普通1人称とは、自分自身を指しますが、この場合は事件や問題の被害者本人、 2人称はその家族です。・・・この1、2人称からの視点が抱える思いを 大切にしなければならないのは、もちろんですが、時に感情に偏りがちです。 だから、客観性と合理性を持つ冷静な3人称の視点が必要なのですが、 往々にしてひとごとのように、ことを処理しがちです。
相手に寄り添う心遣いをもちながら、専門的職業人の務めもこなす。 そんな、ぬくもりのある「2.5人称の視点」が大切だし、社会を変えると考えるわけです。
---柳田邦男
早朝に起床。シャワー、朝食。
朝から某国際シンポジウムに参加。大学ぐるみの催しなので偉い人が多い。
お昼前にホテルに戻り、昼下がりまで報告の準備。
昼下がりに人文系の部会の会場に行き、報告する。sufferingの話。ちょっと時 間が足りずに早口になってしまい反省。英語ももっと訓練しないとなあ。
夕方にホテルに戻り、夜は正式な食事会。知らない人ばかりで大変だったが、 台湾大学の哲学科の人の話をいろいろ伺い参考になる。
夜、帰宅。今日も早めに寝ることにしよう。
少し早めに起床。朝食、シャワー。急いで地下鉄で京都駅へ。地下鉄は朝でも 8分おきぐらいでしか走っていないので、時間を甘く見ており危うく新幹線に乗 り遅れそうになる。事前にちゃんと調べる合理性が必要だ。
車内では講義の準備と仮眠。
お昼前に信濃町に行き、某氏の学生に臓器移植の講義。お昼は寿司をごちそうになる。
昼下がり、虎ノ門に移動。学生たちに混じって某日本臓器移植ネットワークで 夕方までいろいろお話を伺う。二度目だが、たいへん勉強になった。
夜、本三で少し飲み会に顔を出し、病院の某氏らに挨拶。おいしい料理を少し ごちそうになる。感謝。それからタクシーで急いで帰宅して夕食。
夜中、娘を風呂に入れ、寝かしつけをやる(娘が「ママー」と泣き叫んだので途 中で某妻が協力してくれる)。
真夜中、某校正作業。あと少しだが、明日も早いのでもう寝よう。
定時起床。ひげ剃り、朝食。娘を保育園に送ってから、茗荷谷の喫茶店で一服。
それから駒場に移動して、某サンデル講義。法と道徳と同性婚の話。学生の意 見を聞いていたら少し延びてしまったが、それなり。
お昼すぎに本郷へ。パンを買って事務室で食べる。昼下がりはいろいろ雑用。
夕方、某オンライン研究会。最近のHIV対策について。おもしろかった。
夜、茗荷谷まで地下鉄で行き、そこから歩いて帰宅。夕食。娘に初めてカルシ ウムせんべいを食べさせたが、ぼろぼろとこぼして大変。
夜中、娘を風呂に入れ、食器を洗う。今日こそはさっさと寝よう。
昨晩は『シザーハンズ』を観てから寝た。 ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演のよくできた御伽話。 最初はハサミの手を持つエドワードを重宝し「寛容に」扱っていた町の人々が、 後半、いくつかのことがきっかけとなり手の平を返したような差別的言動を行なう。 不当な扱いを受けたエドワードはストレスに対処できず暴れてしまい、 結局町を去らなければならなくなる。 ウィノナ・ライダーが演じるヒロインが要所要所でもうちょっと しっかりしていればああいう結果にはならなかったのではないかと思わされるが、 まあそれもストーリーということで、楽しく観ることができた。B+
今日も遅めに起きる。シリアル、朝刊、シャワー。
お昼ごろに大学に行き、いろいろ雑用。お昼は某喫茶店で読書をしながら。
昼下がり、研究室に戻って少し寝袋。それからまた雑用。
夕方、喫茶店で少し某論文を読む作業。夜、帰宅。
夕食後、某オンライン研究会。難しい。
真夜中、某論文を読む作業。やばい。いろいろすべきことが…。
朝、早起き。シャワー、朝食。
地下鉄で山科まで移動し、それからJRで三ノ宮へ。 某国際会議場で開かれていた 某氏主催の某コンファランスの手伝い(なんちゃって通訳)を少しする。 某先生や某氏もいらしていた。
それから某妻博士とメリケンパークの某フランス料理屋で昼食。 お腹いっぱいに食べる。
昼下がり、元町から新神戸に移動して、夕方の新幹線に乗る。 京都から名古屋の間は意識を完全に失っていた。
夜、有楽町の某電器屋に寄ってから帰宅。 夕食を簡単に取ってからゆっくり過ごす。
