災害医学論文集(災害事例別) 雲仙普賢岳火砕流災害(1991) |
目次: Journal of Infection and Chemotherapy、Psychiatry and Clinical Neurosciences、医学のあゆみ、看護管理、看護展望、教育と医学、クリニカルスタディ、公衆衛生、事例から学ぶ災害医療、整形・災害外科、精神医学、精神科診断学、精神科治療学、精神神経学雑誌、精神療法、大規模災害と医療、日本医師会雑誌、日本看護学会23回集録、日本災害医学会会誌、日本災害看護学会誌、日本社会精神医学会雑誌、日本社会精神医学会雑誌、日本集団災害医学会誌、熱傷、ペリネイタルケア、保健婦雑誌、臨床精神医学、臨床透析、
■Journal of Infection and Chemotherapy
■Psychiatry and Clinical Neurosciences
■医学のあゆみ
■看護管理
■看護展望 ■教育と医学
■クリニカルスタディ
■公衆衛生
■事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京 ■整形・災害外科
■精神医学
■精神科診断学
■精神科治療学
■精神神経学雑誌
■精神療法
■大規模災害と医療、日本救急医学会災害医療検討委員会・編, 東京,1996 ■日本医師会雑誌
■日本看護学会23回集録 看管理
■日本災害医学会会誌
■日本災害看護学会誌
■日本社会精神医学会雑誌
■日本社会精神医学会雑誌
■熱傷
■ペリネイタルケア
■保健の科学
■保健婦雑誌
■臨床精神医学
■臨床透析
Abstract:1991年6月3日に,日本の雲仙普賢岳の火成砕屑岩流による4人の熱傷患者の連続的微生物学的検査が行われた。患者は若かった(平均年齢30歳)が,広範囲の火傷(平均総火傷野83%)及び吸入障害の為,4人共多くの臓器障害と敗血症の為死亡した。methicillin耐性黄色葡萄球菌(MRSA)及び緑膿菌が持続的に気管支吸引液,熱創傷及び血中から,死に到るまで検出された.3検体間では差異はなかった.全患者から分離されたS.aureusは使用した全ての抗生物質に対して短時間内に耐性となった.一方,gentamicinに対する感受性は1人1人異なっていた。S.aureus系の表現型の特性の研究から,2人の患者は院内感染であることが示唆された。これらの結果は,広範囲の火傷は通常敗血症と菌血症を合併することを示している.抗生物質による慎重な処置にも拘わらず,耐性菌の調節は困難である。
Abstract:雲仙普賢岳の噴火周辺の災害地の住民(52,000人)の1/4が3年以上疎開しなければならない状況にある.QHQ-30疎開者用心理学的制御検討を行った.結果として8以上の高スコアは67%の疎開者にみられ,対照の10%より著しく高かった.地域看護婦によるカウンセリング,精神科医等による危機調整や医療等精神的指示がよい結果をもたらした.
特集・阪神・淡路大震災から1年 看護界の対応をみる
特集・心的外傷とストレス
特集【災害時の看護を考えてみよう】 災害看護の実際 その時看護婦はどうしたか】
Abstract:雲仙・普賢岳噴火災害被災住民の長期経過後における精神健康問題に関して報告した.今回(第6回2003年)の調査結果を第1回(1991年)調査結果と比較すると,GHQ-30の平均得点,「不安・緊張・不眠」因子,「無能力・社会機能障害」因子,「抑うつ」因子,「快感消失」因子などは有意に改善していたが,「対人関係障害」は悪化したままであった.GHQ-30による避難住民の精神症状群を全体的にみると,「不安・緊張感」関連症状や「社会的無能力感」関連症状は,避難生活開始から12ヵ月以内に改善した.「抑うつ」関連症状は3.5〜4年も遷延し,「対人関係困難感」関連症状は避難生活開始から8年が経過しても改善を認めなかった.
