TOPTOPTOPTOPTOPTOPTOPTOPTOPTOP
 
掲示板 コラム 最新 コラム バックナンバー
コラム

「趣味のすすめ」 相馬病院 林 雅弘

 私の趣味は小鳥を飼う事です。夜の小鳥にはお金がかかるので、結婚後はもっぱら籠の小鳥を飼っています。はい、あのピイピイなく小鳥です。
幼稚園の頃に母方の祖父が十姉妹のつがいを買ってくれました。これが始まりです。十姉妹を皮切りにセキセイインコ、文鳥、紅すずめ、カナリヤと、ことごとく繁殖を試みました。鳥屋敷と呼ばれるほど増やしました。セキセイインコなど一時20羽近くふえ、あまりのうるささに、父が焼いて食べると言ったぐらい、量産しました。本当に楽しかったです。近くにあった小鳥屋のおっちゃんが小学生の私に店番を頼むほど鳥キチは本物だった様に思います。
幼稚園以来小学校の高学年まで、頭の中に常に鳥が飛んでおりました。ですから成績はさんざんでした。もちろん万年飼育係で、かなり変わっていたようです。小学校の先生にこう言われた事もあります。「林君、鳥以外の絵も書こうね!」努力しました。でも駄目でした。当然、将来の夢は獣医でした。獣医が駄目なら動物園の飼育係をと豪言しておりました。常に頭の中で鳥が飛んでいるんですから成績が上がるわけがありません。
現実の壁にぶち当たり暗中模索の中、将来の事を真剣に考えました。高校3年でした。今から思うと気付くのが遅かったように思います。獣医になれないのならと、ペットショップも考えました。しかし、母の口癖が「あんたは体が弱いから(今思うと根性がなかっただけの様に思います)何か資格を取って出来る仕事に就いてほしい」でした。ガキのころから根性ナシで心配ばかりかけた母です。少しは親孝行をといろいろ探しました。鳥が飛んでいる頭で!たまたま高校の先輩で臨床検査技師をしている方の話を聞ける機会があり、この仕事ならと思いました。良かったか悪かったか、まだ答えは出ていません。
小鳥は確か中学1年か2年で十分な世話が出来なくなり、母に助けてもらいながらカナリヤ1羽をかろうじて飼っていた様に記憶しています。カナリヤが死んだのは記憶にありません。思い出そうとしても思い出せません。そんな状態でした。
就職してからは忙しく、めまぐるしく時間が経ち、ふと気付くと3児の父になっており、自分でおじさんと言える年になっていました。その間に一度だけ浮気をしました。同じ技師仲間の小澤とかいうおっちゃんにそそのかされて、その頃ブームだった熱帯魚にはまっていた時代が2年ほど在りました。自宅に水槽が大小8個在ったのですが、しかし長くは続きませんでした。そんな中でも何処かに出かけてペットショップを見かけると必ず覗くことはあたりまえの様に続いておりました。おかげで店に一歩入るだけで判ります。おいてある動物の良し悪しが!今までつちかった感でしょうか?そんな私が再び鳥三昧の生活を始めるきっかけになったのが忘れもしません。
1998年の1月9日です。太り気味の体のことを思い通勤の傍らウォーキングにいそしんでいた時のこと、道路の真ん中に小鳥が落ちておりました。深緑の綺麗なすずめよりすこし小さい小鳥です。メジロだとすぐわかりました。かなり前から気付いていたので目の前に来るまで観察しましたが動きません。多分死んでいるなと思いました。しかし道路の真ん中では車に引かれるのは時間の問題です。何処かに埋めてやろうと手に取るとなんと、目を開けておりました。生きています!しかし飛ぶ事が出来ない様です。急いで勤務先まで走りました、歩いて20分かかる道のりを5分近くで走ったように思います。真冬にもかかわらず汗だくになりました。勤務先ではざるを逆さにしてその中に入れ、震えておりましたのでフ卵器の上に置きました。ちょうど土曜日だったので勤務は昼までです。勤務先の近くの小鳥屋に小鳥もろとも駆け込みました。飼いならされた固体はともかく、野生の鳥はなかなか餌付きません。以前道路に落ちていたすずめを助けられなかった苦い経験が頭をよぎりました。勤務先の近くに小鳥屋があるのは知っていましたが、行ったのはこの日が初めてでした。当たりです!入った瞬間わかりました。このご時世なかなか小鳥だけで店を維持して行くのは大変です。にもかかわらず小鳥しか置いてありません。それに頑固そうな親父です。またまた気に入りました。理由を話しどうしてやればいいのか相談しました。鳥好きの臭いがしたのでしょうか?「物好きな、若いのに」と言いながら丁寧に教えてくれました。最後に「餌を食べなければ明日までもたない」といわれました。それでも小遣いをはたいて竹籠を買い、餌も一緒に買いました、摺り餌という日本古来の餌です、始めて知りました。それからです、頭の中を再び鳥が飛び始めました。しまっておいた鳥キチも騒ぎだしました。落ちていたメジロは1ヵ月後無事元気になり放してやりました。しかし籠が残りました。空の籠です。元来凝り性なのでしょう。本を探しました。それも野鳥の飼い方が載っている本を、最近の「小鳥の飼い方」なんて本には野鳥の飼い方なんて載っていません。古本屋を回りました。今では100冊はあります。読むのは私の老後の楽しみに、極力必要な部分だけにしています。宝物です!近頃ではインターネットのオ−クションで掘り出し物の本があります。本が小包で届くたびに置く場所がないと嫁が鬼のように怒ります。すいません!本当に!小鳥も購入しました。中国からの輸入の野鳥です。世間からは野鳥を籠に入れて飼うなんて可哀想にというお叱りの声が聞こえてきます。いろいろな考え方があると思います。

 こんな訳でガキのころの鳥キチが再燃してから、かれこれ7年を迎えようとしています。今では早く小鳥屋さんになりたいと夢思う今日この頃です。多分鳥キチは一生治りません。小鳥屋に餌を買いに行くとよくこんな話になります。そうあの小鳥もろとも駆け込んだ鳥屋のおっちゃんの所です。すっかりお友達!おっちゃん曰く「ええ所に勤めてるで!」私曰く「毎日人の生き死にばかり見ている世界なんて息が詰まりそうになるで。ほんま。おっちゃんが羨ましい、毎日小鳥眺めてられて」小鳥を眺めていると時間の経つのを忘れます。僕が35歳の時だったと思います。私が師と仰ぐ外科のドクタ−にこう言われました。「一生続けられる趣味を5年かけて探しなさい。今ならまだ試せる。40歳になるまでに探せ。じゃないと50歳で探しているのではおそ過ぎる。趣味も人生の課題だ」と。たしかにこれから先の人生、息抜きできる趣味を持つことはある意味大事だと思い探していた矢先、あのメジロと出会い私は本当に幸せでした。暇人の戯言とお笑い下さい。しかし皆さん、本当に没頭できる趣味をお持ちの方、とそうでない方どっちが本当の意味で幸せだと思いますか?

バックナンバーTOPへ戻る
ページの先頭に戻る