虫の集い
(線虫研究者コミュニティ)

線虫はどんな生き物なの?

線虫はどんな生き物なの?

線虫ときくと回虫やぎょう虫、アニサキスといった寄生生物たちをイメージするかもしれません。彼らは大きく線形動物 (Nematoda) の仲間ではありますが、私たちはその中でも寄生性をもたないエレガンス線虫 (Caenorhabditis elegans) やその近縁種を用いた研究に取り組んでいます。

エレガンス線虫はわずか959個の細胞からなる多細胞生物(ヒトは約37兆個)でありながら、私たちと同様に神経系(脳)や生殖系(精巣・卵巣)を有する、立派な動物の仲間です。脳を介して外界の環境を記憶・学習し、また交配によって多様な子孫を残すことができます。

とはいえなぜ線虫を研究するのでしょうか?それは私たち(Homo sapiens) 自身の体のつくりや脳の働きを理解するためにほかなりません。例えば生物の遺伝の仕組みはエンドウ豆・大腸菌・ウイルスといった、実験室で取り扱いやすい対象の研究を通じて解き明かされてきました。同様に実験室で取り扱いやすい動物としての線虫を研究することで、動物としての私たちについて理解を深めたい。それが本コミュニティ(虫の集い)の共通理念です。

遠いようで近い線虫の研究を通じて何がどこまでわかってきたのか、またこれからどのようなことを解き明かそうとしているのか、本HP全体を通じて少しでも伝われば嬉しく思います。

監修者
池田宗樹(カリフォルニア大学サンフランシスコ校・東京大学大学院総合文化研究科)

1.線虫とは

(1)「線虫」とは何か

 「線虫」と聞くと線形動物門に属する動物一般を思い浮かべるかもしれないが、このHPを運営する「虫の集い」では、主に土壌自活線虫Caenorhabditis elegans(略称C.elegans シー・エレガンス)のことを指す。

C.elegansは、その名の通りエレガントな虫で、体長約1mmの細長く透明な体をもつ。個体差がほとんどなく、光学顕微鏡で959個の体細胞をひとつひとつ同定できる。寒天培地上で育てた大腸菌を餌として、簡単に飼える。雌雄同体と雄がいて、1匹の雌雄同体は自家受精を行なって約300個の卵を産み、卵は約3日で成虫になってまた産卵する。様々な変異体を分離でき、雄を使うと交雑ができるので遺伝学実験が可能。世界的なC.elegansグループがあり、隔年に集会を開いて研究発表や交流を行なっている。C.elegansに関する情報を集めたサイト(Wormbase, Wormatlas)、オンラインの教科書(Wormbook)、変異体の蒐集と配布を行うセンター(CGC)もある。このように、線虫C.elegansは優れた「モデル生物」として科学に貢献している。

(2)何のための線虫C.elegans研究か

 世界中の研究者は、何のために線虫C.elegansを使って研究をしているのか。それは、「生命とは何か」という、人類のもつ根本的な謎に、自然科学の方法を使って答えるためである。  古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、生命(プシュケー)とは生物の働き(栄養摂取・感覚・運動・欲求・理性など)をつかさどる原理であると言った。その後、近世になって「仮説を立てて検証する」という自然科学の方法が現れて生命の研究は着実に進歩し、19世紀には細胞・進化・遺伝子という全生物に共通の基盤が発見されるに至った。さらに20世紀に入ると、情報とシステムをキーワードとして、DNAの遺伝情報から生物の働きがどのように生じるかを分子レベルで解明するようになる。その中でC.elegansは発生や行動のメカニズムを解明するための研究材料として採用され、他の分野も含めて、生物の謎をいくつも解明してきた。線虫で正しいことの多くは、基本的にヒトでも正しい。線虫C.elegans研究は今後も発展し、生物の素晴らしさを明らかにすることが期待されている。

監修者
桂 勲 1945年神奈川県生まれ、東京大学大学院博士課程修了。現在、国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。

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2.線虫の体と性

(1)線虫の体

 線虫(Caenorhabditis elegans)とは世界中に生息している小さな生物である。体は1mmの長さしかない筒状のため、研究では扱いやすい。合わせてわずか1千あまりの細胞しかないものの、神経系、筋肉系、消化系、外皮系、生殖系の組織があり、体が透明であるため、単純な顕微鏡でこれらの細胞が見られる。神経系は302個の細胞から成り立ち、その大部分は原始的な脳のように頭に集結している。頭から尾に渡って、運動神経等が腹と背を沿っている。運動用の筋肉は筒状の体の内面に4分円のように頭から尾まで一様についている。消化管は線虫の口に当たる「咽頭」と言う筋肉質の構造で細菌を砕き、体長の殆どを責める腸で消化を行う。尾には肛門があり、排出を促す筋肉も伴う。体の外面はクチクラと言う殻で覆われ、この構造は皮細胞が分泌するタンパクから構成されている。これらの組織を構成する細胞はヒトと比べると小さいものの、その根本的な働き方と構成様子は保存されている。

