靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

持針縦舎

『霊枢』邪客篇というのはおかしな篇で,そもそも対話者がはじめは黄帝と伯高,途中から黄帝と岐伯になっている。どうして一つの篇にしたのだろう。そういう途中で話し手が変わる例は他にも有るには有るが,それは内容的に似ているとか,連続しているという理由が有るだろう。この篇ではそんなことも無さそうなんだけど。
伯高の部分も内容は二つで,案の定,『太素』では別の巻の別の篇になっている。まあ,そうした例は他にいくらも有る。
問題は岐伯との対話のほうで,始めと終わりは持針縦舎の話のようなのに,間に手の太陰と手の少陰の流注の説明が有り,手の少陰には腧が無いとか,無いというのは病まないという意味かとかいう話が有る。
で,こういうときの常套手段として,『太素』に於ける所在を見てみたら,ものの見事に巻二十二の首篇(巻初を欠いていて,篇名未詳)と巻九の脈行同異のまだら模様でした。ここまでのまだらはさすがに珍しい。でもまあ,『太素』巻二十二の首篇のほうだけ続けて読めば,まあ持針縦舎論とでも名づけて,まあ理解できないことはない。やれやれと思ってあらためて『霊枢』の注釈書をひもとくと,『素問』三部九侯論の王注に『霊枢』持針縦舎論を引いているが,そんな篇は現行の『霊枢』には無い,だけど引用された文はこの邪客篇のものだから,つまり持針縦舎論というのはこの邪客篇のことだろう,とある。そうだろう,そうだろう。
と思ったけれど,念のために,三部九侯論の王注に引かれた『霊枢』持針縦舎論なるものを調べて見ると,何と「少陰无輸,心不病乎?對曰:其外經病而藏不病,故獨取其經於掌後鋭骨之端」なんですね。かえってますますわけがわからなくなった。

Comments

Comment Form