大量出血に対する "fluid strategy"(LiSA:メディカル・サイエンス・インターナショナル、1998年、Vol 5、No 12)
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北九州総合病院 麻酔・集中治療科
(LiSA:メディカル・サイエンス・インターナショナル、5: 1248-1253, 1998)
目次
治療のオリエンテーション
まず,本症例は,異なる部位にそれぞれが致命的になり得る損傷を有する外傷,すなわち多発外傷であり,すでにショック状態になっているということを認識する。このような損傷は交通事故のほか,墜落外傷でもみられる。墜落の場合は意外に腹部損傷が少ないが,交通事故では要注意である。
診療にあたっては,下記の四つを治療のオリエンテーションとして頭に整理しておく。
多発外傷と“闘う”準備
本症例のような患者を診た場合,“闘う”ためのメンバーを集め“闘える”場所にいち早く連れ込むことが肝要である。これは多発外傷という手強い相手との戦争であり,兵員も武器もないのでは話にならない。勝つためにできるだけ有利な場所に陣取るのは当然である。どこが最も闘いやすいかは病院の施設内容や医師の好みによって異なるであろうが,救急外来がよく整備されていて余裕があれば救急外来,そうでなければ集中治療室であろう。思い切って手術室に連れ込む手もある。
メンバーとしてとりあえず,全身管理にあたる麻酔科医および救急医(コメント),脳神経外科医,外科医,整形外科医,放射線科医に召集をかける。
リーダー不在では闘えない
このなかで誰がリーダーシップをとるか,あらかじめ,あるいは治療の流れのなかから決定しなければならない。
リーダーなき専門家集団は「船頭多くして」の愚をおかす可能性があり,チームの力量を十全に発揮することができなくなる。2+2は4でなければならないのに,往々にして2+2が3にしかならなかったりする。それは,お互いが自分の専門領域のことばかりにこだわったり,逆に“お見合い”をしたりするからである。統率のとれた専門家集団は2+2が5にも6にもなるし,そうあらねば,損傷の相乗という意味で2+2が5にも6にもなる多発外傷と闘うことはできない。
その分,リーダーの責任は重く,遅滞なく指示を与えながら,各専門医の損傷評価,あるいは意見やアドバイスをきちんと聞いて決断をなしていく作業を同時に行っていかなければならない。さらに家族への配慮もリーダーの責任である。リーダーが治療行為に手を出すと全体がみえなくなるので,できるだけ手を出さないほうがよい*1。
呼吸と循環の維持は救命のための絶対条件である。これをおろそかにしては,いかなる精密な診断も結果として意義をなさない。
モニター:“闘う”ための大前提
心電,観血的動脈圧,酸素飽和度,体温を持続モニターでき,超音波検査や血液ガス,電解質が常時測定できることは必要条件である。先に述べた“闘える場所”とは,これらを備え,患者に四方からアクセスでき,必要な物品や薬品が迅速に出せて処置が行える場所である。
気管内挿管:意識障害があれば原則として行うべし
U-30(E1V2M6)であるから,気管内挿管はしておくべきである。開口の命令に応じられない意識障害の患者には,筆者は気管内挿管をするのを原則としている。嘔吐したときの対処に困るからである。こういう患者は往々にしていきなり嘔吐をきたし,挿管していないとこちらが冷汗をかくはめになる。また,気道出血の吸引もときに必要となる。反射が意外に強ければ,あまり操作に時間をとらずに,とりあえず気管内挿管をスタンバイ状態にしておくが,やはり熟練者が速やかに施行しておくのが望ましい*2。
