わが国における心肺蘇生法指導法の統一を望む

越智元郎、漢那朝雄*、鍜冶有登**

愛媛大学医学部救急医学、*九州大学大学院医学研究院災害救急医学
**大阪市立総合医療センター救命救急センター

(LiSA 7: 542-545, 2000)


 目 次


はじめに

 平成3年度に制定された救急救命士法がわが国のプレホスピタルケア(病院前救護体制)に様々な改革をもたらしたことについては各分野の意見が一致するところである。しかし、心肺停止患者の予後、特に社会復帰率に限ってみると、救急救命士制度導入前と余り変わらないのが実状である。その最大の原因の一つとみられているのが、市民によって心肺蘇生法が行われる例が少ないことである。わが国では病院外心肺停止患者の80%以上は、救急車が到着するまで、何の処置も受けずに放置されているのである。

 これまで、自治省消防庁、日本赤十字社、関連学会などの様々な組織で心肺蘇生法普及のための地道な努力が継続されており、近年、自動車免許取得者への講習や学校教育への導入、口頭指導に関する実施基準の制定などの新しい試みも採用されている。

 これらの努力に並行して、心肺蘇生法普及の障害となるものはできるだけ取り除く必要がある。筆者らの考えでは、現実の普及活動における最大の障害は各組織における心肺蘇生法の指導法に "食い違い" がある点である。


国内における心肺蘇生法 "指導法" の相違点

 1998年 9月、第17回日本蘇生学会の「蘇生法の国際標準をめざして」と題したシンポジウムにおいて、国際標準以前の問題として、わが国の蘇生法教育が国内レベルで統一されていない、という問題提起がなされた。その具体例として、口腔内異物の確認に関する相違点などが指摘された。

統一基準があったはずだが・・

 自治省消防庁救急救助課・監修の「応急手当指導者標準テキスト」1)による心肺蘇生法の手順では、傷病者が発生したら救助者はまず患者の意識の有無を確認し、次いで助けを呼ぶ(119番通報)。そして、必ず「口腔内異物確認」をした後に「気道確保」を行うように指導している(表1)。American Heart Association(AHA)や日本医師会、日本赤十字社などの指導法では、全例で「口腔内異物の確認」をするようには指導していない。これらのテキストでは、気道内に異物の存在が疑われる場合や、用手気道確保をしても呼気吹き込みができない場合に、口腔内確認をするという趣旨である。

 かつて消防、日赤、学会関係など各分野の代表が参加した、日本医師会救急蘇生法教育検討委員会において、わが国の心肺蘇生法の統一案が協議された。そして各組織で行う心肺蘇生法教育についても、この統一案に準拠することを申し合わせた。申し合わせの骨子は以下の2点であった。

  1. 1992年の American Heart Association(AHA)に沿った救急蘇生法教育を行う。
  2. 救急蘇生法教育には止血法を含む。

 この協議のあと日本医師会からは「救急蘇生法の指針-一般市民のために- [一般市民用]」および「救急蘇生法の指針-一般市民のために-[指導員用]」2)、そして「救急蘇生法の指針-医師用-」3)が刊行され、さらには「指導者のための救急蘇生法の指針」が刊行された。

ともかく "時間の浪費" をなくす

 さて、国内各組織の合意として「1992年 AHAのガイドラインに沿って」が厳として存在したのにもかかわらず、各組織の蘇生法の表現方法が食い違ったのはなぜだろうか。それは骨格となる蘇生処置の記載やフローチャートに、良かれと思って、色々と付け加えた組織があるからではないか。

 また、蘇生処置においては「時間」の要素を忘れてはならない。AHAの心肺蘇生法テキスト4)でも強調されているように、全ての心停止例において決定的要因は時間である。

 発症直後の心肺停止患者の肺と血中には、数分なら持ちこたえるだけの酸素はある。心肺停止が起こっても4分以内に目撃者による効果的な心肺蘇生が開始され、続く4分以内に電気的除細動をはじめとする2次救命処置がなされた場合、しばしばほぼ完全な蘇生が可能である。それゆえ、ガイドラインには、必ず実施すべき処置のみを記載すべきであり、ある状況下でのみ実施すべき処置を混ぜてはならない。それは、必ずしも実施する必要のない場合にそれを実施してしまうと、「時間」の浪費につながるからである。

 目撃者による心肺蘇生処置を軌道に乗せるまでの数分の中で、全例に口腔内異物確認を行うか。これは否である。119番通報の後には、頭部後屈あご先挙上法で気道を確保する。もし口腔内に異物や吐瀉物が<有れば>除去する。受講者にこれ以上強く、口腔内異物確認を意識させたら、本番では多くの場合時間の浪費を招くだろう。


重要なものは単純に

 一般市民に対する心肺蘇生法の指導法は網羅的な解説のみではいけない。最低限必要なことを繰り 返し叩き込むという姿勢が必要である。

 ガイドラインのフローチャートには、本当に重要で、確実に実行してほしい最低限の必要事項のみを明示すべきである。そのようなフローチャートが作成され、すべての心肺蘇生法教育関連組織の指導要項や受講者テキストが同じ記載となり、組織ごとの追加あるいは削除などの細工が行われないことがわれわれの願いである。


指導法の違いによる弊害:困るのは誰?

