第4回愛媛救友会(松山大会)


4.第4回愛媛救友会(松山大会)

1)デモンストレーション
(1)特定行為(松山市消防局)
(2)ショックパンツ(東温消防本部)
(3)異物除去(上浮穴消防本部)

2)自由演題

(1) 愛媛県立中央病院における緊急コール
     (愛媛県立中央病院 本田るい)
(2) 複数傷病者の救急活動  
     (伊予消防本部 生駒 隆)
(3) 東宇和消防の救急状況について
     (東宇和消防本部 中村 久)
(4) コンビチューブが有効だった救急事例  
     (今治消防本部 石川佳二)
(5) 海上保安庁について
     (松山海上保安部 渡部博文)

3) 特別講演:救急医療の近未来

(愛媛大学医学部救急医学教授 白 川 洋 一先生)

4.第4回愛媛救友会(松山大会)・症例検討など

1)デモンストレーション
(1)特定行為(松山市消防局)
(2)ショックパンツ(東温消防本部)
(3)異物除去(上浮穴消防本部)

2)自由演題

(1)愛媛県立中央病院における緊急コール(愛媛県立中央病院 本田るい)
(2)複数傷病者の救急活動(伊予消防本部 生駒 隆)
(3)東宇和消防の救急状況について(東宇和消防本部 中村 久)

第4回愛媛救友会(松山大会):(3)特別講演


演 題 「救急医療の近未来」

   講 師 愛媛大学医学部
          救急医学教授 白 川 洋 一 先生

   司 会  日赤愛媛県支部 兵 頭 和 夫

 ただ今、過分なご紹介をいただきました白川です。司会の労をおとり頂いた兵頭様、さらに私の宣伝までしっかりとして頂きまして本当にありがとうございました。

 第4回愛媛救友会松山大会でこういうふうにお話しをさせて頂く、本当に光栄に思っております。出ています幕の字など、ちょっと細目であるところなんかいかにも救友会の事務の方が手作りで、一生懸命作られたという事が非常によく分かりまして、近ごろ流行の派手な学会かよりずっと私は嬉しく思っております。

 今日、非常に大上段に振りかぶった様な題を付けてしまいました。実はお話しをする内容を決めていないうちから、事務局に「早く何か題を付けろ」と急されまして、あまり裏話をするといけませんからこの位でボヤキの方は止めておきます。そういう事で、少し看板倒れのところがあろうかと思いまけれどもお許し下さい。

 救急医療というのは非常に病気が広うございますし、これから先どうなるんだろう。という所から、実際の診療の内容からシステムの事、それからプレホスピタル・ケアの事まで非常に広い範囲を含んでおります。今日は私はどちらかと言いますと、プレホスピタル・ケアのむしろ地道な事の方が現在大事ではないかと考えておりますので、そういった方面の私のごく小さい経験をお話しする。ということで勘弁して頂きたいと思います。

 私たちは、医療というのは医療機関の中で行われている。現在ではかなり高度な診療行為だけに狭く限定して考えてしまう傾向がございますけれども、これは現代の社会のごく一時期に見られた特殊な現象であろうというふうに思っております。

 少し振り返ってみますと、1960年代に我が国で経済の高度成長が起こりました。大体その頃から現在言われているような先進国の豊かな社会への軌道が敷かれた訳ですけれども、その頃は当然のように工業生産の技術が万能である。というような幻想が私たちにも何となく思っていました。それに少し遅れて、医療技術も非常に爆発的な進歩が始まりました。これは1970年代です。この頃がそれまでの医療の世界でも比較的ノンビリした雰囲気から少し変わり始めたな。というふうに皆さん考えておる。丁度それが、愛媛大学医学部が創設される少し前あたりに相当しますし、私の個人的な経験から申しますと、私はまだ大学の学生であった。木村先生は現場でバリバリお働きになっていた頃であろうと推察します。

 そうした経済の成長と医療保険制度がたまたま上手く噛み合った結果でしょうけれど、医療の需要がその頃非常に急速に、爆発的に増えました。当然の様に医者の数が絶対的な供給不足が起こりました。その頃、私たちの都会での経験ですけれど、医学部の学生まで診療行為の一端の片棒を担がされるような事が極当たり前のように行われていたことを想い出します。

