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厚生労働科学研究費補助金(厚生労働科学特別研究事業)
医療における安心・希望確保のための専門医・家庭医(医師後期臨床研修制度)のあり方に関する研究

第3回班会議 会議録


日時:平成20年11月6日(木)16:00−18:00
場所:国際会議場(国際研究交流会館3階 国立がんセンター築地キャンパス内)
出席:土屋(進行)、有賀、海野、江口、岡井、葛西、川越、阪井、外山、
    桐野高明先生(日本学術会議、国立国際医療センター総長)

発言者 発言内容 進行・要旨
○土屋
開催挨拶
第1回班会議
第2回班会議
今回の趣旨説明
皆さん、こんにちは。時間になりましたので、第3回の班会議を始めたいと思います。前回ご欠席の方、あるいは初めて傍聴の方、また今日は日本学術会議から桐野先生をお迎えしていますので、以前の経過と本日の進行について私の方からご紹介をさせていただきます。

当班会議は、開催要項の趣旨のところでもありますように、「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会において、国民に質の高い医療を提供するために必要な、我が国の土壌にあった医師の後期研修のあり方について検討すべきだ、とされたことを受けて、「医療における安心・希望の医療確保のための専門医・家庭医(医師後期研修制度)のあり方について検討を行い、地域医療を担う家庭医・総合医を含めた専門医の指導、教育研修のプログラム等について、総合病院、大学病院、専門病院、診療所などさまざまな立場の医療者の協力を得て幅広く調査検討を行う」ということで急遽設けられた研究班であります。

開催挨拶
第1回目は厚生労働省本省の会議室をお借りして、舛添厚生労働大臣をお迎えして、当研究班の背景、概要の説明、そしてこの班の研究の進め方ということのご説明の後、診療科の偏在の現状と専門医の必要養成数の試算などを検討すべきではないか。2つ目としては、研修医教育と専門医教育というようなものについても検討すべきではないか。それから、家庭医・総合医、専門医の育成ということで、家庭医をかなり意識した形での検討が必要ではないか。海外での家庭医・専門医養成の適正数の根拠についても調査すべきではないか。それから、3つの偏在という視点。診療科の偏在、地域における偏在、それに加えて設置形態間の偏在が存在していると。これを分析、理解、認識することが必要であると。そして制度の継続的見直しのできるような制度というものを提案していくべきではないかと。卒前教育、初期臨床研修との関係も吟味した上で専門医について考えるべき。これを報告書としてまとめるべきではないかという議論が1回目になされました。

第1回班会議
その結果、このような専門医の総合的な調整が必要だというご提案が既に日本医師会、日本専門医認定制機構、あるいはその他の主要学会から既にご提言があるので、これらから事情聴取をすべきではないか、意見をお聞きすべきではないかということで、前回第2回、10月9日には日本専門医制評価・認定機構の池田理事長にお越しいただいてご説明を聞いたという状況であります。同時に日本医師会からも飯沼担当理事に来ていただいて、いわゆる総合診療医についての医師会での主張をお聞きしたというところが今までの経緯であります。

第2回班会議
本日は日本学術会議の金澤一郎先生にお願いしましたところ、日本学術会議で要望として「信頼に支えられた医療の実現−医療を崩壊させないために−」というものが日本学術会議「医療のイノベーション検討委員会」で検討されて要望として冊子にまとめられていますので、その委員長であられた桐野先生に日本学術会議の専門医に対する、この最後にありますが、専門医制度認証委員会の設置を要望しておりますので、これの詳細についてご説明を受けるということで第3回の本日の会議を持ったわけであります。

それでは早速でありますけれども、桐野先生、よろしくお願いいたします。

今回の趣旨説明
○桐野
要望書の説明
学術会議と要望書
要望書の3つの事項
専門医制度の運営と自律的専門職能集団の必要性
専門医制度の現状と課題
制度認証委員会、専門医数、分布の制御の必要性と評価
実務組織と評価組織の分離と法的裏付けの必要性
専門医制度の目指すもの
医師の全員加盟型職能集団の必要性
医療の変遷と制度の転換の必要性

ご紹介いただきました桐野でございます。私の役割は学術会議でまとめました「信頼に支えられた医療の実現」という、資料でこういうふうについておりますが、この内容の中で特に本研究班に関係する部分についてご説明を申し上げることだろうと思うのですが、ただ、それだけでは足りない部分もあるので、学術会議の正式の意見というわけにはいかない部分もちょっとございますが、あくまでもこの要望「信頼に支えられた医療の実現」は学術会議の意見として本年の6月26日に出されたものでございます。まずその内容について少しご説明をさせていただきたいと思います。

要望書の説明
この要望なるものは「医療のイノベーション検討委員会」という、そういう名前の委員会ができまして、1年ほど検討した後にこういう文書を出したわけでありますが、学術会議というのは、そこの資料にも入っているかと思いますが、数年前から少しあり方が変わりまして、前は、そういうことを言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、どうも名刺に刷って名誉であるというようなところがございましたけれども、20期以降はもっとファンクショナルな会として、委員も定年を設けることと6年間以上は委員にとどまらない、長々とやらない、その間に入れかわり立ちかわりでございますけれども、自分が重要と思う意見を述べていくという、そういう会に変わったわけでありまして、そういう意味でそういうファンクショナルな仕事を始めたわけでありますが、資料6にございますように、学術会議では医療関係のいろいろな文書を過去、1961年から出しております。1964年には「医師実地修練制度について」なる、これは朝永振一郎会長名の勧告ですけれども、こういうものも出ています。ずっと次のページをごらんになると、平成20年ぐらいに非常に多くの医療関係の文書が出ているということがおわかりになると思いますが、その中でも「要望」という名称の文書は一番重い文書でございまして、学術会議として政府に要望するという種類のものであります。

学術会議と要望書
これも班員の先生方はよくご存じのことなのですが、我が国の医療というのはこういう先進国型医療の特徴を十分まだ発揮していないところがあって、いずれの先進国もこの5つの、先進国の医療のあるべき姿に向かって改革努力をしてきているし、また一方では増大する医療費に対してこれをどう制御するかというか、どうそれを賄っていくかという点についてはすべての国で悩みを持っているわけでございます。
その中でも特に充実した教育体制と厳格な専門医認定制度はどこの先進諸国も多くの場合持っているわけでありまして、例えば米国では1930年代、ドイツなどでは1920年代から医師の職能集団としての医師会ですね、日本の場合とちょっと違うのでどう言ったらいいかわかりませんが、医師の職能集団がこれを連綿としてやっているというものであることが特徴であります。

そういう観点に立って現在の我が国の医療を見ますと、大きく言って3つのことが必要ではないかということで、ここに要望ということで3つの事項を挙げておりますけれども、医療費抑制政策の転換や病院医療の抜本的な改革、特に実働医師の不足対策などというのは、これはもう当たり前のことであって多くのところで言われているし、これは重要であるわけですが、3番目に専門医制度のことを取り上げたのは他の事項に比べるとちょっと奇異に感じられる場合があるかもしれません。ここの先生方はそうでもないかもしれませんが。

医療というのは政府、国民、医師を中心とした医療を提供する側の3つのプレーヤーがいるわけですが、それぞれがどういう医療を将来われわれは必要としているかについて考えないといけないということで、それも「信頼に支えられた医療の実現」の中に書いてございますけれども、特に医療者においては医療に対する信頼を持続的に高めていくような仕組みが十分でなかったのではないかということ。それを医療者が、自ら自己努力でやっていくという姿勢を見せていかないとこの問題は解決しないということが議論になりまして、その一つのシンボリックな改革案が専門医制度の改革であって、その内容は具体的には専門医の認証制度をきちんとつくらなければならないだろうということであります。

要望書の3つの事項
内容的には、我が国の医療には専門医制度の確立がぜひ必要であるということと、そのためには制度を認証する「専門医制度認証委員会」を法的な裏づけをもって設置することが重要であるという内容ですが、ここから先、少し個人的に敷衍(ふえん)させていただきますと、専門医制度は、海外の例示を引きますと、医師の自律的専門職能集団が運営しなければうまくいかない。その自律的専門職能集団がそれをある意味で権威を持って運営していくためには、医師の全員加盟型の自律的専門職能集団の設立が非常に重要であると考えられます。

学術会議は専門医制度についての発言を既に平成11年に行っておりまして、これはその当時、臨床医学の第7部が「専門医制度の整備と専門医資格認定機構の設置について」という報告を出しております。この中で、国家的規模での専門医資格認定機構と言うべき第三者機関の設置が提言され、そして前回、池田先生がおいでになりましたように、専門医制評価・認定機構というものが既に設置されて動いているわけであります。従って、専門医制度の骨組みは既に我が国においてほとんど完備しているのではないか、あるいはプライマリケアの専門医というのはかなり特殊であって、この導入は現実問題としては非常に困難ではないか、こういう意見がかなり広く行われておりますが、これは果たして本当なのかということを考える必要があります。

専門医制度の運営と自律的専門職能集団の必要性
専門医制度の現状は既に前回、池田先生がよくご説明になったと思いますので、このとおりでありまして、二階建て制で基本領域は12万6千人、サブスペシャリティが8万2千人、プライマリケアの専門医制度はないと。こういう状況になっています。

