5.朝自然に目覚めると7時半。早起きの某教授はすでにいない。散歩であろ う。顔を洗ってから、少し発表の準備をする。8時前になると隣の部屋で死ん でる人々を起こし、朝食を食べに行く。その後また部屋に戻り、全て片付けて チェックアウトしてから再びゼミ室で勉強会。
二日目に発表するのは二組だけで、両方ともハーディンの論文を紹介する。 一つ目は、今回の幹事でもあるM2のす○きさんと2回生の○しだくんによる 「共有地の悲劇」。
これもベンタムの「最大多数の最大幸福」を曲解したりしてひどいが、言 いたいことはごくごくシンプル。すなわち「自由放任はだめだから法規制を せよ、人口制限を国家が強力に進めよ」という、論文の出た1968年当時ならま あ理解できる内容。
しかしハーディンってホッブズとかロックとかの政治哲学をちょっとでも 知ってるんですかね。スミスやベンタムの理解もめちゃくちゃ怪しいし。まあ、 そもそも彼は人類生態学の教授だからね。
二つ目で、しかも今回最後の発表は、こだまと、学士入学した3回生のかん ○きさんと、5回生のふじ○まさん。内容はご存知、「救命ボートの倫理」。
ハーディンに対する批判は皆がすると思ったので、急拠予定を変更してこ だまは「バーチャ・ハーディン」と名乗り、ハーディン擁護側にまわった。案 の定、皆ハーディンに対して厳しい批評を述べて来る。対するこだまも割とま ともな返答をしたつもりである。
好意的に見れば、ハーディンの主張は「働かざる者食うべからず。われわ れアメリカ人は努力してここまでの富を築いて来たのだ。だから無為に暮らす 貧しい国々に対して偽善的に食糧援助を行なうよりも、残りわずかな資源をわ れわれの次の世代のアメリカ人のために残しておくべきである」という、小市 民の常識的意見を代表しているのである。ただし事実認識(現状の把握)に相当 問題があるが。
発表はなかなか上首尾に行ったと思う。もっとも、二日目の朝ということ もあって、二日酔いで死にそうな3級も含め、テンションの低い人も何人かい たけれども。(一日目の夕方から来られたくら○さんは元気そうでした--やは り酒を飲まない人間は強い)
6.さて、勉強会が終わって昼食を取り、一応解散ということになった。バス は昼過ぎに一本出ると、夕方までないので、すぐに帰る人々が大半だったが (彼らは一体何しに来たんだ?)、一部の人は残ってテニスをしたり、また散歩 をしたりして夕方まで過ごすことになった。
二日酔いで青い顔をした3級は「今バスに乗ったら死ぬ」ので、残ることに された。○くだくんは勉強するのでと言ってさっさと帰った。お○のさんが 「マンガン記念館」に行こう行こうと言われるので、3級と5級とつ○たさんと こだまは一緒に行くことになった。某助教授は「マンガンよりテニスぢゃ」と 言ってテニス派に合流された。
正直な話、最初は誰もマンガン記念館にはたいして期待していなかったの である。それがあれほど面白い場所とは。いやはや。びっくり。