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KODAMA'S (NEW) WORLD

ケーニヒスベルクでカントの哲学がある若い大学生を発狂させたと信じる 人びとがいたのと同じで、他の大学でも同じ結論に至った哲学者たちがいた。 これが正しいというサインがあったことは否定できない。 例えばイエナでは二人の大学生が決闘を行ったが、 それは一方が他方に対してお前はカントの純粋理性批判を理解していないと 批判したからであった。彼は続けて、お前はそれを理解できるまでに30年 勉強する必要があり、それにコメントできるようになるためにはもう30年 勉強する必要があると主張したのだった。

---Manfred Kuehn, Kant: A Biography


昨日 / 明日 / 2013年5月 / 最新 / はてな

この日の出来事


25/May/2013 (Sunday/dimanche/Sonntag)

研究室で仕事など

少し遅めに起床。シャワー、シリアル、朝刊。昨晩から某妻の母親がヘルプに 来てくれていて助かる。感謝。

午前中から研究室に行き、某仕事。お昼は少し遅めに百万遍でカレー。午後は 月曜日の講義の準備など。

夕方に帰宅して夕食。新聞。夜、早めに娘を風呂に入れる。

夜中、寝かしつけ。某妻が出張でいないので手こずったが何とか寝た。これか ら少し仕事をしよう。それにしても時間がない。


25/May/2012 (Friday/vendredi/Freitag)

某講義、某面談、某打ち合わせなど

今朝も娘に何度か起こされ、寝不足。少し早めに起き出して、髭剃り、朝食、朝刊。

娘は某妻に託し、タクシーで大学へ。

(あれ、これはダジャレではないので、念のため。そういえば、今日は「週末に 山に登るんですよ」「遭難しないようにしてくださいね」「そうなんですよ」 という会話もしてしまったが、これもダジャレではないので、念のため。)

午前中は某学部講義。生殖医療。最終回。今年も無事に終了。スタッフのみな さんお疲れさまでした。

お昼、某ランチョンセミナー。英国の終末期医療関連の話。

お昼すぎ、某面談など。

昼下がり、某編集者と打ち合わせ。注文したコーヒーを自分のズボンの上に思 い切りこぼしてしまう。こぼしたのが原稿の上ではなくてよかったとはいえ、 少し泣く。再校を受け取る。

夕方、某氏とたい焼きを食べながら一服したあと、しばらく雑用してから退社。 娘を保育園でピックアップして大塚まで歩き、新宿に出て某妻の実家へ。

夜、夕食。そのあと、しばらく某作業。

夜中、食器を洗って娘を風呂に入れる。それからまたいろいろ作業。〆切が重 なっているせいか何だか忙しい。

眠いが、できれば映画を見てから寝よう。


25/May/2011 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

定時起床。洗濯、朝食、昨日の新聞、シャワー。

定時出勤。午前中は某勉強会。お昼はみなで弁当。

お昼すぎから大掃除…だったが、体調が悪いので研究室待機。雑用。

夕方、某先生と某氏らと三人で駒場に行き、学科紹介の催しに参加。 つつがなく終了。

夜、渋谷でタイ料理。よく食べる。

夜中に帰宅。体調が悪くなっているな。明日は病院に行くか…。


25/May/2010 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

今朝も早起き。シャワー、朝食。快晴。

早めに出勤。午前中は雑用と午後の某打ち合わせの準備。

お昼は某ランチョンセミナー。出席者が少ない…。

お昼すぎも雑用。昼下がり、某ミーティング。 その後、夕方まで某先生らと相談。夜に解放される。

研究室で一服してから帰宅。帰宅後、某妻にお金を借りてコンビニで週アスを買う。

夕食後、ついLinuxで遊んでしまう。いかん。時間の無駄。

真夜中、新聞。


25/May/2009 (Monday/lundi/Montag)

お昼前

昨晩は遅くまで、録画してあった『ダヴィンチコード』を見ていて、 寝るのが遅くなる。字幕なしで英語フランス語があまり聞き取れず、 よくわからなかった。『薔薇の名前』とか、あの手の映画なのかな。

