9月中旬号 / 10月上旬号 / 最新号

こだまの世界

2003年9月下旬号

Nothing is good or bad, but thinking makes it so.

---William Shakespeare


主な話題


21/Sep/2003 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

ちょっと某勉強。寝ずにもう少しがんばろう。

昨日の地震はBBCラジオでもニュースになっていた (記事もある)。 それほど深刻じゃなかったと思うのだが。

真夜中2 (午前)

まだ勉強中。先ほど、ご飯とオクラのおひたしを食べる。

そろそろ寝るか。しかし、夜中になると机に向かうことができるのに、 お昼にはできないのはなぜだろう。 こういう悪癖を矯正するために、 明日は一日中机に向かうことにしよう。

お昼すぎ

遅寝遅起き。雨。朝食。

寝る前に、『ガタカ』をビデオで観る。

話: DNAの解析が進み、 人工受精の段階で遺伝子検査を行なって胚を選別することにより、 デザイナーベビーを作ることができる未来。 この世界では、 人種ではなく遺伝子の優劣によって徹底した差別が行なわれている。 自然出産によって生まれたヴィンセントは、生まれつき心臓が弱く、 30才までしか生きられないと診断されている「不適正者」である。 しかし彼は、宇宙飛行士になるという夢を叶えるために、 ジェロームというエリートの「適正者」だが交通事故に遭い 輝ける未来を失なった男に協力してもらい、 ジェロームの名と姿と遺伝子プロファイルを借り受けて宇宙局ガタカの 局員となることに成功するが…。

イーサン・ホークの演じるヴィンセントは、 劣った遺伝子を持つものの、 遺伝子決定論に挑戦し、自分の限界を超えて夢を追い続ける実存主義者 (《遺伝子は実存に先立つ》を否定し、 《人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない》という意味で)。 この考え方が周囲に影響を与えていく。 ジュード・ロウの演じるジェロームは、 優秀な遺伝子を持つがゆえの周囲からの期待に耐えられず、 自ら交通事故に遭って車椅子生活を送るようになった脱落者だが、 ヴィンセントに出会い、彼がハンデを背負いながらも夢を追求する姿に感動し、 惜しみない協力を与えるようになる。 ユマ・サーマンの演じるアイリーンも、 エリートだが自分の遺伝子の小さな欠陥に拘り、 自分の限界に挑戦することのできない遺伝子決定論者。 しかし、ヴィンセントのことをよく知るようになり、 遺伝子によって人生がすべて決定されているという考え方を改めるようになる。

ヴィンセントは、ジェロームと姿形はかなりそっくりになれても、 あらゆる機会に遺伝子によるアイデンティフィケーションが行なわれているため、 ジェロームの血や尿を常に携帯し、 逆に自分の髪の毛や指紋は徹底的に残さないように注意している。 そのため、見ている方は、 いつバレるのかハラハラドキドキすることになる。 こういう「バレるのは絶対に決まってて、いつバレるか」 という映画を観るのは、 「脇役が次々に殺されるのは絶対に決まってて、 いつ殺されるか」というスプラッタ映画を観るのと同様に、 あまり好きではないのだが、 いろいろ考えることが多く、おもしろかった。 イーサン・ホークもよかったが、ジュード・ロウも味があってよい。 映像も美しい。たしかに弟との確執は不要な感じもするが、 やはり《遺伝子によってすべてが決定されているわけではない》という主張を 強調するために必要だったのだろう。 ただし、殺人事件の解決があっけないのはいただけない。B+

夕方

喫茶店に行こうと思って出掛けたが、雨が強いので中止して、 買物だけ済ませてもどってくる。けっこう濡れてしまった。

夜中

夜、郵便配達がある。 米国からの古本はなぜか速達扱いなので日曜日でも来るようだ。 今回の古本(ベラーの『心の習慣』のリーディング)は、 小包の書きこみを読むと、 まちがってメキシコに郵送されていたらしい。

横になって新聞を読んでいると、少し寝てしまう。

真夜中

夜ごはん。明太子、もずく、メカブなど。

巨人で10年もやっていた松井が大リーグで新人王を取るのはおかしいという 批判に対しては、日本のリーグは大リーグの二軍のようなものだという答え方も あるようだ。なるほど。


22/Sep/2003 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

怠惰な自分を鞭打って、ようやく机に向かって勉強中。

夜明け前

台風の影響か、外がすこし風でうるさい。

NASAの無人木星探査機のガリレオが14年に渡る使命を終え、 木星の大気圏に突入して燃えつきたそうだ (BBC Newsの絵による解説)。 なんか感動的だな。合掌。

お昼

遅寝遅起き。眠いが、行かねば。とりあえず起きれメロス。

お昼すぎ

某研究会に出席する予定だったが、準備にてまどっていると、 大幅に遅刻することがわかったので、あきらめる。人間失格。

夕方

ちょっと寝てしまう。だめだ。喫茶店に行って勉強しよう。

あれ、ジョニー・キャッシュも先日死んだそうだ (BBC News)。 あんまり知らなかったけど、合掌。

某スタバにて勉強中。もう暖房が入っている。

今は昔、「道徳の形而上学」というカントの本の名前を聞いて、 道徳にまで形而上学があるのかと不思議に思った記憶があるが、 今やっているメタ倫理学の一部である実在論論争というのは、 まさに「道徳の形而上学」の話だと、さきほど実感を伴って認識した。 以上、メモ。

