ウォラストン

(うぉらすとん Wollaston, William)


英国の思想家 (1660-1724)。 この人に関しては、いくつか文献を調べてみたが、 『自然宗教詳述』(The Religion of Nature Delineated, 1722, 1724)という本を出したという事実以外、情報が集まらない。 謎の男。

ウォラストンによれば、道徳的正・不正の基準は、命題の真偽である。 すなわち、ある行為が不正であるのは、その行為が含意する命題が、 事物の本性と矛盾したことがらを述べている場合である。 え、わかりにくい? では、ベンタムの説明がわかりやすいので引用しよう。 「この哲学者(ウォラストン)によれば、 ウソをつくことほど世の中において有害なものはない。 そしてもし、たとえば、あなたが自分の父を殺したなら、 これはある仕方で、 彼があなたの父でなかったと言うことに他ならないのである。 もちろん、この哲学者は、自分の気に入らないことをみたらいつでも、 それはある仕方でウソを言っていることになる、と述べるであろう」 (ジェレミー・ベンタム、『道徳と立法の原理序説』、第二章)

このように、ウォラストンによれば、 正・不正の基準は命題の真偽ということになるのだが、 よく考えてみると、 この命題の真偽というのは自然(事物そのもの)によって確かめられるのだから、 結局、正・不正の基準は《自然との一致不一致》である、 と言うのと同じことになると思われる。

なお、シジウィックによれば、 ウォラストンは実践理性の二元性を指摘したことで、 バトラーの学説を先取りしているとされ、 道徳的計算を主張したことで、ベンタムの学説を先取りしたとされる。 (Sidgwick, The Outlines of the History of Ethics, pp. 198-) (08/30/99)

追記。ウォラストンは、道徳的善悪(正・不正)の基準として、 《自然との一致・不一致》や《正しい理性(理由)right reason》 を採用する人々は、自分の《真理説》 (彼は自説に呼称を与えていないが、とりあえずこのように呼んでおく) の立場に近いと考えている。

しかし、自然natureは、事物の本性を指すのならばよいが、 人間の本性のことを意味する場合もあるので、あいまいだとされる。 (理性以外のものも含む人間本性に従うことは、常に正しいとは言えない)

また、真理と言わずに、 真理を見いだす理性を道徳的善悪の尺度にすると言うと、 では誰の理性が頼りになるのか、 ということで論争になるし、また、理性による真理の他に、 感覚による真理もあるから、 理性だけでは不十分だ、と述べられる。

そこで結局、自分の真理説がもっとも優れた道徳的善悪の尺度だと されるのである。

また、ウォラストンは快苦計算に関してもかなり詳しい説明をしており、 ある行為がもたらす真の快(苦)とは、 その行為によって生みだされる快から苦を差し引いた値である、 と主張している。(12/02/99)


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 02:08:59 JST 2000