災害医学・抄読会(6/28/96)

テーマ:大震災時における援助活動

ひつ本真一、公衆衛生 59: 489, 1995(担当:山田)


 筆者らが避難所となっている長田庁舎に着いたとき、その中はロビーなどは足の踏み場もなく、子供の泣き声や異様な臭いに緊張感が走った。庁舎5階にある保健所の職員は疲れ切っており、筆者らを歓迎するどころか筆者らの質問に『わからない、自分で調べてくれ』と答えるだけだった。また国からは確保したと聞いていた筆者らの食料や寝る場所についても、職員から、『国は派遣者の食料や寝る場所は、地元に迷惑をかけないと言った』と返答されるだけでひどいパニック状態であったと言っている。

 筆者らの班は、診療時間を9時〜20時とし、夜間も交替制で受け付けることにし活動を開始した。いざ始めてみると1日60人程度で、大部分は風邪や高血圧などの慢性疾患で、予想とだいぶ異なり拍子抜けをした。しかしそれは既に応急処置を必要とする患者は病院に収容され、またボランティアなどの医療活動である程度落ち着いていたからである。

 日がたつにつれて、1日60件あった診療件数が1日30件程度になり、それとは逆に保健婦の仕事である避難所や周辺地域の住民を対象にした訪問相談件数は増加し、1日平均100件になった。治療者と患者の一方的な指導に慣れている医療スタッフにとっては、じっくりと話を聞いてあげて、まるで地元住民のように会話をする保健婦が、新鮮で感動的であったと言う。

このような体験をした筆者は今後の課題として、集団的アプローチの展開を提唱している。例えば、保険医療班のコーディネーターとしての役割である。つまり地元の医師や、徐々に診療を開始した医療機関と避難所の連携システムの構築や、地域の健康状況の実態調査、透析の受け入れなど医療体制の確保のための情報収集などである。


大阪府による精神科救護所支援活動

納谷敦夫、公衆衛生 59: 492, 1995(担当:山田)


 この度の大震災は本当に不幸な出来事であった。それは日本中の、いや世界中の人々の悲しみを誘い、被災した人々に対し、いろいろな援助の手が差し伸べられた。そのなかで大阪府の精神医療保健に携わる人々もその一部を担った。このレポートはその様子を時間的経過に沿ってまとめられている。

 1月17日早朝大震災が起こり、その2日後の1月19日に一般医療の救護班が神戸市へ派遣された。派遣されたのは救急外科の経験のある若手の医師と看護士であった。精神科の医師は派遣されず、向精神薬が持参されただけであった。1月21日、一般医療班の第2陣の派遣に際し、再び向精神薬が神戸市中央保健所に搬入された。この日の夕方、兵庫県精神保健センターから被災地に精神科救護所を開設したいので大阪府から精神科医師を派遣してもらえないかと依頼があり、1月24日現地職員に食事、宿舎、事務的な仕事など一切頼まないようにする、現地は道路や家屋の倒壊など大変危険なので事故のないように注意する、危機介入チームとしてケースに対応して、極力入院を避ける事を決め、救護所に派遣し始めた。1チームの期間は2泊3日で、隔日送り出した。救護所職員を送るのは救急車で行い、その救急車は現地到着後帰りに任を終えた職員と緊急を要する患者を乗せて途中の病院へ移送した。

 救護所を訪れる患者は、最初のころは薬が切れたが診療所が開かれていないという患者が多く、避難所から依頼される患者は、急性の混乱でしばしば入院させるしか方法がなかった。3月に入ると相談件数もかなり減少してきた。交通機関の一部開通と併せて救急車による搬送を終了し、1泊2日体制として、府庁でのオリエンテーション、報告会をファクシミリによる連絡に切り替えた。4月からは週2回のみの派遣とし、5月からは救護所の活動を一切閉鎖し、その後は地域の医師に任せることにした。


大震災時の医療活動
(避難所での歯科医療活動)

西松元五、公衆衛生 59: 480, 1995(担当:松本)


