2005年2月号 / 2005年4月号 / 最新号

こだまの世界

2005年3月号

We got to live together!

---Sly and the Family Stone, `Everyday People'

「投資家にとって邪道かどうかは関係ない。 ずるいと言われても合法だったら許される。 倫理観は時代で変わるから、ルール以外に(よりどころは)ない」

---堀江貴文、ライブドア社長


主な話題


01/Mar/2005 (Tuesday/mardi/Dienstag)

夜中

朝遅く起き、大学。 お昼に医図書に行き、文献を調べる。 昼下がりまで資源配分の勉強をしたあと、 某ミーティング。

夕方、しばらく休憩。そのあと、ちょっと勉強し、 食事を適当に食べてから帰宅。 救命病棟24時を見ながら雑用。

どうにも低調だ。無能症。ウツ? いかん、映画でも見て元気だそう。


02/Mar/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

昨夜は『ヴァン・ヘルシング』を見てから寝た。 映像が凝っていて見ていてそれなりにおもしろかったが、 内容がないのですぐに忘れるだろう。C。

朝起きて、某勉強会に出席。そのあと、某他学部の某ミーティングに出席。 医図書でちょっと雑誌をコピーしてから、研究室に戻ってくる。 昼下がりからは雑用。勉強しなければ。

ハンセン病の報告書が出たが、その教訓を生かして患者の権利の法制化の話が 出ているらしい。これは本当に日本の「タスキギー」になる可能性が出てきたな。 この報告書はどうしたら入手できるんだろう?

あ、要約版が日弁連法務研究財団のホームページで もうすぐ読めるようになるそうだ。

真夜中

夜、ジムに行きワークアウト。けっこうがんばった。 夕食を食べてから大学に戻り、 しばらく某作業。 そのあと、ようやく某サーベイ論文の作業を再開する。ちゃんとやれ。

この大学の図書館から他大学の図書館に文献複写を依頼する 「Webリクエストサービス」というのに(ようやく)登録したので、 今まであきらめていた論文をいくつか依頼する。 この大学は結構取ってない医学雑誌があったり、 EBSCOなどの大手の電子ジャーナルとも契約していないので今ひとつ不便だ。 しかも、医図書にあった1980年代以前の洋雑誌は昨年末にすべて某柏図書館に 移管されてしまい、当分の間借り出すことができなくなってしまった。困る。

真夜中2

調べものは終わらなかったが、遅くなったので帰宅。

先の柏図書館への移管の話だが、 すでに完全に終わったらしく、 今後はコピーを頼むとPDFにして送ってくれるようになるそうだ。


03/Mar/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

昼下がり

昨晩夜更ししたせいもあり、遅起き。お昼ごろに大学へ。

某氏と昼食を食べたあと、法学部の図書室に行き、 若干の資料をコピー。ここの図書室は不便なところにあるし、 コピーカードを買おうとしたら販売機が新札を受けつけないとか いろいろ嫌な気分にさせられるが、 今回は司書の人が比較的親切だったので助かった。 あまり期待を高く持たないようにすることが大切だ。 Don't expect too much from people.

研究室に戻ってきてしばらく雑用。 ついでに、某大手外販にずっと待っていてもらった書籍代を振り込む。 30万弱。しくしく。今年は科研費が当たるといいんだけど…。

オレたちじゃない、火を付けたのは
ずっと燃えてたんだ
地球が回り出してからずっと

オレたちじゃない、火を付けたのは
そう、オレたちじゃなかった
だけど炎に立ち向かってる

オレたちじゃない、火を付けたのは
だけどオレたちが死んだあとも
炎は燃え続けるだろう、ずっと、ずっと、ずっと…

(Billy Joel, We didn't Start the Fire)

夜2

夜は駅前の韓国料理屋で。雨に降られる。寒い。

勉強も捗らず。夕方は某書類に目を通していた。

昨年の6月以降、日本では生命倫理に関してどんな事件が起きただろうか。 ちょっとまた調べてみよう。何か年表のようなものでも作っておくべきだな。 あ、同僚の某氏が中心になって作っている生命・医療倫理学基礎資料が役に立つな。


04/Mar/2005 (Friday/vendredi/Freitag)

