科学哲学演習レポートその5

September 22, 1998 (Chapter II. Time)

テキストは、 (Hans Reichenbach, The Philosophy of Space and Time, Dover, 1958.) 去年は空間論をやったので、 今年は時間論の始まり(第16章)から。 今回のレポートは第16章から第20章までを2000字以内でまとめる。

(評価)

(段落毎のまとめ)


時間を測定するためには、(1) 地球の自転のような周期的過程を数えることと、 (2) ある非周期的過程に対応した空間的な距離を測ることの二種類の方法があ る。まず時間の単位は、いずれの場合でも、物理的過程への対応づけ定義によっ てのみ与えられる。次に、継起する時間間隔を等しくするためには、等しい周 期を持つと前提される過程を用いればよい。しかし、この「ある過程が時間的 に等しい周期を持つ」という前提は、まったく証明しえない。なぜなら、ある 過程において継起する二つの周期を比較する手段は存在しないからである。そ こで、継起する時間の等しい長さ(時間の一様性)も、物理的過程への対応づけ 定義によってのみ与えられる。ところで、物理学で時間の一様性を定義するた めに用いられる三つの独立の方法は、(1) 自然時計(周期的で閉じた系)による 定義、(2) 力学法則による定義、(3) 光の運動(光時計)を用いた定義である。 ただし、時計によって一様性を定義するのは、単にその定義が記述的な単純さ を生み出すからに過ぎない。また、自然の過程によって決まる時間の流れが存 在すること、およびすべての周期的過程、さらには慣性運動や光の運動までも が時間の同一の尺度となるということは、経験的な事実言明であり、アプリオ リな知識ではない。加えて、自然的過程が一様に流れるというのは、近似的に しか成立しない。というのは、重力場のような外的な力から自由で、正確に等 しい状態に戻るような周期的運動は存在しないからである。こうした外的な力 は、普遍的に作用する力と差異的に作用する力とに区別される。そこで閉じた 系は、差異的な力から自由であるものとして定義され、普遍的な力は定義によっ てゼロとされる。ただしここでも、外部からの差異的な力から完全に自由な系 を作ることはできないので、われわれは「近似的に閉じた」という概念しか定 義できない。

同時性の問題は、空間の異なる点における平行な時間間隔を比較する際に生じ る。以下、同じ場所や隣接する場所における二つの出来事に関しては、同時性 の問題は生じないものとみなし、離れた出来事――人間の身体の大きさと比較 すると、大きく離れた出来事――の比較について検討する。この検討の結果、 離れた出来事の同時性は対応づけ定義に基づくことが示される。そこで、この ことを示すために、この時間の比較が対応づけの特徴を持っていること、すな わち、(1) 二つの離れた時計が時間表示に関して「正確に」合わされているか どうかを確かめるのは不可能であり、(2) それらは恣意的に合わせられたとし ても何の矛盾も生じないことを主張する。(1) については、離れた出来事の時 間比較が可能であるのは、ある場所から別の場所へ送られる信号が因果の鎖で あるからである。この過程によって、隣接した出来事の比較が生じ、その比較 から、原因となる離れた出来事が生じた時間を推論することができる。だが、 離れた二つの出来事の同時性を推論するためには、距離の他に速度を知る必要 があり、逆に速度を測定するためには、離れた出来事の同時性を知る必要があ る。これは循環である。このことは、同時性は知識の問題ではなく、対応づけ 定義の問題であることを示している。また、(2) については、例えばアインシュ タインは「光線がある地点(A)から出発して別の地点(B)に到達する時刻(t2)は、 その光線がAから出発した時刻(t1)とAに戻ってくる時刻(t3)の中間である」と いう形で同時性を定義したが、t2がt1とt3の間にある限りどのような定義をす ることも可能であり、矛盾が生じることはない。それゆえ、対応づけ定義の恣 意性も満たされている。さらに、同時性は特別な二重の特徴を持っている。す なわち、同時性は、その意味に関して概念的に定義される一方で、平行する時 間の尺度のどの時点が同一の時間の値となるかは、最終的には現実の出来事と の連関によってのみ決定されうるという特徴を持つ。

