちが立ち上がって、そして熱を出したぐらいでは夜中に病院にかからないようにしましょうと。そういう意味では、地域のお医者さんは宝だということで、住民とともにお医者さんを守っていくようなシステムがないと、もうこれ以上続かないと思います。

地域住民の運動
○嘉山
診療科偏在のアメリカの現状
科の偏在に関しては、外山先生はアメリカに12年いらしたということでご存じだと思いますが、我々は脳のことしかわからないのでまた脳の話をしますけれど、アメリカで一番難しいスカルベース(頭蓋底手術)はアメリカ人はやっていません。アメリカ人というよりは、インドから来た人間ですとか、イランから来た人間ですとか、要するに外国から来た人間が、手間がかかって一番時間がかかる脳外科の手術をやっています。ですから、これは先進国すべてへの警告ではないかと思います。

それはお金ではなくて、今、アメリカで一番人気があるのが耳鼻科だそうです。要するに、マッチングのときに、アメリカも専門医制はマッチングで決めますから、さっきのライフスタイルがコントローラブルで、生活もできてしまう、そういうところが一番人気があって、非常に倍率が高いと。昔は脳外科だったのですけれど、今はもう変わってきているということで、これは我々医療界だけではなくて、この前の大野病院事件みたいなことも学生にはもちろん影響がありますし、ああいうことも含めて、社会が非常にリスクの高い、そしてディフィカルティ(難易度)が高い、そういう科に行くことをリスペクト(尊敬)するような社会でないと絶対いけませんよ。

ですから、これは先進国はみんな悩んでいることで、インセンティブだけでは解決できない問題で、海野先生、どうするんだと言われても、先生のところに産婦人科医が行かないと同じように、10何年前に「少子化」と言った瞬間に産婦人科に子供たちは行かなくなったんですよ。そのときに新聞は何と書いたかというと、「お産は少なくなるだろう。開業医はみんな閉めなければいけないだろう」ということをマスメディアが書いたんです。その瞬間に子供たちは敏感に、一気に減ったんです。ですから、社会がいろいろなことを考えないと、科の偏在は単純に何か一つの制度をいじったからということではいかないと思うので、今日いらしているマスメディアの皆さんも、その辺をお考えになって筆を奮っていただかないと、業務上過失であなた方は逮捕されますよ(笑)。

診療科偏在のアメリカの現状
○渡辺
専門分化の潮流
家庭医のあり方と養成の仕組み
私は分が悪い内科医ですけれど、嘉山先生は先ほど外科医は何でもやったと。内科医も実はそうなんです。というより、内科医こそなんですけれど、昔はともかく大学にいてすら、私は腎臓内分泌なんですけれど、急性虫垂炎の手術も何でも診るという先生がいらっしゃいました。ところが、今はそういう先生がいらっしゃらなくなってしまったんですね。私のレジデントの時代の20年前と比べて、高齢化社会というものすごく大きな社会的変革があったように思います。本当は医者の姿というのは、臓器別の専門家から、お年寄りはみんないろいろな疾患を持っていますので、全人医療のできる医者が求められているにもかかわらず、医者の方の社会としてはどんどん専門分化が進んでいるという、非常に逆行した現象になっております。

専門分化の潮流
そうした意味で、私は最近この班に入れていただいて、家庭医などを勉強し始めたので、小川先生の「理想の地域の医師像」というスライドを出されたときに、ああ、家庭医を小川先生は推進されようとしているのだなと思ったらば、大反対というのが後から出てきたので、私は非常に混乱していまして。

まさにこれが家庭医ではないかと思うのですが、先生の家庭医のご定義というものをまずお聞かせいただいた上で、もしそれが違って専門性を持つということで、例えば脳外科10年で初めてオペするとか、博士も必要だということで、今、論文博士を減らそうという動きになっているので、じゃあ博士課程に入ると。そうすると、理想の地域の医師を育てるのに何十年必要なのかということを2番目にお聞きできたらと思います。

家庭医のあり方と養成の仕組み
○小川
家庭医の定義の必要性
例えば、「理想の地域の医師像」というのが、定義として、家庭医とイコールとするのであれば、それはいいと思うのです。ただ、先ほどアメリカのインカムの表でJAMAのものを紹介させていただきましたが、少なくともアメリカのファミリープラクティスというのはそれではないんです。ですから、私が申し上げたいのは、家庭医というのをアメリカのファミリープラクティスのことを指して、それを育てようとするのであれば、これは国民の要求とは乖離しているのではないかなということと、アメリカと日本の社会構造、医療の中での医師の構造が違う中で、そこのところを混同されると非常に困るなということなんです。

