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「常夏の国から」 株式会社J・C・R 桑畑 雅子

私は2002年10月末より2年間、JICA Overseas Senior Volunteerとして、カンボジアの首都、プノンペンに赴任していました。長年培ってきた病理細胞診断学のアドバイザーとして唯一の医系国立の保健科学大学の医学部病理学教室にて技術移転の仕事に携わっていました。

 さて、皆様の中のカンボジアに対するイメージはどの様なものをお持ちなのでしょうか?ポルポトによる大虐殺、今なお残る大量の地雷そして貧困?――最近ではこの国に対する多くの報道がテレビや新聞などでなされていると思いますが如何ですか?

先ずは簡単にこの国のご紹介をさせていただきます。

インドシナ半島に位置し、タイ、ベトナム、ラオスと国境を接し、国土面積は日本の約1/2、殆どが平野で中央部を雄大なメコン川が豊かな資源を提供しながら縦断しています。気候は亜熱帯、乾季と雨季があります。人口は日本の1/10、80%の人々が農村部に暮らしています。40%が世界の貧困基準である1日1$以下と超貧乏です。首都、プノンペンは100万人都市の大都会です。プノンペンといくつかの地方都市(世界遺産で有名なアンコールワットのあるシュムリアップなど)は普及率に差がありますが、電気、水道など供給されています。公共交通機関は首都、プノンペンといえども全くありません。乗用車を雇うか、あらかじめ予約しておくタクシー、オートバイタクシー(モトドップと称し人数制限なし、乗れるだけ乗ってOK)、シクロと呼ばれる自転車タクシーです。
交通ルールはあっても無きが如くでナンバープレートのない車まで走り、逆送OK、どこでも駐車OK(この国では車は輸入車のみで非常に高く、一番大きな顔をして歩道上にとめられています)です。警官が交通取り締まりをしていますが、捕まっても(特に外人はしかとは判りかねる理由で捕まりますが)その場で現金を払い放免、当然現地価格と外人価格があり、そのお金は警官のポケットになんて具合です。殆どすべてがこういう状況で動いています。多くの法、規則に守られている?日本人の私にとっては驚きとともに妙な開放感も味わわせてくれます。

医療においても同様で、先ずお金が優先し、NGOや外国支援団体により無料で治療を受けられるところ以外では、支払い能力があるか否かがすべてです。医療の質や設備は都市部と農村部では大きな隔たりがあり、電気、水道設備がないもの、医者や看護婦不在のところから、外国支援により質の高い医療がなされているところと様々です。いづれにしても殆どすべてを外国支援頼みで(機器、薬剤などや技術援助、教育まで)援助なれした開発途上国の一端がこの国でも垣間見られます。

国民性は穏やかで友好的、そして少しシャイですが外国人には理解しかねるポイントで突然キレルという側面もあります。アジア人という共通項も沢山ありますが異文化の人々と接する時には心しなければならないことです。

医学教育は現地語であるクメール語と植民地時代の影響をいまなお濃く残すフランス語でなされてあり私には手強く、英語が理解できる人達とコミュニケーションをとりながら日本よりギアーを数段落としたスピードで業務をしています。「I don’t know. No problem.I am busy.」がこちらの多くの人達の口癖で(とても私の目にはそうは見えないのですが)“郷にいれば業に従い”に習い、あせらず、慌てず、侮らずを心に留めけっこう楽しみながら励んでおります。

日本人の基礎教育レベルの高さ、勤勉さを再認識するとともに、すべてが整備され急速なスピードで近代化した日本の社会が失ってしまった光景を特に農村部で目にします。貧しくとも分かち合い、多くの食料を自給でまかない、仏教行事を中心に年長者を敬い、親類、家族が寄り添いゆったり暮らす様はそれほど不幸にはみえません。豊かさとは?人間の幸せとは?色々なことを問いかけてきます。イラクでは今なお、破壊行為が続いています。カンボジアでの内戦による破壊が30年たった今なおあらゆる方面、分野に多くの傷跡を残しているのを目の当たりにし、瞬間の破壊が修復、復興にいかに膨大な努力、時間を必要とするのかと、1日も早い終結を祈らずにはおれません。

自分の周囲や立場だけでなく、広く眼や心を開き、そしてあせらず、諦めず、日本に生まれたことを感謝して充実した生を。

皆々様の幸せを祈念して

(写真はカンボジアの生活風景)

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