悲嘆の中の至福 〜体験から

津秋圭子山口県立中央病院救急部

(エマージェンシー・ナーシング Vol.12 (7): 650, 1999)


 日本でもNHKのTVドラマで有名になった『大草原の小さな家』の作者ローラ・ワイルダーは長男を生後3週間で亡くしている.自分の半生を8冊の本に著しているローラは,ある日の朝食の描写に数千字を費やしているが,わが子の死については1行でかたづけている.悲しみが深いほど言葉にできないものなのだろう.しかし思いを文章にするというのは,受容の一過程として役に立つものらしい.本当にそうであるか私も試してみようと思う.

 私の長女,美奈は1986年6月8日に出生した.第一子は流産,第二子の長男は臍帯巻絡でアプガースコア3点で出生し幼児期は虚弱で手がかかった.その中で待望の元気な女児を授かって家族はひたすら喜んだ.日ましにかわいくなり喃語をしゃべりよく笑う美奈に,「この子は私似よ」「いや俺に似ている」とよく夫と言い争った.

 夫の気がかりは,名前を美奈とつけたこと.マンガ『巨人の星』の悪性黒色腫で死んだヒロインと同じ名であることに気付いて不吉がった.私はそんな夫を「こんな元気な子に万一のことがある訳ないじゃない」と笑っていた.

 しかし,その万が一のことが起こったのはその年の晩秋だった.美奈は数日前から風邪気味であったが熱もなかったので保育所にあずけて私は産婦人科外来で勤務していた.するとひきつけたので迎えに来て欲しいという電話があった.熱性けいれんだろうか,エピレプシーだろうかと思いながら小児科を受診すると原因精査のため入院ということになった.しかし哺乳力も良好で活気もあった.

 入院数日目の深夜,私は病室の美奈に添い寝していた.ふと乳房の張りに目覚め授乳しようとした.すると暗がりの中,子供が妙に静かなのにはっと胸を衝かれた.呼吸が止まっている,脈も触れないようだ,手が震えてナースコールが押せない,助けを呼ぶ声が出せない.

 悪夢の中で何度も追体験するのはそこまでで,それから先ははっきりと思い出せない.記憶に欠落があったり整合性がなかったりする.心拍は再開したものの自発呼吸はなくICUに入室した.原因はSIDSか誤嚥ではないかということだった.

 あの時私が眠らなければという後悔と自責,私の命をさしあげますからこの子を生かしてくださいという神との取引.子供についている多くのルートを引きちぎり抱きしめたい.そしてこんな小さい子をひとりで逝かせられないからいっしょに病院の屋上から飛び降りよう.何度も実行に移しかけた瞬間があった.それは看護婦の何気ない一言がきっかけだっだり,張って痛い胸から乳汁が滴り落ちるときだったり,ヨチヨチ歩く幼児を見た時だったりした.2日後わが子は心停止して,ようやく胸に抱くことができた.

 今思えば,激しい悲嘆反応の中では,性格や物の見方が変化するものらしい.よく人は悲しみを出口のない暗いトンネルにいるようだとか,砂を噛むようなとか形容するが,それが比喩ではなく実際にそう感じるのだと知った.昼間でもあたりは薄暗く見え視界は狭まり,何を口にいれても味覚がなかった.また些細なきっかけで強い怒りがこみ上げた.大脳辺縁系において脳内伝達物質も細胞膜上のレセプターもストレスの度合いに応じて変化するものだそうだが,それと関係しているのではないだろうか.

 しかしこの反応性鬱状態は1カ月ほどで突然に終わった.それは墓参りの帰り道のこと,私はとぼとぼ歩いていて何気なく道端の黄色い花を見た.その途端目の前が光り輝いたような気がした.急速にあたりに光が満ちていき空がどこまでも青く見えた.心は深い絶望感から一転して強い安らぎと宇宙との一体感で満たされた.無宗教の私ではあるが,今わが子は神の胸にいだかれたと感じた.よく臨死体験にあるように脳低酸素状態になると大量の脳内麻薬物質が分泌されると言われるが,この時感じた至高感は強いストレスに対する体の防御反応だったのだろうか.

 この体験以後,私は死の受容の新たな段階に入ったようだ.激しい悲しみが時々押し寄せてきたが,その時は深呼吸をしてあの至福感をイメージして忍んだ.しかし産婦人科外来に勤務していた私は,妊娠を喜んでいる受診者に「おめでとうございます」との言葉がどうしても言えずに困った.できるだけ早く次の子を妊娠すること,それが自分と家族の精神状態を守ることになると悟った.

 一度の流産を経て2年後のまた同じ6月8日によく似た女児を授かった.空っぽの胸がようやく埋まり今までの欠落感が癒された.しかし前と同じ自分には戻れないと感じた.

 平成3年に救急部に配属となった.そこで突然の事故や病気で子供を失った家族に接してきて,このような思いをする人を減らしたいと思った.平成5年の看護研究をきっかけにして子供の事故防止とCPRについて地域で普及活動を始めた.公民館や保育所で母親や保母などに現在まで約40回,のべ1,000人の講習を行った.

 私の知り得た限りでは,今まで指導を受けた方の家族2名がCPAとなられた.そのうち6歳の男児は川での溺水で救急隊の捜索により発見されたため家族によるCPRはされなかったが,もう1例は家族がCPRされた.

 微力ながら役にたてたかもしれないと思うとき天国の子供に微笑んでもらったような気がする.


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