9月中旬号へ / 10月上旬号へ / 最新号へ

こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

98年9月下旬号

ロザリンド
「あたし、彼がこわいわ。 彼は違う種類の人間だわ。 あたしたちとは違うわ。 まるで違った種類の生き物だわ。 乱暴に違いないわ--まるで獣みたいに……。 あたし、とても……もし彼があたしを手ごめにしようとしたら、 あたし、自殺するわ……」
(『さなぎ』、272頁)


9月下旬の主な話題


今月の15日でウェブサイト開設二周年なので、 今年もアンケートを作ってみた。 手のあいたときにお答えください。(09/01/98)


何か一言


09/21/98(Monday/lundi/Montag)

昨日は真夜中に下宿に戻って、さっさと寝た。 起きたら台風。干していた洗濯物を急いで取り込む。 少し科哲の勉強をしてから、銀行に寄って喫茶店でモーニング。 それから用事で高槻へ。諸々の事情で無駄足となったが、 古本を数冊買う。

それから京都に戻ってきて、 ゲーセン(ばか)と某オムライス屋さんに寄ってから大学へ。

急いで科哲の勉強をしないと。ううう。


うう。まだまだ終わらない。

しかし明日でこれが終わればちょっと楽になる。 その後は30日までに、情報倫理の論文紹介と、 スコフィールドの翻訳の推敲を終わらせて、 10月6日に修論の演習発表のレジメ。うう。 やっぱりつらい。


真夜中

某お好み焼き屋で夕ごはん。 帰りにまたゲーセンに寄ってしまう。ばか。


何か一言


09/22/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

某E研で科哲の勉強中。早くせんと間に合わん。

コーヒーが効いているのか、まだ眠くない。快調。 (こういうときのために、普段はあまりコーヒーを飲まないのだ)


夜明け前

わ〜ん、無理っぽいよ〜。


早朝

やばいやばいやばい。


まだ終わらん。


お昼

授業前になんとかレポート を完成させて、 某師匠と喫茶店でモーニング。 急いで食べて授業に出席。


昼下がり

猛烈な豪雨。風がごうごう唸ってて恐い。文学部新館は壊れないだろうか。

さきほど、非常に眠くなる。 研究室にはたくさん人が居て、寝るのは気が引けたので、 8階の階段の踊り場に行き、三角座りの姿勢でしばらく眠る:-) 下宿が恋しい。しかし、今日無事に戻れるんだろうか?


夕方

演習に出席。某Y先輩のヘーゲルとヘルダーリン。


何か一言


09/23/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

昨日は某師匠と某先輩と某所で夕ごはんを食べた後、 下宿へ戻った。 食事中の議題は、 「いかに非常勤講師が虐げられているか: レポートを無料で添削する辛さを語るつどい」であった。

下宿に戻ったら、一階の某部屋が雨漏りしていたのでびびる。 同居人がビニールのゴミ袋を部屋一面に敷いていた。 こういう場合はバケツを置くものかと思っていた。

それから夜中まで爆睡。 起きてから少し勉強。

夜中にちょっと外に出たところ、 高野川が台風の影響でかなり増水していた。

それから昼下がりまで爆睡。疲れていたらしい。 起きてからちょっと勉強。シャワー。 ちょっとゲーセン。んで、研究室へ。


ちょっとベンタムの勉強。 腹減った。 よく考えたら昨日の夕ごはん以来、 何も食べていない。


何か一言


09/24/98(Thursday/jeudi/Donnerstag)

お昼前

昨日は閉店まぎわの某スーパーで買物をしてから下宿へ。 すぐに(ビジネス英会話を聴きながら)夕ごはんの準備。

大根と人参と玉葱と生姜の入ったみそ汁。 茄子のバター炒め。えのきのバター炒め。 大根と玉葱のサラダ(謎)。 食後にまんじゅう。等。 腹一杯食べる。

左目の奥が痛かったので、早々に寝た。 朝起きると頭痛がしたが、 経験からすると、 どうも目の痛みと頭痛には因果関係があるらしい。 どういう因果関係かわからないが。

