If I were Bill Clinton I would have resigned yesterday, just to give his deputy [Al Gore] a whole 24 hours as president. ... Then "President Gore" could have sat down and opened up his diary to see what his duties were for the day. "Let's see, Saturday, Saturday. Ah yes, here we are; 4pm -- hand over the presidency to George Bush."
John O'Farrell, `The misunderestimated president',
in The Guardian (20/Jan/2001)二、三日前去る所へ呼ばれてシルクハットにフロックで出掛けたら、 向うから来た二人の職工みたような者がa handsome Jap.といった。 ありがたいんだか失敬なんだか分らない。
自惚(うぬぼれ)自惚! こんな事では道を去る事三千里。 先(まず)明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。 こう決心して寝てしまう。 284頁
夏目漱石、「倫敦消息(抄)」、
『漱石文明論集』(三好行雄編)、
岩波文庫、1986年、282頁
この週末は大学の勉強をそっちのけでボクシング廃止論の勉強をしていた。 こんなに熱中して勉強したのは死刑廃止論以来かもしれない :-)
まだまだ議論に磨きをかけないといけないが、 とりあえずだいたい形になったので草稿を書き、 日本にいる親切な方々に批判をあおぐことにしよう。
「あれ、最近更新しなくなったので、 ついに発狂したか自殺したかと思ってたのに」
「新年早々不吉なことを言わないでください。あ、今日は旧暦の正月なんです。 ゴンシエファアチャイ」
「また下手くそな中国語をひけらかそうとする」
「いや、失礼しました。ええと、 ボクシング廃止論の草稿を書くのに思いのほかてまどり、 週末がまるまるつぶれたどころか、火曜日の朝ぐらいまで書き続けていたので、 その後にも発表やらなんやらとにかくいそがしくて、 頭痛発熱生理痛でたいへんで」
「あれ、下品な発言はひかえるんじゃなかったの?」
「あ、すいませんすいません。なにしろちょっと弱ってるので」
「授業の様子は書かないの?」
「ええと、月曜日はノージックの権利論の話で要復習です」
「ふむふむ。政治哲学入門だっけ」
「そうです。 火曜日は、ええとなんだったかな、法哲学の授業で、 バーリンとコンスタンの自由論についてでした。 これも要復習です。来週はミルの自由論です」
「ああそう、ちょうどよかったんじゃないの。 ボクシング廃止論でロクに勉強もしていないミルの議論を 使おうとしてたとこだったでしょ」
「ええ、ただし〆切が水曜らしいので、ちょっとやばいですけど」
「大丈夫大丈夫、あそこの〆切なんてあってないようなものだから」
「シーッ。そんなことを大声で言うと、 どこか暗いところに連れて行かれちゃいますよ」
「はいはい。それで水曜日は」
「ベンタムの授業で、証拠法についてでした。 代理で発表をする可能性があったので、 朝までかかってポステマの論文を読んだんですが、 これがまた意味不明の論文で。 しかし、 証拠がどれだけ立証能力があるかという証拠法の問題自体は、 非常におもしろく、哲学的な含意も豊富にあるようです」
「近代の証拠法の問題は、もともと神の存在証明の議論から発展したらしいもんね。 ライプニッツの確率の議論も、 裁判における証拠の蓋然性の議論が問題意識としてあったみたいだし」
「ええ、ええ。それで、夕方には、オノラ・オニールのInternational Justice についてのセミナーに出席しました」
「え、あのケンブリッジのカンティアン?」
「ええ、こわいおばさんでした。横には、ドゥオーキンと、 ジョナサン・ウルフ教授が座っていて、会場も大入でした。 もっとも、40人くらいしか入らない小さな部屋ですが」
「けっこうすごい顔ぶれだな」
「ええ。 ローリング・ストーンズのコンサートに行ったときのことを思いだしました。 みんなドゥオーキンのことを『ロニー』って呼んでましたし」