夕方

朝から雪。積もっていたが、午後には止む。 大学に来て某氏と某作業とか、勉強とか。 英国でも大雪になっているようだ。

某所で特任研究員の公募が出ている。 興味のある方はどうぞ。

勉強中。あいかわらず首が痛い。なんとかならんかな。

夜2

某勉強中。間に合わん。

真夜中

某氏と居酒屋で食事をしてから帰宅。ビール一杯と焼酎。

最近、「〜とは思う」のように、 ひんぱんに「は」を入れる表現をよく耳にする。 あんまり好きではないが、いつのまにか慣れ、 自分でも使ってしまうようになるのだろう。

真夜中2

もう寝ないと。

功利主義に関しては二つの対立軸がある(いや、もっとあると思うが)。 一つは、 「行為が悪いのは、その帰結が悪いからである」という立場と 「帰結ではなく、それ自体が悪い行為がある」という立場の対立。 もう一つは、公共の福祉(全体の幸福)と個人の権利という対立。

この二つは「個人の権利を侵害する行為は、どれほど帰結が良くてもやはり悪い」 という仕方で結びついているので、実際は一つだろうか。


05/Mar/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼

早起きして某授業の手伝いに。ちょっとウツになることあり。

それはともかく、Think big. いや、Think bigger.

昨夜気付いたが左上の親不知はほぼ完全に生え出ている。 虫歯になる前に抜いた方がいいかなあ。

昼下がり

いったん下宿に戻って洗濯物を干したあと、 ふたたび大学へ。少し某氏の手伝い。

`tsunami'の次は`mottainai'が流行りそうだ(毎日新聞)。 そのうち「もったいないおばけ」のCMが世界中で流れたりして。

ノロノロと某サーベイ論文の勉強。間食は進むが筆は進まない。

メモ。パーソン論をやるときは、 パーソンという概念(or 人格かモノかという区別)の重要さを強調する必要がある。 また、胎児や胚、あるいは脳死体がパーソンなのかどうかというのは、 道徳的地位が問題にされるように、 道徳的あるいは法的な問題であり、 科学によっては解決されないという点をうまく理解してもらう必要がある。 意識があるかないか、痛みを感じることができるかどうかを決めるのは 科学の仕事だが、 「痛みを感じるものは人格(であるから、他の人間と等しく扱われるべきである)」 という判断は倫理的なもの。

夜2

まだ勉強中。トイレの鏡で顔を見たら、 目の下に隈ができていてびっくりする。ちょっと休憩しよう。

メモ。カントの「単なる手段としてではなく同時に目的として…」というのも、 モノではなく自分と同じ人格として扱えということだ。

某先生から教えてもらったStephen WilkinsonのBodies for Sale (2003)はよく書けていておもしろい。自分でこのぐらい書けたらなあ。 この本からNussbaumの`Objectification'(1995)に飛び、 さらにカントのLectures on Ethicsへ。 カントの結婚の話はいつ読んでもおもしろい。

男が女を性的欲求からのみ愛したとすれば、これは愛ではない。 それは性欲だ。 愛とは、人間の感情としての愛とは、 幸福を願うことであり、仲良くしようとすることであり、 他者の幸福を促進しそれに喜びを感じることである。 ところがしかし、性的欲求しかもたない人が相手を愛するときは、 以上の真なる人間的感情のいずれも動機になっていないことが明らかであり、 相手の幸福にまったく関心がなく、 それどころか、単に自分自身の欲求や性欲を満たすためだけに、 相手を最大の不幸に陥らせるのである。 性的欲求から愛することにより、 人は相手を欲求の対象(モノ)にしてしまうのである。 相手を所有し、欲求が満たされてしまえば、 ちょうどジュースを絞りとったあとのレモンが捨てられるように、 その相手は捨てられてしまう。

---Kant, Lectures on Ethics

この分析の鋭さ。功利主義を知るよりも先にこの部分を読んでいたら、 きっと今ごろはカンティアンだっただろうと思う。 しかし、 「結婚した場合にかぎり相手をセックスのためのモノ扱いせずに 人格として扱うことができる」というカントの見解は、 結婚に対する幻想としか思えない。

どうでもいいが、 フェミは授業中にセックスとかポルノについて堂々と語れるので楽しいんだろうなあ。

アロンは自分の××を指して、
《ほらね、君がフェミニストだったらこの××について語れるんだよ、 そしてそれは哲学なんだ!》
サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。 それは彼が長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。 つまり××について語ること、 彼が触れるままの××を……そしてそれが哲学であることを彼は望んでいたのである。