朝、なんとか起きてシャワー、朝食。

定時出勤(少し遅刻)。今日から気持ちを切り替えて仕事…のはずが、 1時間ほどネットワーク接続と格闘。Linuxにすると、 ネットワーク接続がうまく行かなくなったのはなぜだろう。困った。 とりあえず、研究室にあるルータは使わず、メインのWindows機を LANのコンセントに直接ケーブルをつないだらつながったので、 今日はそれでやることにしよう。

夜中

午前中は雑用。お昼はおにぎりを食べながら性懲りもなくネットワークの勉強など。

お昼すぎ、某相談。そのあと、少し寝袋。昼下がり、某院生の指導。 別の某院生は夕方に無事、学振の申請書類を出せたようだ。

夕方、雑用。そろそろジムに行こうと思っていたところに、 某氏から電話。40分近く話しこむ。

ひさしぶりにジムで筋トレ。非常に混んでいた。 新しいマシンを試してみたり。

夜、帰宅してひさしぶりに夕食を作る。トマトソースのパスタ。 それなりの味のものができたが、麺の量が多すぎて二人とも死にかける。

あれ、自宅でubuntuを有線LANでつなぐと、ちゃんとつながるな。 とすると、コンピュータの設定ではなく、研究室のルータ等の設定か。

Revolution

カクメイを起こしたいんだって?
そうは言うけどね
みんな世界を変えたいんだよ
これこそシンカなんだって?
そうは言うけどね
みんな世界を変えたいんだよ

だけどハカイについて語るんなら
オレは仲間にはなれないよ
わかるだろ、ほら
どうにかなるもんさ
どうにかなるもんさ

カイケツサクがあるんだって?
へえ、そうかい
ぜひ聞かせてもらいたいね
オレにもコウケンしろだって?
そうは言うけどね
やれることはやってるんだ

だけど怒った連中のためにカネをくれって言うんなら
兄弟、ちょっと頭を冷やしなよ
わかるだろ、ほら
どうにかなるもんさ
どうにかなるもんさ

ケンポウを変えたいんだって?
そうは言うけどね
変えるべきはあんたの頭だろ
セイドが問題なんだって?
そうは言うけどね
解放するのはあんたの心だろ

毛沢東の写真を持ち歩いても
誰も話に乗っちゃくれないよ
わかるだろ、ほら
どうにかなるもんさ
どうにかなるもんさ

--- By the Beatles

真夜中

夕食後、ソファで上の歌詞を訳したり、朝刊と夕刊を読んだり。

クルーグマンが定額給付金をこきおろしたという記事を読んで、 定額給付金のことを思い出したので、忘れないうちにセーブ・ザ・チルドレンと 日本赤十字社に寄付。

真夜中2

少しだけ二階で勉強。もう寝ないと。明日こそは真面目に生きよう。


25/May/2008 (Sunday/dimanche/Sonntag)

早起きしてシャワー、朝食。某氏を駅まで見送ってから大学へ。少し雨。

長い間使ってきたSennheiserのMX500がついに臨終。 ドアノブにコードをひっかけたら右のイヤホンから音が出なくなった。 それでもSennheiserの他のものに比べたらずいぶん長持ちした (2006年2月に買ったので、 2年半近くもったことになる)。

同じものがまだあれば買おうかと思っているが、 ちょっとイヤホンが大きいのが難点か (→調べてみたところ、すでに販売終了になっているようだ)。

あれ、半袖で出かけたら、寒くてお腹の調子が悪くなってきたようだ…。

夜中

今日のこと。

真夜中

ソファで少し寝てから、某院生の某書類の添削作業。この某院生は誤字脱字が多いので、 なるべく事前に誰かに見せて誤字脱字のチェックをしてもらうように指導している。 Too err is humanである(人は誰でも間違える)ことを考慮するなら、 自分でできないことを嘆く必要はなく、誰かに手伝ってもらえばよい。 ただ、それを指導する立場の人間にやってもらおうというのは失礼かも。