ですから、その辺の定義をぜひ明らかにしてご議論いただければと思います。家庭医というと、日本医師会で進めている家庭医と、厚生労働省で進めている家庭医と、プライマリケア学会で進めている家庭医と、全部定義とそごが違うと思うのです。ですから、その辺を十分に定義をされて進まないと、同じ言葉を使っていながら全然違うことをお話ししているということになって、大変な混乱になるのではないかなと思って心配しています。

家庭医の定義の必要性
○渡辺 ありがとうございます。

 
○有賀
医科大学の教育システムの方向性
昭和大学の有賀です。今、渡辺先生がご質問になったことと多分文脈は同じかなと思うのですが、せっかく医学部長病院長会議ということで小川先生もみえていますので。先ほど嘉山先生が東大の内科だか大学院大学の縦割りみたいな話に少し言及されたので、昭和大学においても、内科系がかなり臓器別にバラバラになっているのを、ぜひ一緒にした方がいいだろうということで、この4月から大講座制になりました。

私自身は、いわゆるエマージェンシーメディスンというか、救命救急のようなああいう生き死にの話ではなくて、普通の救急外来におけるメディカルなプラクティスというのは、多分ハリソンの教科書にも書いてあるのだから、これはもう内科学だろうということで、救急医学講座の中で救急外来で働いているスタッフについては、うんとこさ若手の方は僕に捨てられたと言ったようですけれど、「絶対にそんなことはしないよ」とは言ってはいますが、でも、その彼らも一緒に大内科の方の講座に移したということで、骨格自体は、大内科に入ればグルグルと回って将来循環器の専門医であっても、呼吸器なり、神経内科なりが診れるような、そういう仕組みをつくりつつあってということなのですが、もし理想の地域の医師像としてこんなふうなことであるといいなと文部省系列の中でお思いになって、医学部での教育を少しくアレンジしてきたと。

厚生労働省は厚生労働省で縦割りのわけのわからない専門医がいっぱいいても、結局、おじいさん、おばあさんには役に立たないだろうと言って、臨床研修制度に突っ走ったと。医学部長病院長会議という中では、内科学・・・僕は内科学こそ医学だと思いますけれど、その内科学の体系を昭和大学や岩手医科大学がやろうとしているようなことのように、全体としてそういうふうにしていこうということに実はなっているのか、なっていないのか、よくわからないんです。

その辺の話を少し教えていただいて、そしてもしそれがうまくいくとすれば、さっき小川先生がおっしゃったように、途中で国家試験を入れて、うんと頑張って内科の勉強をしていただければ、臨床研修医であっちへ回る、こっちへ回るみたいなことをやってということは少なくてもいいのかもしれない。医科大学全体のことについて、少し教えていただけるとありがたいと思います。

医科大学の教育システムの方向性
○嘉山
教育の獲得目標
家庭医における判断能力の必要性
私は委員会の教育と研究の責任者なので、今までいろいろアンケートもやっていますが、大学によってかなり温度差があるんです。もちろんうちは最初から、私が学部長になったときから内科は分けていません。なぜかというと、内科医が内科医でなくてパーツ屋なので、そこに入った医師が、先生おっしゃる内科医ではなくて、腎臓屋さんだとか肝臓屋さんになってしまうので、これはいかんと。

ただ、CBTの教養試験が入ってきているので、あれはどういうことかというと、科を取っ払っているんです。つまり、獲得目標で、例えば循環がわかると。これは何も循環器内科を教えなくて、先生のような救急の先生が教えてもいいわけです。例えば、私が昔から言っているように、外科だとか内科だとかという区分け自体が病気から見れば関係ないわけです。人間が勝手につけた区分けですから。そういう意味では、獲得目標で教育するというのが、4年生のときに試験を受けるコンピュータベーステストですから、あれを医師国家試験などに持っていけば、あるいは卒後の研修に持っていけば、先生がおっしゃるような家庭医ができるのではないかと思います。

教育の獲得目標
簡単に言うと、治療は専門でできなくていいんです。まず、家庭医というのは、診断・判断力、あるいはこの患者さんにとってどういう治療法が必要であるかという判断ができれば、医療安全の上からは全く安全ですよね。ですから、この前の脳出血の妊婦を8つの大学を回したというのも、あれは判断力の問題なんですよ。あのときにちゃんと診療判断していれば、適切な医療が受けれたと思います。