 地震当時、長田区にあった歯科医療機関は全壊、半壊などにより手術や入院ができず、ポータブル器具でしか治療ができなかった。また、交通の途絶と道路網の寸断、電話回線の混乱などで歯科医師会相互の連絡や情報もままならず、連絡網の回復にはかなりの時間を要した。小学校は避難所となり、保健室が救援ボランティアの医師達の医務室となり、校長室を借りて歯科診療室として治療に当たった。治療の内容は主に入れ歯の調整、簡単な虫歯の治療、はずれた冠やつめものをもう一度くっつける脱離再着、根治、投薬などであった。

 また、神戸市歯科医師会の斡旋により市の中で特に激甚被災地区に移動巡回車が貸与されることになった。この巡回車は広島県歯科医師会のご厚意によるもので、エアタービン、バキュウム、歯のレントゲン装置など一通りの歯科治療の装備をした車で、今回のような非常事態にはうってつけであった。

 スタッフは毎日、歯科医師2名、歯科衛生士2名を標準に1月30日から3月4日までの31日間、午前10時から午後3時までの各自の当番日に出務した。この間、約390名の患者、170名の相談を受けた。治療内容は単治(簡単な虫歯の治療)、脱離再着、床調整、洗浄、根治・抜髄、削合・咬調、抜歯・切開の順に多かった。相談の多くは地元歯科医と患者、相互の救済であった。

(総括)

1:衛生面
 全般的に断水により口腔洗浄が不十分で、特に、若年層は不規則な生活による食習慣の悪化、老年層は入れ歯の紛失による咀嚼不十分などから、虫歯、歯周病、歯ぐきの炎症の増加、悪化、歯牙欠損による体力の低下が考えられた。

2:歯科ボランティア
 震災直後は他地区からのボランティアが多くみられたが、徐々に地元歯科医がボランティアに乗り出した。しかし、ライフライン復旧の遅れ、余りにも広範囲の被害、人口の流出、交通網の乱れなどは、精神的にも立ち直るのに時間がかかった。



震災と保健婦活動
(支援から共生の地域保健活動)

佐甲 隆、公衆衛生 59: 486, 1995(担当:松本)


 わが国の保健婦活動は、1923年の関東大震災に始まる。それ以降、巡回看護班を組織し、地域の保健指導を以降も継続的に行っていった。しかし「避難所回り、外傷を負った人達の病院への搬送、通信が途絶えた中での活動は、とてもマニュアルがあっても行動できるものでは無かった。」と、ある保健婦は述べていた。確かに、震災直後は被災者、支援者を問わず、強いショックを受けることにより、多くの人が思考停止、感情麻痺に陥る。大混乱と情報遮断の中では、秩序だった対策や支援活動はまず不可能であろう。ライフラインの復旧や物資、医療の確保システムの確立も必要であるが、一刻も早く当事者が冷静さを取り戻し、着実な判断が取れるようにすることが重要である。同時に系統的な要請を待たず、現地での柔軟な独自の判断での活動が一定期間必要であろう。そのために、指示を待たずに自らの頭で判断し行動できる能力が公衆衛生従事者に求められている。

 震災後7~8日が過ぎ、道路の復旧もかなり進んでくると、各避難所での本格的な医療支援体制が始まった。外傷などの一次救急医療の段階は去り、インフルエンザの流行や慢性疾患の対応へと移っていった。夏期の場合、伝染病などの防疫の課題も必要であろう。また、大きな心的外傷、避難所でのストレスから、様々な精神的問題が露呈してくる時期でもある。

 避難所での活動に不可欠なものは支援の技術である。高い水準の心身援助技術が求められる。このような状況でこそ、精神保健活動に熟した保健婦の出番であろう。熟練した保健婦を中心とした保健班が支援の核となり、心理的ケアを併せた医療支援活動を展開すべきである。また、支援技術の専門的知識や情報提供も欠かせない。その意味で、1月30日より発行された兵庫県立精神保健ニュースや神戸市児童相談所の配布した資料などがとても参考になったが、このような資料が支援現場にすばやく配布され、アクセスしやすいシステムが望まれた。

