スタンステッド空港からリヤンエアーで夕方ピサに無事到着。 今回の旅行のメンバーは、某イタリア人、某ベルギー人、某香港人、 某日本人(おれ)。
某イタリア人の妹の彼氏のところに泊めてもらうと聞いていたが、 車で空港まで迎えに来てもらい彼氏の家に到着すると、 こんなところに無料で泊めてもらっていいんだろうかというほどの豪邸で驚く。 彼氏はイランとイタリアのハーフだそうで、 イランの父親はテヘランの大使館に勤めているとか。
夜遅くに夕食(スパゲティ)を食べ、さてもう寝るのかと思うと、 これからピサの市街に出るという。夜の11時ごろから2時ごろまで ピサの市内をうろつく。ピサの斜塔やピサ大学も見る。 夏は日中暑いせいか、夜中に大勢の若者が街をうろついている。 アジア人にはまったく会わず。
こっちに来るまでイタリアのお金についてぜんぜん知らなかったが、 リラは現在1ポンド3000リラくらいで、コカコーラは2000リラ、 マクドで昼食を食べると8000リラくらいだそうだ。 とりあえずATMを使って500000リラほど入手した。 まだあまり感覚がつかめないが、2000リラが100円、20000リラが1000円、 200000リラが1万円くらいだとすると、 500000リラは2万5千円くらいだろうか。
明日はルカに行くらしい。
[ちなみに、このピサの斜塔の写真はもともと暗くて判別しにくかったため、
イメージエディタでかなり手を加えました]
イタリアの生活は怠惰で(この家の住人に限られるのかもしれないが)、 午前中は誰も起きてこない。 お昼すぎになってようやくみなぼつぼつと起きだしてきて、 タバコを吸いながら雑談をしばらく続けたあと、 昼下がりにようやく外出することになる。
今日はルッカに行ってきた。プッチーニが生まれたところらしい。 とくに何もない町だが、町をぐるりと囲んでいる城壁が川の土手のようになっていて、 そこを歩くと涼しい風が吹いていて快適である。 モッツァレラ・チーズのうまさに開眼する。
ピサに車で帰る途中、かなり道に迷う。
夕食はパスタ。 キアンティ(トスカナ産赤ワイン)を飲まされる。 食事中、サッカーの話で盛り上がるが、ついて行けず悲しい思いをする。 ちゃんと勉強していくんだった。
今日もお昼すぎに出発。 最初にアラバスター(石雪石膏)細工で有名なヴォルテッラに行く。 ヨーロッパで唯一のアラバスター職人養成学校があるだけあって、 その超絶技巧には驚かされた。
また、この町はなんでもエトルリア人が作った古い町だそうで、
ローマ時代の劇場も廃墟として残っている。
次にヴォルテッラのそばのサン・ジェミニャーノに行く。 ここはそびえたつ塔を背景とした青空で有名な町で、 観光客で賑わっている。 おれもいくらかおみやげを買い、観光客としての役割を立派にはたした。
あとでガイドを読むと、
イタリアで一番のアイスクリーム屋があったらしい。
見逃してしまった。残念。
イタリアは夕食も遅い(この家の住人に限られるのかもしれないが)。 今日は11時すぎに近くのピザ屋(pizzeria)に行き、 1時近くまで食事を続ける。ピザ、うまい。 イタリア人にとってのスパゲティは日本人にとってのうどんか蕎麦のようなもので、 ピザはお好み焼きのようなものだろうかとか考える。 ビールとベイリーズ(カフェオレにアルコールをまぜたような飲み物) を飲まされる。
今日はお昼にピサの町に出て、斜塔と大学をすこし見学しただけで、 とくに活動せず。
時間を無駄に過ごすのはちょっともったいない気もするが、 休暇なので気楽にやろう(と自分に言いきかせる)。
ここは日本のように蒸し暑い。
英国にはいなかった蚊にも刺される。
あせもも出てきた。
夜、先に述べた某イタリア人の友人の妹の彼氏であり、 現在泊まっている家の(実質上の)主人でもある某が、 ピサの地元サッカーチームの試合(準決勝)に出るというので、 町に出て観戦する。
試合を見るはずだったが、試合があまりに退屈だったので、 おれと友人たちはいつのまにかコートのわきに置いてあった サッカーゲーム(台の横に四つずつあるハンドルを 押したり回したりして、ボールをゴールに入れるやつ)に夢中になり、 気がついたら試合が終わっていた(勝ったらしい)。
そのあと大学のそばの食堂でパニーニ(サンドイッチ)を食べ、 帰宅。
今日も遅起きして午後から活動を開始。 巨大なスーパーマーケットで買物をして4時すぎに昼食を食べたあと、 ピストルの語源となった町ピストイアに出発。
ピストイアに行くことにしたのは、 ヴァン・モリソンのコンサートがあると先日聞いたので、 それじゃ観光ついでに見に行こうかという話になったからだが、 町に着いたらコンサートがはじまる時間が迫っていたので結局観光はせず。
