哲学の先生: 倫理学はいかがですか?
ジュールダン氏: 倫理学?
哲学の先生: さよう。
ジュールダン氏: どんなことをやるんです。その倫理学は?
哲学の先生: 倫理学は至上の幸福を探求し、 情熱を抑制することを人間に教えるのです。そして……
ジュールダン氏: いや、そいつは願いさげにしよう。 わしはものすごく怒りっぽい性分(たち)でしてな。 倫理学なんか、くそくらえ、その気になったら、 思う存分怒ってみたいんで。---モリエール、『町人貴族』
遅起き。1時には必ず寝るようにしなければ。
結局、東京では昨日桜の開花宣言がなされたそうだ。 テリ・シャイボさんも亡くなったようだ。
勉強中。
パウロ二世が危篤状態にあるらしい。
夜まで勉強。帰宅してからしばらくコンピュータ (正確にはファイアウォール)と格闘。新聞を読んでから寝る。
なぜかお昼すぎまで寝ていた。
メモ。最近気になっているのは、(知的)所有権。 昨日施行された個人情報保護法の背後にあるのは、 個人の機微情報(sensitiveは「機微」と訳すそうだ)は個人のものであり、 本人の許可なく使用してはならないという発想だ。 特許もそう。有体物だけでなく、 無体物もますます私的所有の対象となっており、 みなが自由にアクセスできる共有地が減っている。
…という話は、とくに新しいわけではないだろうが、 ようやく所有権の問題がおもしろくなってきた。 これは、完全義務と不完全義務の話が理解できてきたことと関連している。 このように私的所有権が強調されると、困っている人を助けるのはますます 慈善の問題(不完全義務)になるという流れがあるように思われるからだ。 個人情報においてはこのような問題は起こらないと思われるが、 特許だとジェネリック薬の問題、あるいは抗HIV薬などの医薬品に対する アクセス権という問題が出てくる。これも新しい話ではないわけだが、 まあ現在進行形の問題だと言える。私的所有のことを考えるときには、 持たざる者の扱いについて真剣に考えなければならない。
昼下がり、 自宅からネットで「クロールの上手な泳ぎ方」を調べ、 しばらく畳の上でバタバタ練習してから、 ジムのプールに行く。
息継ぎが少し上手くなってきたなと思ったら、 右足と左足のふくらはぎが続けざまにこむら返りを起こし、 声なき声を上げてブクブクと沈没。 というのは大袈裟だが、痛くて泳げなくなったので シャワーを浴びて研究室に戻ってくる。 次は準備運動をきちんとしよう。
いかん、勉強せねば。
最初に冗談だと断っておくが、 「ジェンダーフリー教育」に対抗して「ジェンダーアリー教育」 っていうのはどうかな。 「男女七歳にして席を同じうせず」 「わたし作る人、ぼく食べる人」といった理念に沿った教育。 男子には『武士道』、女子には『女大学』を読ませるとか。 産経が率先してプログラムを作ってみてくれないかな。
夕方、ちょっとだけ勉強したあと、 夜は池袋で某氏と食事。 スペイン料理を食べながら歓談(ワインボトル半分)。 喫茶店で酔いを冷ましてから帰宅。研究室へ。
ジェームズ・ブラウンのコンサートのように、 死にそうでなかなか死ななかったパウロ二世も、 今回はどうも昇天しそうだ。 苦しみのない死であることを祈る。
夜中に何度も起きる。まあよく寝たようだ。
朝起きると、 パウロ2世が死んだというニュース。合掌。
勉強中。
勉強中。なんとか今夜中にサーベイ論文を終わらせたい(まだやってる)。
主にここ5年分の文献に関するサーベイ論文を書いているせいか、 1992年の本を「古い」と感じてしまった。 近視眼的にならないようによくよく注意せねば。
まだ書けん。
`Everyday tragedies, such as the plight of those in end stage organ failure, are sadly neither extraordinary nor likely to end in the foreseeable future. Thus they are not ones in which we feel a decision need be make -- we cannot morally retrieve organs against the donors' and families' wishes.' (Hamer and Rivlin, J Med Ethics 2003;29:196-200).