 こうした一方で、新しい医療技術、例えば機器で言いますとCTが出始めたのが丁度1970年代の初めですね。ほぼ同じころに、超音波の画像が非常に良くなったリアルタイムの超音波画像が出て参りました。今ではごく当たり前の様に使われている中心静脈の栄養法も、1970年代の初めのころに日本で丁度私たちが卒業した頃に実際に診療に試験的に使い始めた。そういう様な事が急に始まりました。

 そういう技術にある程度目を眩まされたというような傾向がございまして、私たちも病院内で行われている様な専門的な診療のみが医療であるような錯覚を持ってしまった訳です。現在そういう事が錯覚であった。あるいはちょっと片寄った認識でという事は、様々な分野で見直しが進められています。皆さんもご承知のとおりだと思います。例えば予防医学であるとか、総合医療であるとか、あるいは終末期の医療。そういった事でトータルな視点から見ないと駄目なんだという事がよく言われていますから、これ以上申すことは無いと思います。

 救急医療の分野でも似た様な事が起こっているように思います。こうした反省にたって今日はこういう標題は少し大上段に振りかぶってますが、実際はもう少しプレホスピタル・ケアの現在の姿から地道に考えてみたいという方向でお話しをさせて頂きたいと思います。私は話があまり上手ではありませんので、スライドの助けを借りながら進めていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 (スライドにて説明)

 救急医療というのが、現場での手当から搬送。さらに医療機関での治療へと一つの繋がりである。と今日では常識になっております。このうちの、現場から搬送までの処置をプレホスピタル・ケアということはご承知のとおりであります。しかし、こうした常識がこういう一連のものでなくてはならないという事が社会的に認知されたのは、それほど昔の事ではないと思います。

 私は昨年の春に愛媛大学医学部に赴任しましたが、その時初めて重信川の橋を歩いて渡りましたが、あの川は大きな風格のある川ですが、水が全然流れておりません。「なんちゅう川や」と思いましたが、よく聞きますと実際には非常に伏流水の豊かな川だそうですね。しかし、素人目にはそういう伏流水が見えない。それと同じようにプレホスピタル・ケアという概念も伏流水の様に面々と流れて来ていた。例えば、司会して頂いている日赤の兵頭さんもずーっとそういう事をやって来られましたが、そういう事が社会の表面に湧き出して来たのはそんなに昔のことではない。そういう意味であります。

 消防関係者の方には申し上げることもないのですが、救急救命士制度が法的に成立したのが1991年です。それに伴う形で標準課程が250時間に倍増されて、一般救急隊員の行う救急処置等の基準が大幅な改正を受けた。いわゆる拡大9項目といわれるものが出て来た訳です。そして翌年、我が救友会の竹村会長さんを含む救命士の第一期生が誕生した訳ですけれども、こうした一連の制度改正をもってこれを「プレホスピタル・ケア元年」だという呼び方が今から振り返ってみますと多いように思います。その頃はそれ程の意識はなかったんですけれども、5年経ってみますとやはりあれが元年であったなあ。と社会的に認知された初めての出来事だったと思います。そうしてみますとまだ5〜6年しか経っていないという意味では、まだまだ表面に出たばかりだという風に考えた方がいいかも知れません。

 救命士制度の事が出ましたので、最初にその今後の事について私の感じている事を少しお話しします。救急救命士の国家試験の合格者数を統計で表したものですが、皆さんもご承知の方が多いと思います。付則2条という受験者は、例えば現職の看護婦さんが大部分を占めておりますので、例外的に消防に採用された方もいますけれども、合格者に消防と直接の関係は無いようですね。34条の4項がほとんど現職の消防職から救命士になるケース。6カ月の養成所を通るケースです。今年の春まで含めますと大体全体の合格者の累計は13、000名位だそうです。このうち消防職は約5、000名だから単純に計算すると、数え方によりますが全国の救急隊員の8〜9%と言われております。この様に今まではひたすら数を増やすことに専念してきた5年間でした。

 しかし、まったく新しい制度、ほとんど全国一斉に大都会と地方でも2〜3年位のずれしかなくて一斉に始めたものですから当然ながら問題は続出して参ります。昨今言われております課題をまとめたものですが、このうち、特定3項目といわれる救命士の処置範囲を見直すべきではないか、と言う議論がずっとこの発足の当初からなされて来ました。その最も中心にあるのが、救急医学会の執行部と重なる人達でありますけれども、例えば心室細動に対する電気的除細動を医師の指示を待たないで、救命士だけで行うべきかどうかという議論はずっと続いております。ただはっきりしているのは、現状でも救命士の判断能力と機器の診断能力、いずれともかなり高いレベルに達している事は広く認識され、我々の間でも広く認識されております。