禁欲(ノーセックス)運動かセーフセックス運動か

今日来たガーディアン(Guardian Weekly, Vol 169/no 13, p. 23)によると、 米国では「結婚するまでセックスしない」 という誓いの証拠として、10ドル程度の銀の指輪をはめるというSilver Ring Thing という運動が(一部の)若者のあいだで流行っているそうだ。 この運動の主催者言わく、 「結婚式の日に、指輪を夫(あるいは妻)に渡し、 『きみのために待ったんだ。さあ、一緒に楽しもう (`I waited for you. Let's get it on.')』と言う」んだそうな。 ブッシュ政権もセーフセックス運動ではなくこの手の (キリスト教保守と結びついた)禁欲運動を大々的に 支援しているそうだ。 社会学的研究ではこの運動にコミットしている若者は実際に初体験が 1、2年遅れるそうだが、 禁欲運動とセーフセックス運動が両立しないところがこの問題の おもしろいところだな。

そもそもセーフセックス運動だって、 「セックスするならば、コンドームをつけなさい」と言っているだけで、 どんどんセックスしなさいと勧めているわけではないはずなのだが、 セーフセックスについて教育すると、 セックスに関する知識とともに、 セックスに対する好奇心を若者に植えつけてしまうと批判される。 そこで、このような好奇心を煽らないためには、 セックスについては一切教えず、 ひたすら禁欲を説くのが一番だということになる。

似たようなケースとして、新手のピッキングや、 オレオレ詐欺などの犯罪の手法についてテレビや新聞で報道したりすると、 模倣犯が現れる場合がある。 また、マイクロソフトが「重大なセキュリティホールが見つかりました。 クラッカーに悪用される恐れがありますので、直ちにパッチを当ててください」 とウェブ上で大々的に宣伝すると、 それに刺激されたクラッカーが新種のウイルスの作成にいそしむという場合も ありうる。 どれも、「その知識を人々に知らせようとしなければ、 悪いことは生じなかったかもしれない」 と思わせる事例だ。

しかし、知識を広めない場合でも、悪いことは生じうる。 たとえば新種のピッキング手法についてメディアで報道しなくても、 ピッキング犯罪は広まり続けるかもしれないし、 マイクロソフトがセキュリティホールについて宣伝しなくても、 いつかはクラッカーが気付いて悪用するかもしれない。 その場合、報道(宣伝)を行なわなかった場合よりも行なった場合の方が 被害が小さくなったかどうかはケースバイケースだろうし、 被害を最小限にする上手な宣伝を考えることもできるだろう。

セーフセックス教育も同じで、この教育をやることで、 たしかに「教えなければ、セックスをやることはなかっただろう」 という事例が生じるのは不可避かもしれないが、 そのような事例を極力減らす教育をすることは可能かもしれない。 それが現在の禁欲オンリーの運動とどちらがより良い帰結をもたらすかは まあ実験してみるしかないと思うが、 極端に走った運動がうまく行くとは思えない。 アウフヘーベンか第三の道か知らないが、 若者の幸福を心配する人々は、 なるべく手を結んで禁欲とセーフセックスの両方を教えるのが良いと思う。

あれ、また中庸な結論に落ちついてしまったか。

夜2

つかれたので帰宅。

真夜中

勉強中。とにかく書け。

涼しい。もうすぐ寒くなるだろうが、 しばらくはこの涼しい天候を楽しもう。

真夜中2

涼しいどころか寒くなってきたので、 押し入れから半纏を出してくる。 風邪を引かないように注意しよう。


23/Sep/2003 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

某原稿をとりあえず書いたので、伝書鳩であちこちに送っておく。

よく考えたら昨日は何もまともなものを食べていなかったので、 野菜炒めを作って食べる。

それから某氏に借りているビートルズのDVDを少し見る。 見れば見たでおもしろいのに、 返さないといけない時分になってようやく見るというのはなぜなのだろうか。 prudentではないということか。 もっと計画的に生きなければ。

政治についてはよく知らないが、一応メモ。 株価の上昇、今回の総裁選の結果、および意表を突いた閣僚人事で、 民主党が次回の総選挙で勝つ可能性はかなり低くなったんじゃないかと思う。 やはり野党は与党が失策をするのを待つしかない。

マキャベリの『君主論』を読んでいると、 彼が偉大だったのは、 当時の君主たちを聖人ではなくマフィアのボスと見立てて、 どうやったらマフィア同士のなわばり争いに勝ち残れるかという 問いを立てて答えようとしていた点に求められる気がする。 メディチ家とかボルジアとか、 君主や貴族ではなくヤクザやチンピラなので、 「メディチ組」とか「メディチ一家」、 「ボルジア親分」とか呼ぶべきだと思う。

まあ、その昔は、 ヤクザと君主の区別が今ほど明確では なかったということなのだろう。 いや、今でも区別できないと主張する人もいるかもしれないが。

お昼前

遅寝遅起き。電話で起こされる。

The Philosophical Lexicon。 ダニエル・デネットがずいぶん以前に作った、 哲学者の名前を使ったダジャレ集のようだ。 初めて知ったが、けっこうおもしろい。このダジャレが全部わかる人は、 かなりの哲学通なんだろうと思う。 哲学者の思想を知るためにも有益かもしれない。 たとえば以下はヒュームについて。

hume, pron. (1) Indefinite personal and relative pronoun, presupposing no referent. Useful esp. in writing solipsistic treatises, sc. "to hume it may concern." v. (2) To commit to the flames, bury, or otherwise destroy a philosophical position, as in "That theory was humed in the 1920s." Hence, exhume, v. to revive a position generally believed to humed.