今回の某集中講義に呼んでくれた某先生に感謝。 また、兼業中に代わりに仕事をやってくれた同僚の某氏らにも感謝。 あと、いろいろ手配をしてくれた某妻博士にも感謝。 明日はもう一日ゆっくり休み、明後日からまた仕事に戻ろう。
朝、30分ほど遅く起きる。シャワー、朝食。定時出勤。
午前中はいろいろ雑用にまみれる。某論文を読む作業も。
お昼すぎ、出張中の某氏と本三でカレー。ごちそうになる。 そのあと、某先生たちと夕方まで某相談。途中、30分ほど某卒論生の指導。
夕方、一時間ほど某氏と雑談しながら雑用。
夜、某講義に手伝いで参加。と思ったが、二件雑用が発生し、 その対応に追われる。両方とも事前に確認しておけば発生しなかった雑用だけに、 悔やまれる。忙しくていろいろ追い付いていない。
疲れて夜中に帰宅。夕食。朝刊と夕刊を読んでからソファで死んだように眠る。 起きてから食器を洗う。
贈り物二件。ありがとうございます。香港からめでたいニュースが一件。
気晴らしに、某妻と一緒にモンティ・パイソンを少し観る。
なんとか起きて、ゴミ出し、シャワー、朝食。 そのあと、二階の勉強部屋で朝刊。ついゆっくりしてしまう。
非常勤の準備をしないとまずい。
今日のこと。
起きて朝食。最近は夜にシャワーを浴びることが多いので、 朝に余裕がある。とはいえ、そろそろ行かねば…。
千石駅前でコーヒーを買い、地下鉄にて定時出勤(少し遅刻)。 今日はなんだか朝から心が落ち着かない。 深呼吸して冷静に行動するようにしよう。
午前中は某英語文献講読。BMAの倫理指針の作り方について(Sommervilleの論文)。
お昼は某ランチョン・セミナー。 先日の某民放でやった諏訪の某病院の予防医療の取り組みについて。
お昼すぎ、しばらく図書館で勉強。 昼下がりから夜まで、某ミーティング、某院生の発表、某授業。勉強になる。 夕方、遠方よりメロス情報あり。
夜、散髪屋に行こうと思ったらすでに閉まっており、 仕方がないので某購買部でクリスマスカードでも買おうかと思ったら、 そこもすでに閉まっていた。つかん。 春日でラーメンを食べ、某ディスカウントストアで日用品の買物をしてから帰宅。
夜中、ガス代などを支払いにコンビニに。 一軒家になると光熱費が上がると聞いていたが、ガス代は確かに高くなった。 そういえば、給料が少し増えていたが、あれは交通費が上乗せされるように なったからのようだ。 今までは家が大学から近かったため、交通費は出なかったのだ。
明日は絶対にプールに行くべし。
夜中、ちょっとメタ倫理の勉強。
NHKのワーキングプアのドキュメンタリーを見ながら、 今日のお昼に見たテレビ番組を思い出す。 それによると、「がんばれ」という言葉は、 すでに十分努力している人にとっては「がんばりが足りない」 という非難に聞こえるため、 相手を傷つけてしまう可能性があるそうだ。 そういう場合はむしろ、 「今までよくがんばってきたね。もうがんばらなくていいんだよ」 というのがよいらしい。 う〜ん、火星人には使い分けが難しいが、がんばろう。
今日のニュース
お昼前に起きて大学へ。昼食がてら本三の喫茶店に行き、 2時間ほど集中して翻訳をする。つかれて研究室に戻ってきて雑用。 これから某外国人を上野に迎えに行く予定。
夕方、歩いて上野に行き、 上野の喫茶店で翻訳をしながら時間をつぶしたあと、 某外国人父子を京成上野駅で出迎える。
タクシーで本郷に戻ってきたあと、 外国人を龍岡門側のホテルに連行(連れて行ったという意味)。 しばらく休憩するというので、そのあいだにプールに行き、 1キロほど泳ぐ。
夜、同僚の某氏にも付き合ってもらい、 本三の交差点のそばの焼き鳥屋で食事をしながら歓談。 ビールをジョッキで3杯。酔っ払う。
それからホテルに連行し、研究室に戻ってくる。 Monty PythonのMonty Python Singsと、 Eric Idle Sings Monty Pythonが届いていたのでiTunesに落とす。
翻訳もしないといけないが、しばらくたまっていた新聞を読もう。
産経によるジェンダーの解説(2005年12月16日)。 記録として写しておこう。
- ジェンダー
