大人にとって生活の理想は、自己支配と自らによる方向決定である。 大人であるということは、自分の決定は自ら行ない、 自分の計画は自ら選び、自分の将来は自ら決めるということである。 それは、自律的な選択を行なうことである。
スーザン・メンダス、『寛容と自由主義の限界』
芸術愛好家の善の構想はドゥオーキンの自由主義的国家によって助成されるだろうが、 マンガの読者は楽しむのに自分で金を払わねばならない。 しかもポルノグラフィーに反対しようとするフェミニストは、自由主義的国家での 芸術への助成のためにドゥオーキン自身が用いた論拠を使ってはならない というのである(まさに踏んだり蹴ったりである)。
スーザン・メンダス、『寛容と自由主義の限界』
勉強中。
「マンガ喫茶に行くのは豚の快楽を追求することだっ」 と別のダイモンの声が聞こえた気がする。
勉強終わり。
朝起きて燃えないゴミを出す。今日は二度寝しない(つもり)。
シャワー。
ちょっと生命倫理学の勉強。
ちょっと用事で渋谷へ。暑すぎる。昼食はそば。
それから中目黒へ。
昼下がりに某氏と会って密談。 勉強する気になる。
夕方、蒲田に戻ってくる。しばらく本屋で立ち読みしたあと (立ち読みの習慣が身につきつつある)、 台湾料理を食べる。なかなか。B-。
夜、大雨が降る。そのあと少し涼しくなる。
机に向かっている時間…3.5hr
今日の勉強時間…3.0hr
マルクス係数…32.1
昨日の寝不足が祟ったのか、お昼前に起きてしまう。勉強しよう。
とりあえず、パン、バナナ、ヨーグルト。新聞をネットで読む。
言うまでもなく日本国憲法は日本人が守るべき規範である。日本を攻めてくる かもしれない外国には「平和主義」といっても何の拘束力ももたない。それだ けでも、いかに現実離れした平和論であるかがわかる。
哲学者の田中美知太郎氏はもう何十年も前に「憲法で平和が守れるというので あれば、憲法に台風の日本上陸を禁ずと書けば被害を受けずにすむ」と喝破し たそうだ。これまでの日本がおおむね平和でありえたのは米国との同盟や、国 際環境のおかげだったのである。
(産経抄 8月2日)
以下、習作。
「日本国憲法を守るのは日本人であり、外国人は守らないのだから、 憲法で平和主義を唱えても外国人が攻めてきたら意味がない。 それは、日本国憲法を守るのは日本人であり、台風は守らないのだから、 憲法で台風禁止と書いても意味がないのと同じである」という議論。
この議論の問題は、外国人と台風を同一視していることだ。 当然台風は憲法を読めないし、憲法に何を書いても書かなくてもやってくる。 しかし、外国人は憲法を読めるし、 相手が共産主義か資本主義か、 テロリスト集団か無抵抗主義の国かを理解し、 その理解に基づいて行為することができる。 日本の憲法は台風には(すくなくとも直接的には)まったく影響を与えないだろうが、 外国に対してはそうではない。
もちろん、無抵抗主義を標榜する国や団体に対して攻撃してくる集団も いるだろうが、だからといって憲法に「台風禁止」と書くのと同じぐらい 意味がないとは言えない。 たとえば、日本に上陸する可能性のある100個の台風は憲法に何と書いてあろうが 日本に上陸するだろうが、 日本を攻撃する可能性のある100の国は日本国憲法に平和主義と書かれていれば そのうちのいくつかは日本を攻撃するかどうかを再検討するだろう。
もちろんそれによって100の国が攻撃を差し控えると考えるのは楽観的すぎるが、 とはいえ台風と外国を同一に論じるのも乱暴すぎる。 田中美知太郎はほんとにこんなことを言ったのだろうか。そのうち調べてみよう。
シャワーを浴びてから外出。まず郵便局に行って懸案の年金を支払い、 それから喫茶店へ。まず新聞を(批判的に)読むべし。
新聞。英単語の暗記。外は大雨のようだ。雷がまた鳴っている。
さらに英単語の勉強。覚えるべき単語や表現はまだまだ多い。
某マンガ図書館へ。『部長 島耕作』の残りと、 『取締役 島耕作』と『はじめの一歩』の最新刊を読む。 ついでに雑誌にも目を通す。『週間 宝島』はおもしろいようだ。 最近本屋でよく見かけるビジネスマン向けのロジカル・シンキング本の特集が 組まれていた。流行っているらしい。 ところで、 「言葉で表現できないということは理解できていないということだ」というのと、 「図に書いて表現できないことは理解できていないということだ」というのとでは、 どちらが厳しい基準なのだろうか。経験的には後者の気もするが。
今日は2時間半いたが、 退屈してしまうのでやはり1時間半ぐらいがちょうどいいようだ。 あまり長居しないようにしよう。