あれ、オーディオテクニカのは、もっと上位機種(ATH-CK7とか)を買えばよかったのかな。 あるいはSennheiserのCX300か。

真夜中2

ようやく新聞を読む。琴欧州優勝。 勝因の一つに、先場所からよく食べるようになったことが挙げられており、 苦しくて食べられないときは「ご飯にチーズや牛乳をかけるなどしてかき込んだ」んだそうだ。 おいしくてそうするのか、おいしくなくても栄養のためにそうするのか…。


25/May/2007 (Friday/vendredi/Freitag)

朝、少し早起きして、雨の中タクシーで大学へ。 午前中は学部の授業。2時間半近く一人で話して疲れた。

お昼、集会室で休みながら人々の話を楽しく聞く。

昼下がり、本三の某所でカレーを食べてから、地下鉄に乗って麻布十番へ。 終わりかけの某シンポジウムに形だけ参加してくる。 終了後、ロクに挨拶もせずそそくさと退出。 もうすこし社交性を身に付けないとなあ、と後で反省。

「しかし、知らない人と何を話せばいいのだ」

「いや、そういう問題じゃなくて、とりあえず挨拶したり、 名刺を交換したりするのが立派な社会人でしょう。 それに、偉い人に会うときは、事前にその人の本を読むなり何なりして、 話すネタを作っておくのが礼儀でしょう。 ちゃんと挨拶しないから、敵を余計に増やすんですよ」

「そういうものかなあ。面倒だな、社会人というものは」

「社交というのは先行投資が必要なんですよ。 面倒がらずに努力してください」

それから千石に戻ってきて、某喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら しばらく読書。帰宅して新聞。

真夜中

夕食後、某妻と巣鴨のマンガ喫茶へ。頭がリセットされる。 日付が変わる少し前に店を出ると、一日降り続けた雨がようやく止んでいた。

メモ。よく言い間違えるのは、エレベーターとエスカレーター、 ツツジとツバキ、アジサイとアサガオなど。 どうも、語頭の音が同じで、単語の長さが同じだと、 脳が適切に区別できずに混乱するらしい。


25/May/2006 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

なんとか起きる。シャワー、朝食。

朝2

定時出勤。今日は暑くなりそうなので、押し入れから半袖のシャツを出してく る。今週末に押し入れを整理して衣更えをしよう。

真夜中

お昼はランチョンセミナー。NHKスペシャルの「中絶胎児利用の衝撃」を (また)見る。

昼下がり、家賃を払いに行き、プールで泳ぐ。1.5キロほど気合いを入れて泳ぐ。 研究室に戻ってくると、仙台で忘れた手帳が某氏から送られてきていた。 感謝。

夕方から某授業の手伝い。インフォームド・コンセント。勉強になった。

夜、同僚の某氏らと事務室でビール片手に歓談。日付が変わるころまで飲み続ける。 少し酔っぱらう。

今日のニュース


25/May/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お昼すぎ

昨夜は早目に寝たが、朝はぎりぎりまで起きられず。

起きてからコンピュータを立ち上げてメールを見ると、 某米国人から、友人が死んだ報せを受ける。 高校のときに米国に留学していたときに仲良くしていた同級生の女性で、 結婚して子だくさんだと聞いていたのだが、 その後(病名はわからないが)重病にかかっていたらしく、 昨日治療中止して亡くなったそうだ。 最後の数日を克明に説明したこの女性の弟からのメールが 添付されていたので、それを読んで胸がつまった。合掌。

朝、勉強会。 昼は某氏と刺身定食。

真夜中

今日は忙しかった。お昼過ぎから某教授と相談ごと数件。 夕方、某学生の英語指導。Matti Hayryの `European values in bioethics: why, what, and how to be used?' (Theoretical Medicine and Bioethics 2003; 24(3): 199-214.)を 読み終わる。

Matti Hayry: European Values in Bioethics

内容: hedonistic, individualistic, nihilisticな 米国の倫理観を代表する(?)四原則アプローチに対して、 prudence, communality, deep sense of valueを持つヨーロッパの 倫理観を体現するdignity, precaution, solidarity (その他、integrity, vulnerabilityなど)を主張するのが 流行っているが、それぞれの概念をよく検討し、洗練させなければ 使えない、という話。