 除細動に限っては1秒でも早く実施するのが、予後に大きく影響するというのは外国でも既に証明されている事柄でありますから、これについては比較的解決は早いのではないか、と言う方が多いように私は聞いております。ただ、最終的にはお役所の仕事ですからどういう決着が図られるかは分かりませんが、これは最短距離にあると思われています。

 それ以外で問題となっているのは、気管内挿管と緊急薬品の投与でありますが、私は基本的には気管内挿管の方が、搬送という不安定な状態を切り抜けるためにはベストな手段である。救命士の方達がどこまで出来るかという事を考慮に入れてもベストな手段であると私は思っていますし、そう思っている人はかなり多いです。ただ、これは地域間の格差とか、使用する際に再教育しないといけないのではないか。という問題が絡んでいまして必ずしもすぐに出来る問題ではないというのがどうも非公式なところですけれども、さらに緊急薬品についても同様な事が言われております。緊急薬品の投与の布石は最初に打ってある。静脈路確保という点、これはたくさんの方面から最初叩かれました。輸液を非常に短時間してなんになるんだ。実際にほとんど効果がないのではないか。そのとおりでありまして、批判は最初から分かっていました。しかし、これはあくまで緊急薬品の投与という将来を見据えた布石でありましたから、私はもうそれはそれでいい。どんどん技術を高めるべきである。今の段階でもたとえ5分間の搬送であっても出来るものはやって行くべきであろうと私は思っております。そういった積み重ねがあれば、あと5年掛かるのか10年掛かるのか私にはよく分からないところがありますけれども、改善される方向に向かっている事は確かであります。5年経ったら一度見直すというのが当初の了解事項であったようですから、間もなく何かのアナウンスメントがあるだろうと思っております。ただ、救命士を巡る今後の課題は、この様な処置範囲の問題だけに限定して考えるのは好ましくないだろうと私は思ってます。

 発足当初から目をつむってきた問題があります。例えば、一つは地域間の格差ですね。大都市と松山市のような地方の中核都市、それからもう少し遠隔地とか過疎地といった3つぐらいのグループに分けますと、救命士の役割は明らかに異なる事は最初から予想されていた。そこの議論があまり詰められてないというか方向性がはっきりしていない。都市の救急をずっとやってこられた日本医大の山本先生は、ある意味で大都市型の救命士とそれ以外の救命士とは社会的な役割を分けて考えるべきだ、と発言されております。しかし、よく考えると遠隔地を抱えている地方都市のほうがむしろ救命士の役割は幅が広いと逆に言えるわけで、そういう事を考えると全国で均一のやり方をするのはちょっと好ましくないだろうと思います。もっと根本的に言いますと、救命士が救急医療の占める役割を全体的に考えたときに、消防職という現状では市町村単位の官職に制約されすぎる面が有るのではないか。という声があることは私も承知していますし、基本的にはもう少し広域的な考え方をしないと運用の面で行き詰まるのではないかと思いますが、そういう事を議論することは私の任ではありませんし、それほどの知識はございません。これ以上は申しません。

 ただはっきりしてきた事は、病院での医療とプレホスピタル・ケアが明らかに重なり合いが出来てきたという事です。今までは接点すらなかったのが実情でしたが、ようやく接点が出来た。それが重なり合い始めたというのが大きな流れであろうと思います。これは物理的に救急隊側が現場の医療を医療現場にも一部乗り入れるとか、あるいは逆に医師側がプレホスピタル・ケアの方に乗り入れるとか、そういう相互乗り入れという事もございますけれども、それだけではなくてやはり共通の知識とか情報と言った目に見えないところで共同作業をしているという意識が出てくるというか、共用しあう部分が出て来たというところですね。抽象的ではありますが、そういう方向性が重要ではないかと思っています。

 この写真は私共の附属病院で 課程修了者に対する実習を行っているところです。同時期に救命士の方にも病院実習に来ていただいておりまして、 課程修了者の指導を救命士の方にも随分と助けていただいております。私達が手抜きをしていると言われても仕方ないですが、実際にお世辞ではなくて私達が教えるよりもずっと的確に指導してくれる場合が多くあります。こうした経験を踏まえて申しますと、例えば私は県の消防学校で救急 課程の授業をほんの少しだけ受け持っておりますけれど、実際やってみて感じたのは、こうした教育の一部は私達医者よりも経験を積んだ救命士の方がずっと上手に出来るのではないかという感じております。こういう事であれば現状の消防の枠組みに手をつける事なく出来るわけですから、県下の救命士が少しずつ参加すれば消防学校での標準課程の教育なんか、ずっと活気のあるものになるのではないかと考えております。

