災害医学とは、WHOでは、「災害によって生じる健康問題の予防と迅速な救援復興を的として行われる応用科学、疫学、感染症学、栄養、公衆衛生、救急外科、社会医学、地域保険、国際保健などのさまざまな分野や、総合的な災害管理にかかわる分野が包括される医学分野である」と定義されている。すなわち、単なる緊急救援活動に関する学問ではなく、社会における災害サイクルのあらゆる時相、様相を統合する広範な科学としてとらえるべきものである。そのためには、過去に起こった災害の歴史学的調査やその疫学的分析、研究を十分行い、応用できるようにすべきである。
わが国の災害医学の現状は、先進諸外国に比べ大きく遅れている。その理由としては、災害医学の起源は軍事医学であるがそのものがすでに存在しないこと、および1960年代に欧米より取り入れた集中強化医療の定着と専門医指向の風潮に沿ってわが国の医学が進んできたことにある。しかし、1982年に文部省・厚生省主催・WHO・医学振興財団による第9回「医学教育者のためのワ−クシップ」の救急医療コ−スで、災害時の緊急事態に対処するために医学面・管理面のカリキュラムが作成されている。にもかかわらず今だにその成果は十分ではない。
1995年の阪神大震災では、医療機関が多大な被害を受けた。200床以上の病院に対するアンケ−トでは、265病院のうちほぼ満足な施設はわずかに1病院であった。<表1参照>
災害医療訓練も日本各地で行われるようになってきたが、その多くがプレホスピタルケアに関することのみで、また若い医師の参加も少ない。本来は、地域住民の参加のもとで病院前、病院内のスタッフ合同で行うべきものである。普段から机上訓練と実地訓練を繰り返し、定期的に行なうべきである。
表1
阪神地域をおそった大地震は、都市機能を完膚なきまでに叩きのめしてしまった。この地震は都市の直下に起きたいわゆる「直下型地震」で、神戸市を中心に甚大な被害をもたらした。戦後最悪、関東大震災以来の震災であった。今までの阪神地域では、「消防関係者も、一般市民も、阪神地域に、大震災はこないと思っている」というのが、筆者の実感であった。
今回被災地への自衛隊の緊急出動の遅れなどに批判が集中している。その最大の要因は、官僚機能の立ち上がりの遅れや対応のまずさにあり、その背景に被災情報の把握に決定的な遅れがあったためと指摘されている。今回の地震発生から1時間あまりの放送は、「神戸の震度6」という情報以外は阪神・淡路地域で、甚大な被害が生じていることを示す情報は、ほとんどなく、かわりに比較的被害の軽い周辺の地域から先に被害情報が入ってくるという状況にあった。被害が大きくなればなるほど、実は肝心な情報が入ってこないということを常に念頭に入れておく必要がある。大地震になればなるほど重要な情報はなかなか入ってこないものであり、限られた情報の中でいかに被害規模を推し量る担当者の目を養うことは、重要である。
今回の震災でNHKは、火災や建物のと倒壊などの災害を伝えながら(被害情報)、その一方で、被災者たちの混乱を防ぎ、被災後の生活を支えるための情報(安心情報)の提供を求められることとなった。特に「生活情報」は、被災者にとって生き残るために緊急に必要とする情報、つまり「ライフライン情報」であり、NHKにとってもきめ細かい取り組みを求められるものとなった。
「北海道東方沖地震」では、マスコミも迅速な情報伝達に加え、北海道東部の住民は、過去の2度にわたる地震の貴重な体験といわゆる学習効果が功を奏して、津波の被害を0にすることができた。今や情報が生死を分ける時代である。
「関東大震災」の際、朝鮮人や社会主義者を中傷する根も葉もない流言が、多数の人たちの生命を奪ったことは、歴史的事実である。被災者の不安をいやが上にもかき立てるような流言があっという間に広まり、悲惨な二次災害へ発展してしまったのである。
災害時における情報の収集と伝達のあり方が、最近の防災対策上の大きな論点になっている。これまでに起きた大地震などの後、放送などを通じて住民にもたらされる情報は、「各地の震度や被害状況」など「被害情報」一辺倒だった傾向がある。しかし、災害に遭遇した人たちが必要としているのは、災害発生後どういう行動をとるべきか、その指針になるような情報である。
情報の送り手と受け手側の災害に対する知識のレベルをほぼ同じにしておくことも必要である。
行政側やマスコミ側は、災害情報は、広範囲の地域を対象とした「マクロ情報」だけでなく、地域住民が災害をごく身近なものとして感じるように「ミクロ情報」を積極的に流す努力が必要である。災害の発生そのものは避けられないにしても、防災対策に万全を期すことによって、被害を軽減することは可能である。「予防は治療にまさる」というが、なにも医学の上だけの言葉ではない。