悩みが多いときこそ,悩む要素を可能なものから迅速に消去していくのが原則で,その意味からも気管内挿管の重要性を強調しておきたい。
人工呼吸:本当に必要か判断を
自発呼吸があり酸素化は悪くないので,すぐに人工呼吸をする必要はない。気胸はないようだが血胸は明らかなので,余計な人工呼吸をすると胸腔の緊張が高まり,さらなる血圧低下をきたすことになりかねない。呼吸の状態を厳重に監視し,いつでも人工呼吸が行える態勢をとっておかなければならないが。しかし,こういった患者では,心停止が起こった場合はともかくとして,すぐに呼吸停止をきたすようなことはあまりない。
多発肋骨骨折があるので,胸郭動揺flailchestを起こす可能性はあるが,あとで考える。
胸腔ドレナージ:トラブルを起こすと影響大,万全の態勢で
ドレーン1本が,気管内挿管チューブに匹敵するほどの役割を担う場合がある。つまり,緊張性気胸あるいは大量の血胸の場合である。皮下気腫がない緊張性気胸は特に恐い。不安なときは18ゲージのエラスタをポケットに入れておいて,緊張性血気胸が危惧される状況になれば,とりあえず局所消毒で肋間から挿入して減圧する。開放性気胸を起こすことに神経質になる必要はない。
血胸の量は不明だが,肋骨が5本折れており,外傷例では結局胸腔ドレナージをすることになる場合が多いので,準備を指示しておく。緊張状態でないかぎり,態勢を整えてから行ったほうがよい。重要性がそうであるように,胸腔ドレーンがかかわるトラブルは挿管チューブのトラブルに匹敵するくらいの危険をもたらすことがあるからである。
血管確保 ・どの静脈とするか 臨機応変に
気道確保が呼吸管理の基本であるように,血管確保は循環管理の基本である。
検査が行われているので,搬入時に少なくとも末梢静脈は確保されているのであろうし,それが当然である。
こういった症例では,急速輸血に耐えられるよう,また,カテコールアミンが投与できるよう,中心静脈を確保すべきである。簡易に確保するならば,内頚静脈に18ゲージのエラスタを入れておくのが便利である。ただしこれはあくまで緊急避難的処置であり,1日以上留置してはならない。無菌操作で行える余裕があれば,ダブルルーメンカテーテルを内頚静脈あるいは血胸側の右鎖骨下静脈から挿入しておけば管理がしやすい。血胸側の鎖骨下静脈を穿刺するというのは,いずれ胸腔ドレナージを行うので,仮に気胸を起こしたとしてもさほど問題にならないからである*3。
バタバタしているときに完全清潔操作でというのはなかなか難しいし時間も惜しいので,まずは簡易に内頚静脈に太いエラスタを留置しておき,一段落してから鎖骨下静脈から清潔操作で入れるという段取りを筆者は好んで用いている。
大腿静脈もよく用いられるが,本症例の場合は次の理由から避けたほうがよい。(1)内腸骨動脈塞栓術が施行される可能性があり,その場合に穿刺操作の邪魔になる。2腹腔内損傷が否定できず,静脈の上流に損傷がある可能性がある。3体動が長期に制限されることが予測され,静脈血栓が懸念されるため静脈に傷をつけるのを避けたい。4骨盤骨折の出血により鼠径部の腫脹が予測され,通常の長さのエラスタだと浮き上がって抜ける可能性がある。
しかし,他の深部静脈穿刺に時間をかけるぐらいなら,とりあえず穿刺が容易な大腿静脈を確保しておくというのは誤りではない。その場合はあとでほかの部位に取り換える。
それでもなかなか確保しにくいときは,外頚静脈を穿刺する。この静脈は,頭の位置で流量が変わってしまう難点はあるものの,慣れれば容易に穿刺でき,合併症の危険もなく,急速輸血に耐え得る。
困ったときには外頚を狙え!
