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こだまの世界

2004年12月中旬号

今日では、技術の発展とともに、市場には従来なかった財やサービスが登場し、 それに対する需要も生まれてきている。……。 新しいものの登場を「倫理的に問題がある」といって規制したり禁止したりする 方向でルールを整備するという発想は間違っている。 ……。遺伝子治療、遺伝子診断なども含めて、 こうした遺伝子レベルでの生命の操作は、 従来の倫理が想定していなかった問題を生むことになる。 その場合、長く続いてきたやり方と違うやり方は好ましくない、 という保守主義の原則が倫理の名で唱えられるだけで、 必要なルールもなかなか用意されないことが多い。 ……市場に登場してくるものはできるだけ禁止せずに、 個人の自己決定と自己責任(コストの自己負担)に委ねることを原則とした ルールづくりを目ざすべきであろう。

---竹内靖雄、『法と正義の経済学』


主な話題


11/Dec/2004 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中 (午前)

ひさしぶりに好きな勉強をする時間がある。といっても、 やるべきことは山積みなわけだが。

分配の正義について一言

竹内靖雄の『法と正義の経済学』(新潮選書、2002年)を読んでいると、 あまりにひどい議論にでくわしたので、ちょっとメモしておく。

(1)この人は小さな政府を支持するリバタリアンのようだが、 まず、「分配の正義についてはただ一つの答はない」という理由から、 「分配の正義というものはない」と結論している(32-3頁)。 これは文化相対主義の典型的な正当化と同じで、正しくない。 あるテーマについて意見が一致しないことは、 そのテーマの難しさを示すだけかもしれず、 「答がない」という結論は一つの可能性ではあるが、 直ちに導きだすことはできない。

また、結局のところ、筆者はリバタリアニズムの立場を取っているが、 「リバタリアニズムは分配の正義にはコミットしていない」 というのは、間違いである。というのは、 「政府が分配に介入するのは不正で、 市場で決まった分配形式が正義に適っている」と信じているからである。 筆者がこの点に気付いていないのは驚きである。 (リバタリアニズムを「売る」ための戦略かもしれないが)

(2)筆者は、分配の正義については、四つの分配方式があると述べている。 それは、(1)一律平等に分配する、(2)抽選によって分配する、 (3)貢献度に応じて分配する、(4)各人の必要に応じて分配する、である (35頁)。 たとえば、(貢献度ではなく)努力に応じて分配する、家柄に応じて分配するなど、 これ以外にもいくつもありえるという批判はおいておくとしても、 問題は、(さきほど筆者は「分配の正義はない」と論じていたのだが) 最終的に(3)を「正義に適っている」と結論する論証において、 それ以外の三つの選択肢をそれぞれ不正だと論じて、 それらの組み合わせについてはまったく考慮していないことである。 しかし、それこそが、 (たとえば)ロールズの正義論がやろうとしていたことであった。

このこと(筆者の単純な思考)は、 筆者の次のfalse dichotomyの使用からもわかる。 「働きとは無関係に結果を平等にされるのと、 働きに応じて分配される(そして結果は平等にはならない)のと、 社会の状態としてはどちらがよいだろうか」(38頁)。 これがfalse dichotomyであるのは、third wayがありうる、 すなわち、たとえばロールズの正義論のように、 「不平等が社会の最も貧しい人の底上げに役立つかぎりで、 働きに応じて分配される」というような形で、 結果の平等の考慮と貢献度の考慮を混合した形の正義論を 作ることもできるからである。

(3)最後に、筆者の累進課税批判の一文を見る。

集団において、各人から取って集めたものを分配する場合 (これを簡単に再分配と呼ぶことにする)には、 個人の立場から見て明らかに「不正」といえる再分配が登場してくる。 それは、「再分配の結果、自分が出したものよりも受け取るものが少ない」 場合である。たとえば、累進課税で所得税を取って、それを低所得者に 再分配した場合には、「たくさん取られて少ししか(あるいは全然) 分配されない」人たちがかならず出てくる。 その人たちはこのような再分配に不満、あるいは「不正感」を抱くにちがいない。 その一方で、「少なく取られて(あるいは全然取られずに)多く受け取る」 人たちは「幸福感」を抱く。この人たちはこれこそ「正義」だと考えるかもしれない。 自分の利益になることが正義なのである。しかしある人たちの不正感を 他の人たちの幸福感で相殺することはできない。 明らかに不正感を抱く人が出てくるようなら、そのやり方を 「正しい」ということはできない。累進課税は「正しくない」制度である。 (40-1頁)

しかし、累進課税でたくさん取られる人が感じる「不正感」は、 正当なものだろうか。 低所得者がアリとキリギリスのキリギリスのような生活(あるいはマリブビーチで サーフィン)をやっているなら、たしかに正当かもしれない。 しかし、必ずしもそう仮定する必要はない。少なくとも低所得者の大半は、 市場における競争で、努力したが失業したと考えてもよいだろう。 それでも競争に勝った人が、負けた人に対して税によって再分配を行なうのは 不正だと主張するだろうか。