他愛のない冗談なので哲学関係者は怒らないように。

真夜中

ひええ、結局まだサーベイ論文は終わっていない。 明日某名誉教授に原稿を渡すはずなのに…。


06/Mar/2005 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

みんな集まれ、どこにいようと
認めるがいい、水位が高まってきたことを
受けいれよ、もうすぐ水びたしになることを
時間が貴重だと思うのであれば
泳ぎ始めるがいい、石のように沈みたくないのなら
そう、時代は変わりつつあるのだから

Bob Dylan, `The Times They Are A-Changin''

今朝は早起きして大学に行き、某授業の準備。

お昼から某四ツ谷大学に行き、某セミナーに参加。 少し通訳の手伝いをする。夜、懇親会と二次会に参加。 いろいろお話を伺う。酔っぱらって帰宅。


07/Mar/2005 (Monday/lundi/Montag)

昨晩は『マッハ!』を観てから寝た。 「シンセは使いません」と明記していた初期のクイーンのように、 「スタントは使いません」「CGは使いません」「ワイヤは使いません」 と宣言しているだけあって、かなり迫力があった。 スローモーションや別角度から同じシーンを映すのも、 あまり厭味にならない程度に効果的に使われていた。 最後の荘厳なシーンからクレジットに移る時間が短いのが気になったが、 それ以外はとにかくおもしろかった。続編がみたいところ。B+。

遅く寝たせいもあり、お昼前に起きてしまう。 昼食後、図書館でコピーなどをして、研究室で勉強。雑用も少し。 とにかく早くサーベイ論文を終わらせて某名誉教授に送らなければ。 (昨日会ったのだが、催促をされなかった。それがかえって恐い)

某神戸大で開かれる某学会には出席することにした。 三宮のあたりのホテルを予約。

真夜中

夕方まで勉強、夜、ジム。それからしばらく勉強したあと、 レンタルしたDVDを返却する途中、発作的にマンガ喫茶に入ってしまう。 こんなことをしている場合ではないのだが。

1月末だったかに下宿のテレビがよく見えないと管理人さんに伝えたところ、 腐っていたアンテナを交換したがどこかの高層ビルが電波を邪魔しているとかで 結局テレビは見えるようにはならなかったのだが、 来週あたりにケーブルを引いてくれるそうだ。 有料のものに加入する気はまだないが、 これを機にDVDレコーダーでも買おうかな。


08/Mar/2005 (Tuesday/mardi/Dienstag)

今日やったこと。


09/Mar/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

昼下がり

朝起きて大学へ。附属図書館と医図書に寄ってからお昼に研究室へ。 某氏と昼食。


10/Mar/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

昨日やったこと

今日やったこと


11/Mar/2005 (Friday/vendredi/Freitag)

昼下がり

朝までマンガ喫茶で過ごし、新幹線に乗って午前中に東京に戻ってくる。 マンガ喫茶では例によって寝なかったので、新幹線では爆睡。 帰宅してからシャワーを浴びて大学へ。

忘れないうちに昨日学んだことを書いておこう。

  1. 活動の中にこそ幸せはあるのかもしれないが、 忙しすぎるのは良いことではなく、悪である。 スケジュールを調整することを覚え、腰を据えて勉強できるようにすること。
  2. ここ(医療倫理学教室)にいられることに感謝し、 自分にできることを努めて行なうこと。

問題は(1)と(2)が衝突しかねないことだな。 あまり無理をせずがんばれということか。 省エネ型で効率良く研究しよう。

雨。夕方は雑務。医図書で論文のコピーを受けとる。 まだサーベイ論文の勉強。本格的に文献を集めるとほんとに大変だ。

メモ。倫理学とは何か。 「すべきこと」「すべきでないこと」について、 もっともな理由(「道徳的に重要な考慮」)を見つけようとする営み。 たとえば、ある医学研究をすべきかどうか、死刑制度を存続すべきかどうか、など。 もっともな理由は文化ごとに違うというのが相対主義、 個人ごとに違うというのが主観主義。 すべきことは「利己的な」遺伝子によって決定されているというのが、 誤った進化論的説明。云々。

夜2

雨が止んだので帰宅。途中、近くの中華料理屋に行くが、 少し高いうえにまずくて辟易する。

そういえば、 強制わいせつで捕まった衆院議員も「一日一善」をモットーとしていたそうだ。 う〜ん。いや、もちろん一日一善をモットーとする人はたくさんいると思うが。


12/Mar/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

夕暮れ

昨晩は疲れていたのか早くからよく寝た。

夕方から大学に来て勉強。

メモ。 倫理学の研究者が「尊厳に反する」という言葉を聞いてウサンくさいと思うのと同様、 一般人が「倫理に反する」という言葉を聞くとウサンくさいと思うのだろう。 こうした表現は自分の嫌悪感以上のものを示せていないように聞こえるので、 より「もっともな理由」が必要とされる。