本症例が出血性ショックであることは,現時点の情報からほぼ*4 間違いない。
56歳男性の通常の値はHb13〜15g/dl程度なので,Hb8.6g/dlということは5g/dlの低下をきたしているわけである。受傷からの経過時間は不明であるが,直後であればいくら出血していても血液の希釈が起こらないので,このような値はとらない。比較的早い時間にこの値ならば,相当な速度で出血している。受傷後30分〜1時間程度として,軽く1000ml以上は既に出血しているとみなしてよいであろう。
仮に,一分間に16ml出血しているとして,ただちに止血できるわけではないから,次の一時間で1000mlの出血は覚悟しておかねばならない。5本の多発肋骨骨折で800ml,大腿骨開放骨折で1500〜2000mlの出血が予測される。骨盤骨折の出血量はさまざまであるが,腸骨骨折ほどではないにせよ,坐骨や恥骨といえども数百mlの出血は考えておかなければならない。恥骨から大量出血をきたす例もある。
損傷の程度からみて劇的な止血は期待できないので,3000〜4000ml以上の急性期の出血を覚悟すべきである。したがって,血液準備として400ml相当の濃厚赤血球液10パック,新鮮凍結血漿製剤10パックをまず用意し,あとは経過をみながら必要に応じて発注するのが妥当と考える。現在供給されるのは,ほとんどが照射血の成分製剤である。
血小板は,多発外傷では初期に低下するが,止血がなされれば比較的速やかに回復する。止血操作ができない段階で血小板を入れてもザルに注ぐようなもので,しかも自らの血小板ほどの機能は期待できない。急速な出血がコントロールできて,なおかつ血小板が5万以下の低値をとるような場合に血小板を発注する。
血液が患者のもとに届き次第,血液型を確実に照合したうえで,交差適合試験の結果を待たずに輸血を開始する。ショック状態であり輸血は必須で,病態から今後さらに出血すると思われるので,躊躇なく行う。
まずは400ml相当の濃厚赤血球液に生理食塩水をそれぞれ100ml程度加えて,3パック急速投与するのが適当であろう。新鮮凍結血漿製剤の投与はいずれ必要であるが,筆者は可能なかぎり止血のメドがついてから投与するようにしている。どんどん出血しているときに投与しても“無駄ダマ”になってしまうからである。ただし,本症例の場合は,出血量が多く血圧の維持が難しいと思われるので,濃厚赤血球液と同時に投与を開始したほうがよさそうである。
輸液は見かけ上のバランスを考慮
輸血が開始できるまでの間,まずはヘスパンダーRを2本急速投与し,合わせて細胞外液製剤を投与するのが妥当であろう。ヘスパンダーは2本(1000ml)を限度とし,細胞外液製剤は2000mlまでは急速投与して問題ない。それ以後は血液製剤とのかねあいで投与速度を調節するが,筆者が心がけているのは,見かけ上のバランスを常に頭においておくことである。内出血量はおよその見当はついても不確実である。外から確実にわかるバランスを基準におくことで極端な過剰輸液が避けられるし,逆に,輸血を含めて5000ml以上のプラスバランスにしたにもかかわらず循環が不安定であれば,内出血が予測以上に多いことに気がつく。なお,投与液は加温したものを用いなければならない。
血圧は90mmHg前後の維持を目標とするのが妥当と考える。あまり上げると出血を助長するし,かといって70mmHgが長く続いたのではショックの悪循環に陥り急性腎不全が危惧される。多発外傷で急性腎不全になれば,単に輸液管理に苦労し透析が必要というだけではすまない。創傷治癒遅延,感染→多臓器不全といった悪循環で予後を悪くしてしまう。ただし,万一急性腎不全になっても決して投げ出さないことである。急性腎不全の原因が出血性ショックであれば,全身状態を良好に保てば多くは2週間前後で回復してくる。
心不全があるわけではないので,カテコールアミンは本質的な治療ではないが,血圧管理を容易にするため,ドパミンの投与を開始,あるいは投与態勢をとっておく。輸血が間に合わずさらに低血圧になるようなら,つなぎとしてノルアドレナリンの持続投与に躊躇なく踏みきる。これはあくまで緊急避難的対応であり,血圧をみながらできるだけ速やかに中止する。
pH7.29でBE−9.0の場合は,筆者はアシドーシスの補正にはこだわらない。ただし,pH7.20を一つのメドとして,それ以下になるようなら補正を行う。
緊急を要する部位に対する処置(処置のpriorityの決定)
頭部 ・有効な緊急処置は少ないCTで明らかな異常所見がなく意識障害が存在する場合,外傷による可能性としては,いわゆる脳振とう,くも膜下出血,脳挫傷などが考えられる。いずれも有効な緊急処置はない。また,とりあえずは減圧開頭や低体温療法の適応もなさそうである。