しばらく勉強してから下宿を出る。雨。 下宿の玄関を出たところのコンクリートの壁に、 色の褪せたあげは蝶がとまっているのに気付く。 変な色だなと思ってよく見てみると、羽を閉じたまま死んでいた。 人間なら、ちょうど仁王立ちのまま死ぬようなものではなかろうか。

いつもの喫茶店へ。マガジン。サンデー。研究室。


昼下がり

倫理学入門読書会の準備。 コールバーグの道徳性の発達について。 なんて嘘臭い話なんだ。


夕方

哲閲と法閲で雑誌を借りてきてコピー。これから某先生の授業。忙しい。


5コマ目の授業終わり。 モーニング以来、何も食べてないのでお腹減った。


倫理学入門読書会(「普遍的指令主義」その3)終わり。腹減った。


夜中

読書会の後、 数人の読書会員たちと一緒に、 某所で夕食。カキフライ定食。 食後、ちょっと古本屋とゲーセンに寄ってから研究室へ。

う〜ん、朝から起きてるせいか、もうしんどい。 しかしちょっとは勉強せんと。


何か一言


09/25/98(Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

某E研で勉強。 ローゼン氏の論文などを読んでいる。 ああ、やることがいっぱい。


3回生の某君もウェブサイトを開設したそうなので、 リンクを貼っておく。 結構おもしろい。


研究室のソファで爆睡。汗をかく。


何か一言


09/26/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼前

昨日は研究室を出て喫茶店でモーニングを食べた後、下宿へ。


植物園来訪

午前中、ふと思い立って、烏丸北大路の植物園に行ってきた。

入場料は200円。温室に入るのにさらに200円。 京都市は貧乏学生に優しい。

温室の中は楳図かずお状態。というか、漂流教室状態。 気味の悪い植物がところ狭しと生えている。 熱帯とか亜熱帯に住んでいる人々というのは、 毎日こんな植物を見て暮らしているんだろうか。 そういう人達に「ちょっとここに木の絵を書いてください」って言って ペンと画用紙を渡すと、きっと得体の知れない木の絵を描くんだろうな。 いや、お互いさまなんだろうけど。

メキシコとかカリフォルニアの植物のコーナーでは、 これまた日本人の木に対する概念に変更を迫るような、 さまざまな種類のサボテンが展示されている。 「これはもはや植物ではない」と言いたくなってくるようなサボテンもある。 「金鯱」「奇想天外」なんて名のついた植物とか。

もうれつに腹が立ったのは、 アロエのような、葉肉の部厚い巨大な剣状の葉(テキーラと言ったかな?)に、 「マークシ」とか「アツコ」とか、 数多くの「記念彫刻」がなされていたこと。 (注: 「マークシ」は、もともと「マークン」と書かれていたものの上に、 だれかが変更を加えたものと考えられる)

たしかに、 森に生えている木のひとつに、 自分と恋人の名前を彫るというのは罪のない行為のように思えるかもしれない。 しかし植物園に展示されている植物に (しかもそこに展示されているただ一つの植物全体に渡って!) 落書きをするのは、 おれを含めそれを見た多くの人々を不快な気分にさせるという意味で、 功利主義的に正しくない行為であり、許せん。 死ねマークシ。 死ねアツコ。

「人間には二種類ある。 観光地の壁や柱に自分の名前を彫る人間と、 それを見て憤る人間である」 なんて名言風のセリフを考えながら、温室の残りを見てまわった。 スケッチをしている人が二人いたが、 平日のせいか他には誰にも遭わなかった。

温室を出てみると雨。しかもけっこう激しい。 傘をさし、歩いてバラ園へ。 行ってみるとほとんど咲いていないので涙する。 季節じゃないのか。

しばらく園内を歩いていると、雨がどんどん激しくなり、 ついにはゴロゴロとカミナリまで鳴りだした。 急いで北山の出口に向い、出てすぐのところにある地下鉄に乗る。 下宿に戻るまでにずぶぬれになってしまった。 つかん。

先輩と2時から読書会の予定だったのだが、 次の日に延期してもらって、ラーメンを食べて寝る。 (にんにくを細かく切っているときに、左手中指のつめの先を切ってしまう。痛い)