まず、dignityは(1)カント的理解、(2)キリスト教的理解(生命の神聖さ)、 (3)遺伝子的理解があり、さらに(4)(「尊厳死」などに使われる)功利主義的理解、 (5)古来の貴族的理解などがあり、これらのどの理解を採用するかによって、 得られる結論が変わってくる。

また、環境倫理から生命倫理に流れてきたprecaution(予防)概念は、 リスク・ベネフィット分析とはどう違うのかが問題になる。 (1)common prudence(利害関係者によるリスク評価に対する健全な懐疑を伴った慎重さ)、 (2)maximin, (3)appeal to uncertainty (帰結の計算が明らかでない行為はすべきでない)、 (4)appeal to moral values (社会の道徳観を破壊しかねない行為はすべきでない) などが考えられる。(1)や(2)ならtenableだが、(3)や(4)は無理がある (しかし、実際はよく使われている)。

最後に、solidarityはリベラルや功利主義のjusticeとどう違うかが問題になる。 (1)justiceは政府や国家の役割を問題にするが、solidarityは社会の自生的関係を 問題にする、(2)justiceはindividualistic, solidarityは個人と社会の不可分の 関係を強調、(3)justiceはuniversalistic, solidarityはlocalityを持つ。 しかし、それゆえにsolidarityはacross societies(社会間)の正義を語れるか どうかが問題になる(流行りのglobal justiceの問題)。

学生の英語の出来が悪いので、毎週一回4週に分けてやったのだが、 論文を見なくても内容をだいたい記憶してるな。 この記憶力が10年ぐらいに渡って続くといいのだが。

そういえば、このMatti Hayryは、英国で活躍しているフィンランド人のようだが、 生命倫理でブイブイ言わせている中堅(?)どころのようなので、 機会があればいつか会ってみよう。 買ったまま放置プレー積ん読してある Liberal Utilitarianismも読んでみなければ。

そのあと、某教授と翻訳の相談をしたあと、 ジムに行きプール。1時間で1キロ泳ぐ。 だんだん速くなるようにがんばろう。

夕食は上野で中華。某ディスカウントストアで買物をしてから真夜中に帰宅。 今日は長い一日だった。明日もがんばらないと。

メールを見ると、某先生から翻訳の原稿が送られてきている。 たしかにこないだ引き受けたが、こんなに〆切早かったっけ。 まあいいや、とにかく弱音や文句は言わず、がんばろう。

そういえば、今日、 コンピュータウイルスにはセキュリティ・ホールという「システムの弱点」 を突くものがあるという話を聞いていて、急にシステム論を勉強したくなった。 どんなシステム(将棋の陣形や戦法、病院の危機管理システム等々) にも弱点は付きものだ、とか。 そんなことはシステム論を学ばなくてもわかりきったことか。 というか、システム論というのはそういう話をするんだろうか。 また時間のあるときに調べてみよう。


25/May/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

弁当を買って帰宅し、新聞。 明日の予習をすべきところだが、いったん寝てからやろう。

なんとか起きる。

朝から大学へ。お昼前からお昼すぎまで某倫理理論の勉強会。 ビーチャムとチルドレスのPrinciples(第五版)の四原則の正当化のあたりを 勉強する。要するに、トップダウン型も整合性型も満足がいかないので、 「共通道徳」によって四原則を基礎づけてしまえ、ということのようだ (ロールズ流の整合性型は、considered judgmentsの内容があいまいなのが 気にいらないようだ)。

共通道徳というのは、実質的には、 ロス流の「義務や原則に対する直観」のことで、 四原則は直観的に明らかだから、 あとは整合性の要件を用いて理論的な磨きをかけていこう、ということのようだ。 基本的には今でもロールズとロスをくっつけたような感じで、 「ロールズ・ロス型」と命名してもいいんじゃないかと思う。

昼、海鮮丼屋で食事を買うついでに、家賃を払いに行く。

昼下がりから某ミーティング。 臨床倫理の症例検討法(例の四分割法)と医療従事者・患者関係の勉強をする。 つかれたが勉強になった。

これからちょっとジムに行く予定。

夜中

ジムに行ってきた。腹筋や背筋は、 かなり負荷を強くすると効果があることに気付いた。 やはり楽をしていては鍛えられないわけだ。

某海鮮丼屋で鰹たたき丼を買い、研究室で食べる。そこそこ。

眠い。帰るか。

真夜中

帰り、なぜかお腹の調子が悪くなる。

マンガ喫茶に寄りたいという激しい欲求を抑えて、買物して帰宅。 ちょっと勉強しよう。


25/May/2003 (Sunday/dimanche/Sonntag)

