世の中には二種類の人間がいる--- CDをケースの中に収める人と、ケースの上に積む人だ。
『ギョエテ格言集』より
春らしい良い天気。
今日から古本市があるので、自転車に乗って岡崎の勧業会館へ。 行くと労働者たちがメーデーの行進をしていた。
12時くらいまでいろいろ見てまわる。 思わず家賃を使い込んでしまう。
しめて1万円弱。やばい、やばいっす。
某所でサンドイッチをしばいたあと、 昼下がりにちょっと古本屋めぐりをする。
某古本屋の入口に、 今日700円ちょいで買った『進化論を愉しむ本』 が400円で売られているのを見て口惜しい思いをする。
生命倫理学の勉強。 人格を尊重すべきことを学ぶ。
生命倫理学の勉強が終わった後、 某所に行き、キムチ鍋定食を食べる。 『一二の三四郎』第7巻から第10巻まで。 豪快かつ強引な展開がすごい。 この先がどうなるのか楽しみ。
しんどい。そろそろ下宿に戻ろう。
寝不足気味だったが、 朝一番で古本市に行く。 そしたら某君も朝一番で来ていた。むむ。 しかし今日はもう倫理学関係の本がほぼなくなっていた様子だったので、 あまり大したものは買えなかった。 どうせ金もないのでそれはそれでいいのだが。
それから某君と一緒に大学に戻ってくる。
雨が降っていたので一日中寝ていた。 しかし、朝はしっかり古本市に行ったのだった:-)
かつてに比べると、本に対する選眼力がなんだかずいぶん高まった気がする。 人生短いんだから、なるべく不要な本は読まないようにしなければいけない。 (といいつつ、必要な本はほっとんど読んでないわけだが)
それはそうと、金が猛烈にない。 そ、そろそろ飛びます。 足ながおじさん大募集。
雨が止んだので夜中に大学へ。
ああ。勉強せねば。すいません。わかってます。急いでやります。
昨夜は某所でキムチ鍋を食べてから下宿に戻る。 店で『一二の三四郎』18巻まで読む。
下宿に戻ってから朝の5時くらいまでかかって江川達也の 『GOLDEN BOY』を9巻まで読む。
今日も朝から古本市に行こうと思い、 8時すぎに起きて布団を干し風呂に入り洗濯をし、 ビジネス英語を聴き食器を洗い…などなどしていると、 古本市が始まる時間を過ぎてしまったので、 めんどうになってそのまま大学に来ることにした。 ま、もう十分買ったからいいや。
先日買った『意味論入門』を読む。 ベンタムとかも出てきてなかなか役に立つ本だった。
本書の中で、『意味の意味』を書いたオグデンとリチャーズが 「基礎英語」というものを考案していることを知った。 これは、 意味論に関する考察に基づいて選択された850語の英単語によって、 会話や文章を作ってしまおうとする試みである。 関心がある人は次のサイトに行くべし。
この「基礎英語」は、日本にも戦前から輸入されており、 とくに1945年にリチャーズが書いたEnglish Through Picturesは 有名な本らしいが、残念ながらまだ見たことがない。 今度文閲に入って調べてみよう。
こりずに某所に行き、キムチ鍋。 『一二の三四郎』20巻まで読み終わる。 柔道編が一番おもしろかった。 プロレスは『一二の三四郎2』の方が迫力があった気がする。
さ、マンガばかり読んでないで勉強勉強。
BMOR読書会のまとめ。遅れて申し訳ない。いやはや。
今日やったこと
お昼から大学へ。 勉強する前にまずいろいろ用事を片付けないと。
某喫茶店でミックスサンドのセットを食べたあと、 家賃を振込みに銀行へ。 ついでに近くの某古本屋でチャンピオンを購入。
某所でカンバランドの勉強。
今日やったこと
昨晩はゆっくり下宿で本を読んで過ごす。 久しぶりに某スーパーで野菜を買い、野菜炒めを作る。 そういえば、某古本屋でも買物をした。モーニングも買った。
ふと気になって、速読の本とか、文章読本とか読んでみる。 中村真一郎の文章読本は近代日本文学史の勉強になる。 大学受験生読むべし。
速読についておもしろいエピソードを読んだのだが、 時間がないのでまたあとで。
朝遅くに起きて、風呂に入り、 ビジネス英語を聴き、スクラーの予習。
下宿に小さな蝿がわいている。うぬ。 数匹外に逃がし、数匹殺った。
お昼に下宿を出て、某喫茶店の隣の定食屋で、 エビフライ定食。腹一杯になる。