末期の臓器不全の患者だけでなく、毎日世界中で多くの人間が死んでいる (1971年にはベンガルで飢饉で人々が死んでいた)。 上のHamerとRivlinのように「だから(thus)」当人や家族の同意なく その人のものを取り上げて死にそうな人に配分することは道徳的に許されない、 という結論はオレには出せない。 たいした人助けも慈善もせず、 夢見がちな意見に映るだろうし、オレもそれは認めるが、 やはりこのあたりの「正義」感覚が、 オレをして功利主義に親近感を抱かしめる理由なのだろう(なんちゅう日本語だ)。
先ほどようやく本文を書き終わったので、 引用文献を付ける作業。めんどくさいが、 これも覚えなければならないことの一つだろう。 今回、本当に体系的に論文を集めたので、 ファイリングの仕方など、ずいぶんと勉強になった。 これまでは行き当たりばったりで、 まじめに論文集めることがなかったからなあ。 いや、これは極秘情報だけど。
腹減った。何も食べていない。
やっと終わった。雨も少し止んだようだし、帰って寝よう。
朝、二時間ほど寝て、お昼前から夕方まで某ベンタム勉強会。死ぬ。 その後、みなで居酒屋で少し食事をしてから帰宅し、昏々と眠る。
やらねばならない仕事があるのになかなか起きられず。 昨日は寒かったが、今日は暖かくなるそうだ。 寒暖の差が激しいので、風邪を引かないように気をつけよう。
というか、勉強しろ。
午前中、勉強会。午後、休む間もなく某ミーティング。今日はフルに4時間。
「やせた」と数人に言われる。たしかに体重計で見ると1キロから2キロやせた様子。 しかし、水泳を始めたからか、DVDレコーダーが夜中に時々「ウィ〜ン」 と出すうなり声のせいで寝不足気味なのか、原因がよくわからない。 とにかく体調の管理に気をつけよう。
帰宅してたまっていた新聞を読む。
なぜこんなに眠いのか。
メモ。 自由学芸(Liberal Arts): 文法、修辞、論理、算術、幾何学、音響、天文学。 専門: 神学、法学、医学。
豊かになると高齢化が進むのは(まあ)避けられない。 しかし、晩婚化や少子化も避けられないのだろうか。 なんとか早く結婚させるか、少子化傾向を逆転させる必要がある。 あるいは移民をもっと奨励するか。
昨夜は両肩にこれまでにない痛みを感じたので、早々に寝る。 午前中に大学に行き、少し雑務。 昼食を食べたあと、プールで少し泳ぐ。あいかわらず息継ぎが下手。 身分証明書が再発行された関係で図書館カードなども更新。
夕方からようやく勉強する気になり、サーベイ論文の手直しをする。 夜まで勉強して帰宅。明日は資源配分の勉強をしなければ。
新緑が目立つようになり、すっかり春めいて来た。
朝起きて洗濯などを済ませて大学へ。医療資源の配分の勉強。 今夜は講義が一つ、明日は講義が二つ(+某セミナー)あるのでたいへん。
一週間前ぐらいから、左目の下が軽いけいれんを起こしている。 疲れているのだろうと思うが、栄養もちゃんと取るようにしよう。
某入門コースが本日開講し、授業。 すでに同じネタで三回ぐらいやっているので、 少しはマシになるが、やはりいろいろ改善すべき点は多い。 がんばろう。
弁当を買って帰宅。
早起きして午前中は学部生向けの医療倫理学の授業。 同じ講義を四回ぐらいやって、 ようやく自分が何が言いたいのか、 またどうやったらうまく言えるのかがわかってきた感じ。 次回はもっとパワーポイントファイルを簡略化させて講義しよう。
夕方、文学部の某セミナーに出席。 aggregationについてのたいへんおもしろい話だったが、 次の予定があるので途中で失礼してしまう。