夜中まで寝続けて、起きてから夕ごはん。 冷奴。 人参と玉葱炒め。 等。 それから勉強。

それから再び朝まで寝てしまう。寝すぎ。

午前中にベンタム読書会があるので、 シリアルを食べてから研究室へ。 んで、今まで読書会。


昼下がり

喫茶店でお昼。楳図かずおをパラパラ。 『あり人間』はやはり傑作。 映画化かアニメ化かしないのかな。

それからちょっとゲーセン。古本屋。


夕方

某E研でベンタムの勉強。 今日は一日雨が降ったり止んだりだが、涼しくて良い。


P・J・ケリーの『功利原理と配分的正義』をパラパラ。 鈴虫が鳴いているのもをかし。


夜中

某師匠と某中華料理屋へ。 その後、ゲーセンで射撃物に燃える。


以下は、 ご存知元京大文学部哲学科のそれはそれは偉大な教授であった人の言。 耳が痛い。勉強しなきゃ。

モームのこれらの言葉で、 わたしの驚くことは、 かれが気軽に、 多量の古典哲学書を読んでいることである。 これをわが国にうつし考えてみると、 これだけのひろい読書範囲は、 哲学の専攻学生についても、 ほとんど期待することはできないだろう。 それどころか、 たとえばプロティノスの『エンネアデス』について、 それがプロティノスの書物であることを知っている者さえ、 そう多くはないのだ。

わたしは哲学を志望する学生の試験で、いつも暗い気持ちになる。 哲学のきわめて常識的なことがらさえ、まるで知らない者が多いからだ。 いったい、よその大学では、何を教えているのだろうか。 また哲学を志望するという学生は、いったい何を読んでいるのであろうか。 面接をしてみると、サルトルを勉強したいなどと言い、 それでいて、サルトルの書いている哲学的な書物さえ、 何も知らなかったりするのである。 そしてそういうのが、新制大学の卒業生であったり、 三回生であったりするのだから、驚くほかはない。 おそらく教育が悪く、一般の風潮も悪いためだろうと考えたりする。

まずモームにおけるクノ・フィシャーのような先生が、 なかなか見つからないのかも知れない。 多くの哲学教師は、まちがって哲学をやったような連中であって、 むしろ哲学に対して怨恨をいだいていると言ったほうがいいような場合が 多いのではないか。 だから、そのような人たちとの接触では、古典的哲学者の著作を、 片はしから読んでみようなどという、精神的刺戟を受けることは、 まずないと言わなければならないだろう。
(田中美知太郎、『哲学入門』、講談社学術文庫、1976年、11-12頁)


何か一言


09/27/98(Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

まだ某E研でベンタムの勉強中。さっき椅子に座ったまま少し寝た。

大体修論の形が見えた気がする。 忘れないうちに書き留めておくと、

前半と後半が十分に関連性があるかどうか心配だが、 たぶんなんとか関係づけることができるだろう。 タイトルは、 「ベンタムの功利原理の考察」 「ベンタムの功利原理と道徳的義務について」などになるか。


夜明け前

まだ某E研。 Hareの近著、Sorting Out Ethics(1997)をコピーしてパラパラと読む。 やはりこの人も分類癖があるな。


お昼前

明け方に倫理学研究室に行き、 トマス・ペインのCommon Senseを1, 2頁読んだところで深い眠りに落ちた。 某師匠に起こしてもらってモーニング。

勉強勉強。


昼下がり

『実践哲学研究』の〆切が刻一刻と迫って来たので、 スコフィールドの翻訳の推敲に再び着手。 「本来的」という言葉をつい使ってしまいたくなるが、 本日付けで封印することに決定。 しかし一方で、 「〜するであろうこと」は、 なかなか封印できない。 これも決して美しい日本語とは思えないのだが。


何か一言


09/28/98(Monday/lundi/Montag)

夕方

昨日はちょっとゲーセンに寄った後(病気)、 下宿に戻って睡眠。 起きてから夕ごはんを食べた後、 ふとんに入って少し勉強し、また睡眠。 昼下がりまで延々と寝てしまう。

起きてからシリアル。おにぎり。 ベンタム。入浴。雨。 研究室に行く前に、軽音の練習のコマを取って、 元セブン(西部生協)で自転車のタイヤに空気を入れる。


日が暮れるのが早い。 スコフィールドの翻訳の推敲中。〆切近し。


何か一言


09/29/98(Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

昨日は夜に下宿に戻って夕ごはん。 大根と玉葱のみそ汁。 かぼちゃの煮付け(おいしかった)。 トマトとサニーレタスのサラダ。 茄子のバター炒め。 納豆。など。 食後にアイス。

