線虫はどんな生き物なの?
線虫はどんな生き物なの?
目次

Illustrated by Hiroko Uchida
準備中
1.線虫とは
(1)「線虫」とは何か
「線虫」と聞くと線形動物門に属する動物一般を思い浮かべるかもしれないが、このHPを運営する「虫の集い」では、主に土壌自活線虫Caenorhabditis elegans(略称C.elegans シー・エレガンス)のことを指す。

C.elegansは、その名の通りエレガントな虫で、体長約1mmの細長く透明な体をもつ。個体差がほとんどなく、光学顕微鏡で959個の体細胞をひとつひとつ同定できる。寒天培地上で育てた大腸菌を餌として、簡単に飼える。雌雄同体と雄がいて、1匹の雌雄同体は自家受精を行なって約300個の卵を産み、卵は約3日で成虫になってまた産卵する。様々な変異体を分離でき、雄を使うと交雑ができるので遺伝学実験が可能。世界的なC.elegansグループがあり、隔年に集会を開いて研究発表や交流を行なっている。C.elegansに関する情報を集めたサイト(Wormbase, Wormatlas)、オンラインの教科書(Wormbook)、変異体の蒐集と配布を行うセンター(CGC)もある。このように、線虫C.elegansは優れた「モデル生物」として科学に貢献している。
(2)何のための線虫C.elegans研究か
世界中の研究者は、何のために線虫C.elegansを使って研究をしているのか。それは、「生命とは何か」という、人類のもつ根本的な謎に、自然科学の方法を使って答えるためである。 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、生命(プシュケー)とは生物の働き(栄養摂取・感覚・運動・欲求・理性など)をつかさどる原理であると言った。その後、近世になって「仮説を立てて検証する」という自然科学の方法が現れて生命の研究は着実に進歩し、19世紀には細胞・進化・遺伝子という全生物に共通の基盤が発見されるに至った。さらに20世紀に入ると、情報とシステムをキーワードとして、DNAの遺伝情報から生物の働きがどのように生じるかを分子レベルで解明するようになる。その中でC.elegansは発生や行動のメカニズムを解明するための研究材料として採用され、他の分野も含めて、生物の謎をいくつも解明してきた。線虫で正しいことの多くは、基本的にヒトでも正しい。線虫C.elegans研究は今後も発展し、生物の素晴らしさを明らかにすることが期待されている。
監修者
桂 勲 1945年神奈川県生まれ、東京大学大学院博士課程修了。現在、国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。
5.線虫の研究とノーベル賞
(1)線虫の基礎研究:ブレナー、サルストン、ホービッツ
線虫C. elegansについて、初めて基礎的な研究を行ったのはイギリスのブレナー(S. Brenner)であり、1960年代のことであった。彼は著名な分子生物学者であったが、動物の発生や神経系を解析したいと考え、多くの教科書や文献を調べて対象とすべき動物を探した。そして線形動物門の動物である線虫が良いと考え、60種類以上の線虫を飼育・観察した結果C. elegansを選んだ。
ブレナーは、変異誘導剤EMSを用いて形態、運動、発生などについて異常を示すエレガンス線虫の変異体を多数分離し、それらを用いて遺伝子地図を作成した(線虫遺伝学の確立、1974年論文発表)。第2に、エレガンス線虫に含まれる900余りの体細胞の約1/3を占める神経細胞からなる神経系の微細構造をホワイトらと共に解析した1986年論文発表)。第3として、イギリス人のサルストン(J. E. Sulston)、アメリカ人ホービッツ (H. R. Horvitz)と共にエレガンス線虫の全体細胞の生成過程(細胞系譜)を明らかにした(1977年、1983年論文発表)。
これらの業績に対して、2002年上記3人にノーベル生理学・医学賞が授与された(「器官の発生及びプログラム細胞死の遺伝的制御に関する発見」)。ここに、3人の写真を示す。

(2)RNA干渉の発見:ファイアとメロ
ファイア (A. Z. Fire) はアメリカ人であるがイギリスに留学し、ケンブリッジ大学の分子生物学研究所で線虫の研究を行った。その内容は、線虫にDNAを注入し、そこに含まれる遺伝子を発現させるという重要な方法(形質転換)の確立であった(1986年論文発表、図2)。アメリカに帰国後、1986年からカーネギー発生学研究所の研究員となり、線虫に特定の遺伝子を導入し、発現させる目的で運び屋(ベクター)として用いるプラスミドと呼ばれる環状DNAを作成した。次に、アンチセンス核酸と呼ばれる、発現を抑えたい標的遺伝子のメッセンジャーRNA(mRNA)と相補的な核酸に関連した研究であった。この中で、彼は線虫の形質転換の研究者仲間であったアメリカ人のメロ(C. Mello)と共に、2本鎖RNAによる特定の遺伝子の強力な発現抑制の現象とその機構を発見した。この現象はRNA干渉と呼ばれ生物界でかなり普遍的なものであることが明らかになった。これらの業績により、ファイアとメロは2006年にノーベル生理学・医学賞を受賞した(「RNA干渉、または2本鎖RNAによる遺伝子発現の抑制、の発見」)。