科哲の授業に出る。眠い。まとめをしないと。
さっき予告した速読の話。
パク氏が無我夢中で本を読みはじめたのは、一九六六年ごろ、 まだ国立ソウル大学校師範大学の学生のころだったという。
韓国には徴兵制がある。パク氏も他の若者と同じように、 三〇ヵ月の義務兵役を終えて再び大学に戻ってきたときのことであった。 さあ、これからは学問だと、意欲をもって臨んだ授業がさっぱり頭に入らない。 まるで頭の中がからっぽになったようで、 頭の回転も鈍っていた。 兵役で体力はたしかに向上しているのだが、 知的能力は自分でも気づかないうちにはるかに落ちていた。 しだいに欲求不満が募っていったのは、 恥ずかしい話であるが、 英語の「teacher」のスペルさえ忘れて出てこない自分自身の状態を自覚して、 愕然としたからである。
そんなとき、アメリカ留学の経験がある一人の教授から 「もっと速く読むようにしなさい。 速く読めば速く理解でき、頭脳が冴えてくる」 と言われた。 どのようにしたら速く読むことができるのか、 その教授も速読法に関する具体的な知識や情報は知らなかった。 そこでパク氏は自分なりにできることから始めたのである。 冬休みに山ほどの「ニューズウィーク」「タイム」 といった英文雑誌の古本を買いこみ、 毎晩読むことにした。
その読み方は、理解することを目的にせずに、 とにかくただ文字を追うために鉛筆や指でなぞりながら読むことだけをした。 その成果は三、四ヵ月後に少しずつ現われはじめた。 読書速度が伸びてきたのである。 今度は、図書館から厚い英語の本を借り、 同じように理解することは気にかけずに文字だけを追う方法で、 一年で五〇〇冊読んだという。 そのときも読んですぐに理解できるとは期待していなかったし、 実際一年間はそういう状態が続いたのである。
三〇〇〇冊読破したころには、 一日に自分の腰くらいの高さまでの本が読めるようになっていた。 一日に一〇〇〜二〇〇冊も読むようになると疲れも尋常ではなくなり、 図書館の前の芝生の上で意識がなくなり倒れてしまったこともあったという。 無理がたたったことと栄養不足も重なり、 さらに本の埃のせいで結核にもかかっていた。
ようやく健康を回復してからは、このような無茶な読み方の練習はやめ、 効率のいい読み方を考えはじめたのである。 これが彼の「科学的速読法」の指導プログラムの原点である。
(佐々木豊文、『速読の科学』、光文社、1995年、41-2頁)
ちょっと眉唾の話だが、思わず「すげえ」と感嘆してしまう。
生活水準向上計画の一環として、 PHSに加入しようと思い立った。 まだ金はないが、 うわさでは手続き時にはほとんど金を払わなくていいそうなので、 今日行ってみることにした。
まず、大学のそばの某電気屋に行ってみた。 この店の窓には「携帯、PHS」と書いてある。
中に入ってしばらく待ったあと、 店のおばさんに「あの〜、PHSに入りたいんですが」 と声をかける。
「え、ケータイ?」
「いや、PHSです。ピー、エッチ、エス」
「ああ、PHSね。ああ。あれね。 でも今在庫なくてねえ。 ケータイだったらたくさんあるわよ」
「いや、PHSがいいんですけど」
「けど、PHSってよく切れるし、 宝が池に行ったら通じないわよ」
「いや、宝が池には行かないんで、それでもいいんです」
(むっとして) 「けど、PHSってそろそろなくなるんじゃなかったかしら」
「え、ほんとですか。そんなことないでしょう」
「あたしはケータイをおすすめするけど」
「わかりました。 ではもうちょっと考えてからもう一度来ます」
このおばさんは自律的行為者の選択に対する尊重が足りない、 などと憤概して鼻息を荒げつつ店を出る。 出鼻をくじかれすっかりやる気をなくしてしまったが、 散歩ついでだと思って、 自転車に乗ってPHSの代理店を探しに行く。
風のたよりで、 某町にもPHSの加入代理店があると聞いていたので、 某町まで行って探してみたら、 あいにく閉まっていた。 というか、どうもつぶれた様子である。 (念のために付けくわえておくと、 この店も「PHS・携帯」と看板に書かれていた)