そのあと、薬学部の某教室で資源配分の講義をさせていただく。 おもいっきり叩かれることを予想していったのだが、 予想に反して暖かく受け入れてもらえたので (結論: 薬学部の人は人間ができている)、 スキップをしながら研究室に戻ってくる(ウソ)。
今週は何かと忙しかった。 週末にちょっと一息入れたら、また勉強しなければ。
昨晩はマンガ喫茶で数時間すごしたあと、 帰宅して新聞を読んでから寝る。朝に一度起きたが、 二度寝してお昼まで寝てしまう。
今日はジムとプールと勉強。
お昼すぎに大学に行き、筋トレとプール。 しばらく筋トレをしてなかったせいか、 いつもにまして筋力が落ちていたようだ。 プールはビート板を使って足と手をそれぞれ練習してみる。
夕方すこし昼寝をしたあと、夜に少し研究室で雑用。 夜、自宅で『アラジン』を見ながら食事。 夜中、ちょっと散歩して桜を見に行く。
今日はほとんど勉強しなかった。明日こそは。
お昼前に起きてから大学。たまっていた新聞の切り抜きなどをやると、 すぐに夕方になってしまう。やばい。
上腕と胸の筋肉が少し痛い。首の凝りはあいかわらず。
昨晩は夜中まで真面目に勉強。
今朝はそれなりの時間に起きる。もうすこし早起きできるようにがんばろう。 雨。
昼下がりまで真面目に勉強したあと、 雨の中、某教室にある雑誌と医図書の雑誌のコピーに行き、 そのあとジムで筋トレとプール。
プールでいつものようにブクブクと溺れていたら、 見かねた指導員のお姉さんに、 息継ぎのときも(逆の)手をしっかり伸ばすようにと指導していただく。 ビート板を使って部分部分の練習をしているのでちょっとましに なってきた気がするが、 やはり端から見るとまだまだ溺れているのだろう。がんばれ。
それから研究室に戻ってくる。つかれて動けず。
夜まで真面目に研究室で資源配分の勉強。 適当に晩ごはんを済ませてから帰宅。
アマゾンに注文していたStereophonicsの新譜と、一枚目、 二枚目のアルバムが届く。
眠くないが目が疲れている。
やっと医療資源の配分の章の原稿を書き終わった。 あとは参考文献のところを完成させて一応終わり。
今週は臓器移植の章と、某授業の準備をしなければ。
雑務をしていた気がする。昼下がりから夕方遅くまでミーティング。
朝の某勉強会が始まったので、そこそこ早起きして大学へ。 昼食前後は雑務など。
昼下がり、またジムへ。少し筋トレしたあと、プールで泳ぐ。 ちょっと進歩した気もするが、あいかわらず息継ぎに苦しんでいる。 4月中になんとかこの問題を解決したい。
研究室に戻ってきてから金曜日の某授業の準備。
メモ。功利主義の特徴は、 行為の善し悪しは直観ではなく推論によってわかるとしている点(非-直観主義)と、 アウトカムによって行為の善し悪しを決める点(帰結主義)。 もちろんその他、総和最大化とか幸福主義とかいろいろあるわけだが、 この二つは区別しておく必要があるように感じている。
功利主義はアウトカムを考慮して、 プロセスに十分に重きを置かないから、 「人格を手段としてのみ扱ってはいけない」 というような倫理が対置されるわけだろう。
メモ。代表的な思考実験についてソースを確認しておくこと。 シェリフ(マクロスキー→レイチェルズのテキストを見よ、 スマート、ウィリアムズ)、 ジムと死刑囚(ウィリアムズ)、 トローリー(フット The Problem of Abortion)、 ダイナマイト(フット ibid.)、 風呂で溺れる(レイチェルズ Active and Passive Euthanasia)、 トラックの運転手を打ち殺す(ハート? こないだ調べたけど忘れた)、 バイオリニスト(トムソン A defence of Abortion)、 花粉(トムソン ibid.)、 サバイバル・ロッタリー(ハリス)、 あとなんだっけ?