 このように、絶望的な状況の中で一見拒否的に見える住民にこそ、本当に支援が必要なことを理解し、様々なアプローチの方法を考えることが望まれている。

 災害支援とは、要するに小児、高齢者、障害者などの弱者支援であり、保健福祉従事者の質の高い職業倫理感と専門職としての社会貢献意識が鋭く問われる。同時に、高度な知識情報の提供のみでなく、共生の支援が望まれている。支援とは共生をキーワードとした地域保健活動の確立を意味している。


航空機災害と新東京国際空港における
地元医師の救急救護対策

河辺 敏ほか、日本医師会雑誌 110: 729, 1993(担当:下薗)


 成田空港の現状は年間2200万人、発着回数は14万回、定期乗り入れ航空会社は38か国53社と過密な状態で、航空機事故の発生が憂慮されている。昭和53年に成田空港の開港に伴い、印旛市郡医師会、山武郡医師会、佐原市香取郡医師会による三郡医師会航空機対策協議会(以下、三郡空対協という)を発足させた。

 航空機事故は瞬時にして多数の死傷者が発生する特徴がある。そのため、どうしても初期医療活動、搬送体制、救急患者の受け入れ医療機関の情報システムが必要であり、その整備、充実が求められている。

 過去10年間の航空機事故統計で、事故の75%は空港及びその周辺で起きていると言われている。一方、事故時の生存者は平均20%、つまり500人乗りのジャンボ機の事故では、100人もの生存者が出ることになる。その内訳は、重症者20%、中等症者30%、軽傷者・無傷者50%で、かなりの生存者がいることになる。これらの事実は、万一の事故時には一人でも多く救命することが求められている。つまり、緊急時の万全な救急医療体制の整備である。

 三郡空対協では各種訓練を行っているが、その最も大規模なものは、昭和58年から年1回行われている航空機事故消火救難総合訓練である。この訓練を通して、三郡医師会会員相互の交流が増し、事故時の協力関係が円滑に行くことが期待される。この総合訓練は、救急処置の実地訓練と医療器具に対する習熟訓練を目的としている。

 今後の航空機事故救護活動における課題としては、事故が発生した場合には、パニック状態にあると考えられるので簡潔なマニュアルを作成する必要がある。1)緊急連絡マニュアル、2)航空機事故の大きさによる初期対応マニュアル、3)傷病に対応した救護マニュアル、4)マスコミ対応マニュアルなどである。

 現在、早急に解決すべき問題点は下記の4点である。1)事故現場ヘ素早く到着すること。2)緊急情報センターの設置、3)航空機事故の大きさの段階的区別。重大事故、一般事故による初期対応マニュアル化し、緊急出動の判断に供すること、4)後方病院への動線の確保。

 航空機事故が発生してから事故現場へ救護班が到着するまでに約2時間かかる。この間の初期対応は空港内医療機関の救護活動にかかっている。これらの医療機関が事故の最前線にいることを自覚して、日頃からの協力関係を作ることが望まれている。


雲仙・普賢岳噴火災害

蓮本正詞、日本医師会雑誌 110: 736, 1993(担当:下薗)


 長崎県立島原温泉病院では、崩落のシナリオを想定して早めに何らかの対策を講じることになる。1990年12月19日に、入院患者の避難を中心とした「雲仙噴火活動対策要領」 を作成した。それは、1)対策本部の設置、2)警戒宣言が発令されたときの本院の対応、3)非難勧告が出されたときの対応、4)班編成とその任務、についてである。

小康状態にはいっていた火山活動は年が明けて1991年2月12日再び噴火し、5月24日火砕流による負傷者が一人出て、不安は現実のものとなった。 5月31日 「普賢岳噴火に伴う緊急医療救護対策要領」 が作成され、各部門の責任者が協議し、仮設病室もつくられた。 救護対策は、1)負傷者が多発し、特別な医療救護活動が必要なときは対策本部を設置する、2)副院長を班長とする緊急医療救護班の設置、3)救護所の設置、4)対策本部員などの連絡網などである。

今回の噴火で、救護活動が大過なくできたのは、1)事前に救護対策の準備と確認がされていた。2)月曜日で手術予定日ではなく、医師の力が結集できた。3)日勤と準夜勤が集合した時間帯であった。4)一日の業務の終了時間帯で職員が一斉に応援体制にはいれた、こういった条件がそろっていたことによる。