なんてことだろう。 ひょっとするとこれは 「電話なんて持つもんじゃありません」 という神の啓示なのかと思ったが、 ケータイの陰謀である可能性も高いので、 こうなったら何がなんでもPHSに入ってやろうと思い、 そこからはかなり遠いが、 もう一つ思いあたる店があったので、 そこまで行くことにした。
自転車で20分ぐらいかかって店に行ってみると、 ここもやはり「携帯・PHS」の両方を取り扱っている。 中に入ると、若いお姉さんが二人労働されていらっしゃる。
「あの〜、PHSに加入したいんすけど」
「はい、どのような用途でお使いする予定ですか?」
「え、(それはやはりその、 電話機の本質であるところの、 あの、受話機かつ送話機として…)。 いや、よくわからないんですが」
「おもに電話を受けるだけですか?」
「ええ、まあそうです」
(D*Iのパンフレットを広げて) 「D*Iさんだと、基本料金がこうなってるんですよね。 だけど(といって他のパンフレットを持ち出してきて) ツー○ーさんだと、だいたいこんな感じなんです」
(げ。こいつもケータイのスパイか)
「ツー○ーさんだと、長期間お使いになられると、 基本料金が、ほら! こ〜んなに下がっておとくなんです」
(それはD*Iにもある程度あてはまるじゃないか) 「ほんとですね」
「それに、知ってます? ポケット電話は、建物の中とか、つながりにくいんですよ。 けどケータイは電波が強力だから、日本全国津津浦浦、 どこでもつながります」
(ほんまか。 それにこの人、で、ででで、電磁波の恐怖を知らんのか) 「あ。なるほどなるほど。それは便利ですね。 だけど、ぼく、海外に留学するかもしれないんですよね。 だから長期間使うかどうかわからないのでやっぱりPHSにしたいと思うんですけど」
「まあそういわないで、ツー○ーにしましょうよ。ね。ね」
「いえ、やはりPHSでお願いします」
「…」
「…」
「…どうしてもPHSにするおつもりかしら?」
「ええ。PHSでお願いします」
「…」
「…」
「…わかりました。後悔なさらないように」
というわけで、緊張感溢れる対話のすえに、 ようやくPHSに加入できることになった。 書類に必要事項を記入し、 学生証と保険証のコピーを取られ、 6ヶ月間は解約しないという誓約をし、 さらにハンコをぽんぽんぽんとつくと、 手続きがあるので2時間後に来てくださいと言われた。 加入料も銀行から引き落されるらしい。
その店を出て、近くの喫茶店に入り、D*Iのパンフレットをざっと読む。 時間まで待ってようかと思ったが、 まだたっぷり1時間以上あったので、とりあえず大学に戻ってきた。 そろそろ時間なのでまた行かねばならない。めんどう。
うが。や、やられた…。
時間になったので意気揚揚とPHSを受け取りに行ったら、 店のおねえさん曰く、
「この学生証には、現住所が書いていないので、 現住所が書いてある手紙か何かを持ってきていただけますか? それから手続きをしますので。 (時計を見て) ああ、今日はもうPHSをお渡しするのは無理ですね。 また明日いらしてください(ニヤリ)」
……いい、陰謀だ。ケータイの陰謀だ。 そうに決まってる。 くそくそ。うがあ。しっ、しねしねしね。
それにしてもPHSを手に入れることがこうも大変だとは思わなかった。 ひょっとすると永遠に手に入れることができないのかもしれない。 これからPHSに加入されるみなさんも、 ケータイの陰謀にはくれぐれもお気つけください。
今日やったこと
昨夜は、ふらふらと古本屋巡りをしてから下宿に戻った。
それから下宿でラーメンを作って食べたあと、 ぼんやりと本を読んですごし、真夜中になって寝た。
お昼頃に起きる。シャワーを浴び、洗濯をし、 T・REXを聴きながらごはんを炊いて料理をする。 また野菜炒め。
ここからはちょっと汚ない話になるので、 食事中の方、 心臓の弱い方、 清潔な話が好きな方は読まないでほしい。
さて、 昨日に引き続き今日も下宿に小さなハエを10匹近く見つけた。 昨日と同様、殺るか窓から逃がすかしたが、 なぜこんなにハエがいるのだろうか?
昨日は、きっとこいつらは生ゴミからわいたに違いない、 と思ったので、 昨日から生ゴミの袋をきちんと閉めるようにしておいたのだが、 どうも当てが外れたらしい。すると原因はどこにあるのだろう?