マンガ喫茶で朝までかかり、 『ブラックジャックによろしく』、 『BM[ネクタール]』(全巻)、『あずみ』、『ヨリが跳ぶ』を読む。

完全に徹夜してしまったので、 今出川河原町の鴨川岸に行き、少し寝ようとするが、 芝生の上で寝ているとハトが近寄ってきたり、 小雨が降ってきたりするので、そこで寝るのは断念。 ふらふら歩いて御所に行き、 警察の目を気にしながらベンチに身を横たえる。 小鳥のさえずりと木洩れ日という牧歌的な条件が揃い、 うとうとしはじめたところ、 ベンチからボトリと落ちてしまい、目覚める。

そんなことをやっていたら学会のはじまる時間になったので、 大学に来る。今日もまじめに参加中。 学会にこんなにまじめに出るなんて、はじめてかもしれない。 ついにひきこもり卒業か。

昼下がり

午前中の一つ目の発表は最後まで聞き、質問もできたが、 二つ目は爆睡。お昼をカレー屋で食べたあと、 午後のシンポジウムでも最初の2時間は爆睡。 おでこに赤いアザを作ってしまう。 う〜ん、何をしに来てるんだか…。

夕方

シンポジウムの後半は完全に内職。勉強は進んだが、これでは学会に出ている 意味がない…。

夜中

さきほど帰宅。帰りの新幹線の中でも爆睡。

こっちは涼しいな。

小さな中国のお針子』、 Guardian Weeklyに載っていた映画評を読むと たいへんおもしろそうなので、 終わる前に観に行こう。


25/May/2002 (Saturday/samedi/Sonnabend)

お昼前

寝坊。しまった。

昼下がり

某所で某翻訳の編集作業中。ひさしぶりに某先輩にお会いする。

お昼は中央食堂で。

夕方

ひたすら編集作業。 モニタをじーっと見つめながらテキスト検索を続けていると、 目がつぶれそうになる。たいへん。

夕方2

すでに右目がつぶれた。あとは左目だけ。

夕方3

両目ともつぶれた。もうダメ。 半分某君に助けてもらって、あとの半分は今夜やろう。

真夜中

夜、某先輩と某君と某居酒屋で夕食。 人生相談に乗ってもらう :)

作業の続きをしなければ。しかし眠い。

机に向かっている時間…6.75hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


25/May/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

読むべき本が部屋にあふれている。新聞もあるし。 やっぱ速読術を身につけないとだめなのかなあ。

「それよりも、 読むべき本と読まないでいい本の見分け方を学んだ方がいいんじゃないの。 テレビを見ない方法とか、ウェブ日記を回覧しない方法とか」

タバコについて

奥田くんの「「タバコ問題」の倫理学的検討──グッディンの喫煙論」 を読んだ。読みやすく、よくまとまっていると思う。 喫煙家の人々はきちんと反論するようにしてほしい。 おれは喫煙家ではないので、すこしだけコメントを。

はっきりさせないといけないのは、 自己に対する危害と他人に対する危害のそれぞれの議論によって、 法的な喫煙の禁止がどこまで正当化されるのかという点だと思う。

もちろん両方の考慮が重なることにより、 嫌煙派はより強力な議論ができるのだと思うが、 とくに他人に危害を与えない場合、 すなわち(1)胎児もいないし、(2)(3)部屋に閉じこもっているので、 あるいはニコチンガムかニコチンパッチなので、 他人に煙を吸わせる可能性がない場合は、 自己危害の議論は政府による禁止その他の政策をどこまで正当化できるのだろうか。