もう二三。ローティ、オースティン、クリプキ、スクラー。

a rortiori, adj. For even more obscure and fashionable Continental reasons.

austintatious, adj. Displaying in a fine sense the niceties of the language. "I'm not sure what his point was, but his presentation was certainly austintatious."

kripke, adj. Not understood, but considered brilliant. "I hate to admit it, but I found his remarks quite kripke."

sklar, adj. (contraction of German sehr klar) Balanced and comprehensive, as in "His article was sklar - every conceivable position was explained and none adopted."

昼下がり

談合の倫理性について勉強中。エシシスト(ethicist)は大変だ。

「ドーハ閣僚宣言では、 第5回閣僚会議において交渉のモダリティについて明確なコンセンサス で合意した後に競争ルールに関する交渉を行うこと、 競争政策における技術支援及びキャパシティ・ビルディングを強化すべく 他の機関などと協力して活動すること、などが決定されました」。 検索で引っかかった某外務省の某メールマガジンから。 がんばって読めば意味がわからないことはないのだが、 「モダリティ」(現代という意味ではない)とか 「キャパシティ・ビルディング」(ビルの一種ではない)など、 不要なカタカナが使われている気がしてならない。 特に、コンセンサスは合意という意味であることを考えると、 「明確なコンセンサスで合意」という表現には首をかしげざるを得ない。 なぜ「交渉の枠組(形式)について明確な合意が得られたあとに」 などと書けないのか。

夕暮れ

昼下がりはずっとネットで談合について調べていた。

夕方、すこし寝ているとNHKの集金が来て起こされる。おとなしく払う。

知らなかったが、母音と子音というときの子音は、父音(ふいん)とも呼ぶそうだ。 子なる音でありかつ父なる音でもあるなんて、神の三位一体説みたいだな。

「母音と父音の結合なら良いが、母音と子音の結合というのは関心せんな。 近親…」

「やめてください、そういう話は。まだ夕方ですから」

ウェブで検索していると、「予断は許せない」という表記を見る。 思うに、「予断を許さない」あるいは「予断は許されない」というのは、 「事態が人々に楽観を許さない」ということで、 「許さない」の主体が事態となっている無生物主語構文なのだろう (英語などからの直訳なのだろうか)。 が、「許せない」だと人間の意図によって予断を禁ずることになってしまう。

夜中

夜は某中華料理屋でラーメン。


24/Sep/2003 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

早寝早起き。

お昼

マクダウエルをちゃんと読めという天の声が聞こえてきたので、 「価値と二次性質」をまた読みだす。あいかわらず難解だが、 以前に比べると理解できるようになってきた。 が、三時間ぐらい経ってもまだ2ページほどしか進んでいない。 これは正しい時間の使い方なのだろうか。

お昼すぎ、東京駅の丸ビルで某氏らと会い、 食事をしながら歓談。 さらに、近くのDCROSSという無料のたまり場で雑談 (今行くとアンケートに答えてQuoカードまでくれるようだ)。

解散後、丸の内カフェで少し勉強してから戻ってくる。 駅前で中華料理を食べてから帰宅。午後は小雨だった。

夜2

ちょっと寝る。

ちょっとシェリーのPrometheus Unboundedを調べるために、 ネットサーフィン(死語?)。だいたいが面倒くさがりなので、 あまりGoogleなどでシラミつぶしに探すのは苦手だ。

あらかじめ目的が設定されていない散歩やショッピングが得意でないのと、 無目的なネットサーフィンが得意でないのとは、同じ根っこがある気がする。

いや、無目的なネットサーフィンと検索目的のネットサーフィン(っていうのか?) は別か。まあ、とにかく、Googleで調べものをすると時間がかかるので大義だ。 いや、調べものは一般に時間がかかるものだと思うが。いや、だからこそ 要領のよい調べ方ができるように訓練すべきだと言えるのだが。いや。いや。

それはともかく、マクダウエルの文章は本当に難しい。 イギリス哲学はヘーゲルやカントらのドイツ哲学に比べて簡単だと言われるが、 マクダウエルはヘーゲルやカントと同じ世界に住んでいると思われる。 いや、こういうところにはcommensurabilityはなく、 intercontinental comparison of difficultyは成り立たないのかもしれないが。 それにしても、ドイツ哲学無き今、 軟弱な英米哲学を研究する倫理の学生を鍛える方法としては、 マクダウエルの読解を行なうというのが最適かもしれない。 とくに、`Values and Secondary Qualities'の第三節をまともに理解できる 日本人研究者がいったいどれだけいるのだろうか。

