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コラム

京都の行事 京都府立医科大学附属病院 臨床検査部 湯浅 宗一

■とうりゃんせ

童謡で「とうりゃんせ」というのがあります。
良く知られたこの歌詞は「とうりゃんせ、とうりゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。そっと通してくだしゃんせ。ご用のないもの通しゃせぬ。この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります。行きはよいよい、帰りはこわい。こわいながらもとうりゃんせ、とうりゃんせ」となっています。

ここで天神様に参りして、行きも帰りも気持ちよいはずなのに何故「行きはよいよいで帰りはこわい」のか思うとどうも分からなくなってしまいました。そこで関係の本(参考図書)と読んでみるとそれらしい答えが書いてありました。
それによると7歳になる前の子どもはまだ神の領域にいることをあらわしているとのこと。不安定であった子どもの魂は、7歳になってようやく安定し、この世に定着すると考えられていたからであるという。そしてこの7歳という年齢は、神の領域にいた幼児が人間としての子どもへの移行する重要な節目である。したがって7歳になり天神様にお参りをして「今までは神が自分を守ってくれたけれどそれから以降は自分の力で幾多の災厄を払いのけながら力強く生きなければならないよ」と天神様から教わるのだそうだ。だからこそ「行きはよいよい帰りはこわい」となるのであるとのことでやはりそれなりに意味があるものと納得しました。そして今もそれぞれ親が子どもの幸せを願って全国各地で七五三のお祝いとして続いていますが、このようなことが根底にあるからだろうと思います。よく考えてみれば数えの7歳で小学校入学。なぜこの年齢で入学となるのか良く知らないのですがこの様な考えが関係しているのかもしれないと思ってしまいます。

■六道参り

さて、8月になればお盆です。精霊が帰ってくると信じられている期間です。
京都では8月7日から10日までの間、東山区小松町の珍皇寺で「六道参り」とよばれる精霊迎えが行われます。もちろんこのお寺以外でも、例えば六波羅蜜寺や千本のえんま堂など、精霊迎えの行事は行われています。各地方によってその方法もさまざまらしいです。

ここで六道参りでの迎え方を紹介しましょう。
門前の盆市で高野槇(こうやまき)を求め、本堂で水塔婆を買います。それに迎える先祖の戒名を書いてもらうのです。次に本堂横にある「迎え鐘」を撞きます。この鐘は全く外からはみえなくて太い綱が出ているだけです。この綱を引き、水塔婆を線香の煙で清め、高野槇で水回向するとこの槇に精霊が乗って帰ってくるので家に持って帰り仏壇に供えるのです。

■大文字送り火

先祖の霊は16日に子孫に見守られて再びあの世に帰って行くのです。
迎えた精霊をあの世に送る行事が精霊流しです。ろうそくの明かりでぼんやりと明るくなった灯籠がゆらりゆらりと流れていく様は見ていても寂しい悲しい気分になるものですね。精霊が帰っていくときには霊が無事にあの世に帰れるように明かりをつけるのだと小さい頃おじいちゃん、おばあちゃんから教わりました。

8月16日、精霊が帰っていくその日が京都では大文字送り火の日です。これも霊が無事にあの世に帰れるように明かりをつける意味があると聞いています。

「大文字送り火」これはやはり先祖の霊を送るという真摯な気持ちでじっと静かに手を合わせて見送りたいといつも思っています。
昨今では「大文字焼きを見よう」と言う人達がいるとの事です。まるで映画やショーを見る気分で酒を飲みながら、談笑しながら見ようということでしょう。これは送り火があまりにも観光化してしまっているからだと思います。

■守られ、支えられ

今回、行事の一端を紹介しましたが人間の一生の間様々な儀式、行事があり、多くの人たちに守られ、支えられて生きているのが感じられます。

振り返って臨床検査技師として働いている自分にとって、多くの病める人たちを守ることとは一体どのようなことなのかと考えてしまいます。そして今何をすべきなのかを的確にとらえ実行に移すことは難しいですが実際に実行することが結局は自分を守ることにつながるのではないかと思っています。
前々回のリレーコラムで<リスクマネージメントの「リスク」は誰のもの?>にも書いてある乗客の安全=自身の安全につながるものと思います。

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