「おもしろかったの」
「議論は、なんでマクドナルドのような多国籍企業や、 アムネスティのようなINGOが地元の人々の権利を守る義務があるんだ、 というような話になっていましたが、 オニールとドゥオーキンがやたらよくしゃべるので、 みんなちょっとへき易していたようです」
「まあ、セミナーなんてのは10人かそこらでこじんまりやらないと、 そんなにうまく行かないからねえ。出席者も、たんに有名人を見ただけ、 って感じになっちゃうし。君は質問したの?」
「いえ、時間がなくて原稿をあまり読めなかったので。 次、がんばります」
「新聞を読んだり、副業にいそしんだりしてないで、 勉強しないといかんよ」
「了解しました」
ロールズの正義の二原理と、初期位置(って訳はダメ?)について。
学生からの質問で、「正義って何ですか」という問いが出ていたが、 日本の授業だとなかなか出なさそうな質問である。 授業とか、先生と生徒の関係とかについての考え方(認識の仕方) に違いがある気がする。
(エルトン・ジョンの話をしていると、自然と同性愛の話になる)
A「同性愛はよくない」
B「その通り。同性愛はよくないわ」
C「なんでよくないの?」
B「カトリックでは禁止されているから」
C「じゃあ、カトリックじゃない人は?」
B「個人は自由に選択をすることができると思うけれど、とにかくよくないわ」
A「同性愛がよくないのは、同性愛は肛門を誤った仕方で用いるからだ」
C「けど、誤った仕方って何なの?」
A「不自然な仕方ってことだ」
C「じゃあ、手でキーボードを打ったり、 足でボールをけったり、口で口笛を吹いたり、 舌で切手を舐めて貼ったりするのも誤ってるの?」
A「手や足や口は、いろいろな仕方で使うことができるようにもともと作られている」
C「肛門もいろいろな仕方で使ってもいいんじゃないの。浣腸したり、 大麻を隠してみたり…」
A「まったく、これだから倫理学者は。ああいえばこういう。 こういえばああいう。善いものを悪いもののように語り、 悪いものを善いもののように語る。 現在の道徳を擁護せず、 異端の道徳を若者に教えて彼らを退廃させる」
C「けど、現在の道徳がかならずしも善いとは限らないでしょ。 そもそも倫理学の目的は現在の道徳の批判的吟味であって、 金科玉条のごとくおしいただくことじゃないわけで」
B「とにかく同性愛はよくないわ。だって、道徳的に不正ですもの」
大学生協にあたるステューデント・ユニオンで、 古本市があったので少し本を購入。
大英博物館で、レンブラントの銅版画展がやっていたので見てきた。
やはり版画でも黒を多用した薄暗い作品が多かったが、 展示室の照明が明るかったせいか、 あるいは版画は小さいものが多いせいか、 もうれつに感動する作品を目にすることはなかった。
しかし、なかでも、 風景画のThe Three Treesと宗教画のThe Three Crosses (とくに、真っ暗な版) がもっとも印象に残った。 どうも最近の傾向を考えると、 生い茂った木が主題になっている風景画と、 キリストが磔になっている宗教画に弱いらしい。
もう一度見に行きたいところだが、 入場料があるので行かないかもしれない。
「やっと論文書きましたので、 ちょっと読んでくれますか」
「え、きみ明日ミルの自由論でプレゼンあるんとちゃうんか」
「いや、こっちを仕上げないと気にかかってしかたないんで」
「大丈夫かいな、ほんまに。あれ、しかもこの論文めっちゃ長いやんか」
「ええ、ええ、どないしよか思ってるんでっけど。あれ、大阪弁がうつりました。 とりあえず某先生に頼みこんでみて、 あかんやったら泣く泣く短こうせなあかんと思います。あれれ。 とにかく、これ以上短かくしたくないんで、どないしよか思てます」
「君なあ、ほんまはプロたるもの、 原稿用紙10枚やったら10枚きっちりと、 最後のマス目がマルで埋まるくらいにならんとあかんねんで」
「まあまあ、そうなんですけど、とりあえず読んで感想聞かせてくださいな。 議論にはいろいろ問題あると思いますけど、けっこうおもろいと思いますから」
「あれ、タイトルが『ボクシング存廃論』になってるぞ」
「ああ、それは、その、『ボクシング廃止論』とすると、 何がなんでもボクシングを廃止せよという過激なPTA会長かなにかと勘違いされる 可能性があると思ったので、中立的かつ穏当なタイトルにしたわけです」