真夜中

世の中は広いもので、 John Stuart Killという人が、 『功利主義論』その他を書いているようだ(しかも、出版年が1919/01/93)。 いや、もちろん誤植なんだけど。


25/Sep/2003 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

京都の某氏と長電話。

夜明け

結局朝までかかってマクダウエルを読む。 談合の勉強をせにゃならんのに。う〜ん。

遅寝早起き。生ゴミを出す。

昼下がり

二度寝してしまう。多摩のセミナーに出たかったのだが、 また休んでしまった。

たまっている食器を洗いながら、 「談合について倫理学者が語れることは何だろうか。あるいは、 語りえないものについては沈黙しなければならないのだろうか」 という書き出しを考える。意味不明だが、 「談合」の部分を変えることによって応用の利く出だしである。

それはともかく、談合についての素人に、何ができるのか。 談合についての専門家の意見を紹介したり、 長野県の取組みを紹介したり、 新しい官製談合防止法について紹介したりすることもできるが、 それだと(それだけだと)質の悪い学生のレポートと変わらない。 どうも、こないだのボクシングのように、 談合についての人々の意見に見られる誤った推論を指摘するというのが 良いように思えてきたが、どうすべきか。

・(倫理学的な思考法について) たとえば宮城県知事の浅野史郎が「談合は悪ではなく、犯罪です」 と言ったりしているが、 これは順法的あるいは常識的という意味で倫理的(道徳的)な主張であっても、 倫理学的に考えているとは言えない。倫理学的には、 「入札談合や官製談合は現在、法によって禁止されていたり、 人々に批判されていたりするが、本当に不正なことなのだろうか」 と尋ねることであり、 その結果社会の通念からすると「反道徳的」な結論が導かれることもある。

・(価値の負荷された言葉について) 「談合が悪なのはあたりまえ。丸投げが悪なのと同じ」。 「談合は善いものである」「丸投げは善いものである」 というのが、一見して矛盾しているように見える一つの理由は、 「談合」や「丸投げ」という言葉がすでに悪いイメージを持っている (マイナスの価値が付与されている)から。言いかえると、 それらは多くの場合、何かを非難する文脈において使われるからである。 たとえば、「前首相は密室談合によって決められた」とか、 「あの首相はすべて丸投げにする」というのは、非難の気持ちがこもっており、 「談合」や「丸投げ」という言葉にはそれ自体にマイナスの価値が 含まれていると言える。 多くの差別語にはこのようなマイナスの価値が含まれているため、 これを避けるために別のより中立的な語、価値が付与されていない語によって 置きかえられたりする(精神分裂病→統合失調症)。 ここで「談合」を別の言葉に置きかえるのは面倒なので、 そのまま使うが、この点に注意して議論すべきである。 すなわち、「談合」の悪いイメージは「かっこに入れて」おいて、 談合が本当に悪いのかどうか検討する必要がある。

・(言葉の意味の共通理解が必要であることについて) 談合の倫理性について考えるにあたっては、 上のようにマイナスの価値をひとまず保留した上で、 検討しなければならないが、次に問題になるのは、 その定義である。仮に今、「合談」という言葉をわたしが作ったとして、 「合談は悪いのですか」と尋ねたとしても、 あなたは「合談の意味がわからなければ、その質問に答えられません」 と言うだろう。哲学者と呼ばれる民族は、 しばしば、「Aについてどう思いますか」のように質問されたとき、 「それはAの意味によるね」と答えることで知られているが、 これは単にきどっているわけではなく、 言葉の意味についての共通理解がないままに議論すると、 実は意見が相違しているのに合意したり、 逆に意見が一致しているのに無駄に論争したりすることに気付いているからである。

・(「説得的定義」について→スティーブンソン参照) しかし、倫理的な議論においてもっとも紛糾するのは、 この議論をめぐる争いであり、倫理学的な考察では、 ここをときほぐしてやる必要がある。 たとえば、談合を支持する人からは、 「談合は民主的な話し合いによる合意であるから、不正ではない」 という発言をしばしば耳にするが、 これはなるほど談合の一側面を切りとった定義かもしれないが、 部屋をきれいに見せるために汚ないものは押し入れにしまってしまうような 一面的な定義でもある。 これに対して、談合を批判する人からは、 「談合は話し合いだけでなく、しばしば暴力や贈賄をも含む。 また、一部の関係者以外は排除されるので、民主的でもない。 したがって、不正である」 と言うかもしれない。この二つの見解では、 あきらかに談合についての考え方が違うか、 あるいは、自分の都合の良いように、談合を定義していると言える。 うんぬん。

・(良い談合と悪い談合の区別による正当化) 「贈賄や暴力を含む談合は、悪い談合であり、そうでない、 官製談合を含まない地元の中小業者の助け合いは良い談合である」

・(談合を支持する他の代表的な見解) 「談合(や丸投げ)は、持ちつ持たれつ(共存共栄)を可能にする、 日本の伝統的な解決策である。 米国流の自由競争が万能であるわけではない」 「談合はワークシェアリングである」 「自由競争は結果的にダンピングを生じさせたり、手抜き工事を生みだしたりする」 「談合は農家の保護政策と同様、土木建築業の保護政策である」 「談合をしても予算価格内に収まっているなら、 市民の税金を無駄遣いすることにはならない。自由競争によって得られた最低価格が、 かならずしも適正価格であるわけではない」 「談合は何をしようと、なくならない」