しかし、マンガ図書館というのは、フリードリンク制なら、 雑誌もあるしマンガもあるし、喫茶店よりよほど効率的だと思う。 今後は喫茶店は人と話に行くために使い、 勉強あるいは雑誌やマンガを読むにはマンガ図書館に行くことにしよう。
駅前のそば屋で玉子丼ともりそば。C。 それから喫茶店。勉強しよう。
一時間ほど勉強したところで、喫茶店は閉店。追い出される。 それから下宿へ。今夜は涼しい。
戻ってくると、カーテンが窓から出ており、下の方が濡れていた。まずい。
駅前の薬局で買ってきたほう酸ダンゴを設置。 ゴキブリには気の毒だが、成仏してもらおう。
2001年の厚生労働省の統計情報によると、日本人の平均余命は女性が84.93才、 男性が78.03才とのこと。
机に向かっている時間…8.0hr
今日の勉強時間…5.0hr
マルクス係数…39.1
本を読んでいるといつのまにか日付が変わっていた。自律について。 今ひとつピンと来ない。
早起きして燃えるゴミを出す。廊下にたまっていたゴミがはけてよかった。
ちょっと本を読んでから二度寝。
机に向かっている時間…6.0hr
今日の勉強時間…2.0hr
マルクス係数…8.3
昨日はお昼は蒲田駅前で中華料理(B-)、夜も駅前でうなぎ(C+)。 マンガ図書館でちょっとマンガや雑誌を見たり、 喫茶店で英語の勉強をしたりしていた。
今夜も涼しい。
よく寝る。シャワー。
机に向かっている時間…3.0hr
今日の勉強時間…3.0hr
マルクス係数…37.5
昨日はお昼ごろから八景島シーパラダイスに行ってきた。暑い。 昼はモスバーガー(C+)、夜は蒲田で中華(B+)。夜、雷の鳴る夕立。 真夜中に帰宅。
キッチンのあたりでゴキブリの死骸を多数見る。効果が出てきたのか。
洗濯。
起きてシャワー。朝食を買っていないのでない。腹減った。
今日からしばらく長野県は茅野市で(まじめに)研究する予定。
茅野にて。
お昼にスーパーあずさ号に乗って新宿を出発。 混んでいる自由席で爆睡する。 昼下がりに茅野駅に着き、 某先生の避暑地にお邪魔する。 自然に囲まれたとても快適な空間。
夜はそうめん、刺身、枝豆など。スイカ。
Bentham and the Oppressed. メモ(結論部)。 功利主義者ベンタムは偏見と戦っていた。偏見の機能は (1)人々の思考を曇らせ、非功利主義的思考をさせること。 これに対しては主に言語批判によって戦う(啓蒙する)必要がある。 (2)マルクスのイデオロギーのように、支配階級の道具として働くこと。 これに対しては憲法を変更すること(民主主義、情報公開など) によって戦う必要がある。
`Toleration on the side of the legislator, as on the side of any citizen, towards any single individual as towards any group, is one of the most important logical derivations of Bentham's utilitarianism, which judges behaviour only from the calculation of its consequences; men should be left free to think and do what pleases them, insofar as they do not produce harm to others, even though this may not please us.'(Boralevi, p. 181)
ホントに「功利主義→寛容」がlogical derivationって言える? best judgeの他にどのような前提が必要か考えること。
ベンタムの寛容論は即座に弱者の救済措置(奴隷解放など)を取らない点で 「保守的」(p. 186)。しかし、 これが自然権論のようにアナーキーでない功利主義の強みだと思うけど。 共感・反感の原理を批判しながらも世論を考慮するというところにもつながる。
ロビーにネットに常時接続しているコンピュータが一台あるので、 teratermとttsshを入れておく。