 まずは、受講者である一般市民である。特に、最近増えつつある、リピーターと呼ばれる熱心な受講者である。彼らが前に受講したのと異なった系列組織の講習を受けた場合、「以前教わったのと違う」ことに敏感に反応し、何種類もの難しい処置を覚えないといけないような錯覚に陥る。そして肝心な場面で、心肺蘇生の実施をためらうかも知れない5)

 また、筆者らのような医育機関の者、市民指導にあたる救急隊員、赤十字などの応急手当普及員など、指導の立場にいる者も困っている。これらの実質的な蘇生法教育の担い手である人々は、互い に組織を横断した交流を持つことも多く、ある系列の講習と別の系列との講習とで違うことを教えなければいけない場合もある。また、受講者からなぜ指導法が異なるのか尋ねられることもある。このような「調整」はときに精神的負担となり、伸びやかな晴れ晴れとした指導ができなくなるのではないだろうか。

 組織間の指導法の違いを勉強し、広く知識を習得した指導者は、自らの組織内の指導指針をある程 度、融通、翻訳しながら市民や後輩の指導に当たっている。このような指導者がいわば クッションの役割を果たすことによって、実際の日本の心肺蘇生法教育は支えられているのが現状で あろう。


日本心肺蘇生法協議会(JRC)が調整の中心に

 心肺蘇生法指導法の統一を手がけた場合、いわゆるABCの流れ以外にも解決しなければならないい くつかの問題がある。

 例えば、気道異物除去の手技としては、AHAのガイドラインで取り上げられておらず、わが国独自の手技である側胸部圧迫法が、第1選択の異物除去法として記載されていることも異論のある所である。

 また、救急医療の分野における学会等の間の用語の不統一を指摘する声もある。さらに、最近の心肺蘇生法の世界基準をめざす International Liaison Committee on Resuscitation (ILCOR)6), 7), 8)の活動や AHAのガイドライン策定においても、わが国として積極的に関与してゆく必要があるであろう9)

 心肺蘇生法をはじめとする応急手当の普及は、日本医師会、関連学会、日本救急医療財団、日本赤十字社、厚生省ならびに自治省消防庁など、どの救急関連組織においても極めて重要な事業である。幸い1999年7月これらの組織が、わが国の心肺蘇生法のあり方について協議する場として日本心肺蘇生法協議会(Japan Resuscitation Council, JRC)を結成した8), 10)。わが国の心肺蘇生法が国際的にみて妥当であり、同時にすべての国内団体が共通の心肺蘇生法を指導できるよう、今後の JRCの活動には大きな期待が持たれるのである。

 最後に、本提言のきっかけになった救急医療メーリングリスト(eml)での論議を2つ、コラム1(救急救命士Y氏との意見交換)、コラム2(内科医S先生との意見交換)としてご紹介したい。


表1.心肺蘇生法の手順

(フローチャートの一部は省略)

自治省消防庁テキスト 1)より AHA(1992年)の手順
1)意識はあるか(ない)
 ↓
2)助けを呼ぶ
 ↓
3)口の中を調べる
 ↓
4)異物があれば口腔内異物除去
 ↓
5)気道確保
 ↓
6)呼吸はあるか(ない)
 ↓
7)人工呼吸―2回
 ↓
8)脈はあるか(ない)
 ↓
9)心肺蘇生―心臓マッサ−ジ15
  回、人工呼吸2回を繰り返す。
1)意識はあるか(ない)
 ↓ 
2)119番通報(助けを呼ぶ)
 ↓
3)気道確保
(気道異物が疑われる場合や呼気
 吹き込みがうまくゆかない場合
 は、再度の用手気道確保や口腔
 内確認、必要により異物除去)
 ↓
4)呼吸はあるか(ない)
 ↓
5)人工呼吸―2回
 ↓
6)脈はあるか(ない)
 ↓
7)心肺蘇生―心臓マッサ−ジ15
  回、人工呼吸2回を繰り返す。


文 献

  1. 自治省消防庁救急救助課・監修、救急救助問題研究会・編集、応急手当指導者標準テキスト、東京法令出版、東京、1984、p.18

  2. 日本医師会監修:救急蘇生法の指針― 一般市民のために―、 へるす出版、東京、1993

  3. 日本医師会・編:救急蘇生法の指針―医師用―、へるす出版、東京、1994年

  4. Emergency Cardiac Care Committee and Subcommittees, American Heart Association. Guidelines for cardiopulmonary resuscitation and emergency cardiac care. JAMA 268: 2171-2295, 1992