問題点としましては、よく言われますように、専門医に至る教育プログラム、教育病院の評価がまだ十分ではないとか、適切な外部評価がなされていないと。これは専門医制評価・認定機構が基本領域については既に行っているわけであります。一番問題なのは、専門医の数、地域別の分布に関する制御がない、あるいはできない。それから、プライマリケアの専門医、名称は家庭医とか総合医とかかかりつけ医とかいう名称があり得るとは思いますが、その制度は確立していない。まだ議論の段階にあるということでございます。

専門医制度は信頼の基盤になるものであって、医師が医学校を卒業したらすべて試験を受けて医師になるというのは戦後始まったことでありまして、これはある意味で信頼の基礎になっているのですが、その当時の医療情報に比べると今は500倍とか1,000倍と言われている時代になっておりますので、大学を卒業してそこでもう十分なお医者さんであるというのはもう時代遅れですね。

専門医制度の現状と課題
どう改革をするかというと、何度も言っておりますように「専門医制度認証委員会」を設置することと、プライマリケアを含めて専門医ごとに専門医の総数、地域別の分布に関する制御を行えるような仕組みですね、それが確立して、国民がこれでかなりアクセプタブル(受容できる)と言われている時点では技術料の評価は行えるようになるのではないかと思います。

もしこういう制度が成り立ちますと、専門医の職能集団が同じスタートラインについた専門医の集団として形成できる基盤ができますし、地域ごとの必要数、分野ごとの必要数も制御可能となる見込みがある。さらに大きなことは、病院と診療所との信頼に基づく連携関係が構築される。つまり、開業医のグループとそうでない大学や大きな病院の医師のグループとはもっと交流をすべきである、そういうことができるようになるということでございます。

制度認証委員会、専門医数、分布の制御の必要性と評価
そこまでが当研究班に関連する「信頼に支えられた医療の実現」の内容でありますが、少し敷衍させていただきますと、専門医制度の成功の条件は自律的に医師の専門職能集団が責任を持って誇りをかけて行うものでなければ、少なくとも諸外国ではうまくいっていない。それから、専門医制度の実務、つまり試験などを行う組織、個々の医師の評価を行う組織と、その制度自体の評価・認証を行う組織は分離すべきである。それから、制度は何らかの法的な裏づけがなければ多分日本ではうまくいかない。専門医の質の制御だけではなく数と分布に関しても責任を持つ必要がある。

それを担当する組織ですけれども、旧医局制度のもとでは入局者が多ければ多いほど医局の力が増すのでありますから、こういう制度の代表者を集めた組織では、ある意味で、最近のはやりの言葉で言えば利益相反状態にありまして、日本全体という観点に立った制御は難しいです。各学会にとって見ても入会者が多ければ多いほど会の力が増し資金が潤沢になるのですから、これは日本全体という観点に立った数の制御は難しい。学会を背負って出てきた方たちが審議をすれば、それはなかなか難しい。やはり医局や学会の利害から独立した組織が専門医の数と分布の制御を行う必要が出てくるだろうと思います。

実務組織と評価組織の分離と法的裏付けの必要性
専門医の目指すものはあくまで医療の質です。医療の質を医師の専門職能集団が誇りにかけて保証するというのが本来の姿。しかしもう一つ、先ほど申しましたように、進歩した医療を実践するためには、あらゆる医師はプライマリケアを含めて専門医を目指すべきです。少なくとも、卒業して数年間のトレーニングを受けた後で一定の評価を受けて、そして専門医になっていくという形の方が先進国型だと思います。

専門医制度の目指すもの
そして医療の質を保証して専門医を養成するということであれば、教育の質と同時に教育の量が保証されなければいけません。教育の量と質を保証することから必然的に医師の数と分布の制御が必要になります。症例もないようなところにたくさんの専門医を養成することは無理です、できません。従って、その制御を医師の専門職能集団が行わなければできません。

従って、医師の数と分布の制御は、医師の教育に一定の症例が必要なことから、必然性は明らかです。医師の専門職能集団が自ら制御する仕組みがなければ、同じことを何度も言いますけれども、こういうことでございます。医師の組織のあり方としては、現在は必ずしもそうはなっておりませんけれども、医師が全員加盟する専門職能集団という組織が必ず必要になる時代が来ます。これは、弁護士は弁護士法によってすべて弁護士会に入っているわけでありまして、我が国の医師会も戦前は北里柴三郎が設置した全員加盟型の会でございましたが、戦後、GHQによって解体されたわけであります。それが今の医師会の姿でありまして、それを何らかの形で今後考えていかないといけない。医師を開業医と勤務医に分断するということは、これからの医療にとっては有害です。勤務医も開業医も大学の医師も参加できる組織が必要です。

医師の全員加盟型職能集団の必要性
最後のスライドですが、この上のスライドは昭和50年代の医師の分布を示しています。非常に多くの働き盛りの開業医の大きな山がここにあることがわかります。日本の現在われわれが持っている医療制度、あるいはいろいろな医師の団体の仕組み、医療の長所でもあり短所でもあるいろいろな特徴はこの時期につくられたわけです。この時期は、働き盛りの最も脂に乗ったお医者さんたちはほとんど開業医だった、しかも40代から50代。この時期につくられたフリーアクセスの仕組みとか、あるいは自由開業制とか、あるいは標榜制の問題などはもう時代遅れになりつつある、それを認識しないといけない。

今後は、下のグラフの一番右側にある小さな山はこの前の大きな山が移行したところでありまして、そこが今後は徐々に埋まってくるのでありますけれども、確かに卒業生が増えなければ、最も働き盛りというか、雑用も含めてやってくれる若手の数はこのままです。従って、ある程度ここを上げなければ現場で働くお医者さんの数はなかなか充足されないだろうということは言えるかもしれません。こういう医師の分布、それから医師が持っていた医師の職能集団としての組織の特徴が日本の医療をつくってきたのであって、それはもう時代遅れになっているということをわれわれは認識しないといけないと思います。以上です。

医療の変遷と制度の転換の必要性
○土屋
要望書の実現への道筋
どうもありがとうございました。今、日本学術会議の公式見解と言いますか、要望の内容の説明と、その後、桐野先生の個人的な見解も含めてご意見を聞かせていただいたのですが、最初にこの学術会議の要望にまとめられている範囲でご質問を受けたいと思いますが、最初に私から、日本学術会議というのはみんながみんな詳しく知っているわけではないと思うので教えていただきたいのですが、こういう要望とかをいろいろ出されて、この後はどういうふうな経緯で実現に向かっていくと考えたらよろしいですか。

要望書の実現への道筋
○桐野 学術会議は実際にそれを実施する組織ではありませんので、残念ながら、これを出して、そしてこれを読んでいただいた上でそれを記録にとどめていくという以上のことはやれておりません。それはこういうような、むしろ政府に対する、言ってみれば発言力の強い組織に、多少でもこういう要望とか学術会議が出している文書に影響力があれば、それは良かったかなと思う程度でございます。

 
○土屋 学術会議というのは政府の組織ですよね。この要望を出して受ける母体は、どこが政府で受けるのですか。

 
○桐野
内閣府の組織、政府の諮問機関としての学術会議

学術会議は内閣府の組織でありますので、学術会議法という法によって定められたものであって、政府が学術会議に対して諮問をすることもあります。例えば周産期医療とか生殖医療などの学術会議が答えるのが非常にフィットする、あるいはライフサイエンスの今後のあり方とか、科学者の養成の仕組みとか、そういうものについてはある程度の影響力を持っていることは事実です。ただ、こういう医療の問題とか社会の仕組みなどの問題については学術会議だけの問題ではないので、そこのところは十分な力はまだ発揮できていないのではないかと思います。

内閣府の組織、政府の諮問機関としての学術会議
○土屋 要請のあったことについては、内閣府の方から要請があるから、そこの部署が責任を持ってさらにその実現に向けると。ただ、学術会議側から出した場合に、真剣になって受けてくれるかどうか内閣府次第ということになりますか。

 
○桐野 非常にいい文書を出せるかどうかだろうと思うんですけれどもね。ただ最近、3年間、長くて6年ということになったので、少し文書の数が多いんじゃないかという議論もありまして、もう少し議論を集中していった方がいいのではないかという話もございますが、何せ法学部系、文学部系から工学部も含めて医学部、農学部、理学部、全部含めた組織ですから、どうしても領域が広いので、文書の量が非常に多くなるわけです。

 
○土屋
実現への道筋と具体策
この点について何か班員の方から。よろしいですか。そういうことで、私はこの要望は大変よくまとまっていると思うんですけれども、これを行政側が受けてくれないと、せっかく英知を集めても、なしのつぶてになってしまうと、多分つくられた桐野先生以下、歯がゆい思いをなさるのではないかと思いますが、それが実現できるということで厚生労働大臣にこういう班会議をつくっていただいて、その具体策をということもあるのかなと私は受け取っておりますけれども。よろしいでしょうか。

ではそれを前提に、そうしますと、われわれも桐野先生の属した学術会議を応援するようなことも含めて、この班会議のまとめということが必要かなと私は今伺っていたのですが、その問題を離れても結構ですので、この要望の専門医のいわゆる制度認証委員会ですね。この設置ということの主張に対してご質問、ご意見があったらお願いしたいと思います。