 話は変わりますけれども、阪神淡路大震災でヘリコプターが一番大事な時期に患者搬送にほとんど利用されなかったという反省があり、これはマスコミでも盛んに取り上げられましたから皆さんもご承知のことと思います。

 これは昨年導入されました「えひめ21」です。都道府県が保有する消防防災ヘリとしては32番目です。愛媛県内には、瀬戸内海と宇和海を合わせて113の離島があると県から伺ったことがあります。その内平成2年の統計で人が定住する島は35。人口合計は52、734名です。そういう搬送に本来利用されるべきであろうと誰でも単純に考えるわけですが、これは全国で都道府県の保有するヘリが都道府県単位では32機ある。消防機関、主に政令指定都市が保有するものでは26機ある。これは去年の末期の段階の数字だそうです。ただこれは消防防災ヘリであって、救急ヘリではありません。従って本来の役目は消防防災にあるわけですね。そこんとこが非常に藍色になっているということはご承知のとおり。これはヘリコプター輸送を何年も推進する為に努力されている川崎医大の小濱先生が常におっしゃっていること。本来はやはり救急ヘリを専用の救急ヘリを作らなければいけないんだと。それと都道府県単位ではなくて、先程木下先生がご発言されたような、ある程度広域に利用できるような基地を設けて作らなければいけないんだ。ということを盛んに言われておりますし、それが正論でありますが、なかなかそれが未だ実現というか通る方向にはなかなかいかない。そういうことがありまして、実際に消防配備されている消防防災ヘリをもう少し活用できないか、という事が議論になってきております。

 実際に中央でも、ヘリコプターによる搬送検討委員会というのが自治省消防庁の内部に私的な委員会ですけれども、報告書を去年末に出しております。その中で基本的な方針ですけれども、多目的な消防防災ヘリを救急業務にも積極的に活用し、指示要請から現場到着までの時間を短縮するために手順の明確化、機器設備の改善、関係機関の密接な連携が望まれる。というような結論を出しておりますが、出来ればこういう方向が少しでも実現に近づくべきではないかというふうに私は思いますし、愛媛県でも決して不可能な事ではないだろうと思っております。

 一番難しいことは、一つは装備の問題、あとは手順の問題。この二つが一番難しい事ですけれどもそれはやってやれない事は決してないと思います。例えば防災用にガラン洞にしておりますヘリの内部を救急用に瞬時に変えるということはかなりやっかいな事でありますが、ただ出来ないことはない。という事は、私共が香川に居たとき2年前に試作してみたものですが、ストレッチャーに1パックに乗せたものをドッと運み込めば、ほとんど1分以内に救急ヘリに早変わり出来るという事は、これは加納なわけですね。実際に試作品を作って実験をしました。そういう工夫、さらにもちろん手順の工夫ですね。これが一番大事です。

 先程の報告書の中で、例えば提言しておりますのは航空隊基地。松山ですと空港にあるわけですが、そこから搬送先とは関係ない医師派遣医療機関に1回飛んでそこで医師を拾って現場に行く。という方法だってあるだろうと、これが医師ではなくて救急救命士でもかまわない訳ですね。ある状況では、常に医師とか救急救命士が待機している必要はございませんし、必ずしも患者搬送のもとになる所から医師が乗って来る必要のない、こういう方式も十分に考えたら如何でしょうか。というような参考案です。

 これも報告書に載っております。大震災の後に阪大の杉本前教授がよく言われたのですが、普段やってないことが大変な時に出来るわけがない。と、それが最大の教訓だったというふうにあの先生はおっしゃったわけですけれども、ヘリ輸送についても普段やってない事が、本当に必要になった時に出来るわけがないのが明らかでありますから、今からやって行きたいと思います。

