Letter to the editor:

市立札幌病院歯科医師研修問題は救急医療の問題である

県立新居浜病院麻酔科 越智元郎
(日救急医会誌 2003;14;279)


目次


Letter to the editor:
【市立札幌病院歯科医師研修問題は救急医療の問題である】

県立新居浜病院麻酔科 越智元郎
(日救急医会誌 2003;14;279)

 市立札幌病院の救命救急センターで救急研修を受けていた歯科医師に資 格外の医行為をさせていたとして、本学会評議員でもある前センター長( 2003年3月末日付で退職)が医師法違反(医師以外の医業の禁止)の罪に問 われていた事件で、札幌地裁は検察側の求刑通り罰金6万円を言い渡した。 弁護側は判決を不服として札幌高裁に控訴したが、歯科医師の医行為は研 修の一環であっても違法だとする検察の主張が認められたことにより、歯 科医師の救急領域での研修のみならず、歯科医師の麻酔科研修や救急救命 士の病院実習についても大きな制約を受けることになる。

 2002年9月に開かれた第6回公判においては、厚生労働省の医事課長が証 人として出廷し、「歯科医の診療領域は口から咽頭にかけてとその周辺に 限定され、研修であっても歯科医が医療行為を行えば違法」などと述べた。 これらの主張は歯科医師の麻酔科研修、救急救命士の病院実習などが定着 した現状を無視し、医師以外の職種の救急対応能力を向上させようとする 救急医療関係者の努力に水をかけるものである。

 一方、同年7月、厚生労働省が発表した「歯科医師の医科麻酔科研修のガ イドライン」では、患者の同意や歯科麻酔20例の経験を前提に、歯科領域 以外の患者への全身麻酔を許している。また、救急救命士に対する病院実 習については、行政も関与した「救急救命士の病院内実習検討委員会報告 書(1999年)」において、心肺停止状態でない患者において器具を用いた 気道確保や静脈路確保を行うことを求めている。これらの行為が指導医師 の監視と責任のもとに安全に実施され、多数の救急救命士を育ててきたこ とは疑いのない所である。

 救急医療に関わる医師のみならず、様々な分野を目指す医師、歯科医師、 救急救命士などに救急対応能力を身につけさせることは救急医療関係者の 願いである。われわれは心肺停止患者などにおいて、救急隊員が患者のも とに到着する前に市民が、医師が治療を開始する前に救急救命士が救命処 置を開始することなしには、患者を救命することが困難であることを知っ ている。同様に、歯科治療の場で発症したアナフィラキシ−ショックなど に対し、歯科医師が救急隊員や医師が到着するまでに適切な救命処置を開 始できるよう、研修の場を提供することは救急医療の重要な使命だと考え る。

 日本救急医学会がこれまで、今回の判決を正当なものとするために社会 への働きかけをして来られたのかどうか。一方、厚生労働省の研究班から 間もなく歯科医師の救急研修ガイドラインが発表されると言う。このガイ ドラインは今回の判決に影響されずに運用できる性質のものなのかどうか。 さらにはこれまで通り救急救命士の病院実習(新たに救急救命士による気 管挿管の実習すら予定されている)を実施することが許されるのかどうか。 学会としてのお考えをお聞きしたい。


回答:

 札幌地方裁判所での判決が出されましたが、高等裁判所、最高裁判所に おける最終判決ではありません。現行の医師法、歯科医師法に則った判決 を地裁レベルで下しただけで、判決が正当か不当かはまだ決定されていま せん。日本救急医学会として正当なものであれば、会員をサポートするの は当然ですが、本学会として、現時点で現場検証をしたり、裁判に介入す べきとは思いません。歯科医師の卒後研修ガイドラインに関しては、日本 国民が最良の歯科治療を受けるためのはどうあるべきかのガイドラインで あって、裁判や学会に左右されるものではありません。しかし、日本救急 医学会としてこのガイドライン作成に5名の班員を送り、近日中に完成の 予定ですので、歯科医師の救命救急卒後研修の問題も解決の方向に向かう と思われます。

(日本救急医学会理事 前川剛志)_____


Date: Sat, 7 Jun 2003 17:52:53 +0900
Subject: [eml-nc3: 1714] Re: 1711 歯科医師研修問題(日本救急医学会誌レター)