(2)線虫の性

 線虫には雌雄同体と雄と2つの性がある。雌雄同体には産卵と後尾のための外陰部があり、体内には卵子と精子を作る生殖腺がある。雄は尾に交尾のためのヒレがあり、精子を作る生殖腺もある。雌雄同体の場合、成虫寸前に精子が作られ、生殖腺に保存される。成虫後、より大きい卵子が作られ、保存された精子、または交尾からの精子によって受精される。

雌雄同体は成虫に至るまでに保存した精子によって約300の子孫を産むが、交尾した場合は約1000の子孫を産むことができる。線虫の性別はX染色体の数によって決められ、X染色体が2つの場合は雌雄同体、1つの場合は雄が定められる。よって、雌雄同体が作る精子は全てXを持ち、基本雌雄同体の子孫しか作らない。雄が作る精子は半分X染色体を持ち、もう半分は性染色体を持たないため、交尾した個体は雌雄同体と雄の子孫を1:1の割合で作る。

参考資料
1)Ann K.Corsi、Bruce Wightman、Martin Chalfie著 「A Transparent window into biology: A primer on Caenorhabditis elegans」、2015年 WormBook, ed. The C. elegans Research Community, WormBook, doi/10.1895/wormbook.1.177.1, http://www.wormbook.org.

監修者
スノー アンドリュー ブリティッシュコロンビア大学。

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3.線虫研究の歴史

(1)始まりはシドニー・ブレナー

 シドニー・ブレナーは、20世紀を代表する分子生物学者である。彼は、1950年代に、DNA2重螺旋構造を解明したことで知られるフランシス・クリックらとともに、遺伝暗号の解読に取り組んだ。大腸菌やバクテリオファージなどの単細胞生物やウィルスを研究対象として、遺伝子からタンパク質へと遺伝情報が伝達される「セントラルドグマ」を確立した。その後、ブレナーはより複雑な生命現象を対象とした新しい生物学の創生を目指していた。当時、彼は、解明すべき課題として、「多細胞生物の体を形づくるしくみ」や「神経系が情報を処理するメカニズム」などを考えていた。こうした課題を解明するのに適した多細胞生物モデルは何か。「神経系での情報処理を明らかにするには、神経細胞がどのように接続しているのか、を明らかにする必要がある。神経細胞の接続様式を解明するには、電子顕微鏡を使って微細な構造を観察する必要がある。電子顕微鏡で観察することができる対象は、非常に小さい。」こうしたことから、ブレナーは新たに取り組むモデル生物は、「遺伝学的解析が可能で」、「世代時間が短く」、「研究室環境で容易に飼育ができる」ということに加えて、「体が小さい」という性質を備えているべきであると考えた。こうした性質を備えた生物として、土壌に住む線虫に注目し、Caenorhabditis elegans (体長1mm)を新たなモデル生物として位置付け、研究を開始した。

(2)神経の配線図を決める

 線虫は、全身の神経がどこでどのように接続しているのかという配線図が初めて完全に明らかにされた生物であり、この歴史的な偉業を成し遂げた中心人物として、ジョン・ホワイトとニコル・トムソンが挙げられる。彼らはブレナーの研究グループに加わり、神経配線図を明らかにするプロジェクトに取り組んだ。このプロジェクトでは、線虫を超薄型の切片にスライスし、スライス1枚1枚を電子顕微鏡で撮像し、どの神経細胞とどの神経細胞がどこでどのように接続しているかを解明していった。これは、例えて言えば、一本のキュウリを2万枚の輪切りにし、全ての輪切り断面の写真を撮って、2万枚の写真が空間的に繋がるように位置を合わせながら、キュウリ内部の微細な構造を観察する、といった非常に気が遠くなるような作業である。トムソンは、電子顕微鏡のスペシャリスト、ホワイトはエンジニアであったことから、彼らの専門知識なくしてはこの偉業は達成されなかったであろう。この研究事例は、昨今でもよく言われる異分野融合によるブレイクスルーと言える。ブレナーは、のちに「科学を切り拓くのは、いつも、分野外から参入した人たちだ(I’ve always found that the best people to push science forward are those who come from outside it)」という言葉を残している。