夜、適当に夕食を食べて帰宅してからも、金曜日の準備をまじめにやる。 あれ、急がないと間に合わんな。臓器移植のテキストも書かないといけないし、 やばい。
一日、金曜日の授業の準備。夜は某入門コースの司会。
早起き。昨晩はあまり寝ていない。
学部向けの某授業(倫理理論、四原則)。 準備不足、時間不足で散々。 パワーポイントの配布資料を発表してから配るなど、 ケアレスミスも。 なぜそつなく物事を行なうことができないのか。
昼下がりから夕方まで椅子の上でぐっすり寝てしまう。 ジムの会員証を更新したあと、 神田の某先生のゼミに遅刻して出席。 しばらくマクダウェルをやるそうだ。
ゼミに出席している人々と喫茶店でしばらく歓談してから帰宅。 つかれた。
自宅で適当に食事をし、眠いけど新聞を読んだり雑用をする。 明日から臓器移植の章を書かねば。
なんだか忙しい一週間だったな。
日記の更新が滞り気味だな。
この日はお昼からジムで筋トレとプール(ビート板を使って息継ぎの練習をしたら 少しうまくなった)。 昼下がりから某修了生による研究会に参加。夜は某謝恩会に参加。 勉強になる。
夜中に帰宅して、ちょっと新聞を読んだりしてから就寝。 自分の勉強はできなかった。
お昼前に起きて某所に行き、しばらく喫茶店で新聞を読む(quality time)。 それから功利主義関係の某氏らと会い、某所で昼食をしながら歓談。 歩いて本郷まで戻ってくる。
研究室で脳死・臓器移植の勉強。
医中誌webと ref2000を使うと 邦語文献が容易に検索・ストアできることがわかった (正確には以前からわかっていたが、使ったことがなかったのでその便利さを 知らなかった)。これはすごい。
どうでもいいが、教養の講義で取ったアンケートで使って論文を 一本書くというのはすごいと思う。 たしかに大勢いるところでは200人分ぐらい集まるとは思うが、 サンプルとしてバイアスとか考えないんだろうか。 また、インフォームド・コンセントはちゃんと取ってるのか。
昨晩は真夜中まで真面目に勉強してから帰宅。
さすがにいろいろとやばいので、今日も真面目に早起き。
お昼から大学へ。医図書に行き、 「おれが生命倫理学に貢献できるとすれば、 こういう文献学的研究なんだよなあ」とか思いながら、 いろいろ文献をコピー。 Back to basics. Get back to where you once belonged.
Macy Grayのアルバムがamazonから届く。 On How Life Is, The Trouble With Being Myself, The Id。 前から欲しいと思っていたのだが、 なぜ今買おうと思ったのかは忘れた。
夜、某政治哲学研究会。多元文化主義。そのあとみなで夕食。
古い文献(といっても、1980年代のものだが)を読み、脳死の勉強。 間に合わん。
早起き。午前中は某勉強会。マーガレット・ロックの本の書評とか。
昼下がりから某ミーティング。テキストの相談など。 臓器移植の章はまだ書きかけのものを見てもらう。すみません。
夕方、プールで泳ぐ。ビート板でしばらく練習。 顔を下ではなく前方に向けると息継ぎがうまく行くことに気付く。 何も考えなくてもうまく泳げるようになるにはまだまだ先は長い。
食事をしてから研究室に戻ってきた。 良い文章を目にする。 やはり徳があるというのは、 正しいことをすぐにできるということなんだろう。 水泳と同じで、練習して少しずつうまくなる必要がある。
メモ: 実体としての倫理(ちょうど現行法あるいは実定法があるように、 現行の倫理あるいは実定道徳があるという意味での倫理)と、 それを批判する倫理的思考(ハートが実定道徳と対比させる批判道徳)がある。 というか、ある理論では、あるとされる。
むかしからこの両者の関係がわからないわけだが、 ハートやベンタム?のように両者を峻別せずに、 判例法的思考で両者を結びつけた方がよいのかもしれない。 すなわち、批判道徳というのは、あくまで実定道徳を背景として持ち、 実定道徳を批判するための道徳原則は実定道徳の中から取り出したもので、 その原則によって実定道徳に整合性を与え、また新しい意思決定に用いる、 という感じ。 判例法が生成し、形を整え、法格言を生み出すのと同様に、 倫理も生成し、形を整え、倫理原則を生み出す…という感じだろうか。