越智さん、みなさん

・・病院のAです。


市立札幌病院歯科医師研修問題に関する刑事裁判では、提訴された個別的内容
の医学的・社会的・法的妥当性の問題と、事案から派生して一般化される問題
とを、明確に分けて考える必要があると思います。なお、歯科医師の医科研修
と救急救命士の病院実習についても、関連要素はありますが基本的には分けて
考えた方が良いと思いますので、この投稿は歯科医師の研修問題のみを対象と
しています。また、これまでにも繰り返し述べてきましたが、今回の判決は地
裁レベルでの判断であり、被告人が控訴したことにより判決は確定していませ
ん。現段階では裁判所の判断に流動的な要素があることを前提として私の考え
を述べさせていただきます。


越智さんには、日救急医会誌に投稿された論考に対する日本救急医学会前川剛
志理事の回答をご紹介いただきました。

>  本学会として、現時点で現場検証をしたり、裁判に介入すべきとは思いません。

との前川理事のコメントは、専門家集団としては提訴内容に対する個別介入を
しないという立場を示したものであり、ある意味では常識的な判断であると思
います。

しかし上記の姿勢は、これまでに越智さんが示してこられたような実際の教育
を担当する実務担当者の懸念に対して安心を与えてくれるものではありません。
裁判所が歯科医師の研修に対する踏み込んだ判断を避けたのと同様に、医学的
な観点から専門家集団として積極的にこの問題をリードしていこうという姿勢
が今ひとつ見えてきません。それぞれのお立場で悩みつつ対処されていること
は重々承知していますが、このままでは行政の模範解答そのもので、敢えて言
うならば形式的過ぎて、やや不親切な回答であると思います。

>  歯科医師の卒後研修ガイドラインに関しては、日本国民が最良の歯科治療を受
>  けるためのはどうあるべきかのガイドラインであって、裁判や学会に左右され
>  るものではありません。

確かに歯科医師卒後研修ガイドライン制定自体が個別の裁判事例に左右される
べきものではないかもしれません。しかし現場責任者が所属組織から刑事告訴
されるという異常事態を受けて、事例分析から反省を含めた何らかの対応が必
要であることは論を待ちません。当然ながら公式コメントと本音に温度差があ
るとは思います。


先に私は知識と技能の取得のための訓練を「研修」「修練」「実習」の三つに
分けて言葉の定義を試みました。「研修」と「修練」は訓練を受ける者が主体
となることができますが、「実習」では指導者の手足として「判断作用に加え
る余地の乏しい機械的な作業」を行うことしかできません。

今回の市立札幌病院の事案は、無資格者に「研修」もしくは「修練」に準じた
行為をさせたものであるから現行法下では違法である、と札幌地裁が認定した
ものと私はとらえています。下級審とはいえ裁判所の判断ですから確定するま
ではこの判決を無視することはできません。

歯科医師卒後研修ガイドラインが医科領域での研鑽を視野に入れたものである
ならば、その内容は法改正を行わない限り上記定義における「実習」である必
要があります。歯科領域での患者急変に対する知識と技能の習得を目的とした
ガイドラインが「判断作用に加える余地の乏しい機械的な作業」だけを対象と
しているとは何と皮肉なことでしょう。市立札幌病院の事案では救命センター
で研修を受けた歯科医師の技能が医師のそれと遜色はなかったと裁判所も認め
ています。歯科医師が医科領域で研鑽を積む理由は、単に豊富な経験を求めて
いるだけではないと思います。適切な指導者の下で患者の安全を確保した上で、
まさに「判断」の妥当性を磨くものではないのでしょうか。そのためには上記
定義における「研修」や「修練」が最も適した方法であると思います。

日本国民が最良の歯科治療を受けるために、歯科医師の研鑽の方法がどうある
べきかを考えると、必然的に判断作用を伴う内容にならざるを得ないのではな
いかと思います。ここに現行法では違法であると断じた札幌地裁の問題提起
(あえて問題提起としましたが、実際に問題提起をしているのは裁判所ではな
く被告人である松原医師です)のポイントがあるのではないかと考えています。


もはや姑息的な行政判断や解釈に依るのではなく、あるべき姿を法に反映させ
る必要があるのではないでしょうか。そのための努力を専門家集団と行政の双
方が怠ってきたツケが今回の問題で表面化したのではないかと感じています。


参考ウェブ


■ News from GHDNet/ □ 非医師の医科研修問題