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「骨髄ドナー体験記 −その1−」 市立舞鶴市民病院 白波瀬浩幸

 「骨髄移植推進財団のコーディネータ、○○と申します。骨髄移植を希望される患者さんがおられます。」可愛らしい声色の女性から電話を受けた。骨髄バンク登録のきっかけは、元白血病患者で骨髄移植経験者の大谷貴子さん(全国骨髄バンク推進連絡協議会副会長、骨髄移植推進財団評議員)が、当院で医療者向けにされた講演を聴いたことに端を発します。講演では、白血病に罹患して死と向き合った恐怖、治療で出会った医療者の無神経な言動、偶然にも実母とのHLAが合致した時の喜び、移植前の治療の辛さ、生を受けている感動などを熱っぽく、涙を浮かべながら語ってくれました。
病院に勤務しているにもかかわらず、また仕事がら他人の悪性細胞は平気でチェックしているにもかかわらず、今一つ患者様の痛みは他人事であった自分を恥じて、宿直明けに福知山の血液センターへ出向いて登録手続きしたのが8年前でした。

しかし突然の電話には、正直なところ困惑しました。なぜなら、骨髄ドナーになる決心をしたのは8年前。それから現在に至るまで、少しずつ確実に当時の決心は薄らいでいたからです。『自分に特異体質があって、全身麻酔が覚めなかったらどうなる』、『全身麻酔の時、膀胱カテーテルをいれるなんて勘弁してほしい』、『ホントに仕事が休めるか』など、逃げるための言い訳が頭の中にどんどん湧いてきます。最後には『何のリターンもないのにリスクだけ背負い込むなんて理不尽じゃないか』と考えはじめ、「適当な理由つけて、断ろうか」と悪魔の囁きが心を揺らします。

とりあえず、説明と最終検査(DNAタイピング)の採血のため、京都市内のK病院を訪問しました。K病院にした理由は、骨髄液採取が可能な病院は京都府には京都市内にしかなく、その中でも地理的に便利だったことに他なりません。担当医は小児科の先生で、コーディネータの方と、骨髄移植について説明を受けます。決して骨髄ドナーになって欲しいという「お願い」はされません。骨髄提供は、あくまで提供者の自由意志で行うものなのです。しかし、穏やかなK先生の口調とコーディネータのFさんの一生懸命な姿勢は、逆に『やらな、あかんかな』という気にさせられました。

Fさんが、「対象の患者さんには、白波瀬さんと同じ候補の方が数名おられます。つまりドナー候補者の1人ということです。HLAタイピングが最も近い方が最優先されます。もしその方が何かの事情で同意されなかったり健康診査で問題があった場合は次の方、という具合になります。従って白波瀬さんは、今回提供できない場合もございます。」
その言葉を聞いた瞬間に、『このままドナー候補者で終わってしまえば、ちゃんとした言い訳になって、エエやん。』と考えたのは、言うまでもありません。「およそ3週間後に検査結果がでるので、もう一度ご連絡を差し上げます。もしかしたら、もうお会いする機会はないかもしれません。」病院ロビーで握手をして別れた。小麦色に日焼けした(ただ単に地黒やったかも)笑顔と澄んだ眼差しが印象的でした。

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