(3)細胞系譜(細胞の家系図)を決める

 線虫は、受精卵から成虫に至るまでのすべての細胞分裂が明らかにされている唯一の多細胞生物である(2025年現在)。受精卵からどのような細胞分裂が、いつ、どこで起こり、どの細胞が最終的にどのような細胞(神経細胞、筋細胞、生殖細胞など)に分化するのか、といういわば「細胞の家系図」が明らかとなっている。これは、神経の配線図を決定した研究と同じく、膨大な時間と労力の上に結実した偉業である。この研究から、細胞の家系図は、個体間で不変であり、「線虫の成虫は、959個の細胞から構成されている」ことが明らかとなった。この偉業を成し遂げた中心人物は、ジョン・サルストンとボブ・ホルビッツである。彼らは、生きた線虫を顕微鏡下で直接観察し、すべての細胞の細胞分裂を追跡した。特にサルストンは、線虫胚(受精卵)が孵化するまでの間に558個の細胞が生じることを突き止めた(線虫は孵化後、幼虫の段階で細胞分裂を繰り返し、成虫までに959個の細胞をもつようになる)。この線虫胚の観察実験を例えるとするならば、こねて丸めた1つのパン生地に次々と仕切りが生じ、全体の大きさを変えずに558個の区画に仕切られていく様子を観察して、どの区画がどういった系譜から生まれたかを完全に追跡する、ということに等しい。さらに厄介なことに、このパン生地は、一定の時間が経つと(筋細胞が生じて分化が進むと)、自律的に体動を始めるのである!サルストンは、細胞系譜を報告した論文の中で、「我々が報告した細胞系譜にエラーがないと考えるのは望みすぎであろう」と自らの仕事への警鐘を書き残している。しかしながら、サルストンが決定した細胞系譜に対するホルビッツの信頼は厚く、のちに、「ジョンが間違えることは有り得ない」という言葉を残している。実際に、細胞系譜の完全な記述(1983年)から40年以上が経った現在においても、線虫の細胞系譜は当時の姿から書き変わっていない。

参考資料
1) Errol C. Friedberg著 「SYDNEY BRENNER A Biography」、Cold Spring Harbor Laboratory Press

監修者
中野俊詩 1976年東京都生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。現在、名古屋大学にて線虫の発生・休眠・行動・意思決定の研究を行っている。

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4.ゲノム・遺伝子

準備中

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5.線虫の研究とノーベル賞

(1)線虫の基礎研究:ブレナー、サルストン、ホービッツ

 線虫C. elegansについて、初めて基礎的な研究を行ったのはイギリスのブレナー(S. Brenner)であり、1960年代のことであった。彼は著名な分子生物学者であったが、動物の発生や神経系を解析したいと考え、多くの教科書や文献を調べて対象とすべき動物を探した。そして線形動物門の動物である線虫が良いと考え、60種類以上の線虫を飼育・観察した結果C. elegansを選んだ。

 ブレナーは、変異誘導剤EMSを用いて形態、運動、発生などについて異常を示すエレガンス線虫の変異体を多数分離し、それらを用いて遺伝子地図を作成した(線虫遺伝学の確立、1974年論文発表)。第2に、エレガンス線虫に含まれる900余りの体細胞の約1/3を占める神経細胞からなる神経系の微細構造をホワイトらと共に解析した1986年論文発表)。第3として、イギリス人のサルストン(J. E. Sulston)、アメリカ人ホービッツ (H. R. Horvitz)と共にエレガンス線虫の全体細胞の生成過程(細胞系譜)を明らかにした(1977年、1983年論文発表)。

 これらの業績に対して、2002年上記3人にノーベル生理学・医学賞が授与された(「器官の発生及びプログラム細胞死の遺伝的制御に関する発見」)。ここに、3人の写真を示す。

(2)RNA干渉の発見:ファイアとメロ

 ファイア (A. Z. Fire) はアメリカ人であるがイギリスに留学し、ケンブリッジ大学の分子生物学研究所で線虫の研究を行った。その内容は、線虫にDNAを注入し、そこに含まれる遺伝子を発現させるという重要な方法(形質転換)の確立であった(1986年論文発表、図2)。アメリカに帰国後、1986年からカーネギー発生学研究所の研究員となり、線虫に特定の遺伝子を導入し、発現させる目的で運び屋(ベクター)として用いるプラスミドと呼ばれる環状DNAを作成した。次に、アンチセンス核酸と呼ばれる、発現を抑えたい標的遺伝子のメッセンジャーRNA(mRNA)と相補的な核酸に関連した研究であった。この中で、彼は線虫の形質転換の研究者仲間であったアメリカ人のメロ(C. Mello)と共に、2本鎖RNAによる特定の遺伝子の強力な発現抑制の現象とその機構を発見した。この現象はRNA干渉と呼ばれ生物界でかなり普遍的なものであることが明らかになった。これらの業績により、ファイアとメロは2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した(「RNA干渉、または2本鎖RNAによる遺伝子発現の抑制、の発見」)。