実現への道筋と具体策
○岡井
制度の具体化の進め方
大変有益なお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。お話ししていただいた内容は私個人的にも納得することばかりなんですが、先生の強調された医師自身が自律的な専門職能集団として専門医制度もやっていかなくてはいけない。そこのところが具体的にはどうすればいいのか。今、専認協というのがあって、各学会が代表者を出してと言いますか、参加して何とかやっていこうとしているのですが、私たちから見てなかなかうまくまとまらないで、予想よりは制度化を具体化する速度が遅いなという、そういう印象を受けているわけですけれども、そこのところ、先生個人のお考えでいいのですが、どこをどうすればもう少し思うように話は進んでいくのかというようなことで先生のご意見がありましたらお願いしたいと思います。

制度の具体化の進め方
○桐野
専門医制度の評価の必要性
制御と医師の単一組織の必要性
専門医というものが意味を持つようになるためには、専門医というものが社会から十分わかりやすく評価できるものにしていくしか他に方法はないですね。それを全然しないでいれば、長い期間トレーニングが必要であったり、非常に大きなリスクを伴うような医療が徐々に壊れていくであろうと。急性期医療は置いておいても、慢性的に治療すればいいような外科系の病気については外国で治療をするような時代になっていく可能性も十分あります。そういうことでいいのかというのはどのお医者さんも心配しているわけでありますが、しかし産科について見ますと、もう10年ぐらい前から今日のような事態になることはわかっていたし、大勢の産科の先生がそれを心配していたわけですね。心配していたし発言もされていたと思います。決して医療者側がその危機について何も発言しなかったとか、そういうことはないと思いますが、ただ残念ながらメディアには取り上げられなかったし社会的な課題とも考えられなかった。同じことが起きます。同じことが次から次に起きてくると思います。

専門医制度の評価の必要性
従って、それを総体として食いとめるためには、医師が自ら立ち上がらないと無理じゃないかというのが私の、ちょっとこれは学術会議の意見と思われるとそこは難しいところですが、ただ、それに近いことを学術会議も思っておりまして、このままいけるのか。例えば医師会の問題についても、医師会は今、公益法人制度改革で非常に大きな課題を抱えています。医師会自体も今のままで行けば将来安泰であるとは多分思っておられないと思います。このままずっと行って病院の勤務医に比して開業の先生方の数がだんだん多くなって都市部でだんだん飽和してくることは明らかですから、このまま行けば、何らかのことを医師会としてもしない限り、もう抑え切れないような状態になる可能性があって、ノーコントロールになってしまう可能性があるんですね。

そういう意味では、私は長い目で見て医師という職業、あるいは医療というものを何とかしていく希望は、医師自らが単一組織を持つことだと私個人は思います。ただしそれは簡単ではないのですが、しかしそれをやらないで産婦人科学会が発言し、あるいは救急医学会が発言しというような分断された状態で今後もおやりになるということであれば、今までのことが多分フェーズをずらしながら起こっていくのではないかなと思われるので、思い切ってそういうことまで突っ込んで言っていかないといけないのではないかと感じています。

制御と医師の単一組織の必要性
○土屋
職能集団の設置基盤(法と自律)
よろしいですか。桐野先生が踏み込んでくださったので、ここから先は個人的意見ですとまで踏み込んでディスカッションしたいと思いますが、今桐野先生から話題を提供していただいた全員加盟の専門職能集団ですね。これは私も個人的に大賛成で、ぜひ必要ではないかと思うのですが、問題はこれをどういう過程でつくっていくかということが多分桐野先生も大変頭を悩ましていらっしゃるだろうと思うんですね。そのときに、先生が最後のところで「我が国では」とお断りになって「法に基づいた設置が必要じゃないか」と述べられて、ただ前段ではやはり医師の職能集団、自律的に動かないとよろしくないと。そこのところが多分先生が悶々(もんもん)とされるところではないかと思うのですが、その辺何かさらに踏み込んだお考えはありますか。

職能集団の設置基盤(法と自律)
○桐野
米国の医師会による教育評価と自律的専門医制度の歴史
私もよくわからないと言えばわからないのですが、例えばアメリカの専門医制度を持ち出すのがいいかどうかわからないのですが、アメリカにも多々欠点もありますし、特にアメリカの医療制度は相当ひどいと思いますけれども、少なくとも医学教育と専門医制度については1910年ごろに出たフレクスナー・レポートというのがあって、それでは全国の医学校をAMA、American Medical Associationですから、アメリカの医師会によって派遣されたフレクスナーという学者がすべての学校を見て回って、そしていいところはいいと言うけれども、ひどいところはひどいという評価をしたんですね。特にイリノイ州にあった十数か所の医学校は悪の巣窟(そうくつ)だとまで言われて、そしてそのフレクスナー・レポートを受けて、アメリカにあった、彼の言い方で言えばインチキ学校が全体の中の半分つぶされてしまったんですね。それぐらい激しいことをやった上で、1933年か何かに眼科だったかどこかから、自らの責任で専門医制度をつくっていったんです。そんなことが我が国でできるとは思いませんが、少なくとも専門医を取った方から順次、全員加盟型の何かの受け皿の組織をつくっていって、それとともに政府の支援で専門医、つまり努力をした医師には何らかの報酬が認められるという仕組みを誘導していけば可能性はあると思います。ただ、社会や政府がそういうことを重要と思うかどうかは私には自信はありません。

米国の医師会による教育評価と自律的専門医制度の歴史
○土屋 班員の先生方からご意見は。

 
○外山
医師の統一組織の必要性と専門医制度の議論をわかりやすい組織にする重要性
外山でございます。大変歯切れのいいお話を伺って私も本当に同意せざるを得ないというか、同じような気持ちで今までやってまいりました。それで今のことに関しまして、どういうふうに実行していくかということが非常に重要な時期に来ていると思います。その実行の一つの要としては、何としてでも理想的な本格的な専門医制度を我が国に導入して、そしてそれを今すぐ現在現役でやられている人に当てはめるわけにはいかない部分がたくさんありますので、これから医者になっていくという人から順次当てはめていくことです。そういう中で、医者が約27万人とか言われておりますけれども、それだけの全国の医師の統一された組織づくりを始めていくということが一番大事ではないかということは、先生と同様と思います。やり方としてはきちんとした後期研修制度、専門医制度というものを何としてでもつくると。そのつくる過程をガラス張りでやることによって、心ある国民からは当然サポートを得られると思います。今おっしゃったような、私も同意見なのですが、今ある学会の形態、医局の形態というものがそういうものに対して決して同方向ではないと思いますので、そういったことの中でもっと誠実に、純粋にいい専門医をつくるにはどうすべきかという議論を外から見てわかるような形で組織づくりをやることです。それをどういう組織にするかということを早急に議論し決定する。そういった方向にまず着手するということが非常に重要であろうと思います。

医師の統一組織の必要性と専門医制度の議論をわかりやすい組織にする重要性
○桐野
学会の枠組みから外れた検討
制度の導入と適用
我が国の専門医制度の中には、それぞれの学会が非常に努力をして、それなりに運営されているものもないわけではないと思います。ただ、それをもってよしとするには余りにも不十分で、やっぱり今の認定制の機構のレベルをさらに超えたがっちりした評価をしてストップをかけられるぐらいの権限を持ったものをつくっていかないと難しいと思います。何も学会が悪いとは僕は全然思いませんけれども、学会の代表としてそれぞれのそういう検討組織に出てこられた委員は学会を背負っているんですよ。だから明らかに検討の段階で利益相反状態にあって、利益相反状態にある方々の検討というのは望ましくないと思います。ただ、あそこにいる委員の方が学会から全く外れてフリーの立場で、オールジャパンで議論されるのであればいいものが出てくる可能性はあります。

学会の枠組みから外れた検討
また、外山先生が言われたように、ある瞬間に認定医にするかしないかという評価をするなんていうのは現実的ではありません。それから、既に今、ある程度の年齢になっている方も含めて全部激しい試験をするというのも現実的ではありません。従って、この制度は、例えばの話、平成22年卒業の医学生から適用していくと。それ以降の医師については、この専門医制度は適用しないとかですね。アメリカもそういうふうにやったんです、徐々に徐々に。だから、ここで10年以内にそういうシステムを確立するということは、10年以内にすべての領域がスタートして、スタートしてから少なくとも医師が半分入れかわるまで25年ぐらいかかりますから、これから35年ぐらいかかるわけです。だけどアメリカでさえも、ドイツでさえも60年以上やっているわけでありまして、それぐらい時間がかかる。大体、インターン制度が大騒ぎになってから、今あまり評判のよくない初期臨床研修制度ができるまで60年近くかかっているわけでありまして、そういうことを考えると、今始めるということを宣言しても実際そんな過激なことが起こってくるわけではなくて、徐々に徐々に進行していきながらよくなっていくという、そういうものしか考えにくいと思います。

制度の導入と適用
○土屋
実効性と時間経過
評価・認証を行う組織の構築
ありがとうございます。先生おっしゃったところのポイントで、何年卒からに適用するというところは、私、大変重要なポイントだと思うのですが、多くの学会の専門医がこういう条件の専門医にするといって、その時点で既に卒業した方が受験できるような専門医が多過ぎると思うんですね。それと同時に、さらにさかのぼってやるなんていうところも多いので、その辺が一つのポイントかなと伺っておりました。そうしますと、今先生がご説明になったように時間がかかると。時間はかかるけれども、本格的にやるのはそういうところを条件として加えないと無理ではないかという裏腹な関係じゃないかなと思ってお聞きしました。

