引導を渡したおばあちゃん

津秋圭子 山口県立中央病院救急部

(エマージェンシー・ナーシング Vol.13 (1) : 60, 2000 <連載「家族」より>)


 
 救急外来に勤務しているとつらい悲惨な光景に出会うことは日常茶飯事になってしまう。患者や家族の悲嘆体験を共感していくことは私たちの心にもCIS(異常事態ストレス)をもたらす。救急看護にやりがいを感じてはいるが、払っても払ってもしだいに心に降り積もる雪を感じることもある。

 しかし時には、そんな思いを吹き飛ばすようなすばらしい出会いがあったり、思い出しては笑ってしまうようなこともある。数年前のこと、夜更けに上品な中年女性が来られて、「あの、こんなものがお腹からとれてしまったのですが、くっ付けなくて大丈夫でしょうか」と遠慮がちに尋ねられた。

 花模様のきれいなハンカチに包んでおずおずと出されたそれは、なんと大きな臍のゴマ。たぶん、その女性は小さいころ母親に「お臍のゴマをとるとお腹が痛くなるからさわってはいけません」などと言い聞かされて臍のゴマを大事にしてこられたのだろう。なんと純真な方なのだろうか。私は笑いを堪え、精一杯まじめな顔をして心配ないことを説明した。

 また、まだ若い母親から「赤ちゃんのおしっこって黄色なんですね」と言われたときもびっくりした。テレビの紙オムツのコマーシャルを見て青いものかと思っていたらしい。しかし一番驚き感激もしたのは、今から3年ほど前の冬のこと、たしか正月の2日だったと思う。その冬はなぜか老人の風呂での急死が相次いだ。

「78歳、男性。風呂で溺水。CPA」という救急隊からの通報にスタッフの間に「またか」という空気が流れた。田舎の正月は里帰りで人口が多くなる。交通事故も多い。みんな疲れきっていた。しかし、その男性は家族によってCPRされていたと言う。もしかしたら蘇生の望みがあるかもしれない。

 けれども搬送された方を一目見て、とても無理なことを悟った。救急車に同乗して来られたのは小さな腰の曲がった老婦人おひとりだった。家人によるCPRと聞いていたので壮年の息子さんか大学生くらいのお孫さんを想像していたので私は意外に思った。

 やはり、蘇生にはまったく反応しなかった。医師が「残念ですがお亡くなりです」と妻の老婦人に告げた。私はその方の後ろに背もたれ付きの椅子をそっと引き寄せて失神に備えた。しかし、もんぺに割烹着のおばあちゃんは、「ありがとうごぜえました」と曲がった腰をさらに曲げて医師に礼を言った。それからちょこちょことおじいちゃんの傍に行き耳元で大声をあげた。

「あんた、はぁ、死んじょってんですよ。ええですか、死んだのよ」

 私たちは全員、唖然として立ち尽くした。それから笑いを噛み殺して厳粛な顔をしようと努力した。おばあちゃんは続けて「迷わず極楽へ行ってつかさいね。あんたと一緒になってよろしゅうごぜえました。ありがとね。なんまいだー。なんまいだー」

 ああ、これが引導を渡すと言うことなのか。やっと私はその行為が腑に落ちた。不慮の急死になんと立派な妻の覚悟だろう。

「なんまいだー。なんまいだー」と続く大声に私は慌ててストレッチャーを霊安室に運んだ。焼香後、私は「奥様はよく人工呼吸をご存知でしたね。大変でしたでしょう」と尋ねた。肩を落としてしょんぼりと座っていたおばあちゃんは「じいさんも私も年でござえますから、いつ何時どうなるかわかりませんのでテレビで覚えました。耳は死ぬる間際まで聞こえるそうなので、一言じいさんに今までの礼が言いたくて…」長年の夫婦の愛情が偲ばれた。高齢になって心静かに死の準備や心構えををする夫婦は幾らもあるかもしれない。でもさらに前向きにCPRを覚えようという高齢者が何人いるだろう。無名の農家のおばあちゃんはどんな人生を歩いてこられたのだろう。私もそんな幾つになっても前向きな人生を送りたい。

 小さな老婦人と話している間に、胸の中に降り積もった雪があたたかく溶けていくのを感じた。


■全国救急医療関係者のペ−ジ□救急医療メモ