「あいかわらず君はぬるいなあ」
「いや、まあ、個人的には日本に帰ったら『はじめの一歩』読みたいし…」
ミルの功利主義、自由主義、民主主義の関係について。 アイザイア・バーリンの1959年のミル論文について発表。 この論文は、主に『自由論』を扱った、 ミル研究史においては非常に重要な論文で、 たいへん勉強になったが、 なにしろ一夜づけだったので不満足な発表になってしまった。 要反省。
時間があるわけではないが、 しばらく脳の機能がまともに動きそうになかったので、 VCDでブルース・リーの『怒りの鉄拳』(だったかな?)を観た。 こちらではThe Big Bossというタイトルでも知られているようだ。
麻薬の密売をしている悪人の社長とその子分らに親類や友人を皆殺しにされ、 怒り爆発したブルース・リーが、悪人を皆殺しにする、 という典型的な勧善懲悪・復讐劇。 ジャッキーチェンの昔の映画と違い、 最初から最後までブルース・リーは最強で負け知らず、 というところがポイントだ。 いつ訓練をしているのかわからないが、とにかく勝つ。
物語は単純だが、 観客も悪人たちの極悪非道さに蒼白し立腹せずにはいられないため、 正義を体現したブルース・リーの勝利にカタルシスを覚えることになる。 しかし、なぜブルース・リーが買春宿から出てきたときに ヒロインが彼をひっぱたかなかったのかとか、 なぜヒロインは一日悪人の館に閉じ込められて貞操を守ることができたのかなど、 素朴な疑問が残った。文化の違いか。 単純なカンフー復讐劇だが、とにかく名作であることはまちがいない。B-。
「ちょっと君。君なあ、昨日までボクシング廃止論を書いていて、 今日はブルース・リーの暴力シーンを観て喜んでるとは何事や」
「いや、これはフィクションであって、 現実だったらブルース・リーも逮捕されるわけで」
「フィクションだとしても、暴力を奨励してるんじゃないのかね」
「う〜ん、それは難しいところですね。不正に目をつぶるな、 正義のために立ち上がれ、というメッセージを送っているとも言えますし。 一部のハリウッド映画や、 近頃裁判沙汰になって問題になっているデスメタルとも同じものといえるかどうか。 それに、 これらの映画や音楽が本当に暴力を促進しているかどうかもわかりませんし、 見るがわも作るがわも直接的な危害をだれに与えているわけでもないので、 表現の自由の見地からしてちょっと規制するのは難しいのではないかと」
「おうおう、口が達者やな。 自分の利益が関わるとすぐにそうやって理論武装して 殻に閉じこもろうとするんだから」
「なんですかその言い方は。ほんとに口汚ないんだから」
「それに君なあ、倫理学やってるんやったら、そんな映画観てないで、 インドで地震で死んだ2万人近くの人々のことを悼むべきとちゃうんか」
「いや、おっしゃるとおりです。すいません」
「もう募金したか? あれが日本で起きてたらどんな気持ちなる? もっと共感能力を養わんとあかんで」
「すいません。修業します」
数年前(去年だっけ?)、ロンドンのウェストミンスター議会とは別に、 スコットランド議会ができ、スコットランドの自治が大きく進んだわけだが、 スコットランドでは近々かなり大規模な福祉政策を打ち出すらしい。 (The Guardian, `Scotland creates a new north-south divide', 27/Jan/2001)
イングランドでは、学生は授業料が高いと嘆き、 教師は給料が安すぎると嘆き、老人は医療費が高すぎると嘆いている一方で、 スコットランドでは早ければ来年から、 学生は授業料なし、教師は給料21%アップ、老人は医療費無料、 ということになるらしい。
これは、日本で考えてみると、大阪か京都に新たに関西国会ができ、 学費タダ、教師給料大幅アップ、老人は医療費無料、という政策が打ち出される、 というような状況だ。
こうなると当然、関東国会の支配下にある市民は怒るわけで、 関東自民党は何しとんじゃ、ということになる。 関東圏の端にある愛知県の人などは、 もうこんなところには住んでいられないと言って、 関西圏に移動しようとする人が多数でることになろう。 (あれ、上の一部の政策は今でも地方自治体レベルで行なえるのかな?)