急性硬膜下血腫と急性硬膜外血腫の可能性は考えておく。特に後者は受傷後超早期にはわからないことがあるが,頭部のX線写真で骨折の有無を確認し,硬膜外出血をきたしやすい骨折がある場合はとりあえず要注意として,数時間以内のCT再検が必要である。
いずれにせよ,頭部については一刻を争う処置はなく,脳外科医の意見をきいたうえでグリセオールRなどの脳圧降下薬を投与しておく程度でよい。脳外科医は患者に意識障害があることからいろいろな意見を言うかもしれないが,こういう場合,あまり脳外科医にふりまわされないようにする。
頚部 ・X線撮影は必須
頚椎のX線写真は必ず撮っておく。骨折などの異常が疑われるときはCTを撮る。ただし,四肢の麻痺がないのであれば,そのためだけにCT室に移動して検査する必要はなく,他と合わせて行えばよい。とりあえず頚部を固定しておく。
胸部 ・胸腔ドレナージの方法は
呼吸の維持は絶対条件である。気管内挿管と人工呼吸については既に述べた。胸腔ドレナージを行うタイミングだが,モニタリングの態勢と血液準備が整ってからでよいと考える。サイズは20Fr以上のものを入れておく。どの程度の量が貯まっているかはわからないが,急激な血圧低下をきたす可能性があるので,一気に500ml以上は抜かないほうがよい。
再膨張性肺水腫は,発症から時間がたっているときに一気に抜いた場合に起こりやすい。いずれにしても,まず500ml抜き,いったんクランプして様子をみたうえで,低圧で引いておくというパタ−ンを筆者は好んでいる。300ml・hr以上出るようであれば肺血管や横隔膜からの出血の可能性があり,緊急手術を考慮しなければならない。
本症例の場合,骨折部からの出血が主であるにしては出血が速すぎる感がある。軟部組織に囲まれた骨折部位からは,totalとして大量出血するとしても,必ずしも一気に出るわけではない。骨折部位近傍の比較的大きい動脈が損傷されているか,あるいは,どこかに損傷の見落としがあるのかもしれない。後者とすれば,胸部と腹部は要注意である。
腹部 ・内臓損傷の可能性は常にある
初回の超音波検査では腹腔内貯留液はないとのことだが,それで腹腔内臓器損傷が否定できるわけではなく,その可能性は常に考えておかねばならない。当施設では診断的腹腔内洗浄は行っておらず,腹部理学所見,腹部エコー,腹部CTの再検などで診断にもち込んでいる。腹部の観察を容易にするためにも,胃管を挿入し胃内容物を排除しておく。
骨盤 ・血管造影で判断を本症例の場合,血管造影を施行するかどうか悩むところである。移動が必要なことに加え,アンギオ室は“闘い”の場として適当ではないからである。当施設では骨盤骨折にはできるだけ血管造影を施行し,血管外漏出がみられたら両内腸骨動脈の塞栓術を行うようにしている。そのときに腹部大動脈造影も施行する。
放射線科医とのつきあいかたは非常に重要である。救急のトレーニングを受けている場合は別として,一般的には彼らは多発外傷への理解に乏しく,家族との接触にも慣れていないので,それらを担わせてはならない。放射線科医には,その時点でもっているX線写真すべてに目を通してもらい,臨床経過を説明し,塞栓術施行を相談する。放射線科専門医の眼から,あるいはさらに一歩下がった冷静な眼から,X線情報の見落としを指摘されることがある。
本症例の骨折は坐骨と恥骨なので,緊急的創外固定の必要はない。
右大腿骨開放骨折:直ちに創部洗浄と脱臼修復を
軟部組織の止血と骨折の簡易固定はすぐに行う。すぐに命にかかわるわけではないが,特に大腿骨開放骨折の処置には悩まされる。血流が豊富で骨折断端からの出血が多いうえに,骨髄炎をきたすと治療に難渋し,機能予後も悪くなるため,創部洗浄と脱臼の修復はできるだけ早く行わなければならない。
創部洗浄に引き続く処置が牽引であれ一期的接合術であれ,麻酔はどうしても必要で,清潔操作や器具のこともあり,手術室で緊急的に施行するのが通例である。整形外科医は自らの担当場所を早く片づけて拘束から解放されたがる傾向があるが,緊急手術が必要な腹腔内や胸部の損傷があれば当然ながらそちらが優先である。いったん整形外科の手術を開始すると診断が難しくなるので,優先順位を誤って彼らに押し切られてはならない。
整形外科手術に踏みきる前に今一度状態確認を行い,積極的合意のもとで施行すべきである。そのプロセスを踏むことが臨機応変の対応力の強化につながると信じている。