たとえば、タバコは若いときから始めるので同意がなりたっていないという議論は、 酒にもあてはまるように思われるし、 ボクシングと同様、 禁止すると地下に潜行するというマイナスの帰結を指摘する議論も出るだろう。 自由主義者なら、「おれはよくよく考えた末、 二十になってから人のいないところでタバコを吸いはじめた。 今後は、人生がすこし短かくなっても、 保険料を余分に払ってでもタバコを吸いつづけたい」 という善の構想を持つ人に対して、(英国のように)重い税金をかけたり、 法によって禁止したりするのは、政府による余計な干渉なのではないか、 と言うんじゃないかと思う。 ここらへんは、 酒やマリファナなどの議論と比較しながら さらに議論を洗練させる必要があると思う。

個人的には、 自分の部屋でタバコを吸う行為まで根絶やしにするのはたいへんなので、 タバコの自己危害は自由主義社会においては許容できる危害として 認めた方が良いと思う。 公共の場での喫煙だけ法的に禁止して、 あとは社会的圧力にまかせたらいいのでは。

そういえば、英国の重いタバコ税はどういう正当化がなされているんだろうか。 他人事なのでいままで関心がなかったが、そのうち調べてみよう。 (たぶんbbc.co.ukでサーチをかけたらいろいろ出てくると思う)

お昼前

朝起きられず。朝食を見逃す。

ラベンダーがどんどん成長している。 まだ花は咲いていないのだが。

これは約一ヶ月前に撮った写真。 ほとんど別の植物のようだ。

まず昨日の新聞を読んでから勉強をしよう。

お昼

マンチェスターでトップレスモデルが立候補したらしい。 34FFというのがどのくらい大きいのか知らないが、 豊胸手術をしているらしく、 その彼女の公約がけっさくで、 「より大きい、より良い未来のために」 すべての人に無料で美容整形を保証するんだそうな。

夕方

新聞を買いにでかけたら、つい古本まで買ってしまう。 もうしばらくは古本屋に行かないこと。

ひさしぶりに外食。パスタ。 おおむねまずい寮食の中でもとくにパスタはそれはもう地獄のようにまずいので、 チェーンのイタリア料理屋のふつうのパスタでも涙が出るほどおいしい。

夜中

BBCのニュースで、昨夜イスラエルで起きた、 披露宴の最中にダンスホールの底が抜ける映像を見る。 あまりにおそろしい光景に思わず鳥肌が立った。

さいわい新郎新婦は助かったらしいが、 お祝いに来た友人や親戚が死んだショックを克服するのは至難だろう。 なんとも気の毒な話だ。


25/May/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

今日のニュース

鹿児島県の店長刺殺事件について。
また少年犯罪が起きたようですが、 cnn.co.jpによると (ソースはasahi.com)、 買い物中に事件を目撃した主婦(40)は次のように話したんだそうです。 「最初はじゃれ合っているように見えたが、 少年が包丁を持っているのが分かって驚いた。少年は『死ね、死ね』 と言いながら男性を追いかけ、胸から腹の辺りを正面から刺していた」。 いや、この「死ね、死ね」という表現が気になって。 この言葉ってこんな風に本気で使われる場合もあるんですね。 やはりこれからはこういう言葉を冗談で使うのはやめることにしましょう。 本性がばれてしまうので :-)
3コマ目の科哲の授業に出ました。
わからないのでついウトウトしてしまいました。 それで目が覚めたらますますわからなくなっていました。助けて。
4コマ目の生命倫理学の授業に出ました。
第二次世界大戦前後の医者の役割の変化と、臓器移植の話でした。 研究者の場合と同様、医者の権限もどんどんと削減されていくという内容です。
今日ルネで買った本。
編集後記

編集後記

毎週木曜日のThe Daily Yomiuriには、 デイヴ・バリーという米国人のWit's Endというエッセイが載っていますが、 これが毎回おもしろい。以下で少しだけ訳してみましょう。 今回(25/May/2000)は読者から寄せられる可笑しな事件報告についてです。

われわれもまた、 ここ米国において数多くの問題をかかえていることを忘れてはならない。 なかんずくマサチューセッツ州のサドベリーなどの、 犯罪だらけの地獄のような都市においてはそうである。 そのサドベリーでは、8月19日のサドベリー町廷吏の警察記録の部門に 次のような項目が出ていた。 これはルー・ワインスタインという鋭敏な読者から送られてきたものである。