他の人にはわからないかもしれないし、 自分でもあとから読んだら意味不明の気もするが、一応メモ。 とにかく判例法的思考と倫理的思考をアナロガスに考えると よいかもということだ。
帰宅。つかれて動けず。
今日は朝起きて大学へ。午前中は教室の某勉強会。 同僚たちとお昼を食べたあと、 お昼すぎからしばらく教室の大掃除。
昼下がりからAnne MacleanのThe Elimination of Moralityを読む。 「すべての生命倫理学者は功利主義者である」とか極端な見解はともかくとして、 合理的思考を強調する哲学者・倫理学者に対する執拗な攻撃には 一理ある(というか、自分のことを考えたときに反省すべき点もある)気がするので、 よく読むこと。
夜に新聞の切り抜きをしてから帰宅して、ちょっと仮眠したあと、 臓器移植の勉強。日本の臓器移植反対論を読んで腹を立てる。 死刑制度にしろ、臓器移植にしろ、オレが関心を持つきっかけは、 こういう反対論に立腹することなんだよな、とか思う。 しかし、重要なのはそれに対してきちんとした応答をすることなので、 腹を立ててるだけでなく、冷静になってきちんと考えること。
お昼前に起きて大学へ。もうちょっと早起きするようにしなければ。
代替医療の勉強を少し。まずEncyclopedia of Bioethics 3rd ed. の`alternative therapies'の項目から。 正統性をめぐる戦いということで、 宗教と類似的に考えるという視点が新鮮。 さしずめ西洋医学は国教会とかカトリックという感じか。 一部の代替療法は信仰宗教みたいなもので、 わらにもすがる思いで代替療法に手を出すというのは、 いかにも宗教と同じ感じがする。 代替医療が部分的に認められつつある現在は、 寛容と体制への取り込みが進んでいると考えられるかもしれない。
科学と医学だけでなく、 宗教と医学というのも結びついているだろうし (病気と罪の関係、神秘主義、禁欲、純潔など)、 このあたりは歴史をちゃんと調べないといけない。
19世紀初期の「西洋の正当な医学」は血を抜いてみたり(bloodletting)、 水銀や砒素を飲ませたりしていたようだから、 それに対して「熱によって病気を治す」 とS・トムソンが薬草療法を打ち出したというのも、 どっちもどっちという感じだよなあ。 しかし、西洋医学はこのあと「科学的」「検証可能」 という武器を持って他の医療をけちらしていくんだろう。 (いや、まだ調べはじめたばかりなので適当なことを書いています)。
夕方、ちょっとジムに行き筋トレとプールで泳いだあと、 某研究会に出席するために銀座へ。研究会の開かれた部屋が冷房で寒いのと、 プロジェクタの光がモロにこちらに向かって反射していたのとで、 途中気分が悪くなったが、全体的にはおもしろい研究会だった。
研究室に戻ってから代替医療についてさらに少し調べもの。 Daniel Callahan編でAlternative Medicine and Pluralism というおもしろそうな本が出ているので、購入してみよう。
明日の授業の準備もしなければ。
早起きして某授業。といっても、今日は某教授の補佐をしただけだが。
お昼を食べたあと、ちょっと下宿に寝に帰り、戻ってきてからしばらく勉強。
夕方、某先輩が来たので某教授と翻訳の件で打ち合わせ。 ゴールデンウィークは休暇ではないことを再度確認させられる。 もちろん休暇も返上で仕事します。企業戦士ならぬ独法戦士ですから。
夜、某夫婦と某所で某。少し癒やされる。 夜中に研究室に戻ってきてからまた仕事。 残念ながら今日は神田の某ゼミに行けなかった。
今日は朝遅くに起床。 ベルモント・レポートの25周年記念のサイトを見ていると、 つい某授業の集合時間に遅刻してしまう。 夕方の懇親会まで授業に参加していたが、 今日はあまり働かなかった。反省。 次回はきちんと役目を果たそう。
夜、ジムに行き、(筋肉痛なので)少しだけ筋トレをし、 そのあと泳いだ。まだまだ修業が足りない。
夜、某韓国料理を食べてから帰宅。 『救命病棟24時』の番外編(総集編)を見ているとすっかり遅くなってしまう。
メモ。脳死反対の議論と死刑反対の議論に共通しているのは、 専門家が誤判定の可能性によって制度全体を否定しようとしている点。