実効性と時間経過
それと、それを踏まえていくと、先生が、専門医制度成功の条件ということで医師の専門職能集団が自律的に行うと。2番目に組織を2つに分離するべきではないかと。専門医の制度の実務を行う組織と、その評価・認証を行う組織を分離すべきだと。今先生ご指摘の、今の専認協はいわゆる実務をやっている学会の集まりですよね。そうしますと、これが同じ評価・認証はとてもできないだろうと。そうしますと、今の専認協はどちらかというと前者に限定すべきではないかと。この後者の評価・認証を行う組織を、先生言われるように学会から離れてどういう過程でつくったらいいかということが一つ問題になる。先生、何かお考えはおありでしょうか。

評価・認証を行う組織の構築
○桐野
海外の制度の調査
これは難しいと思います。しかし、今外山先生がおっしゃったように、非常に透明につくらないと、外部のどういう批判があってもそれに耐えるようなものでないといけないので、私個人は勉強不足でよく知りませんので、学術会議としては各先進諸国の医師組織と専門医制度のドキュメンテーションをまずきちんとやるべきではないかと思います。アメリカ、ドイツぐらいはかなり、フランスもまあまあ知られていますけれども、他の諸国についてはまだ十分情報がないので、それはまずきちんとやるべきではないかと思います。

海外の制度の調査
○土屋 ありがとうございます。確かにわれわれには、アメリカの情報というのは割と入ってきて、ドイツも古い方はかなりドイツへ留学したり、またわれわれもヨーロッパへ行くと関係があるのですが、確かにそれ以外の、意外とイギリスとかフランスのすらよく知らないということがありますので、この辺は今、委託研究調査の形でできれば調べたいなと思って進めております。

 
○岡井
日本専門医制評価・認定機構の評価・認証の取り組み
先ほどの土屋先生からの質問に戻るのですが、ここである実務を行う組織と評価・認証を行う2つというのですが、専認協はこの評価・認証を行おうとして活動を強化したら、ある学会から大反発を受けて今また困っているみたいなところで、専認協はこれをやろうとしているんですよね。
日本専門医制評価・認定機構の評価・認証の取り組み
○土屋 この間のご説明では、この両者の取り組みがあると。

 
○岡井 だから本当に難しい問題で、ああいうふうに一応は幾つもの学会が入ってやってくれとお願いしても、先生ご自身言われたように、各学会は自分たちの会員の利益を背負って代表は出てくるから、その意見を言ってうまくいかない。本当に現実に今の専認協以外にそういうことができる組織をどうやってつくっていくのかという、それは僕、現実的にはものすごく難しいので、僕なんかの考えでは、やっぱり専認協の機能を強化するというか、それをみんなで支えるみたいな方が速いような気がするんですけどね。いかがですか。

 
○桐野
機構の基本的指針と運営方法、設置法の可能性
多分そうなんだろうと思うのですが、そうすると、池田先生も私が今申し上げたようなことをおしゃっているんです。ですから、それを機構の譲りがたいマニフェストとして出してもらいたい。だから各学会の利害を離れて、そしてオールジャパンで透明性を持って検討するということを公開して、それを譲らないというふうにした上でそれをまずマニフェストで出せば、そのやるべきことに対してどういう委員の選任の仕方をすればいいかは出てくるわけです。つまり各学会からの代表者では明らかに審議が利益相反状態になりますから、それはできないはずなんです。だからまず基本的な、何をやるかということを非常にクリアに、明瞭(めいりょう)に出していただいて、それに従ってやっていただくのが一番いいと思います。受け皿としては今の機構をもう少し、あれは公益法人になっていると思うのですが、それでいいんだろうと思うのですが、もう少し強力な形にできないかと思いますけれどもね。そのためには、例えば弁護士組織が設置法を持っているみたいに、設置法を持って何かをつくってしまうということもあると思うんですね。

機構の基本的指針と運営方法、設置法の可能性
○海野
自律的職能集団の確立、数と分布の制御の詳細について
私がフォローできているかどうか自信がないのですが、先生のお話の中で、医師の自律的な専門職能集団というものの存在というのがきちんと確立するということと、先ほどの利益相反を克服すると。われわれの中で克服していく方法というのは多分それしかないのかなというふうに伺っていたんですけれども、そういう理解でよろしいのかということが1点。

それからあともう一つ、ちょっと話題はそれちゃうかもしれないのですが、ずっと悩んでいることなんですが、この養成するべき専門医の総数、地域別の分布に関する制御を行うという、これは学術会議の見解としてそうなっているのか、内容をもうちょっと詳しく知りたいのですが、先生のお考えとしてそういうことなのかということについてもう少し教えていただければと思うのですが。

自律的職能集団の確立、数と分布の制御の詳細について
○桐野
職能集団構築のための論理・合意形成の重要性
質の保証としての専門医制度と、数の制御
まず最初の方ですけれども、今岡井先生が言われた問題は、それは評価・認定機構の決意にかかわっていることであって、医師の専門職能集団とは直接関係はありませんが、医師の専門職能集団というのは、これも黙っていてできるようなそんな易しいものではありませんので、これがなければ日本の医療が壊れるというぐらいにみんなが重要に思うかどうかにかかっているわけで、そのためにはそういう組織をつくる効用がいろいろな学会、あるいは大学、あるいはいろいろな組織の利害を超えて我が国の医療のために必要だという、そういうステートメントをちゃんと論理的にできるかどうかというのが非常に重要なことだと思うんですね。ですから、それは易しいことではないと思います。

職能集団構築のための論理・合意形成の重要性
学術会議のこの要望は要望に書いてあるとおりでありまして、それをよく私が解釈して申しますと、要するに専門医制度というのは質の保証であると。質を保証するという、大量生産品なら一定の質のものを幾らでもできますけれども、医師の場合は症例の経験の裏づけがなければできません。例えば心臓外科などはそういうことを既に少し始めておられますけれども、一定の、言ってみれば座学のような講義をしていけば幾らでもスタンプで押すようにいい心臓外科医ができるかというと、そんなことができないのは当たり前で、一定の症例が必要なわけです。一定の症例というのは人口の多いところには多いし、少ないところには少ないわけで、だからそこにどれぐらいの若手が養成できるかというのは必然的にある幅を持って計算できるはずなんです。

従って、誠実に専門医制度は質の保証であるということを約束するのであれば、必然的に数の制御は出てくるはずなんです。これは別に政治的なものであるとかそういうものではなく、あくまでも質の保証が専門医制度の根本であるということから論理的に出てくることなんです。ただ、もちろん計測にはある幅があって、1人の心臓外科医を養成するためには何例が必要かというのは、これはその領域のエキスパートが考えないとわからないと思いますけれども、幾ら何でも1年に1例でいい心臓外科医ができるわけがないし、それはあるところで折り合いがあるはずなんですね。

質の保証としての専門医制度と、数の制御
○海野
議論の決定主体について
その件についてなんですが、私が伺いたかったのは、学術会議の中での議論等で、要するに誰がどのようにこれを決めるのかということが一番の悩みだと思うんですね。そこにまた大きな利益相反が発生する可能性もあるだろうと。その辺についてどういうお考えかということを教えていただければと思うのですが。

議論の決定主体について
○桐野
十分な論拠と議論の必要性
それは難しいですよ。それは難しいので、やはりこの土屋先生の班でもいろいろなことをまとめられても実現は難しいということになるかもしれませんが、そこをできるだけ踏みとどまっていただいて、これは重要だと。なぜこれが重要かということを十分論拠を持って言っていただくしかない。私個人は、今申し上げたようなことが本当にこれから全然20年ぐらい全くできないまま行けば、これは日本の医療も医師も医療関係者も、むしろ国民の側も非常にアンハッピーになるんじゃないかと思います。もともと医療には非常に負荷がかかっていて、先進諸国みんな悩んでいるわけですね。どこの国も医療にどれだけのお金を使うかということで楽勝という国はないんです。例えばフランスの医療制度はかなりいいと言われていますけれども、それでもフランス、ドイツ、いろいろなヨーロッパ諸国で医師のストライキなんていうのは頻発していますし、フラストレーション(不平不満)は相当あるわけですよ。ですから、それだけ厳しい状況であるのに漫然とこれからやっていたのでは非常に危ないのではないかというのが、これは私個人の危機感ですけれども、そういうふうに感じております。おそらく先生方、同じようにお感じじゃないかと思いますけれども。

十分な論拠と議論の必要性
○葛西
地域の実情に応じた地域別分布の判断根拠
福島医大の家庭医療学の葛西でございます。今の総数と地域別分布の決定方法についてですけれども、今桐野先生お話しになったのは教育に必要な症例数というところからある幅を持って決まるというお話でしたけれども、今度はそれぞれの地域別なんていうことを考えますと、それぞれの地域で起こる医療の問題に必要な医師の数というような決め方があるかと思うんですね。都会の場合にはおそらく症例で決めていくのとニーズとは大体合うかもしれないですけれども、例えば東北地方なんていうことになるとニーズは確実にあるけれども非常に症例としては少ない。だけどその科の医師にはいてほしい。こういったときに地域別分布というのはかなり難しいことになるかなと思うんですけれども、どのような根拠なりファクターを使って決めていくのがよろしいでしょうか。

