災害医学論文集(災害事例別) 東海村JCO臨界事故(1999) |
目次: INNERVISION、エマージェンシー・ナーシング、看護部マネジメント、原子力災害に対する国際的医療対応のあり方、呼吸、心身医学、心と社会、精神保健研究、日本救急医学会関東地方会雑誌、日本集団災害医学会誌、広島大学原爆放射能医学研究所年報、プレホスピタル・ケア、保健師ジャーナル、薬事
■INNERVISION
■エマージェンシー・ナーシング
■看護部マネジメント
■原子力災害に対する国際的医療対応のあり方
■呼吸
■心身医学
■心と社会
■精神保健研究
■日本救急医学会関東地方会雑誌
■広島大学原爆放射能医学研究所年報
■プレホスピタル・ケア
■保健師ジャーナル
■薬事
(原口義座ほか編・ワークショップ:原子力災害に対する国際的医療対応のあり方、東京、2000)
Abstract:放射線被曝による肺障害は放射線肺臓炎と呼ばれ,肺胞腔滲出期,肺臓炎期を経て肺線維症期(肺間質修復期)へ移行することが知られている.今回著者等が経験した症例(茨城県東海村のウラン加工工場の事故)は,剖検にて放射線肺障害の最終病理形態である肺線維症像はみられなかった.その呼吸管理は肺障害だけ切り離して考えられるものではなく,様々な臓器障害に対する管理と直結するものである.直接死因の1つとなった肺酸素化能の著明な低下を伴う呼吸不全は,全身の皮膚・皮下組織・筋組織の硬化に伴い,重症感染症による血管透過性亢進が肺水分量の集中的増加を引き起こしたことが主因であると考えられた
Abstract:茨城県東海村で発生したJCO社による放射能臨界事故は,一般社会のみならず心身の健康に敏感な住民にも大きな衝撃をもたらした.事故災害やその健康被害などについての報告も多い中,本事故についての現場からの調査報告,とりわけ児童の心身への影響に関する学術報告は皆無に近かった.そこで,本邦で初めて住民を巻き込んだ放射能洩れ事故が,近隣の学校生徒の心身に与えた影響,特に心的外傷後症状の実態や内容などを調べる目的で調査を行った.屋内退避対象地域になったJCOから半径10km圏内の7市町村に所在する15校の小学生・中学生・高校生計479名を分析対象に,事故直後(想起)および事故1年後に心的外傷後症状の感情状態や変化(現在)に関し,無記名かつ自記式の質問紙調査を実施した.男女別また校種別でも,両期とも精神的症状項目で女子が有意に高かった.事故直後の身体症状や睡眠障害・興奮などの心身症状は性差なく,比較的少数であったが存在はした.このように事故1年後でも思春期女子の感情不安定性が目立ち,健康診断や精神的フォローアップの必要性が示唆された.
Abstract:学生308名(男118名,女190名,平均19.6歳).事故時に屋内退避を行ったのは131名(A群),非退避は177名(B群)で,事故直後に不安を「強く感じた」は33.8%,「少し不安」「殆ど不安を感じなかった」は65.6%であった.A群は有意に「強い不安」の者が多かった.事故後1ヵ月で,現在・将来の健康,外出に不安を感じているのは60%程度で,東海村を通ることに関しては83.4%であった.A群は現在・将来の健康,食物,外出への強い不安を感じる者が有意に多かったが,「東海村を通ること」には両群間で有意差はなかった.Impact of Event Scale Revised(IES-R)の得点分布は,0点が最も多い右下がりを示し,平均は4.7点であった.PTSDのスクリーニングとしてのカットオフ値25点以上は3.9%で,A群5.3%,B群2.9%と有意差はなかった.サブスケールの平均は侵入1.33,回避2.05,過覚醒1.32であった.IES-R得点は性別では男,直後の不安では強かった者が有意に高く,A群はB群よりも高い傾向であった.
Abstract:東海村臨界事故被曝患者に対する看護について,1事例を呈示した.患者は被災者かつ当事者であり,無菌室内に収容され隔離状態を強いられていた.このような状況は日常的な対応能力では処理できないと考え,身体的援助のみではなく精神的援助も重要と判断した.コミュニケーションやスキンシップを図りケアを行う,担当医から適宜病状説明を行う等,常に患者の精神症状を把握し,ニードを充足するような援助を心掛けたところ,不安や不満の軽減が図れた.又,環境面として音や採光を配慮したことで,睡眠・休息の援助につながった.その結果,平穏な表情が戻り,看護婦との会話が増加した.今回の事例を通して,臨界事故による極めて特殊な被災者の集中治療看護,精神的看護の難しさを学んだ.
Abstract:白鬚橋病院は,東京都より災害時後方医療施設として指定され,全日本病院協会を通じ防災対策を強化すべく活動してきた.しかし東海村JCO臨界事故においては,東京都衛生局からの被曝患者および疑い患者の収容の問い合わせに対し,十分な対応が出来なかった.この反省に基づき,災害時後方医療施設としての知識の向上と受け入れ対応を検証する為に,防災訓練を行った.防災訓練では原子力災害事故を想定し,患者受け入れ準備,汚染測定,除染作業,搬送方法などを行った.その結果,防護服,サーバーメーター,搬送体制搬送装備等の確保が不十分であり,今後十分な確保を行って行く必要がある.
Abstract:1999年9月30日,茨城県東海村にある株式会社JCOのウラン加工工場において臨界事故が発生し,3人の従業員が高線量の中性子線に被ばくした.受傷後2時間後に国立水戸病院を受診,高線量被ばくによる急性放射線症の発生が予見されたため,初期治療ののち約5時間後に放射線医学総合研究所(放医研)に搬送された.3人の被ばく線推定線は,O氏17GyEq,S氏10GyEq,Y氏2.5GyEq程度と仮定された.緊急被ばく医療ネットワークが招集され,短時間で専門治療医師団が治療を開始.最も高い線量を被ばくしたO氏とS氏は,急速に全身の浮腫,発熱,下痢等の急性放射線症と思われる症状を呈し,関係者の懸命な集中治療の甲斐なく死亡した.最も低い線量を被ばくしたY氏については,軽度の骨髄抑制をみたものの,放医研において,無菌室で骨髄抑制時期の治療を受け,骨髄機能の回復を確認した後,一般病室において治療し退院となった.
特集【災害・被害を受けた住民への支援 暮らしとコミュニティの再建をめざして】
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