朝、郵便配達と宅急便が来て起こされる。 お昼すぎ、本を読みに某スタバに行くが、混んでいたので研究室へ。 そういえば、 3号館の裏で飼われているヤギに子どもが二匹産まれたようだ。
夕方から脳死の勉強。臓器提供反対論の多くには、 「何があってもオレの体はオレのものだから、誰にもやらん」 という信念が前提されている感じで、なんともケチくさく感じる。 あえて非難めいた言い方をするなら、 これが臓器ではなく金銭だと守銭奴なわけで、 臓器提供せよという社会的圧力を 「バイオ・ファシズム」と呼ぶなら、 臓器に固執する立場は「バイオ・エゴイズム」だろう。 いや、どうも最近はエゴイズムはあまり非難の意味を持たないようなので、 これでは悪口にはならないが。
夜、春日にある少し高い料理屋で食事をしてから帰宅。脳死の勉強。 そろそろテキストを完成させないとやばい。
早起き。非常に恐い夢を見ていた気がする。
午前中から大学に来て勉強。もう少し早く来れるようにしよう。
給料等の振込を先日作った某銀行に変更する手続をする。 こっちの方がいろいろ便利そうなので。
メモ: ベンタムの研究なら、基本的に文献学的にやるしかないが、 生命倫理学は必ずしもそうではない。 自分にふさわしい研究方法を模索すること。
自己決定に基づく脳死・臓器移植が許されるんだったら、 自己決定に基づく脳死・人肉食も許されなければおかしい、 という議論を何度か目にした。 道徳判断の一貫性に訴える議論だ。
そう主張する論者が言うように、 第三世界の人の飢餓を緩和するためにそうすることが本当に必要だったら、 そうすべきだろうと思う。 しかし、 おそらくこの方法は最善の方法ではなく、 第三世界の人々が望む方法でもない(と思う)。 むしろ、金銭的・人的な援助を通じて、 農地や公衆衛生の改善の手伝いなどをすべきだろうと思う。 これは、優れた人工臓器という手段が利用可能になれば、 脳死・臓器移植がおそらく必要なくなるというのと同じだ。
メモ: 人の全細胞が死ぬときが人の死だとすると、 対称的に考えれば、 人の生は細胞が一つ生じたときから始まることになる (必ずそういうことになるわけではないが)。 しかし、これは受け入れがたい。したがって…。
尼崎の方の脱線事故でたくさんの死傷者が出た模様。合掌。 航空機にしろ、電車にしろ、 安全管理がなっとらんという社説が明日の産経に出そうな気がする。
遅い昼食を食べに某所へ。 某所というのは赤門のそばの「まぐろ市場」なわけだが、 ここの名物は「ばくだん丼」という、 納豆とネギトロとおくらとイカなんかがのった丼。 なぜ「ばくだん」と呼ぶのか知らないが、 おいしいのでよく食べる(今日は別のものを食べたが)。
しかし、店の人は注文を取ると「ばくだん一丁っ」とか大声で叫んでいるので、 まぐろ市場が羽田空港や成田空港の中にできたら、 その度にテロかと間違われてたいへんだろうなあとかバカなことを考えながら食事。
夕方まで脳死の勉強。そのあとちょっとジムに行き、泳ぐ。 ちょっとうまくなった(気がする)。 購買部でおにぎりなど買ってから研究室に戻ってくる。
ロールズの正義の二原理にかなった学級編成というのを考えてみる。
ある高校の生徒会会長と副会長がロールズの正義論(翻訳が絶版なので原書) を一緒に読んでいたく感動し、正義の二原理にそくした学級編成をしようと考え、 全生徒を広場に集めて次のように呼びかけた。
「ロールズによればっ、高校のっ、基本的制度はっ、正義にっ、のっとってっ、 なければっ、ならないっ」(大歓声)
「そこでっ、うちの高校のっ、あり方をっ、みんなに考えてっ、ほしいとっ、 思うのですっ」(大歓声)
ここで副委員長がロールズの理論を説明する。
「え〜、要するに、自分が高校でどういう成績を取るかわからないという状況を 想像してください。理系か、文系か、体育が得意か、成績上位か、落ちこぼれか、 そういうことはぜんぜんわからない状況で決めないと、正義にかなったルールは 作れないというのがロールズの『無知のヴェール』というやつです」(ざわめき)
「みなさんのなかには、クラス別成績編成にして、 成績が上位の人に机を二つ上げたり、落ちこぼれには机も教科書もやらなくていい、 と考える人もいるかもしれません。しかも、このように成績上位の人を優遇し、 落ちこぼれを冷遇することで勉強するインセンティブが増し、 高校全体の成績は向上するかもしれないと考えるかもしれません」(「そうだそうだ」 という一部の声)
