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シンポジウム 「日本における家庭医の可能性」

11月7日(日)13時-14時30分
シンポジスト :
  黒澤和子(映画衣裳デザイナー)  家庭医を持つ患者・家族・市民の立場から
  寺岡 暉(日本医師会副会長)   医療者の立場から
  山田隆司(日本家庭医療学会会長) 当学会を代表して
  出河雅彦(朝日新聞編集委員)   医療問題を取材する立場から
 司会 :
  三瀬順一(自治医科大学地域医療学センター)

 当学会は、「家庭医」とその教育者の養成、「家庭医療学」の確立のために活動しています。
 「家庭医」とは、対象とする人の年齢・性・臓器・原因・治療法を限らず、予防・治療・リハビリを含めたあらゆる健康問題に対処する医師のことで、地理的・時間的・精神的・経済的にもっとも身近なところで、ありふれた病気・症状・訴えを主な対象として活動しています。また、幅広い人間理解を背景に、家庭・職場・地域との連関を重視し、生涯にわたり、健康な時も病いの時も、医療のあらゆる段階に関与します。「家庭医」は、あらゆる職種との連携と調整、地域の方々との協同を重視するとともに、患者の主体性・自発性を最大限尊重します。
 医療の専門分化の一方で、このような、無限定性と統合を特徴とした医療と医師のありかたが模索されてきました。87年4月には、厚生省の「家庭医に関する懇談会」が報告書を提出しましたが、結局、家庭医制度の実現には至りませんでした。00年の介護保険制度には「主治医意見書」という形で「主治医」が位置付けられ、日本医師会は「かかりつけ医」を推進し、生涯教育を奨励しています。04年の新医師臨床研修制度では、研修医全員が「地域保健・医療」の研修を受けることになり、「家庭医」に触れる機会ができました。新聞紙上でもしばしば「家庭医」のことが話題になっていることから、患者さん、地域住民にも一定の関心があることが伺えます。
 日本における「家庭医」の必要性、実現可能性などを議論する場として、患者、マスコミ、日本医師会、当学会関係者によるシンポジウムを企画しました。(司会 三瀬順一みせ じゅんいち)


シンポジストから
   黒澤和子(映画衣裳デザイナー)    家庭医を持つ患者・家族・市民の立場から

 一患者としての私ですが、両親を看取り、三人の子供を育てながら、家庭と仕事を両立と云う人生を送って来た私にとって、家庭医の存在は大変ありがたいものでした。
 子育て一年生の頃に、子供の高熱にドキドキしながら一晩を過ごし、翌朝に見る掛かり付けの先生のお顔が救世主に見えたこと。
 親が高齢になって病床の人となり、ともすれば挫けそうになった時、看病の仕方を誉めていただき、大きな励ましとなったこと。
 父の看病をしていた時期に、不覚にも心労から鬱状態になり、二十五キロも痩せてしまった時、私に心配させないように検査をしながら、「何でもない、何処も悪くない、安心しなさい」と見守ってくださったこと。
 私と家庭医との思い出は、我が家の歴史と重なっています。
 電話一本で、お顔を見れば、安心な日常に戻れる幸せがそこにあります。
 適確なアドバイスや、無為な心配を巧みに排除してくださる話術で、健康でいることの努力も怠ることなく、日々安心して忙しい毎日を生きられることの裏付けもいただき、家族皆が、家庭医のむこうにある大病院に行くこともなく、健康に楽しく生きていられるのです。
 ストレスの多い今の時代、工夫という努力で、賢く健康という宝物を守らなければいけないと、家庭医のバックアップを得て、自分自身も努力したいと思います。
プロフィール: 1954年、黒澤明の映画「七人の侍」の製作打ち上げの日に、黒澤明の長女として誕生。成城学園高校中退後、スタイリストを目指しサン・デザイン研究所に入学、同校卒業後、伊東衣服研究デザイン科を経て、ファッション関係の仕事に従事。轄歩Vプロダクション取締役。黒澤明の28作目「夢」で衣裳担当として黒澤組に参加。1998年黒澤明死去「お別れの会」の後製作発表された、黒澤明の遺稿、小泉尭史監督「雨あがる」の衣裳デザインに参加。衣裳アドバイス:2001年小泉尭史監督「阿弥陀堂だより」、2003年黒澤明「用心棒」。衣裳デザイン:2001年熊井啓監督・黒澤明脚本「海は見ていた」、2001年山田洋次監督「たそがれ清兵衛」、2003年北野武監督「座頭市」、2003年山田洋次監督「隠し剣鬼の爪」。舞台化に衣裳で参加:2001年齋藤雅文脚本演出・中村吉衛門主演、「蜘蛛巣城」2002年第15回東京国際映画祭コンペティション国際審査員。
著書:『黒澤明の食卓』小学館2001年、『パパ、黒澤明』文藝春秋社2002年、『回想・黒澤明』中央公論新社2004年8月。(くろさわかずこ)