13/Mar/2005 (Sunday/dimanche/Sonntag)

虎の門で開かれた某研究会に出席。個人情報保護法について。 忙しいので飲み会はパス。お昼に少し雪が降る。


14/Mar/2005 (Monday/lundi/Montag)

お昼すぎ

朝遅く起きる。最近は早起きできない。根性が足りない。

昼下がり

ようやく大学へ。 医図書に行って雑誌(Clinical Transplantation)を探すと、 欲しい97年の号がなく、医図書では94年まで講読しており、 電子ジャーナルは1999年のものからしか電子化されていない。う〜ん。

う、某シンガーの再校正も明日までにやってしまわねば。やばい。 とにかく今日中にサーベイ論文を書き上げること。徹夜してでも書け。


15/Mar/2005 (Tuesday/mardi/Dienstag)

昨日からいよいよ尻に火が付いたのであまり寝ずにサーベイ論文を書いている。 夕方の某ミーティングに出た以外は、必死に勉強。でも書き終わらない。 もう時間がない。


16/Mar/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

まだ大学。こんなに真面目に勉強したのはひさしぶりだ。でも終わらない。

早朝

明け方、サーベイ論文に見切りを付けて帰宅し、出発の準備。 それから某シンガーの再校をなんとか終える。

と、もう寝ている暇もない。シャワー浴びたら行かねば。 サーベイ論文は旅行中になんとか終わらせるつもり。がんばれ。

夕方

というわけでロンドンへ。雨だが暖い。18度だそうだ。

早朝、某シンガーの校正に目を通したら出発の時間になったので、 京成スカイライナーで成田へ。空港ではみやげを買っているとあっというまに 搭乗時刻になる。機内ではときどき眠りつつも、 『ブリジット・ジョーンズ2』(B)、『アイ・ロボット』(B++) 『ボーン・スプレマシー』(C)を見た。 おかげで目が痛い。

ちなみに今回はヴァージンアトランティックを使ったのだが、 なぜか機内はガラガラで、みなゆったりと座席を使っていた。 食事もおいしくて良い。

ヒースローに着いて、ATMでポンドを入手しようと思ったら、 某銀行のトラベラーズカードを忘れてきたことに気付く。 しかたないのでクレジットカードでポンドを出す。

エアバスに乗って市内に行こうとしたら、 エアバスA2は去年の12月で運行を終了したと伝えられ、 驚く。しかたないので地下鉄でグレートポートランド駅へ。 うろ覚えで乗り換えたら少し遠まわりをしてしまった。 さきほど無事にゲストハウスに到着。眠い。

夜中

留学中の某氏と夕食。ピザ、ワイン。


17/Mar/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

早起きして某パワーポイントファイルの修正。某氏にメールで送る。 新聞記事を読みこんで貼り付けていると、ファイルが重くてメールするのが大変だ。 もっと画質を落としてスキャンする必要があるな。


18/Mar/2005 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

昨日と今日のこと。


19/Mar/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

起きる。

そういえば、まだ新聞を買っていないな。

朝2

そういえば、こっちに来てから好天が続いている。暖くて春の到来を感じさせる。


20/Mar/2005 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼すぎ

昨日のこと。

今日は朝起きてからスタバへ行き、ティトマスの本を読む。 1960年代の米国の売血制度と英国の献血制度を実証的に比較しながら、 社会制度の背後にある哲学を論じている本。おもしろい。 ラントリーのTruth, Reason and Selfも古本(新古本)で買ったが、 これもおもしろそうだ。

それにしても、ひさしぶりにスタバで本を読んだ。 やっぱりここしばらく忙しくてそういう時間が取れていなかった (ガーディンアン・ウィークリーも読めてないし)。 論文も書かないといけないが、たくさん本を読まないと 頭の中のリソースが枯渇していまう。 帰国したらもうすこし時間の配分に気を配るようにしよう。

関心がある哲学的テーマ


21/Mar/2005 (Monday/lundi/Montag)