・(談合を批判する代表的な見解) 「談合は悪しき結果の平等主義であり、機会の平等を阻害している」 「談合は市民の税金を無駄遣いしている」 「談合は社会主義である」 「電子入札によって談合はなくせる」

というようなことを考えていたが、とにかくもっと勉強しなくてはいけない。

というようなことを書いていたら、 某大学に行く時間もなくなった。明日朝、かならず行こう。

新聞の集金が来たが、あいにく手持ちがなかったのでまた来てもらうことにした。 もうしわけない、というか、恥ずかしい。

あ、水道料金の払い込み期限が昨日で終わっている。しまった。

10月1日(水)から6日(月)まで、 早稲田青空古本祭だそうだ。 時間があれば一日くらい行ってみるか。

真夜中

夕方から某スタバ。閉店までベンタムの勉強。腹が減ったので、ピタを食べる。


26/Sep/2003 (Friday/vendredi/Freitag)

お昼前

早寝早起き。

ベンタム関係の論文を探して古いファイルを探してみたが、見つからずに苦しむ。 せめてベンタムだけでもちゃんと整理しておかないとなあ。

お昼前2

ネットで談合を調べている。 いろいろ地方の新聞社で特集を組んでいるのがおもしろいが、 とくに中国新聞のこのシリーズがすごい。 過去から見出しを追っていくと、 談合をめぐって何が起こっているのかよくわかる。

お昼すぎ

談合談合談合。そういえば、談合三兄弟という替え歌もある。

げ、もう大学に行かねば。

シャワー、昼食。

夕方

某大学へ。

図書室で、談合を勉強しなければ当分は手にすることのなかったであろう 『公正取引』という雑誌を借り出し、コピー。 この雑誌の発行元は公正取引協会となっているが、 どうも公正取引委員会と関係があるようで、 「談合は唾棄すべき独禁法違反である」というような巻頭言などがあったりして、 すごい。図書室の近くの棚には、 『正義と自由』というこれまたすごいタイトルの雑誌があった。 法学系のようだ。

夜中

夕方、甚しく遅刻して神田の某授業に出席する。 今日からウィギンズ。次回は遅刻しないつもり。

飲み会にも参加。いろいろ話を聞く。

そのあと、食べたりないので、 家の近くの中華料理で少し食べてから帰宅。

さて、勉強せねば。


27/Sep/2003 (Saturday/samedi/Sonnabend)

夜明け前

う〜ん、一晩中、談合の勉強をしたが、まだまだ調べ足りない。

早朝

遅寝早起き。というか、ほとんど寝てない。

しかし、もう行かねば。


28/Sep/2003 (Sunday/dimanche/Sonntag)

夕方

帰りの新幹線の中で。

京都に向けて昨日の朝、出発。 菊名で新幹線の切符を購入。 自由席と言ったつもりだが、あとで切符を見ると指定席になっていた。 めんどうなのでそのままにして、新横浜から自由席に乗って京都へ。 名古屋まではけっこう混んでいた。 新幹線では寢ずにひたすら談合についての論文を読む。

地下鉄とバスで百万遍へ。某和定食屋で昼食を取り、大学へ。 5人ほどで臨時政治哲学勉強会を開く。 某氏がミルに関する英語論文の草稿 (自由原理と功利原理の関係を間接功利主義的に解釈するというもの)を発表し、 オレがクリミンズによる近年のベンタム研究に関するサーベイ論文を要約し、 某氏が某用語集のために書いた「リベラリズム」と「共和主義」を朗読。 (政治的な意味における) リベラリズムは各人の善の構想に干渉しない政治的枠組みを作るという話だが、 共和主義は政治の運営に市民的徳を必要とするだけでなく、 三権分立などによって市民的徳の腐敗を防いでいる。 こう対比すると、 ひょっとするとリベラリズムにはその政体がやっていくために必要な 人間性を制度的に再生産できないのではないかと心配になるが、 自由の空気を吸えばそれ自体が教育になるのかもしれない。 いや、今日の日本を見ているとそんな楽観的なことは言えないか。

そのあと、某ビジネス倫理学研究会に参加。 夕方から夜まで中間報告的な発表を聞く。 自分がまともに準備していかなかったことを後悔する。 というか、執筆者要項をもらっていたことを失念していた。 家に戻ったら探し出さねば。

夜、みなで居酒屋で夕食。 D論、蒲田、沖縄、臓器売買など、 いろいろ話を聞く。

それからホテルに戻ってすぐに寝る。

今朝は朝食を食べたあと、さらに発表会。 オレも発表するが、 談合に情報倫理学的な考察を入れてほしいという注文が来たので、 よく考えてみないといけない。 どうも役人の側から予定入札価格などの情報が 業者に回ってくるというあたりを分析しないといけないようだ。 しかし、どうすべきか。情報の独占、漏洩、アウトサイダーの排除、 なんとかかんとか。まあ、もうちょっと調べてみることにしよう。