「しかし、ロールズ的にはこういう功利主義的なのはダメなのです。 こういう発想は、自分が落ちこぼれにならないと信じているから言えることで、 自分が落ちこぼれになった場合、すなわち最悪のシナリオを考えてください。 最悪のシナリオでもそこそこな待遇が保証されていないような高校は、 正義にかなっているとは言えません」(「その通り」という一部の声)
「そこで、ロールズ的には、みなさんは次のような制度を選ぶものと思われます。 まず、成績のいかんにかかわらず、机、ロッカー、靴箱、授業を受ける機会などが 保証されていること」(歓声)
「次に、成績別クラス編成が認められるのは、 誰でも上のクラスに行ける機会が公平に保証されていて、 しかもこの制度によって最も落ちこぼれの学生が最大の恩恵を受ける場合です」 (ざわめき)
「つまり、成績別クラス編成によって学校の評判が高くなったり、 先生の質が高くなったりして、 その結果落ちこぼれの学生の成績が底上げされる場合です」(歓声)
ここで会長が再びマイクを握る。
「みなさんっ、これこそがっ、フェアな高校ってもんじゃっ、ありませんかっ」 (大歓声)
「それではっ、各人のっ、善の構想をっ、自由に追求してっ、くださいっ」(大歓声)
しばらく研究室でうたた寝したあと、 某バーガー屋で食事をしてから帰宅。 このバーガー屋はおいしいが、分煙していないのが難だ。 分煙がしっかり行なわれるようになるまで行かないようにしよう。
さて、勉強せねば…。
早目に寝て早起きして勉強しようと思ったが、 なかなか寝つけなかったので少し臓器移植について勉強。 当然だが、まだまだ知らないことは多い。
夜更ししたせいで寝坊。やばい、原稿が…。
(上の「せいで」は言い訳だろう。 「夜更ししたけど早起き」というのもありえる。もっと早起きの徳を身に付けねば)
やばい。
昼下がりからミーティング。 結局今日も時間切れで、中途半端な発表をしてしまう。 遅刻もするし、完全義務を果たせないダメな人間だ。 気を引きしめてがんばれ。
雑務をしてから帰宅。眠い。
NHKの10時のニュースを見ていると、途中で寝てしまい、夜中に目覚めてしまう。 すこし脳死の勉強。
なぜかまだ起きている。よくない。もう寝よう。
どうでもいいが、二階の人が夜中じゅう、いろいろ叫んでいる。 引越してきてまもなく気付いたのだが、 最近は真夜中はよく寝ているせいか気付かなかった。 なんなんだろう。管理人に言うべきか。
朝寝て、朝起きる。なんとか朝の勉強会に出席。眠い。
某先生においしいパスタ屋に連れていってもらう。
昼下がり、新M1生の指導。英語の力を付けるために文献講読を始めた。
夕方、〆切が過ぎていた某翻訳の三校に手を入れ、郵便局に行き速達で投函。 あとはテキスト執筆と某翻訳の手直し。 月末に某学会の発表申込の〆切があるので、それも出さないと。
夜、某母親と後楽園で食事。
一仕事終わったと称して、ついマンガ喫茶に行ってしまう。まずい。
なんとか起きる。勉強しなきゃ。
腱鞘炎なのか、昨晩から右手の手首を内側に曲げると痛い。 どうしよう。
不動産屋で家賃を払ってから大学へ。 医図書と総合図書館に行くと、両方とも休館日。 医図書は5月5日まで休みのようだ。しまった。
某出版社から『現代用語の基礎知識2005』のCD-ROM版をいただく。 ハードディスクに入るので便利。一応宣伝。
amazonで調べると、 『現代用語の基礎知識 1991〜2005 15年分特別パック (限定2000本)』というのもあるようだ。いいなあ。
昼はうなぎ。
法における「人」の定義を見ていると、「一部露出説」とか、
「全部露出説」とか書いてあって興奮する興味深い。
もちろん、胎児が母体から全部出た時点で人とみなすか、
一部出た時点で人とみなすか、という話だが。
刑法ではいずれを取るかで堕胎罪か殺人罪の適用範囲が変わってくる
という違いがある(通説は一部露出説だそうだ)。
民法では権利・義務の主体となるのは全部露出してからというのが通説だそうだ。
「権利ばかり主張して義務をなさない最近の日本人は母体からまだ半分しか 出ていないのではないか」という産経抄的なフレーズをつい考えてしまった。
哲学で衝撃を受けた(物の見方が変わった)といえば、どういうことがあるだろう?