- 生物学的性別(セックス)ではなく、 社会通念や慣習の中で作り出された「男性像」「女性像」。 このような社会的な性別が、男女の偏見を生み、 男女共同参画を阻害するとした特定のグループが 「ジェンダーフリー」の名の下で活動。文化・伝統や、 「男らしさ」「女らしさ」をも否定し、 人間の中性化を目指したり、家族や親子関係の重要性を否定するような 教育が行われたことから、社会問題となった。
まだ大学で新聞を読んでいる。 新聞を読みながらEric Idle Sings Monty Pythonを聴いているが、 曲と曲のあいだのトークがおもしろい。 ひさしぶりに良質のユーモアに触れた気がする。 やっぱりユーモアに毎日触れていないと、 ユーモアのない人間になってしまうようだ。 (そういえば、先々週の「英語でしゃべらナイト」 を見ていてもそう思った) もう少しユーモア力(humorous competence)を養うために、 普段からモンティパイソンや筒井康隆に触れるようにしよう。 SF的発想についても同じことが言える。
「あいかわらず君はユーモアのセンスがないな。 ユーモアについて真面目に語ってどうするんだ」
コンビニで買物をしてから帰宅。
そういえば、今日歩いて上野に行くときに不忍池のほとりを通ったら、 枯れた蓮の茎と茎のあいだに、 どこからか渡ってきたらしい鴨がたくさんいたので驚いた。 不忍池もけっこう凍っているようだ。 鴨もさむいかも。
「く、くだらん。失格」
あれ、`The Beatles are bigger than Jesus.'というコメントについては、 こないだも書いたが、 それとまったく同じ話を2年前にしているな。 2年経つと自分の書いたことを完全に忘れるということか。 自分の考えたことを繰返し書くのはまだ良いが、 本などで読んだ他人の意見を自分の意見と間違えて述べないように気をつけよう。
今日のニュース
BMJを読んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまう。勉強しなければ。
ダニー・ボイル監督の『28日後』をDVDで観る。 動物解放運動をしている連中が実験用のサルから感染した病気(ゾンビ病?)が、 またたく間に英国中に広がり、 交通事故で病院に収容されていた主人公が28日後に目覚めたときには、 街は死に絶えていた…という話。 そこから『トリフィド』ほどではないが、 ただ怖いだけでなく、話がどんどん展開していっておもしろい。 かっこいい映画。(劇場版はエンディングが違うようだ)。B-。
なんとか早起きする。発表の準備をしないと。
エアコンのリモコンによると、室温は9度。
やばい、遅刻だ。
朝は案の定遅刻したがなんとか南大沢に行き、発表。 エンゲルマンという人のベンタム解釈についてなのだが、 これがまた意味不明の内容で、それを解説するのはつらかった。
昼下がりはウトウトしながらその続きを聞く。 夕方、神田に移動。ブラックバーンの勉強。 某氏らとラーメンを食べてから帰宅。
帰ったときにちょうど新聞の集金の人が来ていたので、 払っておく。家賃もネットで払った。
ひさしぶりに時間に余裕があるので、眠いがDVDでも見るか。
うおー、見るぞー。
といいつつ、新聞。
小学校に刃物を持った男が乱入するというのは、 なんとも『漂流教室』的だよな。 あ、また読みたくなってきた。
ラバーソウルやリボルバーのころの(動く)ポールはかっこいいなあ。 どうも向かって右から撮るのが良いようだ。 向かって左から撮ると現在のおじいさん顔になる。
`The Beatles are bigger than Jesus.'という発言は、 倫理学的に見ておもしろい。 ジョン・レノンは、この発言に関して、 「ビートルズは事実として、 英国の子どもたちにイエスよりも大きな影響を与えている」 と釈明していたが、 KKKの人や他の人々は`The Beatles are better than Jesus.' と理解して怒っていた。つまり事実判断ではなく、 価値判断と理解したわけである。 biggerは文脈次第でそのどちらにでもとれる言葉だというのがポイントだろう。
よく寝る。途中までコタツで寝ていたせいか(いつものことだが)、 ちょっとノドの調子が悪い。
昨日の産経で「正論新風賞」を取った阿久悠がこんなことを書いていた。