と野菜を切りながら考えているとき、 ふと食材が無造作に積んである机に目がいった。 まさかここではないだろうな、と思って見てみると…。
ここでした。ここだったのです。 とあるビニール袋を持ち上げてみると、 何やらぐちゃぐちゃの泥のようなものが入っている。 え、そんなばかな、この袋にはニンニクが入っていたのではなかったか、 と思ってよく見ると、 そこには数匹のハエと、数匹の白い幼虫(ウジといいます)と、 そしておびただしい数のサナギが……
ギャー。ギャー。ギャー。 あれです、『エイリアン2』で リプリーがエイリアンの卵で溢れている部屋に辿りついたときの恐怖。 あれです。あれなんです。ギャー。ギャー。ギャー。
どうもニンニクを放っておいたら、 腐って茶色の泥と化してしまったらしい。 そしてそれを嗅ぎつけたハエが卵を産んで、 卵からかえった幼虫がまたハエになって卵を産んで…。 ギャー。ギャー。ギャー。
気持ち悪いけど放り投げるわけにも行かないから、 さらにビニール袋で包んで袋の口をギュッっと閉めて、 ゴミ箱に捨てた。 しかしきっとゴミ袋の中でこりずに繁殖してるだろうから、 早く月曜日のゴミの日になってくれないと困ったことになる。 ああ、考えるだけでも体中に鳥肌が。ギャー。
ついでに、 まだ開けてない(けど賞味期限の切れている)マヨネーズだとか、 いくつか他のものもゴミ箱に捨てた。
そういう恐しい体験をしたあと、 ごはんを食べて食器を片づけて洗濯物を干し、 PHSの加入手続の続きをするために某所へ。 昨日店の人に、 現住所に届いた郵便物がいると言われていたので、 とりあえず年賀状とかを持っていく。 いや、他にも郵便物はあるんだけど…。
手続きしてもらってる間、 一時間ほど待たなければならなかったので、 隣の喫茶店で時間をつぶし、 再び店へ。
PHSは無事にもらえたけど、 「じゃあ、消費税込みで5040円です」 え? 何それ?
何に対して代金を払っているのかわからないまま、 とりあえずお金を払って店を出る。 ううむ、どうやらこの電話機本体の代金らしい。 くそ。やられた。これからどうやって生きていけばいいのだ。
それが夕方の話で、 それから大学に来て3時間近くPHSの使用法を勉強していた。 PHS用のメイルアドレスももらったので、公開しておく。 電話番号は秘密っす。
bentham@pdx.ne.jp
眠い。たくさん寝たはずなのだが。
ようやくちょっと勉強する気になってきたので、 スクラーの復習。 なかなか勉強する気にならないのは、しばらく読書会をしてないせいだろうか。
できればフランス語も久しぶりに勉強しよう。 そいえば、ヘーゲルの予習もしなきゃなんないんだよな。
今日やったこと
某所に行ってキムチ鍋。 昔一緒にバンドをやってて、 今は某寮に入って元気にやってるらしい友人と会い、 少し話す。 それから『一二の三四郎2』を第2巻まで読み返す。 『一二の三四郎』を読んでないとわからないところがわかって楽しい。 それにやはり『2』の方がプロレスシーンに迫力がある。
店を出て、某古本屋に。一冊だけ古本を購入。
ところで、猫の話だが、 今日、某疎水に沿った道を自転車で走っていると、 道端にうずくまっている二匹の仔猫が目に入った。 もちろん、ここで言う「〜が目に入った」というのは、 「〜を見た」と同義語である。念のため。
ああ、かわいいなあ/かわいそうだなあ、と思って、 一度通りすぎた道を引き返し、 お腹が減っていたらコンビニでエサでも買ってやろうか、 などと偽善者しながら猫に近づいていった。 一匹はトラ猫で、 もう一匹はアメリカンショートヘアみたいな、 灰色と白がまざった毛の猫である。
近づくと、トラ猫の方がタタタっと茂みに逃げこんでいく。 ショートヘアもどきはおとなしく座りこんだままだ。 うんうん、こいつはガキのくせに人間を見る目があるな、 などと思ってすぐそばまで近寄って見ると----
なんと、この猫は盲目だったのだ。
よく見ると、目が毛のようなもので完全にふさがっている。 目ヤニか何かかとも思ったが、どうも違うようだ。 しかし、先天的なものでもないように見える。
