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「骨髄ドナー体験記 −その2−」 市立舞鶴市民病院 白波瀬浩幸

 当たりました。くじ運は決していい方ではないのですが、見事に選ばれました。中学時代、野球の練習試合で途中出場したとき、自信のない私は、『ボールがこなければいいのに・・・。でも、いきなり来そうな気がする。』と弱気になっていたら強烈なゴロが飛んできた。まさに、そんな感じで何となく適合していそうな気がしていました。しかし、3週間待っている間に、もし自分がレシピエントの方と一番適していたのならドナーになる決意はしていたので、連絡を受けたときに真っ先に思ったのは『提供は、何月くらいになるんかなぁ。』ということでした。その後、骨髄提供までのスケジュールは次の通りです。

◆ 最終同意
家族の代表(私の場合は妻)と最終同意書に署名、捺印します。もちろん、この後に骨髄提供を撤回することはレシピエントの死亡を意味するので、絶対許されません。(放射線や化学療法によって、徹底的に叩くのですから、当然ですよね。)
◆ 健康診断【1ヶ月前】
いわゆる、「術前検査」というヤツです。ヨソ様へおじゃましているので、採血室の奥にある検査室の様子や心電図・呼吸機能の時の説明や部屋の雰囲気が気になります。
◆ 自己血採取(1回目)【採取の3週間前】
骨髄液の採取量によっては、必要ない場合もあります。レシピエントの体重1Kgあたり15 mlの骨髄液採取が目標だそうで、私の提供する方は60Kgを越えていたので、400mlを2回、きっちり貯血する必要あり。もちろん、自己血採取の後にジュースはでません。(献血とちがいます。でも、密かな期待もあったりして・・・。)
◆ 自己血採取(2回目)【採取の1週間前】
同じ日に、麻酔科の外来受診もあったので午前中に出向かなければいけません。
◆ 入院【採取の前日】
担当医が小児科医だったので、入院したのは小児科病棟です。病棟に上がると、小さな子どもと若いお母さんが多いので、こんなオッサンがはいってもいいのかと、後ろめたさを感じました。個室だったので、病室に入るとそんなことも気になりません。採取施設によっては、大部屋の場合もあるそうで、やや得した気分です。なんせ、入院は初めてで全く健康なので、医師やナースの訪問があることを除けばビジネスホテルにいる様な感覚です。

採取の朝を迎えました。全身麻酔のため前日9時以降は絶飲食です。採取は午後2時からなので、それまでこれといってすることはありません。朝刊に隅々まで目を通し、ベッドの上で腹筋したり腕立て伏せをしてシャワーを浴びて、それでも時間は余ります。むしろ、時計の針の進み具合がいつもより遅く感じられます。お昼頃、看護師さんの催促で術衣に着替えて、点滴を受けて待ちます。そして、病室にやってきたストレッチャーに乗り換え、手術室へ移動します。手術場の前室で看護師さんが簡単な申し送りをして、清潔の手術室で・・・。

朦朧とした意識の中、どうも病室へ帰って行くようです。あ、あれっ?終わったの?病室について、採取が終わったことを確信しました。(意識はほとんど戻っています。)思い出しても、「さあ、いくよ!」みたいな始まりが、不確かです。なんとなく、吸入マスクみたいなのを口元にあえられたような気がするものの、どうだったっけ?

腰の当たりにしっかりと貼ってあるガーゼが違和感としてあるものの、痛み止めの座薬のお陰で、さほど痛みはありません。普通に歩いてトイレもいけるし、夕食もきっちり頂きました。翌日も寝返りする時や起きあがるときに痛みはありますが、顔をしかめるほどのものではありません。この痛みも日にち薬で、2〜3週間ほどで自然にフェイドアウトしました。

水曜日に入院して木曜日に骨髄液採取、土曜日に退院という4日間でしたが、丁寧な対応をしていただいた先生方や親切で優しい看護師さんに囲まれ快適な入院生活でした。入院期間中に妻はもちろんのこと、コーディネータさん、K病院勤務で同じ京臨技理事のH氏、私どもの病院からK病院へ転勤された脳外科の先生などの訪問を頂き、たいへん感謝しています。

『案ずるより産むが易い』骨髄提供して、私が学んだことです。レシピエントの方から骨髄移植推進財団経由で手紙が来る場合もあるそうですが、私の場合はありません。きっといまごろ、同じ空の下で、桜を横目に闊歩しながら仕事場に向かっておられる頃だと思います。

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