12月中旬号 / 2005年1月号 / 最新号

こだまの世界

2004年12月下旬号

トム・ビーチャムは、 キャリアを積んでずいぶん経つまで研究者の倫理(good conduct)の 重要な枠組となる前提を学ぶことのなかった医学研究者の話をしている。 ある優秀な医学研究者は、道徳に関する懐疑論者で、 正と不正の知識はないと主張し、 またそのような問題は--とくに医学と比べれば--重要でないと考えていた。 彼の考えでは、倫理とは単なる意見に過ぎず、 行為の指針に関するある人の意見は他の人の意見とくらべて良くも悪くもなかった。 ある一言によって、彼は懐疑論者から、 道徳規則と判断を明確にし擁護することの大切さと、 倫理学を科学教育の一環とすることの重要性を説く人間に変わった。 その一言とは、 「この二年間、あなたと一緒に6本の論文を発表した教授は、 自分が関わったデータのほぼすべてを改竄していたんですよ」というものであった。 この医学研究者は自分の専門領域では洞察が深かったが、 科学の非-実証主義的な基礎についてよく考えたり、 優れた科学者としての彼の活動の基盤となっている多くの信念や価値観について よく考えたりしたことがなかったのである。 だから彼は、研究者の倫理や徳について深い信念を持っているにもかかわらず、 倫理を単なる意見として嘲笑していたのである。

---Loretta M. Kopelman, Bioethics and Humanities


主な話題


21/Dec/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

夜中に一瞬寝てから勉強。なかなか書き出せない。集中せよ。

夜明け前

ようやくやる気になってきた。エンジンがかかるのが遅すぎる。

(できれば)今日やること


22/Dec/2004 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お昼すぎ

半日以上寝てしまう。信じられない。自己批判せよ。

昨日やったこと。午前中は早起きして某臨床試験ワークショップに参加。 お昼すぎに教育学部の某先生のところを訪ね、 エンハンスメントについていろいろ教えていただく。 昼下がりから夜まで某ミーティング。そのあと帰宅して、寝てしまう。 う〜ん、ほんとにダメだ。

(できれば)今日やること


23/Dec/2004 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

酔っぱらい。

昨日は、昼下がりに卒論指導、 夕方に某授業に参加(二重結果論)。

そのあと、 教室の忘年会に参加。二次会まで。 〆切があるのでビール一杯でやめておくつもりが、 ビール、ワイン、シャンパン、焼酎のお湯割りを二杯ずつぐらい飲む。 さすがに酔っぱらった。

うう。〆切が。

(できれば)今日やること


24/Dec/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中 (午前)

昨日はお昼に起きてから、 某報告集用の原稿を仕上げるためにひたすら勉強。 さきほどようやくだいたい書き終えたが、 筋が通っているかどうか。 書きながら考えるというのはダメだ。

夜明け前

某論文をとりあえず完成させてメールにて発送。 しかし、議論が煮詰まってなくてダメだ。 もっと他人と議論してきちんとした筋の論文を書けるようにしないとダメだ。

しかし、とりあえず寝よう。そういえば、 明日は某授業用の勉強会もあるんだった。

お昼すぎ

やっと大学へ。

(できれば)今日やること


25/Dec/2004 (Saturday/samedi/Sonnabend)

昨日は、昼下がりに某授業の準備の勉強会をやったあと、 夕方まで雑用。夜は外食。夜中、DVDで『シルミド』 を観る。迫力があってすごい。 徴兵制がある国ではああいう映画で兵士の士気を高めているのだろうか。

今日は昼下がりまで起きられず。風呂に入ってから大学へ。

(できれば)今日やること


26/Dec/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

昨日はほとんど何もしなかった。 今日も昼下がりに起きてしまう。 喫茶店で新聞を読んだあと、大学に行き、年賀状を作成。 夜は上野で少し買物。 韓国料理をたらふく食べ、少し気分が悪くなる。 うまかったのだが。

(できれば)今日やること


27/Dec/2004 (Monday/lundi/Montag)

昨晩はサンドラ・ブロック主演の『28 Days』 という映画を観てから寝た。 毎日パーティで楽しく生きてきたアル中の女性(サンドラ・ブロック)が、 更生施設に入って自分の生き方を見つめ直す、 という話。米国の映画にしてはめずらしくユーモアとペーソスのある映画で (というか、そういう映画は見ていないだけか)、 回りの役者も秀逸で楽しく見ることができた。B。

今日はお昼に起きて大学へ。ジムが3時で今年の営業を終わるので、 ジムに行って汗をかいてから、遅い昼食を食べる。 家賃もついでに払う。不動産屋のおじさんの話では、 文京区はますます老人が増え、子どもは減り、 介護保険やなんやらでますます生活がたいへんになるそうだ。 少子高齢化は他人事でなく深刻だなあ。 もうちょっと繁殖してくれないかなあ。