From our examination of Bentham's writings on the oppressed it has been argued that many important elements in his attitude towards the oppressed are not simply logical consequences of his utilitarian philosophy, but are in practice `borrowed' from the natural rights theory and from the philosophies of sympathy, which he claimed to reject totally. (p. 187)
だそうだ。自然権から借りたのは女性の参政権などの積極的自由の擁護、 道徳感情説から借りたのは自己利益からは説明できない善意の有用性だそうだ。
The problem is whether it is still possible today to conceive of an effective theory against oppression without resorting to some sort of natural rights. (p. 191)
この人の結論はマイノリティ擁護論は(少なくとも部分的には) 自然権を必要とするということらしい。
机に向かっている時間…2.5hr
今日の勉強時間…2.5hr
マルクス係数…31.3
D論について少し考えてみたり。
早朝に起きて某電話。ロビーで新聞、ネット。
朝食を食べてから、某先生と散歩。
居眠り。
お昼は、近くの蕎麦屋でそば。 某先生はザザムシ煮というものをおいしそうに食べていた。
[白鳥のいる白樺湖] それからすこし足を伸ばして白樺湖までドライブ。 白鳥がたくさん泳いでいてドイツの湖を思い出す。 カップルや家族連れが多かった。 平日なのに何をしているんだ。 働け、日本国民っ。とかいって。
夕方に戻ってきて、またボラレヴィを読み出す。すこしウトウトする。 夕飯はレトルトのカレー、トマト、キュウリなど。スイカ。
ベンタムはレイプ犯には死刑よりも去勢の方が効果的と考えているようだ。 「レイプの場合には去勢が最も適切な刑罰のように思われる。 すなわち、犯罪への誘惑の瞬間に心に強い印象を生み出すのに 最も適しているということだ。それに対して、 死は[犯行のさいに]それほどの印象を与えず、したがって効果がより小さい」 (Boralevi, p. 20)。 まあ、どちらかと言えばそうだろう。同じ調子で行くと、 痴漢は罰金よりも手を切断する方が優れているだろうか。
離婚に関連してはこんなことを言っている。 「自分の嫌いな男の権力の下で常に生きなくてはならないのは、 もうそれだけで一種の奴隷状態である。 彼に抱きしめられることが義務であるというのは、 奴隷状態においてさえ寛容しがたいほどの大いなる不幸である」(ibid., 21)。
なぜベンタムが当時の米国に受け入れられなかったかを考えてみること。 ミルがどの程度受容されたかについても調べてみること。
机に向かっている時間…4.25hr
今日の勉強時間…4.25hr
マルクス係数…53.1
早朝に起きて、新聞、メイルチェック。朝食。
ウトウトしながらベンタムの勉強。 Past Mastersのレイアウトの変更の仕方などを覚える。 検索の仕方も少し上達した(つもり)。
昼にそうめんを食べたあと、茅野を後にした。 茅野滞在については気前よい某先生に感謝。 おかげでベンタム研究を行なう気がやや回復した。
帰りの特急も混んでいた。指定席が取れなかったので 満席状態の自由席に一人分の座席を見つけ、そこで勉強。
昼下がりに無事、東京に戻る。暑い。
夕方、自由ヶ丘で某さんにお会いする。スペイン料理を食べながら歓談。 さらに喫茶店に行き、密談。少しあたりを散歩してから帰る。
机に向かっている時間…5.0hr
今日の勉強時間…5.0hr
マルクス係数…62.5
帰宅後、洗濯やメイル書きなどをしているとあっという間に日付が変わって しまった。立秋らしい。残暑見舞いを出さねば。
さらにいろいろメイルなど。眠い。
オレのいぬ間にたまっていた燃えないゴミを出す。
メモ。昨日の産経抄。
住基ネットにもろ手を挙げて賛成しようというのではない。新たに自衛隊の秘 密データが流出していたというニュースもあって、情報管理に不安が強まって いるのもわかる。それにしても稼働のさいの報道は、いささか常軌を逸してい た。
▼全国三千以上の市区町村のうち、十数カ所でコンピューターのトラブルが起 きたことを「多難なスタート」と見るかどうかはそれぞれの自由で仕方がない。 しかし、新聞の中には「私に番号をつけるな」「国民は囚人だ」といった市民 や識者の話を見出しにした所もあった。
