認識論

(にんしきろん epistemology, the theory of knowledge)

オブライエン 「ウィンストン、訓練された精神の持主だけが現実を認識することができるの だよ。君は現実とは客観的なもの、外在的なもの、自律的に存在するものだと 信じている。君はまた、現実の特性とは自明の理だと信じている。自分には何 か見えると思い込むような幻覚に取り憑かれたら、他の人たちも自分と同じよ うに見えるだろうと想定することになる。しかしはっきりいって置くが、ウィ ンストン、現実というのは外在的なものではないのだよ。現実は人間の、頭の 中にだけ存在するものであって、それ以外のところでは見つからないのだ。そ れは過ちを犯しがちな、ともかくやがては消え失せるような人間の頭の中には 存在しないのだよ。集団主義体制の下、不滅である党の精神の内部にしか存在 し得ないのだ。党が真実だと主張するものは何であれ、絶対に真実なのだ。党 の目を通じて見る以外は、現実を見ることはできない。これがもう一度、君の 学び直さなければならない点なのだよ、ウィンストン。[…] われわれは精神を支配しているからこそ物質も支配しているのだ。 現実というのは頭蓋骨の内部にしか存在しないのだよ。 君も段々に分って来るさ、ウィンストン。 われわれに出来ないことは何一つない。 姿を隠すこと、空中を浮遊すること--何だって出来る。 その気になりさえすれば、私はこの床上からシャボン玉のように浮揚できる。 しかし私はそれをやりたくない。党がそれを望んでいないから。 自然の諸法則に関する十九世紀的な考え方は放棄しなくちゃいけない。 われわれが自然の諸法則を造るのだ」

ジョージ・オーウェル、 『1984年』、323-4, 346頁


「ぼくは認識論をやっています」 などというと何かとてつもなく深遠な研究をしているように 思われそうであるが、 認識論とは、要するに、 あることを知っているとはどういうことかとか、 われわれはどうやってある事柄を知るのかだとか、 100パーセント確実な知識は存在するのか などを研究する学問である。

したがって、「あんたね、彼のこと知ってるっていうけど、 ほんとうに彼のこと知ってんの? それに、もしそれがほんとだとしたら、 いったいどうやって彼のこと知ったのよ?」 というのは、認識論的な問いであると言える。

また、たとえば、 イデア論とか、 生得観念説とか、 経験論とかは、 すべて認識論の立場である。

なお、同様に難しそうに見える言葉として、 形而上学存在論が 挙げられよう。 (04/21/99, 04/22/99追記, 12/Oct/00修正)


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jan 28 06:11:51 JST 2000