同時性の恣意性に反対して、絶対的同時性を確立しようとする議論を三つ検討 する。(1) 光の速度よりも大きい速度の信号を用いれば、恣意性はより小さく なる、という議論。だが、光よりも伝わる信号は存在しないのだから、この議 論は無意味である。(2) 二つのスイッチが同時に閉じた場合にだけ検流計の針 が振れるような電気回路によって同時性を決定できるという議論。しかし、電 気の伝わる速さは光の伝わる速さと同じなのだから、この試みも失敗する。 (3) 隣接した場所にある二つの時計を同期させた後、一方を移動させることに よって絶対的同時性を確立しようとする議論。だが、たとえこのような移動に よる同期化が一義的に決まるとしても、それは単に同時性の定義でしかないだ ろう。
(以上1955字)


先生の評価

第一段落の「まず時間の…」「次に、継起する時間間隔を…」に関して:

「何のための「まず」、「次に」…か? これをキチンと言ってくれないと 全体の見取り図がわからん」

教訓: 「まず」、「次に」の前に何について論点を列挙しているのかの 説明を入れるべし。

第二段落の冒頭「同時性の問題は…」に関して:

前の話とどうつながる?

教訓: 段落のつながりをはっきりさせる。

第二段落の「この検討の結果、離れた出来事の同時性は 対応づけ定義に基づくことが示される」に関して:

離れた出来事の同時性は対応づけ定義によって決めるほかないことが …(示される)

教訓: 表現は正確に。

「ある場所から別の場所へ送られる信号が因果の鎖であるからである」に関して。

「ある場所から別の場所へ因果的な連鎖により送られるから… (である)」

教訓: 同上。

「例えばアインシュタインは 「光線がある地点(A)から出発して別の地点(B)に到達する時刻(t2)は、 その光線がAから出発した時刻(t1)とAに戻ってくる時刻(t3)の中間である」」 に関して。

「その光線がAから出発した時刻(t1)とAに戻ってくる時刻(t3)の 1/2である」

第三段落の最後の文「だが、たとえこのような移動による同期化が 一義的に決まるとしても、それは単に同時性の定義でしかないだろう。」 に関して:

△そんなことをR[ライヘンバッハ]が言ったか? もとのギロンと大分ズレとる

教訓: 正確に読むこと。

評価: 75点

感想: 結構がんばったけど、結局やっつけ仕事になったんでだめでしたね〜。 次回もなるべく早くから準備しておきましょう。(あんまり反省になってない)


(段落毎のまとめ)