▼テレビのニュースで「家畜化されていくみたいでぇ」という若い女性の声が 流れたときはギョッとした。またぞろ、番号制そのものへの反対なのである。 だが、住基ネット問題の本質は行政サービスのコンピューター化を進めるかど うかで、進めようとすれば番号は不可欠だ。
▼言うまでもないが、住基ネットを進めるための法案は三年前の国会で成立し ている。つまり、民主主義のもとにコンピューター化に踏みきったのである。 世界的なIT化の中で個人情報がもれたり悪用される不安もあるが、それを乗 り越え実施することを決めたのだ。
▼むろんその後も実施先送り論や慎重論が根強かったのも事実だ。主に個人情 報漏洩(ろうえい)を防ぐ仕組みが確立していないといった危惧からだった。し かし、まるで振り出しに戻すような情に過ぎる論は、そうした慎重論にとって も決してプラスでないはずだ。
▼戦後の日本には情緒的な反対論が冷静な論議を妨げてきた例はいくらでもあ る。日米安保や自衛隊の存在をめぐっての「教え子を再び戦場へ送るな」など その典型だった。そんな愚を繰り返さないため、頭を冷やし稼働を見守った方 がいい。
(1)と(3)はよくわからないがいちおう正しいものと仮定しておく。 (2)と(3)については、司法の違憲立法審査権も民主的な手続きだから、 国会で決まった法の廃止論をすることが無意味だとは言えない。 もちろん死刑にしろ住基ネットにしろ、 廃止論を説くのは表現の自由によって保障されている。 また、住基ネットは各自治体にオプト・アウトする権限があるようだから、 その意味でも反対論は無意味ではない。
(4)は何を感情論とするのかが不明。 「番号をつけられるのは家畜化することだ」「教え子を戦場へ送るな」 というのはたしかに感情に強く訴えかけるレトリックだが、 「番号制はイヤ」「安保は嫌い」という感情の単純な表明に比べれば、 当否は別として一応の理由を提示している(「人間を家畜化することは正しくない。 しかるに番号をつけるのは家畜化することだ」 「教え子を戦争に送るべきではない。 しかるに安保は教え子を戦争に送ることになる」)のだから、 これを感情論として一蹴することはできないはず。
う〜ん、冴えない反論だ。
メモ、以下8月7日の読売社説。
首相公選制の持つ問題を考えれば、慎重、かつ冷静に取りまとめにあたった懇 談会の姿勢は当然である。そうした論議の過程も踏まえ、首相公選制は、今後 とも導入すべきではない。 首相公選制の危険性は、田中真紀子元外相のケースを思い起こせば、火を見る より明らかだ。資質に疑念を抱かせる言動を繰り返し、官僚を統御できず、日 本外交に大きな混乱をもたらした。
にもかかわらず、田中氏は一時、熱狂的とも言える人気を誇った。首相公選制 の導入で、田中氏のような政治家が当選した場合、取り返しのつかないことに もなりかねない。
首長も議員も住民が直接選ぶ自治体では、長野県のように、知事と県議会が対 立し、県政が立ち行かなくなっているケースが見られる。そのような事態が、 国政で生じたとしたら、影響の大きさは長野県の比ではない。
「首相公選制は人気はあるが無能な政治家が選ばれる可能性がある。 その証拠が田中真紀子であり、田中康夫である」。しかし、 田中真紀子は議院内閣制でも人気があり無能な政治家が指導者として選ばれうる ことを示しているのだから、首相公選制に反対するための例としては不適切だろう。 「議員内閣制では人気もなければ能力もない首相が選ばれる可能性がある。 その証拠が森喜朗である」という反論の方が、例としては適切である。
しかしいずれにせよ、この件に関してはよく調べてみること。
朝、シャワーを浴びたあと、JRに乗って家族に会いに行く。
首相公選制案だが、日経新聞で見ると(8日朝刊7面)、 主な特徴は次のようになっている。
まず、国民が首相氏名選挙を直接行なう場合の案。
これは大統領制に近い。「一定数の国会議員の推薦」があるなら、 有名だけど無能な政治家やタレントが選出されることはないと思うが、 逆に「一定数」をかなりの数にすると、 既存の政治家以外の人の立候補が難しくなるかもしれない。
次に議員内閣制を前提とした首相統治案。
これはあまり今の制度と変わらないが、 内閣の力だけでなく与党自民党の力も強化されるように思える。
三つ目のものは現行の憲法の枠内での改革案というか今後の課題を指摘したもので、 それほどおもしろくない。
夕方、人生相談を受ける。貯金をすることの大切さ、 保険に入ることの重要さを教わる。 とりあえず定額貯金しよう。
夜は中華。ごちそうになる。感謝。