全体的には、利益の追求を主要な動機とする資本主義に対して、 別の動機(公共心、名誉、自己実現など)を提示する発表が 多かったように思う。 自己利益という、みなが持つ最低ラインの動機を利用して 社会制度を作るというのがスミスやベンタムの発想じゃないかと思う。 それに対して、別の、より公共善を志向する動機を用いた社会制度を 提案するというのはおもしろい。しかし、 問題は

  1. 自己利益を利用した社会制度は本当に限界か。 制度的改革による改善はありえないのか
  2. より普遍的でない動機をあてにすることができるか、 どうやってそれを育成するか、
  3. オルタナティブの社会制度はそれほど良いものか。
  4. オルタナティブとしての社会制度は、自己利益型の社会制度と共存するものか、 それとも両立しないいものとして考えられているのか、
  5. オルタナティブの社会制度にはどうやって移行するのか (革命? 小さな実験的共同体?)

などだと思う。 資本主義に対するマルクス主義の挑戦と同じようなものだ。 (2)はまさに昨日、共和主義で問題になった、 市民的徳の(再)生産という話とも関係する。 しかし、こういう(現在の経済のあり方を批判する)マクロな話は、 談合には適用できそうにないな。 いや、自由競争対談合というような議論はできる可能性があるが。

しかし、まあビジネス倫理学は裾野が広いものだということがわかった。 応用倫理学に対する自分のアプローチを考えるうえでも得るところがあった と思う。そのうち書き足すが、 応用倫理学には、ソクラテス的なアプローチ(相手の無知を暴露し、 ふり出しに戻させる)の他に、 ソフィスト的なアプローチ(何についても哲学者らしく語り、 また哲学者らしく語る方法を教える)、 アリストテレス的なアプローチ(常識的な意見を検討、総合する) があるように思う。

それから一緒に昼食をとり、解散、京都駅から新幹線に乗る。 車内ではさきほどまで爆睡。あ、もう新横浜だ。

夕暮れ

帰宅。ちょっと寝よう。

夜中

ちょっと寝た。お腹が減ったので、チンゲンサイを炒めて食べる。

イタリアで大停電があったそうだ (BBC News)。 最近、米国・カナダだけでなく、 スイス南部やデンマーク、ロンドンでも大規模な 停電が起きているようだ。こうなってくると、なんとなく、 東京あたりでも起きてほしい気がするな…。


29/Sep/2003 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

ちょっとソクラテスの勉強など。

最初にかれ[人間]がやったのは、自分自身の人格性の諸要素を 外的事物に投映することだった。 それからギリシア人の想像力がそれらの要素をおし拡げて、 完全に人間的な個性を有する擬人的神々をつくりあげた。 だがギリシア人の知性は、遅かれ早かれ、そのような神々が実在しない ことを発見しなければならなかった。 かくして神話は自分自身を追い越して、 精神的世界が存在するということそのことを信じがたいものにした。
自然学がひきだした結論は、精神界というものが間違った仕方で考えられていた ということではなくて、そんなものは存在しない、原子から構成される可触的 物体以外はなにひとつ真実に在るのではないというものだった。 そこに残された成果は、哲学者たちが唯物論と呼び、 宗教家たちが無神論と呼ぶ教説だった。
ソクラテス哲学は自然学のこのような唯物論的動向に対する反抗なのである。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、43頁

この話は、 ブラックバーンの投射説とマクダウエルらの実在論による批判とパラレル のように思う。もちろん、 ブラックバーンは道徳についての唯物論的理解をするわけではないが。 投射説の立場に立つイオニアの自然学者たちは、 いわば「反神話的英雄実在論(無神論)」から「反精神実在論(唯物論)」 にまで行ってしまったので、 ソクラテスはその傾向に反抗した、というわけだ。

早朝

早寝早起き。どうもよく寝れない。

秋晴れ。某ドトールで昨日の産経新聞を読む。 正論で、《個の自由の尊重が放縦につながっている》という、 いわゆる戦後民主主義の悪弊についていつも通り批判されていたが、 社会道徳を批判的に検討し、道徳的自律を説いたソクラテスもミルも そんなことはわかっている。

確かに、「あなた自身の眼で見て正しいことを行いなさい」 と言うのは危険である。それを聞く人々のなかには、 「したいようにすればよい」と言われているのだと早合点する者、 そして「しかしまず、何が本当に善いのかということをあなたの眼が 完全な明晰さで見ているかどうかを確かめなさい」という決定的に 重要な留保条件を理解しない者もいるだろうからだ。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、70頁

また、(加藤尚武流にパラフレーズすると) 日本人は「他人に迷惑をかけてはいけない」という完全義務だけを守り、 「他人に親切にする」や「公に尽くす」 などの不完全義務を忘れているという批判もあったが、 これもミルらの自由主義者が意図したことではない。 これらの不完全義務は推奨され、しなければ非難もされるかもしれないが、 けっして強制されてはならない、というのが自由主義的な立場だろう。