特集【わが国におけるPTSD研究の動向】 わが国の災害PTSD
Abstract:General Health Questionnaire(GHQ)30によって追跡調査した.避難生活開始6ヵ月後,12ヵ月後,24ヵ月後に調査が実施された.GHQ高得点者率とGHQ平均得点は,第3回調査時点においてさえも,57%,11.2点と尚,高かった.「不安・緊張・不眠」因子は高得点者率と同じ経過をたどって改善していた.「無能力・社会機能障害」因子には性差を認め,男性は改善を認めなかった.「抑うつ」因子は全経過を通じて改善をみせず,「快感消失」因子はやや変則的な改善にとどまった.「対人関係障害」因子は,避難生活の長期化と共に有意に悪化した.精神症状は被災後の早い時期から改善を始めるものの,その後はゆるやかに変化していくことが確認された.
Abstract:雲仙・普賢岳噴火災害によって3年間以上の避難生活を送る住民に対する地域精神保健活動が継続される中で,1992年6月から1994年11月までに著者が危機介入した事例は計76(男性21,女性55)例であった.年齢別構成は,41歳以上が男女とも大多数を占め,女性では61歳以上の高齢者が半数を越えた.ICD-10に基づいた暫定的診断分類は,うつ病圏(F32,F34.1,F41.2,F43.2)が全体の57.9%を占めた.これら76例のうち,49例はカウンセリングによってほぼ良好な経過を辿ったが,22例は精神科以外のホームドクターからの向精神薬投薬,5例は精神科施設への通院・入院または老人保健施設への入所を必要とした.1994年11月時点の転帰は,寛解60例(再発6例を含む),増悪6例,末治10例であった.また,代表的事例と危機介入の実際を紹介するとともに,避難住民の特有な心理,つまり災害下で受けた心の傷は語られずに抑圧されたままでいることについて考察した.
特集 災害医療をめぐって
Abstract:1)火砕流犠牲者の口腔内及び肺胞内組織切片を病理組織学的に検討した. 2)それぞれの切片より細胞内に取り込まれた異物様物質が見られ,XMA元素分析によりAl,Siが検出され,雲仙普賢岳火砕流の主成分組成であった.
Abstract:普賢岳噴火から12ヵ月,本格的な避難生活開始から6ヵ月が経過した1991年11月時点に,GHQ-30を用いて,16歳以上の避難住民3564人の精神医学的問題の構造と性状について調査した。非精神病性障害の有無を識別する閾値点8点以上の高得点者は男女平均で67.0%と極めて高かった。高得点者は全年齢階層で男性より女性に多く,男女とも30歳〜50歳代に多かった。GHQ-30の因子分析によって,第1因子「不安・緊張・不眠」,第2因子「無能力・社会機能障害」,第3因子「抑うつ」,第4因子「快感消失」,第5因子「対人関係困難」などと命名できる5因子が抽出された。これら5因子全体の累積寄与率は56.1%であった。標準化因子得点を男女別・年齢階層別にみると,「不安・緊張・不眠」は40歳〜50歳代の中年齢層で高く,「抑うつ」や「無能力・社会機能障害」は50歳代以降の高年齢層で高くなっていた。標準化因子得点の年齢階層特徴は,男性より女性に顕著に現れていた.
Abstract:1991年に雲仙普賢岳の噴火で被災した児童64名(小学校2〜4年生)が噴火の1年半後に執筆した記述表現(作文)を対象とした.記述を繰り返し読み,児童のオリジナルな表現を損なわない範囲で表現を文章のブロック,更には名詞へと解体することを試みた.記述表現から211個の「形式・形態的文章のまとまり」が見いだされ,それらは14の環境・生活変化に関連した「状況」に分類できた.各「状況」の構成名詞(2938個)の分析から6項目の「注目」が見出された.児童は噴火活動そのものより身近な生活変化に多く注目していたことが示唆される.児童の環境認識に関連して高い個別性と具体性が観察された.