第二章 時間

第十六節 空間と時間との違い

  1. 時間は秩序的図式として空間と類似しているが、一次元であるため、 空間の問題ほど複雑でないと考えられてきた。
  2. だが、時間の問題を空間の問題と並行して考えることは、 時間は空間における問題の多くを持たないことにのみ着目させ、 時間特有の特徴を見逃すことになりかねない。 例えば、個人の心的経験としての時間(心理的時間)。
  3. しかし、まずは時間的秩序と空間的秩序とを並行して考えることによって 生じる問題を検討し、幾何学における哲学的分析による変更が、 時間的秩序に対しても影響を及ぼすことを示す。 最初に、時間間隔における合同の問題を検討する。
  4. 空間と時間を組み合わせて四次元多様体を作ることは、 世界の出来事の位置を決定するためには四つの数が必要であるという事実を 述べているに過ぎないのであり、 それゆえ時間を第四の次元として図式化すること自体は、 時間の概念におけるいかなる変化も含意しない。
  5. このように数学的に表現することの実際的な利点は、 図表を用いることによって視覚化できるということにある。 ただし、四次元に関しては視覚化できないので、 四次元多様体の断面図を考えることになる。
  6. とはいえ、時間と空間を組み合わせて数学的に表現したからといって、 それらに関してこれまで持っていた直観的表象を捨てねばならない、 ということにはならない。
  7. 三次元の空間多様体に対して用いられたのと同じ種類の分析を、 時間に対して用いることによって、時間と空間の四次元多様体が、 古典的理論の法則とは異なる法則に従う新しい型のものであることが、 相対性理論によって見出された。 こうした時間の概念における変化を例証するには、 数学的考察は必ずしも必要ではなく、 時間の知覚的経験に訴えることによっても 相対性理論の発見を理解することができるが、 数学的定式化を用いることでこの四次元多様体の構造の意義をよりよく理解し、 一見不可解に思えるところを払拭することができる。 これから、時間と空間の並行的関係parallelismは客観的には存在しないこと、 および、自然科学においては時間の方が空間よりも基本的であり、 空間の位相的、測量的関係は、時間の観測に完全に還元されうることを示し そして最後に、時間的秩序は、因果の伝達の原形を表わしていることを 認識することを通じて、時空秩序を因果関係の図式として見出すであろう。
  8. 本章では、さしあたり物理的時間と心理的時間(心理的経験としての時間) と区別し、前者のみを考察する。 それによって得られた知見を用いて、 その後に心理的時間概念に修正を加える。

第十七節 時間の一様性

  1. 物理的幾何学の問題に対する答えは、 長さの単位と合同に関する対応づけ定義という考えに基づいていた。
  2. 同様の考察が時間の問題でも行なわれる必要がある。 まず、時間の単位に関して対応づけ定義が必要である。 次に、時間間隔の合同が確立される必要があるが、 このことは時間の一様性の問題を生み出す。
  3. 時間を測定するためには、 (1)地球の自転のような周期的過程を数えることと、 (2)なんらかの非周期的過程に対応した空間的な距離を測ること の二種類の方法がある。
  4. 「実際には時間の測定法があるのではなく、すべての時間の測定法は、 空間の測定法に還元される」という主張は偽である。 (1)の方法は純粋な時間の尺度を用いている。
  5. (1)において、地球の自転のように特別な場合は、 個々の周期も一様に経過するため、 (2)の手法によって細かく分割することができる。 これは純粋に空間的な測量法である。
  6. ここまでを要するに、等しい時間間隔を計るには、 等しい時間の周期を持つと仮定される機構を用いればよい。 すべての時間の経過はなんらかの過程と結びついているので、 時間を計ることは、 なんらかの物理的な機構の振舞いについての仮定に基づいていると言える。
  7. 「ある機構が等しい時間の周期を持つ」という仮定は、 証明しえない。 すなわち、 ある時計の二つの継起する周期を比較する手段はまったく存在しない
  8. 「物理法則(例えば振り子の等時性の法則、慣性法則など)によって、 周期の等しさを証明する」のは循環論法である。
  9. 空間における等しい長さの問題と同様、 時間における等しい長さも、 対応付け定義を用いなければならない。 ここでも、地球の自転などの物理的現象(過程)が 定義によって一様性の尺度とされる。 物理学において時間の一様性の定義のために用いられる三つの独立の方法は、 (1)自然時計による定義、 (2)力学法則による定義、 (3)光の運動(光時計)を用いた定義 である。
  10. これらの三つの定義が時間の流れの同一の尺度を生み出すのは、 経験的事実である。
  11. このように自然の過程によって時間の流れが決まるのだが、 時計を一様性の定義に使うことは必ずしも認識論的に必然であるわけではない。 物理学が時計を用いて定義するのは、 記述的な単純さのために過ぎない。
  12. ただし、この種類の時間の流れが存在し、 すべての周期的過程、および慣性運動や光の運動が時間の同一の尺度となる、 ということは経験的な事実の言明であり、アプリオリな知識ではない。 現実には、重力場が存在するので、 自然的過程が一様に流れるというのは、近似的にしか成り立たない。
  13. 実際、外的な影響から自由であり、 正確に等しい状態に戻るような周期的運動は存在しない。 それゆえ、直接観察された時間を一様な時間と考えるのではなく、 それに一連の修正を施したものが一様な時間であるとして間接的に用いられる。
  14. 長さの比較の定義におけるのと同様に、一様性の定義においても、 普遍的に作用する力差異的に作用する力 を区別する。 そこで、閉じた系(閉鎖系)とは、差異的な力から自由であると定義され、 普遍的な力は定義によってゼロとすることで無視される。
  15. また、完全に外部からの差異的な力から自由な系をつくることは不可能なので、 われわれは「近似的に閉じた」という概念しか定義できない。 とはいえ、この近似の程度は、 系に外的な力と内的な力との関係に依存しており、 ある外的な(差異的な)力の場において、 一つの系は比較的よく閉じているが、別の系は比較的悪く閉じている場合や、 同一の系でも、外的な(差異的な)力によって、 あるときは比較的よく閉じているが、別のときは比較的悪く閉じている場合も ある。