とってやろうかどうか迷ったが、 おれは偽善者だが小心者でもあるので、 面倒なことにならないうちにその場を立ち去ることに決めた。 運がよければ生きるだろうし、だめなときはだめだろう、 などと考えつつ。
今から考えれば、 コンビニで猫カンぐらい買ってやればよかった気もする。 しかし後の祭。 今度見かけることが万一あれば、財布とよく相談した後で、 何かしてやるかもしれない。
スクラーの勉強。 非ユークリッド幾何学の相対的な無矛盾性の証明の話から、 ヒルベルトの公理系はとっても厳密だという話まで。
ほとんど全訳になってしまった。 しんどいので残りはまた今度。
快晴。あれ? 「快晴」と書いたあとに空を見るとうっすらと曇っている--。
とにかく良い気候。風も心地良い。
バンドの連中と霊山(りょうぜん)歴史館に行ってきた。
八坂神社を少し下り、急な坂を上って博物館へ。 この博物館は八坂神社の南にあり、 ずっと坂を上った先にある。
霊山歴史館に行ったのは、新撰組の特別展示があったから。 幕末と明治初期の資料を見るのはおもしろかった。 今月16日までやってるらしいので、興味のある方はどうぞ。
ところで、今思い出したが、明後日は新歓コンパじゃないか。 どうするんだ。金ないぞ。金ないぞ。食い逃げか。食い逃げだっ。
某所で某食事。某感謝:-)
まだスクラーの勉強中。 ところで、real analysisというのは、「実解析(学)」と訳すようだ。 どういう内容なのかさっぱりわからんが。
スクラーのまとめ。 三次元空間にある曲線を数式を用いて特徴づける際に、 ガウスは曲率やねじれを使って、 特定の座標軸に依存しないやり方でうまく特徴づけた、という話の途中まで。
前回の授業はもう少し進んだんだけど、力つきたので今回はここまで。
さあ、次はヘーゲルの予習だっ。 ほんとは授業の勉強ばっかりしてないで、専門の勉強もすべきなんだけど、 とにかく予習だっ。ドイツ語だっ。
しかし、まずは先週の復習から。 実は何を読んでるのかよく知らないんだけど、 『論理学』の途中らしい。 Cの無限者の話から。
あ、以下の訳は、 某教授の話を半分ぐらいしか理解できない人間の手になるいいかげんな訳なので、 その点を考慮に入れて読んでください。
Das Unendliche in seinem einfachen Begriff kann zunaechst als eine neue Definition des Absoluten angesehen werden;
ansehenは「みなす」という意味。werden+過去分詞で受動態だった気がする。 「無限者っていうのは、その単純な概念においては、 さしあたり、絶対者についての一つの新しい定義とみなすことができる」。 要するに、「絶対であるものは、無限なものである」と言えるってことか。
es ist als die bestimmungslose Beziehung-auf-sich gesetzt als Sein und Werden.
Beziehung-auf-sichは「自己関係」と訳すらしい。 「無限者は、無規定の自己関係としては、 存在と生成として規定される」。 大体の意味は、 「無限なものは、他のものによって規定されないという意味で、自己関係的である。 そこで、無限なものは、自分によって存在するものと規定される」ということらしい。 細かい話は忘れてしまったが、有限なものは存在と生成が一致しないのに対し、 無限なものは存在と生成が一致する(=自己原因causa suiである)んだそうだ。 へー。そうなのか。
Die Formen des Daseins fallen aus in der Reihe der Bestimmungen, die fuer Definitionen des Absoluten angesehen werden koennen, da die Formen jener Sphaere fuer sich unmittelbar nur als Bestimmtheiten, als endliche ueberhaupt, gesetzt sind.