ドレーン挿入後は必ず胸部X線写真を撮っておく。先に述べた理由から,頭部から骨盤までCTの再検も必要である。頭部以外は造影して行う。腹部超音波検査は継続的に施行する。赤血球数,Hb値,総蛋白量,電解質,血小板数などは頻回に検査する。
プロトロンビン時間,フィブリノーゲン値,FDP(フィブリン・フィブリノーゲン分解産物)などの凝固機能の検査は施行するが,最初の時点では,その値がどうとかではなく,その後の変化をみるための参考にすることに意義をおく。新鮮凍結血漿製剤で通常に必要なものは補えるし,凝固障害があろうがあるまいが,やらねばならぬこと(つまり止血操作)の必要性は明らかだからである。
トロンボプラスチン活性化試験(TAT)やD-ダイマーの意義については確信がもてない。アンチトロンビン(AT)・V値は測定するが,低値の場合,限りある貴重な製剤をどこで投入するか,測定値だけにこだわらず,臨床状況と合わせて判断しなければならない。少なくとも,出血がコントロールできていない時期に使うのは避けたほうがよい。FOY(R)は早期から投与することが多いが,意義について確たるものがあるわけではない。
DIC ・大出血のヤマを越えてから
多発外傷はDICの原因となり得る。しかし,たとえ診断基準が点数的にボーダーラインになるとしても,血圧管理が可能な症例で非常に早い時期に真のDICをきたすことは,ほとんどないと考えている。むしろ,大出血を乗り切ったあとに少し遅れて,持続出血,循環障害や直接損傷,あるいは不十分な修復による臓器障害から感染をきたし,多臓器不全,DICが惹起されるように感じる。
投薬 ・欠かせない薬物はあるか ?
抗ショック薬としてのステロイド,ウリナスタチンなどの投与,急性期での抗DIC薬の投与については,その必要性と有効性に確信がもてない。現在の赤血球製剤MAPにはカルシウム補充が必須とは考えていない。本症例では止血剤の投与が大勢に影響を及ぼすとは思えないが,外科系医師の希望により投与する場合が多い(あえて否定する理由はない)。
これらはおおよその流れであって,同時に行う場合もあるし,方針が変わる可能性もある。また,悩まずに円滑に進められるわけでもない。これだけ損傷がひどい場合に悩むのは当たり前である。しかし,何らかの決断を下していかなければならない。
対処のワンチャンスを逃すな
常に適切な対処ができるかどうかはともかく,こういった患者を何もせずに放置することはあり得ないので,放置した場合にどういう経過をたどるかはわからない。しかし,いくら一生懸命治療努力をしたとしても,もしそれが著しく不適切なものであれば,本質的には放置と同じことである。
筆者の今までの苦い経験を総合すれば,だいたいにおいて次のような経過が考えられる。
意識障害,肋骨骨折や血胸による呼吸障害,大腿骨骨折があるが,そのこと自体ですぐに死に至る可能性は少ない。本症例の最大の問題は出血である。輸血にモタモタする一方,血圧が低いのでドパミンなどの昇圧薬を投与する。しかし頻脈になるばかりで血圧の上昇がみられない。なんとなく呼吸状態が悪くなる。細胞外液製剤などを急速投与して血圧がちょっとは上昇してもすぐに60mmHg台に低下。
そのうち,脈拍が少し落ちてくる。血圧はさらに低下し40mmHgになり,呼吸があえぎ様の微弱呼吸となる。意識状態も悪化。そこからだと,あわてて気管内挿管を行い輸血のポンピングをしても,救命は難しい。いったんそのような状態になってしまえば,出血傾向が一気に高度となり,大量輸血を行っても血圧が上昇せず,やがて呼吸停止が起こり徐脈になる。いくら補正しようとしてもアシドーシスが進行し,瞳孔が散大し,心停止に至る。
もちろん上記は極端な表現であって,およそ多発外傷を受け入れる施設で現実にあることではないかもしれない。しかし,超重症例はチャンスを一度逃したら救命できない。われわれは,一点の非の打ちどころもないブラックジャック的治療から,放置に近い寝とぼけた治療の間のどこかに位置したレベルの治療を行っているはずである。どこに位置しているかを省みつつ,向上を図っていきたいものである。 註釈
*1 リーダーが優秀な執刀者でなくてはならない,という必然性はない。一方,麻酔科医は,リーダーとしての必要条件を有している。
*2 頚部をまったく動かさないというのはできない相談であるにしても,気管内挿管の際には頚椎保護に留意しておかねばならない。
*3 患側があるのに,医療操作によって健側をも患側にしてしまうリスクをおかすのは愚である。
*4 “ほぼ”というのは,読者をイライラさせてしまう表現であるが,多発外傷にはpitfallが多いので,絶対的に決めつけてかからないほうがよいからである。
コメント ・救急医とは?