とはいえ、功利主義的には、少々の犠牲で他人に(あるいは自分に) 大きな利益を生み出すことが できる場合には、不完全義務を強制してもよいということになるので (たとえば社会福祉のための税金、ヘルメットの着用義務)、 このあたりが難しいのだが…。

ソフィストとしての応用倫理学者

(以下、藤沢令夫訳の『プロタゴラス』(岩波文庫、17-21頁)を下敷きにしてあります)

(ソクラテス) 「そこでもし誰かが、こう君にたずねたとしたら? 『それでは、君自身は何になろうというつもりで、 (応用倫理学者の)ヒサタケスのところへ行くのか』」

すると彼(サトシデス)は、顔をあからめて答えた。

(サトシデス) 「先のいろいろな例(=医者に報酬を払って教えてもらうのは、医者になるためであり、 彫刻家に同様にするのは、彫刻家になるため、など)にならうとすれば、 明らかに、応用倫理学者になるためということになるでしょうね」

「だが、君としては、神々に誓って、 自分が人々の前に応用倫理学者として現れることに、気がひけはしないだろうか」

「ほんとうのところはそうなのです、ソクラテス。 ---心に思うことをそのまま打ち明けなければならないとすれば」

(中略)

「ひとつ、言ってみてくれたまえ。 君の考えでは応用倫理学者とは何ものなのかね」

「私の承知しているところでは、応用倫理学者とは、 まさに読んで字のごとく、応用倫理について知っている人にほかなりません」

(中略)

「応用倫理学者がひとを倫理に秀でた者にするというのは、 いったい何についての倫理なのか。 たとえば、竪琴の先生は、 自分が知識を授けるまさにその事柄、 すなわち琴のひき方について、ひとを上手に話せるようにするはずだ。 そうだろう?」

「ええ」

「よろしい。では応用倫理学者とは、 何について人を倫理に秀でた者にするのだろうか」

「むろんそれは、自分がひとに知識を授けるまさにその事柄についてでしょう」

「ちがいないだろうね。では、その事柄とはいったい何なのだろうか。 応用倫理学者が自分でも知識をもち、弟子にも知識を授けるのは、 何についてなのだろうか」

「正直のところ、これ以上は何も言うことができません」

お昼前

そういえば、 一昨日京都に行ったときに見かけた市営地下鉄の看板。 教会でも寺でもないのに、さりげなく黄金律を説くところがすごい。

日倫のためのホテルを予約。 うえ、初日も朝9時半から始まるのか。 こりゃたいへんだな。

昼下がり

お昼に郵便局に行き、年金保険料を払ってくる。 ついでに近くのスーパーで買物もする。

お昼はゴーヤとサツマイモ。

ちょっと家計簿を整理する。 なぜ毎月もらった給料がきれいに消えてしまうのかを分析しようと試みたが、 よくわからなかった。大いなる謎だ。

夕方から夜まで某スタバで勉強。新聞も読む。

応用倫理学に対するアリストテレス的なアプローチ

どのような分野の思索においても、 自分の研究主題にせまってゆくのに、 哲学者ならびにまた一般の人々によって承認されている見解から 出発するのがアリストテレスに特徴的なやりかただ。 ある箇所でかれは、 一般に信じられている事柄や、 際立った思考力の持ち主が断言して事柄すべてを無視するようでは、 よりよきものに達する望みなどとうてい叶わぬだろうと述べている。 (…)。 いずれにせよ、常識はいつでも実際的経験との密接な関係のうちにある。 常識的信念は、たとえどんなに見当はずれで混乱していようと、 真実についての何らかの把握を含んでいるらしく、 批判によってその真実を漉し出し、 論理的で首尾一貫した形に鍛え直すことができるのである。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、119頁

完全なる女性についてのアリストテレスの説明

彼女は自分自身は動かされずに動きを引き起こす(=愛することなくして愛される) 何者かでなければならない。…。 彼女の活動はおよそ考えうる最高の性質のもの、 すなわち永遠の自己観想(=鏡で自己の姿を見ること)の生でなければならない。 なぜなら彼女が観想するにふさわしい唯一の対象はといえば、 それは彼女自身でなければならないからである。 彼女は完全であるから何ものも欲しない。 だが完全であるがゆえに、 彼女はこの世界全体の欲求の対象であり、 そのようにして、回転する諸天球の自然的運動と、 そして月下の領域においてはそれぞれ自己の現実化へと向かうあらゆる種類の 男女との究極原因なのである。…。 彼女の思考活動は観想的であって、実践的なものではない。 自己のうちで充足していて、行為へと流出することはない。 彼女は世界に対して働きかけることはなく、 世界についての知識すら持たない。

---F.M. コーンフォード、『ソクラテス以前以後』、山田道夫訳、岩波文庫、131-3頁
(ただし、原文の神を彼女に変え、適宜本文を修正した)

なぜこのような女性が存在していなければならないのかというと、 人生は無目的ではありえず、 あらゆる人間は究極目的を実現すべく生きているのであり、 彼女こそがその究極目的だからだ(彼女は万物の究極目的でもある)。 すなわち、 われわれ不完全な男性にとっては、 彼女と結婚するのを究極目的として生き、 また不完全な女性にとっては、彼女のようになるのを目的として生きているのだ。

駅前でパスタを食べてから帰宅。

帰宅すると、部屋に大きなゴキブリがいて、凍りつく。 引越してきて、一匹も見ていなかったので油断していた。 Oh no, not in my room!