それからしばらく勉強した後、科哲の予習をして、 遅刻せずに授業に出るために、大学へ。


科哲の予習。ライヘンバッハ。 なるべく早く終わって、少し寝てから、スコフィールドの翻訳の続きをしたい。


夜明け

眠い。


椅子(3つ)で寝る。


お昼

科哲の授業終わり。研究室で復習をしていると、 正装した某先輩が、 某ご両親を連れていらっしゃる。 博士学位の授与式が、某所であったらしい。 おめでとうございます。

科哲のレポートの評価。 まとめる才能ないなあ。 いや、それよりもまず理解力が足りないのか。


昼下がり

某助教授の授業に出席。 国民国家についての話。

科哲の某氏に、ドイツみやげをもらう。感謝。


夕方

第二演習終わり。 某君のシェリングの自由と悪の問題について。


スコフィールドの翻訳の推敲、 とりあえず終わり。 もう一度目を通してから、 謝辞などを書けば完成のはず。 なんとか今日中に終えて、 明日からは修論の演習発表用のレジメを書きたい。


某所で餃子定食。 その後ちょっとゲーセンへ。

眠たい。シャワーを浴びたい。 しかし勉強しなければ。 「したい」と「しなければ」の絶えまなき衝突(葛藤)。


何か一言


09/30/98(Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

椅子を三つ並べて、その上で失神するように寝ていた。 けっこう長い間寝ていた気がする。

さあ、仕事の続き続き。


あのですね、 2周年記念アンケートは一応今日で〆切なんですが、 その、去年よりも回答してくれた方が少ないのはなぜなんでしょうか。 実に、このような「なぜ」を問うのは大変恐ろしいことです。 しかし、 心臓が高なるのをこらえつつ、あえてその原因を分析してみるとですね、

  1. インターネット人口が減った
  2. インターネット人口は減っていないが、 この日記を読む人が減った
  3. インターネット人口も、 この日記を読む人も減ってないが、 アンケートに答えるほど関心を持っている人が減った
  4. インターネット人口も、 この日記を読む人も、 アンケートに答えるほど関心を持っている人も減っていないが、 字を書ける人が減った
のいずれかと思われますが、一体どれなんでしょうか。 わたくしといたしましては、 1または4であることを切に願っているのですが。

早朝

う。夜が明けてしまった。 眠いがまだ仕事中。 あと少しで翻訳の推敲が完了する。


とりあえず、翻訳の推敲完了。 もう少し手直しをする必要があるが、 あとは謝辞と翻訳をすることになった経緯でも書けば完成。 さあ、次はレジメだ。

しかし、 「功利主義と法実証主義との間には必然的な結びつきはなく、 功利主義者は自然法を採用することもできた」とのスコフィールドの主張は、 よくよく考えてみると少しおかしい気がする。

功利主義は、各人の単なる主観的感情ではなく、 (快苦などの)外的な基準に訴えることによって (すなわち、経験的に検証できるということによって)、 道徳において理性的な議論が可能性になると主張している。

その場合、アプリオリに人間を規制する法があるという自然法の主張は、 --まあ、自然法にもいろいろあるだろうが、 とりあえずこういう種類の自然法を想定するとして--、 この議論可能性(検証可能性)の要件に定食、じゃない、抵触することになるはずで、 功利主義は少なくともこの形態の自然法は採用できないはず。 やはり功利主義と法実証主義は(経験的な)検証可能性という点で密接に 結びついているのではないだろうか。

ちょっと、「アプリオリ」とか「検証可能性」とか、 使いなれない言葉を使ってしまったな。


某教授室にあるプリンタの調子が悪いらしいので、 とりあえず、 以前某先輩が置いていったプリンタを持って行ってつなげる。 OSがそれぞれWindows3.1とWindows95の二台のコンピュータにドライバをインストール したりしてたので、結構時間がかかった。

それから倫理学研究室に来て雑用。眠い。


何か一言

your name:

subject:

body:

/


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 22 08:19:20 JST 1999