地域の実情に応じた地域別分布の判断根拠
○桐野
日本での制御の難しさ
それは日本はちょっと難しい要素があるわけで、ヨーロッパ諸国は、公私という分け方をすれば、医療費の制御が公で医療の提供も公です。米国は医療費の制御は私で医療の提供も私です。ただ我が国は、医療費の制御は公で医療の提供は80%は私です。従って非常に制御が難しい。私的な、つまり私情的に医療を制御しようとすれば、これは完全に価格で決まるわけですね。つまり、数の少ないところでも非常にお医者さんが必要だったら給料がものすごく上がっていくという仕組みで、それは多分日本で実現しにくい、ある程度はするかもしれないけれども。例えばスウェーデンみたいな国は急性期医療を重視するということで、平均在院日数を先進諸国は全部1960年代ぐらいからぐぐっと下げたんですね。病院のベッド数を制限してというやり方を、日本だけがその時期に逆方向に行ったんですけれども、先進諸国はすべてベッド数を制限して病院機能を集中化していったんですけれども、その時期は西ヨーロッパ諸国、あっという間にできるわけです。だってほとんど日本で言えば全部国立病院みたいなものですから、それをまとめていけばすぐに終わりですから。そういう意味では、制御はかなり難しいですよね。そういう難しいファクターもありつつやらないといけないので、これは易しい作業ではないと思います、本当に。

日本での制御の難しさ
○葛西
専門医の質を上げるための議論と評価の取り組み
先ほどの専門医の評価ということで少し情報を提供させていただきたいと思いますけれども、この資料5にある132ページ、これは9年前の報告書になりますけれども、ここで実際に評価をする実務の組織としてResidency Review Committeeという研修制度評価委員会というのがありますけれども、私、数年前にこれの家庭医療のものをアメリカで見学させてもらいました。これは内容とかは公表されるんですけれども、実際のディスカッションはクローズでするところにおそらく外部者として初めて入ったんですけれども、この構成メンバーとしてはアメリカの家庭医の学会、それから専門医の試験学会、それからACGMEという機構も入っていますし、研修医の代表まで入っていると。そういったところでみんな家庭医を実際にはやっているんですけれども、それぞれの団体というか、機構を代表しているんですけれども、その専門医の質を上げるためのディスカッションを、ものすごく真摯(しんし)なディスカッションをしていたのを非常に鮮明に覚えていますので、先生の言われたような職能団体が医師の誇りをかけてというあたりがここには実現しているというのがありましたのでご紹介させていただきました。

専門医の質を上げるための議論と評価の取り組み
○土屋
研修内容、地域から見た必要人数と、医師側の理解
ありがとうございました。先ほど桐野先生が言われた専門職能集団をつくるのに論理的な必要性をきちんと説明する必要があるだろうと。これはかなりのところは学術会議でも何度か言われていると思いますし、今回の要望のはかなり論理的に組み立てがしっかりしていると思うんですね。それと先ほどの訓練医の人数、あるいは地域での人数というのも、葛西先生言われるように、トレーニング側から見る場合、あるいは地域のニーズから見る場合、これは論理的に書きやすいだろうと。ただ問題は、これを受ける側の自律的な職能集団をつくる医師一人一人が理解するかどうか。受け取り側がまた理解しようともしないという集団もあるかもしれないということで、多分説明する側の努力というのはかなり日本でもされてきているんじゃないかという気が私個人的にはするんですね。問題は二十何万人の医師が、みんながそれを集団として論理的に理解しようとしているかという、それがちょっと問題じゃないかなと思うので、それをむしろある意味、外圧というか、国民の声とか、そういう医療を受ける側の声というのが、そちらの理解ということにも手助けを求めるというような努力も必要かなという気で聞いていたのですが、桐野先生、いかがでしょうか。

研修内容、地域から見た必要人数と、医師側の理解
○桐野
医療費、病院医療改革への国民的議論の必要性
言うだけは言いましたけれども、実際それを責任を持ってやる立場にもし置かれると大変だろうなという気はします。私ども思ったことは、ここに書いたように、ちょうどこれをまとめていた時期は社会保障費から2,200億円、骨太の方針で減らしていくということがまだ何も微動だにしていない時期でありましたし、医師の養成数の問題や病院をどのようにしていくかというのも未検討の状態、その後はいろいろなことが少し進んできたように思うんですけれども、そういう段階でまとまったところがあって、少しこれより進んでいるようなところもないわけではないんですけれども、これをやらなければ医療が破壊される可能性が高いよということを主に書いたものであって、じゃあそれを具体的にどうしていけばいいかということについては非常に難しくて、あるところから言うと、ある政治的な力がなければできない。つまり最後のところは、特に医療費の問題とか病院医療の改革については票じゃなければ解決しないというところがどうしてもあるんですね。専門医だけは医師という職業集団が根性を見せればできる可能性はあるんですよ。ただ、それはちょっと難しいだろうなと言われれば、これについてはこれをもしわれわれの時代に提案して実現の道筋をつけておかなければ、将来の医師をはじめとした医療関係者は非常につらい苦しい思いをするだろうなということを訴えるしかないですよ。それをすれば国民は非常に損をする時代になるということを理解してもらって後押しをもらうしかないと思うんですね。本当にそうだと。

医療費、病院医療改革への国民的議論の必要性
○有賀
全員加盟組織の具体像
多分、桐野先生からすると余りにも原始的な質問過ぎると言われるかもしれないのですが、すべての医師はプライマリケアを含めて専門医を目指すべきであって、そういう意味で、何らかの専門医の形で国民に質の良い医療を提供するという話で、そこまでも非常によく理解できますし、そういうようなものをつくる組織と評価するというか、認証するというか、その仕組みそのものを認証するような、全体像としては非常によく理解できるんですけれども、そういう医師が全員加盟するような専門職能集団としての組織ということが必要なので、医師は全員加盟する何らかの組織の中に入ってしまうことが必要だというふうな理解でいいんですか。例えば弁護士さんたちは何かの組織に入っていて弁護士活動をやると。だから組織から離れると弁護士活動はできないというのがあるじゃないですか。ああいうふうなことと、それからGHQが解体してしまったという歴史的なプロセスなど全体を含めて、先生または学術会議がイメージしている全員加盟する医師の集団というのは、専門医はもういいやというふうな人がもしいたとすれば、そういう人はドロップアウトしてもいいということになるんですか。そこら辺の全員加盟のところはもうちょっとわかりやすく教えてください。

全員加盟組織の具体像
○桐野
懲戒制度も含めた全員加盟型組織
学術会議はそれは言っていません。「これは私見です」という、後ろの方にしか僕は言っていないと思うのですが、全員加盟型ですから、その組織は現在、医道審議会が行っている医師に対する懲戒もやるわけです。その組織から外れれば、例えば保険医になることはできないとか何とか、医師免の剥奪(はくだつ)というところまで行くかどうかはわかりませんけれども、弁護士と同じように医療はできないというふうにしなければ何の意味もありません。だからそういうものを他の社会が認めるかどうか。弁護士会が戦後全員加盟型で来たように医師会も、医師会という言葉がいいかどうかわかりませんが、医師の会も戦前と同じように全員加盟型にするという主張は、ある意味では長い時間はかかったけれども、戦前の組織にきちんと戻して全員加盟型で誇りと責任を持ってやるという主張は受け入れられにくいかもしれないけれども、異様な主張とは思いませんけれども。

懲戒制度も含めた全員加盟型組織
○有賀 異様だからというわけではなくて、質の良い医療を国民に提供していくそのプロセスの延長線上にこのことがある、というようなことをどういうふうに整理すればいいかなと思って原始的な質問をしたと。こういう話です。

 
○阪井
米国小児科学会でのエピソード
成育医療センターの阪井と申します。専門医制度の制御を医師の専門職能集団が自律的に行わなければならないという先生のご主張はすごく心に響くものがありますし私もそう思いたいんですけれども、ちょっと素直にそう思えないところがありまして。

先日アメリカの小児科医から聞いた話なんですけれども、アメリカの専門医認定機構が小児科の専門医の更新に際して改めて再試験をしなさい、という話を打ち出したときに、アメリカ小児科学会は最初すごく反対したんだそうです。つまりAmerican Board of PediatricsがAmerican Academy of Pediatricsに再認定の際には試験を課するといったときにAmerican Academyがすごく反対した。そのときにAmerican Academyの年次集会がシカゴであったそうなんですけれども、再試験に大反対だといったときに、会場を担当していた技師がディスカッションを聞いていて、ちょっとマイクを取って話をさせてほしいといって、自分はシカゴ市の認定を受けている電気技師だけれども、毎年試験を受けなくてはいけないんだと。自分には6歳の娘がいるけれども、娘の命を預けようという小児科医が再試験に反対するなんて信じられないと言ったそうなんです。それで一気に議論の行方が変わったんだそうです。今は再試験になっています。専門医先進国と言いますか、比較的うまくいっているというアメリカでもなかなか自律的に医者が自分たちを厳しくしようというのは難しいんだなと思いました。

この話をした方はAmerican Board of Pediatricsの理事長だったんですけれども、その人は小児科医です。おまえは小児科医だから利益相反があるだろうと言ったら、そうだと言うわけです。自分は小児科医としてやっぱり自分を厳しくすることはしてほしくないというわけですよね。だけれども、そういうことを防ぐためにAmerican Board of Pediatricsには一般の方をちゃんとボードメンバーに入れているんだというふうにおっしゃっていました。ですから、やっぱりそういう仕掛けがないと、医者が自律的に職能集団として誇りにかけてやれと言われてもやれないところがあるのかなという気はいたします。