まだもうすこしある気がするが、忘れた。 カントやヘーゲルにお礼を言う必要はあったかな。 デカルトとパスカルにも何か教わった気がするが、何だったか忘れた。
こういうのを考えると、やっぱり哲学とか倫理学というのは 人の生き方を変える気がするな。
夕方、ジムのプールで少し泳いだあと、某授業に参加。 守秘義務の話はおもしろいなあ。 あ、カトリックの神父の守秘義務について 調べないといけないと思っていたんだった。
授業終了後、しばらく同僚とビールを飲みながら雑談して、帰宅。 眠い。
つい半日寝てしまった。
某後輩の某書類に目を通す。 どうも今年も科研費がだめだったようなので、 あんまり説得力がないんだけど…。
夕方まで自宅でうだうだしたあと、 勉強する気が出ないので、 某スタバで新聞。
ガーディアン紙のアンドレア・ドゥウォーキンのObituaryを読む。 下の引用は、死ぬ数週間前のコメントで、 なぜDVやレイプなどひどい目に会ってきた彼女が、 女性のために闘っているのかという問いに答えた部分。
女性はみんな鎖でつながれています。みんな虐げられていますから。 だけど、大人になるまでレイプされたり暴力を受けたりせずに済んだ女性は、 そういったことを経験した女性よりも鎖の長さが余計にあります。 本来なら、鎖が一番長い女性たちがもっと他の女性を助けるべきです。 だけど、現実はそうではないから、わたしたちが闘っているのです。
Guardian Weekly, April 22-28, 2005.
そういえば、昨日はNHKで日本UNICEF協会大使のアグネス・チャンが つたない(?)日本語で、ダルフールの窮状を必死で訴えていた。 ここでも、鎖の長い人々の多くは鎖が短い人々の窮状に気付かない。
テキスト書き。「脳死は人の死か」という問いをどう説明するかでてこずって、 なかなか進まない。やばい。
夜、ラーメン。そのあと、ついマンガ喫茶に行ってしまう。
う、また寝すぎた…。今日は遊ばずに真面目に勉強しよう。
某学会の発表申込の〆切が今日だったので、急いで出す。 今回は珍しく(というか初めて?)先に論文が出来ているので、 申込書を書くのは楽だった。今後もこうありたい。
フロリダの13才の少女が妊娠したので中絶しようと思ったら、 そのことを知ったフロリダ州政府が介入して、 「少女は中絶の判断をする十分な能力がない」 という理由で、 実質的に中絶をさせない旨の裁判所命令を勝ち取ったそうだ (BBC News)。
すべての生命は神聖だという理由ならまだしも、 妊娠した女性に対して、 十分な判断能力がないから中絶はだめというのは無理がないか。 まだ妊娠3ヶ月なら、 あと1週間中絶について十分に説明して、 彼女の自律的判断を援助すればいいのではないか。
そもそも、 「十分な判断能力がない女性は妊娠しても中絶してはならない」という主張は 一貫して主張できるだろうか。 この少女がレイプされていた場合だとどうだろう? 州政府は中絶してはならないと判断しただろうか?
この13才の少女は、 十分な判断能力があってセックスしたわけではないとすれば、 有効な同意なしにセックスしたわけで、 レイプされたのと同じとみなすべきではないか。 だとすれば、 州政府が十分な判断能力のない女性がレイプされて妊娠した場合に 下す判断と、今回のケースについての判断は同様な仕方でなされるべき だということになる。
研究室に来てしばらく某翻訳。いろいろ仕事が…。
ジムで水泳。平泳ぎなら結構泳ぎ続けられることを発見。 息継ぎが楽なのと、クロールに比べて運動量が少なくて済むからだろうか。 今度から両方練習するようにしよう。
調子に乗って泳ぎすぎ、疲弊する。指までだるく、動けない…。