生活モデルとICF国際生活機能分類

ICFよりICIDHの方が使いやすい?

ICFは1980年のICIDH以来20年以上の議論や知見を踏まえて改定されたものです。しかし、未だに「ICFは複雑すぎる。ICIDHの方が分かりやすく、使いやすい」という声を聞くことがあります。どういうことなのか、最初、戸惑いましたが、段々とその背景には、「マインドセット」の違いがあることが分かってきました。

医学モデルと生活モデル

そもそもICFが何なのかを考えると、WHOの国際分類ファミリーの中で、ICD-10(国際疾病分類)を補完する、国際「生活機能」分類です。疾病の診断名を分類する従来のアプローチでは対応できない現代の健康問題に対応するため、人間の「生きる」ことに関する機能を分類したものがICFです。

医学モデルとは、病因論に基づき、様々な症状等から、その病因を診断し、診断に基づき治療をするというものです。症状だけを見て、場当たり的な対応をすることは「対症療法」として避けるべきことです。様々な表面的な症状等を基にして、的確な診断を行えるということこそ、医師の専門性の中核です。

多くの対人支援の専門職も、自らの専門性の中核として、医師を模して、様々な専門的評価を行い、それに基づき支援を行うということを構築しようとしてきました。

しかし、慢性疾患が中心になってくると、問題の原因が、個人の中だけでなく、複雑な環境との相互作用によるものが増えてきました。また、従来、表面的な「症状」等して扱われてきた問題、生活面の問題、ADLやQOLの問題が、病気の治療それ自体と同様か、それ以上の重要性をもつようになってきました。

精神障害分野で言われている「リカバリー」のように、疾患治療だけに焦点を置くのではなく、本人が自分の観点から病気をもちながらも充実した生活ができることが、支援の目的だという観点がますます重視されています。これは、精神障害だけでなく、慢性疾患一般にあてはまります。これが「生活モデル」です。

そのような観点からすると、従来の介護や福祉、その他多くの対人専門職が、自らの専門性の中核と考えてきた個人への評価や支援が、実際は、専門家中心の縦割支援の原因であることも明らかになってきました。これが「医学モデル」と呼ばれるものです。(病因論に基づく本当の医学モデルは妥当なものなので、私はむしろ、これを「医学モデルの誤用」と呼ぶべきだと思います。)

「事件は検査室で起こっているんじゃない!」

「生活モデル」の考え方は、現場の支援者の感覚に合っていると思います。むしろ、「専門性を身に付けたい・・・」と下手に「医学モデルの誤用」に走らないことを、強調すべきとすら思います。実際、障害や慢性疾患のある人の支援を行うためには、「事件は検査室で起こっているんじゃない! 事件は、地域や職場で起こっているんだ!」ということが、一番大切な認識でしょう。

ICFは生活モデルによる支援で最大限に活用できる

ICFは、ICIDHの改定なので、ICIDHの考え方も含みます。したがって、ある人がどのような「障害」をもっているのか、その人が「障害者」かという専門的評価をするためにも使えます。これは、まさに「医学モデル」による使い方です。

しかし、ICFの真価が発揮されるのは、それが「生活モデル」の観点から、ある人の生活面の状況を、専門分野を超えて、本人中心の観点から総合的に理解するために活用される時です。

ICFは、専門分野や機関別に使われる場面よりも、本人を中心にして、様々な専門分野や関係機関で、共通認識をもつために使われる場面での活用を想定すべきです。何故なら、「生活機能」は本人に関する総合的な情報で、専門分野を超えているからです。

本人中心の継続的支援と「生活機能」

「ICFの普及」というよりも、むしろ、最近、地域で、どの分野でも重視されている「本人中心の継続粗敵支援」という取組の普及の中で、従来の専門家中心の支援から、本人の「生活機能」に焦点を置き、関係者が共通のケース会議等を行い、その中で情報を共有し、共通認識をもつという取組自体の普及が重要であると、最近、考えています。

ICFが分類している「生活機能」とは、本人の生活に関することであり、従来の様々な専門支援の縦割では、その全体を把握して、適切な支援につなげることは無理です。「ICFが使えない」という時、実は、それは、「医学モデル(の誤用)」の「マインドセット」の存在を示唆している場合が多いのです。


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Yuichiro Haruna
yharuna-tky@umin.ac.jp