昨日のこと。

夜中

午前中に部屋を出て、 グレートポートランド通り→リージェント通り→オックスフォードサーカス →ピカデリーサーカス→セントジェームズ公園→ホームオフィス (ベンタムが住んでいたところ。最近プレートができた) →ウェストミンスター寺院→トラファルガー広場→サマーセットハウス →ストランド通り→LSEという風に、えんえんと歩く。

LSEで某氏と待合わせをして、テムズ川沿いを聖パウロ大聖堂→ ミレニアム・ブリッジ→テート・モダン→NFTという風に、 さらにえんえんと歩く。 NFTの喫茶店で一服してからバスに乗ってユーストン駅へ。 某中華料理屋で食事をしてから帰宅。勉強するはずが、 写真の整理などをしてしまう。


22/Mar/2005 (Tuesday/mardi/Dienstag)

午前中、Burger Kingで食べたくなったので、ユーストン駅で食事。 そこでお昼まで本を読んでいた。それからUCLのそばのウォーターストーンズで 本を物色したが、結局なにも買わず。ベンタムに挨拶してから帰宅する。

夕方まで部屋でごろごろしたあと、先日も会った韓国人の某友人と会う。 中華街でベトナム料理を食べ、それから映画を見る。 The Chorusというフランス映画で、 問題児を集めた特別な学校に来た先生が生徒にクワイアを教えることを通じて、 生徒たちと仲良くなるが…というような話。 映像と音楽が美しくてよかった。B。

帰宅してしばらく雑務をしてから就寝。


23/Mar/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

起床。よく寝る。

真夜中

午前中、天気が良かったので近くのリージェントパークで少し読書。 テニスボールをくわえた犬が、他の犬とじゃれている間にボールをうばわれてしまい、 非常にカン高い声でキャンキャンと鳴いていた。ボールを奪った方の犬は、 得意げにその犬のまわりを走りまわっていた。

お腹が減ったので、てくてくとカウンシルハウス(団地)の立ち並ぶあたりを歩き、 レストランを探したが、結局ユーストン駅のそばまで来たので、 UCLの食堂に行き、昼食。まずい。味がないので塩や酢をかけて食べる。

一旦帰宅して少し昼寝をしたあと、 W. HudsonのEthical Intuitionism(1967)を読み終える。 18世紀のクラークらのrational intuitionismとハチソンらのmoral sense philosophy の議論を現代哲学の視点から整理して評価した本。 最後は食い足りない感じがしたが、 途中まで非常におもしろかった。 昔は思想史と現代哲学が結びついたこういう本を書きたかったが、 まあこの人たちがすでにやっているので、もっと何か別のことをやるべきなんだろう。

それにしても、やはり思想史を勉強しないと、 昔すでに同じ話が(別の言葉で)なされているのに、 同じことをさも新しいことを発見したかのようにしゃべってしまうことになる。 歴史を勉強しすぎてそれだけにはまるのも問題だが、 一通りの思想史は「知識の引き出し」としてきちんと勉強しておく必要がある。

それから走ってレスタースクエアに行き、某氏と合流。 中華街でタイ料理(?)を食べてから、 Million Dollar Babyを見る。 前半がボクシングの話で、後半が安楽死の話。主人公の女性のひたむきな姿が印象的。 いろいろ書くべきことはあるが、ネタをばらすのは気がひけるのでやめておく。 ボクシングとか安楽死とか、オレのために作られたかのような映画。B+。

それから歩いて帰宅。某氏にBridget Jones 2のDVDを 安く譲っていただく。感謝。


24/Mar/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

帰国の準備。荷物がかばんに入りきらならい。


25/Mar/2005 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

今日のお昼に無事帰国。東京の方が寒い。 某上野駅で某銀行の口座を開設してから、 寿司を食べ、タクシーで帰宅。それから日が暮れるまで熟睡。

夜、ちょっと某ショッピングセンターに行き、服を買う。 某所でピザを食べてから帰宅。 メールの処理などの雑用をしてから、 たまっていた新聞を読むとあっという間に真夜中になってしまう。

さて、心機一転、明日からがんばって勉強しよう。


26/Mar/2005 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼すぎ

お昼前までよく寝る。ロンドンに行ったときより、 日本に戻ってきた方が時差ぼけが楽なようだ。

旅行中のことについていくつかメモ。

まず、帰りの機内で見た映画。

あと、機内で古いガーディアン・ウィークリーを読んでいたら、 宗教的寛容を市場開放に擬えている表現に出会い、目からウロコが落ちた。 カトリックあるいはキリスト教以外は認めないというのは、 宗教における市場の「独占」であり、寛容は独占禁止法と考えることができる。 市場による活性化で現代の宗教は多様化し、 (とくに米国で?)より魅力的な「商品」も次々にでてきた。 考えてみれば、仏教やキリスト教が出てきたときも、 宗教の自由市場がある程度あったわけで、 そういう状況において優れた宗教が生まれてくるのかもしれない。 …なんてことを考えた。

