第9回
2004年5月6日

剖検に関する個人的回想

筑波メディカルセンター病院放射線科
塩谷 清司
剖検が大切と思えるかどうかは最初の教育にかかっている

私の入局した放射線科は病棟を持っており、患者さんの多くは肺癌だった。呼吸器内科がなかったので、放射線科が、肺癌の診断(画像、気管支鏡)、治療(化学療法、放射線)、終末期医療と、外科手術以外を全て行なっていた。患者さんが亡くなると、上級医が御遺族に必ず剖検の話をし、かなりの確率で承諾が得られていた。だから患者さんが亡くなったら剖検の承諾を取りに行くことは当然と思っていた。上級医の横で説明を聞きながら、その技術を盗み、承諾を得ることのできる話し方を次第に身に付けていった。

大学での研修終了後、ある県立がんセンターで3年間、レジデント(専門研修医)として在籍した。病理には3ヶ月間在籍し、(助手ではあったが)30例のもの剖検を施行した。病理医は、放射線科医だった私に、「画像との対比には病理のマクロ所見が大切」「画像は影を見ているので、本物を知っておく必要がある。」と指導した。私が剖検に強い興味を持つようになった要因は、大学での病棟と、がんセンターで実際に剖検を施行したという二つの経験が大きい。

自分の施行した医療の質を評価、反省するために剖検は必要

肺癌の患者さんが必ず肺癌やその合併症で亡くなるわけではない。

  • 例1 食事中に急変後死亡:剖検で、肉片が気道を閉塞していた。
  • 例2 急激な腹痛後死亡:剖検で、十二指腸潰瘍穿孔、出血を認めた。十二指腸潰瘍の既往、終末期には解熱鎮痛薬やステロイドの使用により消化管粘膜が脆弱となっていたことが要因と考えた。
  • 例3 トイレ内で死亡:剖検で、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血を認めた。モルヒネ内服により便秘状態だったので、トイレでいきんでいるときに血圧が相当上昇した?防ぎようのない死因もあるが、上手く管理すれば急変という形で終わることなく、安らかに亡くなることができたのではと反省する死因もある。剖検によって死因を明らかにしておかないと、次の患者さんにも同じことを繰り返すことになる。剖検をしないと必ず医療の質は下がる。

剖検の承諾を得るには熱意が必要

大学で病棟医長だったときの方針は、必ず癌の告知をする(今では当たり前)、全例から剖検の承諾を得るように努力する、の二つだった。剖検率は8割には達しなかったが、6割は超えていた。

終末期の管理がうまくいき、苦しみが少なかった患者さんの御遺族からは、剖検の承諾は得やすかった。「われわれは剖検から学ばせてもらっているからこそ、予測される合併症にも先手を打つことができ、御本人の苦痛がほとんどないようにできた。次に来られる同じ病気の人のために、勉強させて欲しい。」と言うと、納得して頂けた。病理解剖の剖検率は、主治医の熱意と御遺族の(医療への)満足度を反映しているのだろう。

剖検の承諾を得ることが難しいと感じる例は、苦痛をうまく取り除くことができなかった場合、患者さんが若い場合(小児ではもっと難しいのでしょう)、入院期間が短い場合(信頼関係を築く時間が不足)などである。

剖検の承諾を得るには熱意が必要

大学で病棟医長だったときの方針は、必ず癌の告知をする(今では当たり前)、全例から剖検の承諾を得るように努力する、の二つだった。剖検率は8割には達しなかったが、6割は超えていた。

終末期の管理がうまくいき、苦しみが少なかった患者さんの御遺族からは、剖検の承諾は得やすかった。「われわれは剖検から学ばせてもらっているからこそ、予測される合併症にも先手を打つことができ、御本人の苦痛がほとんどないようにできた。次に来られる同じ病気の人のために、勉強させて欲しい。」と言うと、納得して頂けた。病理解剖の剖検率は、主治医の熱意と御遺族の(医療への)満足度を反映しているのだろう。

剖検の承諾を得ることが難しいと感じる例は、苦痛をうまく取り除くことができなかった場合、患者さんが若い場合(小児ではもっと難しいのでしょう)、入院期間が短い場合(信頼関係を築く時間が不足)などである。

はじめてpostmortem CT (PMCT)を経験する

肺癌の末期状態ながらも容態は安定していた患者さんが、ある朝、心窩部不快感を訴えた。その部位の皮膚は帯状に少し赤紫色となっていたが、急速にその面積が増加し、夜中に亡くなられてしまった。病棟で同僚と死因について議論しているうちに、あれは急性膵炎だったのではないか推察した。翌朝に剖検を施行する予定であったが、皮膚に変化を来すような膵炎ならCTでわかるのではないかと、夜中の2時頃に遺体安置所(冷蔵庫)からCT室へ御遺体を搬送し、撮影した。古いCTで解像度が非常に悪かったため、積極的に膵炎があるとは言えないという程度しかわからなかった。剖検では膵炎は認めなかった。後の剖検整理会で、皮膚変色が死因と関係していたことが判明したが、詳細は失念した。これは病理医が言うことを理解するための知識が圧倒的に不足していたことと剖検から整理会まで半年以上経過していたことが関係している。整理会時に忘れている事柄も多く、病理医から「君は(主治医の代わりに来た)ダミーか。」と言われた。上記は、10年以上前の話である。

その後、茨城県立がんセンターが併設されるからと筑波メディカルセンター病院に移動したが、そこではPMCTをシリーズで施行していた。

※本文は、5月下旬刊行予定「オートプシー・イメージング 画像解剖」(文光堂)の中から、ご本人の了承を得て、掲載させていただいたものです。