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コラム

国際細胞学会に参加して 京都第二赤十字病院 芦田 英之

オーストラリア・メルボルンで、1922年5月3日〜7日にかけて開催された、
第11回国際細胞学会に初参加してから、2001年5月27日〜31日のオランダ・アムステルダムで開催された第14回国際細胞学会に参加してきたことで印象に残った出来事などを書いてみようと思う。

国際細胞学会に参加するきっかけは国立京都病院にいた、糸山さんに誘われたからである。
細胞検査士(CT)の試験の後、国際細胞検査士の資格に合格していたが、自分自身には関係のない資格だと思っていた。しかし、糸山さんから国際細胞学会の話を聞き、国際細胞検査士になったのだから、一度は学会に参加してやろうと思ったのである。
また、場所もオーストラリアと聞きチャンスだと思った。新婚旅行はハワイで、ハワイ以外に海外に行ったことがなくぜひ行きたいと考えた。しかし、ただ、行くだけでは駄目だろう・・・・・・・
つまり、発表をしなくては。
これからが、大変だった。発表はもちろん英語だからだ。症例は乳腺を選んだが、同様の症例を捜し出して英文を和文に訳してノートを作り、それから自分の発表を日本語でまとめた後、英文にするのだが、そんなに簡単にいくわけがなかった。
最後はマン・パワーという業者に英文を作ってもらったが、まるで文献のようで発表用にスッキリしていなかったのである。 滋賀医科大の岡部先生に見てもらってなんとか作成できた。
思い出しても綱渡りの一ヶ月であった。
それから、本番用のポスターは写真とその説明、段落を分けて説明文を貼り付け、フォントのサイズの調整、参考文献の記載などは数ヶ月かけることができたのでなんとかなったと思っている。
田中 昇先生のツアーで参加することになり、約30名の方々と一緒に学会参加をした。
学会登録を済ませポスターの受付で氏名の確認後、ポスターの準備をしながら他の人のポスターを見て回ると、ビックリした。こんなポスターでいいの?アバウトと言うか、ええかげんというか、ただ、ビックリした記憶がある。これも文化の違い?
ポスターの前に午前中30分と、午後30分居なければならない時間があり、その時は汗をかきながら必死で説明するのだが、だいたい説明文を読んでいただけの気がする。
ホトホト英語の会話力のなさにショックを受け帰国したようなものだった。
プライベートではそれなりに、エンジョイしたが、オージーEnglishのためか、さっぱりわからなかった。ただ一つお土産ができたのは、Leopold G. Kossのサインが貰えたことである。
帰国して直ぐ、英会話学校の門をたたいた。つまり、駅前留学をしたのである。
それで、次の学会には英語を十分勉強して、楽しい国際細胞学会にするぞーと意気込んだのだが開催地はスペイン・マドリードであった。
アララ、スペイン語も勉強しなくてはならないの?

それではスペインも紹介しましょう。

1995年5月21日〜25日の期間スペイン・マドリードにて第12回国際細胞学会が開催された。
右の写真は滋賀済生会病院の小林技師長が国際技師賞を受賞。
その会場にての写真。
この後、開会セレモニーが行われ、場所を変えてウエルカムパーティが行われた。1,000人以上の人でにぎわった。

今回の国際細胞学会では、大阪の野田 定先生のツアーで参加することになり、多くの先生方と学会を通じて仲良くさせていただいた。京都からは、国立京都病院の黒川さんと一緒であった。
そして、前回サインを貰ったDr.Kossとはホテルの部屋が向かいどうしであり、偶然部屋を出る時カード・キーのことで「こうやって、部屋を開けるのだよ」と教えてもらい、「また、君か!ジャパニーズサムライ」と声をかけてくれたのであった。

学会中に開催されたバンケットの時に、Dr.Kossと歓談する筆者。Dr.Kossの横には6年後に偶然出会うポーランドのJacek Sygut,MDである。
この、学会では、2回目ということもあり、すこし、勝手もわかり、なれてきて、戸惑うことも少なく、リンパ腫の発表も無事終わりホットしているときである。

この、学会が終わった後、一緒に行った先生方にも写真を送り、今でも年賀状や季節のハガキ、日本の学会で出会ったときなど、よくお話をさせて頂いている。スイス人で仲良くなったロドリゲスとは、6年後のオランダで奇跡的に会えるのである。
病理関係ではサクラのバスケットという、雑誌をご存知であると思うが、東京の国際細胞学会の後に投稿されていたマリリン・ヒーサー・サイモンズさんや、アドリアン・K・ジャクソンさん達と学会中はよく食事を一緒にした。
次の国際細胞学会長の加藤 治文先生と東京の学会成功を祈って何回も乾杯したのが懐かしく想いだされる。
アットいう間に、東京の国際細胞学会を迎えた。本来ならばこの学会こそ、何ページもかけて書き上げなければならないが、プライベートで忙しかったせいもあり、参加できたのはウエルカム・パーティの後半30分で、しかし、その30分は喋り通しであった。次の日に予定されていた約束のセクションに出席後学会を後にした。

つぎは、オランダの学会についてである。

2001年5月27日〜31日の期間にオランダ・アムステルダムにおいて第14回国際細胞学会が開催された。

学会当日、登録に行く前にホテルの部屋で集合。
舞鶴市民病院の白波瀬さん、香川医科大の舩本さん、国立京都病院の黒川さんたちとパチリ。
海外旅行が始めてという人もいましたが、最後は現地の人になっていた人がいるとか?

今回は日頃から知っている人が多く参加していたので、気持ちがとても楽であった。
逢う人逢う人に名刺交換のたびにメールのアドレスを聞かれるので、私もIT革命を!とつくづく思った。帰国後、早速パソコンを購入した。
国際細胞学会の度に、日本に帰ってから何らかのアクションが引き起こされる。
英会話といい、パソコンといい、いつも刺激を受けて帰国している。
海外で、すこしの間とはいえ、一緒に暮らした人達なので何か運命共同体(大袈裟でしょうが)という認識があることも否定できない。

今回の国際細胞学会長のG・Peter・Vooijsを囲んで記念写真である。
学会を中心に書いたつもりだが、学会が終われば、フリーのツアーがあるので、そちらの方が何十倍か楽しいのは間違いない所だ。
その楽しさは、参加しなければ分らないし、また書きつくせない。

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