昼下がりに研究室へ。夕方まで勉強する気になれず、いろいろ雑用。 日が暮れるころからようやくエンジンがかかってきた。

moneyの複数形で、moniesというのがあるのか。初めて知った。 金とは縁がないせいか。

そういえば、年賀状は昨日書いて今日出した。 新聞の切り抜きも過去の分はほぼ終わった。 とにかく翻訳をしなければ。

夜2

知財について少し勉強。Tripsと医薬品アクセス問題とか。 知財を哲学・倫理学的に研究するおもしろさがようやくわかってきた気がする。

(できれば)今日やること


28/Dec/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

今日のこと。夜更けまでマルサスの勉強。 あ、某氏に借りっぱなしになっているビートルズのDVDもようやく最後まで観る。

お昼すぎに起きて夕方に大学へ。 それからTrips協定の勉強、マルサスの勉強。 夜中に漫画喫茶に行き、『狂四郎2030』を途中まで読む。 おもしろい。ダーウィン、マルサス、そしてベンタムが「邪悪な理論」 として理解されうることを改めて実感する。 帰宅してまたマルサス。おもしろい。

(できれば)今日やること


29/Dec/2004 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

マルサス。 人間は自然本性として食べ物を必要とし、 そして性欲はなくならないから自然と生殖して増加する。 しかし、食糧の増加は人口の増加に追いつかないから、 必然的に人口の増加は食糧の増加に制約される。 ヒュームが希少性と利己心から正義が導かれると論じたのに対し、 マルサスは希少性と性欲から悲惨が導かれると論じる。

このような理論に基づき、 貧民を助けてもますます増殖して飢えるだけだから助けるべきではない、 晩婚によって出産数を減らすことだけが唯一道徳的な人口抑制策だと説く。 しかし、多くの人々は性欲に負けて早婚して子どもをたくさん作ってしまい、 貧困に陥る。それゆえ貧困に陥るのは彼らの道徳的責任であり、 ますます援助の義務はなくなる。

マルサスの晩婚と禁欲の勧めに対して、 プライスや子ミルなどの新マルサス主義は避妊による産児制限を説く。 マルサスが産児制限に反対していた理由について調べがついていないのだが、 おそらくは宗教的な理由によると思われる。

マルサスは理想的な環境では25年ごとに人口が二倍になると考えていたのに、 なぜ日本では合計特殊出生率が1.29などという低い数値になっているのか。 マルサスには「予防的制限」という考え方がある。 マルサスの文章を適当に書き直して日本に当てはめると…

予防的制限は、日本の全社会階層にわたってある程度作用しているとおもわれる。 もっともたかい階層のなかにさえ、家族をもつと想定したばあいに、 削減しなければならない費用およびみずから放棄しなければならない想像上の 快楽とを考えて、結婚をひかえる若干の人たちがいる。……。

独身者としてある程度安楽にくらしている労働者は、 一人にやっとたりるにすぎないとおもわれるだけのわずかな収入を、 四、五人のあいだでわけるとなると、そのまえにすこしはためらうであろう。 かれは、愛する婦人とともに生活するために、 もっときびしい生活と労力とに身をゆだねる意志はあろう。 しかし、かれは、いくらかでも考えてみれば、おおくの家族をもってなんらかの 不幸におそわれたばあい、どんなに倹約しても、どんなに体力を駆使しても、 子どもが餓死するか、 あるいは独立性をうしなって生活保護を受けざるをえないという、 心のはりさけるいたましい感情からかれをまもることができないことに、 気づかざるをえない。……。

(永井義雄訳『マルサス人口論(初版)』 (中公文庫)の第四章から。日本の状況に合わせて適宜改竄した)

結局、人口増加のボトルネックになっているのは、 生殖期にある若者たちが、子どもを作ることによって生活レベルが下がると 恐れていることであり(とくに女性は仕事を失い、 給料だけでなく生きがいも失うと恐れている)、 社会は子どもを生んでも生活レベルが下がらないことを保障してやる必要がある。

(あるいは、以下のような反動的政策が考えられる。

もちろんわたしは以上の政策を支持しているわけではないので 非難中傷のメールを送られても困るわけだが、 こうした政策は当然実行不可能であろう)

おもしろいのは、「生活レベルが下がるから子どもを作らない」 という格律は、みなが採用すると社会の少子高齢化を招き、 結局社会保障のための税が増大して、 生活レベルが下がってしまうという点である (もちろん、増税がもたらす影響と、出産と育児がもたらす影響のどちらが 大きいかは、個人によって異なるだろうが)。 まわりの人々が子どもをポコポコ産んで社会を支えてくれれば、 自分は産まない方が得になりうるわけだが、 まわりの人々も産まないで、合計特殊出生率が1.29ということになれば、 結局、社会保障のために増税増税で、 自分が年寄りになったときも十分な社会保障が受けられるか わからないということになる。

それゆえ、 みなが「約束」して子どもを産んだ方が長期的には得なわけだが、 国家の「産めよ増やせよ」的政策に対しては拒絶反応があって受け入れられない。 また、多くの若者は長期的・集団的な視点に立たないから、 とりあえず子育てはやめて、今を楽しみ、 できれば貯蓄しておけば自分だけは助かるだろう、 という風に考えてしまう。