夜中、プレイステーション2の『グラン・ツーリスモ3』をさせてもらう。 ハンドルとアクセル付の本格派。 1時間半ぐらいはまったが、ぜんぜん上達せず。ダメ。
机に向かっている時間…3.5hr
今日の勉強時間…1.0hr
マルクス係数…3.6
よく寝る。起きてメンダスの『寛容と自由主義の限界』を読み終える。 最後の社会主義による寛容の議論はよくわからんが、 全体的にはよく書けている本(くどいところが多いけど)。勉強になった。
朝食。ごちそうになる。
今朝の日経新聞に中絶の統計が載っている。 2001年の未成年の女性の中絶は過去最多で、約4万6千5百件だそうだ。 これは95年の1.8倍になっているとのこと。セーフセックスの教育が足りないのか、 みんなセックスするようになったのか。全体では34万1千5百88件。
お昼まで勉強したあと、 外で食事。そば。ごちそうになる。
それからJRに乗って渋谷へ。BBmobileのサービスがある某スタバに来る。
あれ、つながらない。もう試用期間は終わったのかな。
『チャート式 新倫理』の続きを読んでいる。おもしろい。
モンテーニュ「私は心に物を詰め込むよりは、心を鍛えたいと思う」
デカルト「だれしも他人から学ぶ場合には、自分みずから発明する場合ほどに、 何事にせよそれほど十分によく考えることも、 それを自分のものとすることもできない」
しかし、心を鍛えるのは体を鍛えるのと同じで骨が折れるし、 自分みずから発明するよりも他人から学んだ方が楽だというのも事実だ。 権威に頼り教えられた事を鵜呑みにするのは労力の点からも効率の点からも 優れている。もちろん、教えられたことが間違えていると困ったことになる。
ピコ=デラ=ミランドラ「おお父なる神はいかに寛大であられることでしょう。 人間が自分の欲するものになることが許されているとは」
いや、自分が欲するものになるといっても、 人間は環境や共同体によってアイデンティティが決定されるので、 「〜になりたい」という欲求からして自分のものではないのだ (とメンダスなら言うかも)。 われわれは選んでカトリックになるわけでも、 選んで同性愛者になるわけでも、 選んでサッカー選手になるのではないのだ(とメンダスなら言うかも)。 われわれは自由ではないのだ。神の支配を脱したと思ったら、 次は慣習や伝統に支配されてしまうのだ(とメンダスなら言うかも)。 帰属せよ。国家に忠誠心を持て。社会主義だ(とメンダスなら言うかも)。
夜、自由ヶ丘で中華(C+)。 そのあと台湾喫茶店を見つけたのでパール・ティーを飲む(B-)。 さらに別の喫茶店に行き、 ロイヤルミルクティーを飲みながら新聞を読む。 夜遅くに下宿に戻ってくる。暑い。
机に向かっている時間…6.0hr
今日の勉強時間…6.0hr
マルクス係数…75
そうめん。
メイルを書いたり、 ネットで調べものをしたり。もう寝よう。
起きる。寝不足気味。
今日は朝から千石に行き、 中国映画祭をやっている映画館で2本映画を見た。
片田舎の小学校の代用教員になった13才の少女が、 生徒の一人で、街に働きに出かけた腕白少年を探して自分も街に行く、 という話。チャン・イーモウ監督。 純朴だが愛情深い人々の交流とユーモラスなやりとりが心温まる。 すこし泣いたかも。B-。
片田舎の小学校にやってきた青年教師に、 村一番の美少女(チャン・ツィイー)が一目惚れし、 世にも美しい純愛を二人の一人息子が回想的に語るという話。 チャン・イーモウ監督。 これは最初から最後まで泣かせる恋愛・親孝行映画で、 映画館中の人々が泣いていたようだ。 オレは見るのは二度目だったので、 チャン・ツィイーがやたらとアップで映されるのと、 あまりにお涙頂戴のストーリーにへき易して、 あまり泣けなかった。しかしやはり少し泣いたかも。 『あの子を探して』の方がお勧めなので、こちらはC+。 ただし、『タイタニック』のような純愛ラブストーリーが好きな人 (そういえば、この映画に『タイタニック』のポスターが出てきたのは、 ハリウッドの恋愛映画に対する中国映画の回答という意気ごみが監督に あったのかもしれない)、 とにかく泣きたい人にはぜひお勧めの映画。
夕方、池袋に行き、サンシャイン・シティの 国際水族館に 行ってみる。 ペンギン、アザラシ、ラッコその他、 魚やらトカゲやらがいておもしろい。 夜になるとナイトアクアリアムと称して夜の魚の生態がわかるような展示を するのでこれもなかなかおもしろかった。
机に向かっている時間…3.0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0