1993.1.15 北海道南西沖地震
1994.10.4 北海道東方沖地震
1)「適切さ」について言えば、確かに地震発生直後の各地の震度などは知りたいことではあるが、災害に遭遇した人々がその後どういう行動をとるべきか、その指針となるような情報こそが必要なのである。今後はマスコミだけでなく、さまざまな防災機関が行う被災者への情報提供のなかに必ず決めの細かい安心情報を加える配慮が必要である。
2)「正確さ」について言えば、災害時の情報は「正確さ」を期するために、住民にとって慣れていない言葉や曖昧な表現を避けるべきである。と同時に、防災教育などを通じて、情報の受け手と送り手の災害に対する知識のレベルをほぼ同じにしておくことが必要である。
3)「確実さ」について言えば、現在広く用いられている、同報無線も、災害時の状況を考えれば限界があり、今後は個別無線機の普及が急務である。
4)「適性行動」について言えば、人はみな警報を受けても「自分だけは大丈夫」と考えがちである。こうした心理を「正常化の偏見」というが、日頃の防災訓練などを通じて、災害に対してそれぞれの地域がどういった危険性を抱えているかを周知徹底させ、すべての災害を「対岸の火事」としてでなく、「他山の石」として見る目を養うことが必要である。
発生年月日 :1991年6月3日(月)16時8分頃
発生場所 :長崎県島原市北上場町、南上場町
被災者 :
気象条件 :
また、物陰に隠れて火砕流の直撃を免れても、高温の火山灰が足下につもるので、逃げようとして足に熱傷を負うことがある。木造の家屋などは一瞬のうちに火災を起こしてしまう。
大規模災害の発生する前に災害を予測して準備できたという点で学ぶべきことの多い災害事例である。
島原温泉病院では、自院の対応能力を考慮して、患者が到着し始めてから30分後には、すでに他の病院に転送するという方針を定め、初期治療をすませた患者から重傷度を考慮して転送搬送を開始した。すなわち生命にに危険がないと思われた4人の軽傷者はもっとも近い二次病院へ一台の救急車で送られ、熱傷面積が比較的狭く、気道熱がK傷がないか、あっても比較的軽度なものを各一人ずつ三次病院へ搬送した。気道熱傷が高度であるが救命の可能性が残されていると思われた重傷者5人は長崎大学病院へ、救命の可能性が非常に乏しい最重症患者は転送せず、島原温泉病院で医療する事となった。
その後、いくつかの学会において本災害に関係された医師の報告があったが、その際長崎県内だけに搬送するのではなく、ヘリコプターを用いて他の府県にも搬送するべきではなかったかという議論が繰り返された。今後、重症熱傷の集団災害が発生した場合には大いに参考にすべき議論だと思われる。その後の長崎県の対応としては、県内の医療機関で収容不可能となった場合に備え、福岡県、佐賀県、熊本県などの重症熱傷に対応できる病院に協力を要請している。
2) 準備性
3) 即応性
4) 自主性
その他:所属組織の協力、家族の理解。
2) 教育方法
災害医学総論:災害情報一災害時、情報はどうあるべきか 1
青野允、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 20-7
(担当:古宮)
災害医学総論:災害情報一災害時、情報はどうあるべきか 2
青野允、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 27-33
(担当:長井)建築と救急医療
災害と情報との軌跡
情報化社会の中における災害時の問題点
災害時、情報はどうあるべきか?
雲仙普賢岳火砕流災害
鵜飼卓、事例から学ぶ災害医療、南江堂、東京、1995, pp 65-71
(担当:外間)
避難民 :1200世帯、約4700人災害の概要
火砕流災害
災害対策準備
トリアージと搬送
疾病構造の特徴
本災害の教訓
災害看護 II. 災害看護体制
高橋章子、エマージェンシー・ナーシング 新春増刊196-200、1996
(担当:安岡)
1、災害看護活動の要素
災害場面の想定
情報収集
資器材の準備計画
シュミレーション
訓練
人、資器材、組織、体制(多職種との共同)の準備。
(医薬品、衛生材料、水、食料、衣料品など。)
判断、決断、行動、対応。創造性、応用力。
知識、訓練、使命感。2、災害看護教育
3、人材の確保
2) 研修4、資器材
日常生活の援助
2次災害への備え
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