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春の風物詩 明治鍼灸大学附属病院病理部 畠中 名津子

 春の風物詩といえば、有名なところで「京都の都をどり」や「大阪造幣局桜の通り抜け」などがあり、もうすぐ端午の節句で「鯉のぼり」もみられる気持ちのいい季節になりました。

そんな中で、私の春の風物詩といえば、“こんぴらさん”でご存知の四国は香川県・琴平町で年に一度行われる『四国こんぴら歌舞伎大芝居』です! 「えっ、歌舞伎!?」と思われるかもしれませんが、私は小学生の頃から一週間の殆どを時代劇ばかりみている子供で、月曜の夜8時といえば二つ上の兄を押しのけてトップテンではなく、水戸黄門をみて、アイドルに夢中にならず、時代劇の俳優さんに夢中になっているかなり古くさい子供でした。ですから、自分でもいつから歌舞伎を好きになったのかよく分からないのですが、高校生の時友達に「好きな芸能人は?」と聞かれ、「中村吉右衛門さん!」と嬉しそうに答えても誰も知らなかった悲しい思い出があります。(普通、知りませんよね。)

話をもとに戻しますと、私がこんぴら歌舞伎を知ったのは、数年前にテレビで放映されたのをみていつも自分が観に行っている歌舞伎とはいろいろ異なるところがあることを知り、興味をもちました。
歌舞伎ファンなら一度は行きたいと願って止まないこんぴら歌舞伎は琴平町の町おこしの一環として昭和60年から始まり、今年で19回目を迎えました。
天保六年(1835)に建てられた『旧金比羅大芝居(通称:金丸座)』は、二階建・本瓦葺の本格的な芝居小屋で、現存する日本最古の小屋として国の重要文化財に指定されています。
当時、江戸(歌舞伎座)・大阪(松竹座)・京都(南座)の芝居小屋に匹敵する程(ちなみに()内の劇場は現在の代表的なものです。)の規模であった金丸座は、時代の移り変わりとともに映画館に転身し、やがてテレビの普及に押されて廃館となりました。長い間荒廃していたところを、建立後160年間火災に遭うこともなく現存していることは非常に稀であることから、後世に残すべきだと言う声があがり昭和30年頃から復元運動が始まり、昭和45年に芝居小屋として初めて国指定重要文化財になりました。それを契機として、昭和47年から51年の四年間の歳月と多額の工事費をかけて、天保の姿が見事に現代に復活し、その後、皮肉にもまたテレビにより再び金丸座は、毎年多くの歌舞伎ファンを魅了する存在となったのです。

こんぴら歌舞伎の魅力は、第1にチケットの入手方法が通常の劇場とは違い抽選で行われるため、人気もあり、非常に入手が困難なことです。(旅行会社から芝居のチケットに一泊夕朝食付きのセット商品などが発売されていてこちらの方は比較的入手しやすいみたいです。) 第2に500本からなる“のぼり”(役者の名前や公演名などを染め込んだ布)が町のいたる所に立ち並び、初日の前には昔ながらの“お練り”(出演する看板役者が人力車に乗り町中を廻る)が行われ琴平町全体が歌舞伎一色となります。人力車夫をはじめ、舞台の裏方・お茶子さんなどすべてボランティアの人たちからなり、特に劇場に設けてある廻り舞台や、せり上がりの仕掛けなどは今では機械により動かされるのが殆どですが、金丸座ではすべて人力により動かされるため多くの人手を必要とします。まさに、町をあげての一大イベントとして歌舞伎が行われることが歌舞伎ファンにとってはこの上ない魅力なのです。

今年も、市川団十郎・中村時蔵・板東三津五郎といった名優たちが顔を揃え4月5日(初日)から20日(千穐楽)まで行われましたが、春が来るたびに今年も行けなかったと悔やむ私は来年こそは!!と思うのでした。

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