米国小児科学会でのエピソード
○外山
より良い専門医制度実現に向けた取り組み
透明性を確保した制度の必要性
米国の制度を参考にする
桐野先生のお話は大変私も心に来るものがあって、というのは、共通点と言いますか、私が今まで考えてきたこと、あるいは、田舎の病院ですけれども、それを実践してきたことと相通ずるところがあるものですから全くそのとおりなんですが、25年、今の場所におりますけれども、先生のおっしゃっていることはもう実現されてきているはずです。しかし、変わっていない。今まで年月がたち、いろいろな方が良心的な発言をされてきたと思うのですが、それにもかかわらずいまだに世界に冠たる専門医制度というのはできていない、ということは事実だと思うんですね。

ですから、私が現在一番強く思っていることは、今やるしかないんだと。それは桐野先生も同じことをおっしゃっているんですね。今スタートしても5年や10年で本当に実るかというと、それは難しいと思います。ですから、やるための一定のパワーと言いますか、それは絶対に必要であって、医師だけでそれだけのパワーをつくり得るかというと、私はもう今までの歴史を見てできないというふうに個人的に思っております。

より良い専門医制度実現に向けた取り組み
ですから、そうだとするとじゃあ何なのかということで、先ほど申し上げたようなことも含めて国民に少しでもわかりやすい透明性の高いことを誠実にやるんだという方向性を打ち出すことです。そしてそこには、アメリカの制度もそうなんですけれども、専門医教育ということに関しては世界一だというふうに思っております。その世界一である理由は、医師の中に自分たちのレベルは決して落とすまいと。国民に信じられる医療を行いたいという専門性に対する強い意欲があります。ただし、今お話が出たようなところで自己だけに厳しくするということにはつらい部分もあるということも実際に話をしょっちゅう聞いております。ACGMEでは25名の委員がおりますけれども、AMAだとか、AHAだとか、メディカルユニバーシティの会だとか、そういうところから代表者が選ばれてきて、それプラス知的職業の一般市民というものとレジデントといったような人が入っているわけですね。1人でもこういう職能集団外の人が入っているということは何を意味するかというと、透明性を高めるということと、医者の利益だけを考えた発言というのはどうしても出てきにくくなるというところにブレーキがかかっているというふうに解釈できると思います。

透明性を確保した制度の必要性
私が今どうしても主張したいのは、アメリカが今までやってきた専門医教育というのはいろいろ紆余(うよ)曲折あったのですが、これを今、日本が物まねしたらどうだというふうに実は思っているわけです。日本の実情に合わせた物まねでもちろんいいと思うんですけれども、それを一刀両断に短期間にやるわけではありませんので、それを導入しながら一定の期間をかけてやっていく。それはなぜそういうことになるかというと、専門医教育がうまくいっているということにおいては皆さん認められていると思いますので、なぜそういうふうにうまくいっているのかということがわからない部分もあります。医療制度も違います。ですから、それをまずまねするというところから入っていくと。

私も現場でフィールドスタッフについて病院を見たことが、かなり昔ですけれども、あります。そのときの彼らの努力というのは相当なもので、これは意欲がなければとてもできないことです。Resident Review Committeeに対して報告するわけですけれども、Resident Review Committeeにはフィールドスタッフは参加できないんですね。レポートだけです。なぜ参加できないかというと、そこで個人的な感情が出てくるかもしれないという懸念です。そこまで考えたシステムであるということから見て、やはりこれ以上のことが日本の独自のものをつくるといって実際できるのだろうかということになると、今までの日本の医療のあり方、専門医制度云々というような議論の中で余りにも長い期間かかってもまだできていないというところから私の不信感というものがあるわけです。そういうことで、やはり部外の方を入れた透明性を高めた制度を何とかつくっていくべきだというのが重要ではないかと考えております。

米国の制度を参考にする
○土屋 どうもありがとうございます。私が昔冗談に、なかなかできないなら51番目の州に日本がなっちゃった方が早いんじゃないかという表現を使ったのですが、これはちょっと乱暴な言い方ですけれども、アメリカの制度を日本語でやらせてもらうというような感じで、それを今先生は物まねとおっしゃったようなことも一つの考え方というふうに拝聴しておりました。

 
○江口
長期的ビジョンに基づく議論の必要性
桐野先生、ありがとうございました。帝京の江口です、先生が言われた学会を離れて一体化した全体の組織の運営に当たるというのは共感します。しかし実際には、今後の20年先、30年先を予測するということは、医師の専門集団であっても、非常に難しくなってきていると思います。社会的にも疾患の変遷が急激に起こっているとか、あるいは新しい医療技術が急速に広まるとかに対して,現状で適切と思われるリソース配分が、実現される時には、またあらたな状況に対応できないことを危惧します。専門医師集団であっても、片手間に物事を決めていくことでは、歴史の繰り替えいしになってしまう可能性がありませんか.専門医師も含め、専任の専門家によるシンクタンク的な組織をつくって長期的なビジョンを展開するということについてはいかがでしょうか。

長期的ビジョンに基づく議論の必要性
○桐野
法的な規制と認証、さらに報酬体系が必要
だんだん具体的になるにつれ難しくなるので、どうしたらいいかは難しいのですが、私どもは、我が国においては専門職能集団の誇りにかけてといってもなかなか難しいので、ある程度の法的な規制をつくっていただいて、その法的な規制のもとで認証していくということと、本当はそういうものをつくったところからきちんとした報酬体系をつくっていくという、こっち側から押す方と引っ張り上げる方の両方が必要だろうと思うんですけれどもね。それをするためには、これは相当な広い範囲の支援が必要なので、そのためには医師に任せておいて大丈夫なのかという気持ちがありますから、当然こういうことをわれわれはきちんと全体の代表を持って、責任を持ってやるんだということを医師が全体で見せるという行為が全然なければ、なかなか難しいだろうなと思いますね。だからどっちが先であるかはちょっと私にはわかりませんけどね。今はだけどチャンスなんですね。日本医師会も困っているし。日本医学会という日本医師会の下に学会の組織もありますけれども、あれも宙ぶらりんな感じですし、病院組織もいろいろありますけれども、それから大学の医学部長とか病院長の組織もありますけれども、みんながバラバラですから、何らまとめることはできない状態ですよね。

法的な規制と認証、さらに報酬体系が必要
○江口 それを考えたのは、例えば学会の執行部になるとか何かをやっていて医学部長の職にあってこういうものを考えるとかというと、当然忙しい日常のことからいって、10年先、20年先を考えてその人が動くということはなかなかできないですよね。そうすると、先生がおっしゃっていた学会を離れてこういうものの運営に当たるとか、そういうことも一つの方法だと思いますし、そういうある程度のコミッティみたいなものの人材を確保するということがすごく大事なことじゃないかと思うんですね。実際、行政の方だって2〜3年先のこと、あるいは5年先のことを考えてやっているのでしょうが、じゃあ20年先のことをみんなどうやって考えるかというふうなこととかですね。これはやっぱり疾患とかの医療技術とかってかなり急速にまた変わってきているので、今までのようなことで対応しようとしたらまた同じような失敗をするのではないかなと思います。

 
○桐野
政策課題を考える専門家集団
これは僕もよくわからないのですが、アメリカはいろいろ失敗しているんですけれども、彼らは5年ぐらい先の政策課題を考えるためのシンクタンクを持っていますよね。共和党系も持っているし民主党系も持っている。相当分厚い専門家集団を集めてやっていて、医師会もそれに類したようなものを一応つくったのですが、なかなかうまく機能していないですね。本当はそういうものを考えることを専門にする人たちの集団をわれわれは持っていなければ、例えば学部長とか病院長になる前は皆さん自分の専門に一生懸命なので、なった瞬間というのはよほど特殊な人でない限りほとんど素人で、皆さん一生懸命勉強して数年でいろいろなことをディシジョンされるようになって、それで集まってこれがいいんじゃないかと。私もまさにそういう人間の1人にしか過ぎないんですけれども、やはり考えることの深みが十分なくて、非常に大量の裏づけというものがないんですよね。そういう意味では、そういう組織というものを医師は持っていないと対抗できないんじゃないかと思いますね。そのためにも、じゃあそれをそれぞれのところが持つのかということになりますけれども、医師がしっかりした組織を持っていないというのは極めて残念だなという気がしますね。これだけ危機的な状況なのに分断されてしまっているというのは残念だなという気がしますね。

政策課題を考える専門家集団
○土屋
制度の実務組織
評価・認証組織における実務組織
今お二人のお話を聞いていて、専従者が必要だというところが一つポイントかと思うのですが、先ほど桐野先生が言われた専門医制度成功の条件の2つの組織ですね。専門医制度の実務を行うと。これは専門医制度の、例えば外科の専門医、内科の専門医。この内容については確かに学会に属していらっしゃる、今専門としていらっしゃる方々が学会中心でよろしいかと思うのですが、それをさらに練ってどういう制度かとやるときに、その委員会の下に医師会の日医総研みたいな実務者集団としての事務局、これは専従者が必要だということが一つあるんじゃないかと思うんですね。これは各学会にとってはそんなに大きなものでなくてもいいけれども、実務としてやっていくと。しかも先を見越した調査もやりながら委員会に上げていくということが必要じゃないか。

