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「私と野球」 京都大学医学部附属病院 丹羽 紀実

毎週末時間の許す限り草野球しています。
仕事柄、屋内に閉じこもりっきりのうえ日々ミエナイチカラによるストレスを多量に浴びている私にとってはとてもいい気分転換です。ちなみにポジションは不動のキャッチャー、打順は不定ですが、決して足の早い打順ではありません。こう見えても昔は早かった(50mを6.2秒で走ってました)のですが、もう見る影もありません。でも去年の区民運動会では町別対抗リレーに出場し、近所の奥さんに『見た目より早いやん!』といわれました。はい、ささやかな抵抗です。
所属チームは2つ。1つは以前の職場のお遊びチームで月に1試合程度のペースですが、もう1つは監督さんが非常に熱心です。監督さんの奥さん曰く、「あの人は三度のご飯より野球が好き」だそうです。ということでチームは現在3つのリーグに加盟し、休みはお盆と年末年始だけで毎週(多いときは1日3試合)をこなしています。ちなみに1日3試合をこなすと体重が数キロ減ります。もちろんその日のうちに元通りになりますが。
ところで、草野球というのは本当にレベルが様々です。うちのチームはそこそこといったところでしょうか。18-17などの草野球にありがちなスコアはありません。一応各リーグの1番上のカテゴリに所属し、たまーには優勝争いも演じます。ピッチャーの球速は早い人で120-130キロは出ているでしょう。もちろんスクイズ、送りバント、エンドラン、盗塁などのサインも豊富です。キャピキャピのマネージャだって一人もいません(泣)。男だらけの熱い集団です。そうです、軽い自惚れです。
なぜ野球なんだろうと記憶を紐解けば、気がついたころからおもちゃのバット、グローブ、ボールで遊んでいたように思います。2つ歳の離れた弟とずっとキャッチボールしてました。この間実家に戻ったときに当時の日記をたまたま見たのですが、そこには「弟は捕るのが上手いけど、投げるのは下手です」などと書いてありました。確かにそんな記憶があるのですが、要は私がピッチャーをしたいばっかりに、弟に年の差で物を言わせ、しかもそれだけでは飽き足りず、その正当性を(どこにもそんなものありませんが)親や先生に必死にアピールしていたというところでしょうか。
月日が過ぎ、当たり前のように入部した中学野球部は、毎日練習でした。平日も休日も帰宅するのは毎晩22時ころでした。でも最後の夏には県大会で準優勝を果たし、近畿大会にも出場しました。結果は一回戦負けでしたが、当時既に肘のほうを痛めていて野球と離婚する決意を固めていた私はビービー泣いたのを覚えています。当時は多感な思春期であり、親の前で涙を見せるなどとは夢にも思わなかったのですが、ほんと涙とは素直にでるものです。あれれ、ばれましたか、ちょっぴりアピールです。
その後ラグビーと再婚しました。そしてそれ以来今でも楕円球をこよなく愛しています。野球のボールよりはるかに楕円球への思いのほうが強いです。ですが、まあいろいろありまして(というかいまさらラグビーを再開するにはかなりの勇気がいります)、現在は再び野球が中心です。それでも年に数回のラグビーとの逢瀬はありますが。うふふ。
現状は必死に情熱を注いだ中学時代の貯金でやっているのが現状です。当時よりも体重は○○キロ(○が2つということはそうです、2桁です)増加し、お世辞にもかっこいいものではないですが、プレイしている本人たちは真剣そのものです。そして大いに楽しんでいます。いやいや本当なんです、これが。でなきゃ、前日の断酒、休日の早起きが続くわけはありません。
子供ができたら野球かラグビーをさせようと思っています。まあ、その前にやることやれよって感じですが。あはは。

追伸:今年も町別対抗リレーに出場することになりました。。。

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