救護活動の基本事項を整理すると、1)できるだけ早く、正確な被災状況を把握、2)資材の備蓄と調達、3)施設状況と収容能力の把握、4)医療スタッフの確保と他職種のチーム内への取り込み、5)指揮系統の確立、6)後方病院への搬送体制の確立、7)保安体制の確立と職員の労務管理、8)救護所の整備、これらの条件を整えることが課題となる。


災害時のパニック論

黒澤 尚ほか、日本医師会雑誌 110: 719, 1993(担当:中野)


 我が国では、多くの災害が至る所で起こっている。実際に災害に巻き込まれた場合に起こる精神学的問題について述べる。

 災害によって精神症状の発生する理由には、1)自分の生命を失うことに対する恐怖、2)家族の生命を失うことに対する恐怖、 3)財産を失うことに対する恐怖、4)住居を失うことに対する恐怖、がある。

 まず、災害によって引き起こされる“正常"な精神症状(ここではごく大まかに一般の人が経過する精神症状を正常、それ以外を異常とする)について述べるが、災害の性質によってこれらの強さはそれぞれ異なり、出現する精神障害も異なる可能性がある。災害時の時間経過と精神症状の出現は次ぎのようになる。

1.自然災害時の精神症状

  1. impact phase:恐怖を感じる。逃げ出そうとする。
  2. heroism phase:生きよう、財産を守ろうと努力する。愛他的になるのと同時に、疲労感を伴う過労状態にある。
  3. honeymoom phase:よい結果が期待され、それまでの経験がよく話し合われる。
  4. disillusionment phase:期待が裏切られ、助けに来ないとだれもが思っている状態。抑鬱状態が一般に認められる。
  5. reorganization phase:生活を立てなおそうする。この時期を逸すると敵意や精神的苦痛を強く持つようになる。

2.人災時の精神症状

  1. impact phase:恐怖を体験
  2. interaction phase:葛藤
  3. acceptance phase:生きるため人災の原因となった人に服従
  4. acquiescenece phase:自身を人災の原因となった人に預ける。

 次に"異常"な精神症状について述べる。

 1.原始(驚愕)反応:生命が直接脅かされるような急性のストレスによって生じる生物学的な反応。意識混濁、情動麻痺、昏迷、運動暴発などの精神症状を生じる。身体的には、いわゆる腰の抜けた状態になり、脱力・四肢麻痺、動悸、冷や汗、震え、痙攣、失禁が生じる。

 2.既存の精神疾患の増悪、潜在していた精神疾患の顕在化・発症:もともと精神科的に問題のあった人、あるいは潜在していた人が、災害というストレスによって増悪、顕在化、あるいは発症することがある。

 3.災害によるストレスの後遺症(PTSD;POST TRAUMATIC STRESS DISORDER):災害による急性のストレスにより、その直後ではなく、遅延した反応として種々の精神症状が出現する。社会的な引きこもりや対人接触能力の低下など、社会生活上広範な障害を呈することがあり、専門的な治療を必要とする。治療は薬物による対症療法に加え、強力な精神療法を行う。

 身体疾患と同様に、災害による精神症状・精神疾患も早期介入により、極めて有効に短期間で軽快、寛解、治癒する。危機介入の治療内容は、疼痛、不眠、不安、悪夢などの身体愁訴に対する鎮痛剤、睡眠導入薬、坑不安薬による対症療法が第一である。さらにできるだけ早い時間に、その苦しい思いを言語化させることである。

 災害という緊急時には、身体医療優先という姿勢のため、精神医療はおろそかにされる傾向にある。しかし今回の阪神・淡路大震災で精神障害の重要性がマスコミにおいてもかなりクローズアップされた。今後は、急性の問題に合わせ、慢性期あるいは縦断的調査によって我が国における災害時の精神障害に関する基礎資料を作ることが必要である。



時系列別医療期―災害医療サイクル―

感染期

村田三紗子、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊 92, 1996
(担当:藍)


 伝染病・感染症の発生には病原体(感染源)、感染経路、宿主(ヒト)の感受性(免疫保有状況)の3要因が必要である。 地震、洪水、干ばつなどの自然災害あるいは武力抗争などの人為災害に伴う人の移動や難民の発生はこれら3要因に影響を与え、疾患流行のリスクを高くする。