[注: 写真と本文は関係ありません]
それで肝心のコンサートはというと、 ヴァン・モリソンはもう年寄りだしあまり期待していなかったのだが、 予想に反してかなりよかった。 あの太くてつやのある声を生で聞くとやはり感動する。ひたすらしぶい。 `Gloria'はやってくれなかったが、 `Baby, please don't go'とか `Boon, boon'(だっけ?)や、`Bright side of the road'、 `Brown-eyed girl'、`Have I told you lately'など、名曲を披露してくれた。
そういえば、先日ジョン・リー・フッカーが亡くなったらしい。合掌。
早起きして電車に乗り、ローマへ。 ローマへは某香港人(以下某嬢)と二人で行く。
ローマ駅からタクシーに乗り、 姉から聞いていたパンテオンのそばにあるホテルにチェックイン。 パンテオンの中を覗いたあと、 道に迷いながらようやくトレヴィ噴水に辿りつく。
さらにポポロ広場からコルソ大通りを南に歩き、 ヴィットーリオ・エマヌエレ・モニュメントを見上げ、 ローマフォーラムを一望し、 テベレ川を渡ってトラステーベレ周辺に行き、 おいしい夕食を食べる。
それからふたたび道に迷ったあと、夜のトレヴィ噴水に辿りつき、
一息ついたあとホテルに戻る。
某嬢は彼氏が香港で待っているのだが、 おれと一緒にツインの部屋に泊まると電話で聞いてすこし怒ったらしい。
ローマ二日目。ホテルはエアコンがなく、窓を開けるとかなりうるさいので、 某嬢はいささか不満の様子。たしかにローマはピサよりも暑い。
今日は朝からヴァチカン市国へ。先日から調子が悪くなりつつあったデジカメが ついに全壊する。鏡筒を前後させるモータかギアがいかれたらしい。ついてない。
カトリックの総本山であるサンピエトロ(聖ペテロ)寺院は、 異常なまでにけばけばしい内装で、 ミケランジェロのピエタ以外は絵画も彫刻も吐き気がするほど悪趣味である。 ここには神はいない。
この日は観光客で相当混んでいたので、ドームの上には翌日に登ることにして、 簡単な食事をしたあと、 サントアンジェロ(聖天使)城を見学に行く。 ローマ時代に建てられた城をのちに教皇用に作り変えたらしいこの城は、 内装も頂上からの見晴らしもなかなか楽しめる。
そのあと、去年8月ごろにロンドンで知りあったイタリア人に会い、 しばらくショッピング街を歩いたり、公園を散歩したりする。
日が暮れたので、ヴァティカン市国のそばのレストランで海鮮料理を食べたあと、 バスに無賃乗車して(払い方がわからなかった)ホテルに戻る。
ところで、上のレストランには中田のサインがあったが、 ローマでは一日目から道端で「ナカタ、ナカタ」 と声をかけられることが何度かあった。 しかし、中田とおれの共通点と言えば、日本人男性であることと、 ウェブ日記を書いていることと、 名前に「とし」という音が含まれていることぐらいで、 まあどう好意的に考えても赤の他人である。 外国で日本人を見かけると「ナカタ」とか「イチロー」とか呼びかけるのは、 日本で外国人を見かけると「マドンナ」とか「クリントン」とか呼びかけるのと 同じぐらい愚かな行為だと思うのだが、どうなのだろうか。
また、イタリア人はどうも日本人と同じで英語をしゃべれない(しゃべらない)場合が 多いようだが、ローマでは日本語をかたことにしゃべる人がけっこういるようだ。
早起きしてふたたびヴァチカン市国へ。 ドームの上に登りローマを一望したあと、 ヴァチカン美術館に行く。
時間がないのでラオコーン群像のある八角形の庭と、システィナ礼拝堂と、 ラファエロ・スタンザを中心に見る。 ミケランジェロの最後の審判もラファエロのschool of Athens(アテネ学校?)も それほど感動せず。 どうもイタリア・ルネサンスのけばけばしい絵画は性に合っていないようだ。 彫刻はすばらしいのだが、 絵画になるとレンブラントとかルーベンスとかオランダ周辺の画家の方が おれの好みに合っているらしい。
そのあと、昨日会った某イタリア人女性と待合わせをして、買物に付き合ってもらう。
彼女と別れたあと、しばらく別行動をしようということになり、 おれはサンダルとジーンズと使い切りカメラを買ったあと (一年前からはいていたジーンズは先日ついにお尻のあたりが破れてしまった)、 「真実の口(ボッカ・デラ・ベリタ)」を見て、 ローマ・フォーラムのあたりで某嬢と再会する。
カンポ・デ・フィオリで夕食を取ろうということになったが、 某嬢の体調が悪いのでタクシーでホテルに戻ることになる。 某嬢は何も食べずにホテルに戻ったので、 おれはマクドナルドで買った食事をパンテオンの前の噴水のそばで食べた。