「午後4時15分。 シルヴァー・ヒル・ロードの住人が自分の家の中に野生動物がいると警察に通報した。 警察がやってきて、腐りかけたジャガイモを見つけ、除去作業をした」

え、あんまりおもしろくないですか。 それはきっと訳が悪いんでしょう。すいません。


05/25/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

某所でキムチ鍋。『銀と金』第4-6巻。おもしろい。

大学に戻ってくる前に某所に寄ってジャンプを買ってくる。

さ、勉強勉強。


う〜む。がんばって勉強してるがまだまだ。 レジメができるのは発表当日になりそうだ。 あくまで「できたら」の話だが。


昼下がり

明け方、某コンビニで買物をしてから下宿に戻り、 シャワーを浴びて寝る。

お昼前に起きて、J・ロックの勉強を少ししてから入浴、 大学へ。

文学部事務に顔を出す。 科研費の書類で、 外国旅行費が申請してあるのに空港までの国内旅費が申請されてないのは まずいんだそうだ。なるほど。

それから医学部図書館へ。 今回初めて行ったが、感じのいいとこだった。 書庫にも自由に入らせてくれる。 某南部生協でコピーを済ませ、戻ってくる。

ああ。やばい。発表の準備が…。


夕方

演習発表に出る。ロックの知識論と道徳論。

腹へった。


中央食堂で食事する。それからさらにcompetenceの勉強。


今日やったこと


05/25/98(Monday/lundi/Montag)

真夜中

う、ネームサーバ(っていうんだっけ?)がまだ落ちてるな。

昨日は下宿で(また)やきめしなどを作成、消費。 トマトソースの缶を買ってきたので明日はスパゲティを作るか。 (トマトソースも作れるみたいだから今度やってみよう)


研究室に来る途中に古本屋に寄って来た。

これから火曜日提出のレポートを作成しなきゃいけない。


某所でキムチ鍋を食べる。なんか自炊しだしてから食欲が旺盛だなあ。 痩せるどころか、 太ってしまったのでは?

食事中、内井惣七先生の『科学哲学入門』を読み返していた。 すると、ここ数年でおれの(背景)知識が増えたのか、 数年前に読んでもちんぷんかんぷんだったり、 何がおもしろいんだろうと思えたところが、 今では非常に興味深く読むことができる。 若干知的興奮することを認めざるを得ない。 「批判的に」読むことができるようになったのだろうか。

批判的に読む

と、食事中ここまで考えて、お金を払ってから店を出て研究室に戻ってくる途中、 「批判的に読む」ってどういうことだろう、と考えていた。

「批判的に読む」ことは今後の研究においても重要なことのように思われるので、 これがどういう意味なのかは、 今のうちにしっかり考えておく必要があるのではなかろうか。 いや、あるに違いない。

さて。「批判的に読む」とは一体どういう意味なんだろうか。 その意味を明らかにするために、 まずは類義語や対義語を考えてみよう。

類義語

対義語

適当に羅列してみたが、これから何か明らかになっただろうか。 結構なったんじゃないだろうか。

「批判的に読む」と言ったときに意味されているのは、 まず一つには「著者の主張の妥当性を考えながら読む」ことだろう。

この本に書いてあることは全部正しいと考えて読んだり、逆に、 この本に書いてあることで真実であることは一つもないと考えながら読んだりしたら、 それはドグマ的(=クマの一種)な読み方であるとか、 無批判であるとか言われることだろう。 批判的であるためには、 情報の真偽を確認しなければならない。 「こいつこんなこと言ってるけど、それほんまか?」と問う姿勢が重要なのである。

しかし、著者の主張の妥当性を確かめて、 「この主張は合ってます」とか、「この主張は間違っています」とか 言うだけでは、十分な批判にはならないのではないだろうか。 ○×をつけたら、その上で、 「これはええ」とか「これは全体的にあかん」 とかの採点または評価をしなくてはならない。 これが「批判的に読む」ことの第二の意味であり、 そしておそらくこの作業が批判の中心なのではなかろうか。 いや、よくわかんないんだけど。ご自由に批判して下さい。