大学の卒業論文を書く時、参考文献を用いないことで、 イエローカードにも匹敵する指導を受けた。 その時の疑念がまだ残っている。他人の研究を引き写すことが優等、 引き写すことが多ければ多いほど誠実、その逆に、 すべてを自分の考えで構築し、創造したものが劣等であり、 不勉強とはどういう価値観から生じるのかと疑った。
(産経12月18日朝刊)
オレも学部のときに同じように思った記憶があるので、以下メモ。
文献を読むというのは「他人の研究を引き写す」ことが目的ではなく、 自分の意見を作るさいに他の人の意見も参考にするということで、 これはちょうど政府が立法をするさいに委員会を設置したり 公聴会を開いたりするようなものだ。 総理や知事が誰の意見も聞かずに立法をしたら困るのと同様、 論文と称して独断的な意見を述べられても困る。 バランスを取るためには他人の見解を見ておくことが必要なのだ。 もちろん研究者にとっては、「学問の進歩」に貢献するためには 最新の研究を踏まえたうえで議論しなければならない、という理由もあるだろう。
というわけで、めんどくさがらずにちゃんと文献を当たるようにしよう。 人のことは言えないので、隗より始めなければならない。
昨日JRに乗っているとこういう広告があった。
最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「どうぞ」って言えます
習慣によって徳が身につくという良い例と言える。 アリストテレスなら「照れくさがってるうちはまだまだ有徳とは言えない。 自然に『どうぞ』と言えるようになってはじめて徳が身についたと言える」 と言うだろう。
どうでもいいが、というかこの広告の冒涜になると思うが、 この広告の言い回しは応用が利いて、 「どうぞ」の代わりにいろいろと言葉を入れてみるとおもしろい。 たとえば:
最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「男根主義的」って言えます---あるフェミニスト
とか、
最初はちょっぴり照れくさかったけど、
今では自然に「ベンタム」って言えます---ある研究者
とか。さあ、みんなもやってみよう。
部屋にいても手がかじかむ。
今日も出発が遅れたので、けっきょく御所→大学→銀閣寺→吉田山しか行けなかった。 一日中小雨が降っていたが、 霧のかかった御所や銀閣寺はとても落ち着いた感じでよかった。 大学はあいかわらずだったが。
あ、香港人がやってみたいというので、 百万遍でパチンコもした。 パチンコをするのはたぶん高校生以来で、 あっという間に千円すってしまった。 二度とやるまいと誓った。
昼は熊野でカレー、夜は大学のそばの居酒屋。 居酒屋で腹一杯食べてから、香港人たちをホテルまで送り、 自転車で帰宅。
そういえば、 昼下がりに大学に行ったときに、某翻訳本をいただいた。感謝。 もうすぐ出版されるようだ。 あ、予告予告。宣伝のために書いておこう。
また、一時帰国している某先輩にもお会いする。お元気そうでなにより。
あと、某先輩から新刊の著書をいただく。感謝。 ちゃんと読まさせていただきます。
それと、夜に下宿に戻ってくると、 某学会から投稿論文掲載の知らせが届いており、胸をなで下ろす。 忘れずにファイルを送ること。
机に向かっている時間…0hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0
「昨日は京都を回った」
「またバスの一日乗車券を購入し、 金閣寺、 竜安寺、京大、八坂神社、清水寺、JR京都駅を観光してきた」
「お昼に大学のそばの某く○みでカレーを食べたところ、 量が多すぎてあとで猛烈に気分が悪くなってしまった。 あそこには今後立ち入り禁止」
「部屋が寒すぎるので、ついに大学生協で半纏を購入」
「夜はお好み焼きを作って食べる」
「今日は姫路と神戸に行ってきた」
「姫路は遠いので青春18切符を購入。 新快速で京都から二時間近くかかる」
「姫路城に行くのは初めて。 自由に歩き回れて楽しい。 客が少ないのもよかった」
「姫路いいとこ一度はおいで」
「それから元町へ。 繁盛している中華街(南京町)でつまみ食い」
「そのあと、信じられないほど長い列に加わってルミナリエを見てきた。 人混みに流されるという経験以外、何が楽しいのかわからず」