シンポジストから
  寺岡 暉(日本医師会副会長)    医療者の立場から

 日本の社会においては、昔から「開業医」が今日言われている「家庭医」の機能を担って来た。また古くからある「かかりつけ医」という名称は、患者さんと医師との信頼関係から醸成されたもので、患者サイドに立った医師の存在を表現しており、日本医師会は家庭医機能を進化させる意味でこれを地域医療の中に根付かせるべく努力して来た。今日では地域医療ばかりでなく福祉の分野においても、この名称と理念が定着している。
 「かかりつけ医」には、所謂24時間対応、往診、十分な対話と親切な説明、全人的医療他多様なニーズに応えられる総合的な力量が求められる。超高齢社会においては、福祉ニーズにも対応しなくてはならない。一方、新しい患者・医師関係においては、患者の自律性を機軸とする対等な信頼関係が求められる。医学の専門性が進むと共により高いレベルでの紹介機能も求められる。このように時代と共に、社会が求める医療へのニーズが高度化、多面化したことを勘案して、改めて開業医、家庭医の機能、即ち「かかりつけ医機能」に新しい光を当てることが必要だ。また、医師も言わば社会の産物であり、その在り様は昔の「開業医かたぎ」とは異なる。
 このような考察から、新しい時代における地域医療を考えるとき、改めて受療者と医療者(医師・医療提供チーム)との暖かい信頼関係を機軸とする「家庭医機能」を大切に育てることが必要。とりわけ、地域における「かかりつけ医支援体制」の構築が重要だ。(てらおか あきら)


シンポジストから
  山田隆司(日本家庭医療学会会長)    当学会を代表して
「へき地医療から学んだこと」

 医療は地域ニーズがあって初めて成り立つものである。そんな当然のことが、ともすると人口規模の大きな地域では認識しにくい。一見医師は自分の専門性を磨き、そこに集まる患者さんだけに対応していればそれで充分だと思いがちである。
 しかし医療資源が乏しい地域、または時間帯にはそういった専門医療中心のシステムは機能しにくく、また効率性が悪い。日本では大学教育や卒後教育の中でそういった専門医しか育ててこなかった歴史がある。いまや専門医療だけでは地域医療が成立しないことは、へき地を例に挙げるまでもないだろう。
 限られた医療資源の中で、多様な医療ニーズに応えるためには、質の高いジェネラリスト、かかりつけ医、家庭医の存在がますます重要になるものと考える。次世代を担う優れたジェネラリストを育成するには、そのための教育システムが必要と考える。
 日本でのこれまでの歴史を踏まえ、現在の地域医療の担い手がその価値観を共有し、新しい時代の担い手を育成することが今望まれているのではなかろうか。
(やまだ たかし)


シンポジストから
  出河雅彦(朝日新聞編集委員)    医療問題を取材する立場から

 「家庭医」は日本の医療制度の中に公式に位置づけられておらず、専門領域の一つとして広く認知されているわけでもない。国民にとっては慣例的に用いられている「かかりつけ医」とか「主治医」という言葉にはなじみがあるが、こちらは「ふだん受診している医師」以上の意味はなく、一定の診療能力や専門性が保証されているわけではない。
 効率的で質の高い医療提供体制を構築するには、いわゆる病診連携や医療機関の機能分担が不可欠となるが、いまのところ国の政策誘導は十分な効果を上げていない。だれでもどこでも受診できる「フリーアクセス」が医療連携を阻む大きな原因とされるが、診療科の自由標榜制にみられるように、初期診療を担う医師の専門性が不明確であることも要因の一つではないか。
 医療の質の向上を目指す施策の一つとして初期臨床研修が昨年から必修化され、基本的な診療能力をバランス良く備えた医師の養成が期待されている。今後は、質のばらつきと診療分野ごとの過不足が著しいとされる専門医制度の改革が求められる。資格認定の厳格化や需要に応じた専門医の養成とともに、幅広い診療能力を備えた家庭医(開業医)を専門医制度の中にどう位置づけるかが課題となる。(いでかわ まさひこ)


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