あとで気付いたが、 食事のために座ったところにチョコレート味のアイスクリームが落ちていたらしく、 新しいジーンズの尻に黒いマークができていた。ついてない。
ローマ最終日。 ボルゲーゼ美術館、カタコンベなど、 時間の都合でコロシアムを見に行くことにする。
が、ホテルをチェックアウトしてコロシアムに行ってみると、 入口に長い列ができており、時間の無駄なので、 かわりにカラカラ浴場に行くことになる。
カラカラ浴場はあまり見るべきところはない。 ローマフォーラムに入るべきだった。
昼食を食べたあと、タクシーで駅に行き、ローマからピサに戻った。
夜、すでに述べた某イタリア人の友人の妹の彼氏が、 ピサの地元サッカーチームの試合(決勝)に出るというので、 町に出て観戦する。みごと優勝。
この日はとくに外出せず。
夜、某イタリア人の友人の妹と彼女の友人の誕生日パーティが、 現在泊まっている家で開かれる。 サングリア(オレンジやスイカなどのフルーツが入った赤ワイン)をかなり飲まされる。
例によってお昼ごろに起きだし、昼下がりにピサを出発し電車でフィレンツェへ。
時間がないので駆け足で行動。 ミケランジェロのピエタ(古い方)を見て、 ウフィツィ美術館でボッティチェリその他を見たあと、 ヴェッキオ橋を渡り、バスに乗って(無賃乗車)ミケランジェロ広場へ。 高台からフィレンツェの町を見下ろしたあと、 ふたたびバスに乗って(無賃乗車)駅に戻り、ピサに帰る。 フィレンツェには約3時間しかいなかった。
[ピエタは未完成だが傑作。 ウフィツィ美術館は一部屋に飾ってある作品数が多すぎて、 一枚一枚じっと見る気がしない。 が、ボッティチェリのヴィーナス誕生と春はやはりすばらしい。 時間がなかったのでダヴィデ像はウフィツィのそばの偽物しか見ることができず]
夜、ピサに戻ったあと、貸しサッカー場でサッカーをすることになる。 男女混合で気楽にやるものだと思っていたら、 サッカー好きの男性の5人対5人の試合に参加することがわかり、 1時間ほど死ぬ思いをする。マフィアの陰謀にちがいない。
昼下がりにアレッツォに出発。途中、カステルファルフィ(Castelfalfi)と ラッダにとまり、食事を取る。アレッツォには夜に到着し、 しばらく夜中の町を歩いたあと、ホテルで休息。
ちなみにアレッツォはLife is beautifulの舞台になったところ。 町を周ると、そこここに見覚えのある広場や建物があった。
この日はさらに足を延ばしてトスカナ地方の南東部を旅行した。 まずピエンツァとモンテプルチアーノに行き(後者ではワイン・ケラーに入った)、 つぎにウンブリア地方に侵入してトラジメーノ湖に訪れ (ついでにカスティリオーネ・デル・ラーゴにも立寄った)、 そしてコルトナで一泊。安いホテルがどこも一杯だったので、 少し高めのホテルに泊まった。 夕食は、おいしくて安いピザとシーフードを食べた。
コルトナをお昼前に出発し、シエナへ。 お昼はイタリアに来てはじめて中華料理を食べる。 シエナの大聖堂はたいしたことないが、 ドミニコ教会やフランチェスコ教会は簡素で美しい。
シエナを夕方に出発して、ピサへ戻る。 夜、某イタリア人の友人の妹のフラットで、 ピザを食べる。
ところで、イギリスに比べると、 イタリアは日本の漫画がかなり輸入されているらしい。 ドラゴンボールやアラレちゃん、聖闘士星矢(だったっけ? イタリア名は 『十二宮zodiacの戦士たち』みたいな感じ)、うる星やつらなどが有名なようだ。 また、テヘランでは「おしん」が放映されているという話も聞く。
ついに最終日。お昼に起きだして、どでかいスーパーで買物をし (旅行用カバンを購入)、家で昼食を食べて夕方までゆっくりする。
スーパーで買ってきた精密ドライバーでデジカメを分解してみたら、 鏡筒部分が傾いていることに気付く。 おそるおそる力を加えてまっすぐにしたところ、歯車がかみあったらしく、 何事もなかったかのようにちゃんと動作しだした。 最終日に元に戻るとはっ、と地団駄を踏む。 しかし、修理に出さずに済んだので助かった。
夕方にガリレオ・ガリレイ空港に行き、 定刻どおりに出発し定刻どおりにロンドンに到着。 スタンステッド空港から電車に乗ってリヴァプールストリート駅に行き、 タクシーで帰宅。
二週間、楽しい旅行だった。(英国に比べると)食事はうまいし、物価は安いし、 治安も聞いていたのと比べるとずっと安全だし、 (英国に比べると)人々の多くは陽気で親切だし、 トスカナ地方は景色も美しいし、 イタリアは観光するにはたいへん良い国のようである。 機会があれば次はナポリやシシリーやサルディニアに行ってみよう。
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