今回は半分休暇で英国に行ったわけだが、 映画(とくにI, Robot)や新聞や友人との会話から いろいろ学ぶことがあった。 これを糧に、月曜日からは気分を一新してまたがんばろう。

昼下がり

雑用。今日は新聞の切り抜きその他をする予定。ジムにも行きたいのだが、 今日はやめて、月曜から泳ぐつもり。

夕方

ラーメン。うまい。

そういえば、イギリスにいるときはやたらと塩辛いものが食べたくなり、 ウォーカーズのポテトチップス(ソルト&ビネガー)を買って食べていた。 (そういえば、 なぜかソルト&ビネガーって、6袋入のものが売っていない。 あまり食べすぎると危険だからだろうか)

あと、これもロンドンにいたときに気付いたことだが、 サルトルの実存主義は人間に関する「事実」から 規範的言明を導き出すことはできない(われわれは常に選択できる) ということを言っているのであり、 また「私をアンガジェすると同時に人類全体をアンガジェする」 というのは、カントやヘアの普遍化可能性のことを言っているわけだ。 今までこの解釈に辿りつけなかったが、ようやくミル、サルトル、 ヘアのあたりを統一的に理解できるようになってきた (というのは錯覚かもしれないが)。

あれ、上のサルトルの話はヘアがFreedom and Reasonsで やってるのか。あいかわらず先行研究の調査が不十分だな。でもまあ、 自分でそこに辿りついたことは評価しておこう。

新聞の切り抜きなどをしているとすっかり遅くなる。 帰宅してゆっくり本でも読もう。

真夜中

近々DVDレコーダーを買おうと思っているので、 夜、本屋に寄ってデジタル機器の雑誌を購入。 どうも立ち読みは苦手だ。そのあと、もんじゃ焼を食べる。 味の素が入っていたせいか、食べすぎたせいか、気分が悪くなる。

帰宅してから雑用。

そういえば、UCLの近くのウォーターストーンズで見つけたのだが、 哲学者のHarry FrankfurtがOn Bullshitという本を書いたようだ。 気になったが時間がなかったのでよく読まなかった。

メモ。自由について。他人に介入されないこと(消極的自由)。 なぜそうあるべきか。個性が伸ばせるから(ミル)。 人生の実験ができるから(ミル)。 人間は自分で目的を設定できる理性的存在であり、 他人の手段として使われることは、 人格を否定されることに他ならないから(カント)。 他人に介入されようがされましが、人間は根源的に自由(サルトル)。 自由だから何をしてもよいのか。 そんなことはない、自分のアンガジュマンは人類全体のアンガジュマンだ(サルトル)。 普遍化可能性(カント、ヘア)。 他人に危害を加えないかぎり、何をしても他人から干渉されるべきではない(ミル)。 個性を伸ばすべき?(ミル)

あれ、今気付いたが、動物を虐待してはいけない理由として、 「動物を虐待する人間は、人間に対しても冷酷になるから」 という間接的義務(カント、アクィナス)が言われることがあるが、 これが理由として通用するなら、 同じ理由で机やドアだけでなく、 インベーダーゲームのインベーダーについても言えることになるな。 とすると、インベーダーゲームでインベーダーを撃ってはならず、 よけないといけないのか。 それとも「インベーダーを撃たない人間は、 (正当な)戦争において勇敢になれない」という理由から、 激しく撃つべきなのか。それとも、 「インベーダーゲームでインベーダーを撃つ人間が、他人に対して冷酷になる という実証的証拠を見せてみろ」と反論すべきなのか。蚊やハエはどうか。


27/Mar/2005 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼前

早起きして某勉強。洗濯をし、散髪にも行く。

夜中

昼間に、昨日買った雑誌価格.comでどのDVDレコーダーを買うか検討。 当たりをつけた店に電話してみると、 すでにDIGAの新製品(DMR-EH50)が発売されていることがわかったので、 ちょっと昼寝してから秋葉原に買いに行く。 事前によく下調べしていったおかげで、安く買うことができた。

