法哲学

(ほうてつがく jurisprudence)

`Jurisprudence,' says this definition, `is the knowledge of things divine and human; the science which teaches men to discern the just from the unjust.'

---John Austin

「小、中学校を通じて"法に従う"という精神を養っていないから大学紛争が起こるんだ」

---天野貞祐

法について書くとき、 著者はこれまでに誰も思いつかなかったような考えを生み出す必要はない。 そこでたとえば、上で述べた、あたりをうろつく権利(right to roam) に関連する問いについて書く場合は、 判例を徹底的に調べて法の現状についての結論を引出しさえすれば、 それで十分である。 しかし、法哲学においては、何か新しいことを言うことが理想である。 ときおりこの理想は現実化されることがある。 その事例は本書で後に述べられるが、 たとえばハート教授の法体系の考え方や、 ロールズ教授の正義の本質について考え方がそうである。 けれども、独創的な考えは簡単には生まれないし、 まためったに生まれないものである。 しかし、法哲学で食っている人間は --少なくとも昇進する機会を得るためには--論文を書く必要がある。 そこでどういうことが起きるかというと、 ある学者(A氏)は、たとえば正義について独創的な考えを持っていないとしても、 誰か他の人物が正義について述べた見解については独創的な考え(たいがいは批判) を持っていることがありうる。 そこでA氏は、たとえばロールズによって表明された正義概念について、 彼がその欠点と考えるものを指摘した論文を書く。 次にB氏が登場する。 彼は正義についても、ロールズの正義概念についても、 独創的な考えを持ちあわせていない。 けれども彼はA氏の見解に欠点を見つけだす。 そこで彼はA氏の見解の欠点を指摘した論文を書く。 次にC氏が登場する…。

そこで、法学部生が論文を読み始めると、 彼は自分が勉強するつもりの思想家の思想からは 自分が何歩か離れていることに気付く。 たとえば、ジョン・ステュワート・ミルについてのチュートリアルの準備を しているとき、彼が読んでいるのは、 ミルの自由概念をバーリンが分析したものについての マクロスキーの見解を論じたサメックの論文であるかもしれない。 あるいは、 道徳の強制についてのミルの見解に異論を唱えたデヴリンに対するドゥオーキンの 態度についてのサルトリウスのコメントかもしれない。 または、 デヴリンによって提出された反論に答えしかもドゥオーキンとハートによって 提出された論点に含まれる難点を避けるためにミルの議論を サルトリウスが再定式化したものについてのレイノルドの見解かもしれない。

---J.G. Riddall


「法とは何か」、「なぜ法に従うべきか」といった問いを問題にする学問。 法の哲学。法理学。

英米哲学において「法哲学」という言葉が使われだしたのは、 ベンタム(universal jurisprudence)や オースティン(general jurisprudence)からで、 彼らは「法哲学」をさまざまな国の法体系に共通して見られる概念や区別を 分析する研究(「法の科学」science of law)として捉えた。

今日ではこの語は法概念の分析というだけでなく、 「法についての思考」という広い意味で用いられ、 法と道徳の関係、法学と他の社会科学との関係、 正義や市民的不服従といった幅広いテーマを扱う学問として理解される。

ハートの項目を参照せよ。

関連文献

04/Jun/2001; 13/Jun/2001; 15/Jul/2001


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jul 27 00:18:08 JST 2014