 ご存じの方(竹村会長)が写っておりますけれども、こういったプレホスピタル・ケアが大きく変貌していることは皆さんはよくご存じだろう。ところが医療機関に居る医者は実際にはほとんど知らない。もっと知ってほしいわけですが知らない。私たちが出来ることとしたら、まず医者になる前の学生達にそれを体験してもらうのが一番いいのではないかと、わたくしはずっと思っていましたので、香川医大に居たときも救急車の同乗実習は学生達に課してましたし、愛媛に参りましてもすぐに松山消防にお願いしてやらして頂きました。これは私たちの会長さんが非常にするどい目付きで熱心に教えて下さっています。これは中央消防署の指令室を見学しているところです。学生は非常に感動しますね。現場だけではなくて、こういう所も知らないわけですから。

 救急車の同乗実習は医学生の5年生から6年生の臨床実習の時に一晩だけお願いして居ます。10月から始まりましたので14班が終わりました。その間の出場件数が学生のレポートを調査しますと125件ございましたけれども、いたずらとか不搬送が12件と1割近くございましたので、それを除くと113件。1割近く不搬送があるという事は学生は全然知らなかったようで、非常に怒っておりますね。こんなことされたのでは税金の無駄遣いだと、非常に怒っておりました。搬送例の中に学生に重症度を判定させると、41%が軽症と彼らは判定しました。軽症の基準は救急車が全く必要なかった、というのは軽症にするように言っておきました。救急車はしょうがないという中等症は、許容範囲は人によっていろいろですが半数の47%でした。報告を聞きましたので納得のいく数字でありました。

 CPA2例に遭遇しております。学生の感想を少し紹介すると、救急車同乗実習をさせてもらって感じたことは。自宅で急な傷病が起こったとき、医療行為を受けられるまでの時間がこれ程長く感じられるものだとは分からなかった。自分ではどうしようもない状態で待つことがこんなに不安な事だとは思わなかった。救急隊は頼みの綱であることは、到着したときの患者さんや家族の表情を見てよく分かった。というような感想です。今回の実習で4回の出動を経験しました。苦しむ患者さんの表情、状態を見ながら短時間でどのような病態であるのか、どのような処置が必要かを考えることは良い経験になった。医師と救命士間の連携の強化などを、医療サイド、行政サイドの工夫が必要と感じた。また、市民の側でも初期応急処置を理解しておくことはこれから益々必要ではないかと感じた。あるいは、ある現場に行った学生ですが、現場に行くと車が横転していたり、嘔吐したものがあったり、それを見た瞬間に今まで習っていた事を忘れてドキドキした。訓練していないと冷静な対処は出来ないと思った。と、なかなか正直な感想が入っております。

 似たような事は出来るだけやるという方針で、日赤の兵頭さんに来ていただいて、医学部の1年生に蘇生法の実習をお願いしていますが、私たちが教えるのとは全く違った意味で学生達にインパクトを与えています。私たちが教えると非常にだれてしまいますが、兵頭さんそれから日赤のボランティアの方々に来て教えて頂くと全く目の輝きが違います。これは私たちが悪いのか兵頭さんたちが立派なのか、両方なんでしょう。こういった相互乗り入れというのは、もっともっとやるべきではないかと感じております。

 急に話は変わりますが、災害医療の面でいろいろな進展がございました。その一つはトリアージタッグを標準化しようという案が去年出されて、それについて議論がある程度深められたことですね。標準化の意義というのは、今までバラバラであったのを一つにするという事ではなくて、トリアージというものの概念そのものをちゃんと広めないといけない。それのきっかけになるのではないかという事は大きかったわけですけれども、このトリアージが如何に重要であったかという事は私が実際に調査した実例で少しお話しします。

 淡路の北の端に北淡町という震源地の町があります。人口は1万人位の小さい過疎の進んだ町であります。そこにたまたま香川医大が救護所を出したものですから、私も神戸から帰った後そちらに行かせて頂いて、そこでお知り合いになった先生方や町の役場の方に協力頂いて調査しました。北淡町は北の端に細ながーくあります。10数キロの海岸線を持っておりますが、大きな被害があったのは北部です。野島断層なら野島、蟇浦という集落とそのすぐ近くの富島という町役場の集落ですが、この二つに集中的に被害がありました。丁度ここに断層が走っていたものですから、死者が野島、蟇浦で10人、富島で25人。北淡町全体で38人ですからこの内35名がこの二つに集中していました。そこで私たちは此処の全数調査をさせて頂きました。そうしますと、亡くなった方35名の内検死だけというのは31名、救助された時はどうしようもなかったわけですけれども、蘇生を試みた例は1例ございました。