 伝染病、衛生環境の不備、住民の慢性的栄養失調が日常的に存在する地域では災害時に感染性疾患の流行と死者の増加が容易に起こる予防接種によって予防可能な疾患でさえ接種率が低ければ流行が生じる。 感染症発生の3大要因について、我が国の状況を認識し、各種災害により受ける影響を予測する。

 災害時には平常時に潜在した感染症の流行が起こり得ることから、災害発生前の感染症の動向を知る必要がある。 感染症の多くは季節やPtの年齢によって発生状況が異なる。 冬期はインフルエンザをはじめ気道感染症が流行し、夏期には食中毒をはじめ腸管感染が多発する。

 又、小児では麻疹、水痘、ムンプス、溶連菌感染症、百日咳、風疹など感染力の強い疾患に注意が必要である。

 災害時救助、救助に当たる医療従事者は、我が国の代表的感染症の臨床症状、潜伏期間、感染経路について基本知識が望まれる。

 感染経路としては、飛沫感染(経気道感染)、経口感染、接触感染、経皮感染、垂直感染がある。

 病原体が宿主であるヒトに侵入しても必ずしも感染を起こすとは限らない。 宿主の感受性(感染の起こりやすさ)には差があり、最も大きな要因は免疫である。

 免疫とは、特定の病原体あるいはその病原体が産生する毒素に対して、特異的な抗体が細胞を保護することによる抵抗力のことである。 病原体の病原性の強さと個体が病原体を排除する抵抗力のバランスにおいて、抵抗力が勝れば感染は成立しない。

 感染症流行の3大要因に災害が与える影響は災害の種類、規模、発生の季節によって異なるであろうが、ライフラインに依存した都市機能の停止と生活環境が不十分な避難場所での集団生活によるものが大きいと思われる。

 感染症予防の原則は、感染症発生の3大要因、環境条件、宿主条件を総合的に検討して対策をたてることである。

 我が国では法定伝染病は稀となったが、災害時に流行する可能性のある疾患が存在することを述べた。 その多くは感染源がヒトであり、対策の基本は早期診断、早期治療あるいは集団からの隔離である。

 感染症Ptに伴い消毒が行われる。すべての微生物を死滅させる滅菌は、高圧蒸気滅菌、エチレノキサイドガス滅菌などが多く用いられているが、消毒はヒトに有害な病原微生物を殺すことを目的とし、各種の消毒、煮沸、紫外線などが用いられる。

 病原体対策の多くは感染経路対策と重複するが、病原体の絶滅が不可能な限り、病原体それぞれの感染経路を遮断することは予防対策の要であり、感染経路の十分な理解が必要となる。

 災害時の混乱した状況下では集団に対する衛生教育が必要である。

 ユニバーサル・プレコウション、すなわち、疾患の有無にかかわらず、すべての排泄物、血液、分泌物、体液は感染性であると想定して対応する理念を基本とした衛生教育により、集団での差別や伝染病流行などの噂によるパニックを避ける。

 伝染病発生が稀となった我が国では、発生時の対応に関係者が不慣れとなっている。 医療従事者も伝染病ばかりではなく、ワクチンの普及により麻疹などの急性感染症の診療経験も乏しいのが現状である。 従って、もし、災害時に伝染病や感染症が避難集団などに発生すれば混乱が生じる可能性がある。



時系列別医療期―災害医療サイクル―

救急医療期

大橋教良、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊 78, 1996
(担当:川上)


はじめに

 人的災害は、通常は事故は一カ所で発生し救急搬送体制や病院機能も保たれているので負傷者は複数の医療機関に分散収容されるのが原則で、阪神・淡路大震災など大規模自然災害のように一つの医療機関に数百名の患者が受診するような事態は少ないと考えがちである。しかし、1)他に病院がないなど地域の医療事情、2)災害の発生現場の直近など立地条件、3)軽症者が自力で医療機関を受診する、など種々の事情から、実際には一医療機関に多数の負傷者が集中する事態は決して珍しくない。よって、救急医療に従事するものは常にこれら災害時の医療対応について考えておく必要がある。