「この著者の主張は正しい、間違っている」というためには、 たとえば料理に関することならば、 ほかの本にあたって調べたり、 自分で実際に料理をしてみたりすればよかろう。 しかし、「この著者の主張は優れている」とか 「この著者の主張は無意味」とか言うためにはどういう知識が必要なのだろうか。

ロック先生も『人間知性論』の第二巻の第25章で言っているように、 一般にあるものを「良い」とか「悪い」とか言うためには、 何か他に比べる材料がなくてはならない。 当り前の話だが、「あの女性はきれいだ」というのは、 「あの女性は(Xに比べて)きれいだ」ということであり、 そのXは何か別の女性でもソックスでもフライパンでも良いが、 とにかくある一つのものを「良い」とか「悪い」とか言うためには 比較材料として最低もう一つのものが必要なのである(と思う。批判歓迎)。

とすると、ある著作を「評価的に読む」ためには、 他のなるべく似たような著作をたくさん読んでおく必要がある。 「似たような著作」と言ったのは、ベンタムの功利主義はミルの功利主義に比べて、 かくかくしかじかの点で優れているとか、 かくかくしかじかの点で劣っているとか言うのは十分「批判的」と呼べるだろうが、 デカルトの『方法序説』は清少納言の『枕草子』より良ろし、悪ろしとか言っても、 あまり意味はないからだ(ひょっとするとあるかもしれないが)。

というわけで、「この著者の主張は優れている」とか 「この著者の主張は無意味」とか言うためには、 それに関係するたくさんの本などを読んで比較する必要がある。 それはたとえば、「この料理の入門書は良い」というためには、 通常、他の料理の入門書を一冊以上知っておく必要があるということだ。 また、おれの日記がおもしろいかくだらないかの評価をするためには、 その他の文章(特に他の人の日記)を知っておく必要があるということだ。 そして、他の文章をたくさん知っていればいるほど、 おれの日記に対する相対的な評価は正確になるだろう。

最後に、とりあえず今思いつくかぎりではこれが最後なのだが、 「批判的に読む」と言ったときに意味されているのは、 「正確に読む」ことだろう。 あるいはむしろ、 このことは「批判的に読む」ことの前提だと言った方が良いかもしれない。

というのも、 たしかにただ「書かれている内容がわかった」だけでは批判にはならないが、 とはいえ、書かれている内容を不正確に捉えていたなら、 それに与える「正しい、誤っている」という妥当性の評価も、 「優れている、劣っている」という価値評価も、 おそらく間違ったものになるだろうからだ。

そこで、著者が書いた内容を「正確に読む」ためには、 日本語あるいは外国語の語学力を付け、 少なくとも著者と同等の豊富な背景知識を身に付けなくてはならない。

ほかにまだあるかな? このくらいじゃないだろうか。 まとめると、「批判的に読む」ためには、

必要があるのではないだろうか。 そして、これらの条件を十分に満たしていれば(大変だけど)、 「批判的に読んだ」ことになるであろう。

早朝

いろいろコピー。そんなことしてる場合じゃないんだけど。 つい逃避。


夕方

お昼前から爆睡して、 4コマ目の授業をさぼってしまうぐらい深く寝てしまった。 不覚。


ロック読書会終わり。ああ。レポート。


05/25/97(Sun)

・昼下がり・

・今日も昼まで死ぬほど寝てました。元気だが、うしろめたい。

・目指すこと。一日一善。考えていることをすぐに文章に出来ること、あるい はイメージではなくて、文字で考えること。

・もうすぐバンドの練習。


・イェーリングの『権利(法)のための闘争』を苦労して読み終る。ながながと 同じことを繰り返しているのでほんとに疲れた。

・解説にあったが、彼もベンタムを読んでいたようだ。「ベンタムは個人的功 利主義で、わたしは社会的功利主義だ」とか言ってたとか。

・短い本だが、ほんっとに疲れた。なんであんな本が世界中で読まれたんだろ? あっ、もしかして訳が悪いのか?


・夜・

・バンドの練習終わり。さ、勉強勉強。


Satoshi KODAMA
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Last modified: Wed Jul 31 01:25:02 JST 2013