それから、割りばし事件もそうですよね。割りばし事件も、あれはプライマリケアは耳鼻科の先生は全く回っているのだと。穴があいていて、ヨーチンを塗ったというのはプライマリケアとしてはいいんですけれど、あそこにはしの棒がかかって、それが患者さんにとって今何が必要なのかという判断能力に問題があるんです。それが今、いろいろなところで問われていて、医師の力がない。これは実は医療界だけではなくて、マスメディアも全部同じで、会社でも同じで、人間力がないので、自分の知っていることだけしかできないという人間ができてしまっているんです。ですから、それが医師にも当てはまっていて、それがさらに加速化されたのが内科の分断化ということではないかと思います。

家庭医における判断能力の必要性
○有賀 そうすると、今の医科大学は総体としては、先生方お二方が言われるような、または僕が、こういう内科がいいんじゃないかなと思っている、そういう方向性でモディファイ(修正)されていくと思っていいのでしょうか。それとも・・・。

 
○嘉山
家庭医の養成と必要な役割
今日も福田先生のCBTの結果で、私も理事をやっているのでびっくりしたんですけれど、またもとへ戻ってしまったのかというぐらいに、各講座の教授が自分の研究などを教えて、要するにアドバンスドコースというんですけれど、コアを教えないで、医師として最低限必要な・・・昔、我々でいえば、(吉利和)さんのあの内科診断学、あるいはハリソンの内科学、あれをきちっと教えていないんです。

ですから、例えば頭痛一つ見ても、この前の産科の問題で、あれを子癇と思うか、左右差があったら完全に頭だよということを思うかということが判断できれば、何も問題はないんです。それが判断できれば、緊急だなということもわかりますし。それが判断できなかったからこそ、ああいうふうになったのではないかと思うのです。

ですから、家庭医というのは、それができれば、急性期の動脈瘤や心筋梗塞だったら、別でそのまま治療しなければいけないけれどアクセスがちょっと遠くても送れるわけで、そうすれば適切な医療ができるのではないかと思っています。

家庭医の養成と必要な役割
○有賀 そうすると、全国にあるたくさんの大学の内科学の先生方は、必ずしも全体の流れをそういう方向へ持っていこうという話でもないと考えた方が良さそうですか。つまり、その人とすれば、専門医といったときに、厚労省が一生懸命やってきたようなことの延長線上に僕らも考えなければいけないのかもしれないし、この班会議の班長は、文科省の教育のシステムそのものにもうちょっとザクザク切り込まなければどうにもならないという話になってしまうと思うのです。

 
○嘉山
大学教育の変化
いくら小川先生が豪腕でも、私が声が大きくても、なかなか各大学の学部長はまず、替わるんです。一時、意識改革ができても、学部長が2年とか4年、私みたいに長くやっている者もいて、唯一私が一番長いですので大体流れがわかっているわけです。けれど、学部長が替わってしまうと、また全く元のもくあみになる可能性もあるんです。ですから、今後は80医科大学にきちんと情報を流して、あとはファカルティディベロップメントを最近よく大学がやっていますので、それを医学教育学会などでやっていく必要があるんですね。

ただ、小川先生がおっしゃったように、10年前と比べれば、大きく大学の教育は変わっています。それは先生方も自覚されていると思いますが。

大学教育の変化
○土屋
家庭医、専門医のキャリアパス
今日は学長先生と学部長先生の熱意あふれる状況だったので、あっという間に2時間がたってしまいましたが、機会があればもう一回ぐらいご意見をお聞きしたいという気がいたします。今日質問したくてできなかった先生もいらっしゃると思いますので。

議長の特権で、最後に2つだけ確認をさせていただきたいと思います。1つは、先ほどの「理想の地域の医師像」ですが、これは大変皆さんに受けたと思いますけれど、特に私ども大都会で開業あるいは診療所を持つと、専門性があることがインセンティブに確かになると思います。また、商店街を見ると、内科医でも3つも4つも看板があれば、ある程度専門性があると、そこでクリニックとして総合力が発揮できるという面もあると思いますが、先ほどからこだわるのですけれど、一人診療所に行ったときに、そこではなかなか専門性を発揮できる症例にはたくさんぶつからないと。そうすると、これは5年とか10年たってまた大学院へ戻るとか、その辺のキャリアパスについてはどうお考えでしょうか。もしアイデアがおありでしたら。

家庭医、専門医のキャリアパス
○小川 田舎の開業医でも、開業されるときには結構なお年になっています。ですから、若くて開業するというわけではないと。そうすると、「消化器だったら私は専門だよ」、「消化器内視鏡は私は大得意ですよ」、「消化器のことだったら、私が診てあげれば、盛岡まで行く必要はありませんね」と。けれど、例えば、糖尿病の患者さんを「この患者さんは私が診て処方しても大丈夫だな」という判断ができるか、それとも、「ちょっとおかしい糖尿病だ。これは糖尿病の専門家に1回は診てもらって、そして、判断をしてもらって、治療方針を決めてもらって帰してもらった方がいいかもしれないな」ということが判断できればいいだけの話なので。