Seinが「規定されていない存在」であるのに対し、Daseinは「規定されている存在」 なんだそうだ。「定有」なんて訳があるが、わかりにくいので、 そのまま「規定されている存在」と訳してしまおう。 Bestimmungは「規定、命令、指令」などの意味。 Bestimmtheitは「定められてあること」という意味らしい。 前者が能動的、後者が受動的なとこが重要だとか。 「規定されている存在の諸形式は、 絶対者の定義としてみなされうる規定の系列には含まれない。 というのも、その領域の諸形式は、それ自体直接的には、 規定されるものとしてのみ、すなわち有限者一般として、規定されるからである」。 う〜ん、よくわからんが、 無限者は自分で自分を規定するが、有限者は他のものによって規定を受けるんだ、 という話をしてるんではないだろうか。
Das Unendliche aber gilt schlechthin fuer absolut, da es ausdruecklich als Negation des Endlichen bestimmt ist, hiermit auf die Beschraenktheit, derer das Sein und Werden, wenn sie auch an ihnen keine Beschraenktheit haben oder zeigen, doch etwa faehig sein koennten, im Unendlichen ausdruecklich Beziehung genommen und eine Solche an ihm negiert ist.
gelten fuer ...で「〜とみなされる」、ausdruecklichは「はっきりと」、 hiermitは「これによって」、Beschraenktheitは「限られていること、制限」、 dererはたぶん女性2格の関係代名詞でfaehigと結びついているんだろう。 wenn ... auchはeven ifだった気がする。sieはan ihnenという形からすると、 三人称複数のようだ。するとdas Sein und Werdenを受けるのか。 後半意味不明。nehmenはどうも「奪う」という意味で使われているらしい。 auf die BeschraenketheitはBeziehungとつながるものと考えよう。 eine Solcheはよくわからんが、Beschraenktheitを指しているようだ。 negierenは「否定する」。
「しかるに、無限者は端的に絶対的なものとしてみなされる。 というのは、それは、明らかに有限者の否定として規定されるからであり、 それゆえ、存在と生成が--たとえいかなる制約を持ったり示したりしなくとも-- いくらか被ることがありうるような制約との関係は、 無限者の内においてはっきりと取り除かれ、 制約は無限者においては否定されているからである」。 要するに、無限者は有限ではないんだから、制約されてない、ってことか。 ううん、クラクラ来るなあ。
Damit aber selbst ist das Unendliche nicht schon in der Tat der Beschraenktheit und Endlichkeit entnommen;
selbstはこういう位置にあるときは強調らしい。schonは「まだ」。 in der Tatは「実際に、本当に」、entnehmenは「〜から出る」という意味のようだ。
「しかしながら、とはいえ、無限なるものでさえ、 実際のところはまだ制約性や有限性からは脱しているわけではない」。
die Hauptsache ist, den wahrhaften Begriff der Unendlichkeit von der schlechten Unendlichkeit, das Unendliche der Vernunft von dem Unendlichen des Verstandes zu unterscheiden;
die Hauptsache ist, ... zu tunで、「肝心なのは〜することである」 という意味のようだ。あとは何となくわかるな。 「重要なのは、無限の真の概念を悪い無限から区別すること、 すなわち、理性の無限を悟性の無限から区別することである」 ここから、有名な真無限と悪無限の区別の話。
doch letzteres ist das verendlichte Unendliche, und es wird sich ergeben, dass, eben indem das Unendliche vom Endlichen rein und entfernt gehalten werden soll, es nur verendlicht wird.
verendlichteは「有限化された」という意味らしい。 es wird sich ergeben, dass...は「〜ということが明らかになる」 という意味のようだ。ebenは「まさしく」、indemは「〜によって」、 sollenはなぜここで使われるのか不明。接続法か。 nurは「まさに」かなあ。
「後者(悪無限)は有限化された無限であり、そして明らかに、 無限者が有限者と混ざることなく遠ざけられるということによって、 無限者はまさに有限化するのである」。 要するに、悪無限とは有限なものと対立する無限のこと。 自己の外側に対立するものがあるかぎり、真の無限とは言えない、 というわけ。
あかん。復習するだけで頭がクラクラしてしまった。 予習はまた明日(たぶん)。
寝すぎ寝すぎ。 昨夜はシャワーを浴びたのち、 ファインバーグの権利論の話を少し読んで寝た。
朝起きてゴミを出し、またお昼前まで寝てしまう。
お昼前にようやく起きてからシリアルを食べ、 炊いたご飯を弁当箱に詰め、大学へ。
ヘーゲルの予習をしなきゃ。