だが、高所得者が、不正感を感じる一つの理由は、 自分が低所得者にはならないと考えているからである。 今日は競争に勝った人でも、明日は負けて、低所得者になるかもしれない。 相手の立場に立たず、自分の現在の立場から一方的な「正義」を説いても、 それこそ筆者の言うように「正義については意見が一致しない」 ことになるだろう。 万人が納得するような正義にかなった制度を考えるには、 自分が社会のどの地位につくかわからない (才能があるかどうか、低所得者になるか高所得者になるかわからない) 無知のヴェールの背後で思考する必要がある。 そして、このような無知のヴェールの背後で思考した場合、 高所得者は、 一定限度までの累進課税に対しては、 たとえそれが現在の自分の利益にはならないとしても、 正義だと考え、おそらくは「不正感」を感じないのである。

(累進課税の正当化については、 もう一つ「税を払える人が払う」という原則が考えられるが、 それについては42頁で筆者が不承不承認めている)

真夜中2 (午前)

自分を誉めるのもなんだが、ひさしぶりに集中してよく勉強した (というか、頭を使った)。自分が自分をコントロールしているという、 この落ちついた感覚がよい。明日もこの調子でがんばろう。

真夜中

昼下がりまで起きられず。お茶の水のシンポに行く予定だったのだが。 夕方、大学へ。図書館に一日遅れで本を返すはずが、 書庫のものは週末は返せないことが判明。う〜ん。

ちょっと勉強したあと、夜からジムへ行く。 やっぱり、少しさぼると筋トレもつらくなる。 筋肉も頭もコツコツと鍛えるようにしなければ。

夜は某海鮮丼屋で。 そのあと、「相田みつを物語」をテレビで見るが、 物語からはこの人がどのくらい偉大な人かとか、 どういう意味ですごい生き方だったかとかが伝わってこず、今ひとつ。 むしろ、フレディ・マーキュリー物語とか、 ジョーイ・ラモーン物語とかをみたいなあ。

分業。 自分の代わりに食糧を作ってもらうこと。 自分の代わりに国を守ってもらうこと。 自分の代わりに国を治めてもらうこと。

今日やること


12/Dec/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

勉強中。なかなか心が落ちつかず。

「文盲」って、今は「非識字」っていうのかな。

フランス語がすらすら読めるようになりたい。 (また一から)がんばろう。

真夜中2 (午前)

比較的まじめに勉強。 やっぱり夜型なんだよなあ。 夜型というか夜行性というか。

そういえば、Neil Youngのすごさがようやくわかってきた。

食卓には食べものがどっさり
わが家は愛に満ちている
子どもたちはみんな
精いっぱい遊んでる
幸せに思えることばかり

愛する女性がそばにいる
彼女は良き妻
夫の引き立て方をよく知ってる
彼女は強く、彼女は優しい
彼女は貞淑な妻
良き夫でいられるのは
ほんとに彼女のおかげさ

だけど完全なものは何一つない
それこそが神の完全な計画
影を覗きこんでみるといい
善いものに恵まれてるのは
それがなければどうなるか
身に染みてわかるようにってことさ

---`God's Perfect Plan' by Neil Young

今日やること


13/Dec/2004 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

昨日はちょっと調子が悪かったので、一日中寝ていた。

再びよく寝てから大学へ。

夕方

午前中は勉強会の勉強。 お昼は某弁当屋の弁当。 昼下がり、図書館に本を返却に。 ついでに河合栄治郎全集を何冊か借りてくる。 購買部でクリスマスカードも購入。

さきほど、椅子で仮眠。 何か良く寝てるわりには眠い。

当大学で行なわれている某研究倫理セミナーが、 次回は12月24日の17:00から19:30まで行なわれるようだ。 日時が微妙だな…。 (追記。これは勘違いだった。申込の〆切がこの日で、 セミナーは1月に入ってからだった)

夜中

夕方から某政治哲学勉強会。 コミュニタリアニズムとシティズンシップセオリー(途中まで)。 そのあと、某沖縄風居酒屋で飲み会。 シークワサー・サワー一杯と、泡盛のロック一杯。

今日やること


14/Dec/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

よく寝た。そろそろ大学に行かねば。

(できれば)今日やること


15/Dec/2004 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

昨日のこと。

つかれたのでそろそろ帰って寝よう。

夜中

今日やったこと。朝、起きて大学へ。某朝の勉強会に出席。 昼下がりは某卒論の指導。そのあと、某翻訳作業。 夜、某氏が来られたので、 某密談。

今日もジムに行けなかった。う〜ん。いつ行こうか…。

明日から別の翻訳と、某報告集用の原稿の仕事をやること。 いいかげんやばい。

(できれば)今日やること


16/Dec/2004 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

夕方

朝起きたが、二度寝してしまい、昼下がりに大学に来る。 いかん、たるんどる。

(できれば)今日やること


17/Dec/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

お昼すぎ

昨日のこと。夕方から某授業に参加。新遺伝学、クローン。 そのあと居酒屋で歓談。ビール1、焼酎お湯割り1。 そのあと勉強しようと思って大学に戻ったが、 人が他に誰もおらず、 先日某氏に恐い話を聞いていたので、恐くなって帰宅する。 自宅では勉強せず。しかし、夜明け前まで寝ず。お昼ごろに起きる。