同様に、ブレア率いる労働党がこうした批判をこうむることは避けられない。 ほっておくと、イングランドの北に住む市民が大移動する可能性もある。
しかし、フリードマンなら、「どっからその金が出てるんだ?」と尋ねるだろう。 タダの昼メシなんてものはないわけで、福祉が篤くなればなるほど、 税金は高くなる。 市民がそれでも満足ならかまわないだろうが、 「なんでウチの息子は高校を出てすぐに働いているのに、 おれも妻も息子もどっかのドラ息子の大学の授業料を払わないといけないんだ?」 と文句を言う連中が出てこないとも限らない。 (ま、そういう主張をする人でも、イングランドのように、 教師の労働状況が悪すぎて人員が不足し、 そのせいで授業数が減ってしまうという事態よりは望ましいと考えるだろうが)
今後、労働党がこの手の地方分権化による「隣の芝は青い」 式の批判をどうかわすか、興味深いところである。
フランス革命について。予習しなかったせいか、得るところなし。 次はちゃんと予習するべし。
ジョン・ガードナーという、オクスフォードの法哲学の先生による、 合理性の話。すこし予習したが、これも得るところなし。 しかし、合理性についてはもう少し勉強すべし。
つい調子に乗って、もう一本ブルース・リーの映画を観てしまう。 中国人が経営している店にいやがらせをするローマのチンピラを けちらしたブルース・リーが、 米国人の空手チャンピオンをたたきのめす、という話。
映画全体を通して、「中国拳法は日本の空手より強い」 というメッセージが伝わってくるのだが、 この映画が作られたころにそういう論争があったのだろうか。
それにしても、ブルース・リーはとにかく強い。無敵。 たまには負けないとおもしろくない気もするが、 最後の闘いのシーンなどは、やはり手に汗をにぎってしまう。 が、ストーリーはあってなきがごとしの陳腐なもので (舞台がローマである必然性がまったくない)、 『怒りの鉄拳』の方が伝統的だがメリハリがきいていておもしろい。C+。
いけないいけないと思いつつ、さらにもう一本観てしまう。
映画スターのブルース・リー (以下「リ」) を異種格闘技戦に出場させようとするマフィアの連中が、 リの拒絶に腹をたて、 映画の撮影中に事故死に見せかけて彼を殺そうとする。 一命をとりとめたリは、 復讐に立ち上がり、マフィアの連中を全滅させる、という話。
ストーリーは前の二作に比べると、洗練されていておもしろい。 が、リが撮影途中で本当に死んでしまったため、 リの代役がなるべく顔を見せないように役を演じているのが (はじめのうちは気づかなかったが)途中から非常に見苦しい。 オチがついていないのも悲しい。
とはいえ、 最後の格闘シーンだけはリが生きているうちに取られたらしく、 この場面が見れるだけでも、この映画は価値があるだろう。
名作だけど、やはり全体的に見ると見苦しい映画なので、C+。 CGを使って作り直したらどうか。