 救護所は正式な医療機関ではなくて、先程の富島という町の所にその日に急きょ作られたものですが、救出後に外傷処置をしたのが2例。これは後でカルテも調べせさせて頂きましたが、こういう混乱した状況ではなかったら1人はひょっとすると助かったのではないかという点はございます。混乱した状況では仕方なかっただろうという程度のかなり強い外傷でありました。1名が全く元気に救出されながら1時間後に死亡された。これは原因が分かっておりませんが、心筋梗塞の疑いがあるという患者さんです。重症から中等症、骨折を伴う者24名、軽症で診療を受けた者145名ございました。

 こういった人達が最初に何処で治療を受けたかという事が、私たちの一番の関心でありました。被害が起こった場所は富島と蟇浦。ここには元々医療機関はございません。富島の町役場の傍らの建物を臨時救護所にしましたけれど、それはその日の午後でありました。近くに外科の医院があり一寸離れて内科医院があり北淡診療所という町営の診療所がある。4キロ位離れて国立明石病院の分院があり、整形外科の有床診療所があり、かなり離れて県立淡路病院があったわけです。この患者さんの分布を調べてみますと、何と大部分が臨時診療所で処理されていたわけですね。死亡35例の内18例は此処で検死を終わっている。軽症の大部分もここでカバーして、他の所へ殆ど紹介されていないですね。重症、中等症は此処で引っ掛かったのはみんな送られていますし、実に上手くトリアージが出来ているんですね。どうしてかと思いましたら、町立の診療所のヘッドのお医者さんの住所が此処にあって此処で被災されたのです。診療所に行けなくなり、此処で急きょ自分がトリアージを始めた。全く治療器具も何もなしでトリアージを始めた。その為にこういう結果が出たということで、初期に此処にもしトリアージ機能がなかったら全部何処かへ運ばないと行けないですから、大変な混乱になったのは確実です。治療器具がなくても最初のトリアージが上手くいくと非常に無駄な搬送、そういう機能が実に上手くいったという事がわかりました。ある意味で感激をしています。そのお医者さんも内科のお医者さんで10年目位でしたけれど、特別トリアージの訓練を受けたわけではない。ただ日頃から総合的な診療に関わっておりましたから、非常に関心が深かったというか、何でも熟していたというところが非常に良かったのではないかと思いました。こういう所を将来的には状況によっては、消防の方々、あるいは救命士の方々が担っていただかなくてはいけない。かも知れないし、そういう事が非常に大きな全体としての効率の向上に繋がる例だと思いました。

 去年の夏に大阪府立医療センターの副院長をされている鵜飼先生が、朝日新聞の論壇にこういう現在の訓練というのが非常に形骸化しているという論文を投稿されました。もう少し実際に起こりそうな状況を設定してやったらどうか。という主旨でありまして、これは全くそのとおりでありましてお恥ずかしい事ですが私たちの大学でも全く同じ状況が繰り返しされております。越智先生はそういうものをもう少しシュミレーションした実際に近いものに近づけようと努力されていますが、これはやはり消防でも同じような基本的な方向と言いますか、努力して頂きたいというふうに感じております。

 抽象的な事ではありますけれど、プレホスピタル・ケアと医療機関での治療というのは随分重なりあって来ている。そしてそれを実際にやっていくのはある種の共同作業と言いますか、相互乗り入れではないかと思いますので、いろいろな場を作って、実際の診療の場を使ってでもそうですし、それからこういった研究会の場というものももちろん沿うでしょうが、共有する場をどんどん増やして行くことが一番重要な事ではないかというふうに感じております。今日は時間も参りましたし終わりにさせて頂きたいと思います。

(司会 兵 頭 和 夫)

 白川先生には、消防の救急救命士また救急隊、いま問題になっております除細動の問題、気管内挿管、更には薬品投与ということを前提にした輸液、そういう事について非常にご理解をいただいております。

 ご理解をいただいている、高い評価を受け信頼されているという事はフロアーにおられる大多数の消防職員の救急に関わる方々の責任は非常に大きいというふうに、私も救急に携わる者の1人として拝聴したわけでございます。

 今後とも、私たち救急に携わる者の役目として、まず一般市民における応急手当の必要性、さらに、それを受けての消防関係者の資質の向上、そして医療機関への搬送、この輪を上手く連携させて1人でも多くの救命をするという事。これが今回講演をいただいた白川先生へ対する我々のお応えになろうかと思います。今後とも一生懸命頑張るつもりでございますので、ご指導たまわりますようよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。


  ■愛媛救友会ホームページへ/ 第4回松山大会・目次へ