国家に最適な規模というのがあるのかどうかはわからないが、 どうも(以前某師匠が言っていたように)研究会には最適規模があるらしい。 それは、直接民主政に限界となる大きさがあるのと似ているのだろう。 研究会も人数が多くなると、小部会を作って、 そこから代表を選出して代議制研究会を作るべきなのかもしれない。 授業でやっているスモール・グループ・ディスカッションというのは、 そういう意味では有用なんだな。 よい研究会のための条件は何か。

昼下がり、卒論生を連れて文学部の某先生のところを訪ね、お話を伺う。 夕方は某テキストの手直し。やばい、やるべき仕事がたまっている。

夜中

夜、ジムに行く。そのあと、服を買おうと某所に行くが、 結局気に入ったものが見つからず、手ぶらで店を出ることに。 買物がうまくいかなかったせいか、なぜか落ちこんでしまい、 ウツになりながらビデオ屋に行き、2本ほどDVDを借りる。 精神衛生的には、10本ぐらい借りた方が良かったか (全部は見れないだろうけど)。それから帰宅。

BBCラジオでは、EUにトルコが入るべきかどうかで議論がなされている。 「トルコが入ったら、どの国でも入れるようになる」とか、 「トルコはヨーロッパではない」とか、 「トルコはキリスト教国ではない」とかいろいろ議論が出ているが、 なかなか説得的ではないようだ。 おもしろいのでそのうちもっと調べてみよう。

(できれば)今日やること


18/Dec/2004 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

今日のこと。

少し酔っぱらって帰宅すると、 非常に恐いメールが届いており、 いっぺんに酔いが冷める。 口は災いのもと。くれぐれも気をつけよう。

(できれば)今日やること


19/Dec/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

BMJを読んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまう。勉強しなければ。

夜明け前

ダニー・ボイル監督の『28日後』をDVDで観る。 動物解放運動をしている連中が実験用のサルから感染した病気(ゾンビ病?)が、 またたく間に英国中に広がり、 交通事故で病院に収容されていた主人公が28日後に目覚めたときには、 街は死に絶えていた…という話。 そこから『トリフィド』ほどではないが、 ただ怖いだけでなく、話がどんどん展開していっておもしろい。 かっこいい映画。(劇場版はエンディングが違うようだ)。B-。

(できれば)今日やること


20/Dec/2004 (Monday/lundi/Montag)

昼下がり

やばい、半日以上寝ていた。

昨日のこと。昼に起きて上智へ(30分遅刻)。 生命科学にかかわる知財の話。 特許権というのが分配的正義の問題であることを(今さらながらに)認識し、 これは授業で使えるなと喜ぶ。

そのあとの飲み会に付き合って帰宅。非常に眠いので寝てしまう。 いったん起きてテレビでサンダーバードを(なぜか)見ていたが、 また寝てしまう。なんてことだ。

夕暮れ

あっという間に夕暮れ。昼下がりは某氏が大学に来られたので、喫茶店に行き歓談。

夕方、勉強(明日の某面談のための予習)。 夜、ジムに行き、ワークアウト。 最近根性がなかったので2キロを10分で走ることができていなかったが、 今日はがんばって走り切る。筋トレも一通りきちんとこなす。 年を取ると、 身体的にも精神的にも「昨日と同じだけがんばる」 というのが目標になってしまいそうだが、 まだ(ある程度)若いんだから「昨日よりもう少しがんばる」 を目標にしなければならない、とか思ったり。

そういえば、今日、結婚している女性と話す機会があったが (もちろん今日が初めてではないが)、 結婚した女性の夫のことを尋ねる場合は、 「(〜さんの)だんなさん」と呼ぶと良いようだ。 または、「パートナー」「ハズ」「連れ」だろうか。 なんて言ったらわからなかったので「〜さんの夫は…」と言ってしまったが、 それだとなんだか自分の夫について語っているように思われそうだ。 なんとなく、 知り合いの結婚相手のことに言及するのは恥ずかしい気がするのだが、 これはなぜなんだろうか。

夜2

夜は生協で買った弁当を研究室で。 つかれたので帰宅。 しかし、今日は寝ないで論文を書かねば。

コンビニでコーヒー牛乳を買ってきた。 ときどき無性に甘いコーヒー牛乳を飲みたくなるのはなぜか。 体が糖分を必要としているのか。

(できれば)今日やること


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Sep 1 11:13:09 JST 2005