「まあ。ロマンチックじゃあないのね」
「あんな人混みの中でどうやってロマンチックになれるわけ?」
「非倫理的な人は、大丸の裏口から列に加わるのがベスト」
「夜は某天一本店でラーメン。食べすぎてまた気分が悪くなる」
「どうも新しく買ったズボンがきつすぎるみたいだ」
「今度から29インチにしよう」
「どうやら今日の新聞にもボクシング廃止・存続論が多数掲載されるようです」
「ほう。そういえば日本には極真カラテなんていうのもあったよな。 あれも自分か相手が死ぬまでやるんじゃないの」
「いや、よく知りませんが、 そうだとすると怖いですね。 しかしそれよりも、昨日冗談で言おうかと思ったんですが、 なんと英国の国会議員の中には、 「プロボクサーもヘッドギアをつける」という法を導入するだけでなく、 できればボクシングで頭部を攻撃することは反則にすべきだと本気で 考えている人もいるようです」
「う〜ん、それはもうボクシングじゃないんじゃない? それにボディしか守らなくていいんだったら、相手のガードが堅すぎて、 ガードしてる腕の殴りあいになっちゃうんじゃないの?」
「そうかもしれませんね。しかしそれにしても、英国ボクシング協会は、 ヘッドギアはよけい脳に損傷を与えると主張したり、 緊急の看護体制を整えれば大丈夫だと主張しているようですが、 どうも根本的な議論になっていない気がします。 やはりボクシングと他のスポーツの違いというのを よくよく考える必要があるんじゃないでしょうか」
「今度から病院にリングを設置して試合すればいいんじゃないの。 観戦しているのはみんな白衣を着た医者と看護婦だったりして」
「相撲でも柔道でも同じような予防措置を取ることができると思いますが、 そういうスポーツとボクシングは違うと思うんですよね」
「ほう。どう違うの。たとえば相撲とボクシングは? 両方とも半分以上はだかだし、 頭ひっぱたくし、リング上で試合するし、倒れたら負けじゃないの」
「まあ相撲もはり手をしますけど、 はり手ドランカーが問題にならないということは、 ボクシングのように脳に損傷を与えるほどのものじゃないということでしょう」
「程度の問題じゃないの?」
「う〜ん、相撲のことはよく知りませんが、 はり手が非常にひんぱんに行なわれて、 はり手ドランカーが多数現われるようになったら、 やっぱり問題でしょうね」
「倒れたら負けっていうのは? ボクシングも相手が死ぬまでやるんじゃなくて、 一ラウンドで何回か倒れたら負けでしょ」
「相撲で倒れるのと、ボクシングで倒れるのはぜんぜん意味が違うんじゃないですか。 ボクシングはただ転んだだけだとスリップだけど、 相撲は相手を転ばすことができれば勝ちになります。 柔道にしても一本を取ればいいわけで、 相手がふらふらになって立てなくなるのを試合終了 と考えるボクシングとは異なります」
「要するに、勝ち負けの基準が違うということ?」
「そうですね。それに、勝ち負けの基準が違うから、 相手を打ち負かすさいの手段も違ってきますよね」
「ほう、どう違うの」
「相撲は相手をひっくりかえすことが目的だから、 いかに手際よく相手をひっくりかえすか、という技術を競い合うわけですが、 ボクシングは相手を立てなくすることが目的だから、 しかも足を蹴っとばして立てなくするんじゃなくて、 上半身をぼこぼこに殴って立てなくするわけだから、 いかに相手の脳と内臓に大きなダメージを与えるか、 という技術が競われるわけです。 相撲で脳に深刻な損傷が与えられるのはアクシデントと言えますが、 ボクシングの場合はアクシデントではなく、故意なのです」
「なんか君、興奮してきてるんじゃないの。 だんだんこの対話篇も君の独白になりつつある気がするけど」
「相撲とボクシングが同じだと言えるためには、 舞の海が小錦に何度倒されても、 立ち上がれなくなるまで続けるというルールにするか、 ボクシングを一ラウンドで終わることにして、 顔に3回パンチが入ったら勝ち、というようにしないといけませんっ」
「ちょっとちょっと、人の話聞いてる?」
「空手の試合がボクシングと同じだと言えるためには、 空手を12ラウンド制にして、 下半身への攻撃を禁止し、 相手が立ち上がれなくなるまでやらないといけませんっ」