第十八節 実際に使われている時計

  1. 振り子時計は、重力という普遍的な力に属するものによって動き、 また振り子を支えている部分に対して、 比較的大きい外的な差異的力が働いているため、閉鎖系ではなく、 (1)の意味の時計とは言えず、地球の引力が一定の場合にのみ、 一様な時間の尺度として使える。それゆえ、振り子時計は(2)の種類に属する。
  2. ぜんまい時計は、時計の内的な力であるぜんまいの弾性力が、 平衡輪の振幅の周期の長さを決定する力であるため、閉鎖系であり、 (1)の意味での時計と言える。 ただし、ぜんまいの弾性力に多少ずれがあるため、厳密に周期的とは言えず、 また、外的な物理的力からも近似的にしか自由でない。
  3. 地球時計はぜんまい時計に比べてはるかに周期的であり、 また、外的な差異的力も無視できるほど小さいため、 よく閉じた系であると言える。 さらに、個々の周期内においても一様であるため、 回転角による測量によって時間の単位をさらに細かく分類することができる。 しかし、地球がいつ完全に一回転したかは、 環境に相対的にしか決まらないので周期的とは言えず、 (1)の意味での時計とは言えない。 地球の自転は慣性運動であるから、地球時計は(2)の意味の時計である。
  4. 原子時計は、かなり正確に周期的であり、かなり高い程度で閉じた系である。 ただし、電子の回転の周期を決めることは困難であることが量子論によって 発見された。

