靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

平人気象論の大概

 そろそろ『素問』を読み返そうとは思うのだけど、現行本で読んだのでは、王冰の、言い換えれば唐代初めの養生偏重の眼鏡を通して読むようで、それは気に入らないので、古くからの体裁じゃないかと思われる全元起本の順に読もうと思う。
 唐代初めの養生偏重というのは、つまり養生さえしていれば病気になんか罹らない、という思想に殉じようということでしょう。それはまあ「恬淡虚無なれば、真気これに従い、精神うちに守る、病いずこより来たらん」というのは上々な宣言で、一般人が書軸にでもしたてて床の間に掛けるには良いだろうけど、鍼と艾を手に、さてこの病苦を如何せんというときには、如何に何でも迂遠じゃないか。
 全元起本の順に読もうと言っても、現行本の『素問』の新校正を見て分かるのは、それぞれの文章が全元起本のどの巻に在ったかまでであって、各巻の中で先後は分からない。まあ、他にどうしようも無いだろうから、全本の第一巻に在ったことになっている篇を、現行本に登場する順に見ていこうと思う。そこで、先ず平人気象論。

旧本素問・(現行本で言うところの)平人気象論

 主な内容は脈診である。
 最初の部分は脈拍の速遅による。脈拍数には自ずから標準が有る。速すぎても遅すぎても良くない。速遅が不規則なのも良くない。当たり前の話である。しかし、脈診の初めは、このような素朴な観察であったかも知れないことは、記憶しておいた方が良い。この脈は、何処で診るのか。まあ、診やすい寸口部で良かろう。大体が、身体のあちこちで脈拍数が異なるということは無いだろう。(古人は有ると考えていたかも知れない。)
 次いで、季節の脈状をいう。この脈は、古い注釈、例えば『太素』の楊上善注などでは人迎で診る。外からの気象の影響は陽である人迎で診るという原則を提示した篇があるのだから、これはまあ良い。季節に応じた脈を拍つといっても、基本はゆったり穏やかであるべきで、それを胃の気が有ると表現する。そこに季節の特徴として、春・夏・長夏・秋・冬の弦・鉤・弱・毛・石が僅かに現れる。現れ方が甚だしければ病であり、季節と相反する特徴が現れれば、その季節になって病むだろうし、相反する特徴が甚だしければ、今すぐにでも病む。長夏という季節を設定したのでややこしいけれど、もともとは四季で、相反する季節の特徴が出ること、すなわち季節の変化に反する陰陽の変化を嫌うのだろう。
 後文の、太陽脈至とか、少陽脈至とか、陽明脈至とかも、季節の移り変わりに応じて脈状は変化することを言っているのだと思う。ただ、一年六季である。三陰三陽であるべき記事の三陰を欠いている。
 弦・鉤・弱・毛・石という特徴と、それが目立ったときに病む蔵は、肝・心・脾・肺・腎で、この関係は、篇末には五蔵の脈診として再登場する。季節の移り変わりに応じて脈状が変化するという記事の方が、恐らくは原始であろうが、各脈状の描写はより具体的になっており、より参考にはなる。また、季節の脈を人迎で診ていたのが、五蔵の脈を寸口で診るという具合に変化しているのではないか。総じて、脈診には寸口部の脈動を利用すればいい、という方向へまとまりつつあるように思う。
 この季節の移り変わりの脈状と、五蔵の脈状の間に雑多な記事が有る。
 先ず、左の乳の下に拍動が有るのは当然である。中で心臓が拍っている。胃の大絡として、虚里の動と呼ぶ。あまりに強く速ければ胃実を疑う。横にそれるようなら積が有るのではと診る。絶えて拍たないようでは死ぬだろうし、拍動が衣服の上からも分かるようでは危険な状態である。
 次いで寸口の脈の状態から、あれかこれかを判断するという記事が有り、「寸口」の二字を欠く記事が続く。「寸口」のとわざわざいうのは、上の季節に応じた「人迎」脈の変化と対のつもりではないかと思われるし、その後の脈とだけいう記事と二重になっているのは、記事の出所が異なることではないかと疑わせる。上には「寸口の脈が沈んで堅ければ、病は中に在り、寸口の脈が浮いて盛んであれば、病は外に在る」と記し、下には「脈が盛んで滑で堅ければ、病は外に在り、脈が小実で堅ければ、病は内に在る」と記したのが、同一人物であったとしたら、いかになんでも整理不足が甚だしい。
 さらに、尺膚の状態と寸口の脈状を合わせて判断していると思しい記事がある。脈診と尺膚診を等価値に考えていた時期も想定できるのではないか。ここでは双方を利用している。
 五蔵の脈が、特定の十干の日に現れると死ぬなどという記事は、評価に値しない。
 臂に青脈が有れば脱血であるとか、水とか疸とかにはどうした症状が出るとかいう記事は、他とそぐわない。どこかから紛れ込んだのではないか。
 そうした中に、手の少陰の脈動が甚だしいのは、妊娠の脈というのが有る。これに関しては、師匠や友人の手柄話も多いが、考えてみれば、神門の脈と即断して可いのだろうか。これが言い出されのが、手の陰経脈が二条であったころ(『霊枢』九針十二原篇の原穴は二条であったころの説)か、三条になってから(『霊枢』経脈篇には手厥陰が加わっている)かは、厳密には分からない。
 後の方で、脈が四時にそぐわないのは難治とが、人は水穀を本にするのだから胃の気が重要とか、改めていうのも、この篇の未整理を思わせる。

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