家族へのうそ

山口県立中央病院救急部 津秋圭子

(エマージェンシー・ナーシング Vol.12 (3) : 4, 1999 <連載「家族」より>)


 津秋さんの「エマージェンシー・ナーシング」へのご投稿につきましては、以下のペ−ジにも収載されています。ご協力をいただきました津秋さんならびに編集室に深謝申し上げます。(ウェブ担当者)。


 消防署からのホットラインが鳴ったのは、救急外来が ようやく静けさを取り戻した深夜3時すぎだった。

「12歳女性、現 在CPR実施中」
「12歳ですか?」私は思わず問い返した。
「はい。12歳、中学1年生です」

 年間100人近いCPA患者に対応す る私たちでも、小児はとくに辛い。受け入れ準備をしながら私たちは、両親の嘆きを 想像して暗澹たる気持ちになっていた。さらに、私自身にはほかの不安材料もあった。 私の長女は今から11年前に生後6ヵ月で突然死している。生きていたらその子と同じ 中学1年生であった。当時の情景がフラッシュバックしないだろうか。冷静な対応が できるだろうか...

 7分後、不安のうちに救急車が到着した。車中 から顔面が蒼白になったご両親が転がるように降りてきて、その後から12歳の少女が CPRされながら救急室内に運ばれた。クラブ活動でバレーボールをしているという少 女は、体格もよく今まで病気ひとつしたことがなかったらしい。入眠中突然わずかに うめき声をあげ、もがいたのを同室で寝ていた両親が気づき、見てみると呼吸が止まっ ていたと言う。救急車到着までの5分間無処置だった。挿管、ルート確保などいつも 通りの処置がスムーズにできた。しかし少女の甦生の兆しはなく瞳孔も散大のままだっ た。

 12歳の突然死では、両親の受け入れはきわめて困難だろう。 ご両親を早期に救急室内に入れ現状を見ていただいた方がよいと判断した。用意して いた人工心マッサージ器やレスピレータは使わず、医師と交代しながら心マッサージ をし、アンビューバッグを圧した。ご両親は現状が把握できていない様子だったが、 医師から心肺停止を告げられると泣き崩れ「お願いします。助けてやってください。 まだたった12年しか生きていないんです」とすがりついた。母親の引き裂くような泣 き声に私も涙が流れるのを止められず、心マッサージで揺れる少女の胸に涙がポタポ タ落ちていった。

「お母様、私たちも精一杯がんばります。手を握っ てあげてください」

 ご両親は少女の両手を握り「がんばって、ま だ死ぬのは早い」と励まし続けた。私たちは何度も目で「もう止めようか」「もう少 しがんばりましょう」と合図しあいながら汗まみれで心マッサージを続けた。外が明 るくなる頃まで続けたがついに少女は甦生しなかった。救急車到着までの5分間が悔 やまれた。

 死後の処置の前に、私は母親に何か着せてあげたい服 があるか尋ねた。少女に病院の浴衣はあまりに似つかわしくなく思えた。母親は「買っ たばかりのセーラー服を着せてやりたい。すぐに取りに帰ります」と答えた。清拭し セーラー服を着せたあと、家族に死後の処置室に入室していただいた。父親に爪切り を、母親に化粧をお願いした。「小さい頃、よく膝にのせて爪を切ってやったよなあ」 父親は慈しむようにそっと爪を切った。母は「はじめての化粧が最後の化粧になるな んて」と手も止まりがちだった。真新しい夏服の白いセーラー服を着てお化粧をして もらった少女はちょっと疲れてうたた寝をしているというように穏やかに美しく見え た。私は慰める言葉もなくただ一緒に泣いていて、そんな自分を悔しく思った。しか しわが子を亡くした11年前、どんな慰めの言葉よりも一緒に泣いてくれた友に心が安 らいだのを思い出して「これでいい。私にはこれしかできないのだから」と思い直し た。

 霊安室で焼香している時、母親から少女に睡眠時無呼吸があっ たのではないかと思われることを聞いた。父親にも同じような症状があるという。私 は専門の医師に依頼しておくので必ず受診するように、父親に勧めた。その時父親は あらたまった様子で「看護婦さん、この子の息が止まった時、私が何かしていれば助 かったのでしょうか」と聞いた。私は一瞬動揺したが「いいえ。お父様は十分なさい ました。動転して救急車を呼ぶ電話番号すら思い出せないご家族もいらっしゃいます から」と答えた。呼吸停止直後からCPRしていたら救命できていたかもしれない。私 はうそをついた。しかし、いつか父親は私のうそを知る時が来るだろう。迷いは尽き なかった。

 私は5年前より市からの依頼で、一般市民対象に公民 館などで小児の事故防止とCPRについての講習会を行っている。次の日は、たまたま その講習会の日だった。「心肺蘇生は必要のない時にこそ練習してください。本当に 必要性が分かった時には気の毒で教えられないものなんですから」私は受講者にこう 話していた。

 あれから3ヵ月、父親の受診はなかった。救急看護 は時として私には荷が重く感じられる。


■全国救急医療関係者のペ−ジ□救急医療メモ