97年度倫理学研究室夏合宿 in 京北町


7.というわけで、勉強会が終わってから3級、5級、○くのさん、つる○さ ん、そしてこだまで「丹波マンガン記念館」へと旅立ったのである。さっきも 書いた通り、誰もそれほど期待していたわけではなく、まあ時間つぶしにはちょ うどいいや、ぐらいに考えていたのである。

とりあえず5人は山を降りて(それほど高いわけではない)、すぐそばの京北 病院の前で記念撮影する。

某氏「京北病院の前で写真を取るって、不謹慎だよねー。阪神大震災の被 災地でピースサインしながら記念撮影するのと変わらないよね」

某氏「そうだよ、俺はとても罪深い人間だ」

某氏「うむ……仏教ではそのことを業というな」

とかなんとか言いながらしっかり写真撮影して、マンガン記念館へと向か う。

(道中、こだまはふと3級に「荒野のマンガンってのはどうすか」とか言っ てみたくなったが、「くだらん」と一蹴されるのがオチだと思い、すんでのと ころで思い留まる)


8.『丹波マンガン記念館へようこそ』と大きな字で書かれた門をくぐり抜 けて、閑静な杉林の中を1キロほど歩くと、錆びれた工事現場のような記念館 に辿り着く。入場料は大人800円と結構高い。しかし今から思えばそれだけ払 う価値は十分にあった。

資料館兼記念品売場に荷物を置かせてもらってから、実際に使われていた 坑道に入る。入る前に白い作業用ヘルメットを被るのだが、3級はやたらと似 合うと皆にほめそやされる。

坑内はひんやりとしていて気持ち良い(10度前後)。往時の坑内の作業を再 現するために使われているマネキンはやたらに背が高くて大変不気味である (しかもなぜか西洋人)。いつ動き出すかわからないので小心者のこだまは震え る。

また、大半は木杭で支えられている坑道そのものもいつ崩れるかわからず、 大変怖い。5級が「ほらほらここも壁が崩れる」と壁の土をえぐるので、「や やや、やめてくださいっ」とこだまがヒステリックに叫ぶ。ポタポタ落ちて来 る水が背中に入る。ひーん。

というわけで下手なお化け屋敷よりもよっぽど怖い。それに現実にこの中 で何人も死んでいるはずなのである…。夏に涼みに行くには最適な場所であろう。

15分ほど坑道の中をさまよい歩くと、出口に出る。ああ怖かった怖かった と言いながら資料館に入ると、そこには無知なこだまにとって非常にショッキ ングな写真が待ち構えていた。


9.坑道内で3級が話されていた通り、ここで働いていた人の大半は朝鮮から強 制的に連れて来られてきた人達だったのである。彼らの写真の下には彼らがそ れぞれどうやってここへ連れられて来たか、そしてどのような病気にかかって 死んだかなどが書かれており、大変心臓破壊的でこだまは心苦しくなった。

歴史の重みを知ってちょっと暗くなったところで、記念品売場に移動する。 ここには、ここで採れた石だけでなく、いろいろな国の様々な種類の石が売っ ている。「おれ前から化石が欲しかったんだよなぁ」と言って3級がアンモナ イトの化石を買う。次は隕石を買われるらしい。

記念品売場のおじさんは大変愉快な方で、様々な石をおもしろおかしく紹 介してくれる。中でも興味深かったのは「テレビ石」で、お○のさんと5級が お金を出し合って一つ購入された。

(説明しにくいが、テレビ石とは半透明の石で、上面と下面が平らに削られ ている(厚さは5センチほど)。石の下に字が書いてある紙などを置いて上から 覗くと、不思議なことにまるで石の上面の部分にその字が書いてあるかのよう に見える。おじさんの話ではこの石をヒントにしてブラウン管が発明されたの だそうだ。本当かどうかは知らないが)

というわけでマンガン記念館はスリルとサスペンスを味わえ、さらに歴史 の勉強にもなる非常に面白いところである。はっきり言って京北町に行ってこ こを訪れない人はモグリだっ。…なんか今にもつぶれそうな気配だったので、 このすばらしい記念館がつぶれる前にみんな一度は行ってみましょうね。


10.さて、その後われわれ5人小隊はそこらの寺などを急襲したり、川で泳 いでるガキどもにつばを吐きかけたりして(ウソ)時間をつぶし、帰りのバスに 乗った。偶然そのバスで、テニスを終えてちょうど帰途に着いていた別の小隊 と合流する。

バスが混んでいたため、途中から乗ったわれわれは立つことになったのだ が、疲れている上にバスがやたらと揺れるので、もう気分は最悪になる。

某氏「吊り革を持っている腕が筋肉痛で痛い〜」

こだま「ん?筋弛緩剤打ちましょうか?」

などとバカを言ってる余裕もしばらくするとなくなり、つる○さんが倒れ、 5級が倒れ、座っていたテニス組の人に席を譲ってもらう。

こだまもふらふらになるが、なんとか最後まで立っていた。平気そうな顔 で立っていた3級も、後から聞くと相当こたえていたそうだ。

やがてバスは無事京都市内に戻り、3級やこだまは四条大宮で降りた。こだ まは家に帰ったが、他の人達がその後どうなったのかは誰も知らない……

(完)


Special Thanks to ...

ゼミナールハウスの方々

丹波マンガン記念館のおじさんとおばさん

京北町のその他の皆様

倫理学研究室の人々(特に幹事の鈴木さん…ごくろうさまでした)


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Satoshi Kodama
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Last modified on 07/24/97
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