 災害時の医療は、 1)被災者の捜査と救助(Seach and Rescue)、 2)トリアージ:選別(Triage)、 3)搬送(Transport)、 4)治療(Treatment)という要素から成り立っているが、2)〜4)は集団災害あるいは大規模自然災害の急性期医療の要点であり、これらの頭文字Tをとって3Tsという。

トリアージ

 トリアージとは「災害の被災者を、その疾病や外傷の重症度と、病院選定や輸送手段により選別分類すること」と定義される。「医療の需要が供給を大幅に上回る事態」が生じる場合、来院した順番に診療するという平時の考え方は通用せず、重症度により患者を分類し治療の優先順位を決めるトリアージが必要になる。

 トリアージはレントゲンや血液検査の結果から判断するものではなく、バイタルサインや簡単な理学的所見をもとに短時間に素早く行うべきもので、担当者には重症度、緊急度を的確かつ冷静に判断できる能力と事態の全般を見通せる洞察力が要求される。また、トリアージ担当者は他の仕事を兼務しないこと、他のスタッフはトリアージ担当者の指示に確実に従うことが重要である。

 トリアージを行う時期は災害発生現場、病院到着時、院内に収容後の3段階に分けて考える。災害現場でのトリアージレベルの識別を容易にするための一つの方法としてトリアージタッグをつけるという方法がある。病院来院時のトリアージは一カ所で行い、しかも患者の流れを滞らせないように素早く行うことが大切である。また、院内においては医師が治療の優先順位を決めるためだけではなく、放射線科、薬剤部など院内すべての部門でその考え方を取り入れる必要がある。

治療

 多数の負傷者が来院した時にスムースな治療を行う上での注意点には以下のようなものがある。

1) 災害の種類により損傷のタイプが異なるので、予めそれを念頭におくことにより見落としや治療の開始の遅れ、必要物品の不足などを防ぐ。

2) 平時の受付方法は患者の流れを妨げ、混乱を助長し、ひいては診療の妨げになるので、例えば、普段救急外来で使用しているものをトリアージを兼ねた色別のバインダーに挟むなど、合理的な方法を工夫する。

3) 地震や水害など病院自体が被害を受ける場合のみならず、人的災害でも非常に多数の患者が来院し一時的に診療資器材や薬品が不足する。その際は、特定の治療や手順にこだわって今手元に無いものが来るまで待って無駄な時間を過ごすよりは、臨機応変に与えられた条件下でできることをする。

4) トリアージの軽症レベルは治療を後回しにしてよいということではなく、軽症者は意識も正常で身体も動かせるために対応を誤るとかえって混乱の原因をつくいることもあるので、その時のマンパワーを考慮した上で役割分担してできるかぎり同時進行で進めるべきである。

5) 災害時には対策本部の設置など院内の組織と意志の統一を図ることが重要である。

6) 大規模の災害時には被災地外への転送依頼や消防、警察、役所など外部との連絡、空床の確認、手術の申し込み、その他治療上で院内各部所との連絡は不可欠であり、連絡体制の確立が必要である。

搬送

 大災害では救急車のみならずヘリコプターや船舶、バス、さらに戸板に載せて人力で運ぶなどあらゆる搬送手段を駆使することになる。

 阪神・淡路大震災などの大災害では救急車の絶対数が不足し、さらに著しい渋滞が加わって救急車の運行に支障を来す場合が多い。ヘリコプター搬送には、いくつかの問題点もあるが、災害につきものの交通渋滞に全く影響されない点は非常に貴重であり今後の有効利用が期待されている。また、船舶は一度に多数の患者を搬送することが可能であり、港湾を有する地域の防災計画には船舶を使用した患者搬送方法もマニュアル化する必要があろう。

まとめ

 大規模災害時の医療といっても通常の救急医療体制の中で行われていることの延長線以上のことは行えない。従って、2~3名の患者が同時に搬送されて来る程度の簡単な事例でも、常に重症度や治療に優先順序を考えながら物事を進め経験を蓄積しておかなければ、災害時の多数の患者のトリアージなど到底できるものではない。

 災害時の医療について考えることは、すなわち普段の救急医療体制を改めて見直すにほかならないのである。


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