ですから、先生のおっしゃっている都会の開業医も田舎の開業医も、私は基本的にはそんなに変わらないと思っています。

 
○土屋
大学院と職業教育のあり方
もう1点だけ、これで最後にいたしますけれど、先生が先ほど研究する心というのは大変大事だと言われました。これは私もそうだと思います。新しいものを取り入れるという気性。ただ、その研究する大もとの大学院ですが、本来は大学院というのは研究する、あるいは研究者を育てるということが大きな目的だと思うのですが、例えば、文科省でがんプロフェッショナル養成プランというのをつくりましたね。これはいわば職業人を育てると、職業教育的なもので大学院を利用したという形なのですが、これについては現場でごらんになって、今後、大学院をこういう扱い方をしていくのか、あるいは職業教育であれば、アメリカのレジデントのようなきちっと給料を払いながら教育もしていくと。どちらを学部長病院長会議としてはお考えでしょうか。

大学院と職業教育のあり方
○嘉山
職業教育と大学院教育のあり方
今日は厚労省の方がいらしているでしょうけれど、あれはものの見事にやられたという感じがするのですが、例えば、あのがんプロのお金は、一番もらったプログラムで9,700万円です。それは3つの大学です。一番もらっていないところは、12の大学で5,000万円でしたか。ですから、1大学500万円ぐらいしかいっていないんです。あれでがんプロの教育をしろなんていうのは・・・。あれは厚労省ではなくて文科省でしたが、元厚労省がやったんですね。とんでもないプログラムで、あれは我々としては不満なんですけれど、出せというから出して、通りましたけれど、あれでできるわけはないと思っています。

大学院の問題ですが、日本の大学院の一番の欠点は、基礎の教授なら教授の仕事をお手伝いしながら、論文で取ると。ですから、課程博士といいながら、実は論文博士なんですね。

うちのことを言って申しわけないんですけれど、うちはもう大幅に変えまして、土曜日でも講義をやる、試験もやると。つまり、免疫の教室へ行って、血液の方の免疫はわかるけれど、神経免疫は全くわからないというのが大学院の博士号を取ってきた日本が異常で、ですから、うちは学力を全部つけさせて、そして試験もやって、その領域の専門家を学者として育てると。そういう大学院に変わっている大学が少しずつ出てきていますから、その中で臨床のがんプロなんかをどうするのだと先生はおっしゃいましたけれど、それはクリニカルリサーチということを考えればいいわけで、基礎は今の免疫の話を例えで出しましたけれど、例えばコホートならコホートの研究は大体全部知っていると。例えば、心臓病のコホートを今実際はやっているけれど、糖尿病のコホートもできると。そういう学力をつけさせるようなクリニカルリサーチを大学院でつくっているところもありますので、少しずつそういうリンクしていくことが必要ではないかと思っています。

職業教育と大学院教育のあり方
○小川
大学院のこれからのあり方
先生がおっしゃったことは非常に重要なことで、私自身の個人的な見解から言いますと、大学院はただ単に学位をあげる、博士号をあげるというだけではなくて、これからの大学院は、職業人大学院も含めて、生涯学習の核になるところになるのではないかなと私は思っています。それができるかできないか。

それから、お金が、これに関してもさっきの高等教育に対するお金があまりに低過ぎると。今、国立大学が運営交付金が非常に減額されて大変苦労しているわけで、こういう中ではそれを具現化することはなかなか難しいかなとは思いますが、結果的には医療費抑制政策、高等教育費抑制政策をどうにか改善をしないと、なかなか改善はしないだろうなと思っています。

大学院のこれからのあり方
○土屋 話は尽きませんので、この辺で終わりたいと思います。
それでは、事務局から次回の日程をご紹介ください。

 
○渡邊(事務局)
次回案内
次回の日程ですが、12月5日金曜日、15時から17時まで、慶応義塾大学の信濃町キャンパスで、家庭医療学会関連の三学会の長の先生方をお招きして、家庭医、総合医についてご議論いただく予定となっております。日程が近づきましたらご案内し、ホームページにも公開したいと思います。

次回案内
○土屋 次回は、今日も問題になりました家庭医の定義をもう少し明確にしていきたいと思います。よろしくご協力ください。

今日は、私もそうですけれど、ちょっとしり切れトンボで、まだまだという気持ちがおありになると思いますので、お二人の先生方は大変ご迷惑かもしれませんが、できればもう1回ぐらいという気が私としてはしております。また事務局と相談して日程を決めたいと思います。
本日は、どうもありがとうございました。

 


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