制度の実務組織
もう一つの評価・認証においては、一番のコアの委員会自体を学部長とか病院長が兼任でやるのではなくて、5人とか6人、それを離れて専従者というか、委員自体が専従でないとなかなか公平な判断ができないのではないかというふうな結論になるかなというふうにお二人の意見を聞いていたのですが、そういう認識でよろしいですか。

確かに評価・認証の方も、コアの委員も専従だけど、その下の事務局というのはかなり大きな組織が多分要るだろうと思うんですね。先ほど言ったレビューをやるものや何かもコントロールしないとならないとなると、そのレビューに行く方は各大学病院とか大学から出していただくにしても、それのプログラムを組むとかというのは、これは専従者の事務局員がいないとできないだろうと思うんですね。今の医療機能評価機構が病院機能評価をやっているような形でのものが実際に教育で動くわけですから、相当膨大な事務局というのが必要になると。これはまさに官費でやらないと多分できないだろうという気がしますし、コミッティが第三者を入れるにしても、その方たちが何年かの任期に専従でそれに当たっていないと多分公平な判断はできないんじゃないかと。どこかの代表者が出てきていたのではまた同じことじゃないかという気がするんです。日本では少ないですが、アメリカのコミッティの最高権威の方というのは皆さん専従で、他の仕事を放り投げてそこへ入り込んで何年かの任期中はそこでフルのお給料をもらうという態度だろうと思うんですね。ですから、その構造を描かないと、今まで日本では委員会というと学部長先生がたくさん集まったり病院長が集まって、帰っちゃうと忘れちゃって病院に専念しているという、それではいつまでたっても変わらないかなという印象で今お二人のお話を伺っておりました。ちょっとしゃべり過ぎましたが、どうぞご意見をお願いします。

評価・認証組織における実務組織
○川越
個々の学会の整合性
川越です。ありがとうございました。先生がおっしゃった専門医制度の確立が必要であると。それを認証するそういう委員会を設置する必要があるということは非常によくわかって賛成なんですけれども、ただ、これは前回のこの班会議でも問題になったかとも思うのですが、この専門医制度を打ち立てていくときにベースになる学会ですよね。そこの問題がかなりある。というのは、非常に歴史を持っている学会があるし、まだ新しい分野ができて、つまり私がやっているような、ちょっと個人的な意見で恐縮なんですけれども、在宅でのホスピスケアというようなことになりますと、これは非常に専門性の高い領域だと思いますけれども、そういう学会はまだもちろんないわけでございますよね。そういうものと、つまり歴史を持っている違うものをどうするかという、どういうふうに整合性を持たせていくかというような問題が一つと、同じ学会と言っても類似のものが結構ございますよね。ですから、制度はできるんだけど、その辺の整理もやっぱり考えておかなければいけないんじゃないかなということを思っているんですけれども、そう思いながら伺っていたのですが、桐野先生のご意見、私的なご意見で結構ですから聞かせていただければと思います。

個々の学会の整合性
○桐野
基本領域の評価と整理の必要性
学会の整理をつけるのは非常に難しいでしょうね。特に日本では全く同じような学会が2つあっても、なかなか合同できないですから。だからといってムニャムニャとやっているわけにはいかないので、一定の議論の後には、それは服してもらうしかないと思うんですね。つまり、ある領域にAという学会とBという学会があれば合同でおやりになるか、それともAかBどっちかを取るかという判断になります。AとBを合同でおやりになるんだったら、まとめて評価をします。AとBを別々におやりになるんだったら、こちらの認定機構としては厳格に評価した上でAを取りますというようなことにならざるを得ないですよね。そうするとBは尻つぼみになってしまいますから、当然そこまで非常に強い決意と根拠を持ってやれば整理がついてくるんじゃないかと思いますけれども。

今、17か18だと思うのですが、アメリカは二十幾つだと思いますけれども、大体それが基本的なボードの数だろうと思うんですよね。それから先のサブスペシャリティのものは、今の議論ではちょっとまだ早い。基本的な、全員がまず1個だけ取るようなボードを日本でどうするかという議論をまずきちんとしておいた方がいいと思うんですね。それについては僕は法的な規制を持ってやらないとうまくいかないと思います。

基本領域の評価と整理の必要性
○土屋
公平な専従者による運営
よろしいですか。そういう学会自体を切る、切らないというのも、専門医に参加できるか、できないかということだと思うんですけれども、それを決める委員会としては、その委員はあらゆる医療施設の組織から離れてある期間やっていないと、その決断というのは多分できないだろうと思うんですね。また、公平に判断したとは思われないんじゃないかという気がします。それで先ほど言ったんですね。やっぱり専従者の委員会をつくらないと、なかなか国民の信頼を得るのが難しかろうという気がいたしました。他にご意見はありますか。

公平な専従者による運営
○有賀
法的な枠組みと自律の関連
先生方がおつくりになった「医療を崩壊させないために」という、先生さっき個人的な意見はその後に述べたので違うとおっしゃったのですが、これを読んだときにも、いわゆるプロフェッショナルオートノミーというか、自律的な医師の固い信念に基づく正しい医療という、そういうふうなことがもうちょっとここにも入っていてもいいんじゃないかなという気は実はしたんですね。そのことと、先生今またお触れになりましたけれども、法的な枠組みというのとはどんなイメージになるのか、僕まだよくわからないんですよね。法律があって全員が加盟しろと。それから、法律があってこういうふうな形で専門医制度をやっていこうという。つまりどういう法律になるのか。つまり、ちょっと嫌な言い方ですけれども、日本国においては脳死の判定基準が法律になっていますよね。あんなばかなことがあったらプロフェッショナルオートノミーも何もないわけで、どうも法律があると何か変なふうになっちゃうんじゃないかなという、そういう負のイメージもあるんです。

法的な枠組みと自律の関連
○桐野
法的規制の必要性
私がまだ大学におりましたところに公務員倫理法というのができたんですね。倫理が法になるといって、そんなばかなと言ったんですけれども、米国のいろいろな規制のやり方というのは自分たちでやりますよね。自己規制というか。それは無人の荒野の中に都市をつくるようなやり方をやります。ところが我が国の場合はどうしても手が少し遅れるために、私権が乱立した駅前再開発をやるようなことにならざるを得ない。そうすると、どうしてもある程度の法的規制をかけて、そしてできる限り自律性を尊重しながら法的規制をかけていかないとどうしてもうまくいかないということが議論になりまして、それで矛盾していると。自らの責任において誇りを持ってやりながら法的規制を一方で要求するというのは矛盾しているという議論はあったんです。それはおそらく最小限にしないといけないし、すべてを役所がやるというやり方は、日本でも医師の間でそれをやると、きっとうまくいかない。できる限り医師の自らの努力で、誇りを持ってやるという言葉がいいかどうかわからないけれども、そういうふうにしないといけないんですけれども、あるところは駅前再開発ですから、そういう規制が要るんじゃないかなという、そういう議論だったと思います。

法的規制の必要性
○土屋
法の位置づけと自律
私もその点、この間、学術会議で開いた市民公開シンポジウムで桐野先生を悩ませた質問をした1人なんですけれども、公の組織をわれわれはつくりたいわけですけれども、今桐野先生が言われたように法というのが入ってくると、どうしても陰に官が出てくると。官が出過ぎるとろくなことがないというのはもう皆さんの一番警戒する今の有賀先生の発言だと思うんですね。ただ、日本ではアメリカのような自律的に公のものをつくる力が残念ながらまだ社会的に育っていないとすると、最低限の法の手助けをもって自律性の高いものをつくっていかないといけないんじゃないかというふうに私は解釈しております。

本来は、自律という以上は法なんかなくても、この集団で決めた決め事をきちんと守っていくと。あの集団は信頼できるんだと国民が皆さん信頼してくれる、それが公なシステムというものだと思うんですけれども、私個人の、これはまさに個人の見解ですけれども、残念ながら日本ではそういう市民的な認識というか、そこがまだ成熟していないと。特にわれわれ医者集団の中でさえそれが残念ながらできていないので法に頼らざるを得ないというのが今の現実かなというふうに受けとめていますが、これは班として押しつける気はないんですけれども、どうもその辺の認識で進めていかないと、なかなか桐野先生たちにまとめていただいたこの要望の実現も難しいかなというふうに今日は伺っております。

法の位置づけと自律
今日は本当は先ほど話題に出た日本医学会からもご意見をということで高久先生にもお願いしたのですが、先ほどご紹介があったように日本医師会の下部組織という位置づけなのと各学会の集合体であるということからいくと、専認協の池田先生のご意見を既に聞いて、日本医師会からもご意見を聞いて、今日学術会議からもご意見を聞くとすれば重複することになるということでお断りのご返事をいただきました。代表として送るとすれば池田先生だろうということで、既にお話を伺っておりますので、こういうことで実は2時間用意したのはこの両団体からお聞きしようということでご用意したのですが、今日はたっぷり時間があったので桐野先生から忌憚(きたん)のないご意見を聞くことができたと思います。もし聞き残しがあればお願いしたいと思いますが、よろしいでしょうか。
 それでは桐野先生、本当にお忙しいところ長時間にわたってありがとうございました。班会議として、今日はせっかく時間がありますので、何かこの機会に皆さんにお伝えしたいということが班員の皆さま方にあればご発言をお願いしたいと思いますが、よろしいでしょうか。