(3)GFPの利用:チャルフィー
チャルフィー(M. Chalfie)はアメリカ人であり、1977年に上記ホービッツと同じ英国ケンブリッジ大学分子生物学研究所の博士研究員となった。1982年にアメリカに戻り、コロンビア大学で線虫の機械的刺激(接触)の変異体の研究を続けていた。彼は1989年にGFP(Green Fluorescent Protein)と呼ばれる緑色の蛍光を発するタンパク質の存在を知り、興味を持った。彼はこれを線虫内での特定の遺伝子発現の可視化に使いたいと考えた。GFPはアメリカで研究をしていた日本人の下村修により、オワンクラゲから分離・同定されたタンパク質である。ウッズホール海洋研究所のプラッシャーにより、そのmRNAの配列をDNAに転換したcDNA(相補的DNA)が作られていた。チャルフィーはそれをもらい、線虫の機械感覚に関与するβ—チュブリンの遺伝子mec-7の転写開始信号(プロモーター)とGFPのcDNAを結合したプラスミドを作成し、線虫に導入した。すると、見事に線虫の機械感覚ニューロンのみが緑色蛍光を発した。チャルフィーはこの業績により、下村修、GFPの改変を行ったチェン(R. Y. Tsien)と共に2008年ノーベル化学賞を受賞した(「緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と発展」)。チャルフィーのGFPについての研究はわずか2週間程度しかかかっておらず、彼は超ラッキーな人である。
(4)マイクロRNA:ラブカン、アムブロ
ラブカン (G. Ruvkun)、アムブロ(V. Ambros)は共にアメリカ人であるが、線虫においてマイクロRNA (microRNA) の実体とその機能の研究を精力的に行った。マイクロRNAは、タンパク質をコードしていない小さいRNAであり、エレガンス線虫においては140以上の遺伝子から発現され、発生・行動・代謝・環境変化に対する行動などを調節している。このようなマイクロRNAの発見について、この2人は2024年のノーベル医学・生理学賞を受賞した。
6.医療・産業界への応用
(1)GFPを生物利用する突破口としてのC. elegans
GFP(Green Fluorescent Protein)はクラゲ由来の蛍光タンパク質で、多くの人に知られている。元はと言えば、下村修博士がクラゲから精製したタンパク質の性質を調べていて(、それをPrasher博士がクローニングしたことが前提であるが、生命科学研究に応用できることをChalife博士が示したのは線虫でトランスジェニック体でのニューロンの生体染色であった。それを多くの研究者が別の生物を含めて再現し、今では研究者でなくても光るクラゲのことはご存知であろう。Tsien博士グループの論文では、GFPにアミノ酸置換を導入することで光特性が変化することが記載されている。その後、GFPの蛍光特性変異体を始めとして、他の蛍光タンパク質の活用が盛んになった。GFPを他の蛍光タンパク質と融合するとか、GFPタンパク質にセンサー機能を持つドメインを追加するなどで、多くの生体内センサーが創り出された。これらは線虫に限らず、マウスや他のモデル生物、培養細胞でも利用でき、高機能な蛍光タンパク質を遺伝子工学的に作成し、バイオテクノロジー企業が販売したり、研究者がAddgene(https://www.addgene.org)などの企業に委託して提供する仕組みに成長している。線虫で突破口を開いたが、その後、線虫に限定されず、広範な研究に影響を及ぼした一例である。
(2)ヒトの疾患の理解に応用できる突破口としてのC. elegans
C. elegansは個体の形態学的な記載、細胞系譜、細胞の機能、短い生活環、飼育の容易さ、先行したゲノム解析など種々のモデル生物としてのメリットが知られている。初期のC. elegans研究では、これらの特性は主として生物学的な知識の蓄積に向けられていた。しかし、モデル生物として確立し、研究者数が多くなってからはこれをヒトがより良く生きていくためのツールとしても使う研究者が増えてきた。例えば、人類にとって重要な疾患として頻度の高いものの例としてアルツハイマー病、パーキンソン病が知られ、脳の神経細胞の変性によって発症すると言われている。これらの病気はヒトの老化に伴い発症するが、C. elegansは寿命が短いが故に老化に関係する疾患の解析に有用であり、盛んに利用されている。
