難病疫学研究の歴史
1.難病疫学研究のはじまり
1950年代から70年にかけて日本で多発した神経障害であるスモン(Subacute Myelo-Optico-Neuropathy: SMON)への対応を契機として、1972年6月に特定疾患対策懇談会(厚生大臣の私的諮問機関)の設置、10 月には「難病対策要綱」の策定が行われ、独立した予算措置による特定疾患調査研究事業が始まった。
同事業においては、スモン、ベーチェット病、重症筋無力症など8疾患を対象に8(臨床)研究班が編成された。更に「特定疾患疫学調査協議会」が組織され、各研究班の班長と疫学担当者が共同で8疾患の疫学調査に取り組んだ。これが、我が国における組織だった難病疫学研究のはじまりである。
1976年度には、正式な疫学研究班として「難病の地理病理学的環境科学的研究班」が発足し、1979年度からは「難病の疫学調査研究班」という名称になった。その後「特定疾患調査研究班再編成計画書(特定疾患対策懇談会、1996年2月)」に沿って、1996年度には「特定疾患に関する疫学研究班」と改称された。
疫学研究班は発足以来、臨床班や行政機関と協力しながら、各種難病について、①頻度分布、②リスク要因・予防要因、③予後および予後要因に関する研究を中心に、社会医学的研究も含めて膨大な成果をあげてきた。これら主要3分野の研究は、その後も堅固に引き継がれている。
2.難病研究体制の改編
1999年度には、難病研究を厚生科学研究の枠組みの中で、他の先端的厚生科学研究(ゲノム解析、遺伝子治療、創薬など)との連携下に実施するため、「特定疾患対策研究事業」に改編された。以降、厚生(労働)科学研究費補助金公募要項(毎年11~12月頃公表)に提示される次年度公募課題に対し、各研究者が自発的に応募する競争的研究形態となった。また採択・継続に関しては、事前評価、中間・事後評価の仕組みが整備された。
2002年8月、厚生科学審議会疾病対策部会難病対策委員会(以下、「難病対策委員会」)は「今後の難病対策の在り方について(中間報告)」を取りまとめ、研究事業における目標設定や成果の評価について提言を行った。これを踏まえ、2003年度には「難治性疾患克服研究事業」に再編された。
公募研究になったとはいえ、疫学研究班が3年毎の継続申請時期を迎える1999、2002、2005、2008年度の公募要項には、「特定疾患の疫学に関する研究」という課題がその研究目標とともに提示され、それらは既存の疫学研究班の活動内容と全く一致するものであった。
3.疫学研究班のジレンマ
難病研究が厚生(労働)科学研究費補助金によって実施されるようになってから10年後の2009年度には、難治性疾患克服研究事業が大幅に拡充され予算は前年比4倍の100億円規模となった。研究内容では、臨床調査研究分野(130疾患対象)、横断的基盤研究分野、重点研究分野の3分野が強化された。また、臨床調査研究分野に含まれない疾患について、実態把握、診断基準作成などを行うため、新たに研究奨励分野(180疾患対象)が設けられた。
2000年頃からの大幅な事業改編により、疫学研究班としは、横断的研究を維持する労力が過大になり、個々の臨床班との協力関係が希薄化した。また、患者数・好発年齢など実態を把握する記述疫学研究が、疫学研究班から臨床班(特に研究奨励分野)に移行する例が生じ、疫学研究の専門性が看過される現象もみられるようになった。
更に評価システムの中では、ゲノムや創薬といった注目される研究領域に比べて、疫学研究班はその意義と成果を十分にアピールできず、研究の重要性に十分な理解を得ることができなかった。そして、研究班の継続申請時期に該当する2011年度の公募要項には、「特定疾患の疫学に関する研究」という課題は提示されなかった。
しかし、“疫学研究は必要”とする主張が根強くあったことから、2011年度には、「指定研究:今後の難病対策のあり方に関する研究」の中の分担研究班として継続する途が開かれた。分担研究班は「難病の頻度と分布および規定要因に関する調査研究」という課題名のもとに、3分野(頻度分布、予防要因、予後)の研究目標を掲げた。しかし以降の研究班継続は叶わず、2012年度からは29人の自主的研究グループ「難病疫学研究会」を立ち上げて研究を続けることとなった。
4.難病対策の変容と疫学研究班
2011年より、難病対策委員会は「難病対策の見直し」を始め、2013年には「難病対策の改革に向けた取組について(報告書)」をまとめた。そして、翌2014年には「難病の患者に対する医療等に関する法律」が成立した。
ここに到る議論を踏まえ、2014年度に難治性疾患克服研究事業は、難治性疾患政策研究事業(実態把握(疫学調査)、診断基準や診療ガイドラインの作成などを実施)と難治性疾患実用化研究事業(日本医療研究開発機構が行う「難病克服プロジェクト」として、治療薬・医療機器の開発などを実施)の2事業に分割された。
そして、2014年度の公募要項には、「・・・疫学データの継続的な収集・分析、発症関連要因・予防要因、重症化の危険因子、予後関連因子、予後追跡調査等に関する研究を疾患横断的に行い・・・・」という、従来の疫学研究の内容や方向性と一致する課題が提示された。研究グループは「難治性疾患の継続的な疫学データの収集・解析に関する研究」を申請し、これが採択されて研究班は復活の運びとなり、2019年度まで3年2期継続した。
わが国の難病対策は、50年の歴史と医学医療の発達の中で変革を強く迫られてきた。2020年3 月に閣議決定された「第2期の健康・医療戦略」では、「厚生労働科学研究から日本医療研究開発機構(AMED)における研究まで、切れ目なく実臨床につながる難病の研究開発」について述べている。“実臨床につながる難病研究”という期待の中で、我が国で“疫学”への理解が脆弱である背景とも相俟って、2020年度から厚生労働科学研究の中での組織的研究活動は中断した。しかし、個々の研究者は臨床班と協力しながら地道に疫学研究を継続した。
2022年度より情報共有と研究交流を目的に「難病疫学研究ネットワーク」という自主的研究グループを立ち上げた。この研究組織を基盤に2023年度厚生労働科学研究において「難病疫学研究の適正推進に資する情報や知見の普及・啓発に関する研究」を3年計画で申請し採択された。なお、「難病疫学研究ネットワーク」は継続性を有する自主的研究グループであり、かつての「難病疫学研究会(2012・13年度)」が厚生労働科学研究班として復活するまでの“つなぎ”の研究グループであったのとは性格を異にする。
現在、難治性疾患政策研究事業の枠組みの中では、頻度分布調査や既存データの利活用に関する研究が重視される傾向にあり、また一般にはそのような研究が “疫学研究”と理解されている面もある。今後は、疫学の定義「疾患の頻度分布とその規定要因に関する研究」に則り、etiologyに関する研究も強化して、バランスの取れた疫学研究を遂行することが課題であろう。またそのような成果を示すことこそが疫学研究に真の理解を得ることにつながると考える。
(大阪市立大学名誉教授 廣田良夫 2024年8月)
※この記文は、「廣田良夫.難病疫学研究の歴史.日本疫学会(監修),三浦克之・玉腰暁子・尾島俊之(編集).“疫学の事典”.東京:朝倉書店、2023; 214-5.」を加筆修正したものである。