  5. 越智元郎、畑中哲生、生垣 正、小田 貢、若林 正、白川洋一、新井達潤:心肺停止(CPA)とプレホスピタルケア:I. 心肺蘇生法の普及.救急医学 23: 1883-1887, 1999

  6. Chamberlain DA, Cummins RO: Advisory statements of the International Liaison Committee on Resuscitation ('ILCOR'). Resuscitation 34: 99-100, 1997

  7. ILCOR Advisory Statements(救急医療情報研究会による和訳)
     
    http://ghd.uic.net/99/ilcor.html

  8. 石原晋、越智元郎、畑中哲生、小田 貢、生垣 正、円山啓司:心肺蘇生法の国際的標準化の流れ―ILCOR、JRCと日本麻酔学会―.日本麻酔学会 NEWSLETTER 8: (1), 17, 2000

  9. Ochi G, Hatanaka T: Proposal to the AHA Second International Evidence Evaluation Conference(http://ghd.uic.net/99/j9dallas.htm

  10. 美濃部 嶢:財団の活動報告 (1) 心肺蘇生法委員会の開催とJRC(日本心肺蘇生法協議会)の設立.救急医療ジャーナル 7: (5) 通巻39号 p.84, 1999

*その他の関連文献


コラム1 救急救命士Y氏との意見交換

(1998年8月)

越智: わが国の心肺停止患者さんの社会復帰率を上げるためには、できるだけ早期に電気的除細動を行うことに重点をおくべきです。私は全例に口腔内異物確認する時間を、早期に除細動を行うことに使っていただきたい(救急隊員が現着後に行う場合も)という意見です。また、もし1、2秒で口腔内異物確認が可能であれば、そういう方法を採用してほしいと思います。

Y氏: 私も、早期除細動(Early Defibrillation)は最も重要だと思います。しかし口腔内の異物確認については、少なくとも救急隊については行うべきであり、これに時間がかかるようでは救急職人とは言えないでしょう。

越智: 心肺蘇生法の世界基準を上げるとすれば現状では 1992年 JAMAに掲載されたガイドラインがそれであり、その中の Adult One-Rescuer CPRの手順の骨格部分では「口腔内異物確認を全例に」という方針は採用されていません。これはあくまでもわが国の消防のローカルな指導方針です。

Y氏: この手順は本当に消防のローカル・ルールなのでしょうか? 私の記憶では口腔内異物確認がプロトコルに盛り込まれている「応急手当指導員テキスト」の前身である指導要領の作成には、自治省消防庁、厚生省、文部省、日赤、東京消防庁、特定の医療機関、その他のメンバーの方が委員になっていたように思います。

 自治省消防庁が「応急手当普及啓発活動の推進」を各都道府県に通知したときには、いわゆる統一されたスタンダード・ルールであると全国の消防本部が信じていたはずです。そして、消防の指導方針の基本は「救急蘇生法の指針」がベースであるはずです。

 何故、このようなことになったのでしょうか? いまさら仕方ありませんが、いずれにしても修正・統一するなら早い時期が良いに決まっていますね。私たちが欲しいのは、本当のスタンダードです。○○方式というのは、寂しいし、何か情けないような気持ちになります。


コラム2:内科医(元麻酔科医)S先生との意見交換

(2000年2月)

S先生: (中略)蘇生法の新スタンダードを緊急に議論することが必要であるか、というのが自明な人と、自明でない人がいる、という事でもあります。ちなみに、私は、自明でない人です。新スタンダードのどこが優位であるのか、論証または強いサジェストできますか?

越智: ささやかながら説明を試みます。

1.わが国の心肺蘇生法が統一されたものであってほしい。

 S先生が現状を気になさらないのは、心肺蘇生法を指導する立場にないからではないでしょうか。ある立場の人がこう教え、他の立場の人がああ教えして、教えられる市民が頭の中で整理をしようとしているのは、市民や学生を教える立場にある私の目から見て気の毒です。

 同じひとつの方法を教える(単純化)。または「あちらの方法も私達の方法もどちらでもいいんですよ、やってくれさえすれば。」と教える(寛容さ)。この単純化と寛容さがILCORの精神だと思います。

2.わが国の心肺蘇生法が世界の方法と一致したものであってほしい。

 日本人が他国へゆき、外国人が日本で活動する。この時代にあっては同じ一つのもの(心肺蘇生法)を共有するのが単純でよいのではないでしょうか。日本を除く多くの国々の心肺蘇生法が統一されているのに、わが国だけ違う方法では、協力して処置を実施するときでもとまどいがあるのでは。

3.AHA新指針をわが国の指針にも反映させる。

 2000年8月にAHAの新指針が出て世界の標準が変わります。日本の指針もこれに合わせて変えようという話が出ていますが、その作業が長引くと、わが国と外国との差が大きい時期が長引いてしまいます。また、疾病構造の違いなどから、わが国独自の記載を考えるべきところもあります。2000年は蘇生・救急医療関係者の間で集中的に話し合いをするべき年ではないでしょうか。



LiSA特集:心肺蘇生法2000年の潮流