第十九節 同時性

  1. 同時性の問題とは、 空間の異なる点において生じる平行な時間間隔を比較しようとする時に 生まれるものである。 同時性が定義されなくてはならないことに最初に気づいたのは アインシュタインである。
  2. 最初に、アインシュタインに従って、 同じ場所における同時性と、 空間的に離れた出来事の同時性を区別する。 前者は同時性というよりはむしろ同一性であり、 同じ場所で同じ時間に出来事が同時に起こることを、 一致という。前者や、 隣接する出来事の比較の問題は、 同時性の問題が全く、あるいはほとんど起きないので、 (人間の身体の大きさと比べて) 離れた出来事の比較のみを検討する。
  3. この検討によって、 離れた出来事の同時性は対応付け定義に基づくことが示される。 このことを示すために、時間の比較が対応付け定義の特徴を持っていること、 すなわち、(1)二つの離れた時計が時間表示に関して 「正しく」合わされているかどうかを確かめるのは不可能であり、 (2)それらは恣意的に合わせられたとしてもなんの矛盾も生じない、 ということを主張する。
  4. (1)に関して、雷光と雷鳴について考える。 雷鳴が聞こえたときに時計が8時50分を指していたとする。 この場合は、隣接する出来事の比較をしていることになる。 しかし、離れた出来事である雷光が起きた時間を知るためには、 音のやってきた距離と音の速度を知る必要がある。
  5. 他方、直接雷光を観察することによって雷光の起きた時間を知ることもできる。 しかし、雷光もわれわれの目に達するまでに時間がかかるので、 雷光が起きた正確な時間を知るためには、 やはり(光がやってきた距離と光の速度を考慮した)計算が必要になる。
  6. 離れた出来事の時間比較が可能であるのは、 一つの場所から別の場所へ送られる信号が 一つの因果の鎖だからである。 この過程によって隣接した出来事の比較が可能になり、 その結果から、離れた出来事の時間を推論することができる。
  7. ところで、この推論には、距離の知識の他に、 信号の速度の知識が必要とされるが、 速度はどうやって測定されるのか。
  8. 速度を測定するためには、移動した距離を移動にかかった時間で割ればよい。 しかし、そのためには、離れた場所にある時計が同期している必要があり、 とすれば、離れた出来事の同時性がすでに知られている必要がある。
  9. 反論。フィゾーは、鏡を用いて、一つの時計を使うだけで 光の速度を測定した。 この場合、離れた出来事の同時性は関係しない。
  10. しかし、フィゾーの実験は、 「鏡までの行きの速度と帰りの速度は等しい」という 証明されていない前提を用いている。
  11. そして、この前提を確かめるには、行きの速度だけを測定する必要があり、 そのためにはやはり二つの時計を用いて、 離れた出来事を比較する必要がある。
  12. それゆえ循環になる。
    離れた出来事の同時性を決めるためには速度を知る必要があり、 速度を測定するためには離れた出来事の同時性を知る必要がある。 このことが示しているのは、同時性は知識の問題ではなく、 対応付け定義の問題だということである。
  13. また、対応付け定義の(2)の特徴である恣意性も満たされている。 この定義は一度に光の速度と同時性を決定し、そしてそのような決定は 決して矛盾を生み出すことにはならない。
  14. アインシュタインは「ある地点への行きの速度と帰りの速度は等しい」 という形で同時性を定義したが、これは特殊相対論には必要であるが、 認識論的に必然であるわけではない。 この定義が他のものより好まれるとすれば、 それは記述的な単純さによるものでしかない。
  15. 同時性は、特別な二重の性格を持つ。
    長さの単位の定義の場合、長さの単位の意味は、 「長さの単位とは、ある距離であり、それによって他の距離が比較される」 というように、概念的に定義され、 どの距離が現実の測量のために単位として用いられるかは、 最終的には、なんらかの現実の距離に関連させることによってのみ 与えられうる。 同様に、「同時性」の概念的定義とは、 「離れた場所での二つの出来事が同時であるのは、 それぞれの場所での時間のものさしが、 それらの出来事に対して同一の時間の値を表示する場合である」。 平行する時間のものさしのどの時点が同一の時間の値となるのかは、 最終的には、現実の出来事に関連させることによってのみ決定される。
  16. 上の概念的定義は同語反復であるという反論。
    同時性を平行する時間尺における時間の値の等しさとして定義するのは 同語反復であると主張されるかも知れないが、 この意味ではあらゆる概念的定義は(分析的であるがゆえに)同語反復である。