某ヘーゲルの授業に出席。前回よりは話がいくらかわかるようになった。 今年は「絶対者」の概念を中心にやるらしい。
しかしどうして彼らは「絶対」とか「無限」とか「実体」とか 「自律(あるいは自立)」とかを追求するのだろうか。 やっぱり神さまをよく知りたいとか正当化したいという欲求が背後にあるのだろうか。
某名和先生の情報の授業に出る。ユニヴァーサル・サービスの話。
ヘーゲルの授業の復習。テキストを最初からずっとやるというのではなく、 いろんなとこに飛び飛びしながら、 「絶対者」という考え方を研究するみたい。 おれのような素人にとっては、どのテキストを使っているのかよくわからんが、 なんでも『論理学』の初版と第二版を比べながら進むんだそうだ。
とりあえず、昨日の続きから。 今日は、対訳付きのプリントをもらったのであまり勉強にならないかもしれないが。
Das Unendliche ist
a) in einfacher Bestimmung das Affirmative als Negation
des Endlichen,;
「無限者とは、a) 単純な規定(定義)においては、 有限者の否定としての肯定的なものである」。
大意: 有限なものAは、A以外の有限なもの(すなわち非A)によって、 いわば囲まれており、それゆえ、 有限者Aは非Aによって規定されるんだそうです。 有限者は否定的に規定されるものだから否定的なものであり、 それゆえ無限者は、「否定的なものの否定」として、二重否定で肯定になる、 というわけだそうです。たぶん。
b) es ist aber damit in Wechselbestimmung mit dem Endlichen und ist das abstrakte, einseitige Unendliche;
「b) しかしこれでは、無限者は有限者と 相互規定にあることになり、 抽象的で一面的な無限者である」
大意: 意味不明。相互規定っていうのは、「Aは非Aでないものである。 非AはAでないものである」っていう循環になっちゃうってことだと思うんだけど、 よくわからない。そしてその規定がなぜ一面的になるのかもよくわからなかった。 ま、とにかくこの無限者は、 有限なものの否定によって成り立つ悪無限になってしまっているのでだめだ、と。 んで、アウフヘーベンしなきゃなんないと続くわけです。
c) das Sichaufheben dieses Unendlichen wie des Endlichen als ein Prozess -- ist das wahrhafte Unendliche.
ここのwieは「ならびに」という意味のようだ。 「c) この無限者ならびに有限者を一つの過程として 自己を止揚したもの --これが真の無限者である」
大意: ばんざーい、ばんざーい。
Das Unendliche ist die Negation der Negation, das Affirmative, das Sein, das sich aus der Beschraenktheit wieder hergestellt hat.
「無限なるものは、否定の否定であり、肯定的なものであり、 制約から再び回復した存在である」
大意: そうなんです。
Das Unendliche ist, und in intensiverem Sinn als das erste unmittelbare Sein;
「無限なるものは存在するのであり、 第一の直接的な存在というよりも強い意味で存在するのである」
大意: 意味不明。「第一の直接的な存在」って、 「第一原因」としての神のことを指してるんだろうか。 もしそうなら、 そういう限定を受けない意味で存在してるってことだろう。
es ist das wahrhafte Sein, die Erhebung aus der Schranke.
「無限なるものは、真の存在であり、制約を超越している」
大意: ま、なんか宇宙全体みたいなものを想像すればいいんじゃないでしょうか。 ぼくなんか制約だらけの人生すごしてるから、真の存在でもなければ、 無限でもないわけです。
Bei dem Namen des Unendlichen geht dem Gemuet und dem Geiste sein Licht auf,
「無限者という名前とともに、 心と精神にその光が湧き上がってくる」
大意: 意味不明。無限者という語を「神」かなんかに置きかえると、 なんとなくわかる気もするが。sein Lichtのseinは無限者と思うのだが、 これもよくわからない。
denn er ist darin nicht nur abstrakt bei sich, sondern erhebt sich zu sich selbst, zum Lichte seines Denkens, seinen Allgemeinheit, seiner Freiheit.
erは精神ととるらしい。 「というのは、その際、精神は単に抽象的に独りで存在するのではなく、 自己自身へと高め、自己の思惟、自己の普遍性、自己の自由の光へと高めるのである」
大意: 意味不明。
Das Unendliche ist; in dieser Unmittelbarkeit ist es zugleich die Negation eines Anderen, des Endlichen.
「無限者は存在する; その直接性においては、それは同時に、 ある他者、すなわち有限者の否定である」。
大意: なんか前にもあったような話ですな。「その直接性においては」は謎。
あれえ。結局全然わかってないんじゃん。いやはや。 他のテキストも少しやったんだけど、これはまた来週。
道徳権利論の研究をちゃんと始めることにした。 夏休み中に研究成果を出して、関倫で発表できるようにしよう。
今日やったこと