(3)GFPの利用:チャルフィー

 チャルフィー(M. Chalfie)はアメリカ人であり、1977年に上記ホービッツと同じ英国ケンブリッジ大学分子生物学研究所の博士研究員となった。1982年にアメリカに戻り、コロンビア大学で線虫の機械的刺激(接触)の変異体の研究を続けていた。彼は1989年にGFP(Green Fluorescent Protein)と呼ばれる緑色の蛍光を発するタンパク質の存在を知り、興味を持った。彼はこれを線虫内での特定の遺伝子発現の可視化に使いたいと考えた。GFPはアメリカで研究をしていた日本人の下村修により、オワンクラゲから分離・同定されたタンパク質である。ウッズホール海洋研究所のプラッシャーにより、そのmRNAの配列をDNAに転換したcDNA(相補的DNA)が作られていた。チャルフィーはそれをもらい、線虫の機械感覚に関与するβ—チュブリンの遺伝子mec-7の転写開始信号(プロモーター)とGFPのcDNAを結合したプラスミドを作成し、線虫に導入した。すると、見事に線虫の機械感覚ニューロンのみが緑色蛍光を発した。チャルフィーはこの業績により、下村修、GFPの改変を行ったチェン(R. Y. Tsien)と共に2008年ノーベル化学賞を受賞した(「緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と発展」)。チャルフィーのGFPについての研究はわずか2週間程度しかかかっておらず、彼は超ラッキーな人である。                        

(4)マイクロRNA:ラブカン、アムブロ

 ラブカン (G. Ruvkun)、アムブロ(V. Ambros)は共にアメリカ人であるが、線虫においてマイクロRNA (microRNA) の実体とその機能の研究を精力的に行った。マイクロRNAは、タンパク質をコードしていない小さいRNAであり、エレガンス線虫においては140以上の遺伝子から発現され、発生・行動・代謝・環境変化に対する行動などを調節している。このようなマイクロRNAの発見について、この2人は2024年のノーベル医学・生理学賞を受賞した。        

監修者
大島靖美 東京大学大学院博士課程修了。米国カーネギー発生学研究所博士研究員、九州大学理学部教授などを経て、現在は九州大学名誉教授。主な著書に『線虫の研究とノーベル賞への道: 1ミリの虫の研究がなぜ3度ノーベル賞を受賞したか』『動物はいつから眠るようになったのか? ―線虫、ハエからヒトに至る睡眠の進化』『400年生きるサメ、4万年生きる植物: 生物の寿命はどのように決まるのか』などがある。

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6.医療・産業界への応用

(1)GFPを生物利用する突破口としてのC. elegans

 GFP(Green Fluorescent Protein)はクラゲ由来の蛍光タンパク質で、多くの人に知られている。元はと言えば、下村修博士がクラゲから精製したタンパク質の性質を調べていて(、それをPrasher博士がクローニングしたことが前提であるが、生命科学研究に応用できることをChalife博士が示したのは線虫でトランスジェニック体でのニューロンの生体染色であった。それを多くの研究者が別の生物を含めて再現し、今では研究者でなくても光るクラゲのことはご存知であろう。Tsien博士グループの論文では、GFPにアミノ酸置換を導入することで光特性が変化することが記載されている。その後、GFPの蛍光特性変異体を始めとして、他の蛍光タンパク質の活用が盛んになった。GFPを他の蛍光タンパク質と融合するとか、GFPタンパク質にセンサー機能を持つドメインを追加するなどで、多くの生体内センサーが創り出された。これらは線虫に限らず、マウスや他のモデル生物、培養細胞でも利用でき、高機能な蛍光タンパク質を遺伝子工学的に作成し、バイオテクノロジー企業が販売したり、研究者がAddgene(https://www.addgene.org)などの企業に委託して提供する仕組みに成長している。線虫で突破口を開いたが、その後、線虫に限定されず、広範な研究に影響を及ぼした一例である。