第二十節 絶対的同時性を決めようとする試み

  1. この節では、同時性の恣意性に対する反論に応答する。 これらの批判は、 絶対的同時性を確立しようというさまざまな試みである。
  2. 反論その一。光の速度よりも大きい速度を用いれば、 同時性の恣意性はより小さくなる、という反論。 しかし、光よりも速く移動する信号は存在しないので、 この議論は無意味である。
  3. 反論その二。 二つのスイッチが同時に閉じた場合にだけ検流計が振れるような、 電流を用いた装置によって同時性を確立する試み。
  4. しかし、この反論は、電流に関して、非常に幼稚な理論を用いている。 感度の良い検流計であれば、 スイッチ一方が閉じただけでも反応を示すはずであり、 また、二つのスイッチが同時に閉じた場合でも、 短かい時間間隔の間に閉じた場合でも、いずれも同じ反応を示す。
  5. 電流の流れも、光の速度であることを考慮しなければならない。 すなわち、検流計の結果にはまったく違いを出さないで、 電流の二つのパルスが順に起きるような短かい時間間隔が存在する。
  6. この装置は結局、信号を送る過程と同じであり、 同様な恣意性が生じる。
  7. 絶対的な同時性を決めるために電気による装置を用いることが失敗するのは、 電気的の影響が光の速度で伝達されるからである。 一見遠隔作用に見える定常回路の関係も、 やはり近接作用であり、近接作用の法則に、 速度に有限性が存在するという主張を加えるなら、 絶対的な同時性を決定する装置はありえない、ということになる。
  8. 絶対的な同時性を決めるために生み出されたこれ以外のさまざまな装置も、 因果の伝達の無限にまたは恣意的に速い速度を前提している ために、失敗する。絶対的剛体を用いた説明も同様である。
  9. 反論その3。「絶対移動時間」を用いて絶対的同時性を決定する試み。
  10. これは、隣接した場所にある二つの時計を同期させ、 それから一方を移動させることによって絶対的同時性を 確立しようとするものである。
  11. この試みは、「時計の時間表示は、移動の道筋と速度に影響されない」 ことを前提としているが、相対性理論によれば、これは否定されている。 どちらが正しいにせよ、移動による同期は、 証明されねばならない経験的前提に基づいている。
  12. たとえ相対性理論が間違っていたとしても、 時計を持ち運ぶことによる同時性の確立は、 時間の比較の定義性を前提しているという意味で、 同時性の定義でしかない。
  13. また、時計を持ち運ぶことは、ある時空点から、別の時空点への 因果の連鎖を生み出す。 この点では、同時性の決定のために信号を用いる方法と変わりはない。
  14. 絶対的な移動時間は、たとえ一義的に定義されたとしても、 同時性の定義しか与えない。 それは、棒による合同の定義と同じ意味での定義である。
  15. これまでの節の結果は以下のように要約される。 時間の測度は、三つの対応付け定義に依存する。 第一の定義は*時間の単位*を問題にし、時間間隔の数的値を決定する。 第二の定義は*一様性*を問題にし、継起的な時間間隔の比較に関連する。 第三の定義は、*同時性*を問題にし、 空間の異なる点においてお互いに平行であるような時間間隔の比較に関わる。 これら三つの定義が時間の測定を可能にするために必要とされる。 すなわち、 これらなくしては時間の測量の問題は論理的に不確定のままに留まる。
  16. もし「絶対的」というのが、 この時間が唯一の時間であるという特性を意味するとすれば、 絶対的な同時性というものも、 絶対的な一様性というものも存在しない。 しかしながら、物理的機構や物理法則の系全体が、 一つの定義をそれ以外のものよりも単純であると区別することはありうる。 この意味においては、絶対的な時間というものはありえる。 たとえば、われわれは経験から、時計や慣性法則による一様性の定義が、 その単純さのゆえに他から区別されることを知っている。 この区別は特殊相対性理論において主張されており、 より一般的な重力場においてのみなくなるものである。 同時性の定義のなかで、 無限に極限に近づく速度、 あるいは時計の持ち運びにもとづく定義が最も単純であることが わかるかもしれない。 それらがそうであるかどうかは、経験的な問いである。 両方の可能性が特殊相対性理論によって否定されている。 そこでこの理論は同時性の定義的性格を明晰にする上で 重要な役割を果たしたのである。

KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Tue Sep 29 12:29:27 JST 1998