帰宅してからいろいろいじってみる。 これからは放送大学やら韓国語講座(4月から始める予定)を録画して おくようにしよう。

明日忘れずにやること。


28/Mar/2005 (Monday/lundi/Montag)

早起き。昨晩はDVDレコーダーをいじったりして遅くまで起きていたが、 まだ時差の影響があるのか、自然に早く目が覚める。

小雨。某銀行に行って口座を閉じようとすると、いろいろ手続の問題があり、 もうしばらくかかると言われる。これだから閉じたいんだよな。

昼下がり

お昼前に購買部のところのカメラ屋で証明写真を取ってもらい、 ジムのそばの売店で水泳道具一式(パンツ、帽子、ゴーグル)を購入。 それからジムに行き、プールで溺れた泳いだ。

問題: クロールで息つぎがうまくできない。 体力もないのでもたない。 プールの中でウォーキングしている人や ビート板を持っている人に抜かれそうになる。 プールから出ると貧血で倒れそうになる。 …。これはなんとかしなければ。 夏までにもう少しまともに泳げるようにがんばろう。

購買部で弁当を買い、医図書で複写文献をもらってから研究室に戻ってくる。 さて、勉強しよう。

夜中

夕方、某政治哲学の勉強会。多元文化主義。だんだん気分が悪くなってきて、 勉強会後に一緒に食事をしていると目が痛くなってくる。 帰宅して熱を計ると37度ちょい。 どうも度付きゴーグルの度が強かったというのが原因の気がするが、 今ひとつ原因不明。単にプールに入って体を冷やしただけかもしれない。 とにかく、明日は早いのでもう寝ることにしよう。

今日やること


29/Mar/2005 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

あまり寝られない。体温は38度ちょいあり、 このサイトを 見るとどうもインフルエンザではないかという気がする。 困った。

真夜中

昨晩は結局二度寝せず、 大学に寄ってから東京に行き、新幹線に乗って神戸へ。 急いでいたせいとぼーっとしていたせいで、 手袋を片方、某駅前で落としてしまう。 また、ノートパソコンのアダプタを持ってくるのを忘れる。 ほんとに間が抜けている。

朝、新神戸に着くと、まだ調子が悪いので、地下鉄で三宮に行き、 駅前をしばらくさまよって見つけた診療所に入る。 駅前ビルに入っているこざっぱりした診療所なので きちんと対応してくれるんだろうと思っていたら、 診察のあと診断名を教えてくれず、 注射をされたが何の注射かも教えてくれないお医者さんだった。 ちゃんと聞かないオレも悪いんだが…。

とりあえずインフルエンザではなさそうだったので、 タクシーで神戸大へ。 睡眠不足のせいか、午前中の会長講演、午後のシンポジウムはひたすら 寝たおしてしまう。なんのために来たんだか…。

夕方、懇親会で一応いろいろな人に挨拶をし(ビール少量、赤ワイン2杯)、 そのあと某氏らと某カフェに行って歓談(カプチーノ、ゆず茶)。 タクシーで三宮に戻ってきてホテルへ。 現在体温36.5度。ただし頭痛あり。 明日も早いのでもう寝よう。

そういえば、産経新聞の書評に見かけた『人生相談「ニッポン人の悩み」』 (光文社新書)を購入。某氏の話では読売新聞はCD-ROMでかなり過去まで遡って 記事検索ができるそうだ。 そのうち生命倫理関係の記事を調べてみることにしよう。


30/Mar/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

早起き。若干頭痛がするが、36.5度で平熱。 単に慣れない水泳による疲労だったのか。

朝2

シャワーを浴びながら考えていたが(シャワーを浴びているときが一番物を考える)、 「さりげない」というのはおもしろい表現だと思う。 「そうあり気ではない」ということで、 あらためて辞書で調べると必ずしも良い意味でのみ用いるわけではないようだが (「無表情で(言う)」というような意味にもなるようだ)、 「さりげない親切」と言えば、「親切をしているように一見すると見えないが、 注意して見れば、やはり親切な行為を行なっている」ということだ。 ここには、 善行をするときでも控え目な態度を良しとする日本人の美学(というと大仰だが)と、 相手にもその美学が理解できる感受性(さりげない親切をそれと気付く感受性) を要求する態度が表れている。 通常、「さりげない」はsubtleとは訳されないようだが、 オレの語感ではこの語が一番適しているように思う。 あれ、なんか高校国語の現代文のみたいな話になってきたな。 どっかで読んだ話の受け売りかもしれないので、ここらでやめておこう。