「人の話を聞いてないでしょ。 続きはハイドパークのスピーカーズ・コーナーに行ってやったら」
「相撲にたこ八郎がいますかっ。 あのモハメド・アリももはやまともにしゃべれないし、 ほとんど動けないそうです。 今回のイングルもまだ28才で婚約者もいるのに、 もう再起不能です。 もちろん半身不自由になれば、 小錦のようにタレントになることもできませんっ」
「いや、それは身体障害者に対する偏見じゃないの」
「とっとっとっ、とにかく、ボクシングは死刑制度と同様、 野蛮であり、英国のような文明開化した国では禁止されるべきスポーツなのです。 いや、あれはス、スポーツではない。 スポーツらしく見せかけた、こ、ここ殺しあいだっ。 古代ローマの剣闘士の殺しあいと同じことだっ」
「みなさん。 このように、 議論をするときは彼のように顔を真っ赤にして口から泡を吹いた方が負けです。 もちろん、身体だけでなく、人格に攻撃を加えても反則負けになります。 発言する前に手を上げないとマイナス1ポイント、 相手の発言中に口を挟むときには、最初に「それはイレレバントだ」あるいは 「それは論点先取だ」と叫ばないとやはりマイナス1ポイントを取られます。 議論に勝ち負けがないという意見もよく聞きますが、 それは大半の議論が引き分けに終わるか、 たとえ負けが明らかでも「う〜ん、きみの議論はよくわからんなあ」 とぶつぶつ言うことにより勝敗をうやむやにできるからです。 議論もスポーツの一種ですのでルールを守って楽しく競い合いましょう」
関連サイト
昨晩は、某所にてタコ焼きを買い、 下宿に戻った。 Amazon.comから初めて本が届いていたたたたた。
上の本が面白かったので、数時間寒い部屋で読み進め、 夜明けまえに寝た。
朝起きてシャワーを浴び、 実哲研に書いた原稿を読み直してから大学へ。 途中、某所でミカンを一箱(5キロ)買い、 某寿司屋で寿司を買う。
大学で寿司を食べてから学生相談所へ。 実哲研の合評会。 最初は某君による某君の論文の批評。 次は某氏によるおれの論文の批評。 おれの結論が大変まずいことがわかった。 とりわけ第5章は「自愛の思慮」と「自己利益」を区別して書き直さねばならない。
最後に、某先輩による、某先輩の本の批評。 某先輩の本をちゃんと読まねば。
それから某所で懇親会というか打ち上げ。 某暗い話を聞いて暗くなったり。 その後、研究室へ。疲れた。
少しだけリッチーの紹介。
そういえば二三日前にカウンタが8万を超えた。感謝感謝。
今日やったこと
(戦況速報) 昨夜、司令官、カレーと下痢との間に因果関係があることを確信。 夜、全軍、大学へ進軍。 某先輩軍との軍事演習挙行。 ほぼ全部隊が重軽傷を負う。
某先輩に感謝。
何時に寝ても夕方までは起きれないことに気付く。 「起床時刻一定の法則」と命名。
・そいえば、昨日高槻の市役所に行ったが、話によると日本には国民年金 という素晴らしい制度があって、ぼくもお金を払わねばならないそうだ。国民 年金は20才から払う義務があって、知らない内にぼくはすでに20数万円の借金 をしているのだそうだ。しかし、今後の分は免除手続さえ忘れずにすれば払わ なくても済むんだそうだ。ああ。国民年金。なんて素晴らしい制度なんだろう。
・ねむ。そろそろ下宿に戻る。起きたら洗濯と実哲研の合評会の予習をせ ねば。
・朝起きて洗濯。某嬢から借りていた土屋賢二の『われ笑う、ゆえにわれ あり』を読了。なかなか。
・突然、「倫理学者は心理学も学ばねばならん」という啓示が下ったので、 とりあえず部屋にあった宮城音弥の『人間性の心理学』(岩波新書、1968年)を 手に取る。日付を見ると、94年に買って、最初の20頁ほど読んだ形跡がある。 鉛筆でいろいろ線を引いたりしていておもしろい。一種のタイムカプセルである。
・昼ごはんを食べたついでに、古本を買う。
・哲閲で、Ernest Albee, A History of English Utilitarianism, Sonnenschein, 1902, Ethics/F/63.を借り出す。
・8階の廊下に廃棄のシールが貼ってある肘掛け椅子が二つあったので、会 計の方に頼みに行って譲ってもらうことにする。有効利用と言えば聞こえはよ いが…。
記載なし。