(2)ヒトの疾患の理解に応用できる突破口としてのC. elegans

 C. elegansは個体の形態学的な記載、細胞系譜、細胞の機能、短い生活環、飼育の容易さ、先行したゲノム解析など種々のモデル生物としてのメリットが知られている。初期のC. elegans研究では、これらの特性は主として生物学的な知識の蓄積に向けられていた。しかし、モデル生物として確立し、研究者数が多くなってからはこれをヒトがより良く生きていくためのツールとしても使う研究者が増えてきた。例えば、人類にとって重要な疾患として頻度の高いものの例としてアルツハイマー病、パーキンソン病が知られ、脳の神経細胞の変性によって発症すると言われている。これらの病気はヒトの老化に伴い発症するが、C. elegansは寿命が短いが故に老化に関係する疾患の解析に有用であり、盛んに利用されている。

 線虫は実験モデルとしては有用だが、それだけで医療や産業に使うには困難が伴う。少なくとも外見上は構造や臓器構成がヒトと似ておらず、マウスなどの哺乳類実験モデルとはアプローチが異なる。上述のように、線虫では生物学的な知見やゲノム解析が先行し、ヒトに先立つこと数年、1998年に全ゲノム解読が完了した。その時に、ヒトの遺伝子に構造や機能上で良く似ているだろうと思われる遺伝子がたくさん発見され、分子細胞レベルでは線虫とヒトの類似性は枚挙に暇がない。その中でも、マイクロRNAは線虫の発生生物学解析で初めて発見された代表例である。マイクロRNAはその後、ヒトゲノム上にも多数存在していることが分かり、線虫と類似の作用を持っていること、ヒトの疾患での発現変化が重要であることが知られるようになっている。2024年にはその業績でDr.V. AmbrosとDr.G.Ruvkunにノーベル生理学医学賞が授与されている。ヒトのマイクロRNAは疾患のメカニズム研究として多数の論文が発表されているが、その先には、マイクロRNAを測定することで癌の診断が可能というところまで進んでいる。遺伝子検査という産業化も始まっていることは、先駆的な仕組みの解明が医療・産業に応用されることについては、線虫も例外でないことを示している。

参考資料
1) Shimomura O,Structure of the chromophore of Aequorea Green Fluorescent Protein, 1979 FEBS Letters 104:220-222
2) Prasher DC, Eckenrode VK, Ward WW, Prendergast FG, Cormier MJ. Primary structure of the Aequorea victoria green-fluorescent protein. Gene. 1992 Feb 15;111(2):229-33. doi: 10.1016/0378-1119(92)90691-h
3) Chalfie M, Tu Y, Euskirchen G, Ward WW, Prasher DC. Green fluorescent protein as a marker for gene expression. Science. 1994 Feb 11;263(5148):802-5. doi:  10.1126/science.8303295
4) Heim R, Prasher DC, Tsien RY. Wavelength mutations and posttranslational autooxidation of green fluorescent protein. Proc.Natl.Acad. Sci.USA, 1994 Dec 91, 12501-12504.
5) Lee RC, Feinbaum RL, Ambros V. The C. elegans heterochronic gene lin-4 encodes small RNAs with antisense complementarity to lin-14. Cell. 1993 Dec 3;75(5):843-54. doi: 10.1016/0092-8674(93)90529-y.
6) Wightman B, Ha I, Ruvkun G. Posttranscriptional regulation of the heterochronic gene lin-14 by lin-4 mediates temporal pattern formation in C.elegans. Cell. 1993 Dec 3;75(5):855-62. doi: 10.1016/0092-8674(93)90530-4.
7) Matsuzaki J, Kato K, Oono K, Tsuchiya N, Sudo K, Shimomura A, Tamura K,Shiino S, Kinoshita T, Daiko H, Wada T, Katai H, Ochiai H, Kanemitsu Y, Takamaru H, Abe S, Saito Y, Boku N, Kondo S, Ueno H, Okusaka T, Shimada K, Ohe Y, Asakura K, Yoshida Y, Watanabe SI, Asano N, Kawai A, Ohno M, Narita Y, Ishikawa M, Kato T, Fujimoto H, Niida S, Sakamoto H, Takizawa S, Akiba T, Okanohara D, Shiraishi K, Kohno T, Takeshita F, Nakagama H, Ota N, Ochiya T; Project Team for Development and Diagnostic Technology for Detection of miRNA in Body Fluids.Prediction of tissue-of-origin of early stage cancers using serum miRNomes. JNCI Cancer Spectr. 2023 Jan 3;7(1):pkac080. doi: 10.1093/jncics/pkac080.

監修者
三谷昌平 1958年鳥取県生まれ。東京大学医学部医学科卒業、医師。2024年、東京女子医科大学名誉教授、日本歯科大学生命歯学部客員教授、2025年4月からは東京女子医科大学学長

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