新聞を丸め、10分ほど大騒動を起こしてから、 ようやく仕留める。慣れていないので、 ゴキブリが飛び出したときは死ぬかと思った。 やはりアリストテレスが言うとおり、徳を身につけるには慣れが大切だ。

ゴキブリは狂産党員と同じで一匹いると十匹はいると言うから、 今後も気をつけなくてはいけない。 台所をもっと頻繁に掃除するように心掛けよう。

夜中

風呂に入ったあとも、まだゴキブリを仕留めた衝撃のせいで呆然としている。

今日の産経にある、 東京女子大教授(深層心理学専攻)の林道義氏による、 「男女密着教育」に関するコメント。 思春期の男女(といっても小学生高学年の生徒のことだが) は適切な距離を取ることを教えられるべきなのに、 フェミニストのイデオロギーによって密着教育をさせられている結果、 「子供は混乱したり、フリーセックスへの歯止めをなくしてしまう」 恐れがあると言う。

続けて、「とくに女の子は、男子と密着することに対する本能的 感覚的な恐れや嫌悪感を持っている。 これは哺乳動物のメスに共通の、望まない妊娠を避ける本能的仕組みである。 もちろん人間も動物の一種として、同じ心理的仕組みを持っている」 と述べている。この「メスの本能」というだけでも十分怪しいし、 何より男性が独断的に言うべき事柄ではないと思うのだが、 さらに続けて、 「これを無理矢理なくそうとする教育は、健全な感覚を狂わせ、 せっかく生得的に持っている防衛本能を消去する働きをする」 と述べている。教育によって消すことができる「本能」とはいったい何なのか。 そして、教育に影響を受けるとすれば、 なぜそのような「本能」がもともとあることがわかるのだろうか (アヴァロンの野生児じゃあるまいし)。

さらに、この人は「イデオロギー」を定義することなく、 「フェミニストはイデオロギーに導かれているので」などと書いているが、 どういう意味で使っているのだろうか。

また、「男女密着教育」と言うが、 その中には文字通り男女の身体的ふれ合いを行なうものから、 性教育のビデオを男女一緒に見せるものまで含まれている。 男女が一緒にビデオを見るのは別に密着しているわけではないので、 この「密着」というのはなんともいやらしい使い方だ。

以上、別にフェミニズムに肩入れするわけでもないし、 「密着教育」なるものに賛成するわけでもないが、 読んでて変に思ったのでメモ。 こういう感情を逆なでにしてくれるところが産経の良いところだ。

ついでに、今日の産経抄は、昨日の正論の 《個を尊重すると言いつつ、個人の放縦に見て見ぬふりをする戦後民主主義》 という主張を受けて、次のように述べている。 「東京慈恵医大・青戸病院の手術ミスも、 その『個』の尊重教育の弊害のあらわれだったのだろう」。 これは完全に「これの後に起こったがゆえに、これによって引き起こされた」 (post hoc, ergo propter hoc)な議論だ。 こんな話が通れば、なんでも戦後教育のせいにできてしまう。 さらに、電車の中で兵器で化粧をする女性も、こういう戦後教育のせいにしたあとで、 「車中でせっせと壁ぬりをしたり、 一心不乱にアイシャドーをする女性に決して美人はいない。これは例外がない」 などとまったく無関係な女性差別的発言をする。何を考えているんだっ。

と、別にオレが怒ることでもないのだが、いちおうメモ。

真夜中

今日は新聞を読み、日記を書くだけで一日が終わってしまった。 某〆切が迫っているのだが。


30/Sep/2003 (Tuesday/mardi/Dienstag)

早朝

早寝早起き。今日も秋晴れ。

う、某〆切が。 私的な経済活動と公的な政治活動という二分法の是非について検討しないと いけないのだが。

お昼すぎ

寝てた。今日こそ散髪に行かねば。

昼下がり

昼ごはんを食べる。サーモンのバター焼き、その他。 昨日炊く用意をしていたお米を炊いたところ、 若干においが変だし、水が多かったようでベトベトだったので、 がまんして半分食べたが、残りは捨ててしまった。 もうしわけない。

昼下がり2

いつもの床屋に行く。家賃が高すぎると気の毒がられる。

買物を済ませて帰宅。

真夜中

夕方から夜まで某スタバで勉強。ベンタムと新聞。 駅前でパスタを食べてから帰宅。 今日行ったところは塩辛くてダメだった。

風呂。

そういえば、英国の高級紙であるThe Independentが、 従来のbroadsheetサイズだけでなく、 tabloidサイズでも販売することに決めたんだそうだ。 主婦層や通勤するビジネスマンに便利なようにということだが、 かつてデイリーメールが同じことをやり、 結局中身までタブロイドになってしまったという経緯があるらしい。 産経もタブロイドサイズか、もっと小さく、 雑誌みたいな大きさにしてくれないかな。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Apr 25 01:36:53 JST 2004