 
○有賀
脳外科医の適正数の考え方
桐野先生も脳神経外科学会の重鎮ですので、せっかくの機会なので桐野先生がお帰りになる前に、脳神経外科医の適正数という話は先般のこの委員会の中でも、心臓外科ではこう考えているけれども、どうも脳神経外科学会は違うのかもしれないと。私も脳神経外科学会の会員なのでそういうふうな議論を聞くんですけれども、例えば救急医療の現場にも脳外科医がいる。神経放射線の診断のプロセスにおいてもかなり中核的な役割をしている。術後においても、残念ながら術後、例えば麻酔科なり他の科の先生方にお願いするというようなシステムもない。リハビリテーションも今、結構あちこちにリハビリテーション専門の病院はありますけれども、よくよく聞いてみると脳外科の専門医をしていたというか、今でもまだそれをメインにしているという先生方もいると。

そうなると、本当の意味で脳神経外科医の数をどう考えるのかという話は、少なくとも手術ということに関してのみのクオリティをコントロールしようと思えば、おそらく症例の数とか、地域性とかということによってそれなりのことはできるんだと思うのですが、今言ったように手術を中心にしたその前後というか、その周辺というか、かなり広い視座を持って脳外科学会そのものが今運営されている。そういうふうなこともあって基礎的ないくつかの中にもちゃんと入っているわけですよね。そこら辺の各学会の専門医の数というふうな形でいったときに、この委員会としてはそれなりのことを言わなければいけないと思うんです。せっかく桐野先生がおられるので、嘉山先生がおられるともっと議論が白熱しすぎるかもしれないので、まずは桐野先生のような比較的ニュートラルな感じの、桐野先生がせっかく見えているので、そこら辺の脳神経外科医の専門医といったときに、その適正な数というのはどういうふうに考えるのかというのをちょっとお聞きした方がいいんじゃないかなと思いました。

脳外科医の適正数の考え方
○桐野
我が国の脳外科医の状況
これは脳外科学会ではしばしば話題になることなんです。脳外科医が5,000人、6,000人というのは、言葉の定義から言えばちょっとおかしいじゃないかという議論が外部からは常にあるわけですね。これは歴史的に見れば各大学の医局が非常にアクティブであったと。しかも、ちょうど先ほど言った各先進諸国が病院数を減らしながらベッド数を集約していった時期に、日本は病院数を増やしながらベッド数を増やしていった時期にたまたま日本の脳外科は非常に数をたくさん養成し始めたわけです。それと同時に脳血管障害が死因の第1位、かつ交通事故が非常に大きな問題であったということから、需要は幾らでもあるということで、1972年に私が卒業したころに米国では脳神経外科医のバースコントロールという言葉が生まれて、やり始めたんですけれども、日本はそれはできないという結論になって、そのまま突っ走ったんですね。しかもそれはその当時の医療の需要から言えば確かに交通外傷や脳血管障害の医療にそれなりの人を供給してきたことは事実なんです。

従って、それをもって脳外科は我が国特有の科であるという主張もありますけれども、それは脳神経外科のリーダーが自ら設計をして、自ら望んでできた事態ではなく、どんどんやっちゃったらこうなったというだけのことなんです。ただ、先ほども言いましたようないろいろなことから、脳外科の中ではこれをあからさまに言うのは非常に難しい。

私は、ちょっと忘れましたけれども、九十何年にコングレスというところで報告をして、既に脳神経外科医のなり手が、初期臨床研修が始まる前ですよ、91年だったかな、脳外科医の希望者がもう減りつつあると。明らかに減少の傾向があって、専門医はまだそんなに減っていないんですけれども、専門医は最初に卒業して脳外科、そのころは最初からストレートですから、最初から入ってくるのは7年後ぐらいの反映なんですよ。だから一番見なければいけないのは卒業したてでストレートでどれぐらい入ってくるかということが重要だと。それも明らかにこうなっているので、これは危険な兆候で、脳外科のあり方を変えるべきだと僕は言ったのですが、ものすごく不評で相手にしてもらえないという状況でした。

その後、初期臨床研修制度が始まったのでわからなくなっちゃった。それで多くの脳外科の先生方は、初期臨床が終わったら脳外科は魅力ある科だから戻ってくるというお考えだったけれども、非常に危険で、このままで行けば、脳神経外科医の1年あたりの数は300ぐらい養成していたのですが、150になると予測したんですよ。現に今そうなりつつあります。つまり半分の数で養成するということは、人口の構成が今まではこういうふうになっていたのが、こんな人口構成になっちゃうわけです。そうすると、一番働かないといけない人たちが少なくて、病院の中で肩を風切って威張っている人たちばかりになっちゃう、そういう科になるわけです。それは構造変革をしていかないとだめだと。もうやれないと。この人たちが走り回って、もし本当に労働基準法無視で頑張るとすると、本当に産科や救急の次に続くのはわれわれであるということになるので、そこはもっと現実的に考えれば、脳外科も徐々に心臓外科のように症例ごとにどうするかということを考える時代なんです。これは必然的にそういう時代で、そうなると思います。もう北海道や一部のところではここ数年間、1人も脳外科医が入っていないという大学がいっぱいあるわけですから。今のやり方は続きません。

我が国の脳外科医の状況
○江口
地域の実情と将来を見据えた議論
そういうお話は先ほど述べましたが、先を見通したビジョン研究を専門医も含め専任の専門集団でやっていないと適切なプランニングができないと思います。先ほど川越先生が言われたように、たとえば、家庭医などの専門分野は、発展途上の新しい医療分野であり、今後20年30年先を見通して,全国の適切な配置をプランニングしなければなりません.専任の専門家集団による社会の動向を先読みして医療プランを設計する作業が必須だと思われます.専門医の仲間内だけで多忙な業務の片手間に検討していても,当面の利害や利権が問題となり、30年先の将来計画は不可能だと思います。たとえば、手術のみならず地域医療として実際の療養指導まで1人の専門医がカバーしなければならない状況を続ける限り,根本的な適切な専門医の配置計画の提言は不可能と思います。やはりシステマティックに社会の動向も含めて長期的視野のもとに専門医の配置などを検討していくような専任の専門家集団を独立して設置する必要があるだろうと思います。

地域の実情と将来を見据えた議論
○桐野
脳卒中の診療体制
もう一つつけ加えますと、ストローク、脳卒中というのは、大体は神経内科医と脳外科医が、神経内科医の方が数が多くて、それに神経放射線医とかそういう方たちが加わってチームで治療するというのが国際標準だと思うんですけれども、日本では神経内科の先生の数がどうしても少ないので、九州とか西の方は結構多いんですけれども東の方は少ないので、どうしてもそれを脳外科医がずっと背負ってきた。それは評価してしかるべきだと言われれば多分そうなんだろうと思います。現場を背負っているわけですから。じゃあそれで今後もこの150人ぐらいの専門医でそれをずっと背負っていくんですかという議論ですよ。それは背負っていくんだとおっしゃるんだったら、それはやってくださいと言うしかないのですが、多分できないと思います。

脳卒中の診療体制
○土屋
専門医集団での議論
江口先生が言われる気持ちはよくわかるのですが、先を見通す人たちが本当に先を見通したかどうかという評価には専門医の年数よりもさらにかかりそうな気もしますし、先を見通す学会もつくっていかないとならないような気もします。この点は、まずは専門医集団に真剣に考えていただくと。その上で総合調整をというような手順で考えたいと思いますが、それ以外に何かございますか。よろしいですか。有賀先生の質問は大変私も聞きたかったところで、嘉山先生とは80%から90%ぐらいは意見が一致するのですが、今の点だけはいつも合意ができませんで、脳神経外科医の数をどういう基準で考えるかと。私は桐野先生側なんですけれども、その辺が大変難しい。

専門医集団での議論
○桐野 多分嘉山先生は、それは言えないんだと思うんです。私は別に脳外科医は急激に数を減らすべきだなんていうことを言っているのではなくて、自然にそうなるよと言っているだけなんです。

 
○土屋 よくわかります。ありがとうございました。他によろしいですか。それでは事務局の方から今後の予定をご紹介ください。

 
○渡邊(事務局)
次回以降の日程連絡
事務局の渡邊です。今日は学術会議の桐野先生においでいただいてご意見をいただきました。次回ですが、11月18日です。17時から19時まで。場所は同じく国立がんセンターで、この場所ではなく研究所の1階のセミナールームを予定しております。全国医学部長病院長会議会長である岩手医大の小川彰先生および山形大学の嘉山孝正先生にお話を伺ってご討議をいただくということを予定しております。同じ日に臨床研修のあり方検討会が文部科学省で14時から16時で予定されておりまして、その後、両先生にご移動いただいて、こちらで班会議ということを予定しております。

その次の会、第5回も日程が確定しておりまして、12月5日金曜日、時間が14時から16時です。場所は慶応大学の信濃町キャンパスで行い、テーマは家庭医・総合医ということで、家庭医療関連の3学会の先生方をお招きする予定でおります。総合医・家庭医についてご意見を伺ってご討議をいただくという予定にしております。また詳細が決まりましたらご連絡させていただきたいと思います。その後、漢方のフォーラムが17時から予定されており、その前にという形で会場と時間をいただきました。

次回以降の日程連絡
○土屋 どうもありがとうございます。ここのところ立て続けで大変申しわけないのですが、何とか年内にある程度めどを立てたいと思いますので、よろしくご協力ください。

今日は桐野先生、本当にお忙しいところありがとうございました。嘉山先生からもちゃんと意見を聞くようにいたしますので。ではこれで終わらせていただきます。

 


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