線虫は実験モデルとしては有用だが、それだけで医療や産業に使うには困難が伴う。少なくとも外見上は構造や臓器構成がヒトと似ておらず、マウスなどの哺乳類実験モデルとはアプローチが異なる。上述のように、線虫では生物学的な知見やゲノム解析が先行し、ヒトに先立つこと数年、1998年に全ゲノム解読が完了した。その時に、ヒトの遺伝子に構造や機能上で良く似ているだろうと思われる遺伝子がたくさん発見され、分子細胞レベルでは線虫とヒトの類似性は枚挙に暇がない。その中でも、マイクロRNAは線虫の発生生物学解析で初めて発見された代表例である。マイクロRNAはその後、ヒトゲノム上にも多数存在していることが分かり、線虫と類似の作用を持っていること、ヒトの疾患での発現変化が重要であることが知られるようになっている。2024年にはその業績でDr.V. AmbrosとDr.G.Ruvkunにノーベル生理学医学賞が授与されている。ヒトのマイクロRNAは疾患のメカニズム研究として多数の論文が発表されているが、その先には、マイクロRNAを測定することで癌の診断が可能というところまで進んでいる。遺伝子検査という産業化も始まっていることは、先駆的な仕組みの解明が医療・産業に応用されることについては、線虫も例外でないことを示している。
参考資料
1) Shimomura O,Structure of the chromophore of Aequorea Green Fluorescent Protein, 1979 FEBS Letters 104:220-222
2) Prasher DC, Eckenrode VK, Ward WW, Prendergast FG, Cormier MJ. Primary structure of the Aequorea victoria green-fluorescent protein. Gene. 1992 Feb 15;111(2):229-33. doi: 10.1016/0378-1119(92)90691-h
3) Chalfie M, Tu Y, Euskirchen G, Ward WW, Prasher DC. Green fluorescent protein as a marker for gene expression. Science. 1994 Feb 11;263(5148):802-5. doi: 10.1126/science.8303295
4) Heim R, Prasher DC, Tsien RY. Wavelength mutations and posttranslational autooxidation of green fluorescent protein. Proc.Natl.Acad. Sci.USA, 1994 Dec 91, 12501-12504.
5) Lee RC, Feinbaum RL, Ambros V. The C. elegans heterochronic gene lin-4 encodes small RNAs with antisense complementarity to lin-14. Cell. 1993 Dec 3;75(5):843-54. doi: 10.1016/0092-8674(93)90529-y.
6) Wightman B, Ha I, Ruvkun G. Posttranscriptional regulation of the heterochronic gene lin-14 by lin-4 mediates temporal pattern formation in C.elegans. Cell. 1993 Dec 3;75(5):855-62. doi: 10.1016/0092-8674(93)90530-4.
7) Matsuzaki J, Kato K, Oono K, Tsuchiya N, Sudo K, Shimomura A, Tamura K,Shiino S, Kinoshita T, Daiko H, Wada T, Katai H, Ochiai H, Kanemitsu Y, Takamaru H, Abe S, Saito Y, Boku N, Kondo S, Ueno H, Okusaka T, Shimada K, Ohe Y, Asakura K, Yoshida Y, Watanabe SI, Asano N, Kawai A, Ohno M, Narita Y, Ishikawa M, Kato T, Fujimoto H, Niida S, Sakamoto H, Takizawa S, Akiba T, Okanohara D, Shiraishi K, Kohno T, Takeshita F, Nakagama H, Ota N, Ochiya T; Project Team for Development and Diagnostic Technology for Detection of miRNA in Body Fluids.Prediction of tissue-of-origin of early stage cancers using serum miRNomes. JNCI Cancer Spectr. 2023 Jan 3;7(1):pkac080. doi: 10.1093/jncics/pkac080.
監修者
三谷昌平 1958年鳥取県生まれ。東京大学医学部医学科卒業、医師。2024年、東京女子医科大学名誉教授、日本歯科大学生命歯学部客員教授、2025年4月からは東京女子医科大学学長