夜中

お昼まで学会に出て、東京に戻ってきた。 昼食は中華街に行きたかったのだが、 他の学会員はみな午後のセッションも聞くというので、 あきらめる。 お好み焼きも食べたかったのだが、 新神戸駅には店がなく、これまた断念。 何のために関西まで行ったのか

研究室用のおみやげを買って新幹線に乗る。 途中、停電か何かでしばらく停車していたようだが、 ひたすら寝ていたのでほとんど気付かず。

東京に戻ってきたから大学に行き、 しばらく雑用したあと、上野でカレー。 ついでにDVD-Rを20枚ほど購入。

舌の裏が痛いと思って鏡を見たら、 舌の裏の筋に口内炎ができている。 栄養が足りないのか。

真夜中

やっと『人生相談「ニッポン人の悩み」』を読み終わる。おもしろかった。 ベラーの『心の習慣』のような本だ(って、ベラーのやつはまだ全部読んでないけど)。 一章から四章で、 人生相談の質問と回答が世相を反映している様子を、 主婦の結婚生活の問題、亭主の仕事と生きがいの問題、 若者の進路の問題のそれぞれについて分析。 五章と六章では最近の回答の仕方が分析されており、 (1)基本的に「決めるのはあなた自身です」という風に自己決定が重視される、 (2)医学的・法学的な解決策を提示するものが多い、 しかし、その一方で、 (3)ある目的(欲求)を達成するための手段を問われたときに、 その目的に異論を差し挟むことにより、 異なる価値観をぶつけるという本来の人生相談の姿が見られると論じている。

人生相談に登場する「個人的」な問題が、 いかに社会の「構造的」な問題と結びついているかと論じている前半が とくにおもしろかった。 たとえば1950年代の主婦にとって亭主の暴力や浮気は離婚の正当な理由とは みなされなかったが(女性に愛情が足りないと回答者にたしなめられる)、 亭主の身体的・精神的病気は正当な理由と認められた。 その背景には結婚とは基本的に「食べるための手段」であり、 一人で生きていくことのできない当時の多く女性にとっては亭主が 稼いでくれるかぎりは多少の不義理があろうと離婚すべきではないが、 稼げなければ離婚して他の男に嫁ぐなどした方がよいと考えられていたからだ、など。

後半では、生き方の問題に「正解」はなく、質問者の「自律」を重視するがゆえに、 「自分のことは自分で決める」という今日の典型的な回答は「進歩」であるという 肯定的な評価がなされているのが少し気になった。 具体的には、どの部分が進歩なのか。「生き方の問題に正解はない」ことが「発見」 されたことが進歩なのか、 あるいは回答者の価値を押しつけず質問者の「自律」を尊重する点が進歩なのか。 「生き方の問題に正解はない」→「この問題については専門家はいない」 →「この問題については質問者も回答者も同じレベルにある」 →「回答者が権威的に正解を告げることはおかしい」という考え方が この風潮の背景にあると思うが、果たしてこの「進歩」を支えている 「生き方の問題に正解はない」という考え方は無批判に受け入れるべきものか。 オレとしては、「正解はないかもしれないが、答には優劣がある」 という線でがんばる必要があると思うが、どういう意味で優劣があるのか、 ちゃんと説明できるようにならなければならない。

忙しくてなかなか他分野の本を読む時間がないが、 なるべく視野を広げるよう努力すること。


31/Mar/2005 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

お昼前

早起き。午前中、 某銀行に行き、 口座をすべて解約。ついでに家賃も払ってくる。

夕方

だんだん日が長くなってきたな。

お昼ごろにジムのプールへ。 こないだ少し助言をもらったが、あいかわらず息継ぎがうまく行かない。 まあそのうちなんとかなるだろう。筋肉も鍛えないといけないし、 ちょっとずつやることにしよう。

帰宅して食事をしてからまた研究室へ。 雑務をしているといつのまにか夕方。 水泳をした日の午後は使いものにならないことに気付く。これは困るな。

やっと勉強をする気になってきた。まだサーベイ論文が終わってなかったので、 それを再開。なんとか土曜日までに終わらせよう。英語にもできればすること。

真夜中

夜まで大学で勉強してから、某氏と某所で夕食。 ビール(ジョッキ1)、芋焼酎のお湯わり(グラス2)。

帰宅後、某掲示板にはまる。勉強せねば。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Mar 16 10:00:53 JST 2006