とりあえず、応急手当としては、 社会を支えるための労働力を外国から「輸入」することだろう。 (多くの先進国は食糧自給率が100%を下回るだけでなく、 人口自給率も(人口を一定に保つために必要な2.08を下回っているという意味で) 100%を下回っている。) 長期的には、 政府はさまざまな出産奨励策(ベンタム的には間接立法) を考えなければならない。

あれ、マルサスの話をしていたのに、いつのまにかこんな話になっていた。 それにしても、 こういう少子化の問題がある一方で、 不妊治療とか、新優生学の問題もあるから、生殖の問題は難しいな。

夕方

昼下がりに起きたら雪が積もっており、驚く。 どうりで寝てても寒かったはずだ。

夕暮れ

またマルサスの勉強。寒くて動く気になれない。

真夜中

夜は翻訳。終わらん。

(できれば)今日やること


30/Dec/2004 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

ちょっと漫画喫茶へ。 昨日のところと違う、24時間やっているところに行くと、 読みたいと思ってものがなくて少し泣く。 3時間過ごしてから帰宅。

もう一年も終わりか。 そろそろ一年の総括をしないとな。

夜明け前

翻訳。ちょっと一段落。だが、まだ終わってない。

夕暮れ

遅起き。仕事しなければ。

エモ・ロック (emo-rock)という言葉を初めて知った。よくわからんが、 「エモい」というのは誉め言葉のようだ。

産経新聞のサイトで 「お2人そろって会見」という大きな記事の下に、 「「まさか同僚が…」周辺住民らに衝撃」という記事があったので、 何かと思ったら、奈良の殺人事件の容疑者の話だった。

というか、なぜか某婚約話がマスコミで話題になったとたんに、 中越地震、皇族訃報、インドネシア地震など、災難続きだったので、 とりあえず婚約に踏み切ってくれてよかった。 いや、もちろん、すべて偶然の一致だと思うんだけど…。

(できれば)今日やること


31/Dec/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中 (午前)

昨日は夕方に大学に行き、少し翻訳をしたあと、 某氏らとお茶の水で夕食。

二つメモ。ニーチェ的には、 「優れた」と「劣った」という貴族のモノサシに対して、 平民は「善い」と「悪い」というモノサシを使って、 自分たちが貴族よりも「道徳的に優れている」と主張したそうだ。 同じように、ノモス(慣習による正と不正)というモノサシに対して、 ピュシス(自然による正と不正)というモノサシが用いられることもある。 もっと一般的には、 体力を誇る人に対して頭脳というモノサシを持ち出してきたり、 理論家に対して実践というモノサシを持ち出してきたり。 「このモノサシでは彼は優れているが、別のモノサシでは彼は劣っている」 ん、何を言いたかったのか忘れた。 不得意なモノサシ(=相手の土俵)で勝負をする必要はないということだったか。

政治制度を考えるときは、ワーストケースシナリオを念頭に置いて、 もっと真剣に考えること。 バラ色のストーリーを描いても絵に描いたモチなら仕方がない。 マッド・ソーシャルサイエンティストにならないこと。

あれ、USBフラッシュメモリが逝ってしまってる。 アクセス中に抜いたのかなあ。困ったなあ。

真夜中2 (午前)

デブラ・ウィンガーを探して』を観る。 「女性はキャリアと家庭のどちらを優先すべきか」という問いはおもしろいが、 どうにも退屈なドキュメンタリーだったので、 途中で観るのを止めようかと思ったが、 一応最後まで観た。 キャリアを断念する決断をしたデブラ・ウィンガーや ジェーン・フォンダのインタビューはおもしろかった。 上の問いに対する答えは、人それぞれで、 自分で決断しなきゃ仕方がないというのが落ち着くところなのだろう。 内容はそれなりにおもしろいが、 映画としての出来があまりよくないと思うので、C。 (女性なら1万回観たいと思うんだろうか)

「キャリアと家庭のどちらを優先すべきか」という問いは、 「どうしたら良い人生(エウダイモニア)を送れるか」という問いなんだよなあ。 オレはどうしたら良い人生を送れるんだろう。 やっぱり何はともあれもっと真剣に研究することが必要だろう。

そういえば、『28 Days』はおもしろかったので、 もう一度見直した。 こういう、人生を見つめなおすタイプの映画が好きなんだろうか。

早朝

ドッグヴィル』を観る。 最後の展開はおもしろいが、まさかこんなに長いとは。 美しいニコール・キッドマンじゃないと、 こんな陰鬱な映画は3時間も見れないだろう。 子どもを甘やかしすぎると、どうしようもなくなるように、 大人も罰を与えなければ、やがては人間の尊厳を平気で犯す存在になる、 という話。 あるいは、一度「他所者」と認識したら、 同じ道徳的地位を持った人間とは見なさなくなるということだろうか。 これは、より大きな規模では、 移民の扱いにも当てはまることかもしれない。 よく出来てるがあまりにも長いのでC+。

(できれば)今日やること


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Sep 1 11:12:59 JST 2005