救急医のなんたるかは必ずしも明確ではないが,救急医も subspecialityを有しているのが通常なので,こういった場合にどういう役割を担うかについては一概に言えない。
筆者は出身医局の如何を問わず,救急患者の病態評価と治療のオリエンテーションをつけることができ,「生命の維持」の処置ができる医師が救急医であると考えている。
pitfall[1]考えられる種々の損傷
まずあげておきたいのは膀胱破裂と尿道損傷である。恥骨骨折があることから,その可能性は十分に念頭においておかねばならない。ショック患者の尿量測定が強調されるあまり,急いで導尿カテーテルを挿入するきらいがあるが,ショックから脱しないかぎりどうせ尿量は確保できないのであって,さほど急ぐ必要はない。入れにくいときは無理をせずに泌尿器科医を呼び,評価と対処をしてもらうべきである。
脊椎損傷の可能性を考えておくことは,pitfallというまでもないくらい当然のことである。棘突起や横突起骨折も,ときに思わぬ大量出血の原因となる。
右の下部の多発肋骨骨折があることから,右横隔膜破裂,肝損傷も考えておく。肝後面下大静脈などの大血管損傷も可能性として残るが,大静脈系の損傷は非常にやっかいで予後が悪い。意識障害がある場合は消化管破裂の診断が難しい。不穏様の体動や腹部の筋性防御をみたなら,大腸穿孔や小腸穿孔を疑わなければならない。大腸穿孔は急激にショックに陥るため,疑われれば試験開腹もやむを得ない。白血球数低値は要注意である。
なお,本症例は交通事故ということもあって,意識障害の原因をまずは外傷に求めるが,アルコールによる酩酊,睡眠薬を服用したうえでの自動車への自殺的飛び込み,という可能性も否定できない。
[2]多発外傷は pitfallだらけ
実のところ,多発外傷はいわば pitfallだらけである。筆者は何度落ちたかわからない。落ちないための確実な方策があれば教えていただきたいと常々思っている。経験豊富な医師の意見は有用ではあるが,保証を与えるものではない。教科書は,「注意せよ」「留意せよ」「ことがある」「ときに」「一般的に」などの表現の羅列であって,患者を目の前にした医師に救いを与えてくれることは少ない。どれ一つとして同じ状況のない多発外傷は総論でしか語れないのであって,“pitfallに落ちないための確実な方法などない”と断言してよいであろう。
教科書や論文の勉強もさることながら,非常に重要なのはベッドサイドにへばりついて患者を観察するということである。そうやって患者を観察しデータを追うことで,見落としや過小評価に対してリアルタイムに修正を行うことができる。経験では先輩医師にかなわないかもしれないが,ことベッドサイドにいる時間に関して,日常業務に加えて会議,出張,文書作業などに追われ,ときには家庭問題にも悩まされている年長医師に負けないはずであるし,絶対に負けてはならない。
本稿は,EBM(Evidence Based Medicine)とはおよそ無縁な表現に終始した。その点,期待された読者には深くお詫びしておきたい。流行的略語の頻用はあまり好まないが,現実が“Empiricism Based Medicine”であるという一種の情けなさを自覚しているだけに,臨床現場を理想に引っ張る力としてのEBMの重要性は強く認識しているつもりである。
本稿を書くにあたって,敢えてEBMにこだわらなかった理由は三つある。一つは,編集者の最大の意図が多発外傷治療の臨場感の紙上再現にある,と理解したからである。よくも悪くもこれが当施設における多発外傷の臨床である。また一つには,ごく一部であれ,EBMの体裁をとるには膨大な論考が必要となることがあげられる。出血性ショック時の細胞外液製剤の意義一つとっても論はつきない。もう一つは,筆者にそこまでの力量がないことである。これらを率直に申し上げ,拙稿が救急を志す若手麻酔科医になにがしかの刺激となることを祈りたい。
2.出血性ショック:麻酔科医は全体を見通す姿勢を崩さずに
井上徹英
Tetsuhide INOUE症例1
救 命
輸液と輸血
検査と投薬
●まとめ●