Abstract:避難生活開始6ヵ月後に第1回調査,12ヵ月後に第2回調査,24ヵ月後に第3回調査が実施された.GHQ高得点者率とGHQ平均得点は第1回調査から第2回調査,及び第1回調査から第3回調査へと有意な改善を認めたが,第3回調査時点においてさえも高得点者率は57.3%,平均得点は11.21点と高かった.年齢層との関係をみると,若年齢層に比べ中高年齢層はストレスから解放され難く,その特性は男よりも女に強く現れていた.女の場合,日常生活要因が次第にリスク化し,更にリスク要因は加重されていく可能性も示唆された.つまり,災害の精神医学的影響は女に大きく作用し,中高年者のリスクを高めていた.
Abstract:2000年3月31日.有珠山噴火直後に現地入りした際に,「有珠山噴火における,重症患者多数発生時の道内及び道外への救急医療の確保について」検討した.1991年の雲仙普賢岳での多数重症熱傷患者発生の教訓より,そのような場合に備えて後方医療機関の確保を行った.札幌医科大学医学部救急集中治療部が調整し,重症熱傷患者は道内では10例まで対応可能で,10例以上の場合,厚生省を介して全国の医療機関に要請するシステムの案を作成した.しかし道外の民間空港への自衛隊機の着陸解決には時間がかかる.そのため,とりあえず北海道内で収まるシステム構築を行い,引き続き全国展開を視野に入れたシステムを考慮している.
Abstract:現場病院である島原温泉病院においては,事前の準備が十分に行われていたため大きなトラブルもなく後方病院へ患者搬送が行われた。しかしその後の後方病院においてはさまざまな問題が生じた。そこでこれらの問題に対しては現在では,1)島原温泉病院と県や大学病院との緊急連絡用ホットラインの設置および当科医師のポケットベルの携帯,2)災害時の対策システム,3)医療用品の確保および管理,4)負傷者搬送手段の確立,5)負傷者収容病院およびその収容スペース確保などが行われ,今後発生する災害に備えている.
Abstract:1991年6月の雲仙普賢岳の火砕流災害では17名の重症熱傷患者が発生し,当科が中心となって治療に当たった.災害発生後も継続的に火砕流の発生が予想され,警察・消防・自治体・医療機関など様々なレベルでの救護体制が整備された.しかし,立入禁止区域などの設定により,その後熱傷患者は発生しなかった.集団熱傷発生時の長崎市の治療可能施設数を推計した.長崎市内で形成外科医が常駐し熱傷の専門治療のできる病院3施設には10名が限度である.これ以上の患者が発生した場合はその他の二次病院で6名,更に近隣市町村の熱傷治療可能な病院に3施設6名が収容可能である.以上長崎県内で22名が収容可能と推計された.
特集・災害後のメンタルヘルス
:保健婦雑誌 51巻9号 Page739-747(1995.09)
Abstract:1)保健婦は毎日避難所を巡回して,住民の生活を整える視点で活動し,その問題把握に努めていった.そのため問題を早期に確認し対応することができた.そして,様々な活動を展開する中で,瞬時に優先順位を決定しながらの活動が必要であった. 2)治療中断者の送薬体制づくり,仮設住宅入居における配慮など関係機関や役場職員との連携,支援体制づくりが図られていった.その体制の中で保健婦の活動は保障されるものであった. 3)個人の問題を家族,地域の視点で捉えた活動を重視し,交流や仲間づくりなどを意図的に健康相談に取り入れた.悲しみを共有しあえたことは住民自身の回復につながり,生活しやすい地域づくりに効果があった.
Abstract:避難生活を開始して6ヵ月が経過した時点から24ヵ月後の時点迄に,避難住民の心理的苦悩を示す指標の多くは有意に改善していた.しかし,最も改善した時点でさえ,高得点者率は約57%であった.日本の一般住民を対象とした研究をみると,GHQ高得点者率は15〜25%であるという報告が多いことから考えても,避難住民の高得点者率が著しく高いまま持続していることは容易に指摘できる.
特集・災害時の透析・看護
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